冬の雨がつめたく降りしきる今日。
1号は 新しい一歩を踏み出しました。
6年生になってほとんど学校へ行かなくなった1号。
本人の決断を尊重する形で 1号の気持ちに寄り添ってきた
1年間でもありました。
親としては これでいいのか?という疑問と
1号の状態がとてもいいので これでいいんだ。という
気持ちと
そのうち 何か進展があるだろう。というポジティブな感情と
もう このままかもしれない。というネガティブな感情が
行ったり来たり 焦ったり落ち着いたり
認めたり 否定したり
そんな ぐるぐるした気持ちで 1年を過ごしてきました。
ふつうの感情とすれば
6年生だし もう卒業だし
なんとか 学校に行ってくれないかな。って
そちらの方向に戻そうという気持ちが
なかったとはいいきれないけど。
でも。
別に 学校がすべてじゃないし
ほかの選択肢があってもいいんじゃないか。って
思っていたことも事実です。
そうして 季節は過ぎて・・・目の前に卒業をむかえています。
謝恩会で流す映像を 私が編集することになったので
昨日、学校へ行き
集められた写真を見ていて
心が痛くなりました。
1年生 入学式。にここにこ笑っている1号。
遠足。 すっごい笑顔の1号。
2年生 遠足。楽しそうな1号。
集合写真。 ど真ん中で ニコニコ顔。
最初は こんなに楽しく学校にも行けていたのにな。
それが だんだん笑わなくなり しゃべらなくなり
表情がなくなっていったのは
4年生になってからでした。
今思い返せば もっと担任の先生に強く言ってもよかった。
問題が起こるたびに 自分の子供に言い聞かせないで
学校に出て行って
先生と対決すればよかった。
本当に そう思います。
クレーマーだろうが どういわれたって
あの時は 1号を守るべき時だったと
後悔しても仕方ないけど。
ほんとに先生もいろいろ。
その時の先生は 教室のカーテンを閉めて
怪談話をする人で
2号は1・2年の時の担任だったんだけど
怖くて学校に行けなくなったことも何度もありました。
校長室に何度か話には行ったけど
甘かったなって、今になって思います。
本当にこの先生には 1号も2号も
いろんな意味で傷つけられた。
先生は気が付いてなかったと思うけど。
そうして 自分の道を模索し始めて
山村留学の道を選び
親元離れて 遠い鹿児島の地で生活し
そしてわかった発達障害。
本人も いったい自分がなんなのか
どんなことが起こっているのか
どうして人と違うのか
なぜ こうなってしまったのか
本当に苦しかっただろうな、って
そう思いました。
その1号が
今日 一人で 適応教室に自分から登校しました。
迎えに行くと もう来たの?って
後で 自分で帰るから。って
中学生の中に一人混じって
楽しそうにしていました。
帰ってきてから どうだった?と聞くと
あそこの人は大人も子供も
みんな優しい。と。
そうだよね。
強く生きなくてもいいんだ。
ただ やさしくなれれば。
強がって 建前で生きなくてもいいんだよ。
自分に素直に生きていければ。
ほっと胸をなでおろし
ゆっくり歩く 公園の帰り道。
仲良しのちびを(画像のねこ。ちびなのにBig cat!)
撫でながら・・・
自分の生きていく場所で
生きていけばいいんだって
当たり前のことに納得し
(ちび、おまえだってそうだよね)
なんだかシアワセな気持ちになったのでありました。
1号の ひととは違う道のりの上に
神様の特別なご計画と
特別な祝福を祈りつつ・・・