『おりいぶのあ』のたね

4人の子育てと猫育て?ドタバタの日常から生み出される作品は ネットショップで販売中♪ 発達障害という 面白い世界をただ今観察、研究中( ̄▽ ̄)
 
CATEGORY:暮らし

2014/11/14 23:07:02|暮らし
新しい家族
お久しぶりの投稿になりました!
最近、フェイスブックばっかりで ブログを書いてなかったことを反省。。

ご心配おかけしましたが、赤ちゃん無事に産まれました!

もう9ヶ月に入り 元気につたい歩き、ハイハイしています!

あの日、家族みんなに見守られながら
しあわせなお産を想像していた私。。
なんと、赤ん坊は 自宅で産まれてきました!
やっぱりうちの子!

無事に産まれ その後、おおごとにならなかったから
今は笑い話で済んでいますが…
ほんとうによくきてくれたね…ムスコよ…!!

というわけで めでたく夢だった
2人のムスコと 2人のムスメのかあちゃんになれたのでした!

またいつか あの出産劇について
詳しくかけるといいなっ!

本当に1日24時間じゃ足りやしない。
もう1年近く寝不足だ!
それなのに…
ハンドメイド …製作 再開していますっ!!!!

老体にムチ打って!
あれ?
正しい日本語は
老体にムチ打つとは 言わなかったような…

まっいっか。






2014/01/19 13:45:00|暮らし
産まれてくるイノチ 産まれてこないイノチ
もともと張りやすかったお腹が下がってきても
あまり不安に思っていなかった私。

命は どうしようもないもの。
与えられるとき
取られるときは
神さまの手の中にある。と思っていた私。

それは間違いではないけれど
浅はかだったな。
そう最近 知りました。

切迫早産になり 完全安静を言い渡されてから
もうすぐ2週間。
薬を飲みながら 時々来る痛みに耐えて
祈るように 横になっている毎日。

最初は 早産の心配をしていた私。
安定期に入り 臨月を間近に控えたら
当たり前のように 命は生まれてくるのだと
なんとなく思っていました。

この前のブログでも
産まれてくることを前提に書いている自分がいて
初めて そのことがどんなに傲慢で
なんていうか 自分の浅はかさに気付かされたんだよね。

今の健診は ちょっと前と違って
いろんなことがわかるんだ。
それでも 前の病院ではあまり詳しく説明はなかったし
以前のお産について いろいろ聞かれることもなかった。

でも 転院して
助産院や提携先の病院では
今の状態よりも 以前のお産の話を詳しく聞かれた。
そして それをもとに 診察がなされた。

1号の時は 陣痛が来てからもなかなかお産が進まず
痛みで意識を失いそうになってから12時間も
1~3分おきの陣痛に苦しんだ。
途中で 1号の心音が途絶えてしまい
スタッフが大慌てで 動き回るのを
ぼんやり見て ああ、早く終わらないかな、って

気が付いたら 助産婦さんが3人私のおなかにのって
1号を押し出して なにがなんだかわからない状態のまま
はっきり言って 感動とはかけ離れたお産だった。
いままで 笑い話のように語ってきた1号の出産話だが
今回、私と同じような状況になって
赤ちゃんを亡くされた方々が たくさんいたことを知る。


1号の時も 2号の時も
へその緒が 平均より長いと言われたが
1号のお産の時は 何が起こっていたのか
説明もなかったし 私も質問すらできない知識しかなかった。
2号の時は 隣の分娩台の方が 
たいへんなお産だったようで
私は一人、分娩台にあがったまま
NSTもつける暇がなく
お産がすすんでしまい

「すいませーん、もう頭がでてきまーす」って
叫びながら 不安と戦った。
結局、生まれてくるのにお医者さんは間に合わず
私と 一人の助産婦さんだけでお産をした。

2号はすぐに泣かず心配する私をよそに
向こう側に連れて行かれてしまった。

その時も 詳しい話はなく
へその緒が巻き付いていたと聞いただけだった。

生きて産まれてくるという事は
本当に 奇跡なんだな。

今の医療は進んで 小さな赤ちゃんでも助かる確率は
上がっている。
だから大丈夫。

世の中は そうみているだろうか。

私も その一人であったことは 否めない。

でも 救える数は増えていても
出産を目前に控えて 赤ちゃんが死亡してしまう件数は
ここ30年ほど ほとんど変わっていない。

そうなんだ。

初めて私は知ることになった。

特に臍帯捻転という いわば不慮の事故と同じようなことが
お腹の中で起こってしまうということも
初めて知ったことだった。
それは
私のように へその緒がながくて
特に活発に動く赤ちゃんの時に
突然 起きてしまう事があるらしく
本当はねじれることのない へその緒が
何らかの理由できつくねじれたり
結ばったりして
赤ちゃんに突然 酸素がいかなくなってしまう。
防ぐこともできないし 
起きてしまったからと言って
なすすべもないのだという。

お腹の中で亡くなってしまった赤ちゃんを生み出すために
人工的に 陣痛を起こす。
陣痛は 生きている赤ちゃんに会えるからこそ
耐えられるもののような気がする。
産声を聞けないのに わが子を生み出さねばならない
母たちがいることを 私は忘れていはいけないと思った。

・・・「誕生死」・・・そうなんだ・・・

そして それは誰にでも起こり得る事で
命ある子供を産めることが 本当に奇跡であること
命はやはり神の手の中にあって
子どもというのは 神さまからの預かりものだということ
本当に ココロにしみこんだ。

望まない妊娠をして 学校のトイレで
赤ちゃんを産み落とす女学生がいる一方で
長い不妊治療の末 やっと授かったわが子を
出産直前で亡くしてしまう母もいる。

この現実はなんなんだろう。

私は 甘い。

発達障害が どうのこうのと言ってる場合ではない。

前回 検査でみてくださった先生が3号出産の話を聞いて
憤慨された。(苦笑;)
それはいけないことだ、と。

私は 3号は早産だったけど
元気に生まれてきたし 今も大きく育っているから
別に早産って なんてことなかったな、って思っていた。

そこに 喝!をくらった。

なんで前回 そのようなお産だったのに
今回 もっと気を付けなかったのか、と。

私は十分気を付けたつもりだった。
横になった時間も多かったし
つわりが長かったことを除けば
順調に来ていたと思っていた。

知らないって 恐ろしいことだ。

しばらく弱かった胎動がおとといくらいから
また戻ってきた。
臨月近くなると 胎動は減るもんだ、と
最初はあまり気にしていなかった私だが
近頃は何かが違う、と 本能が叫んでいた。

トイレとお風呂、食事以外は座ることも許されていない。
でもそうして寝ていても
数日に一度 強い痛みが来る。
昨日は 痛みの後、2時間以上も胎動がなくて
本当に 今回はダメかと思った。

でも 今日も赤ん坊は生きている。

母親というものは いつも覚悟が必要なんだな。

4人目を与えられたことによって
私はまた 新しい世界を知った。
もし 本当に順調そのものでなんのトラブルも不安も
無かったら
このような事実や 現実を知ることはなかっただろう。

そして 現実のささいな苦しみに振り回されて
子供たちをぞんざいに扱うことがあったかもしれない。

どんな子供であっても 生まれてきてくれたことに
感謝しなければいけない。
そんなことはいままでだってわかっていたが
毎日の子育ての中で
それだけ子供たちに 敬意を表してはいなかった。

そして私の人生に
「必要なことがすべて起こる」ということを
教えてくださった神に 感謝しよう。
小さいころから私の支えになってきた聖書の言葉が
ココロの中に ずしんと響く。

「わたしは 裸で母の胎を出てきた。
 また 裸でかしこに帰ろう。
 主は与え 主は取られる。
 主の御名は ほむべきかな」 
         旧約聖書 ヨブ記1:21








2014/01/06 14:52:00|暮らし
2014 Happy New Year!

新年、明けました!
今日から仕事の人も多いのではないでしょうか??

珍しく年末年始のお休みが1週間あったサイヤ人も
今日から仕事に出かけて行きました。
いつもお休みの時は
ふらっと 放浪の旅(笑)に出かけてしまうサイヤ人も
今年は
私の異常事態に ずっと家にいてくれたのでした(笑)

っていうか 家にいてくれることも初めてなんだけど
本当に優しくいたわってくれて
私ができない分、赤ちゃんを迎えるための
模様替えと荷物の整理を ずっとやってくれていたのでした!
(笑)

作業はなかなか進まなくて
ぐちゃぐちゃのまま お正月を過ごした感じの
年の幕開けとなったのですが
私は とてもありがたかった。
子供たちにとっては つまんないお正月だっただろうけどね!

いよいよ1か月後に出産を控え
デカ腹はますますでかくなり(笑)
人生でもっとも重い私の体・・・
苦しいお腹・・・
本当に体重は戻るんだろうか??という不安?はありますが
その時は 確実に近づいてきています。

今回の出産は 家族全員で迎えるために
助産院で産みたい!という希望があり
なんとか37週過ぎまではおなかにいてもらわないとね!!

でももうそろそろ恥骨の下の骨が準備している痛みが
少しずつ出てきています。
さあて。
どんな子が産まれてくるのかな。

出産後には
田舎から 母と妹が来てくれることになりました。
もちろん、これも初めての経験。
母にとっても 私の子供を
産まれてすぐに抱くという経験は
これが 最初で最後となるでしょう。

よかった。
1度だけでも こんなふうに私の母親として
孫を見せてあげることができる。
いろいろあった家族だから
みんな それぞれにいろんなものを背負ってきたから
だから 最後にご褒美があるのかな。って思います。

私がブログで過去のことにふれたりするのは
けして 育ててくれた両親を責めるためじゃなくて
自分のアイデンティティをしっかり見つめたいから。

しっかり見つめて受け入れることで
解決や答えが与えられる経験をたくさんしてきました。
そして そのことが土台となり
自分の夫婦関係や 子育てに生かされている。

いろんな人からもちかけられる相談や悩みに
客観的に答える事ができる。

やっぱりそれなりに自分で出した答えや価値観には
うすっぺらい経験からではうみだされないものがあると思うし
人がしない経験をしたことで
自分の品性に深みが与えられるのだと思う。
そして 経験がすべてではないっていうことも
学んできた。
自分の経験だけに基づいて
何かを判断したり 基準を持ったりすることが
どんなに小さなことで
危ないことかも 学んできた。

経験はとても大切なものだけど
一番重要なことは その経験から何を受け取って
自分のものとしていくか、ってことだ。
そして
いろんな経験をするたびに
自分が握りしめている 余計なこだわりやプライドを捨てて
自分を客観的に見つめなおす勇気を持つことだ。

客観的に見つめることから
吟味された真実だけが残って 本当の価値をうみだしてゆく。

そうして 荒波にもまれ
おばさんになった私は
本当に この人生を与えられてよかったな って
ココロから思うことができている。

人は。

自分の人生を納得して生きることができる、ということほど
シアワセなことはないんじゃないか、と思うのです。

小さいころ、繰り返し読んだ聖書の言葉に
「神はその人が耐えられない試練は与えない。
試練と同時に脱出の道を必ず与えておられる」
という箇所があって

そんなの嘘っぱちだ!
誰も助けてなんかくれないじゃないか!って
反抗的に思っていたけど(笑)
本当にその通りだなって だんだんわかるようになった。

だからこそ サイヤ人や子供が苦しんでいるとき
私は母として 同情はしない。
言うべきことは何か しっかり判断して
余計なことは言わない。
簡単に解決やアドバイスを与えることもしない。
冷静に嵐が過ぎるのを 見守ることができている。

でもいつもそういうわけじゃなくて
たとえば いつまでたっても学校へ行けなくて
ぐうたらしてる時の1号と向き合うときなんかは
ココロの中では 今はこれでいい、と思っていても
感情が勝っちゃって
いらぬことを言って彼を傷つけたり
けちょんけちょんに 責めてしまう事だってある。

でも
そのことが 二人の間で隔たりになることはない。
(今のところは・・・苦笑;)
私は自分の至らなさを知っているし
母親として 欠落している部分があることもよくわかっている。
そして
それを子供達にはさらけ出しているから
子供たちは 私の至らなさを許してくれる。
もちろん、素直に謝りはすれど

こんな自分を許してほしい、と
自分の感情を押し付けることはしない。
それ以上に 親として
子供たちの不完全さを受け入れ、
何度も犯す過ちを許し続けていく、という
解決の方法を知っているからだ。

子どもは 神さまからの預かりものだ。
丁寧に 身を引き締めて大切にとりあつかわねばならない。

結局は自分の人生は 誰のせいでもなく
自分の選択の結果であり 自分の問題なのだ。
もちろん、そういうふうに言い切れない
人生を与えられる人たちもいる。
ある一部の人から見れば
私だって そっちの部類の人間かもしれない。

でも 結局は
自分に与えられた人生が どのような環境であっても
そこでベストを尽くすこと。
それが一番大事なことだと私は気づくことができた。

すべての経験は今につながり
今の苦しみや痛みは すべてが希望ある未来へつながっている。

つまり 今私がとっている行動や対応は
必ず子供たちの未来へ反映される、という極めて単純な真理だ。
子供たちだって
今 自分がしていること 行動も反応も思いも判断も
自分の未来につながっているんだよ、と
母である私に繰り返し言われている。

それは 良くも悪くも影響することで
私たち親だって間違いを犯すけれど
でもいつもどんな時も
へりくだったココロを忘れず
正直に向き合っていれば
解決できないことはないと 確信できる。

だってそこには不可能を可能にする愛があるから。
それを 私は持っているし 知っているから。
それは
どんなものより強くて 
どんなものより深くて
どんなものよりも大きい。

この1年もまた 神さまの愛と一緒にあゆんでいける
喜びをかみしめながら
しっかり立って すすんで行けますように。。。
読んでくださっているすべてのみなさまにも
そしていつも私を支えてくれる友達にも ココロからの感謝をこめて・・・

Happy New Year!






2013/12/26 21:26:17|暮らし
Merry Christmas!!2013
今年のクリスマスは。
静かに ゆるりと過ぎてゆきました。

イベントの数が少なかったことと
妊婦なので 主だった役割から抜けたことが
ゆっくりとしたクリスマスの原因だったのかな。

それとも
妊婦なのでいろいろ考えず
毎日 ゆるりとした気持ちで過ごしているせいだったのかな。

とにかく 無理をしないことが一番、ってわけで
子供たちにねだられても
ツリーも飾り付けもしないで
庭も荒れ放題のまま・・・(笑)

クリスマスを迎えました。

教会のキャンドルライト・サービスの礼拝の中での
聖書朗読だけは奉仕させてもらいました。
イザヤとヨハネという とても重要な箇所が割り当てられ
なんだか 重責とピリリとした緊張を与えられましたが
無事に 朗読することができ
感謝の中、
じんわり しんみりと クリスマスは過ぎたのでありました。

数日に一度は 体調が悪くなったりする中で
それでも何とか 張りまくるお腹と一緒に
年が越せそうです。
あと1か月はおなかにいてほしいな。

何もしないといっても
ケーキはやかなくちゃね!って
まだ焼いてないけど。
焼ける日に焼けばいいやって思って
明日か明後日か シフォンをふわふわクリームと一緒に
いただこうと思っています。

昨日、チキンだけは焼きました!
オリジナルレシピの
「バルサミコジンジャーチキン」!!!!
おいしかったです。

ただ、このチキンをね、
サイヤ人と一緒に買い物に出かけたスーパーでね。
はぁ~~~。
ココロが痛くなる場面に遭遇してしまったのでありました・・・

棚に並べられたチキンたちの横に
1つ30円で売られているチキンのたれがカゴに入っていて
それを
おばあちゃんが 二つ、万引きしていました・・・
チキンはちゃんと買ったのか
白いスーパー袋の一番上に乗っかっていて
何食わぬ顔で たれをとると
白い袋の中に・・・たれをね。
入れていたんですよ・・・


何とも言えない気持ちになり
いったい自分はどうしたらよかったんだろうって
なんだか 悲しくなっちゃって
クリスマスに 盗んだたれでチキンを焼いて
おばあちゃんは 幸せを感じるんだろうか、とか。
いろいろ考えたら 苦しくなりました。

帰り際、サイヤ人が
 「その人のために祈ろう」と一言 言ってくれたけど
私の気持ちは 慰められず・・・

でもその夜。
3号ちびまるこが クリスマスカードをくれました。
いつも自分のお世話をありがとう、という感謝の言葉と
これからもよろしく
大好き!クリスマスおめでとう!という内容の
温かい言葉がありました。

少し落ち込んでいた私のココロに
一つの灯が 灯った瞬間でした。


「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。」ヨハネ1:9







2013/11/22 12:21:00|暮らし
20年という時間
今日は。
いい夫婦の日、ということで。
ごちそうでも作ろうかと思ったけど
昨日から モツ煮が食べたくて(笑)
仕込んでいたので 今夜はそれでいっか~~~!!!

気が付けば
サイヤ人との生活も 今年、丸20年を迎えました。
お互い 若い時からずっと一緒に過ごしてきて
まあ、正直に言えば 20年たったなんてあんまり実感ないくらいかな。

私の育ちがいろいろ事情があったこともあり
たった二人きりで 小さな知り合いの牧師先生の教会で
結婚式を挙げたのが ちょうど20年前。

サイヤ人が23才。
私が19才の時でした。
その時私は もうすでにお医者さんから「子供は産めないでしょう」と言われていたし
その時の医療では 治療方法がなく
だって  病気の原因さえ分からなかったんだもんね、
絶望を味わったこともありました。

そんな時が 懐かしく思い出されるなんて、年を取った証拠だな。


なのに。


結婚20年目で もう一人 子どもを授かるなんて(笑)
だれが想像したでしょう!!(笑)

人生は これだから面白いのかな。

その時は お互いに人生の未来もしっかり確立してないような状態で
その日暮らし、というか そんなかんじだったけど
私の病気もひどくて 1人よりは2人でいる方がいい、みたいな
ま、なんとか二人で歩き出せたというような感じだったかな。

私は持論で 「男は30から」って思ってて
まあ、男の人っていうものは30くらいまでは落ち着かないものだろう、
30過ぎてからが本番というか 本領発揮!するものっていうふうに
思っていたのかな~

だから サイヤ人がふらふらしててもあまり気にしてなかったし
好きに生きている姿が面白かったし
うらやましくもあった。

子どもは生まれないかも、って思ってたから
自分が働いていれば経済的には何とかなっていたのもあるのかな。

でも5年たって 長男がひょっこり私たちのところにやってきて
それから 生活ががらりと変わってしまった。

その時は 発達障害のことも なにも知らなかったしね、
どうして子供が生まれて サイヤ人が変わってしまったのか
どう話し合っても
どう考えても
何も解決の糸口も見つからなくて
「子はかすがい」なんて ことわざは嘘っぱちだって
本当につらい時期もあったことも確か。

今思えば いい思い出、というか笑っちゃうけど
夜中に小さな子供たちの手を引いて
家出したこともあったし~
泣きながら サイヤ人の実家のお母さんに訴えたこともあったし~
本当に 離婚しようと決めて行動したこともあったな~


でも
今 思うことは
あぁ、あの時別れなくて本当によかったな。ってこと。
自分の選んだ人は 間違っていなかったな。ってこと。

自分も若くて 傲慢でわがままだったな。ってこと。
ココロが狭くて 自分のことばかりわかってもらおうとしてたな。ってこと。
夫婦っていうのは 自分のいたらなさを知るために
神さまが与えてくださった よきパートナーなんだな。ってこと。
優しさとか 愛とかわかったようにエラそうに言ってたけど
全然わかっていなかったってこと。

20年くらいたって ようやく 人を愛するってことがどういうことなのか
自分なりに わかったような気がしています。

燃え上がる恋愛とはちがう じんわりとしたいつくしみは
重ねられた忍耐と 涙と 思いやりと
数々のけんかと? 二人でいても時々感じる孤独感の織り成す
人が共に生きていく美しさの中で
熟成されたごほうび、みたいなものとして

自分の中に形成されるのかもしれないな。って思っています。

こんなことを私が知るに至ったのには
アスペルガーというものを通して 新しい世界を知ったことが一番の要因だとは思うけど
このことを知ったことによって
より自分のなかで「ゆるし」というキーワードが
謎解かれたように思います。

大方の人たちは 許したくても許せない、受け入れたくても受けいれられないっていう部分で
すごく がんじがらめになって 苦しんでいるような気がするし
私自身、
どうしてこの人はこうなんだろう、こういう時こんな態度なんだろう、
こういう時、こんなこと言うんだろうって

それで理解に苦しんで
自分が傷ついてしまったり 自分を責めてしまったりしてしまう事があったけど

本当の健全な人間関係というものが どのようなものかを知ることができたのも
夫と子供たちが アスペルガーだという事を通じて
私が学ぶことができたというのが 一番大きい。

サイヤ人は 真っ向から客観的に私を批判することができる人。
おべっかをつかったり 気を引こうとして気を遣うことをしない人。
若い時は それが時々、さみしかったり傷ついたりもしたけれど

相手によく思われたいという感情抜きで
ストレートに向き合ってくることが 今では本当に心地いいなって思えます。

誰でもありのままの自分を知ってほしいし 受け入れてほしいもの。
計算なしの不器用なアプローチの仕方でも
でも その中に隠された愛情があって それに気が付くことができればやっぱりシアワセなんだと思うしね。

それにあたしだって自分が男で
美容院に行ったこと、気が付いてくれないってダンナの文句を言っている嫁は嫌だ。(笑)
なんで気づいてくれないんだろ。って言ってるより
「あたし今日、髪切ったの。かわいいでしょ~」って言ってる嫁がいい。(笑)

どんな夫婦関係を形成していくかは
やっぱり 2人の人間関係にかかっているような気がする。
もちろん、どちらかに精神的な問題があって
DVとか 命の危険があるような特別な場合は別だと思うけど

結局は結婚って自分が選んだ相手、自分の選択の結果なんだから
自分の人生観の上に 結婚観ってあるもので自分の責任なんだって思う。

小さいころ、両親の離婚を経験して
父子家庭で育って、そして親の再婚があって
新しい家族の中ではうまくいかなくて
けして幸せな子供時代でなかったけど

私が子供に自分の人生をかぶせ、依存して期待して育てるような母親にならずに済んだのは
やっぱり サイヤ人の影響が大きいのかな、って感謝しています。

あ、もう一つ。
20年たってわかったこと。

男は30から。 じゃなくて
男は40から。だった!(笑)
 






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