アルボス 樹

運動音痴がはじめて出会ったゴルフの楽しさ。 そして幾分なりとも落ち着いて音楽を聴く 環境が出来、良き師匠にも出会うことが出来ました。
 
2016/10/01 17:10:00|レクイエムに魅せられて
私馬鹿よねー お馬鹿さんよねー
私馬鹿よねー お馬鹿さんよねー

過日のブログで、師匠がお送りくださったカンチェリのCDに『キアロスクーロ』がジャケットだけで中身がないと記述しましたが、これは全くの私の心得違いでして・・・ そもそもギア・カンチェリなどという作曲家は私は全く知りませんでした。師匠が『キアロスクーロ』を聴いてみてはいかがですかとご指導いただき初めてカンチェリを知ったわけです。そして、感銘を受けてさらにご指導を頂いたわけです。本当に私最近ぼけてきているのか・・・・ (-_-;)

で今夜は・
Abii Ne Videremを聴くことと致しました。
01. Morning Prayers
02. Abii Ne Viderem
03. Evening Prayers
3番は
ザ・ヒリヤード・アンサンブル, シュトゥットガルト室内管弦楽団 & デニス・ラッセル・デイヴィスの構成です。

はてさて、表題になっている『Abii Ne Viderem 』とは何でしょう。もしVideremが カンチェリの国の言葉で、英語のVidemならば 1と3で想像はつくのですが、何せ語学は0点。

Morning Prayers
黎明の夜明けは鳥の添えずりさえも無く、遠くで鐘の音が鳴り響くが、朝霧に音色は鈍くこだまする。やがて光は窓辺に差し入りさわやかな日の光が一日の始まりを告げる。光は希望を予感させつつしやかな祈りを告げる。
と 突然暗雲が絶ちこめ朝の祈りは閉ざされるが、やがて光は輝きを取り戻し予感は確信に変わる。
不安の中に鼓動は高鳴り安らぎとの交叉はピアノのしなやかな演奏によりやがて希望の発露は敬虔な祈りへと続く。

 Abii Ne Viderem
突然の怒りと緊縛感は徐々に高まるが、やがてピアノとビオラが穏やかさを回復する。静寂と不穏が混とんとするが、清濁は交叉しあいながら夕日は山間に沈み始める。
町に小さな灯が灯るころ不安は何かを訴え始まる。知りえぬ存在へおののきは聖なるものと邪気なるものとの対立を鮮明化させていく。
やがて不穏は希望へと向かい宇宙への存在意義へと主題は変化する。

Evening Prayers
暗黒の夜はすべてを無の世界へといざない、 ヒリヤードが宇宙の果ての生命の存在を予感するように問いかけると、闇は漆黒の世界にさらに変貌する。70億光年の宇宙にあの 2001年宇宙の旅 の巨大な石碑が遠くに見え始まる。
そこはすでに 亜空間であり三次元すら確信は得られない。
ヒリヤードの歌はやがて宇宙を回周し地上へと戻り、敬虔な祈りは最大の賛美を持って静かに消え入る。

            

でも カンチェリはたぶん無神論者でしょう。実存主義者・・・・・・ ム・・・・・
今夜も難しい。  閉店。


 

 







2016/09/30 20:40:57|レクイエムに魅せられて
Lament
lamentとは (・・・を)嘆き悲しむ、哀悼する 悔いる 悔やむ という意味だが・・・・
心してギア・カンチェリの『lament』哀悼の曲を聴いてみました。
カンチェリ節には色がない感が致します。『悲しき国の色』を聴きましても、実は色は感じられませんでした。あえて色を当てはめれば艶のある黒に限りなく近いシルバーと・・・ む・・違うな・・・ とにかくロマン派のような色は全く感じ取れません。
副題 ルイジ・ノーノの思い出に〜ヴァイオリン,ソプラノとオーケストラのための曲 と期されておりますが、ルイジ・ノーノはイタリアの作曲家でして、ノーノはイタリア共産党に入党した共産主義者とのこと。彼の前衛音楽もまた、有産階級文化への反発手段となったそうです。

Lament
ピチカットが静か奏でられ霞に光が届くと、美しい曲調は続くかのように、しかし緊迫した暗示がテーゼとして現れる。美と不安がリフレインし、次第に深淵の世界に落ち込んでいく。時にソプラノが優しくあがらうがさらに深く沈殿していく。闇は限界まで音を排除し、何かを予兆させる。
そして、静けさと美しさは耳を傾けなければ聞き取れないほどの闇に包まれる。突然緊縛感におそわれる、がやがて静けさは回復される。

まゆ糸のような音が響きやがて不協和音に展開して不安は一気に増すが、ソプラノが彼岸の歌を歌う始める。彼岸はどこに・・彼岸はどこに・・・。
闇はなく・ 黎明も存在しない 現世にあって希望と希求がむなしく交差する。
やがて現実の世界が現れ。荒涼とした世界を受け入れざるを得ない。

ソプラノが彼岸を希求し、彼岸の天空は一条の光が道を示すが、突然として暗雲が立ちこめ世界を覆う。
もうソプラノの彼岸を求める歌声もすべては Lament に終始する。
新世界の存在は否定された調べに代わり不協和音が台頭する。すべては拒否され不安は一層助長するが、求めてやまない岸会のソプラノが済世の願いを歌い静かに曲はとどまる。

あああああ・・・・・ むんずかしい・・・・ の心だ。


 







2016/09/29 20:35:57|レクイエムに魅せられて
カンチェリの孤独感
ギア・カンチエリを聴く。
カンチェリの曲を4作品聴き、今日は『悲しき国の色』を聴く。
『驚愕・不安・安らぎ』 『驚愕・不安・安らぎ』 『驚愕・不安・安らぎ』 カンチェリ節は
訴え続ける。
それは俗世の世界を陵駕している。いやカンチエリは世俗にあってはじめて表現できる世界観なのかもしれない。
この不安、絶望をひたすら音符の中に開花させる。

戦後に生まれ育った私には、太平の世の極楽とんぼ。

コスモポリタン この言葉がどれほどむなしい響きか、彼は知っている。極楽とんぼは理想は夢見るが、そこに行動はともはない。初老を迎えた私には常にテーゼの世界にと止まる。

それこそが一人の人間を、いやおしなべて 『悲しき国の色』のテーゼなのではないだろうか。

カンチェリを理解することは、とりもなおさず己を理解することなのかもしれない。

私にとってカンチェリという作曲家のテーゼを理解するには課題が重い。

すでにクラッシック音楽は、嘆美な世界でも優雅な世界でもない。

カント、ヘーゲル、ニーチェはペルトもそしてカンチェルも聴くことができない。

今宵も む・・・・・む・・・・・・・

 







風のあとに
ギア・カンチェリ 
1 真夏の祈り   Life Without Christmas: Midday Prayers 
2 風のあとに   Caris Mere
3 夜の祈り    Life Without Christmas: Night Prayers   

『真夏の祈り』
アンニュイな午睡。遠くでパトカーのサイレンが鳴っている。これはCDからの音ではない。オットマンチェアーにだらしなく座り、うとうとと怠惰な眠りに落ちていく。
突然、巨大閃光が私のまぶたの裏に光り、一瞬我に返るが、又 睡魔がおそってくる。
あの光は何だったのだろうか。しかし、静かな風に促されるように又眠りに誘われる。
突然警報が鳴り響く、警報は幾たびも繰り返され、やはりあの閃光は何かあったに違いない。しかし、欲望の睡魔は又私を眠りに誘う。
虚無な世界が果てしなく続き 又 私は何事もなかったかのように眠りに落ちていく。
あの光は何だったのだろうか あの警報は何だったのだろうか
そんな感じの曲でした。

『風のあとに』は7分ほどの小品。

『夜の祈り』
茫漠とした寂寥感。それは荒廃した町並みでもなく、生物を拒否する砂漠でもなく、果てなる宇宙でもない。この寂寥感は・・・問い詰めても答えのない寂寥。それは紛れもなく私の心の底辺に存在する。そして許しを得られる余地さえもない。
しかし、最後の数小節の緊張感は何なのだろうか。毛穴が総立ちし、えもいわれぬ汗が噴き出す。血圧は一気に上昇し幻影にもにた黒い闇の世界が広がる。
かって人間が知り得ぬほどの緊張はやがて静かな祈りの中に穏やかさを取り戻す。しかし・・・・ しかし・・・・

む・・・・・・ 難しい。
 







2016/09/28 10:47:02|レクイエムに魅せられて
風は泣いている

Mourned By The Wind (Vom Winde beweint)
『風は泣いている』

私の師匠がカンチェリのCDを11枚もお送り下さり、(なぜかキアロスクーロはジャケットだけでした(?_?) 師匠すいません) 情緒的な私は表題に惹かれて彼の代表作として知られる『風は泣いている』を聴きました。

どーん と ピアノが鳴って・・・ おやCDプレイャーの故障かなと思わせるほどの空白があり静かに静かに演奏が始まります。
頭の中では、我が教祖様 ペルトの作品と比較している自分がおります。

「葉隠れ」のようなストイック感と寂寥感に包まれたこの曲の神秘性はベルト様とは一線を画しています。
彼がグルジァ生まれであり、政権が不安定な時代に生きるとき、彼の真の安住はこの曲に秘められた思いなのでしょうか。

実このCDはAlfred Schnittke (シュニトケ)の作品ヴィオラ演奏とのカップリングですが、構成としては大変良い組み合わせだと感じました。
一瞬で1時間は過ぎてしまいました。

では 次は『風のあとに』を聴く ココロダー。