アルボス 樹

運動音痴がはじめて出会ったゴルフの楽しさ。 そして幾分なりとも落ち着いて音楽を聴く 環境が出来、良き師匠にも出会うことが出来ました。
 
2017/08/08 14:00:12|その他
ヴァレンティン・シルヴェストロフ  を聴く 4
ヴァレンティン・シルヴェストロフ 

今回は
1984年作品 ピアノと管弦楽のための「後奏曲」 "Postludium" (1984年)
1992年作品 ピアノと管弦楽のための交響詩「超音楽」"Metamusic" (1992年)

を聴きました。実は同題名"Postludium" だけでも何曲かありまして、楽器編成と作曲年代を確認する事も大切でした。と申しますのもCDを売り出した版年代によって収録曲が逆になっておりまして・・・・(-_-;)

今回のCDはMetamusicから聴きました。
重厚な管弦楽を一つの大地に見立て、粒のようなビアノ音が次々と降り注ぐ。
現代音楽家としてアバンギャルドな試みは当然なのだろうが、古典好きの私にも良い曲だと思いました。特に35分(48分の作品)過ぎからは、ビアノと管弦楽が混然として流れる調べと変わり、やがて又、しずくのような粒のビアノが・・・・・・・
む・・・・「超音楽」か。 

Postludium「後奏曲」 なかなか後奏曲という題名の音楽は見あたりませんが、一般的意味で言えば『教会で、礼拝後会衆が退場する際に演奏されるオルガンなどの曲』などを意味します。
しかし、曲調は恐ろしいというか、おぞましいというか。背信者に対する怒り、怨念。
いや呪詛かもしれない。
どうして、彼自身への呪縛の解放を目指した作品なのかもしれない。20分の作品ですが、15分を過ぎてからは、黎明を感じさせる調べえと変調していきます。
なぜか救われる感じでした。
難しい曲だが、大変聴き応えのある作品でした。

ちと 疲れる。(-_-)
 







2017/08/08 11:03:48|レクイエムに魅せられて
ジョン・タヴナー を 聴く 3
ジョン・タヴナー
今回は【収録情報】
・アンクリエイテッド
・エロス・マニフィカトとヌンク
・ディミティス『コレギウム・レガーレ』
・仔羊・2つの聖母賛歌
・今日聖母が『クリスマス・キャロル』
・神は私たちと『クリスマス・プロクラメーション』
・クリトのアンドレイへの頌歌
・愛は私にようこそと言い
・虎
エオニア ウィンザー城セント・ジョージ・チャペル聖歌隊 クリストファー・ロビンソン(指揮)

前々回のタヴナーご紹介の曲とおなじものがありますが、『宗教作集』品として聴いた場合は、こちらの曲順編成がベスト。
果たしてそれぞれの曲がいつ作られたのかは、調べるのが大変で断念しましたが、彼が33歳の時に正教会に入信。その後ロシアのキリスト教受容の経過を考えましても、今回の『宗教作集』はすばらしい曲集だと感慨深いものがありました。
非常にロシア正教徒色が出ていまして、ラフマニノフ等の音色に近いものがあるように感じました。
穏やかな曲調は、スット耳から入り心から離れていく。しかし全曲が終わったときには、えも言われる精神的満足感が得られる作品集でした。







2017/08/06 11:54:05|レクイエムに魅せられて
ウラジーミル・マルティノフ を 聴く
ウラジーミル・マルティノフ
写真 左 
 【収録情報】
・The Beatitudes(真福九端)
・シューベルト=クインテット『未完成』
・Der Abschied(告別)
ここに収録された『The Beatitudes』はロシア聖歌をもとに、『シューベルト=クインテット「未完成」』はシューベルトの弦楽四重奏曲を。『Der Abschied』は彼の父親のためにマーラーの大地の歌をもとにしており、アメリカ同時多発テロ事件の犠牲者への追悼の意を表しています。 HMVから

The  Beatitudes は童謡と言うか わらべ歌のような感じで親しみやすい曲です。
しかし、その他の2曲は私には少々・・・・・・・。特にDer Abschied(告別)はなかなか難しく、過去に聴いたミニマル・ミュージックのライヒ等々の同題名を意味するものに近い曲からも、又違う感じが致しました。 まあ それはそれでと言うことで。

写真 右 
【収録情報】
. Come In
. Autumn Ball Of The Elves
. L'apres Midi Du Bach 

Come in  は 穏やかな美しい曲で、懐かしささえ感ずる事さえでき、「コン・コン」と時を刻むたびにアルバムの1ページを開き自分の過去を愛おしく思い返す。
そして ド・レ・ミ・ファ・・・・・・と音階が登っていく時きっと良い未来があるのだろうという安らぎを感じさせてくれます。マタニティーミュージックにもなりそう。
. Autumn Ball Of The Elves
. L'apres Midi Du Bach 
ミニマル・ミュージックを周到に練られた曲で、心拍数が徐々に上がり高揚感は高まり、気がつけば曲の中に完全に包まれている自分。
同じリズムとテンポで繰り返される事による一種の恍惚感は原始宗教の様な力を持ち、洗脳される事による原体験の実験台に乗っている。
いや、理屈漬けはどうでもいいだろう、聴くことに浸っている自分がいるその次元を
一番大事にしたい亜空間の時間。

癖になりそう (=_=)



 







2017/08/04 15:41:00|その他
ヴァレンティン・シルヴェストロフ  を聴く 3
ヴァレンティン・シルヴェストロフ の『Nostalghia』(ピアノ作品集)を聴く。
『ヴァレンティン・シルヴェストロフ を聴く2』でご紹介した作品『Requiem for Larissa』と同じ作曲家とは思われません。 ジャケットの作曲者名を見ないで2枚のCDを聴き比べたら全く別人。

なんと穏やかで、清楚で美しいピアノ曲集でしょうか。なんと表現しましょうか。
ショパンから灰汁やパッションを拭き取って、ラベンダーの香りを足した感。む・・・・・。とも違うかな。
現代作曲家の前衛的な試みは無く、ただひたすら明るい日差しの中に流れる清流と舞う蝶のたおやかさ。


ノスタルジア(2001)
2つの小品(ベネディクトゥス/サンクトゥス)(2001)
エピローグ付、2つの対話(婚礼のワルツ/後奏曲/朝のセレナード)(2002)
3つの後奏曲(2005)
3つの小品(バガテル/賛歌2001/メロディ)(2001)
2つの小品(ショパンの時/春の時)(2003)
3つのワルツ(シェーンベルク/ウェーベルン/ベルク)(2005)
ピアノソナタ第1番(1972/1999改訂)
1996の使者(1997)
ジェニー・リン(ピアノ)

が、しかし ピアノソナタ第1番は美しさの中にも不協和音(定義付けは難しいのですが)が何かを暗示させ、わずかな心の隙間に入り込み何ものかを発芽させようと試みている。それがなんなのかを知り得ない不安。
美しい旋律が故に、何ものかは心の低層部に定着してしまう。

ても、最後の小品『1996の使者』で一安心。
ピアニスト ジェニー・リンさんの力量不足を言われる方がおられますが、まあいいんじゃないですか。

 







2017/08/03 17:51:19|その他
ヴァレンティン・シルヴェストロフ  を聴く 2
ヴァレンティン・シルヴェストロフ 『Requiem for Larissa』を聴きました。

すごい。
何がすごいかはあとまわしとして、ヴェルディやモーツアルトさんには申し訳ありませんが、まあどこぞの木の陰にでも隠れていて下さい。

圧倒的なRequiem。

レクイエムと言えば一般的には死者を悼み神に許しを乞う、死者のためのミサ曲で(主よ永遠の安息を彼らに与えたまえ)の意味ですが、ヴァレンティン・シルヴェストロフのレクイエムは違う。
魔というか魔界と言うべきか、それらを暗示させてもまだ足りないほどの圧倒的何者かに対する畏敬。宇宙のすべてをも陵駕し、その魔は確かに存在する。人類の存在など宇宙の創世記から比べれば1ミリの延びしろでしかない。

現代作曲家のレクイエムには何らかのテーゼがあるものが多いが、例えば戦争・科学の発展による人類えの警鐘・人権阻害のヒューマニズム等々。ヴァレンティン・シルヴェストロフのレクイエムにはテーゼが無い・・・・ いや無いわけでは無いのだろうが・・・・・。

Larissaは女性の固有名詞だろうか?いや違うのでは、ある象徴的な何者か・・・・
それは魔である。魔という言葉がおかしいのであれば、あえて人類の知り得る限界点をも超えたあるもの。
そして、シルヴェストロフ、ヴァレンティンはそれを宇宙の果ての知り得ないものに対して許しを乞い、安息を得るための祈りとして このレクイエムを捧げている。

まいった。 本当にまいった。