●里は秋色に 2008.11.03(月)
077 生存行為 災害時にボラと被災者は共存する
社協広報のコピーはちょっと考え過ぎました。仕事では、どんな内容の原稿を書いたかで評価されます。何日間、材料をこねくり回し、どう書くかを考えてたとしても、結果、書いた原稿の内容だけでの判断です。で、この原稿は結局、まとまったのがいつも通り1,800字程度で、あっさりしたもの。最初は意気込んだんです。何しろ、災害ボラの達人で、作家のTSさんの丁寧なお話しを伺っての記事です。この材料を何とかしようと思ったのですが、お話しの内容とは全く違ったものになりました。それなりに上質なものに仕上げたと、自分を褒め、自惚れてはいます。 TSさんのお話しは、そのときに出席したメンバーに合せて、大震災などの発生時に、福祉センターが災害ボランティアセンターとして、どのように機能すべきかの具体的なアドバイスでした。これは非常に貴重なノウハウで、これを聞きたくて集まった人には充実した情報です。しかし、社協広報のこのコーナーは、市民向けに、ボランティア活動を広めるのが目的です。災害ボランティアセンターとして、どんなことをすべきかを伝えるのは見当はずれです。考えあぐねた末に、あなたも災害ボランティアになろうということ、どのように頼むかについての案内でした。
参考にしたのは、氏の著書「一人でもできる/地震・災害ボランティア入門」です。現場を踏査しなければ書けないような記述です。前に、氏のお嬢さんの紹介記事を書いたときに、目を通したのですが、別の視点で読み直しました。氏の視点は被災者に、人間として尊厳を持って接するということです。例えば、救援物資の中に、女性用の生理用品を入れるのは当然のことで、避妊具も紛れ込ませておいたと。考えてみれば、明日の生活が見えなくても、健康な夫妻には、必要なものでしょう。すぐに無くなったということですが、これが生きた人間の生活現場なのです。
氏の行動から、もうひとつ納得したことがあります。前に昼食抜きで実施した実践訓練の反省会の後の懇談会でのことです。簡単でしたが、缶ビールやおつまみと軽い食事も出ました。いわゆる立食形式です。ここで少しでも喉がうるおせて、腹のむし押えができることは、想像していなかっただけにうれしいことでした。この席で、正式に氏を紹介してもらったのですが、あまり話しはできません。その席で、氏は出された食事を、すぐに積極的に食べ出すのです。立食パーティなどでは、男性どもは、見栄をはってなかなかテーブルに近付かないことが多いものです。
もちろん、氏は欠食児のような食べ方ではありませんが、しっかり食べています。災害時には、食べられるときに、しっかり食べておくことは鉄則なのでしょう。それが氏の習性のようになっている。特に、ボランティアは救援対象ではなく、被災者向けの食事を共にすることは、すすめられてこそできるものです。さすがは達人だと感心しました。現場でしかわからないことを、氏を通して知り得たことを、このまちの災害ボランティアセンターの設置運営に、どのように活かすかが試されます。そのための予算措置はもちろん、運営ソフトを確立することも必要です。
●里は秋色に 2008.11.02(日)
076 無償活動 ボラ活動を超えた市民協働の進む道
まとめていた広報のレポート2つが、まだ、了承をいただいてていませんが、なんとかコピーを書き上げました。協働推進の広報の方は、ゲラまで進み、PDFデータとして、メールで送られてきました。デザインとしてはよくまとまった見やすいレイアウトで、手慣れたデザイナーの腕のよさが伝わってきます。これを見ていてちょっとコピーが長過ぎたかなと思っています。全部でA4判4ページの広報ですが、3ページ内に収めたいと思っていたのに、4ページにまで流れ込んでいます。少し長過ぎたようです。私としては、レイアウト調整の範囲内で、何とかしてくれるかなと甘えていたのですが、これからの話し合いで決めることになります。
文章を削ってもよいが、その場合は連絡してほしいと伝えておいたのですが、そのままの長さでまとめてくれました。しかし、削ってくれといわれて、じゃあどこを削るかというと、簡単にはいきません。構成としては、取材した通りの順番にはなっていません。4人の出席者の発言を、ひとつの流れで継ぎはぎしたようなもので、どこを削ってもいいとは思うのですが、ではどこを削るかと考えると、書き手の我が侭として、なかなか決められない。ディスクなりがエイヤッと、鉈を振るってくれた方がすっきりします。ボランティア編集者の逃げなのかもしれませんが。 ボランティアであろうがなかろうが、仕事として受けているのですから、やるべきことは全うすべきだとは思います。歳を取ったせいか、めんどう臭くなり、ここまでにしてよと、どこか思っているのかもしれません。40数年間、書くことを生業にしてしてきたことから、私の中で、そろそろ無償奉仕の限界を超えたのかなと感じているのかもしれません。書き手がもっといればいいのでしょうが、募集しても、ボランティアの編集員は見つかりません。報酬を払えば、主婦などが応じてくれるのでしょうが、あくまでも市民の善意の奉仕行為だとしているようです。
書ける人はいるはずです。若い人は、携帯電話やパソコンでのメールのやりとりは日常茶飯事のことで、書くことにさほどの抵抗がない。広報の記事に、絵文字を入れられたら考えものですが、まあ、内容によっては面白いかも知れない。取材や何を書くかについては、相談に乗れるでしょう。子育てしながらでも、十分できる仕事です。あるいは、シルバー人材センターに依頼するのもいいかもしれません。なにしろ、シルバーで依頼する仕事は、草むしりとか施設の管理とか、単純作業が多い。それもあっていいが、頭を使う仕事をしてもらうのも会員に喜ばれるはず。
このブログに、私が前に書いた「協働の市民参加のコスト」(カテゴリー/プレゼンテーション)を紹介しています。ここで行政は知恵にもっとコストをかけてもよい。それが、安くはない報酬で働いている職員と、対等に力を出し合うイコールフィッティングになり、市民が企業等で貯えたノウハウが活かせる、と提案しています。コンサル会社に頼むと同じように、個人コンサルとしての、まちを良くしたいと願い、クレーマーやカルテックではない市民の力を活かすこと。シルバー人材センターの、新しい取り組みとして、きっと、メディアも取り上げてくれますよ。
●里は秋色に 2008.11.01(土)
075 街物語3 福生アイデンティティからの発想
まちづくりは、まちのアイデンティティを確認することから始めるというのが私のやり方です。当然といえば当然ですが、ともすれば、はじめに、これからのまちは、こうあらねばならない的な、標準的な鋳型にはめようとすることが多いように思います。いかにも右倣えをよしとするお役所的な、あるいはビジネスの効率を優先して、可もなく不可もないものに納めようとするコンサルの仕業なのかもしれません。なかなか、全国で初めてとか、全国でも珍しいという冒険はできにくいようです。首長の個性的な決断を期待したいのですが、なかなか難しいのでしょう。 いろいろな企画もそうですが、はじめに企画背景ということで、現状分析から説き起こすことが多いようです。いろいろなデータを羅列して、論陣を張るのですが、ここで導かれる意見は、誰の意見も大差がありません。このあたりのボリュームが、読み手をどう圧倒させるかです。企画書が分厚くなるところで、最近は少なくなったようですが、企画の善し悪しの判断材料になったこともありました。薄い企画書は、まず、内容の吟味検討の前に、分厚い企画書に負けてしまいます。それを逆手に、同じデータを使い回すプランナーもいて、仲間の失笑を買っていました。 福生商工会での最優秀企画も、見事なまでに現状分析をしていました。学校でなら、よく調べましたね、と誉められるような出来ばえです。どなたが審査したのか分りませんが、このあたりが大きな評価ポイントになったのでしょう。しかし、次に提案される、本題の企画内容にどうも繋がらないのです。背景は背景、企画は企画というのでしょうか。提案内容は、アイデアとしては、ユニークなものでした。しかし、課題の福生商工業の活性化には繋がらないように思えます。前段抜きの、企画内容だけの提案だったら、おそらく入賞は難しかったに違いありません。 使ったテータが、行政や商工会発表の統計データが中心で、他に、政府刊行物センターで入手できるような統計データです。私は、もちろんそのようなテータも精査しますが、それだけでは不足しているように思うのです。まず、統計データ以外に、自分の視線で眺めることだと思っています。己の関心領域で、対象をどのように見るのかによって個性的な企画が生まれるはずです。ただ、それが審査員を代表とする、受け手側の好みに合わない場合もあります。万人好みの、多数決好みに合うことが「良」であり、それがありきたり企画を世に出す要因なのでしょう。 通り一遍の観察だけでは分らないことがあります。住んでみて、そこでたくさんの人と会って、だんだん分かってくることもあります。洞察力から想像力の差もあるでしょうが、データだけからでは見えないもの。それを知ることが、まちづくりを考える前に必要なアイデンティティの発見でしょう。このまちに来て、まず私が見つけたキーワードは「東京の森のポータルサイト」でした。そして、住んでみてわかったキーワードは「福祉ボランティア」です。さらに新しい発見は「福生」そのもの。福が生まれるまち。このネーミングの価値の重さに気がついたことです。
●里は秋色に 2008.10.31(金)
074 街物語2 このまちでできることを考えたい
このまちに来て、まもなく商工会に入会しました。独り親方の制作職人になっていましたが、このまちで小売マーケティングに関わり、販売促進や広告宣伝、人材訓練などのお手伝いを仕事として展開しようと思ったのです。そんな私にとって、活性化プラン論文は、まちづくりを企画する上で役立ちました。私は、活性化のために、提案の内容とは、違ったマーケティングの方法があると考えていました。ちょうど「わくわく福生のまちづくり」を推進していた商工会が、看板等で意見等を求めていることを知り、意見とともに提案書を送りましたが、なしのつぶてでした。 特賞の企画についての私の意見を述べました。生活用品のマーケットを考えるためには、近隣都市間での同業態の差異特化を見るのではなく、マーケットのポテンシャルという視点が必要です。しかし、企画では個店が拠って立つべきマーケットが明らかになっていません。単に「福生とはこんなまちです」と示しただけで、次に進むべき「だから、○○をすべき」が見当たりません。いまさらながら「ダメな福生商業」を指摘されても、そんなことは分かっているとしか、いいようがないわけです。具体的な提案はしてありますが、根拠性が希薄で、論旨が繋がりません。
企画では、福生市商業衰退の理由をいろいろとあげています。しかし、これは福生市に限ったものではなく、全国の多くの商店街が陥っている不振の理由と同じで、福生市商業だけの状況ではありません。それは、新しい暮らし方への対応の遅れや、接客態度の悪さや品揃えなど個店の魅力がないことです。その解決のために、商店街こぞっての活性化をはかるという方向が中心で、ご用聞きや宅配サービス、対面販売によるアドバイス、共通スタンプカードの発行、消費者モニターなど、いろいろな改善策が採られています。しかし、これはという決定打がありません。 いまの時代、商店街全店をあげての活性化は、難しいのかもしれません。消費者には無縁の「○○の店」という看板をあげただけでは解決するものではありません。熱意があり聞く耳を持つ個店には、適切なマーチャンダイジングの推進をアドバイスして、個店力を向上することが必要でしょう。そして、リーディングショップをつくることによって、まちの集客力をつくること。それによって、まちを活性化し、来街者をターゲットにした活動をすることが効果的です。個店のマーチャンダイジングを含む、魅力づくりにこそ知恵を集めなければならないものでしょう。
商業は数日限りのバザーのイベントではありません。個店の活性化、あるいは商店街の活性化で最も重要なことは、年間を通して「何を」「誰に」売るのかを定めることで、これがショップコンセプトになります。また、店主や店員の熱意や元気だけで活性化できるなら、いままでの商店は衰退しなかったはずです。マスメディアに頼ったイベント紹介は、一時的な集客はできても、恒常的な集客を担保してくれるものではありません。特に、時代のキーワードである「IT」「環境」「高齢者福祉」「地方の時代」「協働」の活動を含むことが、有効要件であると考えます。
●里は秋色に 2008.10.30(木)
073 食品危機 最近のバチ当りな食品事情を憂う
子どもの頃、親や祖父母に、食べ物を粗末に扱うとバチが当ると、きつく戒められました。それは農業を生業にする彼らの心からの思いだったのでしょう。粗末にする最大の罪悪は、食べないで捨ててしまうことです。生命のある食物の命をいただくことに「いただきます」と感謝し、食べ終ったら「ごちそうさま」と、再び感謝する。日本人の食に対する心遣いの現れですが、生きものの命を奪っておきながら、食べないで放ってしまう。最近の食事情は、おかしくなっています。一方では「食育」が、「食の安全、安心」が口酸っぱく叫ばれています。おかしな国です。
中国からの輸入食品の薬物汚染が大きな問題になっています。それに端を発した食品、あるいは国内産食品の産地偽装などを、メディアはそれを大きく取り上げ、消費者の反応を取り上げます。主婦たちは「何を信用してよいのか分らない」と似たようなコメントを発します。信じられないなら、あなた自身の五感と推理力、想像力を最大限に発揮して、見極めなさいといいたいのですが、その能力は無くなっている。与えられたものを、そのまま食してきたツケを払わされているようです。自分を鍛え、強くなり、少しの異変があっても、ま、いいかと騒がないことです。
そのような食マーケティングで、消費者を教育してきましたよ。例えば、中国産食品を、食指を誘うようなネーミングで、きれいに包装して、清潔な売場に美味しそうに並べる。こんな問題が明るみに出る前は、中国産なんて知らなかったり、気にもしなかった。ちょっとマイナスイメージのあった中国産である臭いを消して売るやり方だった。パッケージに有名産地名を表記しておけば、そのまま、○×産の食品になる。それを微塵も疑わず「やっぱり違うわ、美味しいわね」などとしたり顔で満足していたわけです。そう仕向けられて来たわけですよ、私たち消費者は。
賞味期限と消費期限の表示。いつの間にか、食品の機能がデジタルになってしまいました。ある時間を過ぎると、美味しく食べられた食べ物が、一瞬のうちに、不味くなるような表示、安心して食べられた食品が、害を与えるような表示に。1から0になったら、食品ではなくなってしまうデジタル食品かよ。コンビニで、おにぎりを買ったら「これはダメです」と期限切れを理由に売ってくれない。それでもいいと言っても、売ってくれない。そして、これらは廃棄食品として、食品ロスとして捨てられてしまいます。世界には、飢餓で亡くなる子どもたちがいるんだよ。
昔の親たちは、確かな臭覚、味覚、視覚、触覚を持っていました。いまなら顔をしかめるようなものでも、臭いを嗅いでみて、ちょっとなめてみて、つまんで、齧ってみる、それで、水で洗い、火を通してから食べる。牛肉は牛肉、等級の違いは何とか分かっても、産地による産地の違いなんて分らないし、それでもご馳走だった。こんな行為が、地球温暖化を始め環境悪化にもつながっているのですよ。まず、自分の感覚を鍛えること、少しくらいのことなら、我慢すること。吐いたって、ちょっとだけ。死にやぁしませんよ。人間は鍛えて、強くなる動物なんですね。
●里は秋色に 2008.10.29(水)
072 街物語1 商工会募集の活性化論文があった
福生のまちに引っ越して間もない頃、福生市商工会40周年記念事業として、商工業活性化プラン懸賞論文が募集されていたことを知りました。既に、審査が終り商工会のホームページで、受賞作品の発表が行われていました。賞金は、かなり高額だったらしく、個人としての応募だけではなく、大学の先生や仕事の一環として取り組んだグループもいたようです。応募条件は市民や企業市民に限らなかったらしい。かなりの応募があったのでしょう。発表されていた受賞作品は、いずれも重い力作で、最優秀賞 作品は、企画会社らしい人たちの手慣れた作品でした。 マーケティングの仕事へのある種の失望と限界を感じていた私は、数年来から、まちづくりに興味を持ち出していました。まちづくりにマーケティング的な企画手法が必要ではないか、私にできることがあるのではないかと、仕事として受けられるのではないかと思っていました。そんな頃に、住んでいた市が、市の活性化践プランを市民から募集していることを、娘が市の広報に乗っていることを見つけ、応募をけしかけます。親バカであったこともあり、その強制的ない勧めに乗った私は、早速、日頃から考えていた市の現状認識の上にたった提案を応募しました。 その作品が最優秀賞に選ばれました。賞金は、15万円です。ちょっと中途半端な金額ですが、それにしても美味しい金額です。市役所で幹部職員たちの前で、他の入賞者ともども、市長から賞状と賞金が授与されました。この経験が、私のまちづくりへの関心を強め、まちづくりの資料やデータを集め、仕事のひとつとして営業項目にあげてみました。首都圏の中堅ビジネスマンの多い14万市民の市から、私の仕事が認められたという誇りと自信、自惚れも生まれたようでした。そして、そのまちで市の基本構想の市民審議委員に選ばれるなど、足を踏み込みました。 このまちに来て、まちづくりや商工業の活性化のお手伝いができないかと思い、市が呼び掛けた市民会議に出席したことがあります。知っている人もなく、まちのことを殆ど知らない私でしたが、集められるだけの資料を集めて臨みました。出席してみて、前のまちと、どうも雰囲気が違います。町内会や自治会のお偉いさんのような人が多く、まちの活性化を人の組織で何とかしようという感じの、行政のサブ組織のような集まりです。市長を頂点とした、何をすべきかよりも、町会役職者たちを中心にした集落の組織活動を主とするような、集まりのように感じました。 前のまちは、首都の新しいベッドタウンとして、都心企業のいわゆる事務・企画・営業系の社員が多く、まちづくりに対する考え方も目的中心型でした。集まった市民は、いわゆる旧来の地元民よりも、このまちを終の住処のまちと考える、積極的な考えや行動を志向する人たちです。私にとっては、この人たちの集まりが肌にあいます。いつもの仕事のような雰囲気の中で、ディスカッションができました。それが、このまちの様子は違う。場違いに感じに戸惑いながら、ここでは私はお呼びではない、という思いで、ここでのまちづくりを考えないことにしました、
●里は秋色に 2008.10.28(火)
071 助走時間 踏切前の暖気運転はその時まかせ
ものを書き出すまで、時間がかかるときがあります。書く内容を決めていて、一気に書き進めるときもありますが、大抵の場合、あれこれ頭の中で転がしていて、書き出しをきめると、あとは流れに任せるということになります。ここで書いているようなものや、手紙などでは、書き出した後は思いつくまま書くのですが、レポートとか、マニュアルなど、いわゆる自分の意思のまま好きに書けない場合、まず材料を用意することになります。ここまで材料が用意できていれば、半ば書き上がったも同じなのですが、材料はあってもどう書くかを考え込むことが多いのです。
私の場合、いつもやらなければならないことを、2つか、3つを抱え込んでいます。忙しかった頃には、いつも30ベージ程度のマニュアルを2、3本、同時進行していました。こっちに手をつけ、ちょっと詰まったら、あっちを手掛けるといった風に書き進めながら、ひとつのものの先が見えたら、それに集中して書き上げるというやり方でした。貧乏性なのでしょう。こんな状態にないと、落ちつかず、やらなければならない仕事として、ひとつしかない場合でも、あえて新しい仕事を作っては同時並行させています。それは書くという作業ではないこともあります。
きちんと仕事として受けたものには、締め切りが決まっています。テーマや文字数が決まっていますが、どのように書くかは任せられています。集めた材料はそこそこあるのですが、構成やヤマ場や落としどころなど、決めかねているとき、時間が迫っているのに、手がつけられない。こんなときは無理に書こうとしないで、放っておくのが私のやり方です。頭の中に材料を詰め込んで、あえて意識面に出さないようにする。格好つけていえば、醗酵させているとでもいうのでしょうか。そのうちに、材料どもは、勝手に隊列を組み出す。それを待って、それっと書き出す。
企画をたてるときに、アイテアを出す場合も似たようなものです。私のような並みの人間には、画期的なアイデアなど発想できるものではありません。頭の隅にあるいくつかの事例を組み合わせるか、別ジャンルのものを持ってくるかです。こんな場合、どんな事例を知っているかが決め手になります。そのためには、絶えず好奇心を持つことだと、若い人たちに話していました。どんなことにでも面白がること。ボケッと歩かない、電車に乗っていない、新聞や雑誌、広告をみていないこと。アブない奴だと思われない程度に、観察することを勧め、実践していました。 文章を書く場合も、アイデアをひねり出すときも、助走時間が必要なようです。ただ助走だけて、疲れてしまうこともあり、程々の時間にしています。ときどき、中途半端で、踏み切ってはみたもののマズイ!!と感ずるときがあります。もちろん結果はよくありませんが、こんな場合でも、後悔しない。取り返せないことは、さっと頭の中から追いやって、次の仕事にかかります。こんな潔さも必要なようです。なあに殺されァしない、といい加減に生きています。仕事の内容によって、あるいは体調によって、助走時間はいろいろですが、そのときの成りゆきに任せます。
|