還暦野球昭島W55野球日記

子供の頃から、大好きだった野球!喜寿を過ぎても野球ができる環境がある。まだまだ野球を楽しめる喜びを、多くの還暦選手と共に分かち合いたい。 ">
 
2022/12/30 10:12:00|還暦野球
もう一年、あと1年 昭島W55

《1月1日》


謹 賀 新 年です。

 あと1年、もう一年と頑張り、今年で還暦野球歴20年になった。
 新たな年を迎え考える。加齢に加え、身体の痛み、好きな野球を続けて行く意味合いにも疑問を感じてきた。何時か、誰もが迎える必須のこと。
 だが、後1年、もう一年、頑張ろう。誰のため? 自分のために! ★昭島W55齊藤修








2022/12/30 7:56:58|還暦野球
歴史と記録

《12月30日》
 W55は、還暦野球歴20年目に入る。長い歴史だ。昭島ホエールズ前田中監督は、成年男子時代のエースとして200勝を越える全記録を、ボロボロになったノートに記録していた。W55が、自分の還暦野球の何らかの記録を取っておきたいと思った動機となった。以来、昭島Wの歴代選手や公式戦の記録を探して完成させた。だが、最も興味深かったのが、還暦野球の歴史の発掘だった。
 還暦野球の歴史は、昭和50年代群馬県知事が、県民の健康向上のためにスポーツを奨励し、特に野球を生涯スポーツとして奨励したことから始まる。もともと野球への関心の高かった群馬県では、以来、高齢者の野球チーム創設機運が高まり、昭和54年に「前橋還暦ボーイズ」が、初の還暦野球チームとして発足した。群馬県館林市城沼運動公園野球場には「日本還暦野球発祥の地」の碑が建っている。
  東京都では、保谷市で定年退職の仲間が野球を楽しもうと還暦野球チーム「さざんか」が、東京都初の還暦野球チームとして記録されている。その後、昭和61年に東京都軟式野球連盟の還暦の部として「東京都高齢者軟式野球連盟」が発足するが、すぐに独立し、「東京都還暦軟式野球連盟」に改称して、新たに発足した。
 この年に、5チームで保谷市営球場で親善試合、昭和62年第一回大会が、上井草球場で開催されるに至っった。

 上野駅の公園口を降りで数分、上野恩賜公園の左側に「正岡子規記念球場」がある。
正岡子規は、野球好きで知られ、自らも野球をやった。
「春風やまりをなげたき草の原」の句碑が野球場の外野外に建っている。当時は草の原だったのだろう。東京の野球の最初かも知れぬ。(上野に行って撮ってきた写真です)
 昭島ホエールズの歴史は、後に機会があったらブログに載せたい。昭島W55の還暦野球の歴史は、この還暦野球昭島W55野球日記として記録されている。
 昔を語りだしたら年寄りの始まりだろうが、W55の20年間には、どれだけの野球好きのスラッガー達が、グランドを去ったか、ブログの10000万枚の記録写真と共に思い出す。誰かが、記録を残さなければ。
 おごれるもの久からず、ただ、風の前のちりに同じ(平家物語) また、今年も、終わりですね。
★昭島W55齊藤修
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2022/12/26 15:29:00|還暦野球
投手江川対打者坂本 昭島W55

《12月26日》
 昭島大神球場で、今年最後の自由練習をした。寒かったが、真っ青な空、いい気分でグランドに立った。だが、予定していた大神A面は、霜解けでぐずぐず。やむなくC面に移って練習することにした。昭島Mの1番でHR打者の周藤選手が参加してくれた。
 体操してから、キャッチボール。その後にW55が、ボール20ケ入りバケツを3ケ、ゴロノックした。少し左右に振って捕球する。足腰の柔軟練習を兼ねて野球の最も有効な基本練習といえよう。
 一休みしてから25球ほどフリー打撃、強打者3人の飛球はもの凄い。15mほど下がったバックネット前にベースを置いてのフリーでも、定位置の外野越えの飛球の連発だ。それにひかえW15とW55の打球は芝生までが精一杯だ。
 最後に、+15球のフリー打撃の勝負をやった。見ものは、江川投手と坂本選手の勝負(写真右)。プロ野球を見ているような感じ。最後に坂本選手が、ライナーのレフト越え打で、練習を終えた。 軽練習のつもりだったが、90分間精一杯の身体を動かした。気持ちよく今年最後の練習が終わった。前からの左の肩が痛い、これは、ちょっと心配な気がする。  ★昭島W55齊藤修








2022/12/21 16:17:00|還暦野球
若さには勝てない。昭島W55

《12月21日》
 寒くても風がなければ野球には上々のコンディションだ。練習好きが大神球場に集まった。
 練習で感じる。60台前半選手とW55のような70台後半の選手では、現実、体の大きさとパワーが違っている。それは打球の飛距離と鋭さに現れる。W55だって、60台前半の頃は、フリー打撃では外野越えの打球を難なく飛ばしたものだ。だが、今では15年の違いを自覚する。
 新入会のE選手は、フリー打撃では、始めに左打席で打っていたが、後半には右打席で打った。これがW55より飛ばすのだ。まさに若さのパワーにはかなわない。
 近頃は、打球を捉えたときに、バットを持つ手首が負ける感じがする。詰まるのではなく、手首がはじかれる感じがする。押し込めないから飛ばないのだ。だが、今年のK戦では打数が少ないが0.556を打った。知らぬうちに、年に合った打撃をしているらしい。
 練習後、希望があり、来週月曜日も軽い練習をすることになった。寒くても身体を動かすことが大事なのかもしれない。炬燵に入ってばかりいると、高齢者は、いつの間にか、動かない身体になってしまう。子供は風の子なのだ。  ★昭島W55齊藤修








2022/12/17 16:50:00|還暦野球
昭島ホエールズ総会 昭島W55

《12月17日》
 昭島ホエールズは、昭島市市民交流会館で、今季の総会を開催した。活動報告、会計報告、会則の改定などの議事が進み、今季の試合結果報告を齊藤監督が行った。
 今季は、全部で48試合を行った。試合結果24勝21敗3引分けの成績。R戦春大会では、山邊投手を中心に守備を固め、接戦をものにして1部昇格を果たした。
 秋大会では、7試合の内、5試合に先制点を上げながら逆転負けし、2勝5敗の成績で、2部への降格となった。
 M戦、K戦では、ユニフォームを着てきた選手は全て出す方針で、共に5勝6敗の成績だった。W戦、OP戦では、大沼選手の起用もあり、8勝1敗2引分けの好成績だった。
 試合結果報告後に、最も齊藤監督のやりたい野球を実現してくれた3番坂本選手に監督賞を贈った。3番でありながら、スクイズ犠打5回、チャンスにライト打、状況に応じた守備を評価した。とてもクレバーな選手と思います。
 総会で、齊藤は、会則の規約どおり1年で監督を退任し、後任に秋山選手が監督に就任した。来季は、数名の強打の若手選手の補強が出来そうで、対戦チームは、従来の貧打の昭島Wと思っていると、とんでもない結果となりそうだ。1年間有難う。特にキャプテン、会計さんには感謝です。来季は、大好きな背番号55に戻ります、嬉しい。 
★昭島W55齊藤修 
★応援コメント有難う。来季は選手として活躍したい。