アルボス 樹

運動音痴がはじめて出会ったゴルフの楽しさ。 そして幾分なりとも落ち着いて音楽を聴く 環境が出来、良き師匠にも出会うことが出来ました。
 
2014/06/07 16:54:00|レクイエムに魅せられて
ベートーヴェン交響曲全集

ベートーヴェン交響曲全集 LPを頂きました。 と言うよりも、残されていきましたので処分するにはもったいないと思いました。

『実は』でお話ししました通り、高齢者住宅でお亡くなりになりました方の、御家族がお荷物をお引き取りされまして、不要な物は全て処分して下さいとのことでしたので、改めてトラック等の手配がありましたので、お部屋に入らせて頂きますと・・・・・

ベートーヴェン交響曲全集 サー・ゲオルダ・ショルティ指揮 シカゴ交響楽団が処分品の中にありました。LPですので盤面が傷だらけではと思い確認しますと、これが綺麗です。価値観は皆様違いますので、古いLPしかもクラッシックにはご興味が無かったのでしょう。
まあ、垂涎の人もおられるのでしょうが。

写真は、オークションからコピペしましたが、実際はもっと綺麗でした。

ショルティの全集、何時聴くことが出来るか解りませんが、幸いにプレーヤーは師匠から頂いた物が、ドンとありますのでお楽しみと致しましょう。

で いらないようならオークション?

いや、何かのご縁で臨終を看取って差し上げたKさんの遺品。
やはり大切に致しましょう。

追記 Kさんがお礼においていってくれたのかもしれませんね。 








実は

母が亡くなりまして今日で1カ月が過ぎました。正に光陰矢のごとしです。

実は
母の葬儀も終わり、やっと会社に復帰したその日の朝、サービス付き高齢者向け賃貸住宅の生活相談員から住宅にお住まいの94歳の男性の様子が急変したとの報告が入り、救急車の要請を致しました。
部屋にまいりますと、弊社ショートスティの看護師が酸素量と血圧を測っておりました。救急車が来ると同時に、弊社顧問のドクターもまいりましが、なすすべもなくお亡くなりになりました。
皆さんはお仕事がありますのですぐにお引き取りいただきましたが、私と生活相談員が残り、生活相談員はお亡くなりになりました方の入れ歯を・・・そして私は合掌をさせてあげました。花を買いに行かせ、お線香の用意も致しましたが御家族はまだお着きになっておらず、結果お亡くなりになりました方のおそばに付き添うこととなりました。

仕事とはいえつらいものが御座いました。わずか10日の間に2人の臨終を看取ること。

しかし、弊社のサ高住(サービス付き高齢者住宅を厚労省ではこのように呼ぶのです?)では先の震災3.11で壮絶な人生経験をされた方もおられます。
その方のことをここに記すことははばかられますが、私だったら自滅か、自殺をしてしまうほどの人生経験です。その方とお会いしましても目を合わせることが出来ません。少しでもお心を傷つけてしまうのではと感じてしまうのです。

しかし、命は親からの授かり物です。大切にしっかりと命のつきるまで生き続けるべきですね。

身体(しんたい)髪膚(はっぷ)これを父母(ふぼ)に受くあえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり

父の口癖でして、10歳の時には暗唱してました。

母も今49日まで霊界でがんばっておられるでしょう。私もがんばります。




 








2014/06/03 17:06:00|レクイエムに魅せられて
優しさの琴線

私のクラッシック音楽の師匠から、私の大好きなサヴァールとペルトのCDが送られて参りました。
『おい、悲しいのはわかるけど何時までもめそめそしているなよ。元気の素、CDを送ってあげたから。』そう師匠が言ってくださっているようです。お手紙もなく、ただそっとお送り下さるそのお心の優しさに胸が詰まります。

『師匠も、会社の方達も、お知り合いの偉い方たちさえもあなたを心配してお声を掛けてくださるのは、常日頃あなたが人を裏切らず、誠意を持って優しくまじめにお付き合いをさせていただいているからですよ。』と妻が言います。

『あなたが10年間も音信を絶っていたお兄様さえ、なんだかんだと理由をつけて電話を下さるのは、あなたを心配して下さっているからですよ。』
『今日は仕事に行ったかい』と尋ねるので『はい』と答えると『ああ、それは良かった、良かった』とお兄様が申しておりましたよ、と妻が言います。

師匠から元気の素が届きましたので、私も今日は元気にCDの棚 第2作を作ることと致しました。第1作を作りましたとき、師匠からお褒めの言葉を頂きました。
豚もおだてりゃ木に登るではありませんが、早速棚を作りました。今回は簡単。寸法は既に第1作で記録済み。材料を買い求めて2時間で完成。

ペルトの「Spiegel im Spiegel」〈鏡の中の鏡〉は母のお通夜の後、フォーレのレクイエムを流し、その後一晩式場に流していた曲です。
私が勝手に式場のアンプを設定し直しましたので、翌日の告別式では司会者が焦っておりました。

ちょっとお茶目な私でした。



 


 







2014/06/03 8:26:19|母の為の ページ
その時 終章

今 私は毎日母の遺骨のそばで寝起きをしております、納骨の日まで後何日母と一緒に寝られるでしょうか。母の遺影は何となく寂しそうです。とっても穏やかな、少し微笑んだ写真を選んだつもりでしたが、やはり寂しそうです。

私は母の介護を一生懸命努力したつもりですが、心の中に罪悪感が残ります。あのときこうしてあげれば良かった。いやきっと母の希望と違うことをしていたのかもしれない。もっと、もっと介護に打ち込めていたら母は死なずにすんだのかもしれない。
想いはぐるぐると廻り、後悔と罪悪感に悩まされます。

私の職場の介護事業部の方々は『施設長ほど熱心に親の介護をされた方は滅多にいませんよ。』とか あるベテランの介護職の方は『在宅で最後まで介護を全うする事に関し、勉強をさせていただきました。』とかお褒めの言葉を頂きますが、悔いは残ります。

又、ある方は『私の親は早くなくなりましたので、親の介護など出来ませんでした。施設長がうらやましいですよ。』とも言って下さいます。

そして妻は
『誰が一番幸せだったかと言ったら、お母さんが一番幸せだったのよ。恋人のように、子どものように貴方に甘えて、私にまで嫉妬するぐらい貴方との日々が充実していましたよ。』と言ってくれます。『貴方が寂しいからお母さんの顔が寂しく見えるのよ。とっても良い顔の写真ですよ。』とも言ってくれます。

葬儀の後は、市役所に行き介護保健の取り下げや、住民課での手続き、そして年金停止の手続きとやることが結構ありました。

一段落したとき私は体の変調を感じましたが、それがなんなのか解りません。
目をつぶって自分の体に問いかけをすると、私の腕が母の体を持ち上げたいと訴えています。毎日・毎晩母を幾度となく抱きかかえ車いすへ、ポータブルトイレに、そしてベットへ移乗していた腕が母の重さを覚えており、私に母を抱き上げたいと訴えているのです。腕に人格は無いのでしょうが、私の戦友であった腕に『おまえもお母さんがいなくなって寂しいんだね』と改めて熱いものを感じました。

4七日が過ぎました。お母さん 『麗寿院賢鏡妙照大姉』におなりになられて、仏界に旅立たれるのもあと数日ですね。

今晩も母の遺影と一緒に冷たいビールを飲みましょう。

そしてちょっとだけ泣きましょう。


 








2014/05/31 14:12:00|母の為の ページ
その時 5

通夜・告別式には大勢の方々にご焼香を賜りました。生花も驚くほど沢山頂き感謝に堪えません。母の祭壇は白い菊ではなく、季節の花 ひまわりを沢山飾り明るくしました。母と生前から話し合っていたことです。
棺も白木ではなく、きれいな色物にしました。母の顔がよく見える大型の窓付きです。遺影は淡いピンクの額縁と致しました。とってもかわいらしい母になりました。

母が毎日仕事としていた『刺し子』を式場に並べ、お好きな方に何枚でもお持ち帰りいただきました。

会長初め会社の方々が大勢来て下さいました。親族、母に取りまして甥・姪もわざわざ遠方より来て下さいました。妻の姉妹も来て下さいました。
私が東京の親父と呼ばせていただいているM会長も来て下さいました。義兄弟といつも言って可愛がって下さるS会長も来て下さいました。高校時代の無二の親友も来て下さいました。母のことを良く理解してくれる1人です。肩にすがって泣きました。

告別式の出棺の前に喪主のご挨拶がありますが、私はその場をお借りして妻に一言述べさせていただきました。
『母はたいへん難しい女性でした。しかし貴方は10年間ただの一言も文句もグチも言わずに介護の裏方に撤してくれました。Sさん(妻の名)長い間ご苦労様でした。そして本当に、本当に有り難う御座いました。』

妻をしっかり見つめてお礼を伝えますと、会場で涙を流されている方もおられました。きっとその方も介護でご苦労をされている方なのでしょう。

そして私の音楽の師匠からもお悔やみが届きました。
やっと堪えれるようになった涙が又わーと出て『Dさん、Dさん(師匠のお名前)』と言って泣きました。

母は御骨になりました。