『おりいぶのあ』のたね

4人の子育てと猫育て?ドタバタの日常から生み出される作品は ネットショップで販売中♪ 発達障害という 面白い世界をただ今観察、研究中( ̄▽ ̄)
 
2013/11/22 12:21:00|暮らし
20年という時間
今日は。
いい夫婦の日、ということで。
ごちそうでも作ろうかと思ったけど
昨日から モツ煮が食べたくて(笑)
仕込んでいたので 今夜はそれでいっか〜〜〜!!!

気が付けば
サイヤ人との生活も 今年、丸20年を迎えました。
お互い 若い時からずっと一緒に過ごしてきて
まあ、正直に言えば 20年たったなんてあんまり実感ないくらいかな。

私の育ちがいろいろ事情があったこともあり
たった二人きりで 小さな知り合いの牧師先生の教会で
結婚式を挙げたのが ちょうど20年前。

サイヤ人が23才。
私が19才の時でした。
その時私は もうすでにお医者さんから「子供は産めないでしょう」と言われていたし
その時の医療では 治療方法がなく
だって  病気の原因さえ分からなかったんだもんね、
絶望を味わったこともありました。

そんな時が 懐かしく思い出されるなんて、年を取った証拠だな。


なのに。


結婚20年目で もう一人 子どもを授かるなんて(笑)
だれが想像したでしょう!!(笑)

人生は これだから面白いのかな。

その時は お互いに人生の未来もしっかり確立してないような状態で
その日暮らし、というか そんなかんじだったけど
私の病気もひどくて 1人よりは2人でいる方がいい、みたいな
ま、なんとか二人で歩き出せたというような感じだったかな。

私は持論で 「男は30から」って思ってて
まあ、男の人っていうものは30くらいまでは落ち着かないものだろう、
30過ぎてからが本番というか 本領発揮!するものっていうふうに
思っていたのかな〜

だから サイヤ人がふらふらしててもあまり気にしてなかったし
好きに生きている姿が面白かったし
うらやましくもあった。

子どもは生まれないかも、って思ってたから
自分が働いていれば経済的には何とかなっていたのもあるのかな。

でも5年たって 長男がひょっこり私たちのところにやってきて
それから 生活ががらりと変わってしまった。

その時は 発達障害のことも なにも知らなかったしね、
どうして子供が生まれて サイヤ人が変わってしまったのか
どう話し合っても
どう考えても
何も解決の糸口も見つからなくて
「子はかすがい」なんて ことわざは嘘っぱちだって
本当につらい時期もあったことも確か。

今思えば いい思い出、というか笑っちゃうけど
夜中に小さな子供たちの手を引いて
家出したこともあったし〜
泣きながら サイヤ人の実家のお母さんに訴えたこともあったし〜
本当に 離婚しようと決めて行動したこともあったな〜


でも
今 思うことは
あぁ、あの時別れなくて本当によかったな。ってこと。
自分の選んだ人は 間違っていなかったな。ってこと。

自分も若くて 傲慢でわがままだったな。ってこと。
ココロが狭くて 自分のことばかりわかってもらおうとしてたな。ってこと。
夫婦っていうのは 自分のいたらなさを知るために
神さまが与えてくださった よきパートナーなんだな。ってこと。
優しさとか 愛とかわかったようにエラそうに言ってたけど
全然わかっていなかったってこと。

20年くらいたって ようやく 人を愛するってことがどういうことなのか
自分なりに わかったような気がしています。

燃え上がる恋愛とはちがう じんわりとしたいつくしみは
重ねられた忍耐と 涙と 思いやりと
数々のけんかと? 二人でいても時々感じる孤独感の織り成す
人が共に生きていく美しさの中で
熟成されたごほうび、みたいなものとして

自分の中に形成されるのかもしれないな。って思っています。

こんなことを私が知るに至ったのには
アスペルガーというものを通して 新しい世界を知ったことが一番の要因だとは思うけど
このことを知ったことによって
より自分のなかで「ゆるし」というキーワードが
謎解かれたように思います。

大方の人たちは 許したくても許せない、受け入れたくても受けいれられないっていう部分で
すごく がんじがらめになって 苦しんでいるような気がするし
私自身、
どうしてこの人はこうなんだろう、こういう時こんな態度なんだろう、
こういう時、こんなこと言うんだろうって

それで理解に苦しんで
自分が傷ついてしまったり 自分を責めてしまったりしてしまう事があったけど

本当の健全な人間関係というものが どのようなものかを知ることができたのも
夫と子供たちが アスペルガーだという事を通じて
私が学ぶことができたというのが 一番大きい。

サイヤ人は 真っ向から客観的に私を批判することができる人。
おべっかをつかったり 気を引こうとして気を遣うことをしない人。
若い時は それが時々、さみしかったり傷ついたりもしたけれど

相手によく思われたいという感情抜きで
ストレートに向き合ってくることが 今では本当に心地いいなって思えます。

誰でもありのままの自分を知ってほしいし 受け入れてほしいもの。
計算なしの不器用なアプローチの仕方でも
でも その中に隠された愛情があって それに気が付くことができればやっぱりシアワセなんだと思うしね。

それにあたしだって自分が男で
美容院に行ったこと、気が付いてくれないってダンナの文句を言っている嫁は嫌だ。(笑)
なんで気づいてくれないんだろ。って言ってるより
「あたし今日、髪切ったの。かわいいでしょ〜」って言ってる嫁がいい。(笑)

どんな夫婦関係を形成していくかは
やっぱり 2人の人間関係にかかっているような気がする。
もちろん、どちらかに精神的な問題があって
DVとか 命の危険があるような特別な場合は別だと思うけど

結局は結婚って自分が選んだ相手、自分の選択の結果なんだから
自分の人生観の上に 結婚観ってあるもので自分の責任なんだって思う。

小さいころ、両親の離婚を経験して
父子家庭で育って、そして親の再婚があって
新しい家族の中ではうまくいかなくて
けして幸せな子供時代でなかったけど

私が子供に自分の人生をかぶせ、依存して期待して育てるような母親にならずに済んだのは
やっぱり サイヤ人の影響が大きいのかな、って感謝しています。

あ、もう一つ。
20年たってわかったこと。

男は30から。 じゃなくて
男は40から。だった!(笑)
 







2013/11/19 1:44:09|発達障害と生きる
くそくらえアスペルガー
今日は。
本当に ムカついてしまった。

私は自分で言うのもなんだが 我慢づよいほうだと思っている。
我慢強いというか 怒らないように
怒りを コントロールしようと努力しているつもりだ。

今日は、新宿へ仕事に行っていた。
クリスマスシーズンを控え、商品の追加納品と ディスプレイに行っていたのだ。

デカ腹だし 大変だし
お店に一任する方法もあるのだけれど
それだと 売り場が限られるし 制約がある。
自分で行けば 売り場をひとつ任せていただけるという事もあり
頑張って 行ってきた。

問題は 昼間の営業中に堂々とできないので
(本来なら閉店後の作業だもんね〜)
閉店間際に作業を開始するため、帰りが遅くなるという事。

今日(月曜日)は 学芸会の振り替えでお休みだった3号ちびまるこが
ひとりでお留守番はいやだというので連れて行った。
おとといから 1号と何度もバトルを繰り返していることも心配だったから、連れて行った方がいいかなってこともあり。
それに 荷物持ちは一人でもいた方がいい。

で、新宿まで行って 仕事を済ませ
ようやく二人で電車を乗り継ぎ、へいこらやっとこ帰宅した夜中の12時。

玄関には パルシステムがそのまま。
部屋は散らかり放題
荷物は置きっぱなし
靴下は ぬぎっぱなし
食べた食器も 置きっぱなし
むいたみかんの皮も テーブルの上に散乱し

はっきりいって ムカついた。

夕飯は麺がいいという1号。でも昨日もうどんだったから
じゃあ、今日は肉うどんにしな、って 別に お肉を煮て
うどんは延びたのは食べないから ここに置いとくね、と出しておいて
温めたら食べられるようにして

でも
リンクで練習してきた2号は うどんじゃだめだから、ご飯も炊いておかずと食べられるようにしておいたのに。

なんなんだぁ〜〜〜〜!!!!!!

キッチンには カップ麺を作った後のごみが散乱して 一つもゴミ箱に入ってない。
私が出しておいたうどんは 冷蔵庫にしまわずそのままそこに出したまま。

おいおい、勘弁してよ・・・(怒)

それに2人しかいなかったのにあちこちに 汚れたコップとマグカップ。

はぁ。

もう本当に 怒鳴ってやりたかったけど ぐっとこらえて お茶碗を片付けた。
お茶碗を流しに投げてやりたかった。(笑)
体は 疲れていて 足もじんじんしていたが
(電車で妊婦に席をゆずってくれる親切な人はそういない)

とりあえず 食器を片づけて
生協の食品とコメを運び・・
みかん皮をゴミ箱に放り投げて
はぁ〜。っと ため息。

そのあと
2号のスケートの道具を 2階の部屋にあげ
脱いだままになっている (お高い)制服をかけて お風呂をあっためた。

2人には 毎日、毎日同じことを繰り返し教えているつもりだ。
食べ終わったら 食器を流しに持っていく
帰ってきたら まず自分の荷物を整理する
出しっぱなし やりっぱなしにしない
靴下は 洗濯カゴへ
読んだ本をそこらへんに置かない
ごみはごみ箱へ
コップは一度飲んだらゆすぐか 流しへ

他にも あれやこれやと
小さな子供にいうようなことばかり、繰り返し 繰り返し言っている。

うんざりするし
いい加減 できるようになってよ、と思うときもある。

普通の子供なら これだけ言われれば、それなりに できるようなるものだ。
実際、3号は ぐだぐだ私に言われる前に
1号と2号に 私が言っていることを理解して 自分で気が付いて やっている。

しかし 1号も2号も
短期記憶、というやつが 欠落している。
1号については 5歳児なみの短期記憶力しかない。
私の忍耐力が またまた試されるのだ。
短期記憶、というのは
言葉通り 短い時間経ってどのくらい記憶できるかということ。
にわとりは 3歩歩くと物事忘れる、っていうけど
1号は そのレベル・・・
本当に忘れる。

忘れるというより 記憶しておく引き出しと
取り出す引き出しが 脳の中で連動してなくて
別々にしまっているため
ちょっと前の記憶をどこから どうやって引き出せばいいのかがわからない、ということらしいのだ。

2号については その記憶がいつもとっ散らかっているため
整理できれば記憶できるが
整理出来るまでものすごく時間がかかる、といったところらしい。

1号なんか 1度読んだ本の内容とか映画の内容とか
図鑑で見たもの読んだマニュアルなんか 絶対忘れないのにね〜

2号なんか スケートに関してはものすごい。
誰が何の大会で どんな曲を滑ったか覚えているし
振付だってわかる。
ちょっと曲を聴いただけで
この曲は 誰と誰が躍ったことあるね、とか言うしね〜

興味ある知識と生活に関する記憶部分が
まったく別だなんて
なんてこった。アスペルガー!!!


というわけで
今夜の極めつけは。
3号「あ!体操服、洗濯に出すの忘れた!!」だって・・・
というわけで こんな夜中に洗濯が終わるのを待っている私。

でも
3号に怒る気にはなれない。
だって 今日の仕事だって
黙って荷物を持ってついてきて 黙々と手伝い
電車の中でも 私を気遣い
寒空の下 
商品を入れていったスーツケースを引きながら
歩いて帰ってきてくれた。

泣き言も 文句も言わず
そうして 眠い目をこすりながらお風呂に入った。

ベッドに入って コロッと寝てしまった3号をみて
本当にこの子がいるから
頑張れるんだなと思った。

もちろん、1号と2号と比較することはいけないし
比較の対象にはならないのだが

親というものは 本当に
厄介で めんどうくさい仕事だな。
でも なんだかほっこりして
ココロがあったかくなるなんともいえない
生き物だな。

そう感じた夜だった。
世の中には5人の子供全員が アスペルガーだっていう 頑張っているかあちゃんもいるのだ!
そう 泣き言も言ってられないよな。
さあ、洗濯物干して 寝るぞ!

そう書いてる間に
スーパーアスぺサイヤ人が 接待から帰ってきた。
「おなかすいた〜食べる物ある?」
だって。


おんどりゃぁ〜〜〜!
こちとら りっぱな妊婦様だぞ。
もうすぐ夜中の2時になるんだぞ。

そう思いながら うどんを温める私であった。(笑)







2013/11/06 11:18:05|発達障害と生きる
真実を受け入れるということは なんという力

久しぶりの更新となりました。
なんと、この年で第4子を授かった私・・・

4人子供がほしいとは思っていたけど
頭で考えるほど それは簡単なことじゃない。
子どもを産み 育てているうちに
だんだんと その現実がわかってきて
3人でいいや。って。

そのうち、2号の毎日が忙しくなって
子供たちと夫が発達障害とわかり
不登校と 学校行き渋る子と
発達障害からくる こだわりのぶつかり合いの毎日に
4人目なんて無理だわ〜。と
あきらめたのが3年前。

でも 神様からしたら
私の家族は4人目の子がきて 完成なのかな。
なんとなくそんな気がした私。

それから6か月におよぶつわりに苦しみ・・・
ようやく7か月に入って落ちつてきた 今日この頃。

はっきりいって妊娠が分かったとき
素直に喜ぶことは難しかった。
過去3回の妊娠で つらかった記憶がよみがえってきたから。
サイヤ人は昔から なぜか私が病気になると
機嫌が悪くなり 怒りっぽくなり

時には激高して 家を飛び出してしまったり・・・
しかもそれは私だけじゃなくて 子供たちが具合悪くてもそういうふうになることがあって

だからどんなに具合の悪い時もすご〜くがんばらないといけなくて
つわりで一日トイレにこもっていても
サイヤ人が帰ってくると何事もなかったかのように振る舞っていたりね。吐きながら・・泣きながら・・ ご飯作ったりとか。

私が子供のころも 病気になると
自分がしっかりしていないからだ、と怒られていたし
熱があっても学校を休んだりできなかった。
中学生の時は 授業中に倒れて意識を失ってしまって
救急車で運ばれそうになったときも
そんなことになったら怒られると思って
保健室の先生に 呼ばないで!って泣きながら叫んでた。

運ばれた先の病院で
なんでこんなになったの。自分がちゃんとしてないからだ。
恥ずかしい、って<言葉を
かすれゆく意識の中で聞いた時は本当に悲しかった。

そんな記憶があったこともあって
私の中では
病気・体調不良・疲労=悪
みたいな図式が出来上がっていて。

今までは気力と体力と若さで何とかなったけど
今回の妊娠は そういうわけにはいかないな。
本能的にそうわかっていた。

ただ一つ、以前の時と違うことは
サイヤ人のそういう態度は
サイヤ人が冷血人間だからではなく
私を大切にしてないからではなく
アスぺの特性からきていた一種のパニックだった ということが
今回はわかっている、ということだった。

まあ、赤ちゃん産むしかないんだし、なるようにしかならないや。
開き直った私。
案の定、つわりは今までで一番ひどくて
体も全然いう事をきかなかった(笑)年には勝てないな。

それで どんなに台所がぐちゃぐちゃになっても
洗濯物が山積みになっても 
家じゅうに物が散乱しても
絶対無理をしなかった。

サイヤ人がどうなるか ココロの中ではかなり心配だったけど
サイヤ人は 家がぐちゃぐちゃでも怒らなかったし
子供たちがそこらじゅうに物を置いていても
洗濯物がたたまれていなくても
汚れた茶碗がキッチンに置き去りにされていても
あまりパニックにはならなかった。たった1度を除いては・・・(笑)

サイヤ人は かなり頑張ってくれたと思う。
っていうか 今回の妊娠によって変わったと思う。
妊娠によって変わったのか
自分がアスペルガーだとわかったから変化があるのか

パニックになって怒らなかったどころか
黙ってお茶碗を洗ってくれたり
洗濯物を干してくれたりした。

なんて いいダンナさんなんだろう。。。

ワイシャツのアイロンがけも
この十数年、一度もしたことなかった人が
今では子供たちのシャツも自分のシャツも 毎朝アイロンをかけてくれている。
なんてこった。

私は 本当にシアワセだ。
そんなことくらいで 毎朝シアワセを感じることができる私が幸せだ(笑)

サイヤ人も 自分の怒りやイライラがどこから来るのかがわかって
ずいぶん楽になったみたいだし
本当の自分を知ることが 人間にとってどんなに大切で
すごいことかという事を 改めて知ったような気がしている。

真実を知って受け入れるということは なんという力だろう。

もちろん、子供たちは・・率先して手伝ってくれる、ということはなく
相変わらず 自分たちの世界に生きている。
でも 変化がないわけではない。

1号は 私によく「大丈夫?」と 声をかけてくれる。
そんなこと いままでにはない。(笑)
「大丈夫じゃない」と答えると
それで手伝ったりとか 反応はないんだけど(笑)
彼なりに心配しているんじゃないかと思う。
かなり適当ではあるが ほぼ毎日、お風呂掃除をしてくれる。

2号は 私がリンクへついていけなくなって本当に不安だったようだ。彼女の不安症は かなり他の人にはわかりにくいから
あまり目立たないのだが この4か月は彼女にとって葛藤の連続だったに違いない。
けど 不登校にならず 歯を食いしばって学校へ行っている。
スケートの練習も スランプになりながら
なんとか一人でリンクへ行っている。
相変わらず制服をきちんとハンガーにかけることもできないが
買い物に付き合い、重い荷物は すすんで持ってくれる。

かなり変わった普通の子、3号だけは
毎日かいがいしく 赤ちゃんを気にして
私を気遣ってくれている(笑)
発達障害児を育てると 普通の子の子育てが
すんごい楽ちんに思えて こんなんでいいのかって
逆に不安になるくらいだ(笑)
子どもを育てることは 楽しくて幸せだ、とわかる。

私にとって 家族に仕えていくことは本当に簡単なことじゃない。
何かがあるたびに こうじゃなかったら、ああだったら、と
考えてしまうちっぽけな私だ。
いつも大きな心を持って その場所で忠実にやるべきことをやれたら、と思ってはいるが
自己憐憫に陥ってしまうことも少なくない。

でも
4人目を産むことに不思議と不安はない。
どんな子がでてきても 大丈夫。って思う事ができる。
どんなこだわりが強くっても
はちゃめちゃでも それを楽しんでしまおうって思うことができる。
うまくいくかどうかは保証はないけど
でも
1号と2号を産んで育てていた時は
発達障害のハの字も知らなかった。

周りに話しても理解してもらえない子育ての難しさの中で
どうしたら この困難な状況を楽しく希望を持って
乗り越えられるか ない頭をひねって七転八倒してきた。
それが ようやく実を結ぶのだ。

あとは 本当に無事に産まれてきてくれればいい。
家族が増えて経済的にも 時間的にも余裕がなく
厳しくはなると思う。
それでも そんな毎日でも
また弱音や文句を言いながらでも
ぶつかったり怒ったり泣いたりしながら
それでも 人が一緒に生きていく美しさを
感じていけたら いいと思う。

画像は保護中、預かった仔猫ちゃんと
   妊娠を機にパン屋をやめて久々に焼いたパンたち







エキシビション 2013

小学校の運動会。
中学校の体育祭。

2週連続のわさわさしている合間に
2号の エキシビション大会がありました。

毎年、日曜日の開催で
お友達はみんな教会だし
親戚もだれもそばにいないので
見に来てはもらえないのですが

そんなテンションの中でも
今年は「メリダとおそろしの森」を選曲しました。
たった2分間の演技ですが
見事に メリダの世界観を表現しました。

というもの
今回は私の貢献がおおきいなっ!!!!!!

だって〜〜
衣装大変でした(涙)
教会の先輩かあさんに ロックミシンをお借りし
初めてのロックミシン、衣装作りに挑戦。
浅草橋まで 特殊生地を買いに行き
どうしたら氷の上で 遠目で見たとき
メリダに見えるのか 考えました。

結局・・・古着を衣装にリメイクして
メリダの衣装を作ったのですが
カツラは・・アメリカのおもちゃで
本物ののメリダ用のかつら・・・(笑)

一番難しかったのはメイク。
何度試してもカツラとちぐはぐ(笑)

最後のたどり着いたのは
なんと ピンクのリップペンシルで
眉毛を書くこと!!これで一気にメリダに!!


カツラが気になり
ジャンプにミスが出ましたが・・・
ステキなエキシビとなりました!

先輩方は相変わらずの存在感&衣装で
特に Mr.インクレディブルの衣装は
すべて手作り、完璧!マスクがジャンプで取れないよう
シールで顔に直接張って
演技したAちゃんにも 脱帽でした!

団体演技のコーラスライン、
きゃりーぱみゅぱみゅメドレーも面白かったし
その他にもラプンツェルあり、ティンカーベルあり、
レ・ミゼラブルに 魔法にかけられて。
カンナムスタイルに アイスダンス。
盛りだくさんで楽しめるエキシビション大会となりました!







2013/06/11 9:12:05|発達障害と生きる
光と影

梅雨とは名ばかりの
すごくいいお天気に恵まれた 体育祭が無事終了しました。

体育祭に参加することを
間近になるまで迷い続けていた1号。
去年も なんとか参加できたので
私たちは 彼が自分の意志で参加することを願っていました。

今年から中学に入った2号は
いろんな競技の予選?というか
体育祭前にはかるタイムレースで
100m・200m・1000mともに1位となり
200mに出たい!と 張り切っていました。

当日を迎えるまで
毎日の緊張と戦わねばならぬ 1号と
さまざまな状況に置かれる2号。

本人たちの苦悩とはうらはらに
私は一人、青春っていいなあ〜〜とのんびり?
考えていたのでした。

1号は結局、クラス対抗競技の朝練には
2回しか参加できませんでした。
でも 不登校の1号を非難する声はクラスの中にはなく
体育祭当日も 1号をやじる人は誰一人いなかったこと。
本当に 感謝しています。

これは クラスの中で中心にいる男の子たちの存在が
とても大きいのだと思いますが
特に・・仮にSくんとすると
Sくんが1号に対して とても理解があるのです。

テスト前の部活がない日も
体育祭前も
1号に声をかけ 一緒に下校してくれたSくん。
クラス対抗競技の時の練習でも
「1号、大丈夫か?」と声をかけてくれたSくん。

彼はお母さんを亡くして 
自分もつらい中、毎日生きているはずなのに
明るくいつも一生懸命でとても優しい子です。

しばらく前に1号のプリントをとりに学校へ行ったら
校門の前にたむろしていた?彼ら。
部活が終わったところで
数人で陣を描き 地面にあぐらをかいていました。


遠目からみると なんか嫌な感じで・・
うわあ〜通りにくいな。って思った私。

でも近づいていくと「こんちは〜」と
向こうから挨拶してくれ話しかけてきてくれました。
しばらく・・私もその輪の中にしゃがみ込んで話をし
私の立ち上がり際、Sくんが
「1号に学校こいよ、って伝えてください」と
言ってくれました。

私は心が熱くなりました。
こんなふうに話ができるのは もう一つ理由があって
私が小学校6年間、本の読み聞かせのおばさんとして
クラスに入り続けたことが大きいと思います。

子供のいる学年だけでなく
私が相手を知らなくても
いろんな学年の子供たちが 
街なかで声をかけてくれることがよくあるからです。

きっと 子供達にも 読み聞かせを通じて
信頼感や安心感、親近感などが
生まれているのでしょう。

と・・・
話がそれてしまったけれど
本当に やさしい子供たちのおかげで
1号は無事、体育祭に参加することができたのでした。
もちろん、去年みたいに1500m走ることはなかったけれど
クラスの輪に入って 声高く応援することもなかったけれど

競技トラックの隅っこのほうで
ひとりぽつんと 体育座りのまま
時間を過ごしていたけれど・・・
でも、
それまで練習では勝てなかったクラス対抗競技では
なんと・・1位をとりました。

たくさんの子供たちが泣いていました。
1号も1度も失敗することなく頑張っていました。

2号は結局、1000m、選抜リレー、の選手に選ばれ
1000mでは1位、(歴代大会記録まであと10秒。おしい!)
選抜リレーでは アンカーを走り
ゴール手前で追い抜き 優勝!

クラス対抗競技でも 責任ある船頭役を引き受け
練習ではいつもびりっけつだったクラスが
2位になりました。

この1年生伝統行事は
朝練に参加しなかった人は 競技に出られないほど
厳しくて危険な競技なのですが

2号のクラスでは 人が土台となった上を
船頭役の代表者が渡っていく、というその船頭役が
どうしても決まらず

いろんな子の心の葛藤の結果、2号が引き受けることになったのでした。
人の上を渡るには 大きすぎる2号。
下で土台になって支える子供たちの中には
特に男の子ですが 小さくて支えきれない子もいます。

そのたびに2号は上から落ち
何度も足を痛めました。
しまいには スケートで以前痛めた部分を捻挫。

ドクターのところに毎日、治療に通いながら
捻挫を隠しての体育祭参加となったのでした。

1000mでは 途中から足の痛みがひどくなり
それでも負けたくなくて懸命に走ったからか
軽い熱中症で救急テントへ・・・(苦笑)

捻挫のテーピングを隠すために
ひざ丈の靴下をはいて行ったことも
熱がこもった原因だったのですが
まあ、とにかく負けん気の強さは・・・誰に似た??(笑)


ヒーローとして 光の当たることろで活躍するのが2号なら
1号は 周りの歓声から外れたところでひっそりと存在する日陰。

日陰の働きや 頑張りは
絶対に目立つことはないし 知られることもないけれど
でも
極限の緊張で あぶら汗を流しながら耐えた
1号の1日は 
表で活躍した2号と変わらず
大いに評価されるものであったと感じます。

お兄ちゃんの為に絶対1位をとってやる。と言って
本当に頑張ってくれた2号。
2号が あいつの妹、と馬鹿にされることがないように。と言って
1日体育祭を頑張った1号。

本当にありがとう。