アルボス 樹

運動音痴がはじめて出会ったゴルフの楽しさ。 そして幾分なりとも落ち着いて音楽を聴く 環境が出来、良き師匠にも出会うことが出来ました。
 
2013/05/28 20:15:33|母の為の ページ
母 退院
9時30分 管理栄養士との今後の食事療法に関しての話し合い。
その後、車いす対応の自動車を取りに行く。

その間妻は退院の手続き、支払い、荷物の整理をしてくれる。
退院時にはフロアーのすべての看護師が見送ってくれる。母は合掌の姿で「有り難う」・「有り難う」を繰り返した。外気に触れたのは2週間ぶりだ。

家に着くと良く認識できていた。こゆきが迎えに出る。よほどうれしかったのだろう、こゆきの猫パンチと母の足蹴りのおうしゅうが続く。雪が甘えてごろりとおなかを見せると母は満足げにこゆきの名を何度も呼ぶ。

退院後の初めての自宅での食事である。嚥下3レベルの食事を妻は一生懸命作ってくれた。 母完食。

その後、訪問診療のドクターと訪問看護・訪問介護のトップが来てくれる。ケアマネは6月の予定の確認をそれぞれしてくれる。

ドクターを見た母は、「お姿を拝見したところ、お若いようですがたいしたものですね。」そして「こんな事を申し上げては失礼でしょうが、かわいいお顔立ちですね」と言って皆さんの笑顔を頂いた。

ドクターも感心して、「いや、大変しっかりしていらっしゃる。深夜でも、早朝でも変化があったらお電話を下さいと」と言ってくださった。大変心強い言葉だった。

テレビを見て「大岡越前」その後 午睡。
夕食は妻が、魚の塩焼き、肉団子、カボチャの煮付け、キュウリのサラダ、キャベツの味噌汁を作ってくれる。すべてとろみがかかっているが、母完食。その後フルーツの代わりに、高カロリージュレを飲む。
ただ今 母睡魔が襲ってきている。 チャンスとブログの更新。

では、母と一緒に寝ます。 明日が良き日でありますように。







2013/05/27 22:21:03|母の為の ページ
皆様 応援有り難うございます
ブログの公開をやめましたが、多くの方々から、メーネやお電話を頂き、「私たちの勉強のためにも」、あるいは母のことを気遣っていただき「お母様の事を本当に心配しております」等々の励ましのお言葉を頂き
再度ブログを公開することと致しました。

A市A様。N市D様。H市E様。同S様。新聞社Y様。同N社様。そのほか大勢の方々の励ましを頂き、再度公開に踏み切りました。
今後とも宜しくお願い申し上げます。







2013/05/27 21:17:00|母の為の ページ
母 明日 退院
疲れ切ってここ3日かな? ブログの更新をしなかった。 本日5月27日 どうしても朝起きることができない。 いや 今まででもありましたよ。サラリーマンは年に一度ぐらいは、どうしても今日は会社に行きたくないと言う日がある・・・・ 若いとき。そんなときは仮病でした。
しかし 今日は違う。 どうしても起きられなかった。
でも昼の食事介助には行きました。母は寝ていましたがやっとおこして口腔ケア、おむつを交換して(看護師に頼んでいたのでは勉強にならないので私が)で昼の食事と思いきや、おむつがさっぱりしたのかまたもや排泄介助。私の腰はパンパン。でも介助して、ついでに体を拭いて昼の食事。95%程度の食事量。まずまずでしょう。眠そうなので、少し看取りをして 昼はお終い。

夕方 妻と再び食事介助に行く。どのような食事形態なのか妻にも見てもらうべく同伴。困った
昼とは違い 覚醒はよい。 介護士の方が30分前から母と会話をしてくださっていた。すばらしい介護士でです。感謝。感謝。

食事の時間になると、母が排便をしたいという。入院して初めてトイレに座らせた。 出ました、立派な物が。しかし、急速に血圧が下がることがあるので注意をしますと、本人はさっぱりしたという感じ。実は便座に座らせること自体 私としての介助は大変なのですがね。ベットから車いす、車いすから便座そして、便座から車いすそしてベット。ベットの上でおむつを履き替えて、さらに食事のためにベットから車いすに移乗です。腰限界。40キロのスピーカーなら何とかなるのでしょうが、全く筋力のないだらりとした母を抱きかかえるのは大変なのです。そしてベットで寝ていますので、少しでも力のかかり具合が異なると「痛い」、「痛い」の連呼です。

夕食は、さっぱりしたおかげでしょうか、ハイピッチで完食。
妻は、こんな食事は作れないと悩んでおりました。

明日は9時30分からドクターと管理栄養士との食事のカンファを受けまして、即車いす対応の自動車を取りに行き、その後退院。昼食後、訪問医療、訪問看護、訪問介護、ケアマネとの自宅でのサービス提供会議。その後車を14時30分までに返しに行かねばなりません。

母のベットに「こゆき」が寝て、お母さんの帰りを待っていますよと言うと、母はうれしかったのでしょう何度もうなずいて笑っておりました。母の笑顔を見たのは何日ぶりでしょうか。こゆきは、ばあちゃん孝行猫です。

さあ、明日からは戦場が我が家に戻ります。明日からは又母の隣で眠る日々が続きます。母がそばにいる、そして母にとっても息子がそばにいる。共に頼りとして戦って参りましょう。








2013/05/24 21:25:00|母の為の ページ
母の退院決定する。
5月23日入院先の主治医、訪問医療の先生、訪問看護、訪問介護、ケアマネ、介護用品の方、そして生活相談員、現在の主看護師、そして私ども夫婦によるカンファレンス総勢11名で行い5月28日退院となりました。現在母は個室におりますがだいぶ様態も安定し、今日からは食事量も一回180グラム 250キロカロリーから380グラム450キロカロリーとなりました。しかし摂取量は80%程度です。
 
勝利の無い戦争ですが、私の手には白旗はありません。
介護休暇も考えておりますが、退職は私一人が役員で、まだ次長も課長も育っていない職場では敵前逃亡。これも又難しい選択です。
 
私はもとより医者ではありませんが、心房細動は一過性のものであり、たまたま母が高齢のため10日程度では元に戻らなかった。しかし投薬が多く、逆に薬の副作用(マグネシュウム)が出たのではと感じます。脳梗塞の疑いもありますが、多発性脳こうそくは、跡が残らず発見も高齢者ではかなり難しいのではと感じます。
 
又、胴体への拘束、手の拘束(ミント)、さらにミントをベットに縛り付ける拘束、挙句は足まで拘束の状態でしたが、切実にそのことを訴え、最小限度にしていただくように話し合いを持ちました。もとより、昼の食事介護、夜の食事介助は1日も1回も休むことなく私が病院に通っております。認知度が落ちろことを危惧しておりましたが、母は強い。まず秋田のD様の話をいたしますと、(レコードの先生でお魚をお送りいただく方)と話しますと。本当にいつもおやさして心の広い方ですねと答えることができることは認知度は保たれていると感じます。チューリップ畑で見たものをたずねますと 鯉 と返事が返ってきます。
父が亡くなりましてから、行政書士の事務所をすぐにたたんでは多くの方に
迷惑がかかると言って、毎日85歳から89歳まではオートバイで事務所に通っておりました。
 
母は後4カ月で満100歳です。今後は自宅で少しでも楽しい思い出を作っていただき死との親和を持っていただき、痛みや苦しみのない終末を送ってもらいたいと考えております。
 
人はみな年をとり、人はやがて死を迎えます。どうしても避けられない事実であることは皆認識をしておりますが、子供としてやはり直面しなければ自意識として認めがたいものです。

5月23日、昼食完食。夕食90%。 5月24日昼食完食。夕食完食。
夕食の献立。小松菜のおしたし、大根のみぞれ煮(甘味噌仕立て)、2色サラダ マヨネーズ味。魚のプロバンス風煮付け。ご飯。すべてがプリン状態です。しかし 完食。母に手を合わせます。なんと子孝行な母なのか。

しかし、いらだつことも多々あります。看護は介護を包括していたはずなのに介護はしません。病院は治癒することが目的で、それから先は介護と考えております。しかし、これも事実として認めざるを得ません。毎日夕食の食事介護の前には母の体をすべて拭き、パジャマの着替え、目薬、口腔ケア。時には私自らおむつ交換をして、その後病院内を散策し、そして夕食です。いえ、病院は至って立派な病院です。

思いは書ききれません。しかし この戦争 国境のボーダーは今日も堅持できました。


 
 
 







2013/05/21 21:55:00|その他
母 再入院6日目 個室
昼の食事介助に行く。個室に母の姿はない。食事介助が必要な人のなかに母はいた。自室に移動を看護師がしてくれる、点滴付きだ。顔を拭き、口腔ケアをすると食事が運ばれてきた。覚醒を確認して食事介助。100% 完食。完食と言っても嚥下状態2、全がゆのムースと65グラムのプリン2個。
食べることの練習ですよと言って食事を促す。まともに水も飲めないので、とろみの付いた水を50cc程飲んだ。

食事後は二人で4階の窓から外を眺め、早く家に帰れるようにしましょうねと話してベットに移動する。移動時の腕の針が怖い。40キロを割った母の体重だが、重さは倍に感ずる。私の腰がぎしぎし鳴る。

夜の食事介助に行く。昼食をよく食べてくれたので幾分なりとも期待して母を訪ねると、母は眠っていた。声を掛け、顔を拭き、体も拭くが母は覚醒しない。やっと食事が届いてから少しずつ食事を取るが眠い状態は続く。やっとの思いで4割程度の食事。食事が終わるとすぐに横になりたいと言う。ベットコントロールをして拘束帯をそっとつける。

看護師に挨拶をして返る。個室に変わってから看護師が良く顔を出してくれるようになった。又母も看護師が理解できるようになり、何かあるごとに両手を合わせて「有り難う」と言うようになった。
時々両手が合わずにクロスの形になる。看護師が拒否をしているのかしらと言うが、手はバッテンの形のままで有り難うという。
しかし、夕食は3割程度で口腔ケアもそこそこにすぐに眠る。
明日は、訪問医療のドクターとの打ち合わせである。
母の医療行為に関してメリハリのある確認をしたい。