アルボス 樹

運動音痴がはじめて出会ったゴルフの楽しさ。 そして幾分なりとも落ち着いて音楽を聴く 環境が出来、良き師匠にも出会うことが出来ました。
 
2013/07/15 16:50:04|母の為の ページ
介護の反省

7月に入り、母の体調は安定している。母は9月10日生まれ。あと2カ月で満100歳である。内閣総理大臣から銀杯が送られ、都からは江戸切り子の花瓶が届くはずである。 何度も母に聞かせて張り合いにして貰っている。

介護になれてくると、とんだ間違いに陥りやすい。初めは手探りの介護だが、母の様子が分かってくるとだんだん介護者(私)のペースになってくる。自分の都合に合わせて介護をしてしまうことに反省しきりである。しかし、すべてがマイナスではない。決まった時間に食事をとり、排泄行為をすることは、精神の安定と生活のリズムが構築される。
反省を込めて、8月のサービス提供票を作った。本来はケアマネさんが作るのだろうが、家族が作ってケアマネに意向を打診する方が、より良い介護となると感じた。

昨日はデイサービスの輪投げ大会で母は1位になった、介護士さんがお気遣い頂き、右手のきかない母のために台を近くに置いて下さったためだろう。母は1位には頓着無く、皆様がお声をかけて下さった事が嬉しかったようだ。 風呂にも入り(チェアー浴)さっぱりし、夜は爆睡でした。

クラッシックは全く聴く時間がありませんが、ついついCDを買ってしまいます。ミュンシュ振るところの、ボストン響のCD。この指揮者の魅力を知りたくて。

そして、事もあろうか 15台目のスピーカーを買ってしまいました。
いつまでたっても、アホから抜け出せない私です。







2013/06/30 11:27:00|母の為の ページ
母 デイサービスに通う
母のデイサービスの利用が順調に開始した。6月の送迎は全て私が行ったが、7月からは専門員にお願いすることとした。私の休日の日に母がディサービスを利用すると、実に数ヶ月ぶりに自分の自由時間が6時間ほどは取れそうである。

母は昼夜逆転していた為、数日薬のお世話になったがやはり薬は母の覚醒を悪くするので中止とした。

夜間の排泄介助も協力的で、ポータブルからベットに戻ってからもすぐに寝息を立てるようになった。排泄時間も夜間は深夜の1時、4時、6時と定時になりつつあり、私の睡眠も5時間は確保出来るようになった。
母も楽になり、私も心身共に楽になった。

今日のデイでは職員が自宅から犬を連れてきて下さったので皆さん大騒ぎで楽しまれておりました。 九ちゃん(犬の名前)本当にお利口さんですね。
母は九ちゃんにおやつをあげて、お手をしてくれたので満足だったようです。








2013/06/24 14:53:00|母の為の ページ
母との倫理観
いや、さすがにこたえました。母は昼夜逆転で私は3日で11時間程度しか睡眠がとれず、4日目には母との睡眠の周期が合うかと思いきや4日、5日は母の介護のために全く睡眠がとれず34時間眠れず。
私は述べ106時間で12時間程度の睡眠でした。昨日は会社も早退する始末でした。昨夜も母は23時頃から色々訴えはじめ、今朝方5時から9時までのやっとの睡眠がとれました。
さすがにどうしたものか思案しましたが良い解決方法は見つかりません。

11時30分より、サービス提供会議を自宅で開きまして、ケアマネ、訪問看護、訪問介護、デイの看護師、生活相談員等がお越し頂きました。このように頻繁にサービス提供会議を開いていただくことに関しましても恐縮しております。

母の昼夜逆転をどのように改善するか話し合われましたが、看護師2名の意見は、母がしっかり夜寝られるように睡眠剤を使用する事への提案があり、私の意見を求められました。私が潰れては誰も母の面倒が見られなくなることから私の睡眠時間の確保の為の薬の導入とすることです。

私の睡眠のために、母の体内に薬を入れることに関してはどうしても抵抗を感じてしまいます。私の倫理観としては拒否したいのですが、私の意志に反し肉体は限界に近いことも事実です。
最も弱い薬を選んでもらうこと、習慣性のない薬を選んでいただくこと。私の判断で飲ませなくても、私が耐えられるのであれば、その日は服薬をしなくても良い薬を選んでいただくことと致しました。

デイへの送り出しのために、朝の訪問介護を30分延長していただくこと。夕まずめには母が不安になるので、16時から30分程度の訪問介護をしていただくこと。デイの送りは、原則ドアtoドアですが、特別にベットまでの送りをお願いいたしました。問題が発生した場合の責任は私がとることと致しました。

夕刻 母を車いすに乗せ約1キロの散歩をしました。キュウリのなる畑ではキュウリを指さして喜び、花の咲くお庭先では手をたたいて喜んでおります。愛おしい母です。いや 家に帰りましてからはぐずぐずでしたがね。

自然と共に枯れる母であらせたいと思う心と、限界に近い自分の肉体と向き合わざるを得ない今、真の倫理とは何なのか答えが出ない一日が過ぎます。

今宵は穏やかな夜であることを願って。











2013/06/22 15:53:00|母の為の ページ
2カ月間の奮戦記
4月の18日に体調を崩した母。2度の入退院の後、食事も排泄も自力では出来ず全て全介助となった。介護度は5である。
この2カ月で2度の入院。入院中は、昼と夜の食事介助に病院を訪れ、退院後は朝と昼を訪問介護の方にお願いし、夜は私が介助している。当然私の休みの日には、全ての介護は私が行っている。(もちろん妻は、食事の用意や、洗濯物で日々多忙を極めている。)

排泄は予測がたたず、深夜・早朝の介助が続くが、だいぶ排泄介助の学習も出来て来た。
母は毎夜・毎夜深夜1時30分頃から腕の痛み・あるいは腕のだるさを訴え続ける。どう対処してもその訴えは改善されず、ただひたすら腕も温め、さすってあげること以外方法がない。又、何時間かかろうがさすってあげることが母の精神の安定につながり、又眠りにつくことも早いので、私はベットの脇に立て膝になり2時間でも3時間でも母の腕もさすり続ける。 昨夜も深夜1時30分から結局は早朝4時まで母の腕をさすり続けた。

この2カ月はどれほど長く感じたろうか。いないな 一瞬のような気もする。2カ月介護が出来たのだ。あと2カ月は出来るだろう。そして4カ月が出来れば、一年は出来るだろう。そう自分に言い聞かせ自らの闘志を奮い立たせる。

この2カ月、ケアマネージャ・訪問介護・訪問看護・訪問診療・訪問入浴・訪問歯科・デイサービスの社会福祉士・看護師と多くの人々に支えられて来られたことに対する感謝の気持ちは文面では語り尽くせない。特にドクターは、当家の前を仕事で通っただけでもよって下さる。「前を通ったから、脈拍と血圧だけでも見ていきましょうね」と言って下さる。頭の下がる思いである。

クラッシック音楽を聴くことは全く無くなった。2階で聴いていると下からの母の声が聞こえないからである。しかし、CDは買ってしまう。聴けないCDでも手元に届けばうれしいものである。
ドイツ・グラモフォン111周年記念コレクターズ・エディション 1と2 全111枚。







2013/06/18 10:58:28|母の為の ページ
母 運動会に参加
母の体内時計は一日が36時間。よって私の24時間の生活とはだいぶ違っている。私は3日で10時間の睡眠が続くが、幸いに4日目には体内時計の周波が合い、しっかり6時間は眠れる。しかし、万年寝不足は続く。

母の生活のリズムを立て直す為に、デイサービスに行くこととした。送迎はもちろん私自身がしなければならないが、なれてきたら専門家に頼むこととする。
デイに行くとその日はショートスティとデイの合同運動会とのこと。イヤー参った。 又今晩母のテンションは最高潮になってしまうのではと危惧したが、ままよ。 参加させてみることにした。

母は寝不足気味だが、笑顔も見られて満足した感じ。

16時に家に送って、すぐに会社に戻ると妻からの電話。母が椅子から落ちたとのこと。すぐに自宅にとんぼ返り。幸い打撲はなく椅子に座り直すとお腹がすいたとのこと。いつもより1時間早い夕食。そして食事が終わるとうとうと始まる。ベットに移動するとすぐに寝息を立てた。
しめた、これで私も今夜はゆっくりと眠れるなと思いきや、深夜の1時にお目覚めで、学校に行く(デイ)と言い出す。「ピー、パジャマを脱いで、ピー服を着る」 ピーの意味がわからなかったが、運動会でピストルの代わりに笛を使ってのよーいドンの事だった。 ほほえましくかわいい母である。
まだまだ深夜。「真夜中に起きるのは泥棒さんだけですよ」と言うと、母は大いに笑うが、またすぐにピー服を着ると言い出す。

学校は午前10時からですよと説明すると「10時頃学校に行くようでは、弁当を食べに行くようなものだ、このままでは、進級はおろか、落第、退学になってしまう」となぜか聞いてる私は一人漫才を楽しむ。

しかし、明け方にはうつらうつらし始めたので、私は眠たいままで本日出社。でも母が幾分なりとも元気になれば、それだけで充分報われます。

看護師のYさん、細やかに母の面倒を見ていただき本当に有り難うございます。