《3月9日》 今日の昭島ホエールズは、試合日程はなく、昼からチーム練習が入っている。良い天気、いよいよ球春だ。 先日調べてみたら、平成8年に昭島ホエールズ創設以来、入会選手数が100名を超えていた。この機会に、創設以来の昭島ホエールズの歴史を振り返ってみたい。 昭島ホエールズのチーム名は、昭和36年、大神球場すぐ脇に掛かる八高線鉄橋脚11番の下流からほぼ完全な形でクジラの化石、新種として「アキシマクジラ」が発見された、このクジラ由来から、昭島市最初の還暦チームに「昭島ホエールズ」と命名されたのである。 平成7年、東京都の還暦野球チームは、すでに14チームとなっていた。平成8年、昭島ホエールズは、選手数26名で、東還連登録20番目のチームとして連盟に新加入し、ランク4部からスタートした。 これより1年前、昭島W初代主将となる樋口浩明氏が中学校時代の球友中島幹夫氏と「我々も、60過ぎの野球好きを集めて還暦野球チームを作ろう」と相談し、早速に選手集めが始まった。誕生した昭島Wは、対戦相手を求めて東還連に加盟したのである。 昭島Wは以降、入会者が増加し、選手の活躍の場を広げるため昭島レインボー、昭島メイツ、昭島ガッツへと分化し、併行して昭島市還暦野球連盟(AKR)を発足させ、現在に至っている。 写真中段は、一期生の故船山健司選手である。W55が入会した当時は、一期生選手がまだ大勢活躍していて、船山選手は投打守とも昭島Wで最も活躍した二刀流のスラッガーと記憶している。 昭島Wの公式R戦成績は、東還連・西部連盟通算 344戦148勝157敗30引分各部優勝6回。西部連盟のみでは、78戦34勝35敗9引分である。 写真下段は、10年前のW55齊藤とW15石川選手である。このころのW55は、昭島ガッツに所属していたので、G55の背番号をつけている。しかし、10年前は、二人とも若かったなあ。 現在昭島Wで最も古参選手は、AKR理事長を務める中島實選手。石川選手はチーム4番目、W55齊藤は古参6番目である。W55は58歳で練習生として入会したので、今年で還暦野球歴21年目となる。AKRで最も古参選手は、平成11年に昭島W4期生で入会した現昭島メイツのカーブ投手小山金一選手である。古参選手でも活躍の場があるのが還暦野球の良いところ。まだまだ楽しもう。 ☆昭島W55saitou ☆皆さん、応援コメントありがとう!! W15もW55も、若い頃があったんですよ。 |