『おりいぶのあ』のたね

4人の子育てと猫育て?ドタバタの日常から生み出される作品は ネットショップで販売中♪ 発達障害という 面白い世界をただ今観察、研究中( ̄▽ ̄)
 
2014/01/19 13:45:00|暮らし
産まれてくるイノチ 産まれてこないイノチ
もともと張りやすかったお腹が下がってきても
あまり不安に思っていなかった私。

命は どうしようもないもの。
与えられるとき
取られるときは
神さまの手の中にある。と思っていた私。

それは間違いではないけれど
浅はかだったな。
そう最近 知りました。

切迫早産になり 完全安静を言い渡されてから
もうすぐ2週間。
薬を飲みながら 時々来る痛みに耐えて
祈るように 横になっている毎日。

最初は 早産の心配をしていた私。
安定期に入り 臨月を間近に控えたら
当たり前のように 命は生まれてくるのだと
なんとなく思っていました。

この前のブログでも
産まれてくることを前提に書いている自分がいて
初めて そのことがどんなに傲慢で
なんていうか 自分の浅はかさに気付かされたんだよね。

今の健診は ちょっと前と違って
いろんなことがわかるんだ。
それでも 前の病院ではあまり詳しく説明はなかったし
以前のお産について いろいろ聞かれることもなかった。

でも 転院して
助産院や提携先の病院では
今の状態よりも 以前のお産の話を詳しく聞かれた。
そして それをもとに 診察がなされた。

1号の時は 陣痛が来てからもなかなかお産が進まず
痛みで意識を失いそうになってから12時間も
1~3分おきの陣痛に苦しんだ。
途中で 1号の心音が途絶えてしまい
スタッフが大慌てで 動き回るのを
ぼんやり見て ああ、早く終わらないかな、って

気が付いたら 助産婦さんが3人私のおなかにのって
1号を押し出して なにがなんだかわからない状態のまま
はっきり言って 感動とはかけ離れたお産だった。
いままで 笑い話のように語ってきた1号の出産話だが
今回、私と同じような状況になって
赤ちゃんを亡くされた方々が たくさんいたことを知る。


1号の時も 2号の時も
へその緒が 平均より長いと言われたが
1号のお産の時は 何が起こっていたのか
説明もなかったし 私も質問すらできない知識しかなかった。
2号の時は 隣の分娩台の方が 
たいへんなお産だったようで
私は一人、分娩台にあがったまま
NSTもつける暇がなく
お産がすすんでしまい

「すいませーん、もう頭がでてきまーす」って
叫びながら 不安と戦った。
結局、生まれてくるのにお医者さんは間に合わず
私と 一人の助産婦さんだけでお産をした。

2号はすぐに泣かず心配する私をよそに
向こう側に連れて行かれてしまった。

その時も 詳しい話はなく
へその緒が巻き付いていたと聞いただけだった。

生きて産まれてくるという事は
本当に 奇跡なんだな。

今の医療は進んで 小さな赤ちゃんでも助かる確率は
上がっている。
だから大丈夫。

世の中は そうみているだろうか。

私も その一人であったことは 否めない。

でも 救える数は増えていても
出産を目前に控えて 赤ちゃんが死亡してしまう件数は
ここ30年ほど ほとんど変わっていない。

そうなんだ。

初めて私は知ることになった。

特に臍帯捻転という いわば不慮の事故と同じようなことが
お腹の中で起こってしまうということも
初めて知ったことだった。
それは
私のように へその緒がながくて
特に活発に動く赤ちゃんの時に
突然 起きてしまう事があるらしく
本当はねじれることのない へその緒が
何らかの理由できつくねじれたり
結ばったりして
赤ちゃんに突然 酸素がいかなくなってしまう。
防ぐこともできないし 
起きてしまったからと言って
なすすべもないのだという。

お腹の中で亡くなってしまった赤ちゃんを生み出すために
人工的に 陣痛を起こす。
陣痛は 生きている赤ちゃんに会えるからこそ
耐えられるもののような気がする。
産声を聞けないのに わが子を生み出さねばならない
母たちがいることを 私は忘れていはいけないと思った。

・・・「誕生死」・・・そうなんだ・・・

そして それは誰にでも起こり得る事で
命ある子供を産めることが 本当に奇跡であること
命はやはり神の手の中にあって
子どもというのは 神さまからの預かりものだということ
本当に ココロにしみこんだ。

望まない妊娠をして 学校のトイレで
赤ちゃんを産み落とす女学生がいる一方で
長い不妊治療の末 やっと授かったわが子を
出産直前で亡くしてしまう母もいる。

この現実はなんなんだろう。

私は 甘い。

発達障害が どうのこうのと言ってる場合ではない。

前回 検査でみてくださった先生が3号出産の話を聞いて
憤慨された。(苦笑;)
それはいけないことだ、と。

私は 3号は早産だったけど
元気に生まれてきたし 今も大きく育っているから
別に早産って なんてことなかったな、って思っていた。

そこに 喝!をくらった。

なんで前回 そのようなお産だったのに
今回 もっと気を付けなかったのか、と。

私は十分気を付けたつもりだった。
横になった時間も多かったし
つわりが長かったことを除けば
順調に来ていたと思っていた。

知らないって 恐ろしいことだ。

しばらく弱かった胎動がおとといくらいから
また戻ってきた。
臨月近くなると 胎動は減るもんだ、と
最初はあまり気にしていなかった私だが
近頃は何かが違う、と 本能が叫んでいた。

トイレとお風呂、食事以外は座ることも許されていない。
でもそうして寝ていても
数日に一度 強い痛みが来る。
昨日は 痛みの後、2時間以上も胎動がなくて
本当に 今回はダメかと思った。

でも 今日も赤ん坊は生きている。

母親というものは いつも覚悟が必要なんだな。

4人目を与えられたことによって
私はまた 新しい世界を知った。
もし 本当に順調そのものでなんのトラブルも不安も
無かったら
このような事実や 現実を知ることはなかっただろう。

そして 現実のささいな苦しみに振り回されて
子供たちをぞんざいに扱うことがあったかもしれない。

どんな子供であっても 生まれてきてくれたことに
感謝しなければいけない。
そんなことはいままでだってわかっていたが
毎日の子育ての中で
それだけ子供たちに 敬意を表してはいなかった。

そして私の人生に
「必要なことがすべて起こる」ということを
教えてくださった神に 感謝しよう。
小さいころから私の支えになってきた聖書の言葉が
ココロの中に ずしんと響く。

「わたしは 裸で母の胎を出てきた。
 また 裸でかしこに帰ろう。
 主は与え 主は取られる。
 主の御名は ほむべきかな」 
         旧約聖書 ヨブ記1:21







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