孤老の仕事部屋

家族と離れ、東京の森林と都会の交差点、福が生まれるまちの仕事部屋からの発信です。コミュニケーションのためのコピーを思いつくまま、あるいは、いままでの仕事をご紹介しましょう。
 
2008/08/18 14:40:34|福生な人たち
13 ハッピークラブ
●レポート13

福生ボランティアの草分けとして
信頼のネットワークで大活躍
ハッピークラブ

美味名物「すいとん」をつくり続けて

 「福祉まつり」などでおいしい「すいとん」を1食200円で提供してくれるのが、ハッピークラブ(秋山美左江会長・矢野鮭子世話人・会員 名)です。もうすっかりおなじみの名物食です。前に、桜会館で開催していたときは「うどん」も提供していましたが、 年前に、福祉センターでの開催に変わってからは「すいとん」のみです。いろいろ働いてお腹が空くだろうからとはじめました。仕込みは前日にメンバー 人ほどで、買物や下拵えをして、保管する。手慣れた作業ですが、二時間くらいかかります。

 当日は、 時半頃からの提供開始をめざして、朝から調理が始まります。大鍋などの調理用具は、ハッピークラブの持ち物か、あるいはメンバー個人の持ち物です。ガス台やガスは毎回協力してくれるLPガス会社さんの好意の協力です。調理作業プログラムは、メンバー全員の頭と身体に入っていて、誰が、どのタイミングで、何をやるのか、あうんの呼吸で進められます。このノウハウを覚えようと、いちど手伝っただけでは、身につかないほどの年期ものです。

 この「すいとん」づくりのノウハウは、炊き出しなど他のメニューにも及び、防災訓練など各種イベントの時に、いかんなく発揮されます。万一の災害時に備えた準備のひとつです。何かあったときに、まず、温かい食事が得られるという「安心と満足」は、大きなささえになります。この活動を展開しているハッピークラブですが、メンバーの多くは、また別々の福祉ボランティアグループに属し、幅広く大勢のネットワークで活動しています。

 三十数年前、農家のお嫁さんたちが、何か地域のために役立ちたいという思いから、寄り合って、廃品回収や切手貼りなどの手伝いを始めました。それで得た手間賃をこつこつと貯めて、車椅子を購入しては福祉施設などへ寄贈。その頃、「ボランティア」という概念が少しづつ一般化していました。秋山さんたちを中心に有志が社協の講座でボランティアについて学習。基本精神に則っての活動を開始しました。そこで生まれたのが「ハッピークラブ」、二十数年前のことです。

心の繋がりネットワーク

 かつて日本各地には「結い」あるいは「手間換え」という助け合いの絆がありました。稲刈りや屋根葺きなど、一時的に多くの人手が要るとき、周りが無償で労力を出し合って助けあうという仕組みです。やがて、ボランティアという言葉が入ってきました。障がい者や高齢者、孤児などの介助や支援の無償の奉仕活動を指しましたが、いまでは自発的な活動をする人たち全般をも総称しています。趣味の活動を無償で発表するならボランティアとされています。

 いま、NPOと同じように、有償のボランティア活動も「あり」という人もいます。ただ、ハッピークラブのメンバーにとって、あくまでも無償奉仕が基本です。「お金や金券や何であれ、見返りがほしくてやっいるのではありません。ありがとうといわれ、役だってもらえばうれしい。わずかでもお金をもらうと《仕事》になってしまいます」と秋山さん。ボランティアは「気持」であり「愛」がなければできないと。「困っている人を助けるのは人情。当たり前のことです」と矢野さん。

 ハッピークラブは地域のボランティア活動を中心に、福祉施設の行事やボランティア団体活動のお手伝いに協力して、交流し、人たちとのふれあいを重ねています。ただ、無償の奉仕活動であることが、福祉ビジネスを展開している施設にとって、タダ働きしてくれる気の優しい小母さんたちです。施設側にとってありがたい存在。運営費のコストダウンのために利用されがちになります。最近は少なくなっていますが、そんな例に悩んだこともあるそうです。

 「私たちは、その施設経営のために活動しているのではありません。そこにいる人たちのために活動しているのです。無愛想な、寝たきりのひとが、いつの間にか笑顔になり『ありがとう』と言ってくれます。何よりの喜びです」「気持が繋がらないとできません。人があって自分がいる。自分があって人がある。心で繋がっています」それがハッピークラブの基本だと、お二人は話されます。

 いろいろなところからボランティアを頼まれます。そのために、最適な人にお願いできるネットワークが、秋山さんの財産です。「人材探しの人材バンクのようなものです。人に会うと『この方はこういうことができるのか』と覚え『何かあったときはお願いしますね』とお願いしておきます。『私にできることがあれば喜んで』と言ってくださる。それがうれしい。時間が掛りましたが、大勢の皆さんは大事なお友だちです。皆さん気持よく協力してくれます」。

 隣近所の付き合いが希薄になっている時代です。ハッピークラブは、かつての「結い」のような、人と人との信頼関係、強い繋がりを創り続けています。「周りにいい方ばかり集まってきます。本当に助けられます。もっともっと福生の人の心がひとつになればいいですね」と秋山さんが話されます。

08年(平成20年)09月20日発行号









2008/08/18 14:37:00|福生な人たち
12 介助ボランティア「ささえ」
●レポート12

二十年以上の地道な活動で大きな信頼を獲得
介助ボランティア「ささえ」

訪問してお話しを聞く

「続けることが私たちのボランティア活動としての価値」という「介助ボランティア・ささえ(望月金惠会長・会員18名)」は、介護保険制度が始まる、20数年前から、高齢者のお宅や老人ホームなどの施設を訪問しての介助活動を続けています。望月さんと会長をサポートしている柚下倶子さんに伺いました。

 「目につくところでの活動ではないので、目立ちません。他のボランティア仲間からも忘れられてしまうような存在なんです。活動内容はお年寄りのお宅を訪問して話し相手になったり、施設では話し相手の他に、歌を歌ったり、クイズをやったり、簡単な介助のお手伝いをすること。普通の主婦が毎日しているようなことをするだけで、特別な技術は要りません」活動は、万が一のトラブルを回避するためにも、会員二人一組が鉄則、単独行動はありません。

 個人宅での活動は、必ず、行政や社協の担当者からの依頼で行います。まず、引き合わせてもらってからの活動で、いきなりの訪問はありません。「きちんと先さまの状況を把握した人に連れていってもらいます。相手の方もそれなりに心を開いていないとできません。受け入れてもらえるかどうかを確かめてからです」。お話しする内容は、その人に合せます。「おっしゃることを『ハイ、ハイ』と聞くのが中心です。ちょっととんちんかんな話もありますし、行く度に同じ話しを聞くこともあります。ニコニコ笑って聞いています。アドバイスもしない。良い聞き手であることがポイントです」

 施設では、普段と違う空気を入れてくれると歓迎されています。職員さんたちだけでは出せない雰囲気の中に、現役の家庭の主婦が入っていくわけですから、いつにない新鮮さが醸し出されるというわけです。

子育て後のお役立ちしごと

 ボランティア活動のきっかけは、社協の介護講座でした。せっかく介護の勉強したのだから、何かやりましょうと、「ささえ」の会がつくられました。独り暮らしのお年寄りとか障がい者は、誰か傍にいてくれるだけで安心するからと、来てくれるだけでいいといわれて、そのくらいならとスタートを切ったのです。

 最初のころは「介護ボランティア」として、ちょっとした買物とか、お昼ご飯の準備や掃除のお手伝いもしていましたが、介護保険制度の導入後、有料のサービスと見られそうで「介護」を「介助」に変えました。

 柚下さんは「私は子育てが終わって、何かお役に立つことをやりたいなと思っていたときでした。メンバーの他の人たちも、何かお手伝いできることはないかと思っていた人が多いようです」と、活動に入った動機を話します。活動を続けるうちに、ヘルパーの資格をとり、八年くらいボランテアをしながら市のヘルパーをやっていたと。いまはボランティア中心ですが、メンバーの中にもヘルパーの資格をもちながらボランティアに専念している人が多いそうです。資格は生きていますが、ヘルパーとしての知識や体験は、ボランティアをやるために大いに役立っています。

 最近「傾聴ボランティア」が注目されています。柚下さんたちはその講習に参加し、そこに来ていた人に「ささえ」の活動に手伝ってもらおうと思ったとか。ただ、その講座の参加者は、老人ホームなど施設の職員さんが多く、日々の仕事に役立つだろうという目的が中心のようでした。純粋にボランティアのためにという人は少なかったそうです。

感謝される感動をすぐにも

 会員は女性中心で、年齢構成は60〜70代になっています。対象の高齢者と同じ時代を生きてきたもの同志で、話がしやすいという大きな利点があります。チームワークのよいグループで、活動予定の会員が、急に参加できなくなったときには、すぐ、別の会員が代わって、約束を破ることはありません。ただ、年齢的にも、体調が優れないときも出てしまいます。そのためにも、会では五十代以下の若い人に参加してほしいと願っています。

 「地味な活動のせいか、会のことがよく知られていないようです。ボランティア講習会に参加した人へ、会場で入会の呼びかけをしていました。自主的に来る人は、意識があり、よい仲間になれると思うのですが、最近はそういう機会が少なくなっています。自分たちで講習会を開催できればよいのですが、残念ですがノウハウがありません。なんとか開催をお願いし、そこで私たちの活動の内容や喜びを発表させてほしいのです」と訴えます。

 思いやりと善意とで活動している「ささえ」です。どんなボランティア活動でもそうでしょうが、言いふるされていることですが、喜んでもらえたことが、何ものにも代えられないほどの喜びだと。「いろいろなボランティア活動がありますが、私たちの活動は、無理や辛抱をしなくてもできる《しごと》です。特別な技術も才能も経験も要りません。車椅子の扱い方など、コツのいるものもありますが、すぐ覚えられますし、二人一緒での活動ですから、最初は慣れた人のやり方を見ていればよいのです」。

 普通の主婦が、社会に出て、身構えないですぐにでき、人に喜んでもらえて、大きな感動がすぐにも体験できる《しごと》です。それは、自分がやがて老いたときにしてほしいことを、いま、してあげる優しい《しごと》なのかもしれません。 

08年(平成20年)05月20日発行号







2008/08/18 14:33:43|福生な人たち
11 おじいさん会
●レポート11

貯えた知恵と力を福生の元気づくりに役立てたい
おじいさん会

 12年たった「おじいさん会」(井梅泰雄会長)は、「おじいさん(なの)かい?」からのスタートでした。青少年問題地区委員長会OB有志で、そのときに集まったメンバーを、なんとか市の元気づくりに役立てようというきっかけです。

 いまは「?」が取れて、初代会長の高橋章夫さんから四代目。いろいろなボランティア活動の縁の下の力持ちとして、力仕事の支援や、独自活動を精力的に実践しています。現職者を中心に会員は 名、うち3名は女性で、おじいさん以外の力も必要とか。

 他の市民ボランティアグループとの協働で、市民防災訓練や新潟中越地震の被災者支援でも、その力を存分に発揮しました。特に、いろいろな技術や体力が求められる被災者支援活動には、なくてはならない存在です。

 メンバーには建築・電気・燃料・水道等の技術を持つ人たちや、折衝や管理のベテランが揃っています。女性中心のボランティアが、「市民が主役の感動ステージ」をつくる小道具スタッフなら「おじいさん会」は感動の舞台装置づくりの大道具スタッフといえます。

 初代会長の高橋さんと現会長の井梅さんにお話しを伺いました。「この会には会則もなく、定期的な会合もありません。必要に応じてメンバーを召集して話し合い、分担を決めて、それぞれの責任で活動します。福生のために、何かあったとき、自分がやっていること、やってきたことを役立たせようと始めた会です。軽い気持ちでやっているので、会としての拘束力はありません。長続きさせるためにもメンバーに負担をかけたくないのです」。

 相談する場所はもっばら街の飲み屋さん。大上段に構えた打ち合わせ会議といった堅さがありません。時間も一定時間内で、出られる人が出られるときだけ。それでも、いつも 人以上は集まるとか。そのために乾杯を4回から5回もやったりします。いかにも現職の男性たちのコミュニケーションで、楽しみながら、仲間同志の連帯感を強めています。

七夕の福生で「竹の文化の継承と発信」を…

 現職を退くと、飲み会の支払いに負担に感じることがあります。その会費を補填するためにも出店などでの収益の一部を貯えておき、会として最も重要なコミュニケーションづくりの会合に役立てています。いまは活動資金が廻り出しているので、働いた代償としてメンバーに還元できているということです。

 「長く続けていくと活動が形骸化してしまいかねません。これからの課題は、そんな形骸化をなくすためにトライすることです。活動に何か新しいものを入れていきたい。たとえば、七夕祭りに使った竹を廃棄処分にしないで、学校や施設などで有効活用を考えたらどうか。先生方が竹の使い方を知らなかったら、私たちが出向いて教えてあげる。竹飾りに活躍した竹と、そのあとの使い方の指導とを、セットで提供できないだろうか」。
 福生の竹を有効利用する「福生の文化」にできないかというチャレンジ。環境改善にも役立つ、全国に向けて発信できる「七夕の福生」発の文化です。

 課題のもうひとつは後継者。ただ、誰にでも門戸を広げられないのではないかと。面白そうな会だなと入っても、意志の疎通がないとなかなか難しい。同じ意識を持ち、同じ目線で話し合えること。そのために、いまのメンバーが自分の地域で後継者を探してくる方法がいいのではないか。大勢の人に会の意義を理解して欲しいが、会則などで型にはめるのはまだ早いというジレンマがあるということです。
いまの人たちを中心に、ステップアップすることが理想で、少しずつ新しい血を入れていく。楽しみながら長く続けていくためにも、健康で、福生のために何かあったときのために、ノウハウをつけておこうという皆さんです。

08年(平成20年)07月20日発行号









2008/08/18 14:30:44|福生な人たち
10 田園児童館「おはなし会」
●レポート10

共に感動して本を読む素晴らしさを伝える
田園児童館「おはなし会」

「子どもたちと歩んできた十数年

 田園児童館で毎週月曜日(祝祭日は休み)午後3時から 分間、子どもたちに絵本を読み聞かせているのが「おはなし会」6人のメンバーです。月毎に決めたテーマに沿った絵本や紙芝居を、市の図書館から借りてきて、1回に3〜5冊くらい読み聞かせています。

 「30分だけ?」に「もうちょっと聞きたいくらいで終わるのが長く続けるコツなんです」と優しい笑顔の谷さんと田中さんにお話を伺いました。

 発足したのが1996年。最初に始めた方のお子さんが児童館に通っていたときに、子どもたちに絵本を読み聞かせをしたのがきっかけとなりました。2〜3年後、市の広報での会員募集で参加した今の中心メンバーが加わり、初代の会員に代わって、もう十年以上続けています。

 この「おはなし会」の活動を記録したノートがあります。もう数冊にもおよび、半ページから1ページに、その日に読んだ本と参加した会員、気付いたこと、参加した子どもたちが「漢字で書けるんだよ」と誇らしげに自ら記入した氏名が書き込まれています。

 すっかりお兄さんお姉さんになった子どもたちが、久し振りに遊びにやってきて懐かしそうにノートをのぞいて、自分の名前を見つけて喜んでいるとか。
月初めには「お楽しみ」と称して簡単な工作をしたり、「大きな絵本」や「パネルシアター」をします。この日は皆、楽しみにしていて、いつもより参加する子どもたちの数が多くなります。

 「パネルシアター」は羽毛立てた不織布を貼ったパネルに不織布に書いて切り抜いた登場人物や背景を話に合わせて次々と張り替えていくものです。メンバーの矢端さん手作机りの作品がいくつもたまり、子どもたちの代替わりに合わせて再演される、会の貴重な財産になっているとか。
工作は折り紙や新聞紙などを使い簡単で材料費のかからない子どもたちの喜びそうなものをいろいろアンテナを非取って探してくるということです。

本を好きになってもらう

 いま、ビデオやTVゲームが溢れ、親も忙しく子どもたちは、本を読んでもらうことが少なくなっています。
「本に、興味を持ち、読書のきっかけになればいいなと思っています。本には単に知識だけでなく、その先にある夢や希望を大きく膨らませる力があります。感情を揺るがし、情感を豊かにしてくれます。いろいろな世界を感じる魅力を知ってほしいのです」そのためには、押しつけではなく素敵な物語を楽しんでもらいたい、とお二人。

 「絵本はたくさん出版されますが、創作絵本が中心です。いまの子どもたちには、日本や外国の昔話は、あまりよまれていません。なるべく選ぶようにしているのですが、残酷なものは選ばないようにしています。私達の会では、知識として本を読み聞かせているわけではありません。子どもたちを本嫌いにしているのは、本の内容について質問したり、教訓として躾に使ったりするからではないか。だからこそ、知識を身に付けるための勉強にならないようにしています。勉強だと感じると本嫌いになってしまいますから」 読書の楽しさだけを知ってもらいたい。

共に感動する心を

 「読んだだあとに、シーンとして、どうしたの?というくらいに鎮まりかえってしまうことがあるんです。子どもたちには、いい本がわかります。そして、いい本には、感動します。そんな感動する心を引き出すお手伝いができればいい。教えてあげるのでなく共に楽しみ感動することではないかと思います」。物語にひたってきらきら輝いている目をみるのが何よりもうれしいと語るお二人。

 「上手に読まなくてもいいんです。あまり上手だとかえって子どもたちは引いてしまうかもしれません。飽きてきたなと感じたら、急に声の大きさを変えてみるとか工夫はしていますが、私達がまず感動します。その思いが子どもたちに伝わるのだと思っています」子どもたちの顔を見、温かい心のユミュニケーションを交わしながらの読み聞かせです。

 「中には、聴くことに集中していないように見える子もいます。横を向いたり、寝そべっている子もいます。でも、耳はちゃんと聴いているんです。肝心な所になると、ちゃんとこちらを向く。他の子に迷惑がかかるときは別ですが、あえて注意しない。きちんと座って、静かにしていなければいけないとか、いろいろな制約があると、聴きたくなくなり、それがもとで、本が読みたくなくなってしまうのではないでしょうか」。

 このような読み聞かせの会は、小学校などを中心にいろいろすすめられています。ただ、中心になっていた母親が、自分の子どもが進級したり、卒業するとバトンタッチされないままに消滅してしまったりします。図書館に併設している児童館では、職員が独自にお話し会をやっているとか。
 「職員の方や子どもたちの母親が中心の読み聞かせであり、ボランティアとてやっているのは、私たちの会の他は少ないのではないでしょうか」。

 ご本人たちは、この活動が決して負担になっていないばかりか、自分たちで楽しんでやっていると。本が好き、子どもたちが好きという思いが強いのでしょう。こんな活動がいろいろなところに広がればいい、「そのためにも私たちの『おはなし会』をのぞいてみてください」。

08年(平成20年)03月20日発行号









2008/08/18 14:27:29|福生な人たち
09 福生ボランティア連絡協議会
●レポート09

あってはほしくない哀しみに備えて
福生ボランティア連絡協議会

ボランティア要請に的確に応える

 あってはほしくないことですが、福生市が、あの阪神淡路大震災なみの多摩直下型地震M7・3(福生市では震度6弱が想定)程度の大地震におそわれたらどうなるのでしよう。

 人的被害では死者5人、重軽傷者304人、自宅外避難者が1日後に3,536人、1カ月後には2,950人もの被害に見舞われると予測されています。(総務部総務課・福生市防災マップより)市当局は、この万一の事能心に備えて、おこたいりない体制を整えています。ただ、このような残酷な状況下にあっても、私たちは生き延びなければなれりません。家族は生活を続けなければなりません。

 福生ボランティア連絡協議会(略称・ボラ協 会長/秋山美左江 会員23団体570名)では、阪神淡路大地震の鮮烈な記憶が風化しかけようとしていた3年後の平成 年、市民ボランティアとして、大震災等の災害に遭ったらどんなことができるのか、しなければならないのかが、会の重要な課題になリました。

 ボラ協に所属するグループは、社会的弱者とされる障がい者や高齢者の日常生活支援・核家族での子育て相談・在留外国人の日本語指導・環境美化活動・福祉施設への慰問や各種作業協力等、市民ボランティアとして多彩な活動を行ってきました。

 ボラ協は、活動を行うグループが相互に助け合い、協力し合うことにより、それぞれの活動をさらに推進することを目的にしています。グループ同志の意見交換・情報交換や交流の場として、それぞれの活動を推進するための協力、共同活動の企画・学習の実施、活動の充実、推進に必要な連絡調整などを実践しています。

 そして、福生市民にはすっかりお馴染みの、福祉まつりや福祉バザーには欠かせないメンバーとして、その企画や運営に総力を挙げて取り組んでいます。福生社協と緊密に連携しながら、各団体や施設からのボランティア要請、に応えています。
いろいろなボランティア要請に対して、人数や能力・資質にあわせて即座に対応できるネットワークは、活動歴一七年余の実績のたまものでしょう。ボランティア活動の現場を知悉していること、そこにはどんな作業があり、どの点に注意しなければならないのかのツボ所をおさえています。

 そして、そんな活動に最適な人材を選んで手配する。その活動を通してボランティアの新人を指導する。グループの垣根を越えで対応できる体制は、単なる人数あわせにはないよさがあります。福生ボラ協ならではの活動が高く評価される所以でしょう。

 段取りのよさと素早い対応力には、みごとなものがあります。たとえば、当日の朝、午後の早い時間に、決められた予昇で、野外で100人分の食事が求められるとします。グループの代表で構成される運営委員貝会のメンバが中心になって、献立が決められ、必要で過不足ない食材や調理器具・食器類が揃えられ、手際よく調理配食・後片付けまで時間通りに、流れるように作業がすすめられます。

 それでいてお座なりではない、心のこもった食事か提供でき、幼児や高齢者・障がい者への配慮もおこたりない。卓上のプランではない実践活動がボラ協総合力の真骨頂です。

日頃の備えで憂いなし

 福生が大震災に見舞われたら、ボラ協として何をすべきなのか。その日のために備えるために、まず、リーダーの研修をしようと。そんな折に、福生市在住の個人災害ボランティア・作家の角田四郎さんとの出会いがありました。阪神淡路大震災で家族ぐるみで被害者の生活支援のボランティアを実践し、活動領域を日本だけではなく、海外にも広げている人です。(現在「ブルーシート」として、ボラ協のメンバー)災害リーダー研修会の相談をしたら、一日や短期間の研修では訓練にならない、数日をかけた訓練にすべきではないかというアドバイスがありました。

 阪神淡路大震災から3年、平成10年5月10日(日)から14日(木)まで、4泊5日の「福生ボランティア連絡協議会・災害リーダー研修会」を実施。被災してから生きる原点としての生活を人間らしく営み、助け合い、励ましあい、復旧作業に参加しながら、社会生活に復帰することを体験として学び、非常事態におけるリーダーの能力を高めることを狙いとした研修会でした。

 市や消防署、社会福祉協議会等に協力を要鐘絹し、角田氏の指導のもとに、日ごとにテーマを設けて、途中からでも参加しやすいようにして実施、延べ400名の参加がありました。

 この研修会の成果を機に、同様の訓練を、もっと広く、一般市民も体験できる機会をという声が高まり、実行委員会「ボランティア防災会議・FUSSA」を発足させることになりました。

 そして、平成10年8月28日(金)から9月2日(水)の5泊6日、市民にも広く呼びかけて、多摩川中央公園で「災害宿泊避難訓練」を実施。想定外の台風4号による大雨の中でのスタートでしたが、延べ761名の参加がありました。ボラ協としても率先参加し、日頃の活動を通して学んだことを存分に活かすことができ、新たな知恵や技術を身につけました。

 以来「中学生による1泊体験学習」や2泊3日の冬季災害宿泊避難訓練」、2泊3日「2001!夏アウトドア体験ボランティア」など、対象を広げた訓練や、災害時の水の確保に欠かせない市内の古井戸の調査などを実施。そんな中、平成16年10月、新潟中越地震が発生。個人ボランティアとして現地での支援活動に入っていた角田氏から支援協力依頼がありました。ボラ協はそれに応じ、訓練体験を生かした実際の被災地、小千谷市での避難生活支援を実施。被災生活の生活支援を、より有効なものにする生きたノウハウを身につけることができました。
 
 会長の秋山さんは、幾多の活動や多くの人たちとの出会いで得た知恵や技術、そして、何よりも基本である「思いやりの心」を、次代の人たちにしっかりと伝えたい。そして「これから福祉関係だけでなく、教育・文化・環境など地域の団体としっかりと手を繋いで、福生社協のバックアップや行政・各種団体のご指導・ご協力によリ、真の地域福祉へ進んでいきたい。仲間ひとり一人のボランティア活動の質を高め、どんなボランティアの要請にも応えられるように、より一層の研鑽を積んでいきます」と決意を語ってくれました。

08年(平成20年)01月20日発行号