ロマンある都市 PART1
MMさんは、N県T市の市長でした。その彼が国政に挑戦することになり、その準備を開始。そのお手伝いをすることになりました。 表選対の一員として、コミュニケーション対策、特に、若者やピジネスマンむけのコミュニケーションづくりです。まだ、ITが世に出ていない時代、印刷メディアを活用しての活動です。
その一環としてマーケティングの実践面での第一人者、IMさんとの対談を、PR誌に掲載することになりました。司会と記事をまとめる体験は、私にとって大きな収穫でした。 お二人の熱論は貴重な実践論として、いまなお心に残ります。実際には、一部しか掲載できず、大部分は葬られてしまいました。それが惜しく、私個人の、とっておき秘蔵データ集から、再録してみます。
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物と心のバランスのとれた 都市づくりを
司会 いま、全国のどこをさがしても、かつてのような純農村というようなところはなくなっているといわれます。日本は都市国家といってもよいほど、全国、津々浦々都市化現象が進み、これらの都市は複雑化し、多くの問題が現われてきております。いま、都市問題を避けて、産業振興や政治を語れないのではないかと思うわけです。そこで、今日はマーケティング・プランナーとして、我国の産業の発展に大いに寄与され、また、最近では、都市問題にユニークな発言と、すばらしい解決策をお持ちのIMさんをMMさんの応接室にお迎えしてお話しをいだだきたいと思います。
MM これからは、人々が豊かな生活を実現するためには、豊かな都市づくりが必要だというのが、私の現在の認識です。
IM 私は、マーケティング活動として企業の商品開発をやってきて来年で40年なんです。だから、マーケティング屋としては日本で一番古く長く現役でいるということです。質は別としましてね。 その前半は企業の商品開発をしてたんです。ところが商品をいろいろ作っても、それを使う生活空間がないということで、段々街づくりになり、都市づくりをお手伝いするようになったわけです。そのプロセスでMMさんと意気投合しまして、いろいろのことをお手伝いさせてもらいましたし、実験もやらせてもらいました。 マーケティングで、いま企業で安直に使う言葉にニーズという言葉があります。ほとんどの会社の社員募集のパンフレットか何かには「我が社は社会のニーズに対応して……」というふうに書いてあります。ところがニーズに対応していたら遅過ぎるというのが、私の昔からの主張なんです。みんながほしいと思ってから、それをこしらえるのでは遅過ぎる。 フラストレーションという言葉があります。欲求阻止、やりたいと思ってるのにできないでとどめられること。私は「フラストレーションに対応し」という言葉を使っているわけです。ニーズに対応して、みんながほしいと思い始めてから、こんなものをこしらえましょうといってこしらえても、みんなが一斉にこしらえるから、価格の競争とか過当競争の渦の中に企業が入ってしまう。 だから、私は企業から経営の何かを手伝えといわれたときに、パンフレットを見てみて「我が社はニーズに対応し……」なんて書いてる会社は、「これではもう遅いから」という形で、なかなかお手伝いできない状況になります。 そういうことでいま一般の社会の人の一番のニーズは何かと考えましたら、「豊かでありたい」ということが基本のニーズですね。これはニーズというよりも、人間の基本的な欲求で〈アスピレーション〉という言葉を使いますね。 日本人は昭和20年代に国が豊かになったら、きっと国民は豊かになるだろうという、一つの大きな幻想を抱いたわけですね。あるところまで国が豊かになることによって、国民もかなり豊かになってきましたですね。ところがある限界を超えたら、国はどんどん豊かになるんですが、国民は豊かにならなかったということを体験した。 もう一つは、企業が豊かになれば社員が豊かになるんだという幻想を持った。だから、会社のために一生懸命働いた。ところが会社の売上げが3倍になって、社員の給料が3倍になったかというとそうじゃなくて、会社はそれによって工場をこしらえたり、何かをこしらえたりした。企業が豊かになることは社員が豊かになることではないということも体験し始めたわけです。 そして日本人の現在の最後の賭けとして、都市が豊かになったら市民が豊かになるんじゃないか。2回だまされたから、それは幻想かもしれない。本当かもしれない。都市が豊かにさえなれば、俺たち市民が豊かになるんじゃないかという賭けを、いま日本人がしてるんだろうと思うんです。ですから、日本人のいま一番の欲求は、自分の住む都市を豊かにしたいという欲求だろうと思うんです。
ですから、私はこれは政治も行政も企業も、すべてがその欲求に対応する答えを出していかなくちゃいけない時期だろうと思ってます。 そういうことから思いましたときに、ギリシャ、ローマの時代から、人間が幸せであるというのはどういうことかといいますと、良い都市に生まれること。これは私がいつも言ってることです。ところがギリシャの都市国家なんかでは貧しい都市に生まれたのと豊かな都市に生まれたのとでは、全く幸せのピンとキリですよね。 いまの日本の状況では、良い都市に生まれた幸せと、良くない都市に生まれた不幸せの差は、それほど出ていませんけれども、これからは都市が豊かであること以外、市民が豊かになるということはない。ですから、私は都市単位の行政がもっと育ってくるべきだろうと思うんです。 そういう意味合いでは、MMさんは実体験をなさったわけですから、政治家としてのこれからのMMさんは、国全体がどうこうということより、N県内に、たとえば、30の都市があるんでしたら30の都市が、一つずつ豊かになっていくのに力を尽くすことだと思います。都市が幸せになるためにきめの細かいことをやる。それが中央行政の政治に参加する政治家の一番大事な一つの技法だろうと思うんです。
MM 良い都市に住みたい欲求が、今日ほど育ってきている時代はないという認識は私も同じです。
国家が、世界がという論議も非常に盛んですけども、自分の住んでいる、近きは遠きに及ぶといいますか、都市への欲求が非常に高まっていることは事実です。
だけれども良い都市、悪い都市という極めてあいまいな言葉でいいますけど、具体的に市民はどういう都市が良い都市で、どういう都市が悪い都市であるかというものを持ち合わせていない。
よく都市づくりの本なんか見ますと、「豊かな都市を目指す」とか、「明日のより良き何々市をつくろう」とか、非常に漠然としてましてね。良い都市というのが概念としてあっても、具体的にどんな都市が良い都市なのか、どんな都市が、これから21世紀に生き残っていく、あるいは活力を持てる都市なのかという都市像が、市民や生活をしている人たちに示されていないというところが、相当あるんじゃないかと思うんです。そういう点はどうですか。
IM 都市についての理論ですね。ギリシャとかローマが都市国家というのを持った長い歴史の中で、良い都市の基準を持ったんだろうと思うんです。ところが日本の国民の生活で都市単位でものを考えるというのは、歴史始まって以来、いまが最初のことだろうと思うんですよ。
だから、その基準をいま模索してる最中です。そして、かなりの試行錯誤の後、良い都市の条件は10年前よりも今年、20年前よりも今年は、はるかによくなっています。30年前なんて全然比べようがない。1990年代近くなって、良い都市の基準が大変鮮明になってきたと思うんです。
それまでは美術館があったら良い都市かなとか、公民館があったら良い都市かなとか、緑が多かったら、あるいは学校があったら良い都市かなと、みんなが模索してたと思うんです。ところが昭和が終わるとほとんど同時に、良い都市の基準は市民のかなり明快なコンセンサスになったと思うんです。
そういう意味合いでは市民と行政と、どっちが進んでいるかといいますと、むしろ市民は漠然とですが鮮明なものを持ってます。行政は漠然とではだめで、それに対して一つ手だてをしなくちゃいけないわけですね。それを鮮明に持っていない。ある面では私は市民のほうが良い都市の漠然としたイメージを鮮明に持っているだろうと思うんです。
ですから、それを一つに組織化し理論化して、作業のできるシステムにやっていって行政という形になっていかなくちゃいけないだろうと思うんです。
MM 近代文明が非常に進んできたせいかわからんけども、いままでのいい都市というのは機能が優れている。例えば、道路がいいとか、私たちの雪国なら雪に対する対応が進んでいるとか、橋が架かっているとか、生活しやすいとかで、都市に住んでいるという条件を満たしてきたということがあるんですが、最近はもっと文化を楽しむとか、福祉とかの面というように、良い都市に対する住民の願望がかなり変化しているように思うんです。
だから、機能的なものが終わったのか終わらないのかという論議は別にして、いままではその都市にいたら、質の良い文化を享受できるとかいうようなことは、あまり都市条件としては浮上してなかったのが、いまは相当上位に浮上しているように思うんですね。結局、住民の生活に対するものの考え方が、相当大きく変化してきているんですね。
逆に言えば、これからの行政とか政治には、住民のライフスタイルが、どのようなものに向けられているかということをいち早く知って、それに具体的に対応していくという努力をすることが、非常に重要になると思うんですね。
IM MMさんは若いころから、そういうものに対して率先してなさる方ですから、世の中がどういう生活をあこがれて暮らし始めているかということに対して、大変敏感ですよね。
都市の機能とか文化ということで、大変都合のいい言葉がありましてね。都市というときに「アーバン」という言葉と「シティ」という言葉をよく使いますね。「アーバン・ライフ」という言葉と「シティ・ライフ」という言葉がある。
これはあまり理論的な差がないんだそうですけど、ニュアンスとしてややあるのは、下水道もあります、上水道もあります。美術館があります。電車があります。また、地下鉄がありますというような都市設備のほうのことを「アーバン」というんです。だから、都市設備があって大変便利してますというのは「アーバン・ライフ」を楽しんでいる。
そういうものがあってパーティーが簡単にできます。友達と外食しようといったら、このようにできます。展覧会もよく観れます。病気になったら、すぐに何かできます。これは「シティ・ライフ」を楽しんでいる。
行政の首長の中には「アーバン・ライフ発想」の方がいらっしゃるわけですね。今度は美術館をこしらえたから、次は、市民ホールか地下鉄かというように、アーバン・ライフ指向の都市開発をやる。
これに対して、今度は子どもたちが、いろいろ勉強ができるような博覧会があったり博物館ができる。主婦たちがお稽古事も十分できるような何かをこしらえる。これは「シティ・ライフ発想」の都市計画だろうと思うんです。
段々アーバン・ライフ発想の都市計画化とシティ・ライフ発想の都市計画化が、色分けされてきまして、お互いに競争し始めたわけですね。自分のところがよいんだと、お互いに誹謗し合ったりしている。お前らは物ばかりこしらえて、生活はどうする。逆にそんな生活のことを言ったって、設備がなければできないんだ。
これは間違いなんです。ロマンという言葉がありますが、ロマンというのは物と心のバランスだと思うんです。禅宗のお坊さんのような生活を現代の人ができるかというと、できない。物ばかりにあこがれるいやしさもわかってきた。
ですから、政治家は、物と心のバランス感覚が、どれだけあるかということだと思います。心よりのことばかりしている政治家も市民にとっては頼りないですし、かといって、物寄りのことばかりを一生懸命やる政治家も頼りない。私は政治家に必要なのはこのバランスだろうと思うんです。
いっとき、「物の豊かさから心の豊かさへ」という言葉があった時代があります。私はこれには反対でした。じゃあ、心だけあればいいのか。やはり物もなければならない。だからこそ、いま、物と心のバランスがとれた「ロマンの時代」だということです。
そういう意味では、私は、自分自身のロマンをテーマにするマーケティング・プランナーだと思いますし、そんな活動をしてきたつもりです。MMさんと出会って、MMさんも、そんなロマンを政治に生かそうとなさってる方だという共感し、共鳴してから、もう30年近いお付き合いになってるわけです。
地域の産業を見直して新しい都市文化をつくる
IM 都市は暮らしの場ですからね。暮らしというものは、出るものと入るものとのバランス、これは私がいつも言うことですね。パーキンソンという人の第3法則に「金は出るだけ入る」ということがありますが、私のちょっとネクラな友達が、講演会でそれを使おうと思って間違えて、「金は入るだけ出る」と言ったんだそうです。(笑い)都市の経済も入るものと出るもののバランスだろうと思うんです。
ところが昭和20年代、30年代の都市づくりは、ショッピング・センターをこしらえましょう。公民館をこしらえましょう。道路をこしらえましょう。美術館、博物館をこしらえましょう。これは出るもののほうの都市計画ですね。
昭和40年代、50年代になってからの都市計画は、今度は入るものをこしらえようということで、一番初めにやったのは企業誘致です。ところが企業がここへ来ても安い土地を見つけて安い賃金をあれするだけで、そんなに期待できないということで、都市の産業を興そうということですね。
T市長時代のMMさんは、都市の産業を興そうとされた。現在全国各地で進められている一村一品なんかよりも、はるかに前からそういう運動を、実際になさっていた。都市の産業を興して、そこにおしゃれなものを買うショッピング・センターがあって、ご馳走を食べるレストランがある。出るものと入るもののバランスなんですね。
ですから、首長もそうですし、都市計画をいろいろサポートするスタッフたちも、どっちかなんですね。出るほうのものばかりをあこがれてサポートするスタッフと、入ることばかりをサポートするスタッフですね。だから、入るものはここでして、使うのは遠くの都市に行ってするという都市は、商業も何も繁栄しませんね。
MM 私がいま住んでいるNという市がありますが、国際技術大学を招致したわけです。全国から相当優秀なメンバーが集まってくるんですね。しかもかなり精度と密度の濃い教育が行われているんです。地元の人ももちろん就学してます。
ところが地元の市民ぐるみでその学校を応援しているにもかかわらず、その大学をせっかく卒業した人が、地元に残らないで、一流企業あるいは中枢企業の技術開発機能のあるところへ全部散っていってしまう。
そして、地元はいつも人材がほしい、ほしいといっている。こういうことを見ていると、テクノポリス構想とか地方都市の時代とか、産学住一体システムといってますけど、地方都市に将来定着することがあるのかなという疑問を現実には持っているんです。
IM 私は産業、文化、情報の三つのプロセスがあると思うんです。最後の学校という情報機関をこしらえまして、産業から出発していく。
だから、農業というものがN市を中心にありますが、それを付加価値の高い農業にする。花卉園芸だとか都市型野菜だとかですね。それから、このごろ料理農業という言葉を使っているんですが、牧畜から始まってチーズだとか西洋野菜ですね。そういう農業があります。
それは、そこの土地、ネーチャーをカルチベートすると、そこのカルチャーになるわけですね。ネーチャーがカルチャーになる。
だから、NというN県の周辺のネーチャーをカルチベートすると、やっぱり農業だけれども大変付加価値の高い農業になるんです。コメやムギやイモを作っていたものが、野菜を作り牧畜もして料理農業になっていきますと、そこの産業になったころには、もうそこの文化になってるわけですね。文化になったら、その技術をみんなが習いに来ますので、農業学校ができて花卉園芸とか料理の学校ができる。
ネーチャー、カルチャー、それから情報というプロセスを通らないで、どこかから行政の力でネーチャーとかかわりのない文化施設、学校などを誘致することになると、ただ、土地代が安いので学校が広い敷地を持てて便利だというだけで来る。
だから、都心まで出るのが大変だということになる。よく学校誘致をやってる所が、S県とかH県とか、たくさんありますけれども、中心からオートバイで学生たちが来る。だから、そこではオートバイがよく売れたというぐらいのことになる。あるいは、せいぜい安い下宿代の、安い定食屋さん、ラーメン屋さんのという形の産業だけしか育たなかったわけですね。
だから、まずそこに産業が育って、その産業の付加価値が高くなったときに、そこの都市の文化になりますね。その文化にかかわる教育だとか博物館だとか美術館だとか学校だとかができてくるべきだろうと思うんです。
いまの日本の学校誘致は昔の企業誘致と全く同じですね。そこの風土が、その産業に適しているか、適していないかにかかわらず、敷地があるからというので、呼んできたのとほとんど同じようなことです。
それは土地に全然なじまない形になってきますね。こういうことを言うと怒られますけれど、学校があるだけの土地なんていうのは、すべて都市に関してマイナス条件です。ところがそこの土地の文化と結び付いているとプラス条件になるんです。ですから、土地の文化とかかわらない限り、学校誘致は全くナンセンスだろうと思いますね。
MM 土地の文化ということは土地の産業が基本だということですね。
IM ええ。
MM だから、これからの都市づくりの基本は、もう一度その土地の産業を見直すことではないか。いってみれば産業の政策が、これからの良い都市政策の一番底流にあるものではないか、という感じを持つんですけどねえ。
IM だから、入るものをまずこしらえて、それを豊かに楽しく使えるところを段々こしらえていく。
日本の国土で一次産業だけでは、そこに住む全ての住民が食べていけるだけものを生産できませんから、かなり付加価値を高めなければならない。ただ、大根を作ってるだけとかムギを作ってるだけではいけない。だから、産業というのは自ずと文化が備わってこないと……。
カナダだとかオーストラリアだとかソ連、中国なんかだと、飛行機からムギをまいてトラクターで刈っただけで、そこの市民は食べていけます。
そういうのは〈付加価値一倍〉の産業と呼んでるわけです。それから、一村一品運動は〈付加価値十倍〉で、せいぜい竹を竹篭に編んだぐらいのものです。これでは食っていけない。だから、かなり芸術性の高い〈付加価値百倍〉のものですね。これを目指さないと……。
たとえば、MMさんが市長をやっておられたT市の木を切って薪にしてT市印の薪なんていったって、これは具合が悪いので、それを木工か何かにしてT市印の家具とする。木は3年か5年で全部切り尽くしますので、楽器でも作ってT市印の楽器ということですね。
イタリアのクレモナでは楽器を作っていて、ガデリウス、ストラディバリ、それから、アマーティのご三家がありますね。そこから教えに来てくれるというわけです。そういうことを教えてもらって、T市でやりましたら、バイオリンはちょっと無器用だから作れなくても、ギターぐらい作れるから、T市名産ギターを作る。余程、無器用でもウクレレぐらい作れるから、T市名産ウクレレという産業ができるかもしれないわけですね。そしたら、そこで音楽学校だとか何とか、という形になる。
そういうことで私は料理だとかですね。栗を作ったり牧畜をしたりという形で、私はやはり料理産業が育ってくればいいのになと提案してたわけです。
そういうネーチャーをカルチベートする。ただ、単に一村一品にするだけといっても、T市で栗を作っても、村中が食べていけるわけではありません。「それじゃあマロン・グラッセにするか」といって、マロン・グラッセを作ったって、それでもまだまだ全員が食べていけない。一体、次は何にするか。栗の木で家具をこしらえるとかですね。
ですから、付加価値を高める努力をしていくと、そこに自ずと文化ができてきますので、その文化を世界中から求めてきたときに、国際会議場だとかホテルだとか学校だとか博物館とか美術館ができてくるわけですね。
私はいま多くの全国の地方自治体のお手伝いをしてるんですけれど、こういう意味で、そのうちの95%ぐらいまでは夢がありませんね。どこに掘割をこしらえたら、あそこの畑に水が行くようになる。今度はラッキョウをたくさん作れるようになるよ、とかですね。 それはそれでいいんですが、その次に何になっていくか。そこに料理文化が育っていくのか。花卉園芸文化が育っていくのか。それによって花の博覧会を常設できるイギリスのチェルシーとオランダとその都市とで3年交代でトレード・フェアをやるような形にまで育てていくのかとかですね。
5%の首長は大変ロマンがありますが、95%の首長はロマンをお持ちでないんですよね。そういう意味ではMMさんは、ロマンがあり過ぎるぐらいたくさんありますのでね。 〈つづく〉
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