アルボス 樹

運動音痴がはじめて出会ったゴルフの楽しさ。 そして幾分なりとも落ち着いて音楽を聴く 環境が出来、良き師匠にも出会うことが出来ました。
 
2018/05/11 12:00:00|ゴルフ 武者修行
BB ?
BBとは BB弾(花火? おもちゃのピストルの弾?) いえ違います
BB まさか ブリジット・バルドー いえ違います。

今年も羽村市社会福祉協議会のゴルフコンペがございまして、2回目の参加となりました。あいにくの雨模様で気温もいきなり10度ほど下がりまして、3月中旬の寒さ。

スタートホールから全く良いところがありません。正直メタメタ。前々日練習にまいりましたとき、スイングでひらめきを感じまして、これならいけると思ったのが大間違い。
全くクラブを振り切れず、結果はボロボロ。

約200名参加で、3コースに分かれてのラウンド。私どものコースはキャディーさんが付かないコースでしたのでどちらかと申せば上手な方がお集まりの様でしたが、雨と寒さは同条件ですので、悪条件になればなるほど実力の差は歴然。

で終わってみれば 私は同コースでの BB賞(ブービー賞)。前回は200名中60位でしたが、今回はひどすぎ。もうゴルフはやめようかと思えるほどのスコアでした。
でもBB賞は頂くことができました。

家に帰って賞品を開けてみますと、 なんと CASIOさんの Gショック対応腕時計
16,200円。タイトリストボール1ダース。ちかくのゴルフショップのプリぺードカード5,000円分。CASIOさんは同市の高額納税法人さんで今回も協賛を頂いておりました。
多分3位の方よりも良い賞品ではと思われます。

嬉しいやら・悲しいやら・・・・・・ しかし飛び賞でもBB賞でも何か頂いてくる運の良さだけは温存したい・・・・・

御一緒に回りました方は グロスで7位。スゴ  そしてA女子はなんとニアピン賞総取り。これまたすごい。

それにしても時計は若者向き・・・・・ 疲れたゴルフコンペでした。







2018/05/05 9:19:17|母の為の ページ
静かに過ごす 5月
ゴールデンウィーク 5月は正に日本人移動月。 各幹線道路は今年も大渋滞。

しかし、私にとっては、5月3日は 在職中の兄弟会社の社長が亡くなられて3回忌。
同年生まれでしたが、早生まれの彼は私を本当にかわいがって下さいまして、決して他の社員には言わない『○○チャン』と呼んで下さいました。弟のように思っていて下さったのでしょうか。私も会社では『社長』と呼んでいましたが、一端会社を離れますと『○○さん』とお呼びしておりました。
彼が存命であれば、会社ももう少し変わっていたのかも知れませんし、私も役員としてがんばっていられたのかも知れません。

そして 5月6日は母の命日です。 道路が混み合います5月を避けて、4月末に墓参りに郷里な帰りました。既に生まれ育った家もなく墓の前では『吾亦紅』の歌詞をふと思い出しました。
学生時代の友人と一杯やりまして、翌日帰宅となりました。

5月8日はケ麗君〈デン・リージュン) テレサ・テンさんの命日です。 
母や社長に思いを馳せて、中国語で歌う「淡淡幽情」を久しぶりに聞きました。
 歌は2分20秒からです。







2018/04/17 8:21:18|のんびり行こうぜ
銭湯の夢
昨夜 共同風呂(銭湯)の夢を見ました。
 
そういえば最後に銭湯に入ったのは、瀬戸大橋が開通した年ですからちょうど30年前です。仕事が終わり夜行列車で瀬戸大橋を渡る旅行に出かける前、会社の近くの銭湯に入ったのが最後です。
 
子供の頃は何度か銭湯にまいりました。家には風呂があり当時はもらい湯と言ってご近所の方が当家の風呂にこられることもしばしばでしたが、多分風呂釜の修理の時に銭湯を利用したと記憶しております。

その当時は大変おおらかな時代でしたので、女湯の方から『お父さん出ますよ』と声がかかると『おう』と行ってご主人が風呂から上がると、番台の前の扉が開き子供さんが女湯の方から駆け込んでまいります。きっと奥様はこれからゆっくりとお風呂に入られるのでしょう。女湯の方から石けんが飛んでくる事もございました。正に「夕陽丘三丁目」や「サザエさん」の時代です。

幼少の記憶ですが私は体も小さくひ弱でしたので、小学生には見られず、母と一緒に女湯に幼児として入ったこともございました。(当然風呂代も幼児扱い、そういえばバスも電車も・・・(^^;) )

又、風呂屋の前には威勢の良い魚屋があり、良く母親に100円玉??を渡されて鯨の肉を買いに行ったものです。10センチ角の鯨肉をひげ皮に包み、新聞紙2枚ほどでくるんでくれるのですが、家に着く頃には、新聞紙から血がしみてまいります。
学校給食でも良く鯨肉は出ておりました。竜田揚げが多かった様に記憶しています。
 
で、昨日の銭湯の夢の話ですが、兄が風呂から上がり風呂場には私くし一人だけです。檜の風呂と言うより、醤油製造樽の様な大きな丸い風呂。湯はなぜか茶褐色に濁っておりました。威勢良くザブンと入りますと、底がない・・・身長の倍ほど沈みましたが目を開けてみると紅茶色した水面には照明が見え、足が岩につきましたのでボンと蹴りますと、なんと足首が岩に挟まってしまいました。あわてず足を抜こうとすると、これが抜けない。
やばいと思って焦ります・・・息が苦しい・・・・これはまずい・・・・・・ 
 
目が覚めました。タオルケットが首に巻き付いておりました。 お粗末。
 
写真はヤコブの洞窟です。 夢のイメージです。

 







2018/04/05 11:12:00|のんびり行こうぜ
ドライブレコーダー
ドライブレコーダー 約して 『ドラレコ』 を取り付けました。
 
過日、片側一車線の住宅・商業地を運転しておりますと、突然左前方の交差点から猛スピードの小学生が自転車で右折してまいりました。狭い道路ですし、7,80メーター毎に交差点がありますのでもちろん私は30キロ以下の走行でした。
とっさに車を止めましたが、自転車は私の左側を通り抜けて・・・・車の後部でガシャーンという音。車から降りてみますと。自転車と小学生が互いに絡み合った状態で倒れております。
「大丈夫かい、起き上がらずにじっとしていなさい」と声を掛け、救急車と警察に電話を致しました。
鍼灸医院の方や美容室の方々も表に飛び出してまいりまして、「○○さんの○○ちゃんだ」などと声も聞こえます。
パトカーは来る、救急車は来る。ご近所さんは私を小学生をはねてしまった犯人のような目で見るは・・・・「違うでしょう、私は止まっていましたし、急に角から飛び出してきたのは小学生ですよ」と説明をしたかったのですが・・
 
私は警察の方に事情を話し、私の車には擦過痕の無いことも説明いたしました。
 
原因は写真のような「路側式」の標識の根本に自転車を乗り上げ自分で転んでしまったのです。(写真は説明のためであり、事故のあった場所とは関係ありません)私は無視して通り過ぎることもできましたが、それでは後々当て逃げだとも言われかねません。結局警察の方も「自爆」との判断。
 
そこに知らせを受けた○○ちゃんのお母様がまいりまして、興奮気味に私の氏名・住所・電話番号を教えろと迫ってまいります。なぜですかとたずねますと、保険を使うとのことでした。「もちろん私に過失があれば自賠責保険をご請求されることは当然でしょうが、私は善意で警察や救急車を呼んだので、氏名などはお教えいたしません」ときっぱり断りました。「もし、警察の判断で私に過失割合があるのであれば、免許書も提示しておりますから、警察からお尋ね下さい」と申し上げますと、それでも興奮は収まらない。
 
しかし、お母さんは警察官に声をかけられ悪いのはお子様で、(子供からも事情を聞いたのでしょう)運転をしていた方は親切で電話をしてくれたのです。との説明があり「興奮してしまったのですいませんでした」とお詫びの言葉がありました。私も「もし頭を打っているといけないので、CTなどを撮っていただいて下さいね」と言葉をかけ帰路につきました。
 
車を乗り始めて50年、一度も人身・対物事故を起こしたことはありませんが、正直どきどき致しました。よって、ドライブレコーダーの設置となりました。

設置いたしますと、自分の運転も更に慎重になりますので良かったとと思います。
しかし、ディラーさんの推奨ドラレコは高い。 まあ、設置も設定も面倒だからしかたないか・・・・・・・。







2018/03/23 17:05:07|レクイエムに魅せられて
3時間が パー
サヴァール編さんのCD『忘れられた王国〜アルビジョワ十字軍/カタリ派の悲劇』を聴きまして、アルビジョワ十字軍とは・・ と思いめぐらし色々と調べてみました。
そしてブログに書き込むこと3時間。 あ・・やってしまった。キーボードの押し間違えですべて記述が消えてしまいました。
最近よくやるんですよ。で だいたいはブログは頓挫。
よって原稿はワードで作り後にブログに貼り付けることに致しました。
 
もう一度調べ直すのもちょっときついので記憶だけでも・・・・
一般的には十字軍とは基本的にはキリスト教カソリック派がエルサレムをイスラム教から奪還すべく9回にわたり派遣された軍隊です。
その歴史は今でも続き、硝煙の漂う中多くの殺戮が現実的に行われております。

しかし、アルビジョワ十字軍はフランスの聖職者の腐敗に民衆が立ち上がったカタリ地方にて組織化された民衆(信徒)鎮圧のための組織化された軍隊ですが、その組織はローマ教皇の呼びかけに答えたものです。
キリスト教信者により組織編成された軍隊を十字軍と言うわけです。

この、アルビジョワ十字軍はフランス国内においてカタリ派を排斥することが主眼でしたので、フランス国内とイタリアの一部に派遣されましたが、フランス王朝の代替わりとともに収束していきます。
まあ、記憶はこんな程度・・・・・

写真は南フランスカルカソンヌにおけるカタリ派の追放を描いた絵画(1209年)

サヴァール先生編さんの『忘れられた王国〜アルビジョワ十字軍/カタリ派の悲劇』は3枚のCDで構成されておりますが、
Disc1:カタリ派の出現と全盛/南仏オクシタニアの隆盛(950頃−1204年)全21曲
Disc2:アルビジョワ十字軍/南仏オクシタニアへの侵略(1204−1228年)全17曲
Disc3:カタリ派への迫害、離散と終焉(1229年−1463年)全23曲

それぞれをご紹介することは割愛いたしますが、「敗者の論理」を尊重する私としてはDisc3に魅力を感ずる曲が多数ございました。