アルボス 樹

運動音痴がはじめて出会ったゴルフの楽しさ。 そして幾分なりとも落ち着いて音楽を聴く 環境が出来、良き師匠にも出会うことが出来ました。
 
2013/05/02 15:22:00|母の為の ページ
入院 八日目
昼の食事介助。うどんが粗刻みで出た。2cm程度に切った物。もちろんとろみ付きだが、あんかけうどんといった感じ。具はペースト状。固形物は入院以来初めてである。しかし、五割程度の食事。

『お母さんがいないからミーちゃん(こゆきを母はミーちゃんと言う)がお母さんのベットから離れないでいますよ』と話すと、こっくり頷いて、『寂しいのだね』と話す。車いすに移乗。院内を散策後ベットに移動。なれたものだ。看護師が『ホー』と言っていた。

4時のカンファレンス。どうしようもない睡魔が襲う。薬物だめ。よってコーヒーのがぶ飲み。

カンファレンスの内容は後日記述します。

とにかく 夕食の食事介助まで終了。母に現状を説明。理解はできているようだ。

腕時計をしていなかったので、右手にしてあげる。『今何時ですか』とたずねると六時間のずれ。正しい時間を言うと、自分の頭を指さして、右手をパーの形にする。 30分後 又『今何時ですかと』たずねると、7時20分と正解。
ミーちゃんが待っているから速く家に帰れるようにしましょうねと言うとうんうん・・・・と何度も頷く。

食事後 排泄介助 本来は看護師がすべき仕事だが、看護師に見守りをお願いして、私がしてみる。より母親に負担を掛けないための訓練である。拘束帯がとれない。

色々 あるが お休みなさい。 21時 テンカウント ダウン。
 







2013/05/01 10:56:00|母の為の ページ
入院 七日目
昨夜、もう寝ようとうとうとした時間に突然電話が鳴る。会社は24時間稼働。事故があれば真っ先に私に電話が入る。しかし、電話は母の入院する病院からであった。母が息子を呼べと大声で怒鳴り散らして収拾がつかないとのこと。早速タクシーにて病院へ。
夕べに別れた時には穏やかだったが、今は形相も違う。なだめながら頭をさするが、私の顔を見たとたん、更に大きな声で騒ぎ出す。
収拾がつかない時間がどれほど続いただろうか。私がそばにいることで甘えはピークになる。そっと陰に隠れて様子観察。夜勤の看護師に謝りつつ2時帰宅。ぽつりぽつりと歩いて家路に向かうとき、無情感が私をおそう。

昼の食事介助に行く。昨夜は結局明け方5時まで騒いでいたとのこと。寝ているところを起こして食事介助をする。その後車いすで散歩。姿勢が崩れて座っている姿勢が維持できない。10分ほどお話しをして会社に戻る。コンビニでおにぎり2つ。お茶1つ。1つは車の中で食べ、残りは会社でそっと食べる。一週間同じコンビニで同じ買い物、
やれやれである。

17時45分 夜の食事介助。全く塩分の感じられない食事である。1日4グラム程度なのだろう。しかし、味はよい。すべての味をチェック。
母 おかゆ完食。デザート もちろん完食。
あえて帰りますよと言葉を掛けずに 帰宅。

明日はドクター、看護専門員、ケアマネ、私とのカンファーレンス。
何時退院でも良いように、ベッドを2モーターから3モーターへの変更。エアーマット(褥瘡を予防するために体位自動変換付き)、高カロリー食品。(電話で色々質問するが、どちらの企業も大変親切である。ちと 会社の名前を出してサンプルも頂くこととしました。ちと ずるい。) 車いす対応姿勢制御ベルト(ある意味拘束ですがね。)そして、訪問介護職員の手配は済んだ。

さあ帰って頂く家が待っている。こゆきが待っている。。妻が待っている。

勝負はこれからが本番だ。








2013/04/30 20:37:32|母の為の ページ
入院 六日目
人は生まれた時に、 真っ白な産着に包まれる。そして1歳の時にはその産着に1歳のひと針の糸が紡がれる。 10代の時は初恋をし、その産着に花桃色の糸で紡がれるのだろうか。20代になり人生で初めて挫折を感じたときはグレーの糸で紡がれるのであろうか。
100歳の母は、今何色で自分を紡いでいるのか。私には知るよしもない。そして、母の産着は多彩な色で埋め尽くされ、そして紡ぐ糸はもうわずかだ。

帰る家はある。 

こゆきは、母が入院してから、母のベットから離れない。母に抱かれた事もないこゆきでも一日中母のことを思い、ベットのそばから離れない。
生きとし生きるものに、動物も人間も価値は等しい。絶対生命に対する普遍性がひゆきをして畏敬の思いを感ずる。

私は21歳の時に作った短歌を思い出す。

我が心 砂にあらねど こぼれおつ     
           白きしじまに 嘆きをおぼえず

私は母の糸のよりを戻して 細くしても 長く 紡ぐ糸をつくる日が続く。

12時昼の食事介助に行く。母はCTを撮るときに、指輪を外す外さないで暴れたらしく、ナースステーションに車いすでぽつんといた。私の顔を見ると、何も悪いことはしていないのにこんな思いをさせられてと訴える。 なだめて食事介助をする。食後車いすで散歩をする。もちろん点滴の袋をぶら下げたままだ。 

夕刻17時45分 夜の食事介助に行く。母は目覚めていた。よぉーと手を挙げると 『お帰り』と言った。食事介助の前におむつ交換。当然私も手際の良さを覚えるために看護師と介助。夕食は八割程度。

母は9時から18時までの9時間に500CCの点滴がなされる。心臓に負担がかからないために長時間となる。食事前に点滴の針がとれ、幾分なりとも気が休まったのだろう。母の口から冗談が飛び出す。母と笑ったのは11日ぶりである。

幻視はまだある。『何が見えますか』とたずねると幽霊の格好をして手をぶらりと胸の前でそろえる。 私が手ぬぐいで天上をばさばさやり『いなくなったよ』 と言うと母はにっこりする。
しばらくすると眠くなったのだろう、うとうと始めたので『食べてすぐに寝ると牛になりますよ』と声を掛けると、自身を指さして又笑った。母は丑年生まれである。100歳でこのようなジョークを返すことができることはたいした物だと感ずる。

ほほにキスをし、明日又来るね と言うと母はバイバイをして見送ってくれた。
ナースステーションに挨拶をし家路に向かう。











2013/04/29 11:42:00|母の為の ページ
入院 五日目

週間ダイヤモンドで 『親子で選ぶ老後の住まい』特大号で当社のサービス付き高齢者住宅が東京都で16位にランクインされました。数ある中での16位は堂々の物です。居室の広さ。居室の設備。共用部分の設備。立地の利便性。緊急対応体制。食事サービス。生活サービス。介護サービス。医療サービス。の8項目の採点により100点満点で78点でした。まあ介護サービスは複合施設としての評価ではなく、あくまで住宅のみの評価ですから、本来は10位ぐらいには入っても良いのではと感じますがね。

昼休み 母を見舞う。エレベーター前で妻と鉢合わせになる。「お母様寝てますよ」の妻の言葉に、もう一度一緒に病室に促す。
寝ているところをそっと声がけすると、片目だけ開けて私たちを確認する。昼食が来る。私が全ての物を少しずつ味見をしてから、母の食事介助を始める。全てペースト状である。塩分は極めて薄い。「はーい新タマネギのサラダですよ。」 「白身の魚の煮付けですよ」 ホントかな? 食時介助に50分。8割ほど食べてくれた。看護師さんが「よく食べましたね」と母をほめて下さった。
 
さあ、 戻って仕事だ。「お母さん又夕方来ますよ」 母と握手で会社に戻る。

夕刻 5時40分面会。 まず献立表を見る。次に同室の方の配膳を見る。次に、割り箸に付いた程度の味見をする。 
それから 母の食事介助を始める。 一口ずつお料理の説明と味を紹介する。必ず一口ずつ毎回行う。ペースト状の食事では食感は全くない。おかゆは『お米が一番おいしいね。日本人はお米だね』と言っておかゆを勧める。

しかし、母に奇跡は起こらない。奇跡を期待することは無情である。
日ごとに確実にやつれ、命の砂時計が落ちこぼれていく事を止めることはできない。何とかその砂をすくい取って、又砂時計にどれほど戻せるかの勝負である。負ける勝負であることは紛れもない事実である。しかし努力を惜しめば砂時計は音もなくサラサラ落ちるだけである。

1時間30分の食事介助が終わり、幾分なりとも落ち着いてからベットの位置をなをし、母の寝息を聞いてから自宅に戻る。

母の声を聞くことも限られてきたが、一喜一憂している時ではない。







2013/04/28 15:12:00|母の為の ページ
入院 四日目
日曜日は11時から面会が可能だ。苺・西瓜・お花などを買って病室に向かう。室内から大声で怒鳴っている声が聞こえる。母の声だ。病室の前でしばらく話の内容を聞く。やはり若干錯乱しているのかと感ずる。室内に入り私の顔を見ると、声のトーンは一段と高くなった。

母の話の内容を記述する事は憚れる。

頭をなでて、手をなで、足をさすっていると幾分落ち着きを取り戻す。しかし、今度はしきりに帰ろうと私にせがむ。履き物を用意しろ。会計を済ませてこいと言う。『私がここにいたのでは、新しく入ってこられる方に迷惑になる』と言って又大きな声で怒鳴った。

しかし、母は拘束された状態である。聞けば昨夜ベットからすべの落ちたとのこと。拘束はウエストにされ、左右に移動できないような状態であった。子供としてその姿を見ることは忍びがたい。

『今日は日曜日でドクターが休みなので、明日には私から聞いてあげますよ。』と言うとしばらくは納得した。しかし又同じ事の繰り返しが始まる。苺も、一番好きな西瓜も食べようとしない。
しかし、食事の時間が来るとペースト食、吸い物等はとろみの付いた物ではあるが半量を食べることができた。

食事が終わったのでしばらく休むように促すと、目をつぶって眠りについた。午前の面会は終わった。

午後 妻と共に面会に行く。すやすやと眠っている。折角妻が作ってきた物がいろいろあるが、起こすことが忍びないのでそっと見守る。
『お母さん朝だよ、起きてお茶を飲もうよ。』 『ああ朝だね。お茶でも飲もうか。』 いつもの会話が通じるような寝顔である。

しかし、自傷行為のあったあの夜の顔は兄姉は知らない。知らないですむ人と、正に当事者である私は心の痛みは深い。私の生きている限りはあの顔は忘れられない。しかし私はしっかりと受け止めて生きていく以外に道は無い。 『私の前に道はない、私の後に道はできる。』の心境だ。

看護師さんにいろいろと相談をさせて頂いた後帰宅する。

最もマイノリティーな戦争だ。家族の戦争だ。食料は調達できる。雨風も防げる。奇病も疫病もない。この戦争は介護と忍耐と己の人間としての真実を問われる戦争だ。しかし勝利のない戦争であることも確かだ。渾身の精神と肉体を駆使しこの戦争に立ち向かうことこそ『子としての ショー ザ フラッグ』だ。

寝る。