04章 修業時代 50
妻の座を奪取し二女を遺した 故人・SAさん
目的のためなら、手段は選ばないっという例えが、無謀で非常識な行動を表わすことに使われることがある。男は、製造現場での動作研究の仕事から、目的達成のためには、合理的な最短距離でのアプローチが基本であることを学んできた。そのために「最良の手段」を、常識にとらわれずに選んできた。この方法は、動作研究に限らず、いろいろなケースにも使えるとし、それが仕事を奨める基本と考えていた。
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共にコピーライターを目指した
あなたに、平手で右頬を思いきり殴られたことがあります。女性に殴られるなんて、生まれてこのかた、後にも先にもない、始めてのことでした。恋人とかの関係ではなかったし、理由をいま思い出そうとしても、思い出せません。あなたに対してとんでもないほどの非礼をはたらいたわけではなかったと思います。SB社時代に会社の中でしたが、仕事の上のことでもなかったはずです。
そんなあなたは、二人の幼い女児を遺して逝ってしまった。その子らは、もう三十歳を過ぎているだろうほどに、昔のことになってしまいました。コピーライター養成所のときからの仲間で、私は、あなたに少なくない影響を与え、生き方を変えてきたのではなかったかと思います。あれほどまでに関わったのは、かなわない恋と知ってはいても、あなたを好きだったからでしょう。
コピーライターの養成所で、私たちは、新聞や雑誌の広告を批評しあっていました。そんなときに、あなたが週刊A誌の表紙裏に、定期的に掲載されていたAK社の、著名な女優を起用した広告がつまらない、下手くそだと言い張っていました。同意できるところもあっても、仲間内で批評しあっても何の解決にもならない。その会社の社長に、直接手紙を出して、そのことを伝えたらどうかとけしかけました。
正直、まさか手紙を出しても、握りつぶされるのがおちだと思っていました。瓢箪から駒でした。あなたの声はAK社のワンマン社長に届いたのです。日頃、文句の言えない担当の社員たちは、広告コピーを勉強中の若い女性からだと、社長に見せてみようとなったわけです。そのころ私は、既に、SB社でコピーライターとして仕事をしていました。あなたは、その広告のコピーを書くようになります。
業界のことを何も知らない若い娘が、思うように広告をつくれるようになったからといって、すぐにつくれるわけではありません。大阪のA広告代理店がアカウントを持っていました。そこを通して、コピーをあなたが書くという手筈でしたが、大阪に通うのは大変です。クライアントを持参金代わりに、どこかの広告会社に入ったらと、またけしかけて私のいたSB社を推薦したのです。
仕事を取ってからコピーライターに
断られようはずはありません。SB社の制作責任者だったHYさんは、喜んで迎えいれてくれました。AK社の週刊A誌の広告は、大阪のA広告代理店通しでしたが、あなたが自由に制作できるようになります。広告づくりに入る前に、大阪の本社を訪れて、社長たちと打合せをして、ご馳走になってきます。長良川の鵜飼いに連れて行ってもらったと、はしゃいで報告してくれました。
ものおじしない度胸には、感心していました。幼いころから、行儀作法を厳しくしつけられたとか。こうと決めたら、すぐ行動に移すやり方は、私に通じるものがありました。入社してからも、好きな競馬に通っているようでした。新聞社でのアルバイト時代からの役得で、記者席で観戦できるようでしたが、競馬についての話をしたことはありません。そこは私には、関心のない世界のことでした。
私がボスのHYさんの新しい会社に移ると、あなたもクライアントごと、移ってきました。また、SA社でも机を並べるようになります。キャラクターは、そのまま同じ女優のSHさんです。あなたはハイヤーで迎えに行き、撮影スタジオでの撮影の後に送って行きます。コピーを書き、全体をデレクションします。たしか、月一の仕事でしたが、それだけで、あなたのギャラは十分にまかなえたはずでした。
AK社のカレンダーの仕事をとってきました。販売店を通じてユーザーにまで配る豪華カレンダーが、制作会社や印刷会社にとっておいしい仕事で、妍を競っていた時代です。そのカレンダーの仕事を、コンペなしに取れるのはめったなことではありません。会社を挙げて取り組むことになります。あなたは、デザイナーたちとその仕事に熱中して取り組み、大阪との間を頻繁に行き来して、成し遂げました。
あなたが辞めたのはどんな理由だったのか覚えていません。多分、結婚するための退職ではなかったでしょうか。あなたは、私たちと知り合う前の新聞社でのアルバイト時代から、付き合っている人がいるようでした。その彼は、競馬担当の記者らしく、そのためにあなたは競馬にいれ込んでいたようです。はっきり思い出せないころに、いつか、あなたは私の前からいなくなりました。
勢いよく駆け抜けて逝った
会社には、あなたと親しくしていた女子社員がいて、連絡は取り合っているようでした。彼女らから、あなたが結婚したことを聞きました。付き合っていた彼には、妻や子どもがいて、離婚してあなたと結婚したということでした。これは私が嫌いな人間関係のひとつです。あなたらしいとは思いましたが、妻子を捨ててまで、あなたを選んだ男とはどんなひとかと、興味をもちました。
年賀状の交換はしていました。あなたが、矢継ぎ早に二人の女の子を出産したことを知りました。そのころには私も結婚していて、長男に恵まれ、幼い彼に夢中になっていたときです。私の年賀状を見ては、電話をかけてきます。正月だけの定期便のような連絡です。まだ、次の子が生まれていなかったときです。早く次の子をつくれと。朝になにをするとできると、お節介なアドバイスです。
私は、結婚してから、年賀状は、家族の現況を知らせる文章と共に写真のポストカードにしていました。モノクロ写真の時代です。F社の仕事をしていて、写真のポストカードをPRしていたこともあり、仲間や親戚からは評判で毎年、待たれていました。ある年、あなたからの正月定期便で、息子の洋服が去年と同じだ、新しい服を着せなさいと。またもや、お節介なアドバイスです。
あなたの年賀状や正月定期便で、幸せに暮らしている様子がうかがえました。あなたのことを思うことなく毎日を過ごしていたとき、誰からだったか、あなたの突然の死を知らされました。死因も、そのときの家族の様子もわかりません。わかっているのは、妻の座を奪い取って得た、二児の母親の座を、死によって奪われたという事実です。墓がどこにあるのかも知りません。
勢いよく駆け抜けたあなたの短い人生に、あなたの夫はどう付き合ったのでしょう。あなたには、妹さんがいました。二人の子どもがいます。会ったことのない人たちですが、あなたのことを、どのくらい知っているのでしょうか。もちろん、あなたはもっともっといろいろなことを見たかったことでしょう。あなたがいたということ、あなたの仕事のこと、私は、覚えていますよ。安らかに。
〈第四章 修業時代 完〉 (49,200)
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