《12月30日》 W55は、還暦野球歴20年目に入る。長い歴史だ。昭島ホエールズ前田中監督は、成年男子時代のエースとして200勝を越える全記録を、ボロボロになったノートに記録していた。W55が、自分の還暦野球の何らかの記録を取っておきたいと思った動機となった。以来、昭島Wの歴代選手や公式戦の記録を探して完成させた。だが、最も興味深かったのが、還暦野球の歴史の発掘だった。 還暦野球の歴史は、昭和50年代群馬県知事が、県民の健康向上のためにスポーツを奨励し、特に野球を生涯スポーツとして奨励したことから始まる。もともと野球への関心の高かった群馬県では、以来、高齢者の野球チーム創設機運が高まり、昭和54年に「前橋還暦ボーイズ」が、初の還暦野球チームとして発足した。群馬県館林市城沼運動公園野球場には「日本還暦野球発祥の地」の碑が建っている。 東京都では、保谷市で定年退職の仲間が野球を楽しもうと還暦野球チーム「さざんか」が、東京都初の還暦野球チームとして記録されている。その後、昭和61年に東京都軟式野球連盟の還暦の部として「東京都高齢者軟式野球連盟」が発足するが、すぐに独立し、「東京都還暦軟式野球連盟」に改称して、新たに発足した。 この年に、5チームで保谷市営球場で親善試合、昭和62年第一回大会が、上井草球場で開催されるに至っった。
上野駅の公園口を降りで数分、上野恩賜公園の左側に「正岡子規記念球場」がある。 正岡子規は、野球好きで知られ、自らも野球をやった。「春風やまりをなげたき草の原」の句碑が野球場の外野外に建っている。当時は草の原だったのだろう。東京の野球の最初かも知れぬ。(上野に行って撮ってきた写真です) 昭島ホエールズの歴史は、後に機会があったらブログに載せたい。昭島W55の還暦野球の歴史は、この還暦野球昭島W55野球日記として記録されている。 昔を語りだしたら年寄りの始まりだろうが、W55の20年間には、どれだけの野球好きのスラッガー達が、グランドを去ったか、ブログの10000万枚の記録写真と共に思い出す。誰かが、記録を残さなければ。 おごれるもの久からず、ただ、風の前のちりに同じ(平家物語) また、今年も、終わりですね。 ★昭島W55齊藤修 ★写真をクリックすると拡大できますが、一度、更新した写真の場合、は拡大できません。
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