05章 成長時代 61
進んで拉致された酒乱の部下 故人・TMさんへ 「好餌選択」
今、インターネットが普及して、情報の収集はこれに頼ることが多くなっている。これはよいと判断したら、簡単にコピーしてしまう。そのことに対して、あまり後ろめたさを感じないようだ。コピーした情報の一部を手直ししただけで、自分のものにしてしまう。かつて、横行した人材の引き抜きや、本人の鞍替えへの無頓着さは、「パクり」ビジネスの先駆けだったのかもしれない。そして、これが仕事の均質化を生み、常態化している。
*******************************************************************
山の中で一晩過した
酒癖のよくない人でした。飲むと前後不覚になり、怒鳴り、つかみかかってくる。あなたは私よりも若く、もう十数年も前に逝ってしまったのですが、晩年、酒を断っていたと聞いていました。その意気やよし、と言えるほど、自分では、いい酒だとは思っていても、誉められるほどでなく、他の人をとやかくいえないことはわかっています。私には、説教癖がありました。
説教と言っても、仕事にあたっての考え方についての教育ではなかったか。私が力を買っていた人に対してだけでした。それも、酒が不味くなるまで、くどくはなかったと。いずれにしても、永年、飲み続けていると、多かれ少なかれ、酒癖が出てしまうのかもしれません。笑い上戸は愉快ですが、泣き上戸にはちょっと困ってしまう。でも、喧嘩上戸は、傷害をよんでしまいますよ。
そんな人を何人か知っています。徴候を感じると逃げ出しますが、そうもいかない場所もあります。素面の時は、おとなしい、いい人なのに、目が血走り座ってくるともういけません。そうさせたあんたが悪い。原因をつくったのはあんただと。怒鳴り出すには、理由がある。確かに、何もなく始まったら、病気というものです。溜まっていた理由がしみ出してくるようです。
あなたと、NTさんと若いSさんとの四人で、八ヶ岳の麓のHNさんの別荘に遊びにいったとき、夜、愉快な酒の席が、あなたの怒りと怒号に、しらけてしまったことがあります。俺はこんな所にいられない、東京に帰ると言い出す。止めても出ていこうとする。思わず、いい加減にしろと、頬を一発、張ってしまった。あなたは夜の闇の中に飛び出していった。
夏とはいえ、山の夜は冷え込む。靴は残っていたし、半袖一枚の軽装。山の中で、クルマも走っていない。私たちは手分けして、何時間も近くの山の中を探したが、見つけられない。とうとう諦めても朝まで待とうと引き返しました。眠れない夜が明け、探しに出かけたら、ほど近い大きな岩上にあなたがいました、多少の擦り傷はあったものの、素面に戻り、寒さに震えていました。
インスタントカメラの仕事
あなたの好ましくない酒癖にあったのは、確か、それが三回目くらいだったと思います。街の居酒屋で飲んでいれば、無理にでも帰らせる。山の中では命取りになりかねません。擦り傷程度でよかったものの、大事になっていたらと、いまさらながら恐くなります。その後、あなたとは一緒に飲まなくなりました。しかし、あなたにそうさせたものは何だったのでしょう。
A社で仕事をしていたとき、社長が連れてきたコピーライターとして、私たちのグループに加わってきました。以後、私たちと行動を共にして、設立した新しい会社のスタッフとして、仕事をしていました。大久保の狭い事務所から、赤坂の古いマンションに移ったときも一緒でした。あなたニは中堅のコピーライターとして、P社の仕事を担当してもらっていました。
インスタント写真の代名詞にもなっていたP社の、業務用インスタントカメラの、業種別のリーフレットの制作です。業務ごとに、結婚式場、運送業、カーディラー、金型工場など、Pカメラが使われている現場を、返ってきた愛用者カードをもとに、出向いて取材して、リーフレットで紹介するという仕事でした。カーディラーの現場で、私の家族もモデルにされたこともありました。
仕事をしていましたし、あなたの思うままに、あなたの企画で仕事をしてもらっていました。得意先との関係も悪くない。かえって、親し過ぎるるくらいの関係が気になってはいましたが、それで問題になることはありません。ある日、突然、あなたは事務所を辞めると言い出しました。不満を感じていたとは思わなかった。辞めてデザイナーのKTさんの事務所に入るというのです。
KTさんに聞くと、そうだという。彼がそうしたいというから、そうすると。甘言で引き抜いたのは、KTさん。あなたでしょうが。青天の霹靂です。それはないよ。山での一件があった後も、うまくいっていると思っていました。ギャラだって、悪くはなかったはずだし、いい得意先と、いい仕事をしていたじゃないか。就業時間中に、好きな時間に自動車学校にも通っていたじゃないか。
寒い日の別れ
「迷惑はかけたが、悪いことをしたとは思っていない」後で聞いた、KTさんのセリフです。迷惑をかけることが悪いことではないとは、よくもまあ言ったものだと。あなたは、どう説得されたのか、どんな好餌で釣り上げられたのか。あなたは、決心した後で、奥さんに、仇で返すようなことはしないでと言われたと。KTさん、あなたより正しいのは奥さんの判断でした。
何か不満があったら、言ってほしかった。後のまつりでした。KTさんの事務所に入りたいなら、きちんと話してくれればいい。穏やかかでないものはあっても、この業界、移籍することはさほど大きな問題ではない。親しくしていたKTさんのところなら許したと思います。そして、その後も、酒を付き合うのは別としても、協力関係は続けられたと思う。あなたの行動は、軽率でした。
あなたは学生時代、自転車部に籍を置いていたことを知りました。あなたの葬儀の時、後輩たちが、部旗か応援団旗かは知りませんが、それを高く掲げて、整列して見送っていました。あなたは、それなりの実績を残していたのでしょう。自転車部にいたことは、知らないことでした。あなたは自転車をこよなく愛していた自転車の仕事が、KTさんの事務所にはあったというわけです。
KTさんの事務所では、自転車メーカーのB社と太いバイプを持った人を入れたらしいと聞いたのは、それからのことです。どんな見返りがあったのかは知りません。デザイン事務所としては、喉から手が出るほどの美味しい仕事です。受注できることは、相応のお礼を払ってもいい利権です。あなたにとっては、自転車の仕事ができることは願ってもないことだったのですね。
だったら、そのことを話してくれればよかった。あなたと、競輪選手だったAA社の社長とのつながりが見えてきました。あなたはせっかく取った自動車免許を使うこともなく、好きな自転車を乗り回していたと聞いていました。あの日、寒い日でした。風邪を引いていた私は、葬儀の席で、鼻水なのか、涙なのか、何度も拭いながら、元気なあなたを思い続けていました。合掌。
|