アルボス 樹

運動音痴がはじめて出会ったゴルフの楽しさ。 そして幾分なりとも落ち着いて音楽を聴く 環境が出来、良き師匠にも出会うことが出来ました。
 
2013/09/19 6:53:52|母の為の ページ
母 血圧下がる 
3日間連続でデイサービスに行った反動が出た。16日の夜は排泄頻回。20〜30分おきに排泄で、本人もかなり苦痛だったことだろう。私は横になると眠くなるのであえて椅子で一夜を過ごす。
17日は学校(デイ)の日だが、朝食後一気に血圧が下がりだした。
上で80しかない。低気圧が過ぎ去った後が一番体調に変化をもたらす。しかし、学校には行きたいというので、送迎の方に良くお願いして家を出た。 午前中はやはり低血圧だったようだが、昼食後から大分良くなった。午後は民謡の会である。

夕刻自宅に戻ると、顔色は良い。血圧も上で100まで回復した。
食事は7割。しかし「NHKの歌謡番組」と「なんでも鑑定団」を見て就寝。

深夜1時すぎ 突然母は『木曾節』を歌い出した。合いの手も自分で歌う。しかし合いの手は『木曾節』ではない。 かわいい声で、ボーイソプラノの様な声である。そっと顔を見るが目はつむっている。又この滑舌の良さは起きているときの発音ではない。夢の中で良く歌えるものだ。何とか動画に残したい程だ。

しかし、事件はその後、午前3時に起きた。 なぜか母がもそもそしている。 排泄ですかと訊ねると違うと答える。
そして 真剣な顔で、ぽつりと「子どもが出来たみたいだ」と(@_@) ! ! !・・・・・・・・
そして、更に真剣な顔で 「でも、私の近くには男はいないし、男と言えばお前だけだし」 (*_*)! ! !・・・・
お母さん薄気味悪いこと言わないで下さいよ、私たちは親子ですよ。と言うと 当たり前だと逆に叱責される始末。
さらに 「男がいなくても子どもは出来るものかい」と聴いてくるので、そう マリア様は男がいなくても子どもが出来たと言いますね。と答える。何か酸っぱいものでも食べたいのですか。と訊ねると いらないの返事。ではつわりでもあったのですかと訊ねると、私は3人子どもを産んだが、つわりと言う物は経験がないと回答。

そこで、仕方なく 明日の朝、ガスでもでればすっきりしますよ と答えると。なぜか本人はそれで充分納得した様子で又眠りについた。

全くばかばかしい話だが、なぜか真剣に訊ねる母を見ているといとおしさがこみ上げてくる。

もちろん今朝 母は全てを忘れている。

で 仕事が終わりまして、母の夕食の食事介助の時 今朝の話をしますと母は大いに笑いに笑って 他人事。 そして 夢というものは不思議だねと申しまして 本当ならば世界のニュースになるだろうねと。 

いえ 夢ではないのですが まあいいか 本日も チョン・チョン。








2013/09/16 11:37:00|母の為の ページ
母 100歳式典 その3

昨日 東京都都知事 猪瀬 直樹氏より母の元に100歳の祝状と江戸切り子の花器が届いた。花器は母が希望していた物であり大変美しい物でした。 写真 2
いつもパジャマ姿で失礼いたします。それと背のはんてんは母の正式ユニホームとお考え下さい。

又 内閣総理大臣 安倍晋三氏より同じく祝状と銀杯が届けられました。銀杯には寿の文字が入っており、母は大いに満足しておりました。 写真 3 その割には目線はテレビですね。

木曜日のデイ、金曜日の敬老会、土曜日のデイと3日間連続の活動でしたのでだいぶ疲れたのではないかと危惧いたしましたが。本人は至って元気です。 しかし、反動がちょっと怖いですがね。

明日は市民ホールでの敬老の式典。最前列に母と私の席をご用意いただきました。地下駐車場もしっかり確保しましたので台風でも安心して出席が出来ます。 まあ売れない役者並みの忙しさです。

今年の100歳以上の方は全国で五万三千人おられるとのこと。日本の総人口壱億弐千五百万人としますと、約2,350人にお一人は100歳以上という計算になります。
しかし、在宅で子どもと一緒に生活しておられる方は何人おられるのでしょうか。昔は2世帯、3世帯で住むことが当然でしたので、介護も当然と言えば当然のように自宅で行っておりましたが、現在は大変難しい時代になったように感じます。

追記
市民ホールでの敬老の集いは台風のため中止となりました。まあ当然でしょうが。
私は早朝から会社に詰めて職員の出社や建物の被害、又御利用者様の安否等の確認をしております。不動産部の管理課の時にだいぶ鍛えておりますので、手抜かりはないと思うのですがかなり大型の台風ですので油断は禁物です。








2013/09/14 7:21:43|母の為の ページ
母 100歳式典 その2

本日は 母の通う学校(デイサービス)で敬老会が御座いました。ご参加は48名でしたが、全職員総出で前日から準備を致しました。
祝い膳のお食事も食べきれないほどのお料理で御座いました。

その後、ボランティアさんの腹話術。ひょっとこ踊りなどのお披露目があり、母も手拍子で楽しんでおりました。

次に、米寿、卒寿、百賀の6名の方の祝状の授与式が御座いまして・・・・・・・

私 施設長がお一人、お一人にお祝いの言葉と共に祝状をお渡しするのですが、最後が私の母。

不覚にも母の前に立ちますと、声は出ず、涙が出てしまいました。万感胸に迫るとはこのようなことを言うのでしょうか。
そっと母の足をさすり、目を合わせて喜びを分かち合いました。職員の拍手でその場が救われました。 有り難う。

思えば4月19日から2度の入退院をし、一時はスプーン1杯の水さえ飲むことができず、覚悟を迫られた時もございました。毎日、毎日食事介助に病院に行き、全身を拘束された母を見ることの子としてのつらさを乗り越え退院させることができました。その後も70時間以上眠られぬ日々が何度かございましたが、9月10日を迎えることができ母は満100歳になりました。母の生きようとする生命力は驚異であり、今では手引きで数メートル歩くこともできるようになりましたし、一昨夜はエビフライを1匹入れ歯無しで食べておりました。

ご参加賜りました皆様 どうぞ、お健やかに益々長寿であられますことを心より・心より御祈念申し上げます。

家に戻りまして母と今日の行事の話をしますと、ボランティアさんや食事のことは覚えておりましたが、私からの表彰状授与は覚えていないとのこと。
ハレー ホレー ハー。
最も互いに照れがあるので、その真実はどちらでも良いのですがね。

久しぶりに母もビールを飲んで、爆睡でした。

追記 写真 4 の母の隣に居る介護職員は国家資格等を十数件お持ちの、真に私の右腕となってくださっている方のお一人で、私の自宅まで来て母の介護指導をして下さいました。 Eさんいつも有り難う。







ブルックナー から マーラー へ

本日は休み。母は学校(デイサービス)へ登校。

ヤング・シモーネのブルックナー交響曲第3番を聴く。写真 1
女史はブルックナーの交響曲を6曲レコーディングしているが、残すは0番と8番となった。車にもカラヤン、インバル、ヴァントのブルックナーCDを何枚か積んでおり、このところブルックナー漬け。

ブルックナーの後はいよいよマーラーを本格的に聴こうと思ってはいるのですが、なぜかいつも挫折する。
今まで、ショルティー、カラヤン、テンシュテット、ワルター、バーンスタイン、レイバン、メーター、小澤征爾、オットークレンペラー等々と指揮者を変えて聴いてきたが、マーラーは私には難しすぎる。かろうじてコンサートホールで聴いた事もある小林研一郎の交響曲5番ぐらい。

そこで今回は、耳慣れたシモーネ・ヤング女史の御出座とあいなり、交響曲第2番 『復活』から聴くことにいたしました。写真 3

そして、次は ケント・ナガノの交響曲第3番です。 写真 2
これは長い100分もの作品。手の届くところに、飲み物をおいて おっと その前にトイレに行かねば・・・・

何とか2枚聴くことができれば、次は同じくヤング女史の ワーグナー 『ラインの黄金』全曲にと思いますが、たぶん今日もワーグナーは確実に頓挫するでしょう。写真 4

 
さて、ブルックナーに話を戻しますが、ブルックナーの交響曲のアダージョはどの曲も大変美しく、5番以降が特に優れた作品と感じますが、私は7番の第2楽章 の Adagio が一番いいですね。明るく、伸びやかです。

では、CDを聴きますので。

夕刻のご報告。 
やはりマーラーの『復活』まで、ワーグナーの『ラインの黄金』はやはり途中で頓挫。しかし、ケント・ナガノのマーラー交響曲第3番は良かったです。

 







2013/09/07 6:44:30|母の為の ページ
母 100歳式典 その1

本日 市より高齢福祉課の方が、母の100歳のお祝いに来てくださいました。 昨年99歳の折は市長さんはじめ5人もの方がおいで下さったのですが、狭い家ですし、大人が5人も来られますと母も若干興奮気味になりますので、本日は福祉課の方、男女1名がおいで下さいました。

早速 記念写真を撮りました。 パジャマで失礼いたします。 おっと 名字はペイントで消させていただきました。

母は感極まって、涙を流しながら、「こんな年になって、皆様のお役に立つことの何一つできませんのに、有り難うございます」と言って手を合わせておりました。

9月10日が誕生日。

9月13日はディサービスでの敬老会。もちろん最年長です。

そして9月16日 敬老の日には市民ホールにてお祝いの式典。その後鳥羽一郎さんの歌などを楽しむ予定です。

しかし、一世紀生きると言うことは凄い事ですね。