●風の音にぞ 2008.09.01(月)
身分証明 視力の低下と顔覚えの悪さを自覚
昔からそうですが、どうも人さまの顔と名前をなかなか覚えられません。一度だけ、わずかな時間に会った人を、ぱっと記憶してしまう人は、私から見れば天才です。尊敬する前に、畏れ入ってひれ伏してしまいそうです。人の顔と名前を覚えられる能力は、組織のトップには必須の能力なのでしょうね。昨日も防災訓練の会場で、鈴木市長さんの方から、先に「やあ、いつもご苦労様」と声をかけてもらい、いたく恐縮してしまいました。私には到底かなわない能力のひとつです。覚えられない代わり、覚えられやすいように灰ゴマヒゲを生やしているわけです。 さらに、極端に視力が落ちていることもあります。老齢に加え、両目の手術をした後は、新聞は見出しを読むだけで、本文は、特に必要な記事しか読みません。シニアグラスは勿論、天眼鏡は必需品で、100円で買ったものを何本も所有し、家中に、また、カバンやバッグに入れてあります。この前は、とうとう通販で「ペアルーペ」という、手で持たなくても、眼鏡感覚で使える天眼鏡を買ってしまいました。100均ショップのシニアグラスの100倍もの値段でした。で、少しは見ることが楽になったかというと、それでも、若い頃の健康なときの視力の半分以下です。 老齢者の運転免許証の自主返還が勧められています。なんとインセンティブまでついています。私の場合、返還する前に、とうてい更新できない視力だと分かっていましたから、試験場で泣く前に、思いきって免許更新を諦めました。40年近くお世話になったのですが、涙をのんでの分かれです。免許証は、身分証明用に便利というだけではなく、山の取材など、仕事にも欠かせないものでした。いまでは市が発行してくれた住基台帳カードを証明用に持っていますが、これではミニバイクにも乗れません。それに、年齢証明が必要なときってそうそうないものですね。 文字を紙に書くという作業も、まるでしなくなりました。手が思うように使えず、みみずがのたくったような字になってしまいます。かつてはきれいで上手ではなかったのですが、早く書ける独自の、マイフォントを持っていました。一日に、600字詰め原稿用紙で100枚近く書いていた時代もありました。原稿を目方で売っていた時代です。ワープロ、パソコンになってからは、ペンだこはなくなりましたが、漢字を忘れ、字は下手くそになってしまいました。しかし、いまは文字を大きくして書けるこの筆記具は、私の仕事に欠かせない相棒になっています。 ●風の音にぞ 2008.08.31(日)
想像努力 訓練で試されるそのときの実践力
想像力の枯渇は、プランナーにとって致命傷になりかねません。かつて弟子や事務所の若い人たちに、クリエイティブは観察、想像、創造の過程を経て実現する。創造につながる想像力を絶えず鍛えておくようにと、ことあるごとに、偉そうに話していました。その想像力が枯渇とまではいかなくても、ちょっと鈍ってきたかなと、恐くなった私であります。今日、朝から、福祉センターで総合防災訓練があり「災害ボランティアセンター開設運営訓練」に参加しました。頭上訓練に毛の生えたようなもので、社協担当者の想像で組まれたプログラムでの演習でした。 災害時に、社協の福祉センターオフィスにボランティアセンターを設置して、ボランティアの受け入れと、被災者からの要望に合せた派遣を行おうというものです。これはどこのどんな被災地でも、欠かすことのできない活動でしょう。どこかでコントロールしないと、復旧や生活がとんでもないことになってしまいます。このコントロールを、行政の一端である社協が担おうというもので、市としては始めての取組みだとか。今日は、いわゆるロールプレーイングで、参加者はセンタースタッフとボランティアに、役を振っての訓練です。私の役はボランティアでした。 まず、センター受付にボランティア登録をして、被災者からの派遣要請を待ちます。要請を受けたスタッフは、登録ボランティアから適任者を選んで、その被災者のもとに派遣させるという段取りです。これを登録用紙や派遣指示書、結果報告書といった書類に記入しながら、模擬活動を行います。この流れは、一応、理にかなった型どおりのやり方でしょう。その流れで演習をしたわけです。結果、いろいろな問題点が見えてきました。一通り終えた後で反省会。参加者は、それぞれ意見を出し合います。全くその通りの意見で、詰めの甘さが指摘されます。 そして、我らが災害ボランティアの達人、TSさんの講評です。実際には、すぐには被災者からのボランティア要請は少なく、善意のボランティアは増え続けて、無為のまま待機するだけで、終始がつかなくなると。被災者からの要請はなかなかこない。これは想定内のことです。しかし、ボランティアが増え続けるということは、想定外のことでした。これを読み切れない私の想像力が至らないというわけです。昨今、変わってきているとはいえ、日本人をしっかり観察していれば、善意での無償の行為を目指す優しい心根は、想像できたはずでした。想像努力不足です。
●風の音にぞ 2008.08.30(土)
エコの家 東京の木でストックの家造り活動
仲間が主催する「東京の木で家を造る会」の家づくり勉強会に参加しました。この会は荒廃している東京の森林の元気を甦らせるために、コーディネーターの事務局のもとに東京の林家、製材所、工務店、設計者が手を結んで共同組合をつくり、消費者とお互いが顔の見える関係のもとに、東京の木を使って家づくりをしていこうというグループです。地元産の木材での家づくり活動は、全国各地で行われています。しかし、十年以上の歴史と、百棟をこえる実績をもつこの会は、このような活動の先駆けであり、大勢力にはならないものの、着実に実績をつくっています。 会では、年6回の勉強会と行事を行っています。今回のテーマは「木の家の予算配分・コストの考え方」で、会員の消費者と組合員の学習会で、日頃、組合の分科会での研究、検討の一部を発表したものでした。内容はそのうちに確認してみます。家は、できてしまえばどんな材料を使い、どのような使い方をしてつくられたのか、外観では判断できません。建築の知識が少ない一般消費者にとっては、ブランドやデザインや住宅設備器機に目が行き、肝心の造り方には目を向けたくても、情報が少なく、具体的に知る機会も少ないことから、検討のしようもありません。 建ちあがってしまえば、どんな家でも30〜40年はもつでしょう。子育てが終って子らが巣立つまでの期間に住めればよいとして、高齢化が進んでいるいまは各所に空の巣が多くなっています。とくに、建坪の小さい家が並ぶ住宅地に多くなっているようです。老夫婦二人だけ、あるいは連れ合いに先立たれた老人独居の家が、いまとなっては使わない部屋を残したまま、固定資産税の心配はあるものの、家賃の要らない家に済み続けているというわけです。この家も、老朽化が進み、住まいとして機能しなくなったりします。災害時にはひとたまりもない家も出てきます。 フローとしての住まいではなく、ストックとしての住まいを考えるのが、エコの基本中の基本だと思うのですが、住まいのエコといえば、家の断熱性を高めたり、エアコンに頼ったり、太陽熱利用の設備を導入したりすることだと、行政までがその後押しをしています。庶民から集めた血税を、地球温暖化防止という御旗のもとに、一部の家持ち層のために使おうとしているわけです。たとえば、エコ戦争の最新鋭兵器としての電器製品類は、家庭に入ってくるまでに、どれほどの反温暖化行為をしてきたのか確かめようともしません。これは「エコへいき」対策ですよ。
●風の音にぞ 2008.08.29(金)
雷の次位 水難災害時のボランティアの仕事
この近くでも凄い雷でした。先の雷で、ネットと電話がダウンして、やっとのことで修理してもらって、ほっとしていたときです。あのときは、打ち合わせで仕事部屋を留守にしていて、対策のしようもなかったのですが、今回は、とにかくパソコンの電源を切りました。夕食を済ませた後のことです。いつもならパソコンに向かって、何やらし始める時間なのですが、それもできず、少し多めのチューハイのあと、えいやっと寝てしまいました。何度か、ものすごい音に起されましたが、ああ、雷くんが元気にやってるわいとさほど気にしないで、すぐ、眠っていました。 何せ、地震の次に恐い存在だと昔の人は諭してくれます。確かに、あんなものに一撃されたらたまったものではない。しかし、今回もそうですが、恐いのは一緒にやってきた豪雨の水害でした。土砂崩れや河川の氾濫が、平穏な日常生活を襲ってくる。昔の人たちのくらしに、水害がなかったはずはない。地震の時だって、その後に襲ってくる山崩れなどを伴う水害は、恐怖の対象だったに違いないのに、雷の先にも後にもランキングされていないのはどうしてだろう。齢60の半ばを過ぎた男が考えあぐねてしまうのです。ささいなこだわりではあるのですが。 また、反対に、日照り続きなどでの水飢饉も恐かったに違いありません。いわゆる大都市の江戸には、生活に支障をきたすほどの水不足はなかったのでしょうか。豪雨や日照り続きの災害に、下々の民はどのようにして生活を守ったのか。そのときのコミュニティでの、人の絆はどのように機能したのか。行政であるお上は、何をしてくれたのか。勉強不足の私には、その答を見出しずまいです。人と人の支えあいの限度を超えた苦難を乗り切った民たちの智慧を知りたいと思います。それがいまのまちづくりやボランティアの基本理念につながるものはないかと。 地震災害には、生活支援のボランティアが脚光をあびます。水難被害のときのボランティアはどのように行われるのでしょうか。被害規模の大小はあるにしても、支援の必要がないわけはないでしょうし、指定避難場所もあります。こんな被災者に対して、どのような支援が行われているのか。確かに、浸水被害では家屋の倒壊はなく、家具や建具の修繕、清掃や取り替えなどで生活を復帰できるかもしれない。残存家屋の倒壊診断なんかほとんど要らない。炊き出しをやったり、慰問の活動だけでいいのか。災害ボランティアについて、考える課題が増えたようです。
●風の音にぞ 2008.08.28(木)
玄人未満 情報活用が簡単時代の玄人と素人
「玄人はだし」という言葉があります。専門家でないのに、専門家も負けるぐらいよく研究して知っていることで、玄人もはだしで逃げる、という意味からということです。専門家とは、プロとだけには限らないでしょうが、最近はこの「玄人はだし」の人が多くなっているようです。いろいろな情報が、ウェブなどを通じて、居ながらにして入手でき、また、それを蓄積加工できるパソコンという道具が普及しているせいもあるでしょう。ひとつのキーワードで、数時間もすれば結構な量の情報が得られます。考えてみれば、これは大変な文化革命といえます。 情報の価値が弱まっているのではなく、情報が普遍化している証であり、これに異を唱えるつもりはありません。私自身その恩恵に預かっているのですから。かつては、情報集めには苦労したものです。ひとつの企画のために、バックアップデータが欲しくて、取材したり、統計データを政府刊行物センターで集めたり、図書館に通ったり、何軒かの書店を巡ったりしたものでした。それなりの時間も費用もかかったものです。それだけに、集めた情報から生まれた企画なりが、ある価値を持って受け入れられたのかもしれません。プロとしての真骨頂が発揮できました。 「玄人はだし」づくりを推進しているひとつが、いま、いろいろな方面で流行っている「認定制度」ではないでしょうか。ご当地ものであったり、あるジャンルのものとか、どんなことも認定の対象にしてしまいます。ただ、認定する側に、もったいぶって「御墨付き」を与える不遜な姿勢が気にかかるのです。それがビジネスになり、ある種の人たちの仕事の確保につながる。資格制度が、取得した後で実際の就職にはさほど役立たないように、お下し制度が、与える側とそれを取得した人に差別につながりそうな優越感をつくるだけのようで、どうも落ち着きません。 「玄人はだし」が、どんどん増えていて、玄人との見分けがつきにくくなっています。玄人がプロと言い切れないでしょうが、どんなに玄人になっても、プロとはよぺないようです。もちろん「玄人」が「玄人はだし」の上位に位置する存在ではないことだけは確かです。玄人がその情報や経験なりを使って、職業にしているのか、あるいは、金銭なりの対価を得ているか、が分け目なのでしょう。その道で仕事にするプロには「ごめんなさい」では逃げられないものがあります。プロとは、情報の量ではなく、それをどのように使っているかの質のことかもしれません。
●風の音にぞ 2008.08.27(水)
防災訓練 訓練の準備段階で発揮する想像力
総合防災訓練が、8月31日に行われます。それに先立って、当日の、災害ボランティアセンター開設訓練の準備のための打ち合わせ会議がありました。前日に、AMさんから急きょ呼び出しがかかり、参加することになりました。実は、もうひとつ協働推進課の編集会議があったのですが、うっかり忘れていて、こちらはすっぼかしてしまいました。次号のテーマ選びの打ち合わせで、自分としては、適当なテーマを思いつかず、まあ、そのときになって考えるかと放っておいたせいもあり、結果は後で聞けばいいと、始めての防災訓練の方を優先させてしまいました。 会議の参加メンバーは、ボランティア協議会の中心メンバーと社協の所長、課長と2名の職員、総勢十数名です。お定まりの、なくてもないような、ご挨拶があります。そして、資料が配られ、担当者からの説明に入りました。始めてのことであり、様子をよく飲み込めないままに、成りゆきを見守ります。災害時の具体的なイメージもわかず、聞いているだけです。まあ、訓練計画としてはよくできたものでしょう。どこにもれがあるのかもわかりません。耳が遠くなっているせいで、よく聞き取れない応酬もありますが、結構エキサイティングなやり取りが続きます。 このまちには、災害ボランティアの達人、TKさんがいます。作家でボランティアに関する著作もあり、阪神淡路大震災や新潟信越地震でも、単身で、あるいは家族ぐるみでのボランティアを経験された人です。その貴重な経験は余人を寄せつけないほどのもので、このまちのボランティア協議会は、その指導の下に実践的な訓練や準備を続け、豊富なノウハウを蓄積しています。まさしく、万一時の災害ボランテイア活動の大戦力になるグループを造り上げました。会議では、TKさんやメンバーから、よくできていると思っていた準備計画の不足分が指摘されます。 それが痛快です。想像力に関わることでもあるのでしょうが、実際の災害時をよく理解していないと訓練にならないと。たとえばボランティアの質の問題です。好意だと受け入れても、その機に乗じた窃盗も横行するという事実。それを受け入れの時どのように未然に防ぐか。また、面白い記事、絵になる映像を追うマスコミ報道の取材陣をどのように捌くか、などなど。ボランティアの窓口で起る、テレビや新聞のこちら側では想像できない事実への対策があっての訓練だと。型通りのセレモニーとしての訓練、アリバイづくりとしての訓練に対する強烈な反撃です。
●風の音にぞ 2008.08.26(火)
まち育て 暑すぎ福生七夕まつりの行く末は
急に涼しくなりました。雨のせいでの涼しさのようで、秋の涼しさにはまだのようです。晴れた秋の日の心地よい涼しさだとうれしいのですが…。また、あんな暑さが戻ってくるのでしょうか。それにしても、デブの年寄り泣かせの、結構な暑さでした。あんな暑さのなかで、福生の七夕まつりを催行したのだから、例年のこととはいえ、おそれいりました。58回とかで、よくまあがんばっています。市長さんがオープニングの挨拶で、子どもの頃、竹飾りの下を飛び回って遊んでいたと話されていましたが、まさしく彼は生っ粋の「ヂモピー」なのですね。 七夕まつりの期間中、2回ばかり竹飾りの下を通りました。1回は所用あってで、もう1回は、少し時間をかけて、見て廻りました。肝心の竹飾りが寂しいですね。年々、その他の行事に重点がおかれるようになっているのかもしれません。仙台をはじめ、いろいろなまちで七夕まつりを、観光や商店街の客寄せの目玉としています。「福生の七夕」とこのまちに来る前は期待していました。何しろ、歴史はある。そんじょそこいらの新参七夕とは、わけが違うはずだと思っていました。暑さなんか吹っ飛ばしてくれると。それどころか、暑さは一層身に応えたものでした。 商売柄、まちおこしの企画の相談を受けることがありました。商店街などは、昔はよかったと、なんとか往時のにぎわいを取り戻したいと。商店街に、こんなに客が寄り付かなくなったのは、行政の無策のせいではないか、とまで言い出します。商工会の若い人たちは、何とかしたいと、全国の成功事例を探しては連れ立って視察に出かけ、それなりのレポートをまとめます。しかし、なんともなりません。何かアイデアはありませんかの求めに、こんなこと、あんなことと企画書にまとめて提案しても、ことごとく、うちのまちでは無理ですとなってしまいます。 アイデアの善し悪しを、多数決で採択しようとするわけです。あるいは、いくつかの評価基準を作っておいて、採点して集計する。こんなやり方では、ビッグなアイデアも日の目を見ることはありません。それでいて、全員の叡智を集めて検討した結果、これはという案はありませんでした、となってしまう。発展目覚ましい民間企業なら、トップの一存でOKが出ます。あとのスタッフの仕事はGOとなったその案を企画化して、より具体的に計画し、実践する。福生の七夕も、このままだと、模擬店と行列踊りとバフォーマンスショーのプアなイベントになっちゃうよ。
|