孤老の仕事部屋

家族と離れ、東京の森林と都会の交差点、福が生まれるまちの仕事部屋からの発信です。コミュニケーションのためのコピーを思いつくまま、あるいは、いままでの仕事をご紹介しましょう。
 
2008/08/20 18:04:28|クラさんのWebセミナ
専門商品の販売戦略その1
 販売店の皆さんの商売繁盛のお手伝いをさせていただいております。私のスタンスとしましては、トップダウン的なコンサルタントとして、最適経営のノウハウをお教えするのではなくて、販売の現場で、ご一緒に考え、共に汗するパートナー、いうならば社外企画部長としてお手伝いすることを趣旨としております。

 私は、1968年頃から、いろいろなメーカーさんのマーケティングのお手伝いの一環として、セールスプロモーションの企画やマニュアルづくりのお手伝いをしてきました。なかでも、販売店さん向けのセールスマニュアルについては、その草分けのころから携わってきました。その間、全国のたくさんの販売店さんの経営者や店長さん、トップセールスの皆さんの取材を通して、成功のノウハウを集めると共に、いろいろな業界を横断的に見渡しながら、新しいノウハウノの開発を手がけてまいりました。

 そんな経験から、まず、ますます厳しくなっております消費動向を考えてみたいと思います。ご承知の通り、バブル経済の崩壊からの景気低迷が、さらに進んでおります。しかし、すべてのモノが売れなくなっているわけではなくて、売れるモノと売れないモノがはっきり分かれてきました。生活の都市化や洋風化のますますの進展、サービスのソフト化、女性、特に、主婦の社会進出の増加、全体人口の高齢化などがあげられます。

欲しい商品は存在する

 しかし、消費のバラツキの理由は、もっと消費者の内面的な意識変化にあるという考え方があります。欲しいモノがほとんど揃っているこの時代には、人びとの価値観が多様化、個性化して、他の人とは別なモノやサービスを求める。この現象がすすみ、従来の大衆社会、大衆市場といったものが崩れてしまったと、多品種少量供給がよいとされてきましたが、最近、少品種大量供給もアリという見方も出ています。依然として、人々が共通して欲しがっている商品機能は確実に存在するというわけです。

 このような市場のとらえ方は、議論としては面白いのですが、問題は、実際の個々の販売の現場にとってどうかということです。いま、皆さんが日常接しているお客さまがどのように変ったのかを思い起してみてください。以前よりぜいたくになった、自分の趣味をはっきり主張するようになったなど、少しずつ確実に変ってきているのは事実です。

 しかし、個々に見れば、いつもお店に顔を見せてくれる山田さんであり、3丁目にお住まいの鈴木さんなのです。つまり、まとめて需要動向を云々するのではなく、お客さま一人一人の顔を思い浮かべて考えることが第一歩です。
 
 昭和20年代の後半、家電製品に“三種の神器”として電気冷蔵庫・電気洗濯機・テレビ、という主婦のあこがれ商品があり、また、次いで“3C商品”カー・クーラー・カラーテレビと呼ばれる理想の商品がありました。高度成長期までは、大勢の人びとに共通した“欲しい商品”があり、それを買えば次の商品をと、次から次に欲しい商品が市場に出てきました。

 しかし、いま、大勢の人びとが共通して欲しい商品がなくなりつつあるといわれています。たしかに、現代の生活に最低限必要な家電商品はほとんどといってよいくらいに普及しています。また、カラーテレビ、オーディオ製品などのAV商品はパーソナル化して、世帯普及率ではなく、個室普及率、個人普及率が非常に高いものになっています。

 それでも、人びとの消費願望はなくならないとする見方があります。たとえば、生活の場がいま以上に広がったらどうでしょう。また、生活時間にもっと余裕がでたら、あるいは、自分に使えるお金が増えたら、いまの市場全体が活況化し、新たな需要が生まれるとする見方です。

 この背景には、人間には限りない欲望があるという見方があることは見逃せません。つまり、いま、消費がバラツキを見せているのは、生活の場、生活時間、生き方に限界を感じ、可処分所得が伸び悩んでいるせいであり、そのどれかが変われば需要は生まれます。

 高級品に限らず、生活の場、生活時間、生き方を刺激し、今まで欲しいと思っていなかったものを欲しいと思っていただくことが必要です。そのためには、おすすめしようとする商品が、そのお客さまのためにあるということを具体的に実感していただくことがことが大切です。

 いまの消費者は、ドンドン売れた時代に比らべて「欲しいものがない」のは、現在の所得や住居、自由時間、生活のしかたという生活の枠組みのなかで、“相対的に窮乏化”しているから、というのがモノが売れないことの理由にあげられています。

相対的なビンボウ感

 つまり、生活空間や生活時間、自由になるお金が相対的に限界感があり、これ以上のモノやサービスを、いまの生活環境の中で使いきれないから、とりあえず欲しいモノやサービスが見当らない。そのために、市場がなかなか広がらないという見方です。

 ポイントは、絶対的なものではなく、相対的な空間ビンボウ感、時間ビンボウ感、お金ビンボウ感の状態にあるというわけです。「どうしてもない」「ない袖は振れない」のではなく、袖はあるのですが、頭の中で振れないと思い込んでいるのです。

 絶対的なビンボウではないために、どうしてもモノが買えないという状態ではありません。一時的に、このような状況に適応しているだけであり、日本人の欲求が絶対的、永久的に充足してしまったわけではありません。商品によっては、空間や時間に余裕があっても、一見、需要とは結びつきそうもないというものもあります。

 お金はもちろんのことですが、心理的な、空間や時間、生き方に対する考え方が、需要に少なくない影響を与えることがあります。つまり、遊びやゆとり、といった事柄に対する共感を接客や店のつくり、あるいは、陳列のゆとりで呼び起こすことができれば、売れるというわけです。

 生活の場が広がれば、それだけモノが置け、モノが使え、新しいサービスが受けられる空間が広がり、そこに新しい需要が生まれます。新しい空間は、同じ種類、たとえば居間なら居間といった同じ使い方をする空間を物理的に拡げるだけではなく、いま、空間を占めているものを捨てることでつくることもできます。

 あるいは、いままで自分の生活の場とは考えなていなかった空間、たとえば、通勤電車の中やホテル、劇場だって、自分の生活の場にすることができるのです。このように考えると、生活の場は、わずかなコストと、ちょっとした見方を変えることで限りなく広げることができそうです。

 居住空間でいうなら、いま、モノを置かない空間をもつのがリッチなくらし方だという人もいますが、その人にとっては新しくできた空間に“何もないというモノ”を置くという選択をしたのであり、他の人が、大きな観葉植物や大型テレビ、ソファを置くような空間の利用のしかたと同じだということができます。

 ただ、自由にできる場を広げることは、それなりのコストがかかり、なかなか実現が難かしい時代です。その点、物理的に余裕のある空間をさほど必要としない商品は有利な立場にあります。心理的に生活の場を広げてあげるような提案をすることです。

 生活時間はどうでしょうか。誰にとっても、一日は24時間しか使えません。この限られた時間をどのように使うかによって、新しい需要が生まれたり、需要が減ったりするものです。ただ、この時間というものは、ある一定空間の中で消費されるものであり、どんなところで過ごす時間なのかがポイントになります。この意味から、生活の場と密接な関係があります。

 いま、大都市の勤労者にとって、通勤時間が増えるという傾向にあります。反面、週休二日制の普及や長期有給休暇が増えることにより、全体の余暇時間が増加しているのも事実でしょう。忙しいが、それなりに自分で自由にできる時間もあるという状況です。

 自由にできる時間が増えれば、それの時間を消費するために、コストはどうあれ、モノやサービスに対する需要が発生します。何もない空間がリッチであるという考え方と同様に、何もしない時間がリッチと考える人もいます。

 何もしない人から、高価なモノやサービスを使って時間を消費する人までいろいろでしょう。この場合も、その人にとって時間をどのように有意義に使うかを提案することで、新しい需要を創造することができます。

 全体の消費市場に影響を与える要素として生活の場、生活時間、可処分所得といったものがあります。これらが改善されれば、消費市場は活性化されるでしょうが、この要素だけが需要を刺激する絶対条件ではありません。今でも、爆発的といってもよいほど売れている商品があります。

 日経流通新聞では、毎年末にヒット商品番付を発表しています。ヒット商品の多くは、技術革新や独創的アイデアなどの広い意味のイノベーションをテコとした画期的新製品であるといえます。魅力的な商品であれば、新しい需要、多分、消費者自身でも、それまでは気づかなかった需要を顕在化することができます。いま、消費者は、具体的な形になっていないニーズをたくさん持っているのです。ですから、なるべく多くの機会をとらえて、積極的にお客さまにアプローチすることが、見えないニーズを見えるものにする一番簡単な方法です。

 腕時計は、単に時間を計るためのメーターでなく、また、単なるファッショングッズでもありません。人格を示す情報機器といってさしつかえないのです。人に対して自分を伝えることのできる一種のコミュニケーションツールといえるでしょう。

 たとえば、ちょっと“迫力のある”顔をした人でも、キャラクターウオッチをしていれば、ほのぼのとしたイメージを感じさせます。また、10〜20代の若い男女でも、つくりの古いウオッチをしていれば、落ち着いて感じられることもあるでしょう。高級時計なら、その人のプレステージ性を強くアピールするのです。

 いま、昔の“一点豪華主義”に代わって、“一点象徴主義”ともいえる傾向が、確かに現われてきています。洗練された人格を身体の一部、ワンポイントで、はっきりと示すことのできる商品が求められています。つまり、商品を前にしたお客さまに対して、「この商品がお客さまを表現する商品ですよ」とか、あるいは、「お客さまにふさわしいのは、やはり、このレベルですね」といった切り口によるアプローチが効果的です。

消費と商品の劇的な出会い

 新しい画期的機能の商品開発には、革新的な技術が必要であり、これはメーカーの独壇場といえます。しかし、メーカー以外では新商品はつくれないかというと、絶対に、そうはいえません。たとえば、流通段階では、ハード製品の製造技術はなくても、いままで、気づかなかった消費者の潜在的なニーズを引き出せれば“売る”ことができるのです。

 その方法は、消費と商品との劇的な出会いを演出することであり、これが新しい需要を生み出します。いままであった“製品”に「新しい価値をつける」、あるいは、「新しい視点で考える」ことで、消費者にインパクト強く印象づけられ、その結果、“新しい商品”にすることができます。

 限界とされていた需要でも、その壁を破ることができるのです。もちろん、その新しい価値は、全ての人にとって同じというものではありません。つまり、いままでの商品でも、ある人にとって新しい価値が見つかったら“新商品”なのです。

 これから有名海外ブランド商品や高級時計、宝飾品などの高額プレステージ商品の市場を考えてみます。基本的にプレステージ・マーケットにおいて、需要の大幅な低迷は少ないのですが、一部では“売れない”現象が出ています。売れないのは、競合店の販売力が勝っているからだと、考えるお店もあります。いまの時代、需要の伸びが小さく、全体の需要量には限りがあって、あちらが取れば、こっちには回ってこないという論法です。この考え方には、2つの問題があります。

 ひとつは、全体の需要には限りがある、という考え方を前程にしている点です。生活必需品で、人数によって消費量が決ってくる商品においては、限界需要の中でのシェア争いはありますが、プレステージ商品の場合、全体の需要量は決っていません。売ろうとすればいくらでも売れる商品なのです。

 もうひとつの問題は、競合店と同じターゲットを追いかけているのかどうかという点です。たとえば、お店の顧客Aさんは、競争相手のお店からも、同じような商品を買っているでしょうか。プレステージ商品であっても、商品の魅力だけで買われておりません。お店全体の魅力であったり、また、販売員さんの力量に負うことが多いものです。

 また、品揃えという点もあります。競争店同志が、同じお客さまを取り合っているのではなく、ひとりのお客さまでも、それぞれ別のお客さまであり、お店に来られなくなったお客さまは、向うに行ってしまったのではないのかも知れません。漠然とした全体の需要という見方ではなく、個々のお客さまとして見ることが必要なのかも知れません。

 現代の多くの消費者は、相対的に窮乏感はあるにしても、絶対的なビンボウの状態にはありません。自分が欲しいモノには、惜しみなく出費ができるものです。また、最近の消費トレンドのひとつに「本物志向」があります。「本物」とは、ロングセラー商品になるモノで、時代の流行などに左右されず、いつまでもその価値を損わない商品のことです。

 プレステージ・マーケティングにおいて、いままでの常識として、まず、お金持ちをターゲットにしてきました。100万円、1千万円もの商品は、確かに、どんな消費者でも、手軽に買えるという商品ではありません。この意味から高額所得者は、高級品のジャスト・ターゲットであることに、いまも問題はありません。しかし、この層だけをターゲットにしていたのでは、販売活動の拡大は期待できないのも事実です。

 いま、年収300万円のヤング・ビジネスマンやOLでも、500万円の車を買う時代です。そして、高額商品イコール高級品であるという、推論を無条件で受け入れる人が少なくなっています。高額だから購入するのではなく、品質やデザインのよさをきちっと識別でき、その価値に代価を払うことの意義を理解できる人たちが、いま、感性マーケティング時代に多くなってきています。

 プレステージ・マーケティングのターゲットは、所得や年齢、社会階層などのセグメンテーションではなく、その商品に対する個々のニーズはどうかというセグメンテーションが求められてきています。つまり、2〜3万円の商品を見ているお客さまでも、勧め方によっては20〜30万円の商品のお客さまになりうるということです。そのためには、年齢層や服装で購入金額を決めつけない柔軟さと、お店としての自信を持った品揃えが必要です。

 商品が“テイスト”で選ばれる感性、感覚の市場になっているといわれます。この“テイスト”とは、趣味・嗜好であり、その人の独断であり、偏見ともいえます。いま風にいえば「こだわり」です。このような商品選択が大勢を占めているといわれています。

 しかし、JNNデータバンク調査の結果では「いい商品なら、大勢がもっていても気にせず買う」という人が80%、「大勢が持っていると買いたくない」という人は18%にすぎません。消費者の8〜9割はベター・ボリューム・ゾーンの“合理的大衆“タイプで、残り1〜2割が流行に左右されがちな“感覚的分衆”タイプです。

 ただし、はっきり8割の大衆と2割の分衆がいるわけではなく、同じ人が流行に左右されたり、しなかったりするのです。その“合理的大衆”には、“感性”や“差異”などの求めざる付加価値だけを売りものにする商品は通用しません。実質的、本質的機能に差のある、ライフサイクルの長いロングセラー商品が好まれます。

 ファッション製品でも、基礎需要をつくっているのは流行に左右されない「定番」「ベーシック」商品です。ファッション製品の選択には、色・デザインや流行性、の他に、仕立て・材質・品質・耐久性・着やすさ、価格・値ごろ感、年齢・職業・地位などを含めたその人のイメージに対する他人から見てのふさわしさ、購入店の格、などの客観的判断が加わり、流行性やデザインなどの好みなどの主観的“感性”的要因は、一部にすぎないといわれています。

ふわしい提案の場

シ ョップコンセプトの再構築の時代といわれて久しくなります。ショップコンセプトとは、店が社会に対してどのように参加して、社会からどのように受け入れてもらうのかという店の根本的な姿勢です。いわば店として、社会から見られる“その店らしさ”をつくり、表明することです。店の心であり、店全体として目指す最高の概念といえます。

 ここで問題なのは“ふさわしさ”、つまり“ショップコンセプト”の内容です。高級専門店とは、その市場で最高レベルといえる、より豊かで充実した夢のある生活を実現するための“生活のしかた”を提案し、それを実現する手段として“商品”を提供することです。そして、この“お店らしさ”、店が目指す理念を、そのお店がおかれている市場の中で“ふさわしい”ものにして、実践していくことが求められます。

 わかりやすくいえば、高級専門店とは、自分の目で、数ある品物の中から、自分の顧客に“ふさわしいもの”を選び、この選んだ品物に“ふわしい提案の場”をつくること。そして、品物と提案の場に“ふさわしい人”が“ふさわしい接遇”をするお店のことです。

 このような高級専門店の、これから進む方向は、人づくりにあります。お店の立地は簡単に変えられません。また、提案の場(店)を変えようにも制約が多く、これも容易なことではありません。これに対して、ふさわしい商品の選択はできます。高額商品を買う客層に充分対応できるという人的な要素を向上させることはできないことではありません。人的なものは、努力の仕方でどんどんすばらしくなるのです。

戦略と戦術

 戦略とは「いかなる敵と戦うか」ということであり、戦術とは「いかに敵と戦うか」ということで“敵と会ってからの戦い方”をいいます。

 ここでいうマーケティング戦略での“敵”とは、競争相手のとは別ものだと考えることがポイントです。つまり、同業者や競合他社を敵として戦いを挑むと、どうしてもその相手しか見えなくなってしまいます。どのようにしたら、その敵を“やっつけるか”だけに精力を注ぐようになり、その結果、時代や市場など、最も大切なことが見えなくなり、いつの間にか衰退してしまいかねません。

 店にとっても、個人にとっても最大の“敵”であり、ライバルは“時代そのもの”です。同業者や競合他社の動きを気にすることではなく、ライバルは時代や市場の中で、大きく飛躍しようとしている自分であるということをはっきりと認識することが必要です。

 そのためには、自分の長所を正当に評価し、強化することこそ大切です。長所をさらに伸ばすために、現在もっている経営資源を集中的に投入すること。これからは長所伸長型発想に基づく集中特化戦略こそ重要な課題です。

 ここで注意しなければならないことは、つい目についてしまう短所を直そうとすることです。確かに、短所はないに超したことはありません。しかし、どんなに努力しても、すぐには長所にはならず、せいぜい平均点に届く程度です。平均点では時代を乗り切ることは難かしいものてす。それよりも、多少の短所を大きく上まわるように長所を伸ばすような戦略をとることです。

 消費の個別化が進むと、同じひとりの人間でも状況によってさまざまな行動をとるようになります。専門店のマーケティング戦略としては、このような細分化していく人々の需要を的確にとらえ、その動きに的確に対応するです。

 そのためには、消費者を“顧客”ではなく“個客”、つまり“一人のお客さま”としてとらえることがポイントです。そして、その個客に限りなく接近するための仕組みをつくること。いま、見えにくくなった個客の顔を見い出し、その個客に対応して、個客の顔がはっきりと見えるマーケティングを展開することです。

 高品質商品を高価格で訴求していく、プレステージ・マーケティングにおいては、特に、ひとり一市場(個の市場)にいかに限りなく接近することが求められます。そのためには、第一にデータベースマーケティングを実施します。これはひとりひとりの顧客について、多面的なパーソナルデータ、個客情報を数多く、キメ細かく収集することです。そして、その基本情報から、ひとりの顧客が何を所有し、今後、どんなモノの購入の可能性が高いかを予測できるようにします。

 そのデータを基礎として、第二に、人間性を中心としたコミュニケーションによる、ダイレクトなアプローチを展開します。顧客を“グループ”や“抽象的な消費者”としてではなく、血の通ったひとりのお客さまとしてとらえ、ひとのことばに、ひととしての表情をそえて、直接働きかけるようにします。

 つまり、単にモノを買う客としてではなく、人生のいくつかの事柄に共感でき、その人の好き嫌いや趣味などについて、コミュニケーションができるということです。それができるのは、立地でもなく店舗でも、商品でもなく、接遇する人だけです。

 モノがあり余り、多くの情報が存在し、それらを実際の生活の中で体験している社会では、人びとは品種発想という“モノ発想”から、品番発想という“コト発想”に移行していくといわれます。

 品種とはカテゴリーともいわれ、たとえば、テレビとか、ビデオデッキとか、ステレオといった商品の種類のくくり方をいいます。また、品番とはアイテムであり、ひとつひとつの商品を分類する品名分けのことです。たとえばテレビでいうなら〇〇〇型という型名での分け方です。そして、その中間にある分類のしかたが、“ブランド”での分け方です。

 品番発想の時代では、特化した“モノ”を扱っている専門店が重要性を増してきます。いまの若者向けの情報誌を見るまでもなく、現代の人びとは“モノ情報”をたくさんもっていて、ゆとりのある生活を背景に、自分の生活の中に趣味的部分を広く反映させています。そして、好む分野の情報量は極めて多いものです。

 このように多くの共通の情報をもつ人びとの間では、形容詞や副詞を使って説明するより、〇〇ブランドの〇〇商品といった方がコミュニケーションがとりやすいものです。品番はコード化され、品番発想は、コード化発想ともいえます。このような人びとが、最も知りたいのは同じ品質、同じ機能の商品なら、どの店で買ったらよいのかということです。

地域一番店を目指す

 これからの専門店には地域一番店を目指すことが求められます。また、そうしないと一番店との格差が大きくなり、やがては淘汰されかねないといわれています。

 確かに、一番店にすることは不可欠なことです。しかし、“どんな一番店になるのか”が問題です。地域一番店というと、誰でも、その地域で最も大型の総合店を想像します。店を構成するすべての要素で、その地域で最もすぐれている店という見方です。

 しかし、個客の時代といわれる現代において、すベての分野で、すべてのお客さまから高い評価を得ることは不可能に近いことです。そのために、現在のような市場環境の中では、自分たちのしようとする仕事、提供できる商品、サービスを明確化して、そのあり方や考え方と共感するお客さまと太いパイプをつくって、共感の文化圏と市場をつくりあげ、その活動を拡大していくことです。

 つまり、これからの専門店は、自店の長所をさらに磨き上げ、たとえば、接遇では一番とか、あるいは、アフターサービスで一番とか、他店とは違った魅力でお客さまにアピールすることが必要です。

 このような自店をより繁栄させていくために、アピールポイントを強化拡大していくことは、自分が最も得意とする世界を構築することであり、競合店と競い合いなガら、市場全体を大きくしていくことにつながります。

 これは、限られた需要を競合他店と奪い合うことにエネルギーをそそぐ「パイ争奪」型発想ではなく、自店の努力や販売技術、制度の改善で需要をふやす合理的な「パイ拡大」型発想です。これが時代や市場をライバルとする経営戦略の考え方です。

 自店のアピールポイント、つまり、お客さまに訴えていくセールスポイントを明確にしておくことが必要です。ここで注意したい点は、セールスポイントを、新たに創り出すことではなく、現在、他の店より勝っているものを見つけ出して、それをさらに伸ばしていく方向です。そのために、お店の現状をチェックしてみます。

 まず、「物的要素」はどうでしょうか。店舗の面積や立地条件、応接コーナーや駐車場などの施設、伝統や知名度、さらには、マーチャンダイジングの点で、他の競合店よりすぐれている点は何かをチェックしてみます。

 次に、「人的要素」のチェックです。これは専門店として最も大きなポイントになるものです。お客さまの立場に立って、最適な生活を提案でき、ふさわしい商品をおすすめできるかどうか。そのための商品知識やその他の知識をもっているか。販売員のマナーはどうか、接遇のしかたはどうか、などをチェックします。

 「サービス要素」ではどうでしょうか。購入いただいたお客さまへのアフターサービス、さらには、お客さまに対する情報提供のサービス、などお店の付加価値をつくるソフトウェアとしてのサービスです。広告や販売促進などの力量があることも、このサービス面でのセールスポイントです。

 このように、自店の現状を客観的にチェックして、セールスポイントを見い出したら、それを全員で確認します。そして、意識的にこのセールスポイントを磨いて、その分野での地域一番店にすることです。

 お店の特長を明確にするということは、ショップ・アイデンティティ、SIの確立と同じ意味です。いま、SIとして外部向けのマークやロゴタイプを変えて、新しい店舗カラーの統一イメージを訴求するビジュアル・アイデンティティが注目を集めています。

 SIとは、それだけではありませんが、社会や顧客に対して発信するビジュアル・イメージが、そのお店なりの商品の大きな要素になる専門店にとって、ショップ・カラーを含んだ、ビジュアル・アイデンティティの確立は大きな課題です。

 店舗はもちろん、広告宣伝、ユニフォーム、包装紙やショッピングバッグなど、視覚的な要素の全てがひとつの表現テーマで統一調和されていることです。つまり、店名を見ても、店舗を見ても、包装紙を見ても、販売員を見ても、高品質の時計、あるいは宝飾品を取り扱い、なおかつ高品位のサービスがあるというイメージが必要ということです。

 そのためには、まず、基本的なデザインを確立し、これをもとに、そのときの時代や市場環境、流行などに合わせてアレンジしていきます。たとえば、昔から変っていないようなコカコーラのロゴマークは、そのときどきの人びとの感覚にマッチするように、しかも、それとは気づかれないように少しずつ変えているそうです。

 さらに、忘れてはならない極めて重要なことは、お店のイメージにふさわしい人づくりがあります。店舗や内装ばかりをいくら変えても、“人”が変わっていなければ、何も変えないことと同じです。

あなた向けマーケティング

 一方、いま全国的な規模で単身化現象が進行しています。同じ屋根の下に住む家族でも、ライフスタイルの違いで、全員が単身者のような生活をするようになり、特に、子供たちが大きくなればこの傾向が強くなるようです。このような背景のもとに、個別対応の“あなた向けマーケティング”が盛んです。

 多くの人々は、自分だけの情報、私だけの商品を求めているとして、食品では一人分にパックされた“個食”、家電製品ではパーソナル化された“個電”。そして、量販店も、個客に限りなく接近せよという問題意識を背景に、顧客との間に“個・対・個”の関係を開発しようという“個売業”、小さい“小”ではなく、個人の“個”売り業ですね。その意識が高ってきています。専門店にとっては、いまさらの感がしないでもありませんが、ますます、この傾向は強くなるようです。

 反面、ターゲットをひとつだけに絞り込むのではなく、2つ以上のグループ、たとえば、年齢、世代、ライフスタイル、性別など違っている複数のターゲットに、同時にアプローチすることも有効であるといわれます。

 ある商品なりサービスなりが、父と息子の世代、母と娘の世代というように、相当数の複合ターゲットに普及すると、そのライフ・サイクルは伸び、安定した需要が期待できるようになります。

 たとえば、ウオッチの電池交換のお客さまに高額商品のカタログをお見せして待ち時間をつぶしてもらうことも商品に接する機会の提供になります。また、ウオッチとのコーディネートの話をきっかけにすれば、若い女性のお客さまにペアの高級ウオッチをご紹介して、結納返しの例として提案とすることもできます。
 
 マス・マーケティング、つまり、一般的な商品では、イノベーター、革新派ですね、やアーリー・アダプター、初期採用者です、といった先行層を初期ターゲットに想定して市場展開を行います。発売してから時間のたつ、いわばスタンダード商品として定番化したあと、そのあとに続く広範な一般消費層や無関心層をどう攻略するかが大きな課題になります。

 無関心層を需要層に転化させるためには、中・長期のアプローチが必要ですが、いまは、気長な対応がとりにくい時代です。といって若者など、反応の早い層だけを相手にすることを常態にすると市場は限定されてしまうというジレンマに陥ってしまいます。

 これに対して、高品質・高価格品のプレステージ・マーケティングでは、一般に、その商品のライフサイクルが長いことから、まず、品質をしっかり識別できる能力のある人に好感をもってもらい、その態度がより多くの人びとに侵透していくような配慮が必要です。この場合の、先行層は、マスマーケティングで新商品というだけで飛びつく層とは違い、商品のよさを十分に理解して、納得した人たちです。

 次にターゲットになる層は、ひとつの商品を長く使う習慣がついている人たちです。これらの遅行層、無関心層は、一過性の商品にはなかなか興味を示しませんが、低所得層ではなく、所得も資産も多いのですが、多忙であったり、自分にふさわしい商品に気がつかないために消費するチャンスがない中高年層が中心です。その層に対しては、思い切った長期の保証や、30年間電池交換無料といった、具体的な納得のさせかたが必要です。
 
 プレステージ・マーケティングにおいても、先行層の次に続く、無関心層の消費意欲をどう刺激するかが顧客拡大のキメ手になります。中高年層に多いこの層は、流行には敏感に反応しない代り、社会から疎外されるのを恐れています。

 そのために、アプローチの方法として、換金しやすいといった資産性を与えること、特別な商品の特徴を与えること、その人にふさわしい商品であるという印象づくりをすること、の3つがあります。いずれも専門店のセールス段階での的確なアプローチで実現可能なものです。

 ただし、一般に、高級ウオッチでも、宝飾品と違って資産性はそれほど高くありませんので、所有および使用の満足感に代わることになります。他の時計の所有者に対する優越感、いつでも金銭以上の価値を感じさせてくれる美しさを強調することによって、資産性が格別に高くないことをカバーしていくのです。その商品が、そのお客さまにいかにふさわしいか、似合っているかのストーリーを創りあげることも大事です。

 いずれの特徴も販売店のアフターフォローのシステムやサービスに関して、一般品との違いを具体的に説明することで商品の違いを特徴づけることができます。あるお店では、この方はというお客さまの名前入りの皮袋を用意し、そのお客さまに合った商品を入れておき、そのお客さまが来店されると、その商品をお客さま専用の皮袋から取り出してお見せします。そのお客さまのためだけに用意したというアプローチ手法です。

なぜ買ってくれるのか

 次に、売れないということについて考えてみます。“なぜ売れないのか”ということが、すぐ経営の課題になるようなお店は、時代を全く認識していない証拠であるという説があります。かつてのように、モノを並べたらすぐ売れた時代ではいざ知らず、いまの時代はむしろ少しでも「売れることが不思議」と考えるのが正常な考え方ではないだろうかというのです。

 “なぜ売れないのか”ではなく、同じような商品やサービスなのに、一方の商品やお店では、たとえ、ちょっとでもなぜ売れるのか、顧客はなぜ買ってくれるのか、といった発想への切替えが必要です。そのためには、不特定多数の人びとの情報を得るのではなく、限定した、すでに取引き関係のある、自店から買ってくれたお客さまの追跡調査をすることだというのです。

 確かにこの時代、売れないワケを調べても、人びとが“個”の市場をつくり、ひとりの人が状況によって欲求が変わる時代に、なぜ買わないのかの理由を調べて、ひとりひとりの“買わないワケ”は違うものであり、パターン化するのは難かしいものです。

 むしろ、“個客”、ひとりひとりのお客さまごとの視点を通して、自店とどのような関係をもち、自店のどんな点を評価してくれているのかを明らかにすることが重要です。“個客”別に見た自店の評価をはっきりつかんで、その“個客”が「買ってくれる自店の魅力」は何か、“個客”ごとの、自店の使い勝手情報が、次の戦略や戦術を立てる上で極めて有効な本来の個客情報であるといえます。

 なぜ自店が選ばれたのかを知ることと同様に、なぜ、自店の店で、この商品が選ばれたのかを知ることも忘れてはなりません。「なぜ、が選ばれたか」というワケは、3つの側面から調べてみることが必要です。
 
 まず、“状況”です。人は商品を購入するとき、何かの状況的なきっかけがあります。たとえば、結婚記念や誕生日記念といった“人生の節目”に、贈りものとして、また、自分用にと購入されることが多いものです。この人生の節目を誰が購入のきっかけにするのかを別にして、どんなことがあるのかを見てみましょう。

 誕生、入学、成人、卒業、就職、婚約、結婚、子供誕生、結婚記念日、昇進・栄転、業務上の栄誉、永年勤続、定年退職、長寿祝い、また、スポーツでの栄誉、芸術や学術での栄誉、褒章受賞などがあります。ちなみに、調査では高級腕時計の購入では「婚約・結婚」が大きなきっかけになっています。

 次に、購入した理由は何かです。高級時計では、前のものが古くなってこわれたから。もっと良いものが欲かったから。服に合うものが欲かったから。パーティ用に。コレクションとして。ビジネス用として。スポーツ・カジュアル用として、などいろいろな理由があげらけています。

 もうひとつの「なぜ、選択されたかの」の側面は、その商品としてどんな点に魅力を感じたかです。最も多いのは、性能、デザインがすぐれている点、次いで、アフターサービスが安心といった点があげられています。

(つづく)









2008/08/19 17:17:05|エッセイ・日々是好日
晩夏の好日
●晩夏の好日 2008.08.25(月)

炎の秋波
ペレットストーブの炎のやすらぎを

 北京オリンピックが終りました。テレビの録画で、聖火が消えていく様子を何度か観ました。44年前、東京オリンピックの聖火を、裏側から観ていたことを思い出しました。新宿御苑の中から観た聖火でした。曇り空の下に、聖火は燃えていました。聖火というタイトルの下に繰り広げられるイベントを横目で見ていた態度は、あの日以来変わらないようです。当時の私はといえば、始めて取り組んだ職場演劇の演出の打ち合わせを、演出助手を引き受けてくれた、IMさんとしていたときです。私にとってのスポーツは関心外のことでした。
 
 ただ、どんよりした曇空の下に、聖火が赤々と燃えていた状況が、脳裏に鮮やかに残っています。燃え盛る火は、人間に特別な影響を与えるようです。祭にかがり火はなくてはならないものでしょうし、青春時代のキャンプファイヤーも、強烈な思い出をつくってくれます。めらめら燃え盛る裸火は、見る人にある種の興奮と安らぎにつながる不思議な波長を送ってくるようです。かつて日本人は、火を身近において生活していたのでしょう。私が幼児時代を過ごした北国の冬の夜、囲炉裏の火をただ黙ってみていたことを思い出します。私の原体験のひとつです。
 
 いま、タバコを吸わない身の回りにある裸火は、ガスコンロくらいのものです。風呂も暖房もガスか電気です。多くの家庭でも、裸火は少なくなっています。クッキングもIHヒーターというケースも少なくないでしょう。エネルギー源としての木や木炭や石炭、もみ殻は、ほとんどといっていいいくらい姿を消しています。かつては燃料の主役だった薪も使わなくなっています。こんな時代の中で、木から作るバイオマスエネルギー「木質ペレット」が注目を集めています。いままで焼却処理していた製材時の廃材を粉砕して、加熱加圧凝縮してつくる燃料です。
 
 専用のストーブやボイラーが必要になります。設置のためには、排煙装置などが必要であり工事が伴います。決して安価とはいえない初期費用で、ペレットもいまのところ、他の燃料にくらべて安いとはいえません。実は、私の仲間たちが事業化しているプロジェクトで、循環資源の樹木を原料とすることで、地球温暖化防止に貢献するとして、設置を援助している行政もあります。いろいろな特徴があげられますが、特筆したいのは、燃え盛る炎が見られること。それが、なんともいえないほどの安らぎを与えてくれます。火を身近に置く快さを実感できます。


●晩夏の好日 2008.08.24(日)

使わない
エコで重要なのはノンユース選択

 エコライフの知恵としてとして、「リデュース」「リユース」「リサイクル」の3Uが喧伝されています。いまさら口に出すのが恥ずかしいほどで、私たちが10年以上も前から使っていた惹句です。いま、本当にエコを考えるなら、3Uの前に「ノンユース」を進めなければなりません。これは100%「リデュース」の概念で、できる限りゴミを出さない前に「使わない」ことが大切だと。そもそも使わなければ廃棄物、ゴミは出ません。使わなくてもすむ生活をすること。そのためには「我慢する」という行動が必要だと。せめて、少なく使うという生活をとること。
 
 敗戦直後の、もののない生活を知っている世代の一人として、いまの時代の、ものの扱い様は、目を覆いたくなるほどです。同世代の人たちも、あれらの日々をすっかり忘れている、あるいは忘れたふりをしている。すべてとはいいませんが、それが今日日の人心の荒廃の原因になっているのかもしれません。あんな苦労はもうしたくない、あんな生活は子どもらにはさせたくない、と格好のよいことをいっているのですが、何のことはない、要は、恐くて、つらいことをしたくないということ。いま、あれらのもののない時代をもう一度見つめ直してみたいのです。
 
 飽食の時代を、仕事として煽りたてたマーケッターの一人として、いまさら何を言うか、なのですが、自責の念にかられながら、まず、己からと改めたいと生きています。私の生活信条として「謝恩・倹約・順応」をあげているのですが、そのうちの「倹約」ということ。そのこころは「もったいない」という気持を持ち続けることだとしています。これはエコにつながるsustainnabieな行動だと位置付けています。「欲しいもの」ではなく「要るもの」だけを使うことだと。ものへの愛着から、ものづくりへの思い入れから、捨てることができない人間です。
 
 ただ、こういう生活をしているのは、経済的に余裕がないからだとする気持もあるのです。「欲しいもの」を手に入れる余裕がないから、肩肘を張っているので、もし、余裕があるならどうなるだろうと考えるときがあります。そんなときは、少しは欲しいものを手に入れると思うのですが、多分とことん選ぶはず。で、使えるものを捨てられるかと言うと、やっぱり難しい。すこしの不具合なら、直して使いたい。ただ、昨今、直しにくい製品が多くなっています。機械的な不具合なら、叩くか、バラして直すのですが、電気や電子の不具合は、まったく、お手上げです。
 

●晩夏の好日 2008.08.23(土)

悪い結果
結果を出すのは良悪のどちらでも

 嫌いな言葉に「結果を出す」という言い方があります。言葉自体が嫌いというのではなく、その使い方に馴染めません。意味は「良い結果を出す」ということですが、いつの間にか若い人だけではなく、常用語のようになっています。最近では、NHKのアナウンサーでも、番組の中で使っています。インタビューで、発言者の「ら」抜き言葉を、字幕で、わざわざ「ら」を入れている、あのNHKがです。使い方が、いま風でカッコがよいとでも思っているのでしょうか。良くても、悪くても「結果」なのですから、良い結果が出たときだけに使うのはおかしいよ。
 
 この遣い方でいうと、さしずめオリンピック野球の星野監督が率いた日本代表チームは「結果は出せなかった」というのでしょう。しかし、結果ははっきりと出ています。「惨敗」という結果です。悪いのか、良いのかは、それを断じる人の考え方によりますが、いずれにしても「結果は出た」のです。言葉は、マスコミを含めて誰かが最初に使った言い方が、ピタッとはまると、すぐ蔓延してしまうようです。先の星野さんの言い方でいうと「○○である、と」いう言葉遣い。自信たっぷりに言い切ることが、流行り始めました。これもちょっと嫌な耳障りです。
 
 言葉は、時代にそって変わっていきます。いまもそうでしょうが、市民会議などで、いわゆるお役所言葉で、カタカナ言葉はけしからんという論が、高齢の市民から聞かれます。要は、本人がその言葉を理解できないというか、しようと努力しなかっただけのことなのですが、自分が知らないカタカナ文字が、他の大多数も理解できないだろうと思い込み、だからけしからん、といっているわけです。カタカナ言葉は、横文字言葉とは違うのです。最初は横文字言葉であっても、カタカナになると日本語になってしまうという、この国の言葉の素晴らしさがあるのですよ。
 
 コミュニケーションは、誰に対してのものか、その状況から言わずもがなのでしょう。小学生に向かって、大学生に対するような言葉遣いはしないように、送り手は、無意識のうちに、受け手の受容能力をはかっているものです。「これは若い人向けの言い方ではありません」と、私のような年寄りを、ご親切に諭してくれる人がいますが、単に、理解できない自分の語彙の貧しさを暴露しているようなものです。言葉は、時代とともに変わります。新しい言葉は、そうかなるほどと、と受け入れながらも、人によっては遣いたくない言葉もありますよ、である、と。
 

●晩夏の好日 2008.08.22(金)

内容本位
ITはプロとアマの垣根をとった

 表現者でプロとアマの違いとは何かを考えるときがあります。ITをはじめ、いろいろな技術がどんどん進んでいるいまの時代、どう創るかの方法については、プロもアマも差がなくなっているような気がします。例えば、写真の世界。かつては露出決めはマニュアルでした。こんなお天気だから、絞りは11にして、シャッター速度は1/125にしようとか、いろいろ思いめぐらしたものでした。それがEEカメラが現れました。そして、まさかと創造だにしなかったオートフォーカスの出現です。メディアがフイルムから、デジタルカードになりました。
 
 プロのカメラマンと一緒に仕事をする機会が多かったのですが、彼ら、彼女らのプロとしての基本的な条件は、エンジニア的な技術を備えていることでした。また、高価な器材をもち、感材を惜し気なく使って、35判なら1枚のために何10回ものシャッターを切ったり、4×5判でならアシスタントに、くどいくらい露出を測らせ、ライトを変えていました。それがプロだと、周りは納得し、あがった作品を流石と賞賛し、1点につき何十万円ものギャラを支払っていました。いまは一部の人を除き、コマーシャルフォトのではそんなことはなくなっているのでしょう。
 
 現在は、プロと称される人でも、普通の、といっても一眼でしょうが、デジタルカメラのPモードで撮った作品の写真集を上梓し、あるいはメディアで発表しています。露出も距離もカメラまかせ、撮った後にすぐ画像を確認して、気に入らないなら破棄してしまう。かつてなら、夢のような状況です。私のクライアントのひとつだったポラロイド写真なんて、いまは知る人も少なくなっているのかもしれません。長く富士フイルムの仕事もしてきましたが、いま、あの会社の商品ラインナップはどうなっているのでしょう。それでも生き残っている企業の強さを感じます。
 
 コピーライターの世界では、一部のマスのコマーシャルのコピーライターを除き、書くだけのプロは要らなくなっています。IT化が進む中、コピーアンドペーストが一般化し、どう書くかの表現面では均質化しています。誰が書いても同じなら、何を書くかで勝負しなければなりません。これはずっと大切にされてきたことですが、材料選びと切り口の問題です。プロを標榜するなら、ペーストしたものではないものを表現しなければなりません。幸いというか、最近は、情報集めは格段に楽になっています。そんなわけで、毎日、老骨に鞭打って頑張っているわけです。
 
 
●晩夏の好日 2008.08.21(木)

写し盗り
コピペがコピー仕事を奪ったのか

 ワープロやパソコンが一般化して、書く世界でもコピー・アンド・ペーストという現象が増えています。これを「コビペ」と略しているのか、別の言いかたをしているのかもしれませんが、いわゆるIT化が進んで、一挙に進んだようです。これがプロとアマの垣根を低くしました。前には、私のようなコピーライターでも、書くことがスキルフルな仕事として「商品」になっていました。小説家には及びませんが、文章に私の「節」というものが出て、一部のクライアントには好評で、安心して読んでもらえ、直しの指示が少なく、フリーパスのような状態でした。
 
 どう書くかよりも、何を書くかが重要視される実用文の場合、書き手の個性はどうでもいいのでしょう。誰が書いたのか判別しにくいわけで、ウェブなどで、これはというセンテンスを見つけたら、それをコピーして、自分の文章の中にペーストしてしまいます。そのように扱われないように、何をいうのか、切り口を工夫してきたのですが、それすらコピーしてしまいます。学術論文でもない限り、容認されているのが実情です。日本語が話せれば、誰でも気軽に文章が書けるし、特にパソコンやケータイの高普及、書くという壁を薄くしてしまったようです。
 
 かつてメーカーのセールスマニュアルは、私たちコピーライターには「草刈り場」の仕事でした。企業にとっては、部外者には秘密にしておきたい企業秘密を、社内には書ける社員が少ないということから、私たち外部のライターに依頼していました。もちろん、書けるということは、売りの現場をはじめ、商品や他社情報、成功事例を知っていることは必須の条件です。しかし、いちど発表してしまうと、マイナーチェンジの商品には書くことが少なくなります。それでも仕事の依頼はあったのです。レイアウトや印刷が簡単にはできないことも理由のひとつでした。
 
 IT時代になると、原稿はデジタルテータになります。こうなると製品のマイナーチェンジには、マニュアルは一部の修整で対応できます。この作業は、外の業者に頼まなくても、前のデータを使って、若い人がこなしてしまうのです。いつの間にか、コピーだけではなくデザインも器用にこなすようになりました。プリントアウトした原稿を最新のコピー機が、必要部数を簡単に冊子印刷をしてくれます。いままでの数分の一のコストでできます。外の業者はお役御免となってしまいました。同業の仲間が職を失い、消えていきました。その結果はまた考えてみます。


●晩夏の好日 2008.08.20(水)

地域慕情
福生はふるさとになるだろうか

 私が書いたものを読んでくれた人が「福生というまちが本当にお好きなんですね」って言ってくれます。直に聞いたときは「ええ、まあ」と、お茶を濁します。この地に移って6年目、確かに嫌いではありませんが、実際のところはどうなんだろう、自問してしまいます。いろいろな人にお会いして、普通なら聞けないだろう話も伺いました。すてきな、いい人たちだけにお会いできたせいもあるでしょうが、良い印象ばかりで、嫌いになる理由はありません。でも、心から好きなのかといえば、ひとが自分のふるさとに抱くような気持は持てないようです。
 
 市のボランティアの市民参画事業に、手をあげて参加しましたし、シルバー人材センターに登録して、市役所での有給の作業の手伝いもさせてもらいました。それらのせいもあってか、新しい市長さんに顔と名前を覚えてもらいましたし、市役所の職員さんや、いろいろな市民の方々とも知り合いました。そんなこんなで、このまちのパーソナリティーも、おぼろげながらですが、見えてきました。この時点で「良いまちか」と自問してみると、諸手をあげて「そうだ」とは言えないようです。浮き草生活のせいもあるでしょうが、もう少し時間がかかりそうです。
 
 前に、月に4〜5件、全国の会社、販売店、工場の取材を続けていました。そこで得た情報は、私のクライアントに喜んでもらえる情報でした。マーケティングの世界では、同業他社、あるいは異業種他社がどんなことをしているかが、大きな関心事です。行政やまちづくりにおいても、よそが何をやっているのかは強い関心事のようです。「全国で初めて」「全国でも珍しい」と、マスコミに話題をリリースしていますが、多くの場合「初めて」や「珍しい」ことは、なかなか手をつけられないようです。このまちの場合も、そのような気がするのです。
 
 「可もなく、不可もなく」という行政特有の処世施策は、このまちにもあてはまるようでした。ただ、今度の新市長が、どのようにリーダーシップを発揮できるのか、期待して見守りたいとは思います。このプログでも紹介しています、私の古いエッセィ「協働の市民参加のコスト」を再録した意味もそこにあるのですが、強力なパーソナリティの首長、有能な官吏、独創力のあるプランナーの三者による施策の起案が欲しいとおもいます。それが実現したとき、このまちは本当に「福を生む」まちになって、風来坊の私を好きにならせてくれるかもしれません。
 
 
●晩夏の好日 2008.08.19

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プロローグ

 t-netさんのブログの仲間に入れさせてもらいます。よろしくお願いします。

 このカテゴリーでは、思いつくまま、思い出すまま、いろいろ書いてみようと考えています。エッセイとして毎日1つずつ書くつもりですが、仕事や打ち合わせなどで、あるいは、飲み会などで、書けなくなることがあるかもしれません。ただ、毎日必ず書くんだと義務化はしないで、気楽に書こうと思っています。

 むかし、手書きの頃に、毎日600文字の原稿用紙ぴったり1枚づつ書いたことがあります。1年間続けました。今度は、1回に260文字×4ブロックで1040文字程度でおさめてみます。どうなりますやら。
 
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やれやれ
ソフトとハードの成熟時間の考察

 北京オリンピックが終盤に入っています。つき合わないでいようと思っていたのですが、ついついテレビを観てしまいます。外国の国同士の試合では、茶々を入れながら気楽に楽しめるのですが、日本のアスリートが登場すると見入ってしまい、疲れてしまいます。ナショナリストではないつもりですが、いけません。アナウンサーの絶叫に乗せられまいと、がんばってはいるのですが…。それにしても、あのアナウンスはなんとかなりませんかね。新しい「前畑がんばれ」の伝説をつくろうとしているのか、それが五輪放送の決まりだとでも思っているのでしょうか。

 もうひとつ気になることがあります。流れてくる画面処理です。国際映像とかのようですが、スタッフの中心は彼の国のエンジニアなんでしょうね。やたらアップを多用して全体がどうなっているのか分らなくなってしまったり、肝心の主役をフレームアウトしてしまったり、スイッチングがおくれたり…。もっとも4:3、24型画面のせいもあるのでしょうが。国内放送ではどうなのかわかりませんが、急な大掛かりなセットに、必死でついていこうと頑張っているのかもしれません。

 ハードの技術は、それなりの国をあげての投資と時間で、なんとか格好がつけられても、ソフトのノウハウは、すぐには身につきにくいかもしれません。立派な器が先になり、何を盛るかは後で考える昨今ですが、なんだかアホらしくなってきます。パソコンでも同じですね。最近、常用のMACのOS9.2とは別に、10.5のセットを入れたのですが、とてもてとても使いこなせません。いろいろ便利機能がついたようですが、それが一体なんなのさ、って感じです。私の場合、そんな機能がなくたって、まだまだ困らないのですが、年寄りをそう急かせないでほしいのです。
 







2008/08/19 14:12:34|プレゼンテーション
広報コピーの書き方入門
1.メディアの中の広報

いま、多種多様なコミュニケーションメディアが溢れています。

●マスメディア
・新聞
・雑誌
・テレビ
・ラジオ
いわゆる報道を中心とした四大メディアであり、送り手が不特定多数の一般大衆に向けて一方的に情報を発信するメディアです。

●クラスメディア
・広報紙(誌)
・情報紙(誌)
・PR誌
・ハウスオーガン/会報、機関紙、社内報など
・ブローシャー/案内、報告、告知、紹介、提案など
・教育指導書/マニュアル、テキスト、取扱説明書など
・エリア放送/FMラジオ、有線テレビなど
・その他
ここで取り上げる広報は、このジャンルに入ります。対象者を限定して発信するメディアで、内容としては報道から指令、お願いに至るまで、種々雑多で何でもアリの世界です。

●ITメディア
・インターネット/ホームページ、メールマガジン、Eメール.メーリングリスト、ブ  ログ、携帯電話など)
・デジタルメディア/CD、MD、DVD、MO、FDなど
パソコンなどのデジタル情報機器や通信などで受発信するマルチメディアです。文字情報だけではなく、画像、映像、音声など、多彩な内容を、個人でも大規模な設備がなくても、安価に手軽に発信することができます。


2.実用文の書き方

 クラスメディアの中の文章は、美文、名文などの文章そのものを楽しむ文芸としての文章ではなく、送り手の意思を正確に伝えるための、実用文が中心になります。まず、前段の基本として、国語のおさらいとして、わかりやすい実用文の書き方について考えてみます。

 文とは、句点で区切られた、まとまりをいいます。わかりやすい文章とは、一つひとつの文がしっかりしていることです。基本的には、簡潔な、短い文ほどわかりやすいといえます。長くなればなるほど、わかりにくくなります。このような場合、文をいくつかに分けたり、あるいは、読点の打ち方を多めにするなどすると、文はわかりやすいものとなります。実際に文を書くときや、練り直すときには、頭の中で、テン、と読みながら書き進めていくとよいようです。

 文章を書く大事な要素は、誰が、いつ、どこで、何を、なぜ、どうした、をはっきりとさせることです。これをしっかりふまえて、具体的に書くようにします。この中で、なにが、どうした、の関係を主語と述語といい、この関係が文の基本です。これに、あとに続く文節の意味を詳しく定める修飾語が加わることで肉づけされます。このときは長い修飾語を前に、短い修飾語は後に置くとよいとされています。

 ただ、日本語の文の特徴とて、前後の流れによって、主語を省略しても読み手に伝わることもあります。コミュニケーションをより強くするために、同じことを重ねて伝えたり、あえて手垢のついている言葉を選ぶこともあります。40年間、ビジネスの現場で鍛えてきた、私なりの文脈、文法を身につけたと自負しています。


3.受け手を動かす文章

 広報は実用文ですが、淡々と内容を伝えるためだけではなく、受け手に、共感してもらったり、記憶してもらったり、行動してもらうなどの、態度を変えてもらうための文章があります。この講座で考えたいのは、このような文章で、その参考になるのが広告、広告コピーです。

 広告は、受け手に商品やサービスを買ってもらうようにすることです。このために広告では50年以上も前から、基本的な法則にそって広告を作ってきました。アイドマの法則というものです。

 これは、消費者が広告などの情報を処理して最終的な購買行動にまで至る心理プロセスを効果階層モデルとして提示したものです。

アイドマ、AIDMAとは、
A:attention(注意) 注目させ
I:interest(興味) 興味を持たせ
D:desire(欲求)  欲求を喚起し
M:memory(記憶) その状態を記憶させ
A;action(行為)  行為を起こさせる
という一連の心理プロセスです。

 これを広告コピーの展開で見てみます。
 まず、attention、注意をひきつけます。これは文字どおりキャッチフレーズ、キャッチコピーとも呼ばれ、コピーライターはこのことばさがしに、まさしく命をかけるわけです。このワンフレーズで、商品の売上げを大きく左右してしまいます。このことばの開発のためにメーカーとして、百万円を投資しても十分にもとが取れます。全国ブランドの商品ほどその効果が顕著になります。最初の呼びかけで、振り向いてもらうことばの力をもたせることです。

 そして、次がinterest、興味を持ってもらう部分です。おや何だろう、面白そうだと思わせます。ここでは簡単にどんなことを訴えようとしているのかを伝えます。リードコピーです。読み手が関心を持ちそうなことを、スバッというようにします。短いことが重要ですが、最も大切なことは、読み手の関心領域に会わせることです。興味を感じないことを、ズバリいわれても、何よそれと、そっぽを向かれてしまいます。

 その次がdesire、欲求を喚起するもので、いわゆるボディコピーです。興味を持ってくれた読み手に、じっくりとすすめる商品やサービスのことを伝えます。ただ、言いたいことを、勝手に伝えればいいというものではありません。読み手に好意を持ってもらうことがポイントです。起承転結の文脈で展開したり、わかりやすく箇条書きにしたり、いろいろ工夫をこらすようにします。

 そしてmemory、記憶させるプロセスです。商品やサービスに好意をもち、欲しくなった。次は、具体的な商品やサービスがどんなものなのかを伝えます。これをないがしろにすると、相手はすすめようとしている商品よりも、よく知られている商品を選んでしまいます。苦労して競合相手の商品の広告をしてしまったということになりかねません。ここではっきりと具体的な商品名や情報を伝えて記憶してもらいます。

 最後の詰めがaction、行為を起こさせることです。広告の目的は、商品やサービスを具体的に売ることにあります。情報や知識を売ることではありません。その商品やサービスを、すぐにも買ってもらうこと。そのためには、いま何をすべきなのかを伝えて、行動を起してもらうことです。どうすれば買える野かを伝えて、いま、買わなければならないわけをつたえます。いつか、気の向いたときにかってくださいでは、せっかくのチャンスを逃してしまいます。期間限定のサービスなどがこれにあたります。

 以上、広告の古典的な法則AIDMAのプロセスを見てきました。広告コピーでは、受け手の態度を変えるために、このような工夫をしているわけです。実際、最初のAから始まって、最後のAにたどりつかずに、途中で終ってしまうこともあるのですが、そうならないようにコピーライターは苦労しているわけです。現実には、この法則にはのらない広告が多くなっています。

 広報の文章の中で、受け手の態度を変えようと思ったら、このAIDMAの法則を使おう、というのがこの講座での提案です。こんなことから、広報の文章で読み手の態度変容の文章を広報コピーと呼ぶことにします。


4.広報コピーの書き方

4-1 誰に何を伝えるのか

 誰に、何を売るのか、何を伝えるのかをはっきりさせるのがビジネスや広告の基本です。広報コピーにおいても、何を誰に伝えるのかをまず、はっきりさせます。狙いは何なのかを確認することです。

 まず、売ろうとするものは「何か」です。例えば、「独り暮らしをするお年寄りの話し相手をすること」というように、はっきりと「売りもの」を確認します。そのために書くのだから、分かりきっているとしないで、書く前に、書いてるときに、書いた後にチェックしながらも、この「売りもの」を意識するようにします。

 広報の場合、ほとんどの場合、対象者は特定されています。ただ、限られてるといっても、この対象者はいろいろです。理解度に違いがあります。価値観もいろいろです。生活のしかたもさまざまでしょう。こんな人たち全部をひとくくりに考えてしまうと、広報コピーの“訴える力”が弱まります。

 具体的に、対象者を代表するひととして、知り合いの中から特定の個人をイメージしてみます。例えば、会社の佐藤さんとか、町内の鈴木さんとかを思い浮かべてみます。このひとの顔を思い浮かべながら訴えるつもりで書くようにします。特定の個人に訴えようとするほど、意外にも他のひとにも訴えるといった普遍性をもってきます。

4-2 誰が書くのか

 誰が書くのかもはっきりさせます。書こうとする自分は何者なのかの確認です。広報コピーは、論文やエッセイではありません。署名入りで書く場合もありますが、普通、匿名です。個人的な感想や意見などは控えるべきでしょう。読み手にとって関心のない、どこの誰とも知らないひとが、どう思うかなどは、どうでもいいことで、読まされて迷惑というものです。

 ただ、広報コピーには、書き手の個性、キャラクターが反映されます。スタンスをどこに置くかです。いくつかの素材の中から、何を取り上げたのかは書き手の意思です。それをどのように構成して展開したのかも書き手の考えによります。同じ素材を扱っても、書き手によってどのようにでも料理できます。料理のしかたによって、好意や共感を持ってもらえたり、逆に、悪意や反発をつくることもできます。

 読み手の態度を変えようとする広報コピーは、好意や共感を持ってもらうことが前提です。そのためには書き手の価値観が、対象となる読み手にとって好意や共感をもってもらえるものであることが大切です。ことさらにおもねることはありませんが、時代の共通した正義感ややさしさ、思いやり、ひとへの愛情が求められます。

 要するに、自分は読み手ににとって何者なのか、他の人に何が言えるのか、を確認することです。そのためにはどんな専門性をもっているのか、を自問自答してみます。主婦という専門家、営業マンという専門家、パートタイマーという専門家もいるでしょう。自分なりの視点、視座を持った、ものを書こうとする自分とはなにか-の確認です。

4-3 何をしてもらうのか

 広報コピーの目的は「何か」です。アイドマの法則で考えたように、最終的に行動してもらいたいわけです。ただ、行動というレベルにも、いろいろあります。例えば、ボランティアとして具体的に活動してしてもらうという目的。それ以前の段階として、とりあえず、関心を持ってもらったり、知っておいてほしいというレベルでの目的もあります。読み手にとつても、その問題意識や置かれている状況によっても変わってきます。

 受け手には、受け入れ体勢に4つのレペルがあり、それに合わせます。
●ゼロレベル「何も知らない」
 対処法 → 解説を加えるなど伝え方を工夫する
●理解レベル「言うことはわかる」
 対処法 → ポイントや特長を伝えて確認させる
●了解レベル「自分もそう思う」
 対処法 → 個人に向けてのインハート1本釣り
●納得レベル「言う通りにやるJ
 対処法 → どう行動するのかを具体的に伝える

 理性に訴えたり、感情に呼びかけたり、その方法は書き手の思うがままです。何故そうしてほしいのかを伝えたり、することで得られる特典を伝える方法もあります。どのように書くのかで、受け手の反応も違ってきます。地の文だけではなく、会話文を入れたり、引用文を入れたり、その方法は書き手にまかされています。書き手にとっては、腕のふるいがいのあるところです。


5.素材の収集

5-1 文献、資料、各種情報

 最近増えているのが、インターネットを活用した情報収集です。キーワードを設定して検索すると、いろいろな情報を取り出すことができます。この情報荷は、個人的な感想レベルから、片寄ったものやかなり高度な専門的なレベルのものまで玉石混交です。少ない情報に頼るのではなく、多くの情報にあたってみると、情報のレベルが見えてきたりするものです。必要に応じて、ホームページのコピーをダウンロードしたりします。

 インターネットが普及して、情報収集が手軽になりましたが、かつてと同様に、書籍や新聞などからの情報収集も欠かせません。これらの資料を購入したり、図書館で調べたりするわけです。有料な情報として公表されているだけに、その情報には信頼性があるといってもいいでしょう。特に、ローカルな情報などは、行政の資料なども活用できます。

 これらの情報を、広報コピーの中で使う場合は、使う方法にもよりますが、出典を明らかにしておくことが重要です。テキスト化されたデジタル情報は、簡単にコピーできることから、原文のまま、あるいは主語を変えるくらいで使うことがあります。著作権、コピーライト表示には十分に注意したいものです。掲載の場が広報であり、文芸作品ではないので、細かくは問われないでしょうが、原文のままを引用するのではなく、咀嚼して書き手の言葉として使いたいものです。元の書き手の仕事に敬意を払うのは、公になる広報の書き手としての礼儀というものです。

5-2 取材、インタビュー

 直接、対象者にあたって調べたり、話を聞いたりして、情報をとることは、広報コピーを書くうえでの基本中の基本です。情報の現場に出向いて、自分の目でみて、耳で聞き、手で触り、臭いを嗅ぎ、味を確かめることで、自分の言葉で書くことができます。報道の原則は足で書くことだといわれますが、広報コピーにおいても同じことがいえます。

(1)下調べ

 取材やインタビューにあたって、まずしなければならないのは、下調べです。目的にあわせた対象や対象者について、事前に、調べられるだけ調べます。知っているひとから話を聞き、対象者について記録したものがあれば目を通しておきます。そのひとの作品や仕事をあたってみます。

 また、背景や関連する周辺情報についても、十分に調べておきます。私の場合、百科事典の他に、時代の生きた情報として「現代用語の基礎知識」「知恵蔵」「imidas」などの用語辞典も下調べには活用しています。専門分野別に、その道の専門家が要領よく解説してあり、話題を広げるヒントになります。

 知らないから、対象者に聞くのではありません。事前に得られる限りの情報を持って、さらに深く、広く知るために取材をするのです。その世界で生き、活躍しているひとならではの、とっておきの話を聞くのです。いまではインターネットでの情報収集も欠かせません。この下調べした情報が多いほど、取材やインタビューの質が高くなります。対象者に対する敬意であり、礼儀です。

(2)アポイント

 対象者に取材の申し込みを行います。何のための取材なのか、はっきりと目的を伝えます。そして、いついつ発行する広報の、どのくらいのスペースで、どのように紹介するのか、実名や写真などはどう扱うのか、その時点で決まっている範囲で伝えます。ただのおしゃべりをするのでは、時間を割いてもらうその人に対して無礼です。紹介されるのを喜ぶひとだけではないことを心にとめておいてください。

 時間を費やしてもらう対価としての謝礼金についても、金額や支払い方法を伝えて、了解してもらいます。金銭での謝礼ができない場合は、その旨を伝えて了解してもらいます。その代わりに、取材を通して活動内容なりを、新しい視点で分析整理をしてあげたり、課題解決の新しい提案をしたり、後にはなりますが書いた広報コピーを気に入ってもらうことなども、物品での謝礼以上に喜んでもらえます。この恩返しができてこそ、取材者冥利につきるというものです。

 承諾を得た対象者に、都合のよい日時を聞き、それを確かめ、その取材にかける時間も了解してもらいます。取材時間は、内容や相手にもよりますが、1時間程度にしたいものです。それ以上に長いと、同じ問いかけをしたりしかねません。大体、1時間の話をそのままテープ起こしをしたら、400字詰め原稿用紙で50〜60枚になってしまいます。

 同行する人数について、この時点で伝えて了解してもらいます。また、写真を撮りたいときは、何を撮りたいのかを伝えて了解してもらいます。

(3)取材項目

 何を聞きたいのか、目的にそって質問項目を書き出します。そのためには、書きたい記事の大体の内容や流れを考えてみます。特に、こんな点を聞きたいというものがあったら、思い付くままに書き出してみて、後で整理します。

 ここで注意したいのは、この質問項目は、実際の取材の中で、全て聞かなければならないことではありません。また、順番通り聞いていくためのものでもありません。取材中に聞くことに洩れがないようにチェックするためのメモ、覚え書きです。これらの項目は、限られた取材時間の中で話をするうちに、聞けないことも出てきます。ひとつの項目について聞くうちに、どんどん枝葉を広げてしまうこともあります。とにかく、この段階では聞きたいことを漏らさずに書き出してみることです。

 この質問項目にとらわれ過ぎると、取材がQアンドAのような味気ないものになってしまい、会話の発展を妨げてしまいます。思わず出る本音や、とっておきのエピソードを聞き逃して、表面的な取材になってしまいかねません。聞き出す順番は、成行きにまかせせて、後で洩れがないように、質問項目を使うようにします。

 また、略歴や活動の概況など、当然、押さえておきたい項目について、事前に調べてあっても、当人に確認してもらうためにも項目としてあげておきます。この確認は、型通りの質問項目であり、途中で聞き逃したら、取材のまとめとして聞くようにします。

(4)記録

 インタビューは、相手の目を見て、表情を伺いながら、共に笑い、怒り、考えながら進めると、親密なコミュニケーションが生まれて、内容の濃い取材になります。メモだけに頼ろうとすると、ノートだけに目が向いて、聞きたいことだけを聞こうとする味気ないものになってしまいます。

 そのために、臨機応変に会話ができるように、インタビューは録音しておきます。後で相手が熱中していることや、微妙なニュアンスが確認できるものです。録音にはカセットテープなどいろいろありますが、テープ起こしを依頼する場合もあることから、私は長年、カセットテープを活用しています。

 数人の対象者を一緒に取材するときは、ステレオ録音が効果的です。モノラル音だけでは、発言者が特定できなくなることがあります。ステレオ録音だと、方向性が確認でき発言者が特定できます。

 録音するときは、最初に、メモ代わりに録音をすること、他の用途には使わず、記事を起したら消去することを伝えます。終ったら、その時点で録音は止めるようにします。

(5)進め方

 約束の時間に訪問します。時間に遅れることは言語道断ですが、多望なひとには、早すぎるのも迷惑になります。早くても5分程度にします。取材は、書き手と対象者の真剣勝負ですが、訪問時間をずらすなど、手のこんだ駆け引きはいりません。真摯に、相手の立場を尊重して、時には。相手と同じ立場になって考えることです。

 最初にまず、相手が立っている背景全体を、ありのままの状態で、先入観なしに注意して見てみます。特に大切にしているようなものや状態を見つけたら、それを話題に軽く触れてみます。いわばジャブです。相手が、我が意を得たりと乗ってきたら、そこから話を進めます。ほめたり、感心したりするのも効果的です。自慢に思っていることをいち早く見つけだすことです。

 話しやすい雰囲気をつくったら、その話題から話を進めていきます。準備した取材項目の順序にこだわる必要はありません。興に乗ると本音が聞けたり、いろいろな話が飛び出したりします。脱線しても、後で戻せばいいのです。取材項目のメモは、いろいろな話の中で聞き出せばいいのです。その項目の話が出なかったら、最後に聞けばいいことです。録音中のマイクが拾わないように、声を出さない相づちをうちながら、聞き上手に徹するようにします。

 ひと通り話を聞いたら、相手の活動内容を分析して整理してあげると喜ばれます。意識なしに個々に活動していたことが、全体の中でどんな意味をもち、それを体系づけて、課題や進むべき方向を示唆してあげたりします。

 ただ、議論や対談をしているのではなく、取材者は話を伺う立場であることをわきまえます。議論や対談は、対等の見識を持つひと同士で行われるもので、格下のひとや違った分野のひとの、的外れな勝手な感想や意見など、相手は知りたくないし、勘に触ります。相手の活動を自分の価値観で否定したり、批評するのは取材の後で、自分だけですることです。取材中は「いいことさがし」をしてください。

(6)ポイント

 取材は、次のようなステップで行うようにします。

ステップ1 観察 「いいとこ」を探してほめる
 まず、実態を理解するように、注意して、くわしく見ます。見きわめること。一定の方針のもとに、注意深く見通すこと、見抜くようにします。

ステップ2 洞察 「どのように」成ったのか
 さらに、より深く観察して、ふつうではわからないところまで、現象がどのようであるか、どのように起ったのかという事実を確かめます

ステップ3 想像 「どんな展開」ができそうか
 発見した事実をもとに、実際に経験していないことを、こうではないかとおしはかります。頭の中にいろいろな物事のイメージを浮べます。

ステップ4 創造 「新しい解決策」を考える
 事実やイメージを発展させて、また、過去の体験や知識など、いろいろなものを組み合わせて、今までにない新しいものをつくりだします。

ステップ5 提案 「わかりやすく」伝える
 新たにつくりだしたもの、その方向性、解決策などを、対象者に提出します。情報を整理して、分かりやすく伝えます。

5-3 座談会

(1)まとめかた

 座談会という取材の方法があります。何人かに人が集まっもらって、ひとつの話題について、いろいろに話しあってもらうものです。記事は、普通、発言者の会話体の文として書いていきます。つまり、文頭に発言者名をつけ、カギかっこで、発言内容を会話体で書きます。発言者が話した通りそのままに書き必要はありませんが、ちょっとしたニュアンスなども伝えると、より親しみやすい記事になります。

 普通の地の文で書く記事より親しみやすく、身近な参加者への関心の強さもあってよく読まれるようです。広報にはうってつけの表現です。ただ、段取りとして、出席者選びや時間の調整に手がかかり、また、、広報コピー、記事としてまとめるのにも時間がかかります。一時間の座談会でも、テープ起こしに五、六時間は必要で、まとめるにはさらに時間がかかります。

 多くの場合、ひとが話した通りに書き起こすと、主語がなかったり、内容が飛躍したりして、日本語の文章としておかしいものになりがちです。話し合いを聞いている限り内容が伝わります。また、前後の文脈から、主語がなくても理解できますが、ひとつの話しの流れの中で、違った内容が混じってしまうと、そのまま書き起こすと。何のことを話しているのか分からなくなってしまうこともあります。また、ひとりのひとが、同じ内容のことを何度も話すこともあります。そのために、発言内容を整理して、読んでおかしくない程度の文章で、発言者のニュアンスを加えながら書くことがポイントです。

 全体の記事の分量にも限りがあり、同じひとの、いくつかの同じような発言をひとつにまとめたり、カットすることも必要になってきます。また、中には発言が多いひとと、少ないひとが出てしまうことがあります。同じような立場で出席をお願いしておきながら、一部のひとの発言だけでまとめてしまうことはできません。発言の少ないひとの話でも、全体のバランスを調整しながら、取り上げるという配慮も欠かせません。

 司会者の発言を、出席者と同様に扱うかは、記事の分量にもよりますが、とうとうと解説したり、論評するのを書くのは問題です。司会者の発言は、話題のきっかけづくりにとどめて、出席者の発言を中心に紹介したいものです。ここでも書き手はあくまでも黒子役に徹するべきでしょう。

 座談会や対談などの記事は、原稿の段階で発言者にチェックしてもらいますが、ひとによっては、あれもこれもと書き足すような要求もあります。座談会では話されなかったことまで追加の要求もあったりで、同席した他の出席者に対しても、はなはだ無礼です。スペースに限りがあることを伝えて、編集者に任せてもらうようにお願いします。そのために原稿のままでチェックしてもらうよりも、レイアウトしたゲラ刷りで見てもらうと、スペースなども確認でき、納得してもらえます。原稿のままだと、まだまだ直せそうな気になるものです。編集者としての、編集権もあり、総合的な判断をお願いすることも必要でしょう。

(2)座談会の記録

 座談会の取材には、「座談会を取材する」場合と、「座談会で取材する」場合のふた通りがあります。「座談会を取材する」とは、司会者が別にいて、書き手は記録係として関わるものです。その場に同席しなくて、後で録音したテープなりを渡されて、書き起こすこともあります。「座談会で取材する」とは、自らが司会者として関わり、司会しながら進めていく方法です。

 座談会を取材するときは、書き手は、記録係に徹することができます。ノートに目を落としたままで、発言者と発言内容をメモしていくことができ、録音は確認用として使います。まとめるにラクですが、司会者の司会の狙いと、書き手の狙いかズレることがあります。この場合は、書き手と司会者は、十分に話し合い、司会者の狙いを読んで、その趣旨にそってまとめるようにします。

 座談会の司会者は、文字通り会を司る役です。どのような狙いや順序で進行するのか、そのひとなりのやり方であり、演出方法です。記録する方は、同席していて、聞きたいことがあっても、途中で口を挟んではいけません。話し合いが一段落してから、司会者に許しを得てから、質問なりをするようにします。ただしその質問は、自分の関心事ではなく、記事をまとめるうえでの確認事項に限ります。一人の司会者の下で行われる座談会は、ひとつの秩序の下でおこなわれるもので、おしゃべりを楽しむ会ではありません。

(3)座談会の司会

 「座談会で取材する」場合は、書き手が司会をしながら、会を進行していきます。司会者としての進め方や狙いなど、はじめにしっかりと決め込んでおきます。このやり方は、先にみてきたインタビューでの取材と同じです。あらかじめ質問項目を書き出し、進め方を考えておきます。これは司会者としての、いわば座談会の設計図、演出ノートであり、記録係には見せても、出席者に見せるものではありません。

 司会をする場合、インタビューと同じように、出席者、発言者の顔を見ながら話しを進めていきます。発言者の前には、名札を出しておき、座る位置関係をメモしておきます。多分、司会しながら、発言内容をニュアンスまで含めてのメモをとっている余裕はありません。座談会の記事は、授業のノートとは違い、要約ではありません。司会者も、テーマをひとつにした話し合いをする参加者の一人になりきることです。発言をできる限り会話として再現することです。ニュアンスまで記録することです。

 司会しながら、メモをとるとしたら、発言者とその発言内容のポイントだけとします。後で録音を再生しながら、発言者とその内容が違わないようにするためです。ここで発言者の位置関係まで識別できるステレオ録音が役立つわけです。

 進行は、基本的に司会者が発言者を指名して、司会者がその人の名前をいって、発言してもらうようにします。これは書き起こすとき、録音を聞くだけでは、誰が発言したのかが分からなくなったり、複数の発言が同時に重らないようにするためです。ビデオなど映像でのインタビューとは違うところです。

 話に興がのると、司会者の指示なく話し合いが始まることがあります。これは、出席者同志に、よいコミュニケーションが生まれ、テーマがこなれていく展開で、大いに歓迎することですが、あまり脱線しないように注意します。座談会でも、約束の時間内で終わるようにすることが鉄則です。一人のひとの発言が長くなり過ぎないようにすること。また、司会者の指示がない発言の途中で、発言者の名前を挟んで、後で発言者と内容が分かるようにすることも、後で書き起こすためにも必要です。


6.広報コピーの書き方

6-1 書き方のポイント

 インタビューや座談会での取材をしたり、文献や資料などを集めて、書きたい記事の材料が揃いました。さあ、書きはじめるわけですが、ただ材料を並べていくだけでは広報コピーにはなりません。ここでも、誰に、何を言いたいのかをはっきりさせておきます。

 そして、どんな構成で書き進めていくのかを決めます。そのためには、報道記事のように、いわゆる5W1Hの原則にのっとって、淡々と書き進めるよりも、書き手の意思を入れることもあります。相手の顔を見ながら、語りかけるような文章です。文芸作品ではありませんが、読み手の態度を変えようとする広報コピーの構成の基本は「起承転結」です。ドラマタイズした文を書くことです。ここで書き手のキャラクタや「歌い方」が出てくるようです。

 重要なポイントは、紙面に限りがあるということです。書き手の興のおもむくままに書き進めるわけにはいきません。文字数が決まっています。その限られた文字数の中で、きちんと言うべきことを、効果的に伝えなければなりません。多くの場合、言いたいことを決まった文字数で書き上げることは、なかなか難しいものですが、これは原則です。

 書き方は、原稿用紙に手書きで書くよりも、パソコンやワープロを使って書くようにしたいものです。書く場合に構成しやすく、追加したり、削ったりの直しがしやすく、テキストデータとして扱えますから、ネットで送ったり、パソコンでのレイアウトがしやすくなります。

6-2 文の長さと写真と図表

 広報コピーは、主として文章中心になります。一般によくいわれることに、文章は長いと読まれないといわれます。これは誤解のひとつで、読まれないのは文章の長さではなく、書き方にあります。読まないひとは、例え短くても読んでくれません。読まれる、読まれないは、広報コピーの分量ではありません。

 ただし、紙面を注目されるための写真や図表の効果は無視できません。内容に関連し、説明する写真や図表の訴える力、説得力は、文章の何倍にもなります。そのために適切な写真や図表があったら、積極的に採用してください。そして、写真をそのまま掲載するのではなく、キャプションとしての説明をつけるようにします。このコピーを書くのも、書き手の仕事で、全体の内容を、より効果的に伝え、訴えるために使います。図表は、わかりやすいことが絶対条件です。

6-3 素材の構成

 まず、言うべきことを書き上げてみましょう。ワープロで書く20年以上も前に、名刺大のカードに思いつくままや書きたいことを項目ごとに書き進めていました。いわゆるKJ法です。このカードに書くのは、ひとつのテーマだけ。とにかくこのカードを何枚も作ります。ワープロを使うようになってからは、このカードに書くという作業はなくなりましたが、箇条書きのように、行を分けて、頭に星印をつけるなどして書き進めていきます。

 これらのカードや箇条書きを、同じ内容のものや、関連するものをひとつに集めます。いくつかのまとまりの項目をつくり、それぞれに見出しをつけて、小項目として分類します。この集まりが文章の章、節、項の「項」になります。この「項」を、さらに関連する中項目にまとめます。これが「節」になります。ここにも内容がわかる見出しをつけます。これらが文章の素材になります。

 この「節」のまとまりを、より効果的に伝わるように、起承転結に並べてみます。これは、文章の組み立て方の基本で、「起」で書き起こし、「承」でそれを受け、「転」でほかのことを述べ、「結」で全体をまとめるという手法です。そして、全体の分量の中で、それぞれをどのくらいの文字数で書くかの見当をつけてみます。これらを文章化するわけです。

6-4 書き方

 書きすすめると、どうしても文章の量が多くなってしまいます。それでいいのです。文章量が多いということは、それだけ、充実したものが書けるということです。逆に、少ないということは、材料が足りないということで、項目として成り立たないというわけです。その場合、内容にもよりますが、この項目を書かないか、材料を増やすしかありません。

 仕上げとして、長めになった文を削っていきます。意図する場合を除いて、言いたいことがダブっていないか、冗漫な文になっていないか、言わなくても伝わることまで書いていないか、などをチェックしてみます。書き手の思いが強過ぎないようににすることも重要です。これらを全体としてつないでみて、文章として整えるようにします。もちろん、終りのチェックも欠かせません。

 何を残し。何を削るのかを判断する基準になるのが、最初に確認した何のために作るのか、そのために、この記事では何を伝えるのかということです。つまり、作る目的をかなえているのか、かなうようにしているのか、という、もっとも基本的なことを、基準として練り上げることです。個人的な趣味や思い込みに陥らないようにします。

6-5 見出し

 中項目として構成した「節」には、見出しをたてます。この見出しは、内容を一言で表わすようなフレーズにします。本文を詳しく読まなくても、一目で内容が分かるようにすることがポイントです。この見出しは、表題だけにならないようにします。例えば、この文章では「見出し」が表題になっています。広報コピーの見出しでは「内容が分かる見出しを」というようにつけるようにします。

 これらの見出しを、まとめて広報コピーの全体を表わすのが、大見出し、タイトルになります。例えば「男女協働参画社会のつくり方」というタイトルではなく「男女が役割を分担する社会を」をというように立てます。広告でのキャッチフレーズであり、アイドマの法則のアテンション、注意を引き付ける役目を果たすのが、このタイトルです。

6-6 推敲

 書き上げたら、十分に推敲します。推敲とは、何度も字句や表現を練り直すことで、「てにをは」や誤字脱字をチェックするだけではなく、対象者が理解できる言葉づかいをしているかどうかも検討します。できる限り難しい言葉をさけて、分かりやすい表現を選びます。ワープロでの漢字変換の誤りがないかもチェックします。迷ったらすぐ辞書を引くことです。

 言葉のリズム感は、どんな文章にも欠かせません。声に出して読んだとき、スラスラと澱みなく読み続けられるリズム感のある文章ど読みやすいものです。また、一つのセンテンスの中で、ここからここまでがひと固まりと感じられるところに「、」(読点)を書きたします。。声に出して読み返しながら、句読点を打つ場所を考えます。読点を足しても、まだ息が続かないと感じたら「。」(句点)を打って、センテンスを二つに分けます。「読点を多めに打つ」「センテンスを短く切る」という意識を持つようにします。


まとめ 広報コピーのポイント50

その1.実用文の基本

1 理解させ行動させる目的を確認する。
2 受け手のレベルをはっきりとつかむ。
3 簡潔に、イラスト、写真で説明する。
4 必要な情報を、ひとつの内容にする。
5 まず何について述べるのかを伝える。
6 内容を分解整理して、並ペて述ペる。
7 予備知識を与えて、高い知識に移る。
8 記述的な表現で説明し、納得させる。
9 同等の要点は箇条書きにしてもよい。
10 重要なことは要約し結論で念を押す。

その2.書くステップ

1 何を伝えるのかの、テーマを決める。
2 対象者と狙う目的と効果を確かめる。
3 伝えたい内容の項目を全部書き出す。
4 関係のある各項日をグループ化する。
5 グループ間の関係をはっきりさせる。
6 各項日について資料を収集整理する。
7 資料にそって、ひとつずつ書き出す。
8 長さを決め、アウトラインをつくる。
9 アウトラインに従って、文章化する。
10 読み直して、意味の不明な点を直す。

その3.読みやすくする

1 文の文字数は35字以内にとどめる。
2 漢字は文字数の3分の1前後とする。
3 読点は心もち多めに打つようにする。
4 ひとつの文でひとつの内容を述べる。
5 不必要な形容詞、接続詞を使わない。
6 あいまい表現をさけはっきり述べる。
7 同じ内容を2つ以上の文で述べない。
8 同じ語句を必要以上に繰り返さない。
9 節や章では、ひとつの内容を述べる。
10 節と章には要約した見出しをつける。

その4.働きかける

1 受け手にあいずちを打せて対話する。
2 疑問形で受け手の反応を問いかける。
3 問いかけ、考えさせて、答えを出す。
4 受け手を送り手の立場に引き入れる。
5 文法的に不完全さを残し、補わせる。
6 同じ領域に立って、対象をながめる。
7 かっこに囲まれた会話体を引用する。
8 命令、誘いなど直接的に呼びかける。
9 ね、さ、よ、わ、などを文末にもつ。
10 感嘆文により受け手へ感情を訴える。

その5.読まれるコツ

1 1行目で読み手の心をキャッチする。
2 澱みなくスラスラ読めるリズム感を。
3 言い回しを変え末尾に変化をつける。
4 不安や疑いが出たらすぐ辞書を引く。
5 文脈から推測できるなら主語を省く。
6 体言止めは効果を生かしたい場所で。
7 謎かけの言い方で連想力を刺激する。
8 わかりにくい内容は比喩で説明する。
9 起承転結の展開で適度に起伏を出す。
10 キーワードを使って要点を強調する。

                   (了)







2008/08/19 8:42:02|プレゼンテーション
協働の市民参加のコスト
知恵の納税者をどう活用する

多摩市の市民参加

 地方分権、少子高齢化が急速に進展する中にあって、都市はより良質(行政にとって)な企業市民を含めた市民を確保維持するために、鮮烈な都市間競争に突入しているといわれています。都市はそのアイデンティティを明らかにしながら、より特化する魅力づくりの道を懸命に模索しているようです。

 このようなまちづくりの中で市民参加制度が積極的に採り入れられています。私の住む多摩市においても、このほど制定された「第四次多摩市総合計画(以下、総合計面)」の策定や、この中で、市政への市民参加の推進として重点施策にしている「多摩市市民自治基本条例秦(以下、基本条例案)」策定も市民参加で進められています。

 基本計画策定のための市民参加は、基本構想づくりのためにアンケートや地域懇談会、Eメールによる意見収集など、いろいろな方法で行われましたが、目玉となった市民参加の「まちづくり研究会(以下、まち研)」ワークショップで、140名近くの市民が参加しました。

 ここでは行政が作った素案をもとに、市民参加のいくつかのグループに分かれたワークショップで検討して、まちづくりのための提案を行い、他で収集した市民の意見とともに基本構想の修正案が作られました。これを勉強会で蕃議して、市長に答申するという段取りでした。

 私は市の呼びかけに応じてまち研に参加。さらに審議会重点の市民公募に応募して、運よく(?)選ばれて市長の委嘱を受け、男性3名と女性2名の市民委員の一人として、20名ほどで構成される審議会に参加しました。

 市民委員は性別、年代、居住地域、職業(活動内容)もほどよくバランスがとれ、私を含めてまち研メンバーが中心でした。委員は相当数の応募者があったようです。応募時に提出した簡単な小論文(作文)と経歴で決めたようですが、選考経緯は公表されていません。

 市民委員をどのようにして選ぶかは、市民にとって、特に、手を挙げた市民にとっては大きな関心事です。市民参加というせっかくの制度を画餅に帰すことのないように、公平であり、公開することも欠かせない要件でしょう。

 審議委員になった頃にも、まち研のワークショップは続いていて、メンバーと総合計画について話し合い、自分の意見と合わせて審議会に臨んでいました。しかし、あくまでも私は受益団体の代表でも、特定の市民から推挙された代表でもない、応募時に表明した専門性を持った一市民である立場を通したつもりです。

戦略的政策の起案

 基本条例案づくりにも、原案からの策定に市民参加の方法が採られています。ここでは市民ならだれでもと募集され、市議会議員や市の職員を含む市民60名ほどが参加しました。

 市議会議員を含む市民と市の職員との二つのチームで討議し、これら二つのプロジェクトを一つにまとめて市に提案することになります。市民チームでは「多摩市市民自治基本条例をつくる会」をつくり、市と役割分担を定めたパートナーシップ協定を結びました。

 基本条例案づくりは、白紙の状態からの策定が課題です。他の自治体の条例を参考にできますが、あくまでも、参考にしかすぎません。

 私たちは、基本条例案策定のために終日を費やして合宿形式のワークショップを実施しました。その結果を改めて見て、多摩市としての独自性、都市間競争に勝つための戦略性が不足していているように感じるのです。

 これから先も検討するにしても、わが基本条例案のためのアイデアには、強烈な「売り」がなく、どの自治体でも通用する基本的な項目の羅列が多いことです。

 これはワークショップに参加した市民の日頃からの課題意識や解決策の起案力に関わってくるように考えます。例えば10点満点で、7〜8点の「個」をいくら数多く集めても、全体平均が7〜8点にしかならないように、政策を起案するステージでの市民参加は、参加した市民の「数」ではなく「質」が重要であるように思います。

 自治体政策の策定は、まず、先進性と戦略性の見識を持つ首長と起案者、能吏の三者でたたき台をつくることではないかと考えます。ここでの市民参加は起案者としての参加になるわけですが、誰が参加するかが要点になります。

 そのあと具体的に執行するためのいろいろなステージでの市民参加で審議検討し実行していくことが、合理的ではないでしょうか。

 「数」による市民参加のパワーは、地方分権時代の自治体運営に欠かせないもので、この制度自体、都市の魅力になると信じています。これに対して政策策定の市民参加には、「質」が求められます。これを制度化するには、どのステージで、どのように採り入れるかが極めて重要だと考えます。

 いままで自治体の中には、政策素案作成のステージから提案書の作成、市民への告知活動の「質」の確保のために、民間のシンクタンクや総合広告代理店等の支援や協力を得てきたところもあるようです。これはそれなりに効果的な方法でしょうが、参画するスタッフが、そのまちをどのように思っているかを問いたいのです。

 わがまちへの愛というか、コミュニティへの思い入れといった、そこで生活する市民にとって重要な「ふるさと意識」といえる「こころ」の問題です。

 多摩市の場合、総合計画の策定で行政が用意した素案を、地域を愛している数多くの市民が徹底して検討し、自分たちの思いを書き加えていったことが、多摩市らしい基本計画に仕上がったのではないかと自賛しています。

 こんなことから市民参加のもうひとつの代表性として、住むことが必須の要件ではありませんが、その地域に対しての強い思い入れといった「こころ」を忘れてはならないのではないでしょうか。これを持って臨むことは、「数」の参加や「質」の参加においても、重要な参加条件だと考えます。

市民の専門性

 ここで市民は、どのようにして自治体運営に参加するのか、その「市民とは誰か」をはっきりさせておかなければなりません。市民参加には、選挙や住民投票等の参加をはじめ、政策策定や事業展開のための参加があり、その中でもいろいろなステージでの参加があります。政策策定の市民参加であっても、その素案づくりへの参加、検討審議のための参加、事業計画のための参加などがいろいろ考えられます。

 このような中で、協働をうたう行政は市民参加をどんなテーマのプロジェクトの、どのステージで行うかをはっきりさせることが必要でしょう。それを明らかにした上で、どのような市民に参加してもらうのかです。

 応募した全員に参加してもらう方法、応募者の中から適任者を選ぷ方法、ある専門分野別に登録してある「市民キャリアバンク(私案・仮称)」から選ぶといった方法もあります。

 政策の素案づくりのための協働では、参加する市民はそのプロジェクト・テーマに適った専門性をもっていなければならないと考えます。行政担当者が政策企画のプロとして臨むなら、対応する市民もそれなりの専門性を持ったプロとして当たらなければならないのではないか。対等に力を出し合うこと、イコールフィッティングでなければならないと考えます。

 ここでプロというのは、ビジネスとか福祉活動といった特定分野での才能のことだけではなく、主婦のプロでも学生のプロでも、リタイア・ビジネスマンのプロといった、属性のプロであってもいいのではないか。要するにその「専門性」とは、自身がこれをアピールできること。つまり、自分ができることであり、解決するノウハウという知恵、世間で評価される知恵を持っていることだと考えます。

 市民として政策づくりに参加するからには、まず「自分は何者なのか、何ができるのか、どこへ向かおうとしているのか」ということをはっきり明らかにすることが出発点でなくてはなりません。

 そのプロジェクトにどんな専門性が、どのくらいの比重で求められているのかを精査して、その上で合致できると判断したら、積極的に手を挙げることではないでしょうか。参加できる可処分時間があるという理由だけでは、政策策定のプロジェクトへの参加はとどまった方がいいのではないか、と。

 市民である自分が「Who are you?」という問いに明解に答えられる自己能力を意識し、そのスタンスから解決策を発表できることが参加資格だと考えます。

知恵の納税

 質の市民参加者は、知恵やノウハウを、行政というか、プロジェクトに提供することになります。これをどのようにギャランティしてもらえるのかが大きな課題でしょう。知恵にはコストがかかっています。ビジネスの世界においては、知恵は付加価値の高い商品です。

 市民だからといって、無報酬で、あるいは安く使おうという限り、行政にとって有効な知恵を持っている人たちにそっぽを向かれるのではないかと患います。

 安価に上げる行政を運営する手段として、無償で協力してくれる市民参加を考えている限り、真に求める知恵は集まらないのではないでしょうか。

 いま、まちづくりに足りないのは、ビジネスの現場で培ったマーケティング・マネジメント・ノウハウを持った人たちの参加ではないかと思います。例えば、多摩市の大半を占める多摩ニュータウン地域がベッドタウンという特性から、まちの住民の中心となるのは都心に職場を持つビジネスマンたちです。しかし、現役のビジネスマン、あるいはリタイア・ビジネスマンの市民参加が少なく、参加するのはいつもどこへ行っても同じ、市民活動というより行政評論家といってもよいような顔ぶれです。

 行政が協働をうたうからには、より多くの市民が参加できる体制づくりが不可欠です。そのために「知恵の納税」というか、知恵による納税という考え方があってもよいのではないかと考えます。あるいは、知恵の内容に適った税の還付といった考え方、市民の知恵の提供を金銭的な価値として認めてもよいと。

 市民なのだから無報酬のボランティアで、というのでは協働する行政の職員も無報酬のボランティアでなければならなくなってしまうわけです。そのためにも、コストをかけてもよい人を選ぶべきです。そのような人を市民の中から選び出すシステムを、市民参加・協働の基本にしなくてはならないのではないでしょうか。

 いままで行政はハードのハコものづくりに多額のコストをかけてきました。これからはソフトである市民福祉の環境づくりの知恵にも、相応のコストをかけるぺきではないでしょうか。

 人やモノ、それから時間をかければコストがかかる。ソフトのプロジェクトにも、ハードほどではないにしても、相応のコストがかかるものでしょう。その裏付けがないのに市民参加をうたうから表面的な市民参加になり、行政性悪説がはびこって、市民からアリバイづくりとか、ガス抜きだとか、タダ飯食いとか言われてしまうわけです。

 これからは市民参加のリーズナプルなコスト計上というものが必要ではないでしょうか。これを解決しない限り、市民と真の協働はありえないのではないか、あるいは、難しいのではないかと考えます。

  ●月刊「地方自治・職員研修」2001年10月号 掲載







2008/08/19 3:33:56|プレゼンテーション
「環」の家づくりを考える
マーケティング・アプローチ

「気」という
「財」を廻す
循環型社会構築の
新コミュニティ戦略


00 環(たまき)

地球に生気をつくり
山と街を元気にして
造り手に活気を
住む人に精気を
歓びの輪を廻す環
気を森林に還す家造り

●環(たまき)は、東京の森林を甦らせるプロジェクトのひとつ、循環型社会を実現するための商標登録ブランドです。【環】かん (1)玉の輪。たまき。(2)輪の形をなすもの。(3)まわりめぐること。とりまくこと。循環の「環」、環境の「環」。さらに「たまき」は、「多摩の木」の意を持ちます。カラーは常緑樹、永遠の美しい緑「常盤色」。東京の森林で産出される木材等を素材とするいろいろな製品に冠されます。これらを積極的に利用することで、生命を育む森林とそれに繋がるくらしを守り地球の温暖化防止に貢献します。

●ここ数年来、マーケティング・コミュニケーションの分野でも、地球温暖化防止への企業貢献が注目され、消費者の関心の高い、企業のイメージアップのためのテーマになっています。ほんの十数年前には、市場戦略として提案しても一顧だにしない企業が多かったものですが、最近ではこのバスに乗り遅れまいとするところが増えています。自社商品の省エネ効果を謳い、温暖化防止策として、遠い外国の地での植林をアピールする企業もあります。地球では大空は繋がっているとはいっても、もっと足元を見ましょうよと言いたい状況です。

●森林のもつ温暖化防止効果は大きいものです。しかし、ただ木を植えればいいってものじゃないはずです。植えて育て、共に生きることが重要です。それに、森林の持つ機能は二酸化炭素吸収だけではありません。広く地球の生物の営みに関わり、人びとのくらしの多くの影響をおよぼします。森林の木を伐ったら植えるだけではなく、木を育て、木に育ててもらうこと。森林を建築資材の木材の供給源としてだけではなく、地球に生気をつくり、山と街を元気にして、歓びの輪をまわすこと。環の活動は、家造りからのアプローチです。

●地場産の木材を使うだけの地産地消活動やトレーサビリティではありません。地場産の森林資源を差別化するブランド化やラベリングの市場戦略だけでもありません。地球温暖化防止などの森林のもつ機能を最大限に活かしながら、我が国伝統の木の文化の中で育まれてきた、木と共に生きる智恵と技を、関わりあう大勢のいろいろな人たちと、裸の心をぶつけあい、学びあい、創造していく協働の実践活動。森・産・顔・安・智・技・育・賢・減・続という十のキーワードの戦術で、「気」という「財」を廻す循環社会構築戦略です。


01 森 森を育てる

大気保全 水源涵養
土砂流出防止 保健休養
動植物保護 環境教育
燃料木材供給 雇用促進
森林にありがとう

●大都市、東京都の面積の三分の一は森林です。都市の人々はその恩恵を受けて快適に生活しているのだから、粗末に扱ってはいけない、東西に長い東京都の西に広がる多摩地区の森林を大切にしようと。自然は大きく、豊かで、遠目には荒廃なんて想像だにつきませんが、山の生活の過疎化は確実に、着々と進んでいます。特に、荒廃が進んでいるといわれる東京の森林を守り育てるのは、都民としての義務のひとつではないか。そんな思いからも、森林育ての市民ボランティアグループなどを、いろいろな山仕事に向かわせています。

●頻繁にあったという江戸の大火。その後の迅速な復興を支えていたという多摩産材は多摩川の水運に支えられてきました。同じように、荒川の水運で江戸に運ばれた秩父産の西川材などとともに、関東の森林は行政区劃にとらわれず、江戸から東京、そしてTOKYO、さらには関東地域の人びとのくらしに大きく貢献してきたのです。森林がもたらしてくれる恵みは、ざっと数えるだけでも、大気保全、水源涵養、土砂流出防止、保健休養、動植物保護、環境教育、燃料木材供給、雇用促進などがあり、また、山は信仰の対象でもありました。

●生活者である人びとの、山の森林への恩返し、謝恩の行動はどうあればよいのでしょうか。ボランティアで下草刈りや枝打ち、間伐などの山仕事に参加するのも有効な方法です。しかし、山は大きく広く、恒久的に一定の仕事量が期待できない限り、その「お気持ちだけ」で、というのが関の山でしょう。森林の荒廃を食い止め、甦させるには力不足のようです。禿山に植林する、そのための基金づくりに参加する、という道もあります。ただ、木は植えるだけでなく、細やかに育んで、活用してこそ循環資源として大きな力になるのです。

●いろいろな機能を持つ山は、かつて基幹産業の現場でした。木は、多くの工作物の材料となり、薪炭燃料としても活用されてきました。我が国の木の文化は、森林に育てられてきたのです。いま、化石燃料や電気燃料、エネルギー源としての木は役割は後退しています。木を活用するには、工作物の材料として使うこと。材料としての木の需要が増えれば、供給地である山は、森林は、山間地は活気づきます。そして、身近な木材を使えば、その量が増えれば、林業と木材製品産業が息を吹き返します。途上国の禿山化を防ぎます。


02 産 西多摩産材

西多摩産材の地産地消
木材のトレーサビリティ
上り専用の片道乗車から
お陰さまでの心をこめた
地財地還の報謝共生へ

●三十数年前、首都圏で木造住宅の産直としてブレークした住宅があります。住宅産業が大きく羽ばたこうとしていた時期で、「住宅の産直」という需要創造の新しい切り口に、少なくない興奮を覚えたものです。公共放送の朝の時間帯で番組放送され、それからしばらくはパブリシティ効果が続いたようです。マスコミの影響力を否応なく知らされたものでした。その後、その会社は産直住宅シリーズとして市場展開し、木材産地の取材やマス広告、カタログ制作などのお手伝いをしてきました。

●農産品の産直は知られていました。流通経路を短縮して供給しようというもので、「新鮮で安価」というのが、そのウリでした。農協や卸売り市場などの、それまでのルートを外した物流で、採りたてをいち早く消費者に届けようとするシステム。生産者の利幅が大きくなるといったメリットもあることから、規模こそ巨大化していませんが、いまなお各地で展開されています。その後、地産地消という地場の生産物を地元で消費しようという動きが全国各地で始まりました。流通の簡素化は省エネの点からも利に適うものとして歓迎されています。

●いまITの進展で、インターネットを利用して、生産者が消費者と直接商取り引きをするケースも増えています。一種の産直といってもよいでしょう。この産直システムが、流通コストの削減という狙いだけではなく、安心、安全面でも支持されています。工業製品のように、品質や性能が均一化される信頼性よりも、どこの誰が、どのように生産したのかを知ることで、安全と安心を確かめようと。特に、農薬汚染などが懸念される農畜産物への不安を払拭しようとする生命に関わる関心事で、そのためには低価格へのこだわりは薄くなっています。

●住宅の完全産直は、その構成部品が多岐にわたるために、工場生産化率の高いプレハブ住宅などを除けば、厳密にはあり得ないシステムです。木造住宅で、構造材や主要材の木材に限っては、ある程度の産直は可能ですが、それにも限度があります。ただ、やりようによっては、どこの誰が、どこで、どのように育てた樹木を、誰が、どのように製材して、どのように加工して組み上げたのかの履歴は追跡できます。いわば木材のトレーサビリティです。地場産の木材を使う、上辺だけの地産地消ではないシステムが構築できるのです。


03 顔 顔が見える

工業化という標準化が
職人の顔を消した社会で
作り手が使い手の顔を知り
各々の元気に合わせて
最適化快適化をはかる

●大量の団塊世代が職場を去って、工場のものづくりの現場から、大勢の職人が減ったといわれます。この傾向は急に起きたわけではなく、年々減り続けていた職人たちが、一挙に居なくなったといえるかもしれません。職人とは、同じものを作りながら、最終的には「原物合わせ」が抜群に長けている人だと認識していました。精密計測器でも測り手の技能で誤差が出るようなミクロンオーダーの加工も、五感を超えた、いわゆる勘で見事にクリアしてしまう人たちです。製品個々の微細な差異のある原物に合わせたものづくりができる人たちでした。

●木の家は、もともと工業化できないものです。均一品質、性能の製品を作るためには、原材料から作り方まで標準化、規格化しなければなりません。金属や合成樹脂でも環境で形状が変化するのに、木造住宅の構造材に用いる木は、経年や環境条件で変容します。樹木の育った場所や製材した部位によっても、また、乾燥の度合いでも一筋縄では御しきれない材料です。まさしく、家は原物合わせづくりの最たるもので、一棟一棟、材料の個性を見極めながら作り上げていくものです。工業化住宅の擡頭がこの常識を壊して久しくなります。

●家は、電化製品や自動車のように、企画製造された製品に、使い手が合わせて使うものではありません。景気変動などによる労働者流動の受け皿としての工業化住宅産業が、国策として推進された時から、家は、住宅製品の道を歩み始めました。家は、木の扱い方が「原物合わせ」が基本のように「住む人合わせ」が基本です。誰が、どのように暮らすのかを考慮しないで、作り手側の都合で企画製造した容器に「さあ住んでください」では、十分な納得が得られないのは当然です。家は「消費財」ではなく「生活財」であるべきでしょう。

●個々の家は、そこに住む人にあわせて造られなければなりません。その場所の気候風土から、周辺環境との調和、近隣住民との良好な人間関係づくりなどいろいろな条件に合わせることが求められます。このために企画設計という仕事があり、それに合わせた施工という仕事、そして、彼らに適切な材料を供給する仕事、さらには住み始めた後に、その家に長く快適に住むための修繕という仕事があります。これらの仕事の基本は、住む人のことを、よく知っていること、顔が見える信頼関係にあること。生活の「快適化」をはかることです。


04 安 安心で安全

造り手の願いが
心置ない家にして
眠り安らぐ過ごす育てる
迎えもてなす和ませる
日々が満たされる

●動物の中で、自分の住処を自分で造れないのは人間だけだといわれます。いまの時代、自分一人で家を造ろうとしたら、出来ないことはないでしょうが、必要な知識や技術を修得したり、材料の入手から、仕上げまで、かなりの手間がかかってしまいます。確かに、安心して住める家を造るには、広範な技術や技能、法律を含めた多くの知識が要ります。そのためにいろいろな専門家の力を借りることになります。ただ、すべてを専門家に任せっきりとはいきません。住もうとする人、家族が家づくりに参加しなければいい家は造れません。

●どんな家で暮らしたいかが、家づくりの原点です。適うことなら、心置きなく、安心して、快適に暮らせる住まいにしたいものでしょう。安眠でき、ほっと安らぎ、子らを健やかに育てて、人を温かく迎えもてなし、家族ともども和み、日々が心満たされる住まい。ただ、そんな家づくりには、それなりの費用がかかります。かけられるコストに限りがあり、何を選び、何を捨てるかの、取捨選択が必要です。ただ、はじめて家づくりに取り組む人には、それぞれ求める条件を満たすためには、どの位のコストが掛かるのかわかりません。

●そのためには専門家の知識と智恵が欠かせません。専門家もいろいろで、一人だけではありません。求める条件がどんなことなのか、漠然とした抽象的な希望でも、それを具体的なかたちにできる知識や経験、智恵が必要です。家づくりは意匠や間取り、構造計算、費用積算と支払い方法など、具体的に設計する前に、どんな家にしたいのか、できるのか、するのかの基本的な設計からはじまります。かつては、地場には、住む人のことから、地域のあらゆることを知り尽くしている棟梁に任せれば、安心して家づくりができました。

●地域社会のかたちが大きく変わり、住まいに求められるものも日々更新している時代の中で、安心して家づくりを任せられる「棟梁」を見つけることは至難のことでしょう。ここでいう棟梁とは大工の親方のことではありません。もちろん大工の親方が棟梁になることも、また、設計士や建築会社の担当者が棟梁になることもあります。棟梁が複数人のこともあるでしょう。ここで大切なことは、豊かな知識と経験、技能をもつ棟梁が、依頼人である建て主のために、最良の家をつくることを第一に考えていること、願っていることです。


05 智 先達の智恵

木の国の文化に育まれ
気候風土を快適に生きる
木が生きる建築力
風雪を支えた先達の智恵
受け継ぐ勇気と誇り

●日本には、指物づくりという技術があります。木の板をさしあわせて、組み立てつくったもので、箱、机、箪笥、火鉢の類が、日常生活の中で愛用されてきました。指物師と呼ばれる職人たちは、使う木の樹種や部位を選び、程よく乾燥させ、きめ細かく加工して、組み立てます。接着剤や止め金具を使わず、どのようにして組んだのかがわからないほどの巧妙なつくりは、工芸品としての美しさを見せています。このような木を巧みに使いこなす技術は、建物づくりでも、いかんなく発揮されています。世界に誇る匠の技です。

●いま、在来工法と呼ばれている家づくりの工法は、家の構造を柱や梁で支える軸組み構造というものです。柱と梁のポスト・アンド・ビーム工法は、構造物をつくる力学的に合理的な技術で、日本だけの工法ではありません。我が国では、周りで豊富に採れる木材を使った軸組み構造で、長い歴史の中で、寺院から民家、町家など多くの建物をつくられてきました。全国各地には、地場産の木材を使った、その地域独特のつくり方がありました。気候風土や産業にあわせて、合理的で、環境に調和した美しい景観をもつくり出していました。

●いま、木造の家づくりに、2×4(ツー・バイ・フォー)工法、枠組み大壁工法など、いろいろな工法が採用されていますが、主流は軸組み工法です。ただ、日本伝統の軸組み工法は、戦後の家づくりの混乱期の中で変わってしまいました。それなりに理由あっての変わり方で、それを咎めることはできせんが、それでも頑なに、伝統の木造の住まいづくりをしている職人たちがいます。戦後につくられた木造住宅のひ弱さが、各地のたびたびの震災で指摘されていますが、何百年の風雪災害に耐えている木造の建物が数多くあります。

●伝統の木の家は、指物と同じように、木を知り尽くした日本人の智恵が磨きあげた技に支えられています。木を金具などを極力使わないで組み上げる技術は、どのようにして組んだのかが、一見してわからないほどの巧さがあります。別々の木と木を組み上げて、あたかも頑強な一本の木のようにしてしてしまう技は、このものづくりの現場でも消えようとしています。高度な熟練が求められるこれらの技は、なくしてはならない貴重な技術資源です。これを受け継ぎ、守り、引き継ぐためには、職人の努力だけではできないのです。


06 技 職人の心技

拾う挽く削る刻む
合わせ組み上げる
材はまた強い一本の木に還る
親方弟子孫弟子へ
身で覚える技の伝承

●伝統の家づくりは、木を植え、育てるところから始まります。山林で林家の指揮の下に、杣人(そまうど)たちが、樹木を慈しみ育み、旬の時期に伐り出します。生きた樹は、乾燥され、製材され、木材に変わります。どのような環境の下に、どんな手入れで育ったかによって変わっている樹の個性は、また、一本の木の中でも、部位によって特性が出てきます。節の有無や木目の向きなど、木のくせやよさを読んで製材します。木を最も活かして、美しく使うために、どのように製材するか、それを見極めるのが職人の技なのです。

●製材職人と大工の息のあった呼吸の下に、選ばれた材は、設計に従って、組み上げるための準備が施されます。家づくりの職人である大工は、それぞれの材の個性を読みながら、必要な寸法に切り、表面を削り、仕上げ、継手仕口を刻みます。これらの仕事は、家づくりにとって重要な工程で、家の質を決めてしまうほどのものです。合理化という名のもとに、この仕事をないがしろにしたとは言わないまでも、簡素化してしまったことが、日本の木造住宅の質を落とした一因ともいわれています。組み上げる段取りが済みました。

●現場に運び込まれた材たちは、鳶職人たちの技を借りながら、大工たちが組み上げていきます。そして、屋根を葺き、壁をつくり、建具を入れるなどして、家は、いろいろな職人たちの手によって、だんだん仕上げられていきます。完成してしまえば、家の強度を支える構造が、どのように造られているのかは、なかなか確認できなくなります。大工の技は、目に見える部分にだけではなく、見えなくなってしまうところでこそ、評価されるものですが、それは長い歳月や災害の時などでしか証明できないというのが家づくりの宿命です。

●一緒に家づくりをといっても、建築の知識が少なくて、現場での大工仕事ができない建て主は、造り手の職人たちを信頼して、その部分は、任せるしかありません。どのような技を持ち、どんな心根で家づくりをしてくれるのか。職人たちの技は、先達から綿々と引き継がれてきました。親方から弟子へ、そして孫弟子へと伝承される技の系譜を過去の仕事を辿ってみることも必要かもしれません。そして、心根は、顔を見て、いろいろ話をしてみること。話すことが苦手な職人も少なくありませんが、大事なパートナーのひとりなのです。


07 育 造る人造り

自然と人から学ぶ
考えて造り練っては進む
諮りながら和を深め
信じて頼って知を借りて
人を育てるこの一棟

●環では、住み手家族のひとりひとりは、家づくりに参加する当事者のひとりです。家づくりを通して、活きた森林と生きた木を知り、壮大な自然の営みに繋がる安らぎが体感できます。そして、家造りに参加する他のパートナーたちから、活きた知識と智恵が学べます。また、作り手の設計士、大工を始めとする職人たち、製材職、杣人、林家もまた、建て主や仲間の職人たちから、いろいろなことを学び、改めて確認します。たくさんの人たちとの出会いが、姻戚ならぬ「家戚」、新しい縁戚として、その関わりは永く続いていきます。

●家は、出来合いを買ってよしとして、経年劣化していく工業製品ではありません。ライフステージのさまざまな変化に対応しながら、くらしと共に甦っていく生き物です。住み手にとって竣工は終点ではなく、突端の第一コーナーに過ぎません。家づくりは、企画、準備、設計、施工と続き、住み始めても、さらに綿々と続く仕事です。この方が、はるかに長いものになるでしょう。そのために、家戚である親戚たちの智恵と力が借りられます。自然から多くのことが学べます。住み手にとって、この人たちと自然は、懐の広い師匠なのです。

●環の作り手たちにとって、ここで取り組むのは、試行試作の仕事ではありません。次の仕事のため段取りではなく、住み手を始めパートナーたちと協働しながら、ひとつひとつの家づくりに、その時々の、持てる技と智恵の総べてを傾けます。このなかで生きた知識を重ね、智恵を深めて、技を磨き、自らのすべてを高めていきます。特に、環の家づくりならではの、木を活かして使う伝統の建築力を、豊かな経験ある秀でた先達職人と共に注ぎ込みます。師匠の支援を受けながら、その技を「この一棟」のために活かして、自らも成長します。

●いま、木の匠たちが守り育てて継承してきた日本伝統の家づくりの技が、住宅の工業化や大量販売などのマスマーケティングの陰で、少しずつ隅に追いやられようとしています。そんな時代の中で、頑なにその智恵にこだわり、技を温め、発展させ、自らを育てながら、次世代に伝える職人集団が、環の作り手たちです。その伝播活動は、職種や年代、経験を超えた作り手たちの共通課題です。住み手もまた、循環社会の家づくりという廻り続ける環の輪に参加して、地球環境改善のために動き始めます。環は住み、作る人を育む活動です。


08 賢 賢く住まう

最初の満足は
歳月が不満に変える
まず頑健空間を造り
装置道具を加減して
賢く育てていく家

●衣食住は、人のくらしの基本要素です。これらは時代の文化や社会環境、当人のライフステージによって、日々変化します。特に、衣と食は大きく変わってきました。住についても、水廻りが大きく変わるなど、三十年前、二十年前には想像だにできなかったほどの変わりようです。住宅設備メーカーや建材メーカーは、これでもかこれでもかと、新しい快適生活実現製品を世に送り込んできました。私自身も、そんなメーカーのマーケティング戦略の中で、広告や設計士へのスペックイン促進など販促の仕事に携わってきました。

●末端ユーザーに直接訴えるより、住宅の設計や仕様を決めるセクションにアプローチする方が、投資対効果が高くなります。製品の性能や機能、品質の優秀性を伝えて納得してもらうことが第一ですが、それ以外の選択要素として、いろいろなインセンティブがあったことも否めません。性能品質の優劣が決めにくい製品同士なら、いろいろなメリットの多い製品を選ぶ。戸建て住宅の設計でも、建て主本位を建て前にしながらも、次回は、建て主のためにと心して、不本意ながら今回はこれでよし、とすることも少なくなかったようです。

●戸建て住宅の設計の中で、住設や建材を数ある製品の中から、選んで、設計仕様として指名するスペックインも重要な設計の仕事でしょう。ただ工業製品化して品番がつけられた製品群が、全体の建築費に占める割合が高くなり、限られた予算の中では、何かが犠牲になります。木材費などは、外観の美匠により差が出るなど価格に幅があり、目につきにくいことからも、柱や梁の材は細くなり、無垢の木よりは集成材や合板、合成樹脂の新建材などが多く使われるようになります。そこには、美しく、強度が高いという理由もつけられます。

●住まいは、衣や食と同じように、変わっていくものです。子どもが誕生した時に、十年後のためにと洋服を買い揃えたりしないように、住においても予測がつきにくい将来のために、新築時に揃えなくてもよいものがあります。大きな費用がかさむ時だけに、なくても我慢できる機能の製品採用をおさえ、何年か後に持ち越す決断も必要です。まず、経年の生活変化にフレキシビリティに対応できるように、家の丈夫な骨格を作っておき、必要に応じて、住生活の装置道具を加減していく。家を賢く育てて、住みこなしていくことも必要でしょう。


09 減 負荷を削減

化石資源の塊のような
画一的なシェルターより
陽当りや風向き活用の
環境調和の住まい
高負荷資材を減らす

●環境共生住宅(エコハウス)づくりが国策としてすすめられています。地球温暖化防止のため、二酸化炭素の排出量を減らすなど、環境にやさしい住宅づくりを目指す家づくりです。質の高い住水準を実現し、太陽熱の積極的な利用や省エネルギー、住宅の高気密や高断熱化、冷暖房・給湯・照明機器の改善などによってエネルギー消費や二酸化炭素排出量を減らすことを目標にしています。また、雨水や排水を再生利用する中水道システム、生ごみからコンポストを作る装置や屋上緑化なども環境への負荷を減らす方法としてすすめられています。

●このような家づくりは、歓迎されこそすれ、非難されるものではないでしょう。しかし、エコハウスのために使われる住宅設備機器、建材は、工業化された製品であるということを忘れてはなりません。樹木のように、自然が創ってくれたものではないのです。例えば、電気の缶詰とよばれるほど大量の電気エネルギーを消費して作られるアルミとその加工品は、製品として家づくりに使われる前までに、大量の資源やエネルギーを使っているのです。我が家で消費したものではないから関知しない、とはいわせません。

●多くの資源とエネルギー、労力を使うことは、我が国の経済活動を活性化させ、多くの人がその恩恵を享受していることはまぎれもない事実です。しかし、「エコの収支決算」はどうでしょうか。例えば、新しいエアコンを使うことによって二〇%の電気使用量を減らすことができたとしましょう。その電気を削減するエアコンが、我が家で稼動するまでに、どれほどのエネルギーを使ったのか。そこで消費されたエネルギーを帳消しにするためには、どのくらいの時間、エアコンを運転させなければならないのでしょう。

●住宅を高気密化し断熱効果を高めることで、エアコンの省エネ効果をさらに高めたとしましょう。そのために使われた建材や断熱材は、裏の山で、さっと採れたものではありません。ここでも多くの資源やエネルギーが消費されました。その量から我が家で削減できる量を引いて、省エネ0効果を黒字にするためには、どのくらいの期間がかかるのでしょうか。核シェルターのような、自然力を拒んだ家は、エコ住宅と呼べるのか。環が目指している「エコの民家」は、かつての民家のように自然の恩恵を活かして住む智恵を生かす家です。


10 続 甦生と持続

伐って植えて育んで
半世紀サイクルの
資源循環の森林づくり
孫曾孫玄孫たちの
ありがとうのために

●現代日本の都市圏の住宅寿命は、三十〜四十年といわれています。住宅産業としては、土地の供給などに限りがある限界市場ですから、できる限り早く老朽化してくれればよいわけです。三十代で住宅を建てて、子育てをして、子どもたちが巣離れするまでの期間、ちょうどローンが完済したころで住宅としての役割が終わったと。住宅は、老いた夫婦のかつての楽しい賑わいを思い出すアルバムになってしまいます。二所帯同居をしようにも、広さや生活スタイルの違いなどからも難しい。やがて片方が逝ったあとの、独居老人の住まいになります。

●役目が終わった住宅は、重機などによって壊され、ゴミとなって処理されてしまいます。その住宅が木造だったら、使われた木も、他の建材や住設と一緒に、産業廃棄物として廃棄、焼却されます。エコハウスとして、つくられた住宅であっても、環境に負荷を加える存在になります。木材に限ってみてみましょう。木造住宅の構造材に使われた木は、おそらく樹齢四、五十年以上の樹木から製材されたものだったはずです。例え、小断面の材を使ったとしてもです。こんな住宅づくりをくり返す内に、山が荒廃していくことは子どもにも分る理屈です。

●日本の山の木が少なくなったら、外国産の安価な木材を使えばいいとした産業構造も、グローバルな森林保全の波の中で、また、途上国の経済成長などからも、大きく変わろうとしています。住宅がフローであった時代は過ぎたといわれ、新規需要が減少した市場では、増改築だ、リフォームだと、住宅産業としての生き残りを賭けて躍起になっています。こんな中で百年住宅づくりが関心を集めています。かつての民家にとっては、物理的にも百年程度の耐久性を持たせることは、当たり前のことでした。実証された伝統の家づくりの智恵です。

●いま、持続する地球環境を考える上で「サスティナブル」がキーワードのひとつになっています。やがて枯渇する資源を浪費するのではなく、循環する資源を活用して、循環型社会をつくろうとする動きで、森林づくりはその最たるものでしょう。木は植えてから少なくても四、五十年かかって木材として使えるようになります。そんな木と上手につきあうことは、自分と血のつながる子や孫、玄孫たちのためにでもあるのです。木を家づくりにどのように活用するか。建て主や設計者、施工者、木材供給者すべての、いま取り組むべき課題でしょう。


11 新生

かつて地縁で繋がった
大工たちとの交わり
これから環のつながり
森林と木と家と
新しい親戚たちと

●かつて普請をしてくれた大工は、ちょっとそこまで来たからと、家に上がり込み、茶飲み話の中で、家の不都合がないかを聞き、少しでもあったら気軽に直してくれたものです。こんなコミュニケーションの中で、家族の動向を聞いては、上手な住い方やそのための改修提案もしてくれたといいます。地域コミュニティが元気だったころのよき人間関係です。家づくりが産業化しているいま、営業、設計、工事などと担当が分かれ、足繁く通ってくれた人たちも、十年、二十年も経つと、うわさ話で消息を聞くだけの、懐かしい人になってしまいます。

●家には、住んでいていろいろな不都合が出てきたりします。我慢できる程度から、日曜大工で自分で何とかできるもの、どうして専門家の手を借りないと解決できないもの、いろいろです。新築した時の施工業者に相談するか、設計者に尋ねていいものか迷います。結局、ちょっとしたことでも、リフォーム業者を呼び、診断、見積り、契約、工事、完成、決済と、淡々とビジネスとしての手続きが踏まれます。それなりの材料を使い、役務作業が伴うのですから、当然といえば当然ですが、住まい方の智恵までが、経済行為となってしまいます。

●工業製品には、アフターサービスがあり、無償修理の保証期間が設定されています。住宅にも、このようなシステムがありますが、一部の部品を交換すれば事足りるといったものではないケースが多いものです。本来、家は自動車や家電品のように、完成された工業製品を一定期間使用して、用済なら廃棄するような耐久消費財ではありません。そのように扱うにはあまりにも高額な、生涯をかけての決済義務が伴います。住みだしてから、快適な住生活をどのように確保できるかは、その家がどのようにつくられたのかにかかってきます。

●かつての家づくりや営繕補修が地域社会のコミュニティの中で、ごく自然に行われてきました。住み手、作り手、材の供給者が、お互いが顔見知りの信頼関係の中で、住まいの快適な環境が守られてきたのです。いま、都会圏では、かつてのような地域社会のコミュニティはなくなってしまいました。何かあった時だけの、一回だけの経済行為に終わっています。こんな時代の中で、「環の家づくり」は「新しいコミュニティづくり」で対処しようとするものです。地球環境保全を、協働の家づくりという切り口で解決しようとする新戦略です。