03章 青春時代 34
熱望した歌手を断念した仲間 友人・SYさん
その職場は、男子社員の伴侶選びは、買手市場だった。いわば生け簀の中から、好みの魚を自由に選べるようなもので、多くの男たちは職場結婚のようだった。一方、女子従業員たちにとっては、この職場での伴侶選びは諦めていただろう。彼女たちは、職場を変えるか、郷里に還るかして伴侶を選んでいたようだ。しかし、男のように、自分の才能を活かそうと飛び出していき、そこで伴侶を見つけたものもいた。
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演劇のもう一人のマドンナでした
先だって行われたH社時代の演劇仲間の同窓会に参加されたようですね。あなたも、私には忘れられない仲間のひとりです。あなたとYRさんを双璧の役とした芝居を書いて、KMさんの演出で上演しました。あなたは、目立ちたがり屋さんであったかもしれませんね。歌手になる夢をもち、レッスンに通っていました。その夢は果たせませんでしたが、実現の過程で変貌していったようです。
あなたが辞めてから、どんな世界で、どのように生活をして、どんな連れ合いに出会い、どのような家族をつくったのか、いっさい知りません。何度かの、仲間の同窓会で会ったときにしか話し合う機会がなく、そのときも、昔話に終始して、その後のことは話題になりません。みんなのことに関心は持っても、立ち入らないのがルールとでもあるかのようにしていました。
同窓会の後、KMさんの報告が届きました。その中で、あの頃の女子たちは、男たちをしっかりと観察していたようだと書いてありました。三千人からの情業員の七、八割が結婚前の娘で、寮住まいで、外部から隔離されたような環境では、職場の男どもへの関心は低かろうはずはありません。男たちのほとんどは、この群れの中から連れ合いを選ぶ幸運に惠まれましたが、娘たちはそうもいきません。
異性への関心が高い年頃です。しかし、大勢の現業職の娘たちにとって、職場結婚は難しいことだったはずです。もう最初から、職場の男たちに相手にされることを放棄している娘たちでも、男どもを品定めし、こき下ろしたりする話題には加わっていたでしょう。好位置につけていた娘たちは、早めに手を挙げ、ライバルを蹴落とすための策略に、躍起になっていたのかもしれません。
土曜日も働いていた時代です。郊外の寮住まいの娘たちには、退社後に繁華街に出かける時間もありません。親元から預かった大事な娘たちだと、門限は厳しく、同じ職場の男子社員でも、理由なく気楽に出かけていくことはできません。地方出身の娘たちは、結婚するには、田舎に帰って相手をさがすか、別の職場に移って見つけるか、友人から紹介されるか、街でナンパされるかくらいでした。
娘たちの眼中にない職場結婚
彼女たちにとって、職場結婚は夢物語です。同僚の男たちと職場結婚をしたかみさんたちは、そんな環境の中での、数少ない勝ち組になったわけです。私と長い付き合いのMYさんのかみさんもその一人です。演劇の仲間の中にはYRさんの他に、仲間同士で結ばれたIKさんのかみさんのTさんがいます。あなたや同窓会に参加したというTさんたちも、辞めてから、他所で見つけた人と結婚したわけです。
高卒女子には、本社公認の男子高卒正規入社組と一緒の執務職組と、工場採用の現業職組とがあったようです。中卒組より、多少待遇はよくても、現場での同じ作業になります。現場スタッフのとして、ディスクワークや管理業務に携わる人もいます。ラインの中に入ってしまうと、埋没してしまい、男子従業員と気楽に話し合う機会もない。連れ合いに出会うためには、目につく職場にいることでした。
演劇などの職場の文化サークルや運動サークルに加わるのも、職場で相手を見つける方法のひとつでした。二交替勤務の中卒女子は、高校教育を受けるという義務のような制度もあり、自由になる時間は少ないものの、高卒者は勤務時間以外は自由です。ただ、会社としても気を使い、茶道や華道など、寮内での習いごとも用意され、寮ごとの確立した世界があったようです。
ここで青春を過した人たちは、いま、どこでどのような生活を過しているのでしょう。私よりも、五、六才若い位からの人たちですから、もういいおじさん、おばさんで、孫を相手にするほどの年齢になっています。あなたと同期のTちゃんも、もう、若いおばあちゃんになっています。あのときの娘たちは、どのように社会に散らばっていったのでしょう。彼女たちの間には、交流があるのでしょうか。
私が辞めた後、労組総連合の機関誌の取材で、工場を訪ねたことがあります。少しは前のような雰囲気はありましたが、「キューポラのある街」の吉永小百合さんが見たような現場ではなくなっていました。時代のうねりが、人の満ち引きにもなっているのでしょうね。あの時代、あなたは同期の中でも、目立った娘の一人だったようで、その動向は寮生からも注目されていたようでした。
あなたは大きな勝ち組の人では
確か、あなたは、福島県出身でしたね。弟がいて、デザインの勉強をしていました。私がいる業界で仕事をしたいと、あなたの紹介で何度か会いました。好青年で、ノベルティアイデアを楽しく聞いたことがあります。私はコピーライターになりたての頃で、就職先を紹介できるほどの力がなく、何の役にも立てませんでした。もう、いい親父さんになっているでしょうが、どうしているのでしょう。
あなたの歌手への道は難しかったようですね。レコードデビューはできたのでしょうか。私は、AV機器メーカーV社の仕事をしていて、関連会社の音楽部門のいろいろな情報も入っていました。制作していた電器店向けのハウスオーガンで、毎月、期待の女性新人歌手を、センター見開きのカラーページで紹介していました。私が取材して記事を書き、同行のカメラマンが写真を撮っていました。
レコード会社がリードしてレコードを出していた時代です。毎月、V社関連だけでも十数人もの新人歌手がレコードデビューしていました。業界全体では、月に十数人もの新人がデビューします。その中で、V社のネットで紹介してもらうのでさえ、幸運な確率です。レコード一枚だけ出して消えていくのがほとんどで、ヒット曲になる僥倖に恵まれるのは、何百分の一といったところでしょう。
紹介した新人歌手の中に、三枚までレコードを出した人がいましたが、その後、消えてしまいました。男子の新人歌手と、取材先のイベント会場で出会うことがあります。同期のライバルに対して、不愉快になるほどの激しい敵愾心をあらわにしていました。デビューするのにもお金がかかったそうで、田畑を売ってつくった金を注ぎ込んでも、ダメなものはダメだと、はっきりした社会のようでした。
そんな世界の中で、あなたはどこまで、たどり着けたのでしょうか。運が大きくものをいうような、歌が上手だけでは、のして行けない社会は、あなたを逞しく成長させたのでしょうね。蟹は甲羅にあわせて棲む穴を掘るといいます。あなたの甲羅がどのくらいの大きさになったときに出会った人なのでしょう。あなたは、H社時代の小さな勝ち組ではなく、もっと大きな勝ち組の一人かもしれません。 〈第三章 青春時代 完〉 43,300
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