 小雨の中 最後の登校日となりました。 どんな気持ちで 二人とも登校したかな。
私にとって 小学校6年間というのは とてもとても長くて 苦痛の多い6年間でした。 卒業したら楽になる、と勝手に思っていたのですが 次の中学3年間は もっと苦痛でした(笑)
どうしたら 意義のある6年間を過ごしてもらえるだろう。
子供たちが入学した時 私はひとり 思い巡らしていました。 例えば、子供たちのおかれる環境が悪いからといって 親に その環境を簡単にかえることはできないですよね。
引っ越す、とか 私立に入れる、とか あるいは 学区外の近くの学校に転入させる、とか。 なんにしろ 親はエネルギーを必要とされます。
それに 引っ越したり、学校を変わったりしても また同じことは起こりうるんだしね・・・ それにすべての苦痛を 子供から取り去る事は 得策ではないし。
苦しい事にまさる 楽しい事があれば 記憶は楽しい事の方が勝るんじゃないかな?
私の中に残っている楽しい記憶をたどってみたら なんて事ない 日常の一こまばかり。 そうなんだよね。 子供って 特別なイベントよりも なにげない生活の一部の方が 記憶に残っていたりする。
それなら 毎日をがんばろう。
そう思って 子育てしてきました。 「心配じゃない?」 「不安じゃない?」 「さみしくないの?」 最近 みんなに聞かれます。
さみしくない、と言ったらウソになるけど さみしくてたまらない・・ 行っちゃったらどうしよう・・ 何かあったらどうしよう・・ って 感情は今のところありません。 (私って・・冷たい親かなぁ・・笑)
なんでだろう。 自分で今までの 子供たちとの時間を 納得してきたところがあるからかな。 自分にできる精一杯をがんばった。って思えるから??
ん〜〜よく分からないけど 多分傍にいても 今以上は与えてやる事はできない、 って気がする。
1号が産まれた時 死んじゃったらどうしよう、って不安にはまっちゃって 寝ている1号を 何度も見に行ったり 必要以上に神経質になったりして 全然楽しくなかった。
「私がどんなに子供を大事に思っても 死んじゃう時は死んじゃうんだ。 それはどうすることもできない。」 ってことに納得するまで 結構辛かった気がします。
でそこを超えて どうせなら一日一日が特別になればいい。 って気持ちになってからは 本当に楽チンになりました。
夏にうちのベランダに 一羽の小雀が落っこちていました。 助けてやりたい気持ちをぐっとこらえ スズメがどうなるのか見守りました。 うちの猫たちが狙って 何度か危険な場面もあったけど 次の日には 無事飛び立つ事ができたのです。
聖書には 神の許しがなければ 1羽のスズメでさえも 地に落ちる事はない。 と 書かれてあります。 つまり命は 神の許しがなければ閉じられる事はないのです。
1号と2号も あっちで事故にあって 死んじゃうかもしれない。 海でおぼれちゃうかもしれないし 障害をかかえるような 大怪我をするかもしれない。 それは親だから、いろんな事考えました。
でも 手元いても離れていても それが彼らに定められた時間なら とられる。 私はそう思っています。 もちろん それはとても嫌な事だし おきてほしくない出来事だけど それについて 私もサイヤ人も納得できなければ 送り出すことは 決められなかった。
子供の人生をデザインしているのは神であり 親は あくまでも神から彼らを託されているに過ぎず 私は 神に対して 微力ながら責任を果たしたい。
ただそれだけを考えて過ごしてきたこの10年。
離れている1年間の間に もっといろんな事が見えてきて 自分の子育ても もっと良い方向へ 成長していけるといいな。
そう思うこのごろなのであります。
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