●仲秋の午寝 2008.09.29(月)
スタッフ もてなしの心をスローガンにして
「スタッフ」は最初に仲間と作った会社や、次に作った会社の社名に入れた、私の役割を鮮明に宣言するポジション名です。私たちの立場は、キャストではなく、あくまでも何かのお手伝い領域で仕事をしようとするもので、最初がSP、次がクリエイティブを頭につけました。ちょっと気恥ずかしいネーミングで、ピアニストのKIさんの後援会をやっていた時、私たちの有り様が気に食わないと、会員のひとりから社名にやっかみ絡みのようなイチャモンをつけられたことがあります。そのご仁とは、手紙で喧嘩をしましたが、いま思い出しても苦々しさが去来します。 フランチャイズチェーンの運営マニュアルでは、スタッフのアクションマニュアルは、重要不可欠のものです。長い間、外資のガソリンスタンド(正式名はサービスステーション、略称SS)の、マーケティングのお手伝いをしてきました。まだ業界が華やかしき頃で、他社ですが「オォ、モーレツ!」のCMが話題になり、多くのCMがテレビを賑わしていました。SSでのプロモーションも盛んで、その企画や制作に追われていました。その外資企業のチェーン展開マニュアルは、業界のバイブルといわれたもので、見せてもらう度に身震いするほどの出来でした。 そのチェーンのSSに向けての、スタッフマニュアルがあります。それは基本的なもので、年6回のプロモーションごとに作られるマニュアルや毎月のハウスオーガン、また、トレーニングマニュアルの制作は私の担当領域です。この企業は、外資でありながら、日本の市場に合せたマーケティングを展開することを基本理念に、多彩なキャンペーンやプロモーションを実施していました。これらの企画やマニュアルのノウハウは、その後、たくさんの企業の販売店スタッフマニュアルづくりに活かされます。私たちは、重宝がられた希有な存在だったと自負しています。
そんな仕事を続けていると、各社のマニュアルや情報が集まってきます。もちろん、社外秘扱いの極秘書類です。そんな情報の中で、TDLのスタッフ・スローガンが、特に、私のお気に入りです。「ほら、みてごらんよ。/こんなにたくさんの/嬉しそうな顔を/見たことがあるかい。/こんなに楽しんでいるところを。/僕は、一人でも多くのひとに/笑顔でパークの門から/出ていってほしいんだ。」ここではスタッフは「キャスト」と呼ばれています。楽し気なパフォーマンスを披露してくれる掃除担当もキャストであり、もてなしの心配りは見事なものです。
サービス業である販売業には、このような心配りが欠かせません。CS(個客満足)は商売繁盛の基本であり、このスローガンは、CSの基本の心を、やさしく、具体的に表現しています。影響されやすい私としては、いろいろなチエーン店の、スタッフ向けのスローガンに、心を同じにした、アレンジしたスローガンを送り届けました。単に、商品が良くて、安ければよいとするのではなく、個客に対して、満足してもらえる商品は、価格やブランド、機能、品質だけでなく、販売環境の快適さや接客態度など、総合的なものです。笑顔で、出ていってもらうことです。
●仲秋の午寝 2008.09.28(日)
メディア 彼岸と此岸では差がある価値基準
私はメデイアのこちら側と向こう側を、此岸と彼岸と呼んでいます。テレビでいうなら画面を見る側と送る側のことです。広告産業のごくごく片隅に身をおいていた私にとって、知ったかぶりしかできませんが、それでも少なくない見聞を体験してきました。最近は、此岸の一般の人が、送られてくる情報や彼岸の事情に対して、一家言を持つ人が増えていることに、少しばかり気になることがあります。もちろん、受けた情報を批評し、評論することは、何のお咎めもなく、それはそれで格好の話題でしょう。しかし、思い違いや想像の域を得ない断定も少なくないようです。 いわゆる業界通というのでしょうか。彼岸の事情を知っていることで、何か自分を特別な人間に見せたい、見られたいと、そんな思いを抱いてしまうのかもしれません。いつだったか、電車の中でそのころ関心を集めていた若い女性タレントのゴシップを聞こえよがしに話している若い女がいました。話す内容は、男たちの酒の席の与太話しのような、日中には聞くに耐えない話です。まわりの人たちは、聞こえないふりをしながらも耳をそばだてます。その女は、調子に乗って声が大きくなります。どう見ても、話からその芸能業界に関係する人ではないみたいです。 彼岸は、そんなに特別な世界でしょうか。確かに、競争の激しい世界ですが、それはビジネスの第一線の状況と大差はありません。ただ、視聴率競争などにしのぎを削っているメディアが仕掛けている、フィクションのような面白く、脚色したお話しです。大体、誰が誰と何をしたっていい、その人たちの自由です。それが一大事のように話題にする此岸の女の子や男の子たちは、彼岸の戦略にまんまと乗せられいてることに気付かない。ただ、彼岸のタレントや業界人は、そんな此岸の人たちの注目をつくることで、大きな金額が動くビジネスを展開しているわけです。 彼岸が身近に感じるのは、此岸と彼岸の垣根が低くなったように感じることもあるでしょう。ごく普通の女の子や男の子が、あれよあれよとスターダムに登ってスポットライトを浴びていく。自分は志さなくても、隣にいるような子が注目をあびるのは、隣りの子が難しい学校に合格したことに接するような感じなのかもしれません。しかし、此岸と彼岸が大きく違うのは、経済価値なのです。彼岸では、日常の消費生活では考えもおよばない金が動きます。当然ですが、大きな産業として、多くの企業とそこの社員たち、流通関係者が生きていかなければならないのです。 ここでもITが作用しているように思います。彼岸が身近に感ずるのは、インターネットとパソコン、携帯電話などが、疑似彼岸をつくり出し、自分がその中で送り手になった気がするからかもしれません。自分の思いつくまま、気軽に、安価に、マスメディアなみの品質で、印刷物風のメディアが、しかもカラーでつくれる。編集出版の世界です。自分の意見を、気兼ねなく、文字や映像で、放送局のように発信できる。これが高じていくうちに、質を他と比較することなく自分中心で、意のままに、自由に発信していく。すっかり彼岸の主人公になってしまうわけです。
●仲秋の午寝 2008.09.27(土)
デザイン ITがアートの世界を選別したのか
私の世界でいえば、グラフィック‐デザインのことで、ファッションは、縁遠い世界で、近付かないようにしています。また、インダストリアル・デサインについては、開発した新商品の容器のデザインや、建築や自動車など、マーケティングの絡みでその端っこには、何度か関わりを持ちました。市場的に、受けるかどうか、つまり、売れるか売れないかの予測はつきかねますが、好みとして、好きかどうかの意見を出せる程度です。一緒に組んだチームのクルーも、この点については私を蚊帳の外に追い出します。売るための、重要な要素のひとつではあるのですが。 このグラフィック・デザインの世界も、ITによって変わったようです。私でも、マニュアルなどページもののレイアウト程度は、パソコンのDTPによって何とかできるように、この手の仕事は、デザイナーの手をわずらわせなくてもできるようになった。デザイナーの修業を積まなくても、アプリケーションの使い方さえ覚えればできる。考えようによっては、素晴らしいことです。これまでは、例えば20ページの小冊子なら、各ページとも同じレイアウトなのに、ページあたりのデザイン料を請求していたし、払っていました。それで通用していた世界でした。 デザイナーは、アートで勝負しなければならなくなりました。この視覚による情報伝達、結果として行動を促す働きかけをも担わなければならない。これができてこそのプロといえるスキルでした。生来の才能もあるでしょうが、その画才に加えて、修練も求められます。広告、ポスター、カタログなどの商業印刷で、コピーライターがつくったコピーを生かすのも殺すのも彼らの腕次第です。本来は、目的である「売る」力などがあるかどうかまで求められるのでしょうが、掲示したポスターが剥がされるなどの話題にはなってもデザインの訴求力までは問われません。 このようなデザインも、市場に出て目的を果たすためには、どこの誰がOKを出すかも問題です。ここにはその決定権者の好みの問題が入ってきます。はっきりいってアートの要素の強いポスターは、違いはどんなデザイナーの手によるかだけで、同じ作者なら大差がない、というより気を入れた作品に善し悪しはありません。自分の判断に自信がない決定権者は、上役への決定理由をうまく説明できない、そのために1点だけではなく、他に2〜3点の提出を求めます。その中で選ぶわけですから、はじめから、本命の他に当て馬を作っておく。デザイン稼業も商売です。 いきなりコンピュータ・グラフィックは無理としても、普通の印刷物のデザインはパソコンでも、経験の少ない人にもできるようになりました。新人のビジネスマンでも、すぐにこなせます。商業印刷という分野で、かつてはデザイン会社の存在は不可欠でしたが、いま、アート系の印刷物以外は、不要とまではいわなくても、必要性が薄れてきたようです。印刷会社にもデザイン部門はあるし、クライアントだった事業所には、パソコンがあり、カラーコピー機がある。あの時代、元気だったデザイナーたち、わが世の春と謳歌していた彼らはどこへいったのでしょうか。
●仲秋の午寝 2008.09.26(金)
パソコン 導入できなかった職人デザイナー
事務所にワープロを入れて数年たち、すっかり馴染んだころ、業界はCADに傾こうとしてました。デザイナー養成学校では、DTPの授業を積極的に取り入れ、修業生を次々に送り込んできます。スタッフ数名の小さなデザイン事務所も、どの時期にパソコンを入れるかを考えていました。うちの事務所がいつも組んでいるデザイナーたちは、まだまだ手作業です。それで支障なかったのですが、紹介されて仕事を頼もうとしていたデザイン事務所が、パソコンを使っていると聞いて、俄然興味をもち、すぐにもリーフレットのデザインをお願いすることに決めました。 ただ、そのころのパソコンの使い方は、DTPデータを印刷会社に渡すといったとこまでいきません。デザイナーが版下をつくるために、写植代わりに、パソコンで出力した版面を使うという程度でした。それでも外注していた写植や版下が要らず、制作時間が短縮でき、コストダウンにつながるというわけです。クライアントからデザイン料や写植版下費の値下げ要求がきつくなり始めていました。版下作業までを取り込めれば、デザイン事務所として、なんとか、いままで通りの経営が維持できそうだと踏んでいました。急ピッチなパソコン導入が始まります。
私たちのパソコンとは、クリエイティブソフトが充実しているマッキントッシュ(MAC)で、いま、一般オフィスで普及しているウィンドウズ(WIN)ではありません。いまでこそ、両方のOS向けに同じソフト(アプリケーション)が発売されていますが、クリエィテイブ作業にはMACでした。そのころから少しずつ増えているWINパソコンは、あくまでも、ビジネス用OA機器と認識されています。そのころから、やがてWINが市場を凌駕するといわれ、いま、その通りになっていますがクリエイティブの世界では、いまなお、MACが健在、本流です。
ワープロがタイプ印刷を駆逐したのと同じように、パソコンが写植や版下作業を追いやってしまいました。この状況が進むと、さすがに、デザインは手仕事が本分で、アートだといっていたベテランたちも、気をもみだします。時代の流れだと、進んでMACに取り組んだ人たちがいます。取り組もうと、装置を入れて、インストラクターの指導を受けた人もいます。しかし、売れっ子の忙しいデザイナーほど、習熟するための時間が取れません。パソコンで仕事に取り組もうとしても、ついつい手作業の方が早い。いつか、やれるうちは手作業で行こうとなっていきます。 私たち企画やコピーの分野では、ワープロで十分に仕事ができました。仕事は見た目のきれいさよりも中身、内容です。もちろん、読みやすさや理解しやすさのために、デザイン上の工夫は必要ですが、それはワープロでもできること。パソコンの売りは、ワープロもできるし、デザインや絵を描くこともできるなど、私たちの業務に関連するいろいろな作業ができることです。いままでは、分担作業だったデザインの仕事は、簡単なものなら、私にもできる。もちろん、安くない外注のデザイン制作費を節約することができます。私もパソコンを入れることにしました。
●仲秋の午寝 2008.09.25(木)
ワープロ 四半世紀前からの最良の筆記用具
原宿にあった事務所に、ワープロを入れたのは昭和57年のことです。26年前になります。ディスク1台分の大きさもあるR社のその機械は、狭い事務所に、どっしりと座りました。当時はまだ珍しく、取引のあったタイプ印刷会社のタイピストが見学に来ました。ワープロが彼女らの仕事を奪ってしまうのではという危機感からてしょう。その実、後の数年間に、街のタイプ屋さんは次々に消えていきます。また、同じマンションのテナントで、全国で話題の人物、ロス疑惑のMKさんも事務所に見に来たとことを思い出します。彼も新しものがり屋だったのでしょう。 OA機器として導入されたワープロは、もっぱらタイブ代わりの清書用として使われました。オフィスで専任のオペレータが、下書きした文書をタイピングするという使われ方で、操作はそれなりの技術が必要とされ、書き手が筆記具として使うのはもう少し後になります。コピーライターの世界でも、最初の頃は、クライアントへの提出原稿用に使いました。ちょうど仲間と始めた事務所から離れて、私が代表の株式会社を立ち上げたときで、総勢アシスタント2名との陣容です。ワープロはボスの私の専用機で、空いたときだけスタッフにも使わせていました。 操作は、導入したときにインストラクターに2〜3日間、教わっただけで、あとは自分流に慣れていきます。あるのはワープロ機能だけですから、そう難しくはありません。入力はJIS配列と50音順のキーボード、タッチペンで入力するタブレット式の3種類あり、さすがに私としては現在と同じキーボードを選びました。はなからブラインドタッチなどを覚える気がなく、右手1〜2本指の入力で、いまだにそのままです。もっとも、自分の頭で考えながらつくる文章を、自分が書く速度くらいに入力できればよしとしていたので、原稿を見ながらの清書とは違います。 2ストローク入力を取り入れたのですが、いまはすっかり忘れています。R社のの機器はH社のOEMで、2ストローク入力はH社独自のやり方らしく、それに慣れた私は、パソコンになった今でも、2ストロークの手引書を必死に探しいるのですが、もう、どこにもないようです。どなたかお持ちの方があれば、譲ってもらうか、コピーさせて欲しいと願っています。やがてパーソナル用のワープロが市場に出回りはじめます。広告代理店経由で、T社の仕事を手伝っていた私に、T社のパーソナルワープロの販売店用セールスマニュアルの仕事が入ってきました。 まず、販売企画づくりです。なんとかワープロを使いこなしかけていた私は「マスのコミュニケーション精度を個人レベルに持ち込んだ筆記具」として位置付け、販売店の取材で得た情報などをもとに、店頭での効果的な販売方法を考えました。この時は、企画提案だけで終りましたが、それなりのインパクトをもって受け入れられたようです。以後、T社のワープロのセールスマニュアルは、事務所を四ッ谷に移したころには、米びつ的な仕事のひとつとなり、専任のコピーライターをつけました。そのころには、スタッフ専用のワープロがフル稼動していました。
●仲秋の午寝 2008.09.24(水)
男は器量 女は度胸男は顔と才の器量で勝負
「男は器量、女は度胸」が、私の思い込み信条です。器量とは「顔だち」と「才能」の意。男は、なんと言っても「顔」と「才能」です。男にとって“素顔”は履歴書、一瞬のうちにその人の生きざまを伝えてくれます。私は、男は40歳を過ぎたら、顔に責任を持たなければならないと思っています。例えば、テレビ報道などで見る、食品偽装をした社長の顔。みな同じ面構えで、等しく品がない。どうしてああも似てしまうのでしょう。他の犯罪の被疑者の顔は、たいてい警察が隠して見せませんが、多分、品がない顔でしょう。器量が感じられない人たちです。 政治家の顔もいろいろです。よくまあこの顔で、人前やカメラの前に立つかねぇ、という人から、数は少ないようですが、いいお顔の方までいろいろです。品のない顔を選んだ国民の哀しみを感じてしまいます。男のいい顔は、いわゆるイケメンだけではありません。イケメンでも下品な面相もあり、イケメンとはいえなくても、惚れ惚れするような上品な顔もあります。その人が、どんなシチュエーションで面をさらすかです。人前に出たり、カメラの前にさらせる顔には、向き不向きがあります。出さない方がいいよという顔もありますが、ご当人は我存ぜずです。 私は、人様のことをあれこれ言えません。少年時代から、外観には劣等感を持っていて、ひとの顔をよく覚えられないのも、自分の顔に自信がなく、相手の顔を正面から見据えることができなかったためでしょう。そんな私の顔や容姿を、人前や公のカメラの前にさらけ出してはならないと言い聞かせていました。若気のいたりで、演劇の舞台に立ったこともありますが、傍役で一度だけです。仕事を含めて、できる限り表に出なくてもよい裏方の役割に徹してきました。ただ、40歳を過ぎてから、この顔でも、なんとか人前に出られるかなと思った逸話があります。 新潟県加茂市は、全国に知られた桐箪笥の名産地です。そこの協同組合から需要開拓のためのマーケティング調査と企画立案の依頼がありました。始めて出向き、組合長たちと新幹線駅の改札口前で待ち合わせをすることになりました。体型や服装、持ち物などを伝えてありましたが、分かってもらえるか不安です。しかし、一発で互いを認識し合えました。あとで、想像通りの風体で、しかも、安心して信頼できそうな人柄とわかりました、という言葉をもらいました。そのころから、この顔でもなんとかやっていけると、講演の講師まで引き受けてしまいました。 だからといって、まだまだ私は調子に乗れません。人間関係を快く保つためにも、人前に出る役割はできるだけ避けています。とにかく、男は器量で勝負なのです。いい仕事は、いい顔に育ててくれます。そして、女は度胸。男女共同参画が叫ばれて久しくなりますが、そんな職場や団体は世に数多くあります。身近になかったら創れば良い。古い、顔つきの良くない親父たちなど「度胸のスクラム」で蹴散らせばよい。そして、仕事の質で、内容で勝負すること。度胸を発揮することとは、感情に走らず、理性的、計画的に、理にかなった大胆な行動を取ることです。
●仲秋の午寝 2008.09.23(火)
アイデア 企画から実施まで人任せの苦労
アイデアだけでは企画とはいえず、企画になっても採用され、実施されるとは限りません。アイデアは「思いつき」であり、ほとんどの人が発想できるものでしょう。もちろん、発想するにはそれなりの情報とその整理や構築能力が必要であり、常時、この心構えと訓練が必要です。この備えがないと「何かも良いアイデアはないか」と、突然いわれても、すぐには出て来ないもの。アイデアの多くは、いろいろな事象の組み合わせや転用が多いものであり、世界初の独創的なものなど、アイデアマンだといわれる人にだって、そうそう出てくるものではありません。 発想するには、まず、課題意識が必要です。耳タコですが「必要は発明の母」と言われるように、何のために発想しようとするかを確認すること。突然、急にひらめくようなこともありますが、それは頭のどこかに、潜在的にいつも課題を持っているからのようです。解決したいこと、何のためなのかの目的をはっきりさせておくことです。それとともに、いつも好奇心を持つことが必要です。どんなことにでも、関心を持って観察する。そして、それを面白がること。いちいちメモを取ることも人によっては必要かもしれませんが、ちょっと重い感じは否めません。 アイデアを実行に移すためには、企画化するプロセスが必要です。具体的な目的のために、アイデアを加工する作業です。マーケティングの世界には、ひとつのアイデアをいろいろなクライアント用に加工して提案する企画会社のプランナーがいました。クライアントと商品名を変えれ出来上がるような企画書をプレゼンします。それが前に当った企画の場合は、あえて、二番煎じであることを隠しません。柳の下の、二匹目、三匹目のどじょうでも、一匹目のような爆発的なヒットはかなわくても、そこそこにヒットするだろう。それでよしとする考えです。 その方法は、それはそれで堅実というものでしょう。もちろん、当った企画をすぐに自分のものとして実施できることは容易なことではありません。それがすぐ実行できるだけの潜在能力を持っていた証といえます。実は、内部にビッグな企画があっても、それを生かしきれなかった何かがあったのかもしれません。よそで当ったのなら、その環境はできていると見て、すぐに追従する。これは意思決定者の能力の差と言うより質の違いのようです。上司やオーナーなどを気づかうあまり、リスクの伴う賭けにはでられない。しかし、そこそこのポイントを稼ぐ堅実さです。 その意思決定をオーナーができる中小企業が、ビッグなヒットを放せる理由ですが、大企業でも権限移譲がきちんとしている企業にもありました。ある外資の企業のプロマネは、彼がいい企画だと判断したら、すぐ実施に移しました。提案する方も、愉快です。私たち企業の外のプランナーにとって、これはという企画がボツになるほど悔しいことはありません。提案する度に日の目を見ない仕事は、たとえ幾ばくかの企画費がもらえても精神衛生上よくない。ウマのあう意思決定者に出会うと、新しい挑戦意欲が出て、新鮮なアイデアと企画を生む素になるものです。
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