還暦野球昭島W55野球日記

子供の頃から、大好きだった野球!喜寿を過ぎても野球ができる環境がある。まだまだ野球を楽しめる喜びを、多くの還暦選手と共に分かち合いたい。 ">
 
2023/02/04 14:56:00|還暦野球
打って!打って!昭島W55

《2月4日》
  立春!風もなく、ポカポカ天気の昭島大神球場、絶好の⚾日和下で昭島ホエールズの練習。足腿の肉離れで休んでいた山本選手が参加。若手選手が揃って、ベテラン組も負けまいと声出しして、練習が盛り上がる。
 基本の守備練習も、実戦組を中心に、ノックが飛んでくる。W55も1塁について、必死にゴロ球を取ってベースを踏む。チームの実力向上のため、ベテランも練習するが、実戦組のサポートもしている。暴投やファールの球拾いなど、積極的に走って取りに行く。秋山監督から「結構、動けるじゃない」と声掛けしてもらった。
 打撃の時間、マシンと投手による打撃を、球数を決めて打つ。W55は、横山選手の打撃を参考にしてから、マシンも投手打撃も良くなってきた。あと少しで自分の打撃にできる気がする。
 何て云ったって、若手の打球は、W55の倍の飛距離だ。だが、自分は、焦らず着実に内野手の頭をライナーで抜く打撃をしていきたい。最後にW4大沼選手に投げてもらった。肩をカバーしながらも、徐々にUPしている。
 打撃練習に時間を取り、チームの打撃内容も良くなっている。打って、打って、打ち勝てるチームもいいね。
★昭島W55齊藤修
「還暦野球昭島W55野球日記」のブログアクセス数が555,555件に。この歳になって、始めてオール5だ。








2023/01/28 16:09:00|還暦野球
チェンジだ! 昭島W55

《1月28日》
 昭島ホエールズの練習のため、10時30分に昭島市大神球場駐車場に着いた。すでに練習を終えた昭島ガッツ稔田監督から「カッコ良いグランドコート着てるねえ!」と声かけられた。例のGtus55を着て行ったのでちょい照れ臭かったが、「気に入っているんです!」と答えた。
 11時、A面では昭島メイツ、C面では昭島レインボー、そして昭島WはB面でそれぞれ練習を始めた。各チームとも独自のプログラムを取り入れ、選手が大声でボールを追った。
 昨年は監督だったので、ほとんど出番はなかったが、出ればK戦では6割の打率をあげた。だが、今年は振り過ぎているのか、さっぱりバットに当たらない。
 練習中、今年移籍で新入会した横山選手のシャープな打撃を見て、これは参考になるなと思い、練習後に教えを請うた。W55は若いころの打撃が忘れられず、身体が硬くなっているのにスエーの大きい振りだ。だからタイミングのあう投手なら打てるが、少し球が速くなると、右脇が開いて、詰まるし、内野フライが多くなる。
 聞いてみると、なんと最も基本的な打ち方だった。彼のために詳細は控えるが、これなら自分でもできそうだ。すこし練習してみようと思わせた彼の打撃でした。振るより、まず、球に当てなければ打撃にならない。最も基本中の基本でした。分かってはいたが、何時かチェンジしなければと思っていたのに納得が出来なかった。遅くない、チェンジ、今でしょ!
 こんなことバカでないの?と思っている貴方、いずれ打てなくなる年になれば分かります。誰にでも必ず来るのです。W55はチェンジに取り組みます。 ★昭島W55齊藤修








2023/01/01 11:12:00|還暦野球
55万件!昭島W55

《1月1日》
 多摩ケーブルネットから配信しているW55の「還暦野球昭島W55野球日記」のヒット数が55万件になった。
 2010年12月14日に登録し、そして最初にヒットしたのが、自分自身だった。以来、自チームの練習模様や試合結果の記事、そして野球にまつわるエピソードなどを載せてきた。さらに昭島大神球場の側を走る八高線の古事故、還暦野球の設立の歴史、昭島ホエールズのチーム名の由来となる昭島クジラの発掘、大神球場近くを走っていた五日市鉄道(今の青梅戦と異なり、立川から大神を通って拝島駅までの路線)、大神球場を通る多摩川の渡し船の跡などの記事も書いた。
 配信し始めのころは、一日数件だった。それも自分が今日は何件ヒットしたのかの確認だけだった。ブログを配信し始めてから数年、時々、グランドで「ブログを見ているよ」と声をかけてくれる選手があり、そのころからヒット数が増加し始めた。今は、1日100〜150件、試合が盛んな春秋には200件を超える。
 正直、途中何回か配信を止めようと思ったことがあったが、何時か、大好きな背番号55の55万件になる日も夢見ていた。12年でやっと到達できた。まさに続けることの大切さの一例と思う。
 還暦野球でヒットを55万本も打つのは無理だから、明日から、また、W55の還暦野球日記を、1本づつヒットを積みかさねていこう。
★昭島W55齊藤修
★因みに、1月1日元旦のヒット数は177件、2日は203件、3日は237件でした。








2022/12/30 10:12:00|還暦野球
もう一年、あと1年 昭島W55

《1月1日》


謹 賀 新 年です。

 あと1年、もう一年と頑張り、今年で還暦野球歴20年になった。
 新たな年を迎え考える。加齢に加え、身体の痛み、好きな野球を続けて行く意味合いにも疑問を感じてきた。何時か、誰もが迎える必須のこと。
 だが、後1年、もう一年、頑張ろう。誰のため? 自分のために! ★昭島W55齊藤修








2022/12/30 7:56:58|還暦野球
歴史と記録

《12月30日》
 W55は、還暦野球歴20年目に入る。長い歴史だ。昭島ホエールズ前田中監督は、成年男子時代のエースとして200勝を越える全記録を、ボロボロになったノートに記録していた。W55が、自分の還暦野球の何らかの記録を取っておきたいと思った動機となった。以来、昭島Wの歴代選手や公式戦の記録を探して完成させた。だが、最も興味深かったのが、還暦野球の歴史の発掘だった。
 還暦野球の歴史は、昭和50年代群馬県知事が、県民の健康向上のためにスポーツを奨励し、特に野球を生涯スポーツとして奨励したことから始まる。もともと野球への関心の高かった群馬県では、以来、高齢者の野球チーム創設機運が高まり、昭和54年に「前橋還暦ボーイズ」が、初の還暦野球チームとして発足した。群馬県館林市城沼運動公園野球場には「日本還暦野球発祥の地」の碑が建っている。
  東京都では、保谷市で定年退職の仲間が野球を楽しもうと還暦野球チーム「さざんか」が、東京都初の還暦野球チームとして記録されている。その後、昭和61年に東京都軟式野球連盟の還暦の部として「東京都高齢者軟式野球連盟」が発足するが、すぐに独立し、「東京都還暦軟式野球連盟」に改称して、新たに発足した。
 この年に、5チームで保谷市営球場で親善試合、昭和62年第一回大会が、上井草球場で開催されるに至っった。

 上野駅の公園口を降りで数分、上野恩賜公園の左側に「正岡子規記念球場」がある。
正岡子規は、野球好きで知られ、自らも野球をやった。
「春風やまりをなげたき草の原」の句碑が野球場の外野外に建っている。当時は草の原だったのだろう。東京の野球の最初かも知れぬ。(上野に行って撮ってきた写真です)
 昭島ホエールズの歴史は、後に機会があったらブログに載せたい。昭島W55の還暦野球の歴史は、この還暦野球昭島W55野球日記として記録されている。
 昔を語りだしたら年寄りの始まりだろうが、W55の20年間には、どれだけの野球好きのスラッガー達が、グランドを去ったか、ブログの10000万枚の記録写真と共に思い出す。誰かが、記録を残さなければ。
 おごれるもの久からず、ただ、風の前のちりに同じ(平家物語) また、今年も、終わりですね。
★昭島W55齊藤修
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