『おりいぶのあ』のたね

4人の子育てと猫育て?ドタバタの日常から生み出される作品は ネットショップで販売中♪ 発達障害という 面白い世界をただ今観察、研究中( ̄▽ ̄)
 
CATEGORY:発達障害と生きる

2013/11/19 1:44:09|発達障害と生きる
くそくらえアスペルガー
今日は。
本当に ムカついてしまった。

私は自分で言うのもなんだが 我慢づよいほうだと思っている。
我慢強いというか 怒らないように
怒りを コントロールしようと努力しているつもりだ。

今日は、新宿へ仕事に行っていた。
クリスマスシーズンを控え、商品の追加納品と ディスプレイに行っていたのだ。

デカ腹だし 大変だし
お店に一任する方法もあるのだけれど
それだと 売り場が限られるし 制約がある。
自分で行けば 売り場をひとつ任せていただけるという事もあり
頑張って 行ってきた。

問題は 昼間の営業中に堂々とできないので
(本来なら閉店後の作業だもんね~)
閉店間際に作業を開始するため、帰りが遅くなるという事。

今日(月曜日)は 学芸会の振り替えでお休みだった3号ちびまるこが
ひとりでお留守番はいやだというので連れて行った。
おとといから 1号と何度もバトルを繰り返していることも心配だったから、連れて行った方がいいかなってこともあり。
それに 荷物持ちは一人でもいた方がいい。

で、新宿まで行って 仕事を済ませ
ようやく二人で電車を乗り継ぎ、へいこらやっとこ帰宅した夜中の12時。

玄関には パルシステムがそのまま。
部屋は散らかり放題
荷物は置きっぱなし
靴下は ぬぎっぱなし
食べた食器も 置きっぱなし
むいたみかんの皮も テーブルの上に散乱し

はっきりいって ムカついた。

夕飯は麺がいいという1号。でも昨日もうどんだったから
じゃあ、今日は肉うどんにしな、って 別に お肉を煮て
うどんは延びたのは食べないから ここに置いとくね、と出しておいて
温めたら食べられるようにして

でも
リンクで練習してきた2号は うどんじゃだめだから、ご飯も炊いておかずと食べられるようにしておいたのに。

なんなんだぁ~~~~!!!!!!

キッチンには カップ麺を作った後のごみが散乱して 一つもゴミ箱に入ってない。
私が出しておいたうどんは 冷蔵庫にしまわずそのままそこに出したまま。

おいおい、勘弁してよ・・・(怒)

それに2人しかいなかったのにあちこちに 汚れたコップとマグカップ。

はぁ。

もう本当に 怒鳴ってやりたかったけど ぐっとこらえて お茶碗を片付けた。
お茶碗を流しに投げてやりたかった。(笑)
体は 疲れていて 足もじんじんしていたが
(電車で妊婦に席をゆずってくれる親切な人はそういない)

とりあえず 食器を片づけて
生協の食品とコメを運び・・
みかん皮をゴミ箱に放り投げて
はぁ~。っと ため息。

そのあと
2号のスケートの道具を 2階の部屋にあげ
脱いだままになっている (お高い)制服をかけて お風呂をあっためた。

2人には 毎日、毎日同じことを繰り返し教えているつもりだ。
食べ終わったら 食器を流しに持っていく
帰ってきたら まず自分の荷物を整理する
出しっぱなし やりっぱなしにしない
靴下は 洗濯カゴへ
読んだ本をそこらへんに置かない
ごみはごみ箱へ
コップは一度飲んだらゆすぐか 流しへ

他にも あれやこれやと
小さな子供にいうようなことばかり、繰り返し 繰り返し言っている。

うんざりするし
いい加減 できるようになってよ、と思うときもある。

普通の子供なら これだけ言われれば、それなりに できるようなるものだ。
実際、3号は ぐだぐだ私に言われる前に
1号と2号に 私が言っていることを理解して 自分で気が付いて やっている。

しかし 1号も2号も
短期記憶、というやつが 欠落している。
1号については 5歳児なみの短期記憶力しかない。
私の忍耐力が またまた試されるのだ。
短期記憶、というのは
言葉通り 短い時間経ってどのくらい記憶できるかということ。
にわとりは 3歩歩くと物事忘れる、っていうけど
1号は そのレベル・・・
本当に忘れる。

忘れるというより 記憶しておく引き出しと
取り出す引き出しが 脳の中で連動してなくて
別々にしまっているため
ちょっと前の記憶をどこから どうやって引き出せばいいのかがわからない、ということらしいのだ。

2号については その記憶がいつもとっ散らかっているため
整理できれば記憶できるが
整理出来るまでものすごく時間がかかる、といったところらしい。

1号なんか 1度読んだ本の内容とか映画の内容とか
図鑑で見たもの読んだマニュアルなんか 絶対忘れないのにね~

2号なんか スケートに関してはものすごい。
誰が何の大会で どんな曲を滑ったか覚えているし
振付だってわかる。
ちょっと曲を聴いただけで
この曲は 誰と誰が躍ったことあるね、とか言うしね~

興味ある知識と生活に関する記憶部分が
まったく別だなんて
なんてこった。アスペルガー!!!


というわけで
今夜の極めつけは。
3号「あ!体操服、洗濯に出すの忘れた!!」だって・・・
というわけで こんな夜中に洗濯が終わるのを待っている私。

でも
3号に怒る気にはなれない。
だって 今日の仕事だって
黙って荷物を持ってついてきて 黙々と手伝い
電車の中でも 私を気遣い
寒空の下 
商品を入れていったスーツケースを引きながら
歩いて帰ってきてくれた。

泣き言も 文句も言わず
そうして 眠い目をこすりながらお風呂に入った。

ベッドに入って コロッと寝てしまった3号をみて
本当にこの子がいるから
頑張れるんだなと思った。

もちろん、1号と2号と比較することはいけないし
比較の対象にはならないのだが

親というものは 本当に
厄介で めんどうくさい仕事だな。
でも なんだかほっこりして
ココロがあったかくなるなんともいえない
生き物だな。

そう感じた夜だった。
世の中には5人の子供全員が アスペルガーだっていう 頑張っているかあちゃんもいるのだ!
そう 泣き言も言ってられないよな。
さあ、洗濯物干して 寝るぞ!

そう書いてる間に
スーパーアスぺサイヤ人が 接待から帰ってきた。
「おなかすいた~食べる物ある?」
だって。


おんどりゃぁ~~~!
こちとら りっぱな妊婦様だぞ。
もうすぐ夜中の2時になるんだぞ。

そう思いながら うどんを温める私であった。(笑)






2013/11/06 11:18:05|発達障害と生きる
真実を受け入れるということは なんという力

久しぶりの更新となりました。
なんと、この年で第4子を授かった私・・・

4人子供がほしいとは思っていたけど
頭で考えるほど それは簡単なことじゃない。
子どもを産み 育てているうちに
だんだんと その現実がわかってきて
3人でいいや。って。

そのうち、2号の毎日が忙しくなって
子供たちと夫が発達障害とわかり
不登校と 学校行き渋る子と
発達障害からくる こだわりのぶつかり合いの毎日に
4人目なんて無理だわ~。と
あきらめたのが3年前。

でも 神様からしたら
私の家族は4人目の子がきて 完成なのかな。
なんとなくそんな気がした私。

それから6か月におよぶつわりに苦しみ・・・
ようやく7か月に入って落ちつてきた 今日この頃。

はっきりいって妊娠が分かったとき
素直に喜ぶことは難しかった。
過去3回の妊娠で つらかった記憶がよみがえってきたから。
サイヤ人は昔から なぜか私が病気になると
機嫌が悪くなり 怒りっぽくなり

時には激高して 家を飛び出してしまったり・・・
しかもそれは私だけじゃなくて 子供たちが具合悪くてもそういうふうになることがあって

だからどんなに具合の悪い時もすご~くがんばらないといけなくて
つわりで一日トイレにこもっていても
サイヤ人が帰ってくると何事もなかったかのように振る舞っていたりね。吐きながら・・泣きながら・・ ご飯作ったりとか。

私が子供のころも 病気になると
自分がしっかりしていないからだ、と怒られていたし
熱があっても学校を休んだりできなかった。
中学生の時は 授業中に倒れて意識を失ってしまって
救急車で運ばれそうになったときも
そんなことになったら怒られると思って
保健室の先生に 呼ばないで!って泣きながら叫んでた。

運ばれた先の病院で
なんでこんなになったの。自分がちゃんとしてないからだ。
恥ずかしい、って<言葉を
かすれゆく意識の中で聞いた時は本当に悲しかった。

そんな記憶があったこともあって
私の中では
病気・体調不良・疲労=悪
みたいな図式が出来上がっていて。

今までは気力と体力と若さで何とかなったけど
今回の妊娠は そういうわけにはいかないな。
本能的にそうわかっていた。

ただ一つ、以前の時と違うことは
サイヤ人のそういう態度は
サイヤ人が冷血人間だからではなく
私を大切にしてないからではなく
アスぺの特性からきていた一種のパニックだった ということが
今回はわかっている、ということだった。

まあ、赤ちゃん産むしかないんだし、なるようにしかならないや。
開き直った私。
案の定、つわりは今までで一番ひどくて
体も全然いう事をきかなかった(笑)年には勝てないな。

それで どんなに台所がぐちゃぐちゃになっても
洗濯物が山積みになっても 
家じゅうに物が散乱しても
絶対無理をしなかった。

サイヤ人がどうなるか ココロの中ではかなり心配だったけど
サイヤ人は 家がぐちゃぐちゃでも怒らなかったし
子供たちがそこらじゅうに物を置いていても
洗濯物がたたまれていなくても
汚れた茶碗がキッチンに置き去りにされていても
あまりパニックにはならなかった。たった1度を除いては・・・(笑)

サイヤ人は かなり頑張ってくれたと思う。
っていうか 今回の妊娠によって変わったと思う。
妊娠によって変わったのか
自分がアスペルガーだとわかったから変化があるのか

パニックになって怒らなかったどころか
黙ってお茶碗を洗ってくれたり
洗濯物を干してくれたりした。

なんて いいダンナさんなんだろう。。。

ワイシャツのアイロンがけも
この十数年、一度もしたことなかった人が
今では子供たちのシャツも自分のシャツも 毎朝アイロンをかけてくれている。
なんてこった。

私は 本当にシアワセだ。
そんなことくらいで 毎朝シアワセを感じることができる私が幸せだ(笑)

サイヤ人も 自分の怒りやイライラがどこから来るのかがわかって
ずいぶん楽になったみたいだし
本当の自分を知ることが 人間にとってどんなに大切で
すごいことかという事を 改めて知ったような気がしている。

真実を知って受け入れるということは なんという力だろう。

もちろん、子供たちは・・率先して手伝ってくれる、ということはなく
相変わらず 自分たちの世界に生きている。
でも 変化がないわけではない。

1号は 私によく「大丈夫?」と 声をかけてくれる。
そんなこと いままでにはない。(笑)
「大丈夫じゃない」と答えると
それで手伝ったりとか 反応はないんだけど(笑)
彼なりに心配しているんじゃないかと思う。
かなり適当ではあるが ほぼ毎日、お風呂掃除をしてくれる。

2号は 私がリンクへついていけなくなって本当に不安だったようだ。彼女の不安症は かなり他の人にはわかりにくいから
あまり目立たないのだが この4か月は彼女にとって葛藤の連続だったに違いない。
けど 不登校にならず 歯を食いしばって学校へ行っている。
スケートの練習も スランプになりながら
なんとか一人でリンクへ行っている。
相変わらず制服をきちんとハンガーにかけることもできないが
買い物に付き合い、重い荷物は すすんで持ってくれる。

かなり変わった普通の子、3号だけは
毎日かいがいしく 赤ちゃんを気にして
私を気遣ってくれている(笑)
発達障害児を育てると 普通の子の子育てが
すんごい楽ちんに思えて こんなんでいいのかって
逆に不安になるくらいだ(笑)
子どもを育てることは 楽しくて幸せだ、とわかる。

私にとって 家族に仕えていくことは本当に簡単なことじゃない。
何かがあるたびに こうじゃなかったら、ああだったら、と
考えてしまうちっぽけな私だ。
いつも大きな心を持って その場所で忠実にやるべきことをやれたら、と思ってはいるが
自己憐憫に陥ってしまうことも少なくない。

でも
4人目を産むことに不思議と不安はない。
どんな子がでてきても 大丈夫。って思う事ができる。
どんなこだわりが強くっても
はちゃめちゃでも それを楽しんでしまおうって思うことができる。
うまくいくかどうかは保証はないけど
でも
1号と2号を産んで育てていた時は
発達障害のハの字も知らなかった。

周りに話しても理解してもらえない子育ての難しさの中で
どうしたら この困難な状況を楽しく希望を持って
乗り越えられるか ない頭をひねって七転八倒してきた。
それが ようやく実を結ぶのだ。

あとは 本当に無事に産まれてきてくれればいい。
家族が増えて経済的にも 時間的にも余裕がなく
厳しくはなると思う。
それでも そんな毎日でも
また弱音や文句を言いながらでも
ぶつかったり怒ったり泣いたりしながら
それでも 人が一緒に生きていく美しさを
感じていけたら いいと思う。

画像は保護中、預かった仔猫ちゃんと
   妊娠を機にパン屋をやめて久々に焼いたパンたち






2013/06/11 9:12:05|発達障害と生きる
光と影

梅雨とは名ばかりの
すごくいいお天気に恵まれた 体育祭が無事終了しました。

体育祭に参加することを
間近になるまで迷い続けていた1号。
去年も なんとか参加できたので
私たちは 彼が自分の意志で参加することを願っていました。

今年から中学に入った2号は
いろんな競技の予選?というか
体育祭前にはかるタイムレースで
100m・200m・1000mともに1位となり
200mに出たい!と 張り切っていました。

当日を迎えるまで
毎日の緊張と戦わねばならぬ 1号と
さまざまな状況に置かれる2号。

本人たちの苦悩とはうらはらに
私は一人、青春っていいなあ~~とのんびり?
考えていたのでした。

1号は結局、クラス対抗競技の朝練には
2回しか参加できませんでした。
でも 不登校の1号を非難する声はクラスの中にはなく
体育祭当日も 1号をやじる人は誰一人いなかったこと。
本当に 感謝しています。

これは クラスの中で中心にいる男の子たちの存在が
とても大きいのだと思いますが
特に・・仮にSくんとすると
Sくんが1号に対して とても理解があるのです。

テスト前の部活がない日も
体育祭前も
1号に声をかけ 一緒に下校してくれたSくん。
クラス対抗競技の時の練習でも
「1号、大丈夫か?」と声をかけてくれたSくん。

彼はお母さんを亡くして 
自分もつらい中、毎日生きているはずなのに
明るくいつも一生懸命でとても優しい子です。

しばらく前に1号のプリントをとりに学校へ行ったら
校門の前にたむろしていた?彼ら。
部活が終わったところで
数人で陣を描き 地面にあぐらをかいていました。


遠目からみると なんか嫌な感じで・・
うわあ~通りにくいな。って思った私。

でも近づいていくと「こんちは~」と
向こうから挨拶してくれ話しかけてきてくれました。
しばらく・・私もその輪の中にしゃがみ込んで話をし
私の立ち上がり際、Sくんが
「1号に学校こいよ、って伝えてください」と
言ってくれました。

私は心が熱くなりました。
こんなふうに話ができるのは もう一つ理由があって
私が小学校6年間、本の読み聞かせのおばさんとして
クラスに入り続けたことが大きいと思います。

子供のいる学年だけでなく
私が相手を知らなくても
いろんな学年の子供たちが 
街なかで声をかけてくれることがよくあるからです。

きっと 子供達にも 読み聞かせを通じて
信頼感や安心感、親近感などが
生まれているのでしょう。

と・・・
話がそれてしまったけれど
本当に やさしい子供たちのおかげで
1号は無事、体育祭に参加することができたのでした。
もちろん、去年みたいに1500m走ることはなかったけれど
クラスの輪に入って 声高く応援することもなかったけれど

競技トラックの隅っこのほうで
ひとりぽつんと 体育座りのまま
時間を過ごしていたけれど・・・
でも、
それまで練習では勝てなかったクラス対抗競技では
なんと・・1位をとりました。

たくさんの子供たちが泣いていました。
1号も1度も失敗することなく頑張っていました。

2号は結局、1000m、選抜リレー、の選手に選ばれ
1000mでは1位、(歴代大会記録まであと10秒。おしい!)
選抜リレーでは アンカーを走り
ゴール手前で追い抜き 優勝!

クラス対抗競技でも 責任ある船頭役を引き受け
練習ではいつもびりっけつだったクラスが
2位になりました。

この1年生伝統行事は
朝練に参加しなかった人は 競技に出られないほど
厳しくて危険な競技なのですが

2号のクラスでは 人が土台となった上を
船頭役の代表者が渡っていく、というその船頭役が
どうしても決まらず

いろんな子の心の葛藤の結果、2号が引き受けることになったのでした。
人の上を渡るには 大きすぎる2号。
下で土台になって支える子供たちの中には
特に男の子ですが 小さくて支えきれない子もいます。

そのたびに2号は上から落ち
何度も足を痛めました。
しまいには スケートで以前痛めた部分を捻挫。

ドクターのところに毎日、治療に通いながら
捻挫を隠しての体育祭参加となったのでした。

1000mでは 途中から足の痛みがひどくなり
それでも負けたくなくて懸命に走ったからか
軽い熱中症で救急テントへ・・・(苦笑)

捻挫のテーピングを隠すために
ひざ丈の靴下をはいて行ったことも
熱がこもった原因だったのですが
まあ、とにかく負けん気の強さは・・・誰に似た??(笑)


ヒーローとして 光の当たることろで活躍するのが2号なら
1号は 周りの歓声から外れたところでひっそりと存在する日陰。

日陰の働きや 頑張りは
絶対に目立つことはないし 知られることもないけれど
でも
極限の緊張で あぶら汗を流しながら耐えた
1号の1日は 
表で活躍した2号と変わらず
大いに評価されるものであったと感じます。

お兄ちゃんの為に絶対1位をとってやる。と言って
本当に頑張ってくれた2号。
2号が あいつの妹、と馬鹿にされることがないように。と言って
1日体育祭を頑張った1号。

本当にありがとう。






2013/05/15 11:50:00|発達障害と生きる
先生、それはどういうつもりですか?
巷でも特集されるようになってきた 発達障害。
その言葉だけが 独り歩きして
いまだ 誤解が多いのが実情です。

昨年、近隣の市町村合同で行われた研修会に
参加したことがありましたが
行ってみて・・・本当にがっかりしました。

内容は 初歩的も初歩的
導入、というような感じで
そこに参加しておられた 学校教職員の方々の質問も
少し 的外れなものも多かったのでした。

昨日。

2号が少しけげんそうな面持ちで
私のところに近づいてきました。

学校で名前を知らない先生に呼び止められ
こんな会話があったのだそうです。

先生「あなた、スケートやってるんだって?」
2 号「はい、そうです」
先生「あなたのお兄さんって、2年生のAくん?」
2 号「はい、そうです」
先生「そうなんだ。Aくんは通級と適応に行ってるんでしょ?教室には行かないの?」
2 号「時々は行ってます」
先生「ふ~ん」
先生「あなたは大丈夫?」
(2号は真意がわからず・・??少し沈黙)
先生「あなたは、お兄ちゃんみたいになったりしないの?」
2 号「大丈夫だと思います」(なんだか悔しかったので怒ったように言ったらしい)
先生「だよね~じゃないとスケートなんかやれないもんね」

と。
いったい 何が言いたかったのか。

そんなこと、2号に聞かないで
1号か2号の担任の先生に聞いたらいいんじゃないの?
同じ職員室にいるんだから。

なんだか 久しぶりにムカムカしてしまった私。

私「そんなこと言われて、おにいの事恥ずかしいと思った?」
2 号「ううん。だけど なんでそんなこと言うんだろって 悔しかった」

そんな会話をしていたら
1号すかさず
1 号「別に悪気はなかったんじゃね~?」って。
私「あんた、腹立たないの?だって2号は不登校の1号の妹だけど
大丈夫か、って言われたようなものでしょ?
差別的じゃない?
1号を軽蔑していったのか、2号を疑って言ったのか
そんなことどっちでもいいけど なんなんだ、その先生・・・」
と どうにもムカムカしてしまいました。

肝心の1号は。
もう 大人の無責任な言動には慣れたのか
しょうがねえ、って感じ。

まあ、いいけどね。

カミングアウトすることは
多くの敵を作ることでもあるし
さまざまな価値観の中から生まれる攻撃に
立ち向かっていくことでもある。

そんなことは わかってる。

そんなことは わかっている。

真意はどうだったか、わからない。それでも。腹がたった。


もうすぐ 体育祭。
2号は 記録をとったあらゆる競技で
何種目も1位だったそうだ。
結局、1000mと選抜リレーに選ばれたらしいけど。
入学早々、目立っている。

このことが いつも1号を追いつめることになってきた。
1号は 別に運動音痴ではない。
でも 発達障害独特の 強調運動は本当に苦手だ。

逆に 2号は人並みの運動能力じゃない。
またそれも 発達障害からきていると
私たちは理解している。


山村留学をしていた時の ある先生がきっかけで
1号は 頑張ることをやめてしまった。
いつも2号と比べられ
おまえはそれでも男か。妹に負けるなんて情けない、と
言われづつけたことが 1号をひどく傷つけた。

それでも 3km走らせれば
2号より早かったし 勉強もぜんぜんできた方だった。

頑張ればできる事
2号より 得意なことがたくさんあることも
私たちは 知っていた。
1号にもそう言い聞かせ 励まし続けてきた。

でも・・・

親じゃない他の大人の言葉は
子供たちにとって 大きな影響力を持つ。

そんな1号が昨年の体育祭で1500mを走ったとき
(昨年の記事・・日々一歩ずつ)
他の選手より1周以上おくれてゴールするまで
私たちは涙をこらえて見守った。

今年も体育祭に出たくないのに
無理やり出ることを 私たちは知っている。
1号は めんどくさいんじゃなくて
自分のせいで クラスに迷惑をかける、と
思い込んでいるからだ。
自分みたいなのがいるから
クラスが負けてしまうと思っているからだ。

でも。
不登校の生徒に対して どれだけの先生が
このような理由があることを 想像できるだろう。
子供の目線に立って 理解しよう、と努力しているだろう。

そのような先生はほんの一部なんじゃないのか。
だいたいの先生は 他の子と同じようにできないことを
しょうもない、とか
情けない、とか思っているのかも知れない。

私は子供のころ
自分は生まれてきてはいけなかった、と思っていたし
毎日 そう思って生きているのはつらかった。

1号は やっと
「僕なんか生まれてこなければよかったでしょ。
おかあさんはそう思ってるくせに」
と 言わなくなった。

「僕はこの家族にとって お荷物だ」
と 言わなくなった。

「どうせ・・僕は・・・」
と 言わなくなった。

さて。このあとどうなるだろう。
2号は 1号の為にも 絶対1位になるため
全力を尽くすだろう。
彼女は 勝利が自分の為だけにないことを 知っている。
そして 
その勝利が
1号を追いつめてしまうことがあることも 知っている。

でも二人は兄妹で
今までもそうだったように
これからも 手加減なしで生きていくのだ。

ひとりひとりもらっている個性は 間違いがない。
神さまは 今のままで完全な二人をデザインされた。
そう信じてる私は
今まで一度も 彼らを 恥ずかしいと思ったことはない。
自分自身のことも そう信じられるようになった。

どんな時も味方がいるから大丈夫。
私が味方だよ。

そうやって子育てしてきた。

もちろん、日常の中で つらいことも多い。
簡単に許せないことや
受け入れられなくて苦しんだり
みとめられなかっり
責めてしまったり
自分の弱さや小ささに情けなくなって
がっかりすることもあるけど

それでも 子供達ひとりひとりの人生が
豊かに祝福されていくことを・・・
今日も。 信じて。

そうやって。
今日も母として 生きていく。











2013/05/10 12:13:00|発達障害と生きる
思春期の男の子
台風のような暴風かと思えば
穏やかな 小春日和だったり
そうかと思えば 冬に戻ったような寒さと
真夏のような・・今日の暑さ。

なんじゃろ。

そんな天気でも 去年折れてしまったモウッコウバラも
クレマチスも 元気に咲いてくれました!!

先週、やってしまったぎっくり腰ですが
もう慣れたもんで
こう なんどもなっていては こちらが一枚上手だねっ。
もうすっかり 痛みがなくなりました(笑)

その功績のほとんどは 
桜ヶ丘整骨院の先生たちのおかげなのですが
やってしまった時の 体の動かし方、ストレッチの仕方
寝方、立ち上がり方・・・もう慣れたもんだね!
ってなわけで
あっという間に痛みが引いたのでありました。

通級指導学級(通称:通級)がいよいよ連休明けから
はじまりました。
楽しみにしていた1号ですが
やはり 毎朝、攻防が繰り広げられるのであります。

すんなり行ったのは昨日だけで
今日も、おとといも
朝から バトルでした。

なんとか自分を奮い立たせて 1号がこのスタートを
乗り越えていってくれるよう
厳しさと 優しさと 毅然とした態度で
彼に接していけたら・・・いいのですが(汗;)

さて、ゴールデンウィーク前に
うちでは 来るべき時がきました。男の子を育てていれば
いつかきっと来る日。
そう
ポルノとの決闘です!!!!!!!!!!

なんとなくは 気が付いていた私。
様子を見つつ、彼が自分で悔い改めるように、と
促してはいたのですが・・そこはアスペルガー。

はっきり言わないとわからないわけです。

で。

とうとうその日がやってきました。

壊れているはずのPSPを 夜遅くまでいじっていた1号を
みつけた私。こりゃチャンス!と 親としての権利を行使し
PSPを取り上げました。

みてみてビックリ・・・
予想はしていたものの 予想をはるかに超え
かなりなものでした。

ゲーム機だからといって 安心しているみなさん。
ロックをかけているから、といって安心しているお母さん。
甘いですよ~~~

うちだって DSの時からロックかけてましたが
今は そういうサイトを作っている方が
上手です。
以前、マリオの裏ワザ、とDSで検索したら
裏サイトがでてきました。(アダルトサイトも)
わざと そういう言葉にひかっかるようになっているそうです。

ワンクリック詐欺の話もしていたので
そのサイトをクリックすることはなかったのですが
それでも 1号がみていたのは
ある アニメと同じ題名のアダルトサイトでした。
もちろん その入口だけなのですが
実際に 映像を見ていないからといって
安心できるような写真ではなく。

さて。

どうしよう・・・

一応、サイヤ人に 父親としてt息子と話をするように
お願いしたのですが・・・いけないよっていうだけで
終わったらしく。
考えた私。
そうじゃないんだよ。もっとちゃんと話さなきゃ。
でも
思春期の男の子にとって 母親からそういう話をされるって
かなり嫌なんじゃないかと。

でも 神さまがベストタイミングを作ってくれて
1号とちゃんと話をすることができました。

これが 本当にいい時間だった。

もちろん、いままでのお互いの信頼関係と
性教育の積み重ねがあったからこそできたのだと思いますが
私だったら自分の親と
そんな話、できないな。
っていうか 本当の気持ちさえ 話したことなかったし。

で、どんなことを話したか、簡単にまとめると
思春期には性について興味が出てくること
体の変化に伴って 欲求も出てくること
性自体は悪いものではないが 
罪が入ると悪いものになること
特に ポルノやアダルトについて
いかに それらが女性を侮辱したもので
人として取り扱っていないか

それらが社会の中にまた 町の中に
ずっと昔から変わらずはびこっているのか、

聖書の中に出てくるエピソードを交えながら
どういうことが 性的な罪で
男の子が陥りやすい罪なのか 話しました。

そして 結婚について
なぜ 神様は 結婚したふたりに
特別な楽しみを許されたのか
また 子供を産み育てることについて
どういう責任が課せられているか
なぜ 結婚前に関係を持ってはいけないのかを
話しました。

1号は。

まじめにきちんと聞いてくれました。
そして 頭の中で点在していた知識が
一つの線となりつながったみたいで
ああ、そういうことだったんだ!!と
すんなり納得してくれました。

これから同じような誘惑に合うことも
また実際 罪をおかしてしまったり
失敗してしまうこともあると思いますが
そこからは本人の判断と責任にゆだねるしかありません。

私は親として 彼に言うべきことをいい
彼は真実を知ったのですから・・・

一つ 親としての仕事をクリアした私は・・
本当にホッとしました。

もうひとつ。感謝しないといけない人がいます。
どこのどなたかわからないけれど
ときどき通っている適応指導教室に 
性教育に来てくださった方。

今の学校教育は
避妊ありき、体の関係を持つことが前提で
ちゃんとした性教育がなされているとはいえません。
余計に子供たちの 興味をそそるような
お粗末な内容になっています。

にも関わらず
その方は きちんと
結婚について語ってくださり
安易に 体の関係を持ってはいけない。
結婚までは体の関係は持つべきではない、と
はっきり明言された、と1号から聞きました。

親からしか聞いたことがなかったことを
外部の大人の方が きちんと伝えてくださることは
子供たちにとって 大きな意味を持つことであり
説得力があるんだなって改めて思います。

この記事を読んでくださる方で
学校の養護教諭の方がいらっしゃったら
ぜひ お願いしたい。
本当の性教育とはなんなのか
子供たちに教えるべきことはなんなのか

何を伝えれば 大人としての責任を果たすことができるのか
よく考えて
そして 文科省が推進している性教育以外の
アプローチや教材が 他にもあることを知ってほしいのです。

そして
子供たちを 望まない妊娠・出産から
また中絶や性病から
アイデンティティや人としての誇りを傷つけられることから
守っていただきたいのです。

現代の子供たちは 大きな情報と
多くの価値観を持つ社会に翻弄され
物とお金はあるのに満たされない虚無感の中で生きている、
そんな世代です。

親の離婚や再婚が日常化している現実。
私が子供のころ、学年で片親の家庭はうちと
もうひと家庭でした。
お父さんが何度も変わる女の子がどうなってゆくか
私は知っています。
本当の意味で 母親に抱きしめられたり
受け入れられたりしたことのない子供たちが
どうなってゆくのかも 私は知っています。


離婚と再婚、という
一見、自由意志の尊重された大人の関係に
巻き込まれてゆく子供たちがどう育っていくのかも
知っています。

もちろん、そのような選択をするしかない人生があることも
知っています。
大人は 知っているのです。
よくわかっているのです。

どんなに正当化しても 
どんな言い訳をしても
取り戻すことができないものが
あるっていうことを。
だからこそ 子供たちを・・次の世代をまもってゆく責任が
すべての大人にあること。
ちゃんと私たちは受け止めなければなりません。






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