アルボス 樹

運動音痴がはじめて出会ったゴルフの楽しさ。 そして幾分なりとも落ち着いて音楽を聴く 環境が出来、良き師匠にも出会うことが出来ました。
 
2013/05/20 10:17:00|母の為の ページ
母の為のカンファレンス
今日は母のカンファレンスの日だ。朝9時に病院に行く。生活相談員との話し合い。 いきなり血液検査の結果が悪いとのこと。 いつの採血の結果ですかと尋ねると、調べに行ったが帰ってくると話題が食事がとれない話になる。いい加減だと思い腹が立つ。しかし、表情には出さないよう努めた。今後の基本方針の話し合いで、介護型病院はどうかとの話があった。この近所の療養型病院は限られてくる。難しい。

あくまで自宅に帰ってきて、介護は私がしてあげたい旨を話す。訪問診療を24時間体制で受けてくださる先生を探していただくようにお願いする。母の訪問診療の主治医はいるが、立場的にも関係が深いだけにお願いするのは難しいと判断する。訪問看護は訪問介護の兄弟会社にお願いすることとした。
自宅に帰ってからの点滴は訪問看護にてお願いする。しかし、針を外すのは私だ。時間当たりの点滴量を調整していただき私が帰宅後に針を外す処置をすることにして対応可能とする。

母の拘束に関して話をする。ミントをしたのち、さらに長時間ベットに縛り付けておく必要性があるのかをたずねる。明解な回答なし。

2日後に再度サービス提供会議が病院内で行われ、3日後には介護の再認定調査があることを伝える。

夜間母が騒いで同室の方々に迷惑がかかるとのことで個室に移動。もとより承知をしていたが、はたして個室で母が耐えられるのか(認知は進まないのかを危惧)。4床室であればたびたびどなたかの看護で看護師は室内を見る。そのことによって母の安否確認はされるが個室では不安が募る。

個室に移る時間が明確でないので一端病院を後にする。午後5時再訪。テレビが流されている。良いことだ。夜の食事介護の前に口腔ケアと体を拭く。目薬を差した後、唇が乾くのを押さえるために途中で買い求めた薬用リップクリームを塗る。

個室に移った事で母の心理がどう変わるのか心配であったが、母はなぜか安堵感が感じられる。A4の紙に色々なメッセージを書いた紙をベットサイドにべたべた張る。入院している理由。退院の目標。困ったときのナースコール。 ets、ets。

母の食事量は、今日の昼食100%。夕食98%。しかし、絶対量はミカン1個分だ。カロリーはしれたものだ。

食後もう一度口腔ケアをして水分を50ml取る。うつらうつらしてきたのでミントの紐を縛る。心の内でごめんなさい、ごめんなさいと。でもここからがお母さんと私のがんばりどころだよと自分に言い聞かせ、眠った母を見届けて看護師に挨拶をして帰宅。

夕刻9時 今日初めての食事は私も嚥下が悪かった。







2013/05/18 15:00:00|その他
母 再入院から4日目
母の昼の食事介助に向かう。朝、私が昼食を取れないことから、妻がおにぎりでも作りましょうかと言ってくれたが何とかなると思い辞退した。
母の病室に入ると、母は今日も騒いでいる。声を掛けても騒ぎは収まらない。私が母の顔を拭き体や手を拭いてあげても、ふざけているような仕草。4歳児のいたずら盛りが、めいっぱい反抗しているようだ。

食事が来たので食事を促すが、全くふざけた態度で一向に食は進まない。「はい、口を開けて下さい」と言うと、口笛を吹くようにして、食事を受け入れない。もう一度「はい、大きく口を開けましょうね。」と言うとパット開けて、ばっと閉じてしまう。何度も同じ行為を繰り返した後、母は目を開けた。そこにいたのが私だと気づき、静かに食事を開始した。私を看護師と勘違いしていたようだ。

口腔ケアも素直に受け入れた。ベット上での体位の変換をして帰る。
社に戻り、当社の看護師に母の行動を説明して、看護師はどのように思っているのか訪ねると。「それも、これも全部含んで看護ですからね、あまり気にしないで下さい。」とやさしい返事が返ってくる。ありがたい言葉だった。何となく心が落ち着く。

終業時間が来ると、「お先に失礼いたします」と言って母のもとに急ぐ。
昨夜はあまり騒ぐので個室に夜間帯は移動したとのこと。認知症はどんどんすすむ。
家に帰りたいのだろう。しかし、帰ってくればもう打つ手は無いに等しい。私が退職する以外道はない。それも結論を出さねばならない時が来るだろう。介護事業部を背負っている今、こちらも敵前逃亡だ。

心にぶれがあってはいけないが、今後の処遇に悩む。明日は病院とのカンファレンス。








2013/05/18 13:58:00|母の為の ページ
母 再入院から3日目
母の昼の食事介助に向かう。病院の棟に入ると母の大きな声が聞こえる。「みんなで私を殺そうとしている。助けて下さ−い。お巡りさんを呼んで下さ−い。」 母の元に行き声を掛けるがいっこうに収まらない。「殺される」の連呼である。口元を抑えても止まらない。私は冷や汗と脂汗が流れてくる。しかし、ここは私が冷静にならねばと、話題を極端に変える。「大きな声でお話しをしていたから、お口がねばねばですね。お口をきれいにしましょう」と言って口腔ケアを行う。その間連呼は無くなり、気持ちは口腔ケアに集中した。昼食が来る。一口ずつゆっくりと介助すると8割ほど食べた。 はんぺんと白玉団子を5割ずつ足したようなご飯とすき焼き風のプリン状のおかず50ml。フルーツは同じく50ml程度のメロン味のプリン。
点滴は確実に母の体内に吸収され、ほほの色も、唇の色も良い。爪は桜貝のような色合いと光沢である。
昼食後、眠りについたので社に戻る。

夜の食事介助に向かう。やはり大きな声が聞こえてきた。しかし内容は午前中とは違う。
私の顔を確認すると、祖父と祖母(私にとっては曾祖父と曾祖母である。)に先に亡くなることを謝って欲しいという。母は祖母に大変可愛がられていたことは何度も聞いて知っている。母は祖父母にとって外孫だったのだが、遊びに行くと、祖母はそっと1銭銅貨を母に握らせ早くしまいなさいと言ってお小遣いをいつもくれたとのこと。
次に父母(私にとっては祖父母)の話になる。「私のようなおてんばな娘が何の親孝行もせずに先に亡くなることを、おまえからよくよく謝ってほしい。 父は本当にまじめな人だが、もう年だからおまえも時には訪ねてやって、何の仕事でも良いので手助けをして欲しい」と目頭から涙を出しながら私に訴える。
「はい、よく分かりましたよ」と言うと母は安心したのだろうか、その後夕食を7割ほど食べて(と言っても100グラム程度だが)、うとうと始まった。

私は胴回りの拘束帯を付け、ミント(両手の爪などで看護師を傷つけない為の手袋のような拘束具)を付ける。子が親にこのような物を付けることの酷さは涙も、嗚咽も出ない苦しみである。他にも手と足の拘束帯がおいてある。

私は何とひどい子どもだろうか。家に帰れば怒鳴ることも、拘束されることも無くなる。しかし、家に帰れば母の命は1週間持たないであろう。私の選択の咎は私が受ける。その覚悟無くして始まった戦争ではないはずだ。そして私の手に白旗はない。







2013/05/16 21:05:02|母の為の ページ
母 再入院 2日目
昼の食事介助に行く。拘束帯は胴回り以外にも両手にされていた。
手袋のような物だが看護師が排泄介助をするときにいやがって看護師の手に爪を立てるとのこと。
すぐに拘束帯を外して、母の髪をなでる。暖かいタオルで顔を拭き、耳元や襟首も拭いてあげると、気分が良いのだろうか、うんうんとうなずく。

入院から既に27時間が経過、その間絶え間なく点滴がされていた、平均速度を毎時70mlと計算しても約1900mlの点滴が施されたことになる。

昼の食事は無し。 ただひたすら点滴である。 穏やかな表情であるので、そっと拘束帯をつけて帰る。

18時夜の食事介助に行く。点滴は約450mlが新たに母の体内に追加されている。爪の色は桜貝のように薄いピンク色である。しかし口の中は白いこけが生えたようになっていた。看護師に断って口腔ケアをする。 はじめは驚いたように首を左右に振って拒否反応をおこすが、私が耳元で「お口さっぱりしょうね」と話すと、大きく口を開けてくれた。あえて刺激を与えるために冷たい水でケアする。その後訪問歯科の口腔ケアの先生に教えていただいたとおり、ほほ骨の下側のマッサージ、あごの下のマッサージを行う。

さあ、昨日以来の初めての食事だ。出てきた物は約50ml程度の梅味のゼリー。私ならば間違いなく一口で完食。
それを小さく分けて、スプーンで母の口元に運ぶ。母は拒否をするが
「香り最高、梅味のゼリーですよ」と言って口元に運ぶ。嚥下はやはり苦しそうだ。しかしむせることはない。約6割食べただけで拒否反応が出る。無理は禁物。一端下膳したように母の視界から遠ざける。
10分程してから、「はい、梅味のゼリーですよ」と言うと、突然目を開き、ゼリーを見つめる。残り4割を完食。

20分程度足ってから、ギャッチアップしていたベッドを平らにする。
そっと母の拘束帯をして、母の寝息を聞いてから看護師に再度拘束帯の確認をお願いして帰宅する。

母と住むようになってから、母は毎月月刊誌を買って読む事を楽しみにしていた。婦人画報。クロワッサン。母のこころ、PHP等。
今、母のベットの前には2種類の本が250冊ほど並んでいる。
その本を今私が1冊1冊読んでいると。所々に折り目がある。はじめは明日のための折り目であろうと感じていたが、折り目には母の前向きな姿勢を鼓舞するかのような文面の綴りであることが解った。
90歳を過ぎてからもひたむきに前に進もうとする母の姿勢に改めていとおしさがこみ上げてくる。









2013/05/15 17:06:00|母の為の ページ
母 再入院
5月11日から又母は食事がとれなくなった。と同時に水分補給も徐々に少なくなった。嚥下が悪いために物を飲み込む力がない。会社よりカラオケを持ち帰り、童謡・唱歌などを歌わせて口腔体操をすると、かろうじて水分がとれるようになる。エンショワ(高カロリーの飲み物)や各食品メーカーなどから出ている同じような高カロリーの物を試してみるが食欲はいっこうに進まない。
5月12日、5月13日とどんどん食事・水分とも摂取量が落ち、5月14日は一日で食事0、水分200ml程度となる。同日かかりつけ医に相談するが、なかなか明快な判断が付かない。
5月15日朝、今日は訪問介護の方が来てくださる日である。いつものように「仕事に行ってきますが、良いですか」とたずねると、いつもは「行ってらっしゃい」と答えるが今日は私の手を握り、首を左右に振る。
自分の死期が解るかのようだ。
救急相談センターに電話を入れる。#7119番である。
相談は丁寧に聞いてくれる。結果、5月7日退院の公立F病院に電話。救急外来での受付可能とのことで、即 119番 救急車の要請。

搬送時のADL 血圧55−115  心拍数58−60 酸素濃度98% 
呼吸数14−15/分。
血液検査の結果は、かなり水分がとれていない割には血液はすばらしいとの事。
内臓、特に心臓の乱れもほとんど無いとのこと。意思の疎通もできる。

即、点滴 ヴィーンD 500ml。 病室決定搬送。 点滴は250ml残しで、ソルテム3AG 500mlに変更 毎時83mlの早さ。約6時間かかる。 訪問歯科に本日の往診中止の依頼。ケアマネに入院の報告。一端帰宅して、入院時に必要な物を取りに帰る。 一足早く妻がタクシーで帰宅して準備をしていてくれたので、Uターンで病院に戻る。

褥瘡やベット圧を調べるために母は体を何度か動かされ、それがいやで大声を出す。かわいそうだが良くなるためである。 看護師もよく水分もとれない状態なのに力がありますねと。 案の定 拘束帯が胴回りにされた。

その後疲れたのだろうか、私が「もう何も痛いことは無いから、安心して少し眠りなさい」と言うと、体の緊張が徐々にほどけ眠りにつく。

一端、私たちは帰宅。15時に今日初めてお茶を飲んだが、心は母のもとだ。
夕刻18時には食事介助に向かう。18時10分ソルテム3AG 500ml 点滴終了。次にビークリード 500ml点滴開始。 終了予定は24時だ。 これで今日は1250mlの水分は確保できる。 しかし夜の食事は無い。誤嚥をなくすためだ。カロリーもとれている。

看護師に排尿の確認と、パットの交換をお願いして帰宅。

今日のブログに私の心を記載することはできない。