母が2013年4月19日に突然体調を崩したが、同年9月10日満100歳を迎えることができた。そしてあの日から11カ月が過ぎた。今、母の生きる気迫は大地に突き刺した点滴の針から1滴・1滴と母の精気が自然に帰るように衰えていく。
母はもう立位を保つことはできない。ベットの上で横臥しているか車いすの生活である。 私は介護で眠いとか、腰が痛い等と言っていられる次元ではない。 時間は完全に限られつつある。
訪問医療の医師から臨終時に際しての対応に関して話をしておきたいので時間を割いて欲しいとの伝言があった。訪問介護とケアマネから緊急時の対処に関してどのようにしたらよいのかの問い合わせもあった。
私は情けない話だが、結論が見いだせない。 最後の段階で救急車を呼んでも、搬送される病院は想像がつく。人工蘇生等や心臓マッサージをしても、ただ何時間か生きながられるだけで本人の苦しみを考えれば自然体が一番ではないかとも考える。 祖母のように死なせてあげられれば一番良いのだが。 【祖母は農作業から帰ってきて、あーあ疲れたと言って囲炉裏のそばにごろりなり、そのまま三日三晩昏睡を経て亡くなったと聴いている。全く下の世話もなかったと母は話している。】
頭で考えている事と現実的事象が起こった時とでは、判断は全く違ってくることは確かである。事柄が大きければ大きいほどとっさの判断の正しさを重んじたいと感じる。
覚悟などはもうとう無い。無い覚悟を結果として作り得ることは、現在置かれたおのが立場の介護に邁進するだけである。覚悟は無いが後悔も無いようにしなければならない。
我が心 砂にあらねど こぼれおつ 白きしじまに 嘆きをおぼえず。 21歳の作
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