アルボス 樹

運動音痴がはじめて出会ったゴルフの楽しさ。 そして幾分なりとも落ち着いて音楽を聴く 環境が出来、良き師匠にも出会うことが出来ました。
 
2013/05/12 9:29:28|その他
母退院から 5日経過
5月7日15時に退院してから、5日が経った。その間、介護や看護、かかりつけ医、訪問歯科、訪問入浴と何とか母の体調を良い方向へ導こうと努力をするが、全く食欲が無い、水分接種も極めて少なく、小さな体はみるみるやせていく。
何を作っても、口に運んであげると小さく首を左右に振って拒否をする。
楽しい話をして、ほんの少し口に運ぶが嚥下することなく、口の中に溜めてしまう。一旦はき出させて、又違う物を口に運んで嚥下を確認する。食事介助は時には1時間30分かかるが、それでも絶対量は限られた量でしかない。
何でも試してみる。フードプロセッサーでの調理。ミルサーでの調理。
だし汁を作ってとろみ材を入れたとろみ料理。ネットであらゆる高齢者の食材、あるいは嚥下困難な人のための食材が毎日のように届く。
しかし、何も口にしない。排便は6日無いが、排便の素もない。

自ら生きることをあきらめている感じがする。あれほど旺盛だった食欲が嘘のようである。口数も極めて少ない。 朝私が出社するときに「行ってらっしゃい」以外一言も声を出さない日が続く。

自分で枯れていくことを意識しているのだろうか。子供が親を助けられないこの不甲斐なさにいらだちを感ずる。

胃ろうを考える。訪問看護で毎日胃ろうの栄養を取ること。しかし、母にその事による苦しみを感じさせることは子供のエゴなのだろうか。

私の心の奥底で、静かなカウントダウンが始まっている。決して白旗は揚げないが、絶望の堆積物に押しつぶされそうな夜を迎える。







2013/05/09 17:18:03|母の為の ページ
母 18日ぶりで風呂にはいる。
今日は近隣の方のお通夜。よって会社は3時までで退社。妻が通夜のお手伝いに向かう。3時20分訪問入浴の方が来られる。狭い部屋にバスタブを持ち込み、車からお湯を引き込む。利用者の心を傷つけないために、決して素肌を出さないように何枚かのタオルで体を覆いながらバスタブに。髪を洗い、体を洗い、足の先まで丁寧に洗っていただき、最後に全身にシャワーを掛けてくださる。風呂から出るときも、大きなタオルケツトに包まれるようにベットに移乗。髪を乾かしていただき、バイタルのチェック。入浴前とほとんど変わらず。血圧110−60。心拍数65。酸素98%体温が36度から36.5度に上昇。当然だ。あっという間にバスタブ等が撤収され、訪問入浴は無事終了。
母に水分補給をしていただき、ただ今母は仮眠中。

私は、今から夕食の準備。果てさて何を作ろうかとまどうばかり。しかし、今日は気温も高く、風呂も入ったのでさっぱりとしていて、且つ栄養価の高い物と判断。 で 何作る。

昨夜は、夜間4度起こされる。やっと穏やかになったのが朝の4時。
でも前日にゆっくり休ませていただいたので、朝の食事の準備はスムーズに進んだ。 今夜はどうだろうか。 まあ、なるようになれだ。夜にならない前に悩んでも何にもならない。 さて 夕食夕食。







2013/05/08 18:04:02|母の為の ページ
訪問介護 始まる
今日から訪問介護をお願いした。できる限り妻と私で介護をしていくつもりだが、妻は、この13日と16日にCTやMRIの検査。私も介護休暇を取る事は困難。 よって月10日(私は月10日の休み)は私たちが介護、その他の日は、朝と昼 訪問介護に入ってもらう。夜と夜間は私が介護する。
本日、サービス提供会議、訪問入浴もお願いした。
介護度4が過日の認定で3になったので、市役所に行き再認定の依頼。
午前中は、ばたばた過ぎて、午後訪問診療。母のドクターがこられ入院中の状況の確認と薬のチェック。血圧110−58。心拍数65。酸素摂取量97。ベリーグッドだ。 しかし100歳。まあ自然に枯れるのであろう。致し方のないことだ。

その後、訪問歯科の先生と口腔ケアの先生が来る。入れ歯の調整をしていただき、やせた歯茎に入れ歯が入る。 その間訪問介護と訪問入浴の契約締結。よって昼食は無し。朝何食べたか・・それも忘れた。

ケアマネは介護認定の点数内で何とか介護を押さえたいらしい様子。(どちらのケアマネさんも同じですがね)
要介護3は 約26700点。 私が住むところは1点が10.47円。よって約279,500円まで使え、自己負担は1割の27,950円。
自費が出ても良いので、手厚い介護サービスを依頼し、了承を得る。

ご近所の奥様がお亡くなりになった。この町会ではご近所が受付などをする習慣。さあ困った、会社を早引けして、お通夜の受けつり、告別式は、会社で役員同士の話し合いがあるので、ここはぎりぎりまで臨戦態勢で参りましょう。

困難よ、不条理よ、すべて我が身に降り注げ と言った心境。
さて、母の夕食の介助を始めます。 今夜も穏やかでありますように。











2013/05/07 10:54:00|母の為の ページ
母 退院
5月7日 午後3時、母退院する。この二日間猛烈な睡魔と怠惰感がおそう。しかし、己の限界でないことは確かだ。母の昼の食事は全く進まない。会社を抜け出して結果30分のオーバーとなる。自分自身が許せない、と同時に母のための30分は極めて短い時間だ。

今日 5月7日退院。 会社は午前中で退社。介護用車いす対応の自動車で自宅に帰り、車いすを積んで病院に。母は排泄が思うようにいかず、看護師ともめている。自分が変わり車いすに移乗の後トイレに行く。ここ4日ぶりの排泄。看護師と共に排泄後の介助。
妻が用意した肌着を看護師が着替えさせようとすると「痛い痛い」と言って着替えができず、これまた私が着替え介助をする。

自宅に帰る。「ここは何処ですか」と聞いても「しならい」という。車いすのまま自宅にあがる。こゆきが母の足に向かって体当たりをしてくると、母はうれしそうに、車いすから足を伸ばしてこゆきに応戦。

部屋に入り「ここは何処ですか」と再度たずねると、私の顔を指さしておまえの家と答える。 お茶を飲む。ネープルを食べる。テレビをつけるとニュースに見入る。

夜の食事は、ぶりの照り焼き あえて姿のままでお皿に。何が出ているのか解ったのは15日ぶりだろうか。酢の物はよく食べた。大根と豚肉も良くたべた。塩分の全く感じられない病院食と、我が家では味が違うのであろうが、自分が何を食べているのか解るだけに黙々と食事を取る。しかし絶対量はそれほどでもない。
食事が終わるとすぐに眠る。 狭い場所だが私も母のベットの隣に布団を敷く。夜間本当にすやすやと眠り、病院で騒いでいたことが嘘のようである。朝まで10時間熟睡。私は夜間に2、3度起きたが久しぶりに母同様熟睡。 母は安心。私は気抜け。








2013/05/03 20:38:00|母の為の ページ
入院 九日目 ブログにさよなら。
会社を抜け出しての昼の食事介助。会社が終わってからの夜の食事介助。九日目の行動変わりなし。

母の幻視は続く。子供が見える。一生懸命気にしている。いなくなると(見えなくなると)はぐれて家に帰れなくなるから連れ戻せと言う。「親が来て連れて帰った」と言うと安心する。私の幼少の時の幻視ではない。・・・・・・

昨晩もだいぶ騒いだようだ、今日の昼間も騒いだ。 昨夜の夜勤の看護師が『眠りにつくまで居てくださいと』言った。 その言葉に反論し、論破する事もできたが、素直に『はい』と言う。
八年前我が家に来たときは、それはすさまじい騒ぎであった。警察・救急車を呼ぼうかと思うほどの騒ぎをしたことがある。そのことを思えば、まあ まあといった感じ。

もう ブログを続けることをやめようと思う。 母の病状をつづっても意味がない。自分のノートに記述していけばよいことで、ブログで書きつづることでも無いように思う。

母の最後を見届けることが私の子供としての最後の親孝行だ。ブログは確かに私の心のよりどころでもあったが、改めてそれにどれほどの価値があるのか私自身が解らない。わからないものを続ける意味もない。

又 何時の日か気持ちがブログに向かったら、今度はクラッシック音楽専門の、できるだけ知的なブログを立ち上げたい。

東京西多摩のケーブルテレビの環境でしたが、48882回のアクセスに感謝申し上げます。 有り難うございました。