巷でも特集されるようになってきた 発達障害。
その言葉だけが 独り歩きして
いまだ 誤解が多いのが実情です。
昨年、近隣の市町村合同で行われた研修会に
参加したことがありましたが
行ってみて・・・本当にがっかりしました。
内容は 初歩的も初歩的
導入、というような感じで
そこに参加しておられた 学校教職員の方々の質問も
少し 的外れなものも多かったのでした。
昨日。
2号が少しけげんそうな面持ちで
私のところに近づいてきました。
学校で名前を知らない先生に呼び止められ
こんな会話があったのだそうです。
先生「あなた、スケートやってるんだって?」
2 号「はい、そうです」
先生「あなたのお兄さんって、2年生のAくん?」
2 号「はい、そうです」
先生「そうなんだ。Aくんは通級と適応に行ってるんでしょ?教室には行かないの?」
2 号「時々は行ってます」
先生「ふ〜ん」
先生「あなたは大丈夫?」
(2号は真意がわからず・・??少し沈黙)
先生「あなたは、お兄ちゃんみたいになったりしないの?」
2 号「大丈夫だと思います」(なんだか悔しかったので怒ったように言ったらしい)
先生「だよね〜じゃないとスケートなんかやれないもんね」
と。
いったい 何が言いたかったのか。
そんなこと、2号に聞かないで
1号か2号の担任の先生に聞いたらいいんじゃないの?
同じ職員室にいるんだから。
なんだか 久しぶりにムカムカしてしまった私。
私「そんなこと言われて、おにいの事恥ずかしいと思った?」
2 号「ううん。だけど なんでそんなこと言うんだろって 悔しかった」
そんな会話をしていたら
1号すかさず
1 号「別に悪気はなかったんじゃね〜?」って。
私「あんた、腹立たないの?だって2号は不登校の1号の妹だけど
大丈夫か、って言われたようなものでしょ?
差別的じゃない?
1号を軽蔑していったのか、2号を疑って言ったのか
そんなことどっちでもいいけど なんなんだ、その先生・・・」
と どうにもムカムカしてしまいました。
肝心の1号は。
もう 大人の無責任な言動には慣れたのか
しょうがねえ、って感じ。
まあ、いいけどね。
カミングアウトすることは
多くの敵を作ることでもあるし
さまざまな価値観の中から生まれる攻撃に
立ち向かっていくことでもある。
そんなことは わかってる。
そんなことは わかっている。
真意はどうだったか、わからない。それでも。腹がたった。
もうすぐ 体育祭。
2号は 記録をとったあらゆる競技で
何種目も1位だったそうだ。
結局、1000mと選抜リレーに選ばれたらしいけど。
入学早々、目立っている。
このことが いつも1号を追いつめることになってきた。
1号は 別に運動音痴ではない。
でも 発達障害独特の 強調運動は本当に苦手だ。
逆に 2号は人並みの運動能力じゃない。
またそれも 発達障害からきていると
私たちは理解している。
山村留学をしていた時の ある先生がきっかけで
1号は 頑張ることをやめてしまった。
いつも2号と比べられ
おまえはそれでも男か。妹に負けるなんて情けない、と
言われづつけたことが 1号をひどく傷つけた。
それでも 3km走らせれば
2号より早かったし 勉強もぜんぜんできた方だった。
頑張ればできる事
2号より 得意なことがたくさんあることも
私たちは 知っていた。
1号にもそう言い聞かせ 励まし続けてきた。
でも・・・
親じゃない他の大人の言葉は
子供たちにとって 大きな影響力を持つ。
そんな1号が昨年の体育祭で1500mを走ったとき
(昨年の記事・・日々一歩ずつ)他の選手より1周以上おくれてゴールするまで
私たちは涙をこらえて見守った。
今年も体育祭に出たくないのに
無理やり出ることを 私たちは知っている。
1号は めんどくさいんじゃなくて
自分のせいで クラスに迷惑をかける、と
思い込んでいるからだ。
自分みたいなのがいるから
クラスが負けてしまうと思っているからだ。
でも。
不登校の生徒に対して どれだけの先生が
このような理由があることを 想像できるだろう。
子供の目線に立って 理解しよう、と努力しているだろう。
そのような先生はほんの一部なんじゃないのか。
だいたいの先生は 他の子と同じようにできないことを
しょうもない、とか
情けない、とか思っているのかも知れない。
私は子供のころ
自分は生まれてきてはいけなかった、と思っていたし
毎日 そう思って生きているのはつらかった。
1号は やっと
「僕なんか生まれてこなければよかったでしょ。
おかあさんはそう思ってるくせに」
と 言わなくなった。
「僕はこの家族にとって お荷物だ」
と 言わなくなった。
「どうせ・・僕は・・・」
と 言わなくなった。
さて。このあとどうなるだろう。
2号は 1号の為にも 絶対1位になるため
全力を尽くすだろう。
彼女は 勝利が自分の為だけにないことを 知っている。
そして
その勝利が
1号を追いつめてしまうことがあることも 知っている。
でも二人は兄妹で
今までもそうだったように
これからも 手加減なしで生きていくのだ。
ひとりひとりもらっている個性は 間違いがない。
神さまは 今のままで完全な二人をデザインされた。
そう信じてる私は
今まで一度も 彼らを 恥ずかしいと思ったことはない。
自分自身のことも そう信じられるようになった。
どんな時も味方がいるから大丈夫。
私が味方だよ。
そうやって子育てしてきた。
もちろん、日常の中で つらいことも多い。
簡単に許せないことや
受け入れられなくて苦しんだり
みとめられなかっり
責めてしまったり
自分の弱さや小ささに情けなくなって
がっかりすることもあるけど
それでも 子供達ひとりひとりの人生が
豊かに祝福されていくことを・・・
今日も。 信じて。
そうやって。
今日も母として 生きていく。