『おりいぶのあ』のたね

4人の子育てと猫育て?ドタバタの日常から生み出される作品は ネットショップで販売中♪ 発達障害という 面白い世界をただ今観察、研究中( ̄▽ ̄)
 
2011/10/11 8:45:33|暮らし
祝!再開!
秋は 空が高くて気持ちがいいです。

約7ヶ月ぶりのブログです(^-^)
昨日はお弁当を持って、うちの近くの公園で
のんびり過ごしました。

お弁当を食べ終えた野生児たちは、
ほんの数十分の間に
あっというまに こんなにたくさんの魚を
取ってしまいました(画像)
(網は1本だけなので 手づかみで!笑!さすが!)

めだかやどじょうの仲間みたいなのがいて、
大きいのは7pくらいあります。
ゲンゴロウや、エビもいます。

三人とも、とても楽しそうでした!(笑


東日本大震災が起こった日は
、野性児2号の誕生日でした。
私は美容院で髪を洗ってもらっている最中で
美容院の椅子が壊れたのかと思いました。


外に出てみると 電信柱が大きくぐらぐらと揺れ
たくさんの人が 車道に出てきていました。
家に留守番していた子供たちに 電話をするも
なかなかつながらず。。。


それ以来、外出するときは
必ず 災害が起きたらどこにどうするか、ということを
確認するようになりました。

地震の後、調子悪かったパソコンが
ついにおだぶつになり・・
我が家にやっと 新しいパソコンがやってきました!

また・・
今までのように 等身大の日常を
つづっていけたらいいかな、って思っています。

この7ヶ月の間、本当にいろんなことがありました。
私だけでなく 多くの人々の人生が
変わってしまいまいした。

今まで明日が普通にやってくると信じていた事が
実は 不確かなものだった。と
人が知るきっかけにも
なったと思います。

失ったものがなくても 今あるものがどんなに大切で
目に見えないことほど 意味を持ったものであるか。を
ひとりひとりがかみしめて
今日を歩いて行けるように。と願いつつ・・祝!再開!







2011/03/04 12:25:29|発達障害と生きる
アスペルガー的家族
2月は。
私にとって 最悪な1ヶ月でした。

自分の誕生日があり 節目の時であったものの
(写真は2号が私に内緒で 
 自分のお小遣いで買ってくれた誕生日ケーキ)
(感激\^_^;)

いろんな感情を経験し
いろんな真実を発見し

あらゆることを受け入れ
覚悟していかなければならない現実を見た気がします。

発達障害では 普通、療育センターという
専門の病院に行く事が多いのですが
まだまだ 専門医が少ないのが日本の現状で

欧米諸国より 30年以上は遅れている、と
言われている分野です。

その 少ない専門医の中でも
すごい、といわれているドクターが
たまたま主治医になりました。

初診は 面食らう事を言われ
はっきり言ってなんだ、この先生?と思いましたが
だんだんいい先生なのが分かり
あとで もしかして親も試されていたのかも。
と思いました。

結果的に1号は
広汎性発達障害、ということで
90%以上「アスペルガー」という事でした。

*アスペルガーとは 簡単に言うと
 自閉症の仲間のようなもの。発達障害の一つ。

やっぱり。と普通に納得しましたが
ビックリしたのは その点数の高さでした。
普通の脳の子どもとの境目くらい?と
勝手に思っていた私の予想をはるかに超え

(って言ってもテストを受けている時
 あまりに当てはまってビックリした)
全然 普通ではありませんでした。

東京に戻ってきた時には 
大喜びで学校に行っていた1号も
2月は 登校した日が少ないくらいで
インフルエンザ、と診断された昨日は
「これでもう学校にいかなくていい」と
むしろ 喜んで・・・(苦笑)


今まではそこにあった環境が当たり前だったので
気がつかなかったたくさんの事に
山村留学に行って そこから離れた事により
いろんなことに1号自身が気がついて 
言葉にできるようになったことで

なにを自分は不快に感じて苦手なのか、が
分かるようになってきたこと。
漠然と思っていた事に理由を言えるようになったこと、
ぼんやりとぼやけていた
様々なものが
はっきりとした輪郭をもって現れてきた事が
原因なのだと思います。

ころりん(幼児園)に通っていた時は
ほとんど休んだ事がなく
熱があっても「行くんだ!」と
ぐずっていた1号が

学校に入ったら突然 困難になりました。
不登校は これで4回目。
それでも今までは
ガソリンが満タンになれば
(心が満ちれば)
また行けるようになる、と信じて
学校を休ませてきた私。

もちろん今までは その問題は数日で解決し
長く学校に行けない、と言う事はなかったのだけど・・

今回は訳が違うな。

母親の勘、というか分かるんだよね〜

ドクターは 学校以外の選択肢もあるし
無理に行かせない事、とおっしゃったけど
行かなくてもいい、と言われた途端

今まで(まあ、行きたくない時もあるよね、
    そんなに無理矢理学校に行かなくても)
と思っていた私も

このまま学校に行かなくなっていいのか、と
変な焦りが出てきてしまって

毎朝、1号とやり取りするたびに
だんだんストレスになってきて
こういう毎日を受け入れるのに
1ヶ月もかかってしまいました。

ちなみに・・・
2号と3号についても
発達障害を調べるテストを受けた方がいい、
ということになり
(だって前回のテストで2人にもかなり当てはまる)
もしAS(アスペルガー)だったら女の子の場合
これからこんな問題が起こりますよ、と
ドクターに言われたような事が
うちではすでに起こっていて・・

って事は。
2号についても 変わった子、と思っていた事が
実は・・・性格でなかった?可能性もあるわけで。

この子だけはまとも。と思っていた3号についても
車に乗るたび 他の車のナンバープレートを読んだり
答えが分かっているのに何度も同じ質問を繰り返す、
スケジュール(時間)をしつこく確認する、
掛け算、割り算の概念がある(5歳で)などなど

思えば 思い当たる節もあり
(苦笑)

ちなみに
夫のサイヤ人、
1号がドクターに受けた設問のうち
「これがわからなければ100%アスペ」と言われた問題に
見事答える事ができず・・・(爆笑!!)

うちでは・・・私一人が・・少数派?

という私も・・
読んだ本の内容は ほとんど忘れない、しかも速読
という特技を持っていて
かなり・・・自閉脳に近かったりして?!







2011/01/17 11:38:33|暮らし
「子育て。」と戦う私。
東京の学校に転入してから
1週間が経ちました。

鹿児島へ1年分送った荷物を またコチラに送りかえして
大量のダンボール箱と 格闘している私・・・

ちょっと休憩・・・(_ _;)


冬の冷えた空気の中を走って学校へ行く1号と2号。
その背中に 
「大丈夫だよ!」と エールを送る優しい母としての私。
その一方で
「もっとがんばりなさい!」と 心の中で思っている
母としての?私がいる。


やっぱり・・・。
発達障害と付き合うのは 難しい。



離れて暮らしている時は
これで やっと解決の糸口が見えた!と喜んだけど
一緒に過ごすうち実は だんだん
心の中が複雑になってきた。

2号は
今まで「どうしておにいちゃんはこうなの?
    お父さんはこうなの?」と
思ってきた事を
「それは仕方がない事なんだ。受け入れてあげて」と
母親(私)に諭されて 悩んでいる。


気の利く3号は 相変わらずあ〜だこ〜だと
1号やサイヤ人(お父さん)に
いろいろ注意して回っていて・・・(^_^;)
私に
「もっと兄ちゃんの言う事聞かないと」とか
「お父さんにそんな言い方しない」とか言われて
なぜだか分からず混乱している。

そうなんだよ。
2号だって3号だって まだ子どもだ。
これこれこうです。って言われても
なかなか大人のように理解できる訳でもない。
すんなり受け入れるわけにもいかない。
(それに3号が注意してる事は間違ってないんだし・・)
(2号だって 
 なんであたしだけガマンしなきゃいけないのって
 気持ちになるらしく
 それって・・・そうだよね・・)

でも。
私たちは 家族なんだ。
だから理由も屁理屈も 事実も現実も
へったくれもない。
受け入れないといけないんだよ。

ただその事を 認めないといけないんだよ。

きょうだい。って
難しいな。
親は みんな愛しているのに
ひとりひとり受け取り方も 感じ方も違うし

産まれ持ったものだって それぞれだ。

その中でどうやったら
みんながお互いを思いやって 優しくして
時にはぶつかりながら いたわりながら
そして 甘えながら生きていけるのか。

はぁ〜〜
ホント、親って大変な仕事だな、こりゃ。

頭ではたっくさん知識を詰め込んだ私だけど
早速 1号を泣かせてしまいました。
そんなに追い詰める理由でもないな。と
頭では 分かってはいたけど。

お風呂で一人声をあげて泣く1号に
かけてあげる言葉が見つかりませんでした。

なんか。
「子育て。」というモンスターと
戦っているような気分です。

さぁ! いよいよ3R突入かっ?!(ボクシングのラウンド)
新たなる境地?!
白熱の戦い 開幕か?!
って感じかな(^_^;)


だとすれば・・
いったい何ラウンドまであるんだろ。
子育てって(苦笑!)










2011/01/11 11:54:20|山村留学への道のり
さようなら 鹿児島
いつものように
海の上を走っていく
漁船のエンジン音で目が覚めました。

いつもとかわらぬ夜明け。

この風景の中で 1号と2号は生活してきたんだ。
なぜかわからないけど
涙がじゃんじゃん流れました…

私の知らない時間
私の知らない出来事
私の知らない気持ち
私の知らない葛藤
私の知らない喜び
私の知らない発見
私の知らない優しさ
私の知らない意地

そこに流れた時間のなかに

確かに子ども達はそこにいて
多くの経験をしてきたんだ…

離れていて
『愛する』とはどんな事かを学んだ私たち。

これからも家族として一緒に生きていく私たち。

さようなら鹿児島。
さようなら出会えたみなさん。
さようなら青い海。

子どもたちをありがとうございました。

流れる涙を止められないまま
長くくねった海岸線を
また1人、東京へ思いを馳せて走ります。







2011/01/11 11:25:32|山村留学への道のり
海は…
昨日、空港前でレンタカーを借り、
留学先目指して1人、ひた走りました。

ついこないだ来たばかりでしたが
違う町に見えました。

それでも海はそこにあり
同じ風景でその時の表情を見せてくれています。

去年の春、ここと同じ場所で写真を撮りました。
あの時は、不安と期待の入り交じった
微妙な感情がみんなの中にありましたが


それでも 期待のほうが強かった事は確かです。

東シナ海に向かって
私は大きく深呼吸しました。

目に見える結果は望んだものと違うけど
この海は、野性児たちの中に
何かをきっと残してくれた…と信じて。

1人、敵陣のなかに乗り込んで行くような気分でしたが

みんなの支えと神様の愛があったので
全ての作業を1人でこなす事ができました。

みんなありがとう。