→続き  くぅちゃんがうちにきてから
ねころぐ(猫のブログ)みたいになってきました・・(笑) 
これは うちのホームズです。 
うちにきて16年目。
すっかり 貫禄の出たおじいちゃん(?)になりました。 
拾ったときは、今のくぅちゃんより小さくて
200gくらいしかありませんでした。
出張先で拾い、獣医さんに連れて行ったら
あまりの小ささに・・
育てるのは難しいかも、と言われました。
初乳をどれだけもらってるかが 
よく分からなかったからです。 
猫が苦手だった私は・・・
それなら 最後を看取ってあげよう。
と、(そのとき私は、病気で子供は望めなかったので)
こどもの代わりに育てよう。と、
そのまま 出張先から東京まで猫を連れ帰り
2時間おきにミルクをあげて・・・
また 出張に連れて行き・・・
そんな猫との生活が始まったのです。 
それから・・今現在、一度も病気することなく、
ホームズは元気です。 
でも 彼は、心を病んでいます。
動物に心があるのか、という話になりますが・・
それは置いておいて
この子は よく噛むのです。 
子猫のとき、私が厳しくしつけたせいもあるのでしょう。 
子猫の性質、本質、ホームズの性格を考えないまま
自分に都合のよいようにお行儀のよい猫にしようと厳しく 
しつけてしまったのです。 
子猫は うるさくてあたりまえ。
家をぐるぐる走り回り、
新聞紙に飛び込み
転がるものを追いかけ、
高いところに飛び乗る。 
そんなあたりまえの行為に
私はいちいち「だめだよ」と 教えていました。
 今思えば、しつけと証した虐待行為だったかもしれません。
 あるとき、獣医さんに
「母親の愛情を知らない子は、噛み癖があるんだよね。猫の子供も、人間の子供と同じなんだよね」と 言われたのです。
 その時は、さらり、と聞き流していた私ですが
後に、自分の子供を産んで 
子育てが始まったとき
この言葉の意味を 深くかみ締める事になりました。 
1号はよく私に 噛み付く赤ちゃんでした。
母乳と布おむつで育て、
言葉もかけ、時間もかけていました。
それが、私にとって ”きちんと子育てをしている” という、なんていうか・・・
自分で自分に言い聞かせているような、
きちんとしなければ、というそんな子育てだったのです。 
ちゃんとしているようで実は 
違っていました。
きちんと子育てしなければ、という思いは
子供にきちんと向き合う事ではなく
外側に向かって、、つまり 
あの人はきちんと子育てしている、と 
他の人に思われるための動機でした。 
もちろん、私がそれを意識していたわけではありません。
他の人に、ちゃんとしてるって思われたい、と 
思っていたわけでもありません。 
でも。
産まれて間もない1号は
母親である私の 本質的な動機に
ちゃんと気がついていたのです。 
そしてお母さん、ちゃんと僕を見て。
こっち向いて。
なにもかも きちんとするよりも
そのままの僕を受け入れて。と 
SOSを送っていたのです。 
もし私がホームズを拾うことなく
そのまま子育てをしていたら・・・
きっと今のようには子供たちに接していなかったでしょう。。
自分のガチガチの価値観のまま、
子供にはこうするべきだ、
子育てはこうあるべきだ、と 
その子の本質や ありのままの姿に気がつくことなく
私の枠の中に 
子供たちをはめ込んでいたに違いありません。
 ホームズは、私の犠牲となってしまいました。
とても神経質で、攻撃的になってしまいました。
それは 小さい頃、
私にしかられすぎて恐れがしみついているからなのです。
 人間も一緒です。 
自分は許されている
受け入れられているという 安心感がない人ほど
攻撃的で、猜疑心にあふれていて・・・
ゆとりがなくなってしまうのです。 
子供は 神からの預かりもの。
私が 親として神の前に負っている責任の重さに
心がぎゅっと引き締まります。
ひとりひとりに神が与えている素晴らしいギフト(性質と特性)を
 私が自分の価値観で 握りつぶしてしまうことなく
神が子供たちに約束しておられる祝福された人生を歩めるようにこんな私ですが、親として子供と一緒に成長して行けたら・・いいな。と 思っています。 
かみさま、ホームズを私のところにおくってくれて、
ありがとう。
そして子供は産めない、と言われていた私のトコに
野生児のような 元気な子供たちを
3人もおくってくれてありがとう。 
そしてまたくぅちゃんを通して、
大切な事に気づかせてくれて
最初の思いを 思い出させてくれて 本当にありがとう。