《7月4日》 連日の雨だ。災害も起きている。W55は図書館から山本一力書の「ジョンマン」を借りて読んでいる。ジョマンとは、中浜万次郎のことである。 中浜万次郎は、1841年に土佐の鯵鯖漁船の炊事係として乗船中に嵐にあって遭難して鳥島に漂流、助かった5人で143日間を生き延びる。たまたまアメリカ捕鯨船ハウランド号が、鳥島に食料として鳥(アホウドリ)捕獲のために立ち寄っところで万次郎達を救助する。 助けられた5人は、ハワイで降ろされるが、頭の良かった万次郎を、船長のホイットフィールドに見いだされ、彼の保護のもとアメリカフェアヘブンで小学校に通う、苦労の末、首席で卒業し、上の船員学校へ、英語、算数、測量、航海術を学び首席で卒業。2等航海士として捕鯨船にのる。当時、鯨油は石油が出るまで貴重な資源だった。そのため、アメリカ、ヨーロッパ諸国により大西洋のクジラを取りつくしてしまい、遠く太平洋のクジラを求めて捕鯨していた。 この頃のジョンマンの航海士としての活躍の時期が、W55が生まれる1945年の100年前の頃である。日本では外国船に怯え尊王攘夷運動が始まり明治維新へ。アメリカでは、奴隷解放など南北の軋轢からアメリカ最大の内戦「南北戦争」を経て、巨大国となっていく。 帰国した中浜万次郎は、同じ境遇で遭難、アメリカで保護されたアメリカ彦蔵と同時期に、幕府の通詞として活躍する。その後、万次郎は、咸臨丸に乗って、再びアメリカに行っている。 今日は、アメリカの独立記念日だ。横田基地が近いので夜になると花火が上がる。もし、100年前に生まれていたら、W55は、何をしていたろうか?因みに、W55の明治時代の先祖は、上野黒門町の大工だった。まだ、野球などやっていない。 ☆昭島W55齊藤修 |