孤老の仕事部屋

家族と離れ、東京の森林と都会の交差点、福が生まれるまちの仕事部屋からの発信です。コミュニケーションのためのコピーを思いつくまま、あるいは、いままでの仕事をご紹介しましょう。
 
2008/11/17 11:01:59|エッセイ・日々是好日
まちに紅葉
●まちに紅葉 2008.11.17(月)

091 近隣症候
地域コミュニティを再構築したら

 いま仕事部屋にしているアパートに、新しい隣人が引っ越してきました。年格好は私くらいのようで、外出しようと外に出たら、家財道具を運び入れていました。当人らしいその人が、部屋を出た私をみつめます。あいさつもありません。少しの間、様子を見ながら声をかけてくるだろうと待ちましたが、その気配はありません。たまらず、私の方から声をかけました。自己紹介をしたら、その人も名乗ってくれました。その後、改めてあいさつに来るのかなと待っていたのですが、それきりです。引越し蕎麦を期待したわけではありませんが、おいおいという感じです。
 
 普通の大人なら、引っ越してきたら、せめて両隣りくらいにはきちんとあいさつするものでしょう。世間知らずの若者だったら、親があいさつするように教えてくれるはずです。六十も過ぎているだろうその人とは、その後、顔を合せませんが、部屋に灯がついていますので、多分、暮しているのでしょう。私がここに入居した時、同じ階の部屋の居住者には、蕎麦ではありませんが粗品を持ってあいさつしたものです。ただ、お隣リの居住者は出てきませんでした。一応、郵便受けにあいさつ状と、粗品をいれておきました。若い女性が住んでいたことを後で知りました。
 
 隣近所の付き合いが、浅くなったといわれます。都心のマンションでならいざ知らず、こんな郊外のまちのアパートでも、隣人とのかかわりを持とうとしない。子連れの家族ならそうもいかないでしょうが、大人だったら、あいさつくらいはしておくものでしょう。したくなかったら、深くつき合うことはない。もし、災害などに遭ったらどうするんですか。独居老人の孤独死などということもないとはいえません。私自身、顔見知りするほうで、隣人との付き合いがありませんが、常々から、ここにこんな親父が住んでいますよ、という程度のアピールはしています。
 
 このまちには、町内会組織があります。古くからの地域では。組織率がよいらしいのですが、私の住む地域のように新興の地域では、入会するる人は少ないようです。あるいは町会そのものも、あるのかないのか分りません。他の地域の町会や市全体の町会協議会の様子を、会報などで窺い見ていると、どうも近付く気がしないのです。町会長協議会という名称からして、町会長と自慢げの親父さんたちの顔が浮かんでくる。それもこのまちの市長を頂点としたピラミッド組織の下の方で、町会長という地位に汲々としてしがみついているイメージが浮かんでくるのです。
 
 何をするのかの目的を決める前に、まず組織を作ろうという地域活動のあり方が、私の体質に合いません。会長を決め、副会長やいろいろな役員をきめる。忙しいからと「固辞」していた人も、会長になるとそれこそ「誇示」して、ちょっとした集まりでも長々とあいさつしたりする。会長以下の組織を決めるのはいいが、何のために、どんなことを、どのように活動するのかを決めてほしいもの。親睦会も結構、イベントもいいでしょう。山車を引き回すだけの子どもと高齢者だけのお祭りは、なんとかなりませんか。地域コミュニティを考え直す時ではないでしょうか。


●まちに紅葉 2008.11.16(日)

090 先生症候
先生と呼ばれるほどの野暮なのか

 テレビで代議士さんたちの討論番組を見ていたら、出席者たちがお互いに「先生」と呼んでいました。討論の内容はさておいて、見なれ、聞き慣れていることですが、改めて「先生」という呼び方を考えてしまいました。身近な先生には、学校の先生、お医者さんなどがいて、講演会などで呼ばれる講師も、パソコン教室や料理教室、運転教習所のインストラクターも、おしなべて先生と呼ばれることが多いようです。日本人は先生という呼び方、呼ばれ方に特別の思い入れがあるようです。どんな気持で呼んでいるのかにお構いなく、先生と呼ばれるのが好きなんですね。
 
 企画をよくする仲間に「先生」と呼ばれるのが、めっぽう好きな人がいました。彼は、N協会の販促指導の常連講師で、本業の販促企画事務所の仕事もそこそこに、講演会の講師稼業に性を出していました。その彼は「先生」という呼ばれ方を好み、講演後の懇親会などで、さんづけ呼ばわれされると、気付かないふりをするほどです。企業のマーケティング研究会などに、私も呼ばれて一緒することが何度かありました。そこで私をも先生呼ばわりをする。それが苦手でしたが、彼の付録でついていった時は、彼のことを「先生」と呼ぶのが渡世の仁義だと、思っていました。
 
 畏敬の意をこめて「先生」と呼ぶのは、自然で端で見ていても気持のよいものです。しかし、世間では揶揄して「先生」と呼ぶことも少なくありません。昔から「先生と呼ばれるほどの○○じゃなし」といわれるくらいで、この場合は面と向かって呼ぶことはないようですが、陰で呼ぶのを聞くだけでも、嫌な気がするものです。先生と呼ばれるのが好きな人が多い世の中ですが、たかが講演会の講師をやったくらいで先生なんて呼んでほしくない。私は、そんな目にあった時は、呼ばれた時に、止めてほしいといっています。教えるものはあっても、野暮じゃありません。
 
 地方自治体や公民館活動、商工会などで、いろいろな講演会やセミナーなどが行われています。そこに講師として、いろいろな人が招かれます。大学教授や文化人と称される人から、民間団体の代表者などいろいろですが、主催者はそんな講師たちを「先生」と呼ぶことが多い。そんな偉い先生方をお招きして、教えてやるんだ的な、お上からのお下げ渡し的な臭いを感じてしまうのです。プロフェッショナル度がまだまだ低く、実体験も少ない、知識だけの若い講師からでも、いろいろなお話しを聞くのはよい。でも「先生」と呼ぶのはいかがなものかと思うのです。

 話し上手と、内容の濃さとは違うと思う。毎回同じネタでも講演慣れしてくると、聴衆の関心を惹き付ける技術は身についてくる。人前で上がらずに話せる度胸もついてくる。笑ってもらえる小話もできるようになる。それはそれで結構でしょう。ただ、伝える内容が問題なのです。そして、主催者側に、どんな講師でも「先生」とは呼ばない見識があってもいいのではないか。「先生」たちが「先生」と呼び合う世界はあってもいいが、そんな世界はその人たちだけの世界でとどめてほしい。関係ない人前での、仲間褒め「先生」呼ばわりは、ただ胸くそが悪いだけです。


●まちに紅葉 2008.11.15(土)

089 栄光症候
エコジレンマから抜け出す栄光を

 世界のニューヨーク、パリ、ロンドン、東京など八大都市の若者は、環境のために、手間やコストをかけても貢献したいと思う人たちが平均88%、また、地球環境を守る責任があると思うとしているのが83%もいるということです。この中で、東京の若者たちは、地球環境に配慮した行動が、日常的な習慣になっている人が58%と最低。そして、温暖化防止のために便利な生活を犠牲にしたくないという人が最高の42%もあり、これをエコジレンマと呼ぶのだそうです。若者の性向を調べて命名するための調査のようで、不愉快なのですが、ま、そういうことだと。

 この傾向は、若者だけに限らないことでしょう。いい年の大人たちもそのように思っているでしょう。特に、反撃されるのを承知で言えば、主婦や若い女性に多いのではないかと思っています。賢明な大人たちは、エコの必要性は分かっているものの、せめてできることは、子どもが学校で習ってきた、家庭内でのこまめで、かわいいともいえる省エネ生活をするのに、追従する程度のことでしょう。彼らは生活を支えている企業での生産活動そのものが、エコに反する行動であることを十分にわかっている。生産活動こそが、反エコ活動だと承知しているのでしょう。

 例えば、この時代では、二酸化炭素を発生させない生産活動は考えられません。企業はできる限り、というより、懸命に減らす努力はしているのですが、ゼロにはできません。生産活動を止めたら、企業活動は成り立たなくなり、仕事を失って生活も成り立たなくなってしまう。そもそも生産活動は、地球温暖化を助長する活動だと言ってもよいでしょう。これは製造業に限らず、サービス業においても同じことです。省エネに貢献する製品を作ろうとしながら、せっせと二酸化炭素を発生させている、人だけではなく、産業界もエコジレンマに陥ってしまっているのです。

 例えば、国連環境計画では、経済性と環境保全の統合をはかる製品開発の考え方である「グリーン経営」の目標を達成する産業活動のための指針8項目を示しています。それは、(1)新しい製品コンセプトの開発、(2)環境負荷の少ない材料の選択、(3)材料使用量の削減、(4)最適生産技術の適用、(5)流通の効率化、(6)使用時の環境影響の軽減、(7)寿命の延長、(8)使用後の最適処理のシステム化、ですが、これは、相対的な対策で、絶対的に二酸化炭素をなくす対策ではありません。産業活動が、地球環境を悪化させる原罪行動で、止めることはできないといえましょう。

 私たちがいまできるのは、無駄にしないこと、できる限り長く使うことなどで、欲しいことを我慢をすることかもしれません。自分の労働で得たお金を、どのように使うか、とやかく言われたくない。それは贅沢でもなく、人間らしく生きていくための条件だと言う声が聞こえます。それはしかたのないことでしょう。どんな権力でも、止めることはできません。親しんできた製品に代わって、新しい省エネ商品を買って使うことではなく、前の製品をできる限り使い続けること。欲しいものではなく、必要なものだけを求めること。それで心豊かに生きられるはずです。


●まちに紅葉 2008.11.14(金)

086 新語症候
新語は上質な歯触りの漬け物の味

 師走が近付くと、今年の新語・流行語が話題になります。新しい言葉を知ることで世の中の動きが分るいわれ、かつての流行語でその年のことを思い出せるというわけです。1984年に新語・流行語大賞という鉱脈を掘り当てたのが『現代用語の基礎知識』の自由国民社です。いまやすっかりメディアの話題を集める初冬のイベントになっています。世の中の動きを、そんなにウォッチしているわけではない私ですが、ただ、選ばれる言葉に違和感を感じることが少なくありません。なにか、変な人為的な臭いを感じてしまいます。ま、それはそれで、よいとしましょうか。
 
 私の仕事の分野のひとつの広告コピーの世界では、言葉は「飯のタネ」そのものです。どの商品を、どんなキャッチ・コピーで売り出したかは、私たちの大きな関心事でした。この世界でも、賞を設定します。この国だけではないでしょうが、賞を設定することで、権威づけ、それを経済価値にまで結び付けてビジネスを拡大しようという画策するようです。コピーの世界でも、業界の社会的、ビジネス的に経済的な底上げを図るために、いろいろな賞を作ってきました。賞をとったコピーライターを擁する事業グループは、仕事の受注量が一挙増えていくという仕掛です。
 
 たしかに「うまい!!」というコピーもあります。ただ、コピーの浸透度は、メディアへの露出度に比例し、露出度はメーカーの財力にかかってきます。財力のあるメーカーは、こぞって衆の資力を集めて、コピー神話を作ってきました。私の主な活動の土俵であったセールスプロモーションの世界では、コピーのユニークさだけで本来の目的である売上げを伸ばすということはまずありません。広告全体の出来は大いに関係しますが、コピーのうまさで売上げを伸ばせるのは、低額な衝動買いできる商品が多かったものです。売るためには、マーケティングの仕掛かたです。
 
 それでも、対象の消費者や販売者を惹き付ける、キャッチコピーの力は必要です。それは端的で、力強いこと。日本語としての文法から外れていても、分るなら、訴えられるなら、大正解なのです。私がこの世界に入った頃、出会った、いまでも脳裏に焼き付いているコピーがあります。どこの制作会社の、どなたの作かわかりません。「一日、高く。」というもの。ある遊園地のポスターのコピーでした。青い空のバックも、ありありと思い出せます。簡潔で、力強く、訴求力のあるコピーを、まだ、越えられません。コピーも、新語です。流行語にもなるものでしょう。
 
 広告コピーを、私は惹句コピーと呼んでいます。人の心を惹き付け、捕らえる惹句コピーは、突然、思いつくこともありますが、多くは、対象商品なりを知りつくし、それが使われる状況を想像し、その時の感情を想起して、それらを漬け込んで、発酵させて、生まれてくるものかもしれません。日本の上質な漬け物のようなものでしょう。漬け込む職人技も要ります。そして、それは消耗品なのです。文芸作品とは違うのです。新しい言葉を創ることは、それを産んだものを知りつくし、ぎりぎり凝縮して産むものです。新語を産んだ人たちを、絶賛する季節がきました。


●まちに紅葉 2008.11.13(木)

087 共協症候
協働とは共通益のために協力する

 共同と協同と協働の使い方が混乱することがあります。最近、協働という使い方が、市民と行政が協働するというように行政用語としてもよく使われるようになってきました。定義としては、共同とは、ふたり以上の人が一つのものごとに、同じ資格で関係すること。協同は、力をあわせ、助けあって、いっしょにものごとをすること。協働とは協力して働くこと、とされています。似たような言葉に、共生があります。これは生物の生態学的な寄生関係などをいい、人と自然との共生といった使い方をしています。また、共存は、違ったものが一緒に生きていくことだと。

 マーケティングの世界で、私たちが協働という言葉を使ったのは、かれこれ三十年前にもなります。そのころ、商品の販売促進策は、メーカーから販売店への、無償の供給策として一般化していました。商品を売ってやるんだから、その効果的な販促策もメーカーが負うべきだという理屈です。そのためにカタログはもちろん、店頭のPOP用具から、チラシやプレミアムの類に至るまで、メーカーが作って販売店に無償で提供していました。ところがそれらは活かされないままに、倉庫の隅で埃をかぶり、やがて捨てられてしまう。実際の販促に活かされなかったのです。

 商品を販売するとは、販売店の利益のためにもする行為です。メーカーは、販売店のために商品を供給しているのだ。それなら、より多く販売することに、販売店も協力すべきでではないか。音楽に強かった仲間が、コラボレーションという概念を持ち込みました。私たちは、それを協働という言葉にして、販売店とメーカーの協働による販促策を構築しようと、金沢で一週間ほどの研究合宿に入りました。メーカーの企画担当者、現場取材で販売店事情にも詳しかった私、広告代理店の担当者、販促企画会社の営業マン、ノベルティ会社の社長などなどのメンバーでした。

 販売店の協働参画の仕方には、どんな方法があるか。いろいろ検討、調査して、最も効果的なことは、費用負担ではないかと結論づけました。販促策展開のための用具の企画制作費用の一部を販売店に負担してもらおうと。そうすれば、捨てられる用具も少なくなるはずだ。ただ、それならどんな用具を開発したら、販売店が費用を負担してくれるのか。全国に何千、何万もある販売店は、それぞれに商圏が違うし、個客特性、販売店個性など、全部違ってくる。全国で同じ企画や用具では通用しないだろう。ではどうすればよいか。議論は金沢の夜の街にまで続きました。
 
 まず、プロモーションのテーマを決めよう。その展開の方法をいくつかのタイプに分けて、それぞれに効果的な用具を開発する。用具の中には共通するものがあってもいいと。これらを用意して、紹介して受注するメディアを作って配付する。販売店には、何タイプの中から選んでもらいます。用具の種類が多くはなり、費用は嵩みますが、販促効果は上がります。私たちはこの協働システムを、エクストラセールス・エクストラプロフィット「EEプラン」と名付け、その運営のための会社まで作ってしまいました。値引き以外に夢のある販促策があったよき時代でした。


●まちに紅葉 2008.11.12(水)

086 駄々症候
欲しいに応えていたら暴力になる

 子どもたちの身勝手な事件が世間を騒がせています。仲間に対するいじめを始め、祖父母や親兄弟姉妹への暴行、今までなら考えられないような単純動機による凶悪犯罪、切れたからといって瞬間的に爆発する性格。いろいろ見聞きする情報は、ああ世も末だという感がします。なんといっても若い男は凶暴で、腕力が強い。彼らの不埒な行為を目撃しても、下手に関わって、怪我をしたくない。不愉快だが見ないふりをしようと、私のような、腕にさっぱり覚えのないおじさんは目をつぶってしまいます。そりゃあ、止めさせたいですよ。でも、そんな度胸はありません。
 
 DV(ドメスティック・バイオレンス)は、若い人たちの間にも増えてきているようです。デートDVとか呼ばれ、交際中の男性が女性に対しての、肉体的、性的、精神的な暴力や虐待を指すようです。社会的な契約の婚姻関係にないのだから、別れちゃえばいいと、単純に、言えないらしい。しかし、解決するためには、別れるしかないわけで、それが嫌なら、我慢するか、止めさせる努力をするか、できないなら、腕っぷしを鍛えて、逆襲すればいい。最後の方法は、最も効果的なようですが、あまり現実的ではない。別れたくない、という女性も多いらしいですね。
 
 行政や警察、弁護士などいろいろな機関が、相談所を開設しているし、ネットでも相談を受けているようです。話をいろいろ聞いても、アドバイスの基本は、別れろでしょう。犯罪に仕立てて法で罰するか、あるいは仕返しを請負って痛めてやるか、はできないか。どこの相談でも、別れなさい以外の、根本的な解決方法はないはず。楽しんでいるとは、決して言いませんが、要は、自分を大切にすることでしょう。いまの相手だけが、ベストなパートナーではない。人生、いろいろな出会いがあって、そんなおかしな甘ったれた奴だけではない。ちょっとした勇気です。
 
 加害者は、要するに甘ったれた性癖を身につけてしまった。自分の思う通りにならないと気に食わない。思う通りにならないことなんて、世の常なんですが、いままで何でも欲しいものを手に入れてきた。いま、欲しいのに、身近なところに、応えてくれない人がいる。それが我慢できないというわけ。そんな彼を作ったのは、親たちであり、周りの私たち大人でもあります。親は、子どもの頃から、何でも与えてきた。欲しいと言わないものまで、与えてご機嫌をとってきた。ただひとつ、学校の成績がよいことを望んだが、それが満たされなくても、与え、与え続けた。
 
 いまさら悔やんでも後の祭りです。その解決方法は、望んでも与えないこと。少しでも妥協して、与えてしまったら、雪の坂を転げる雪だるまになってしまいます。どんどん要求はエスカレートして、応えないと腕力で、あるいは暴言で強要する。特に、この年頃の男どもの生理として、性的な要求が激しいものです。独占して、性欲の奴隷とまではいかなくても、己の欲望に応えさせようとする。その背景には、婚前の性のタブー意識がなくなったことも一因です。まず、若い男の生理を教えること、愛とは何かを考えること。男は我慢してこそ、優しくなるものですよ。


●まちに紅葉 2008.11.11(火)

085 空巣症候
家族が済んだら住まいも終るのか

 住いは、人をつくるのかもしれません。いまの住まいのかたちは、かつての日本の住まいとは大きく違ってきています。こんな家のかたちが、いま、いろいろな社会問題にされている原因になっているように感じています。その専門家ではない私には、そんな因果関係について大それたことはいえませんが、家のかたちが家族のかたちを変え、それぞれの生き方を作ってきたのではないか。その家は、家族と共に生れ、一緒に暮し、その家族一代の解散と共に朽ちていく。これからの時代、ネスト・エンプティ・シンドロームが、無視できない社会問題のように思います。
 
 家はひとつの家族が棲む場所です。いま、たいていの日本の家は子どもたちに個室を与え、また、生活の仕方に合せた部屋をつくっています。人は、家のかたちに合せて家族を作ってきたのではないか。個室の数だけ子をつくり、生活に合せた部屋を作る。そこで子育てをするが、やがて子は巣立ち、家はネスト・エンプティになります。家はやがてなるべくして空巣になり、やがて、棲む人が去り、壊されて、新しく同じような家が造られる。造り替えられる家は、前にあった家と同じ大きさか、小さくなる。あるいは高く伸びて、もとの家とは大きく形を変えてしまう。
 
 このような家に、同じように暮す限り、少子化は解決しない。子の数は、個室の数であり、せいぜい同じに推移するか、少なくなるしかないのではないか。また、新たに家族をつくる子の家族とは一緒に住めない家では、高齢化問題がおこる。高齢化問題は、加齢による肉体的、精神的な衰えからの問題もありますが、家族の親の加齢への生活適応力がついていけないこともありそうです。その原因のひとつが、家の形にありはしないだろうか。いまの形の家で、親子二所帯が一緒に住むことができない。それは、いままでの暮しかたがそうさせてしまったのではないか。
 
 住宅メーカーは、親家族と子家族が一緒に住める家として、二世帯住宅を開発しました。子の性別によって、玄関や台所を一緒にするとか、しないとかを提案しているようです。しかし、よく見てみると、生活の仕方で多少変えたそれぞれの家二軒を、くっつけたようなつくりで、それなりの敷地がなければ造れない。親から孫まで、それぞれがそれまでと同じような、個室を持ち、用途に合せた部屋をつくっての暮しかたをする限り、家を大きくせざるを得ない。そんなことは日本の、特に、都会周辺では、まず不可能でしょう。いまの家では、二世帯は同居できません。
 
 生活の仕方を変えないかぎり、親子二所帯は暮らせない。ではどうするか、例えばサザエさん一家の暮しかたがあります。このドラマは、原作者の手を離れて、いろいろな作家による様々なお話しが、長いこと続いてきました。これは登場人物の設定がよかった。こんな親夫婦と娘夫婦という同居のしかたが、息子夫婦との同居よりもうまくいくのかもしれません。カツオとワカメが、もう少し大きくなったら、どうするか分りませんが、むかし風の生活の仕方があります。いまのいろいろな問題を解決するために、暮しかたの意識改革をすすめることもあるのかなと思う。







2008/11/09 16:14:00|エッセイ・日々是好日
錦秋の実り
●錦秋の実り 2008.11.10(月)

084 小窓会話
携帯メールはことばを奪ったのか

 あまり使っていませんが、私も一応、携帯電話をもっています。いまでは、ちょっと型落ちの機種ですが、メールもできるし、写真も写せます。これは電話会社が変わっても電話番号はそのままでもいいという制度に変わろうとしていた時に、タダで変えてもらったものです。どうも携帯電話をうまく使えません。掛かってきても、ドキッとあわててしまい、どうやって通話をするんだっけと、一瞬、迷ってしまいます。だから、電話料金は基本料金だけで、こんな客に無料で提供し、通話料金でもとを取りたかった電話会社にとっては、思惑がはずれの客の一人でしょう。
 
 それに携帯のメールはほとんど使いません。入力が面倒で、混乱する。慣れればなんということもないのでしょうが、パソコンのキーボード入力を標準だと思っている私は、指が器用に動かない。第一、あんな小さなディスプレイでは、述語だけの短文しか書けない。書いた後に校正がしにくい。こんな携帯メールが、若い人たちの会話の貧弱を生んだ理由ひとつだと思っています。要件を伝えるだけの会話が、人間関係を、これまた貧弱にしたと決めつけています。若い人たちが、実際にどんなメールを交わしているのか知りませんが、独特のメール文法があるようですね。
 
 用件を伝えるでけではなく、言い回し方やレトリックも工夫しているようですが、それはそれでよろしい。広告の惹句コピーの訓練になるかもしれません。というより、スパッと相手の関心をつかんで、コミュニケーションするにはいいことなのかもしれません。しかし、絵文字はどうも苦手で、どうやって使ってよいのか分りませんが、あれはあれでコミュニケーションができる、漢字と同じように便利な表意文字なのですね。感情表現には向いているのかもしれません。いまではいい大人も使っているようですが、いまはまだプライベートレベルでだけにしてほしいもの。
 
 絵文字の延長にあるのかもしれませんが、どうも気になる表現に(笑)があります。この表現は、取材や座談会などで、会話をそのまま表記する時などで使っていたものですが、自分発のメッセージに(笑)を入れるのはおかしいよ。可哀想なひとの印象を与えてしまいます。大体、笑いは相手との交流があって生れるもので、こちらから笑って話し掛けるのは、ちょっと恐い。何が面白いんだい、バカにするんじゃない、一人でおもしろがってんじゃないよと。泣く、怒るなどのアピールする表現とは違うような気がします。メール語は、文章ではなく、会話なのでしょう。
 
 あいさつや言葉での会話が少なくなっているような気がします。呼びかけても返事がない。いろいろな待ち合い室などで、名前を呼ばれても、返事をする人が少ない。もそっと立上がって、呼ばれた方に行く。呼んだ声が届いたのか気になってしまいます。結構な歳の人もそう。このまちの人共通のシャイな特性かと思っていたのですが、中には、はっきり「ハイ」と応える人もいる。「おはよう」とか「こんにちは」などのあいさつも少ない。指先と小窓での会話が普通になったからでしょうか。メールでの交換が、言葉を奪ってしまったのなら、ちょっと気になります。


●錦秋の実り 2008.11.09(日)

083 田舎生活
憧れても甘いものじゃありません

 近頃、リタイアビジネスマンの田舎暮しが増えているとメディアが伝えています。今に限らず、以前からあったのでしょうが、団塊の世代のリタイヤが一挙に増えて、目立っているのかもしれません。自然志向が増えている時の話題としては面白い。伝える側の常として、ちょっとオーバーぎみに取り上げているのでしょう。ブームにして、そんな人たちをけしかけて、過疎化対策をするには、いいチャンスです。しかし、都会生活になれ親しんだ人が、農作業が好きだからといって、田舎でのくらしが長続きするのか。言い出した男性はよいとして、女性はどうでしょう。

 男性にとって、仕事を離れた次はどんなコミュニティに属するのかは、ちょっとした問題でしょう。まわりに親しい人がいないという点では、眠るためだけに帰ってきたいま住んでところと、新しい場所も変わらない。いまのままの家に住もうが、田舎に住もうがどちらでも同じです。退職金はもらえたし、蓄えもあり、年金ももらえるので、贅沢をしなければ、この先も暮らせないことはないだろう。それなら、いつかやりたいと思っていた、自然の中で土と親しむ生活も悪いことではない、いろいろな我慢に耐えてきたのだから、ここでやりたいことをやってみようと。

 それでカミさんが、一緒についてくるかといえば、そう簡単にはいきません。彼女には、亭主不在のいままでの生活の中で、いまの環境の中に、しっかりした居場所を確保している。心地よいコミュニティをもっているわけです。子は独立して出ていってしまったし、新婚時代じゃあるまいし、亭主がいつも傍にいなくてもなんともない。かえって、傍にいて、あれこれうるさく指示されたり、身の回りの世話を焼かされるのはごめんだというのが本音でしょう。亭主が田舎くらしをしたいといっても、どうして自分がそれにつき合わなければならないのか。私は私よ、と。

 亭主の勝手な思いつきで、一緒に田舎で暮そうと言われても、ハイ分りましたとはいえない。私はこのままでよい。どうしてもというのなら、お一人でどうぞ、なんなら、離婚してあげましょうかと。思ってもいなかった反撃です。男たるもの、困ってしまう。自分が好きなように生きていくためには、女房は不可欠の存在で、彼女がいなければ何もできないことに気付く。自分のやりたいことに、黙ってついてきてくれるものと信じていたのに、裏切られた思いで、田舎暮しを断念せざるを得ない。そして、日中はほとんどだれもいない家の中で、悶々とする毎日になる。

 田舎暮しなんて、そんなに楽しく、優雅なものではありません。何もないんだよ、まわりには。いくら趣味だといわれても、農業を甘い気持でやられたら、バカにするんじゃないと。ましてや、都合のいい時にやってきて、好きな時に農業をやらせてくれといわれても、周りの専業農家にとっては、足手まといのいい迷惑なんです。一年や二年やれたからといって、その後もできるという保証はない。足腰立たなくなったらどうするのか。結局は、逃げ帰ってしまうのだろうと。夫婦揃っての田舎暮しは、それなりの準備と助走が必要なんです。いまのままでいなさいよ。


●錦秋の実り 2008.11.08(土)

082 観光産業
新しい観光資源を作るのもよいか

 ほとんどの自治体に、観光行政を担う部署があるようです。このまちにも、観光協会があります。観光を資源のひとつとしてまちを支えます。このまちの目玉になるのは、やはり8月に行われる七夕まつりでしょう。いま、各地で行われている七夕まつりなどは、足元にもおよばないような歴史があります。その写真が市会議員や市の職員の名刺のデザインに採用されているほどのもので、参加する市民も含めて、40万人もの動員力があるビッグイベントです。例えば、このイベントでひとり500円の消費があったとすれば、合計で2億円ほどが市に落された計算です。
 
 この金額が、市の経済活動にどれほどの活性化効果をもたらしているかは分りませんが、間接的な効果も考慮すれば、それなりの貢献をしていると思われます。ただ、仙台市の七夕などとは違って、全国からの集客は期待できません。市内の宿泊施設に泊ってまで見に来る人は少ないでしょうし、あくまでも近隣からの訪問客が中心でしょう。このイベントは、年に数日間の開催でしかなく、また、見に来てくれた人を、引き続きこのまちに引き付ける効果は少ないでしょう。七夕をきっかけとして、まちの魅力をアピールしたわけではない、数日間限りの祭りなわけです。

 世界や全国には、年間を通して集客力のある歴史的な名所旧跡や、美しい自然景観という観光資源をもったいわゆる観光都市があります。これはお祭りイベントとは違って、集客効果が持続します。ただ、美しい自然だといっても、そこの都市に住む市民全部が、その観光資源だけで食べていけないと、マーケッターの第一人者IMさんが言っています(このブログのプレゼンテーション/ロマンのある都市参照)。せいぜい5%位の人しか食べられないと。残りの95%の、ほとんど大部分の人たちは恩恵にあずかれず、別のことをしないと食べていけないということです。

 名所旧跡や美しい自然景観だけが、観光資源ではないと思う。土地の先人たちがつくってくれた施設や、偶然あった自然景観は、他の都市が作ろうとしても、いまさら造れません。ただ、資力があればつくれる商業施設など、観光名所になります。ぞくぞく生れる都心の新しい複合ビルなどの名所が、全国からの大勢の人たちを集めています。では資力が足りない都市で、新しい観光資源は作れないかというと、そうは思わない。要は、知恵を使って作ることもできるのではないか。IT時代を背景に、あたらしい観光資源を作って、都市の産業にする道を考えたいのです。

 たとえば集合の住まいだけの塊のようなニュータウンで、観光資源を考えたことがあります。そこには名所旧跡も、美しい自然もない。せいぜい中規模の商業施設くらいを誘致するのが関の山だが、それは乗ってくれる相手あってのこと。それなら現在の資源を、観光資源にでききないかと。ニュータウンの集合住宅は、数十年の歴史で少しずつ進化してきたわけで、その実物が段階的に揃っている。これを観光資源にしながら、集合住宅建築のあり方を研究する「文化」を創れるのではないかと。仲間に働きかけたのですが、残念ながら賛同が得られず、涙を飲みました。


●錦秋の実り 2008.11.07(金)

081 都市産業
成功のノウハウは原則の発見から

 交通網が発達し、高度な情報流通ができるいまの社会にとって、生産から消費までひとつの都市でまかなう必要はないのでしょうが、そのまち独自の産業の振興が叫ばれます。自治体ごとに商工会が組織され、特に、金融対策が主なテーマなのかもしれませんが、それぞれに活動しているようです。まちの商工業は、なんとか衰退を防ごうとしているのでしょう。あれやこれやと手を打って成功しているところもあるようです。メディアはそんな例を取り上げます。全国の注目を浴び、各地から視察団がやってきて、そのノウハウを自分達でも活用しようと学ぼうとします。
 
 しかし、個店でも同じですが、個の成功ノウハウは、そのまま汎の成功に活用できないようです。商店街などの群においても、他の成功例は、単なる参考でしかなく、全くその通りにはできません。もし、限りなく模せたとしても、どこかに歪みが出てしまいます。かつて販売店の成功例を求めて、全国中を取材で駆け回って、その事例をハウスオーガンやセールスマニュアルなどで紹介していましたが、紹介の仕方によっては、反発されることもありました。あの商圏の、あの店だからできたことだと一蹴されます。意欲のある販売店ほど、その傾向が多かったようです。
 
 このような、あの店だからできたことだと思われないように、ただ単にやったことを紹介するのではなく、その例を、とことん煮つめてみます。すると、他の販売店でも展開できそうな、原則が浮かび上がってきます。この原則をそれぞれの販売店の事情にあわせて展開する。取材し、それを紹介する私にとって、はじめの頃はその原則らしきものを見つけるための苦労はありましたが、慣れてくるとさほど難しくなくなります。原則からの応用は、それこそ千差万別です。ただ、個へのアドバイスは、メデイアではできず、ヒントとしての提供にとどまらざるを得ません。
 
 成功した個店でも、自分がやったことを、よく見えてないことがあります。やったことが偶然だったりして、それが成功に結びついた道筋のひとつであったことがわからない。たまたまやってみたことが、定着はしたものの、計算して、あるいは図ってやったことではないために、そのことの重要性が認識できないのです。これを見つけだして、他と関連づけて道筋を見えるようにしてあげること。これが私の、取材に応じてくれた個店へのお礼でした。そのまた、お返しが取材後の宴への招待となったわけですが、とにかく、取材の前、その最中は、全力集中で、疲れました。

 原則をどのようにアレンジするかは、個の能力にかかっています。群においてもそうかもしれません。あのまちでやったことが成功したからと、自分のまちでも成功するものではない。原則はあるのでしょうが、派生してしたことが派手に見えるだけに、そちらの方に目が向いてしまう。費用をかけて視察に行くのはよい。しかし、上辺だけ見て、したリ顔で持ち帰ってそれを強要する。原則を見つけて、わがまちに合せた応用方法を考えなければ、時間とお金の無駄遣いなわけです。まちおこしの産業もそう考えます。都市産業について、これから考えてみようと思います。


●錦秋の実り 2008.11.06(水)

080 地域通貨
検討の前に徹底した情報の収集を

 市民活動のひとつとして、地域通貨の導入を検討している人たちがいます。地域通貨とは、一定地域の決められた対象に対して、役務や物品提供の対価として利用できる通貨で、まちづくりや商店街活性化の手段として、全国各地で展開されてはいるようです。福生市基本構想の市民会議でも、活性化施策として強く推す人たちがいました。その結果、市長への提言「全員参加のハーモニー/基本構想市民提言」の協働の推進の項で、採択提言しています。前に住んでいたまちでも、かなり前に取り上げ実施していたようですが、私としては、深くは関わりませんでした。

 例えば、高齢者が買物などの手助けを受けた対価として支払い、それを受けた人は、他の人からの役務サービス、例えば、パソコン指導等の対価として支払えるというもの。本物の通貨よりも、気軽に、抵抗なく使えるというのですが、本当にそうでしょうか。これはまぎれもない金券、有価証券であり、基本には、その価値を担保する仕組みが必要になります。子ども銀行の紙幣や肩たたき券とは、わけが違うのです。いろいろな問題を含んでいるシステムで、市場商品売買の対価としての導入は難しく、まして商品の販売促進策としては、機能しにくいといえましょう。

 善意や好意からの手助けを経済行為にしてもいいが、ちょっと寂しい限り。ボランティア行動が、有償になったときから、思いやりの心の伴わない型どおりの義務的な行為になりかねません。思いやり重視の福祉の分野では定着しにくいのではないか。実は、いまさら地域通貨としなくても、このまちには「ほっとサービス」という制度があります。社会福祉協議会が中心となって、福祉サービスの橋渡しをするもので、あらかじめサービスを提供する協力会員を募集、確保しておきます。サービスの内容は、家事援助や子育て支援などで、市民同士の協力で支えあいます。

 このサービスを受けたい人は、会員登録をして、利用券を購入。利用したい時に、サービス内容や日時を事務局に伝えて申し込みます。事務局では、協力会員の中から最適な人を選んで依頼。会員は利用者のもとに出向くなどして、サービスを提供します。終了後に、利用者は利用券を会員に渡します。会員はその利用券を、事務局で換金します。利用料金は日中1時間600円(時間外700円)です。現在、協力会員は300人、利用会員は440人程度と、社協広報は伝えています。仲介者として、社協という組織があるということは、利用者にとって安心できる点でしょう。

 このシステムは、利用範囲を限定した、地域通貨システムのひとつといえましょう。現在の、政府干渉介護保険制度も有償化した高度な福祉サービスのひとつといえます。なお、以前に、社協では地域通貨システムを、福祉システムの中に採用できないかと、詳しく検討したと、ボラ協会長のAMさんが話していました。その結果、システム運用には、かなり無理があるという結論が出て、その採用を見送った経緯があるとか。確かに、私も現在の福生市の状況下での採用は難しいと考えます。新制度採用の検討にあたっては、いろいろな情報収集は欠かせないものです。


●錦秋の実り 2008.11.05(火)

079 玉川上水
福生市で切れた沿堤遊歩道を繋ぐ

 四十数年前に、東京に出できた私が最初に住んだまちは、東京都下の小平市、というより最寄り駅が国分寺という、出身地の田舎と変わらないような田園のまちでした。よくいえば武蔵野の緑が色濃く残る閑静な環境でした。そのまちにある、会社の独身寮が始めての住まいでした。その環境で気にいっていたのは、玉川上水が近くを流れていること。うっそうと繁る木々の間を流れる上水の堤は、遊歩道になっていました。私の格好の散歩道で、一人で、また、友人と共によく歩いたものです。何年か後輩の同僚が、ここにはまって溺れて亡くなったこともあります。
 
 その玉川上水が、羽村の堰から流れていることは知っていました。好きな作家の一人、太宰治がずっと下流で入水したことも知っていました。そして、近年になってその上流のまち、福生に仕事部屋をつくりました。部屋さがしをした不動産店の女性店員が、訳知り顔で案内地図を示しながら、ここが太宰治が自殺した玉川上水との説明を聞いたとき、あ、この人は太宰を読んでいないと正面から顔を見つめました。そんな人も暮す、このまちを選びました。棲みだしてからさっそく、玉川上水を遡り、羽村まで歩きましたが、下流には、道不案内のため歩けませんでした。
 
 しばらく経って、このまちの住民有志が、玉川上水沿いの遊歩道が、このまちを通るところが切れているのを何とか繋ごうと活動をしていることを知りました。いわゆるまちづくりの市民活動です。三鷹の方から、延々続いている遊歩道が、このまちで切れている。これを繋げようと。彼らにとって、玉川上水に沿った遊歩道は、まち起こしの格好の材料だとしたのです。活動を覗かせてもらいましたが、最近は、遠ざかっています。地権者がいる土地をどのようにしようとしているのか、暗渠にして、その上を遊歩道にする案も検討しているとかも、漏れ聞こえてきます。
 
 まちづくりにも、費用対効果を検討しなければならないと考えています。費用は税金を源資とする行政に負担させ、地権者には寄付という土地の無償提供を考えているのだとしたら、それはムシがよすぎます。遊歩道をつなぐことが、住民、訪民、通民に、どれほどの魅力になるというのでしょう。安らぎや癒し効果はあるでしょうが、投下費用に見合った効果はあるのか、この点をよほど精査検討しないと、一部の住民のエゴに終ってしまいます。いつも公共、公の福祉に繋がるかということが、市民活動の基本だと思います。この福祉のまちには、不似合いな活動です。
 
 玉川上水の遊歩道を繋ぐ私なりのアイデアがあります。遊歩道が福生で切れていることを逆手にとって展開するのです。つまり、遊歩道が切れたのではなく、福生市の全域に広がったとします。そして、羽村の堰という大団円に向かって、桜並木の堤を通って完結する。そのために、まち全域が遊歩道としてふさわしい環境整備を徹底する。これなら多額の資金を投下しなくも、快さを創出でき、住民の協力は得やすいでしょう。遊歩道が切れたのではなく、市の全域に広げるという視点が、私のまちづくりのコンセプトであり、都市マーケティングを考える基本姿勢です。


●錦秋の実り 2008.11.04(火)

078 街物語4
「福生」の名称からのまちづくり

 このまちに住み、あるいは近隣に住む人にとって「福生」の都市名は珍しくもなんでもないものになっています。ただ、初めて接する人にはちょっと読めない、新鮮な名称です。日本古来からの「福」のもつイメージから、少し古臭いように感じている地元人もいるようです。米軍基地のあるアメリカンティーストのまちとして、あえて「FUSSA」と表記したりもしています。この都市名を、単なる都市識別記号でしかないような扱いもあります。しかし、なれ親しんだこの名称を、他のありきたりな都市名と違って、大きな都市資源であることを認識していません。

 都市アイデンティティの確認のひとつに、どんな都市名なのかがあります。いま全国各地で、都市の合併などで、古くからの由緒ある名称を変えて、住民投票により、安易に新しい都市名称にすることがあります。ごく普通の意味のない名称、あるいは新しい時代感覚ではマイナスイメージの名称ならそれも致し方のないものでしょう。しかし、もしこの時代、どこかの土地で、新しい都市名を住民投票の多数決で決めるとしたら、まず「福生」にはならないでしょう。権力者がそう決めても、不満ごうごうの憂き目にあってしまいます。それが時代の風潮というものです。

 商品マーケティングにおいて、ネーミングを変えただけで、爆発的に売れる商品があります。昨今の中国産加工食品のネーミングなどにもそれが見られましたが、衝動買いされる低額商品などは、まずネーミングで買わせてしまうのです。そのために企業は、ネーミングの開発に多額の投資もいといません。メディアでの下手な広告宣伝より、売場での購買促進の訴求力が大きいことを知っています。ネーミングは商品の魅力、大きな特徴なのです。都市間競争においても、ネーミングはまちづくりのポイントになります。わがまち「福生」は勝てるネーミングなのです。

 「福生」というネーミングは、先人が残してくれた貴重な都市資源です。まちづくりに、これを活用しない手はありません。市民会議などで、このことに気付かない賢人市民の声の大きさに圧倒されてしまいますが、「福生」を具体的な目に見える形にすることが、ひとつの個性特化の方向で、他の都市との差異化の武器になります。こんなことを吟味しないで、他の都市と大差のないまちづくりを、真面目に現代的だと思い込み、口角泡を飛ばしているのは、まさしく噴飯もの、宝の持ち腐れです。競合都市はそんな脅威から、気付いても指摘しないようにしています。

 この切り札をどのように使うかが工夫のしどころです。「高齢者の原宿」風に、求心力、吸引力のある装置を作って、活用する方法もありましょう。それをもとに、まちをあげての総合力を発揮させること。このまちならではのいろいろな特徴を総合化する手もあります。近隣都市が手をつける前の、早取り特徴でもいい。シンボライズした新しいキャラクターをつくるのもよいでしょう。財力と地権者協力があるなら、ハコものでもいい。暑い最中の七夕祭りの伝統にこだわらずに、これとは別な、今風な年間を通し集客力のある祭りをつくるのもいいかもしれません。








2008/11/01 1:38:35|エッセイ・日々是好日
里は秋色に
●里は秋色に 2008.11.03(月)

077 生存行為
災害時にボラと被災者は共存する

 社協広報のコピーはちょっと考え過ぎました。仕事では、どんな内容の原稿を書いたかで評価されます。何日間、材料をこねくり回し、どう書くかを考えてたとしても、結果、書いた原稿の内容だけでの判断です。で、この原稿は結局、まとまったのがいつも通り1,800字程度で、あっさりしたもの。最初は意気込んだんです。何しろ、災害ボラの達人で、作家のTSさんの丁寧なお話しを伺っての記事です。この材料を何とかしようと思ったのですが、お話しの内容とは全く違ったものになりました。それなりに上質なものに仕上げたと、自分を褒め、自惚れてはいます。
 
 TSさんのお話しは、そのときに出席したメンバーに合せて、大震災などの発生時に、福祉センターが災害ボランティアセンターとして、どのように機能すべきかの具体的なアドバイスでした。これは非常に貴重なノウハウで、これを聞きたくて集まった人には充実した情報です。しかし、社協広報のこのコーナーは、市民向けに、ボランティア活動を広めるのが目的です。災害ボランティアセンターとして、どんなことをすべきかを伝えるのは見当はずれです。考えあぐねた末に、あなたも災害ボランティアになろうということ、どのように頼むかについての案内でした。

 参考にしたのは、氏の著書「一人でもできる/地震・災害ボランティア入門」です。現場を踏査しなければ書けないような記述です。前に、氏のお嬢さんの紹介記事を書いたときに、目を通したのですが、別の視点で読み直しました。氏の視点は被災者に、人間として尊厳を持って接するということです。例えば、救援物資の中に、女性用の生理用品を入れるのは当然のことで、避妊具も紛れ込ませておいたと。考えてみれば、明日の生活が見えなくても、健康な夫妻には、必要なものでしょう。すぐに無くなったということですが、これが生きた人間の生活現場なのです。

 氏の行動から、もうひとつ納得したことがあります。前に昼食抜きで実施した実践訓練の反省会の後の懇談会でのことです。簡単でしたが、缶ビールやおつまみと軽い食事も出ました。いわゆる立食形式です。ここで少しでも喉がうるおせて、腹のむし押えができることは、想像していなかっただけにうれしいことでした。この席で、正式に氏を紹介してもらったのですが、あまり話しはできません。その席で、氏は出された食事を、すぐに積極的に食べ出すのです。立食パーティなどでは、男性どもは、見栄をはってなかなかテーブルに近付かないことが多いものです。

 もちろん、氏は欠食児のような食べ方ではありませんが、しっかり食べています。災害時には、食べられるときに、しっかり食べておくことは鉄則なのでしょう。それが氏の習性のようになっている。特に、ボランティアは救援対象ではなく、被災者向けの食事を共にすることは、すすめられてこそできるものです。さすがは達人だと感心しました。現場でしかわからないことを、氏を通して知り得たことを、このまちの災害ボランティアセンターの設置運営に、どのように活かすかが試されます。そのための予算措置はもちろん、運営ソフトを確立することも必要です。


●里は秋色に 2008.11.02(日)

076 無償活動
ボラ活動を超えた市民協働の進む道

 まとめていた広報のレポート2つが、まだ、了承をいただいてていませんが、なんとかコピーを書き上げました。協働推進の広報の方は、ゲラまで進み、PDFデータとして、メールで送られてきました。デザインとしてはよくまとまった見やすいレイアウトで、手慣れたデザイナーの腕のよさが伝わってきます。これを見ていてちょっとコピーが長過ぎたかなと思っています。全部でA4判4ページの広報ですが、3ページ内に収めたいと思っていたのに、4ページにまで流れ込んでいます。少し長過ぎたようです。私としては、レイアウト調整の範囲内で、何とかしてくれるかなと甘えていたのですが、これからの話し合いで決めることになります。

 文章を削ってもよいが、その場合は連絡してほしいと伝えておいたのですが、そのままの長さでまとめてくれました。しかし、削ってくれといわれて、じゃあどこを削るかというと、簡単にはいきません。構成としては、取材した通りの順番にはなっていません。4人の出席者の発言を、ひとつの流れで継ぎはぎしたようなもので、どこを削ってもいいとは思うのですが、ではどこを削るかと考えると、書き手の我が侭として、なかなか決められない。ディスクなりがエイヤッと、鉈を振るってくれた方がすっきりします。ボランティア編集者の逃げなのかもしれませんが。
 
 ボランティアであろうがなかろうが、仕事として受けているのですから、やるべきことは全うすべきだとは思います。歳を取ったせいか、めんどう臭くなり、ここまでにしてよと、どこか思っているのかもしれません。40数年間、書くことを生業にしてしてきたことから、私の中で、そろそろ無償奉仕の限界を超えたのかなと感じているのかもしれません。書き手がもっといればいいのでしょうが、募集しても、ボランティアの編集員は見つかりません。報酬を払えば、主婦などが応じてくれるのでしょうが、あくまでも市民の善意の奉仕行為だとしているようです。

 書ける人はいるはずです。若い人は、携帯電話やパソコンでのメールのやりとりは日常茶飯事のことで、書くことにさほどの抵抗がない。広報の記事に、絵文字を入れられたら考えものですが、まあ、内容によっては面白いかも知れない。取材や何を書くかについては、相談に乗れるでしょう。子育てしながらでも、十分できる仕事です。あるいは、シルバー人材センターに依頼するのもいいかもしれません。なにしろ、シルバーで依頼する仕事は、草むしりとか施設の管理とか、単純作業が多い。それもあっていいが、頭を使う仕事をしてもらうのも会員に喜ばれるはず。

 このブログに、私が前に書いた「協働の市民参加のコスト」(カテゴリー/プレゼンテーション)を紹介しています。ここで行政は知恵にもっとコストをかけてもよい。それが、安くはない報酬で働いている職員と、対等に力を出し合うイコールフィッティングになり、市民が企業等で貯えたノウハウが活かせる、と提案しています。コンサル会社に頼むと同じように、個人コンサルとしての、まちを良くしたいと願い、クレーマーやカルテックではない市民の力を活かすこと。シルバー人材センターの、新しい取り組みとして、きっと、メディアも取り上げてくれますよ。


●里は秋色に 2008.11.01(土)

075 街物語3
福生アイデンティティからの発想

 まちづくりは、まちのアイデンティティを確認することから始めるというのが私のやり方です。当然といえば当然ですが、ともすれば、はじめに、これからのまちは、こうあらねばならない的な、標準的な鋳型にはめようとすることが多いように思います。いかにも右倣えをよしとするお役所的な、あるいはビジネスの効率を優先して、可もなく不可もないものに納めようとするコンサルの仕業なのかもしれません。なかなか、全国で初めてとか、全国でも珍しいという冒険はできにくいようです。首長の個性的な決断を期待したいのですが、なかなか難しいのでしょう。
 
 いろいろな企画もそうですが、はじめに企画背景ということで、現状分析から説き起こすことが多いようです。いろいろなデータを羅列して、論陣を張るのですが、ここで導かれる意見は、誰の意見も大差がありません。このあたりのボリュームが、読み手をどう圧倒させるかです。企画書が分厚くなるところで、最近は少なくなったようですが、企画の善し悪しの判断材料になったこともありました。薄い企画書は、まず、内容の吟味検討の前に、分厚い企画書に負けてしまいます。それを逆手に、同じデータを使い回すプランナーもいて、仲間の失笑を買っていました。
 
 福生商工会での最優秀企画も、見事なまでに現状分析をしていました。学校でなら、よく調べましたね、と誉められるような出来ばえです。どなたが審査したのか分りませんが、このあたりが大きな評価ポイントになったのでしょう。しかし、次に提案される、本題の企画内容にどうも繋がらないのです。背景は背景、企画は企画というのでしょうか。提案内容は、アイデアとしては、ユニークなものでした。しかし、課題の福生商工業の活性化には繋がらないように思えます。前段抜きの、企画内容だけの提案だったら、おそらく入賞は難しかったに違いありません。
 
 使ったテータが、行政や商工会発表の統計データが中心で、他に、政府刊行物センターで入手できるような統計データです。私は、もちろんそのようなテータも精査しますが、それだけでは不足しているように思うのです。まず、統計データ以外に、自分の視線で眺めることだと思っています。己の関心領域で、対象をどのように見るのかによって個性的な企画が生まれるはずです。ただ、それが審査員を代表とする、受け手側の好みに合わない場合もあります。万人好みの、多数決好みに合うことが「良」であり、それがありきたり企画を世に出す要因なのでしょう。
 
 通り一遍の観察だけでは分らないことがあります。住んでみて、そこでたくさんの人と会って、だんだん分かってくることもあります。洞察力から想像力の差もあるでしょうが、データだけからでは見えないもの。それを知ることが、まちづくりを考える前に必要なアイデンティティの発見でしょう。このまちに来て、まず私が見つけたキーワードは「東京の森のポータルサイト」でした。そして、住んでみてわかったキーワードは「福祉ボランティア」です。さらに新しい発見は「福生」そのもの。福が生まれるまち。このネーミングの価値の重さに気がついたことです。


●里は秋色に 2008.10.31(金)

074 街物語2
このまちでできることを考えたい

 このまちに来て、まもなく商工会に入会しました。独り親方の制作職人になっていましたが、このまちで小売マーケティングに関わり、販売促進や広告宣伝、人材訓練などのお手伝いを仕事として展開しようと思ったのです。そんな私にとって、活性化プラン論文は、まちづくりを企画する上で役立ちました。私は、活性化のために、提案の内容とは、違ったマーケティングの方法があると考えていました。ちょうど「わくわく福生のまちづくり」を推進していた商工会が、看板等で意見等を求めていることを知り、意見とともに提案書を送りましたが、なしのつぶてでした。
 
 特賞の企画についての私の意見を述べました。生活用品のマーケットを考えるためには、近隣都市間での同業態の差異特化を見るのではなく、マーケットのポテンシャルという視点が必要です。しかし、企画では個店が拠って立つべきマーケットが明らかになっていません。単に「福生とはこんなまちです」と示しただけで、次に進むべき「だから、○○をすべき」が見当たりません。いまさらながら「ダメな福生商業」を指摘されても、そんなことは分かっているとしか、いいようがないわけです。具体的な提案はしてありますが、根拠性が希薄で、論旨が繋がりません。

 企画では、福生市商業衰退の理由をいろいろとあげています。しかし、これは福生市に限ったものではなく、全国の多くの商店街が陥っている不振の理由と同じで、福生市商業だけの状況ではありません。それは、新しい暮らし方への対応の遅れや、接客態度の悪さや品揃えなど個店の魅力がないことです。その解決のために、商店街こぞっての活性化をはかるという方向が中心で、ご用聞きや宅配サービス、対面販売によるアドバイス、共通スタンプカードの発行、消費者モニターなど、いろいろな改善策が採られています。しかし、これはという決定打がありません。
 
 いまの時代、商店街全店をあげての活性化は、難しいのかもしれません。消費者には無縁の「○○の店」という看板をあげただけでは解決するものではありません。熱意があり聞く耳を持つ個店には、適切なマーチャンダイジングの推進をアドバイスして、個店力を向上することが必要でしょう。そして、リーディングショップをつくることによって、まちの集客力をつくること。それによって、まちを活性化し、来街者をターゲットにした活動をすることが効果的です。個店のマーチャンダイジングを含む、魅力づくりにこそ知恵を集めなければならないものでしょう。

 商業は数日限りのバザーのイベントではありません。個店の活性化、あるいは商店街の活性化で最も重要なことは、年間を通して「何を」「誰に」売るのかを定めることで、これがショップコンセプトになります。また、店主や店員の熱意や元気だけで活性化できるなら、いままでの商店は衰退しなかったはずです。マスメディアに頼ったイベント紹介は、一時的な集客はできても、恒常的な集客を担保してくれるものではありません。特に、時代のキーワードである「IT」「環境」「高齢者福祉」「地方の時代」「協働」の活動を含むことが、有効要件であると考えます。


●里は秋色に 2008.10.30(木)

073 食品危機
最近のバチ当りな食品事情を憂う

 子どもの頃、親や祖父母に、食べ物を粗末に扱うとバチが当ると、きつく戒められました。それは農業を生業にする彼らの心からの思いだったのでしょう。粗末にする最大の罪悪は、食べないで捨ててしまうことです。生命のある食物の命をいただくことに「いただきます」と感謝し、食べ終ったら「ごちそうさま」と、再び感謝する。日本人の食に対する心遣いの現れですが、生きものの命を奪っておきながら、食べないで放ってしまう。最近の食事情は、おかしくなっています。一方では「食育」が、「食の安全、安心」が口酸っぱく叫ばれています。おかしな国です。

 中国からの輸入食品の薬物汚染が大きな問題になっています。それに端を発した食品、あるいは国内産食品の産地偽装などを、メディアはそれを大きく取り上げ、消費者の反応を取り上げます。主婦たちは「何を信用してよいのか分らない」と似たようなコメントを発します。信じられないなら、あなた自身の五感と推理力、想像力を最大限に発揮して、見極めなさいといいたいのですが、その能力は無くなっている。与えられたものを、そのまま食してきたツケを払わされているようです。自分を鍛え、強くなり、少しの異変があっても、ま、いいかと騒がないことです。

 そのような食マーケティングで、消費者を教育してきましたよ。例えば、中国産食品を、食指を誘うようなネーミングで、きれいに包装して、清潔な売場に美味しそうに並べる。こんな問題が明るみに出る前は、中国産なんて知らなかったり、気にもしなかった。ちょっとマイナスイメージのあった中国産である臭いを消して売るやり方だった。パッケージに有名産地名を表記しておけば、そのまま、○×産の食品になる。それを微塵も疑わず「やっぱり違うわ、美味しいわね」などとしたり顔で満足していたわけです。そう仕向けられて来たわけですよ、私たち消費者は。

 賞味期限と消費期限の表示。いつの間にか、食品の機能がデジタルになってしまいました。ある時間を過ぎると、美味しく食べられた食べ物が、一瞬のうちに、不味くなるような表示、安心して食べられた食品が、害を与えるような表示に。1から0になったら、食品ではなくなってしまうデジタル食品かよ。コンビニで、おにぎりを買ったら「これはダメです」と期限切れを理由に売ってくれない。それでもいいと言っても、売ってくれない。そして、これらは廃棄食品として、食品ロスとして捨てられてしまいます。世界には、飢餓で亡くなる子どもたちがいるんだよ。

 昔の親たちは、確かな臭覚、味覚、視覚、触覚を持っていました。いまなら顔をしかめるようなものでも、臭いを嗅いでみて、ちょっとなめてみて、つまんで、齧ってみる、それで、水で洗い、火を通してから食べる。牛肉は牛肉、等級の違いは何とか分かっても、産地による産地の違いなんて分らないし、それでもご馳走だった。こんな行為が、地球温暖化を始め環境悪化にもつながっているのですよ。まず、自分の感覚を鍛えること、少しくらいのことなら、我慢すること。吐いたって、ちょっとだけ。死にやぁしませんよ。人間は鍛えて、強くなる動物なんですね。


●里は秋色に 2008.10.29(水)

072 街物語1
商工会募集の活性化論文があった

 福生のまちに引っ越して間もない頃、福生市商工会40周年記念事業として、商工業活性化プラン懸賞論文が募集されていたことを知りました。既に、審査が終り商工会のホームページで、受賞作品の発表が行われていました。賞金は、かなり高額だったらしく、個人としての応募だけではなく、大学の先生や仕事の一環として取り組んだグループもいたようです。応募条件は市民や企業市民に限らなかったらしい。かなりの応募があったのでしょう。発表されていた受賞作品は、いずれも重い力作で、最優秀賞 作品は、企画会社らしい人たちの手慣れた作品でした。
 
 マーケティングの仕事へのある種の失望と限界を感じていた私は、数年来から、まちづくりに興味を持ち出していました。まちづくりにマーケティング的な企画手法が必要ではないか、私にできることがあるのではないかと、仕事として受けられるのではないかと思っていました。そんな頃に、住んでいた市が、市の活性化践プランを市民から募集していることを、娘が市の広報に乗っていることを見つけ、応募をけしかけます。親バカであったこともあり、その強制的ない勧めに乗った私は、早速、日頃から考えていた市の現状認識の上にたった提案を応募しました。
 
 その作品が最優秀賞に選ばれました。賞金は、15万円です。ちょっと中途半端な金額ですが、それにしても美味しい金額です。市役所で幹部職員たちの前で、他の入賞者ともども、市長から賞状と賞金が授与されました。この経験が、私のまちづくりへの関心を強め、まちづくりの資料やデータを集め、仕事のひとつとして営業項目にあげてみました。首都圏の中堅ビジネスマンの多い14万市民の市から、私の仕事が認められたという誇りと自信、自惚れも生まれたようでした。そして、そのまちで市の基本構想の市民審議委員に選ばれるなど、足を踏み込みました。
 
 このまちに来て、まちづくりや商工業の活性化のお手伝いができないかと思い、市が呼び掛けた市民会議に出席したことがあります。知っている人もなく、まちのことを殆ど知らない私でしたが、集められるだけの資料を集めて臨みました。出席してみて、前のまちと、どうも雰囲気が違います。町内会や自治会のお偉いさんのような人が多く、まちの活性化を人の組織で何とかしようという感じの、行政のサブ組織のような集まりです。市長を頂点とした、何をすべきかよりも、町会役職者たちを中心にした集落の組織活動を主とするような、集まりのように感じました。
 
 前のまちは、首都の新しいベッドタウンとして、都心企業のいわゆる事務・企画・営業系の社員が多く、まちづくりに対する考え方も目的中心型でした。集まった市民は、いわゆる旧来の地元民よりも、このまちを終の住処のまちと考える、積極的な考えや行動を志向する人たちです。私にとっては、この人たちの集まりが肌にあいます。いつもの仕事のような雰囲気の中で、ディスカッションができました。それが、このまちの様子は違う。場違いに感じに戸惑いながら、ここでは私はお呼びではない、という思いで、ここでのまちづくりを考えないことにしました、


●里は秋色に 2008.10.28(火)

071 助走時間
踏切前の暖気運転はその時まかせ

 ものを書き出すまで、時間がかかるときがあります。書く内容を決めていて、一気に書き進めるときもありますが、大抵の場合、あれこれ頭の中で転がしていて、書き出しをきめると、あとは流れに任せるということになります。ここで書いているようなものや、手紙などでは、書き出した後は思いつくまま書くのですが、レポートとか、マニュアルなど、いわゆる自分の意思のまま好きに書けない場合、まず材料を用意することになります。ここまで材料が用意できていれば、半ば書き上がったも同じなのですが、材料はあってもどう書くかを考え込むことが多いのです。

 私の場合、いつもやらなければならないことを、2つか、3つを抱え込んでいます。忙しかった頃には、いつも30ベージ程度のマニュアルを2、3本、同時進行していました。こっちに手をつけ、ちょっと詰まったら、あっちを手掛けるといった風に書き進めながら、ひとつのものの先が見えたら、それに集中して書き上げるというやり方でした。貧乏性なのでしょう。こんな状態にないと、落ちつかず、やらなければならない仕事として、ひとつしかない場合でも、あえて新しい仕事を作っては同時並行させています。それは書くという作業ではないこともあります。

 きちんと仕事として受けたものには、締め切りが決まっています。テーマや文字数が決まっていますが、どのように書くかは任せられています。集めた材料はそこそこあるのですが、構成やヤマ場や落としどころなど、決めかねているとき、時間が迫っているのに、手がつけられない。こんなときは無理に書こうとしないで、放っておくのが私のやり方です。頭の中に材料を詰め込んで、あえて意識面に出さないようにする。格好つけていえば、醗酵させているとでもいうのでしょうか。そのうちに、材料どもは、勝手に隊列を組み出す。それを待って、それっと書き出す。

 企画をたてるときに、アイテアを出す場合も似たようなものです。私のような並みの人間には、画期的なアイデアなど発想できるものではありません。頭の隅にあるいくつかの事例を組み合わせるか、別ジャンルのものを持ってくるかです。こんな場合、どんな事例を知っているかが決め手になります。そのためには、絶えず好奇心を持つことだと、若い人たちに話していました。どんなことにでも面白がること。ボケッと歩かない、電車に乗っていない、新聞や雑誌、広告をみていないこと。アブない奴だと思われない程度に、観察することを勧め、実践していました。
 
 文章を書く場合も、アイデアをひねり出すときも、助走時間が必要なようです。ただ助走だけて、疲れてしまうこともあり、程々の時間にしています。ときどき、中途半端で、踏み切ってはみたもののマズイ!!と感ずるときがあります。もちろん結果はよくありませんが、こんな場合でも、後悔しない。取り返せないことは、さっと頭の中から追いやって、次の仕事にかかります。こんな潔さも必要なようです。なあに殺されァしない、といい加減に生きています。仕事の内容によって、あるいは体調によって、助走時間はいろいろですが、そのときの成りゆきに任せます。







2008/10/27 2:58:17|エッセイ・日々是好日
秋桜群れて
●秋桜群れて 2008.10.27(月)

興業戦略
大鵬卵焼き庶民向け仕掛けの認識

 プロ野球への関心が薄れてから久しくなります。後楽園球場が東京ド−ムになってからですから、今年で20年になります。それまでは、普通の大人なみに、テレビに見せられるままの観戦でした。そして、年に1、2回、いろいろなコネでチケットを手に入れては、球場にビ−ルを飲みに行っていました。ひいきのチ−ムは大多数の人と同様で、大鵬や卵焼きも好きでした。そのチ−ムが、国際選抜金権軍のカラ−を強めだしてからは、関心が薄れ、プロ野球への関心も薄くなりました。野球が好きというよりも、常に勝ってくれる快感が好きだったのかもしれません。
 
 スポ−ツは、筋書きのないドラマだといわれます。先が読めない展開があるからでしょうが、人は多くのゲ−ムの次の展開を読んでいて、その通りになることにたまらない快感と興奮を感じるのかしれません。それが外れたら外れたで、悔しがったり、あるいは、喜んだりする。意表をついた、どんでん返しには、すっかり興奮してしまう。読み通りに運んだゲ−ムでもひいきが負けたら、ひいき倒しの感覚のもとに、ほうら、その通りになったろうが的な自虐的な快感もある。もちろん、ひいきは負けるより、勝つ方がいいに決まっていますが、どのようにかなうかです。
 
 できるかぎり負けないで勝ち進んでほしい。人が争うゲ−ムですから、まぐれではなく、常に勝てる強い人がほしい。そんなひいきたちの願いに応えるために、あるいはビジネスとして有利な展開に求められる多くの思惑に応えようと、チ−ム側はあらゆる方策を講じます。この社会体制の中では当然の行為の、競争展開の力の論理で、資力や人間関係にたよって、チ−ム力の増強にかかってくる。部外者には止めようがない。その結果、狙いどおり強くなればよい。強くなったら、目をつぶっても、強くならないから、勝てない不満が爆発してひいきを止めてしまいます。

 おいしいギャランティ、世間の注目度の高さからの達成感、将来への確固たる保証などなど、普通の人間なら、特に、まだ未来のある若い人には、せっかく得られた好条件は逃さない。たとえそれをやっかみ、軽蔑する人がいても、立場が替わったら、自分もそのような道を選ぶに違いないと。これは選ばれた者だけの特権なのだ。なにより子どものころから憧れていたチ−ムなのだ。その世界で活躍する最高の舞台なのだと。それに乗るのは、無理からぬことではないか。そんな思いの中で、件のチ−ムは、国際選抜金権軍として、今年は、リ−グ優勝を果たしたわけですよ。

 筋書きのないドラマの、筋書きをつくろうとするのは、興業ビジネスマ−ケティングとして、当然の戦略です。乗せられる側としては、それが好きか、嫌いかであり、嫌いな人はだんだんそのチ−ムから離れていく。そして、その興業ビジネスのタ−ゲットではなくなっていく。興業全体のより一層の発展を図ったのに、漏れが出てくるのは、戦術や作戦の展開面が、不備で下手だったからでしょう。時代の人たちの目が冷静になってきた。あの力道山時代の庶民でも、大鵬卵焼き時代の庶民でもなくなった。私は、本当にそうなっていれば、いいと思い、願ってはいます。


●秋桜群れて 2008.10.26(日)

相槌技術
話す目的で丁々発止の相槌もいい

 自分の取材テ−プを聞いていて、相手の声にダブっている自分の声に、腹がたつことがあります。それも肝心のところでのかぶりは、何を話してくれたのか、何度か巻き戻しをして聞くはめとなります。話しが弾み、会話が乗っているときに起りやすい現象です。私の場合、興が乗って話しに入り込み、相手と同じ土俵に立って話す内容を共感し合ってしまう。いい話しを聞きだすためのスキルとして身についてしまっています。記事を書く場合では、うなずくくらいにしておくのがいいのですが。その面では玄人になれない私ですが、これもキャラクタ−と考えています。

 私の取材記事では、私自身では、相手の言ったことを正確にそのまま再現しなくてもいいとしているのですが、分かっていて書かないのと、分らないで書けないのでは、書き手としてのプライドが許しません。相手の発言をよく聞き取れないという、つまらないところでタイピングが止まってしまい、一気に進めてきた書く作業が止まってしまいます。話しの最中に、上手に相槌をうてば、相手はどんどん話してくれます。かつてメディアのインタビュ−で、もっと聞きたいのに、ということがありましたが、最近では、こんな例は少なくなり、うれしく思っています。
 
 メディアでの編集の仕方もかつてより格段によくなっているように思います。ただ、いま気になることはライブのニュ−スのキャスタ−が、現地レポ−タ−の話しの途中で、おかしな相槌というか、茶々を入れて、話しの流れを中断させてしまうこと。局のル−ルでは、スタジオ優先で、その指示が絶対なのでしょうが、自然な流れの話しが、聞きとり難くなることがあります。時間が制限されているせいでしょうが、ニュ−スでも自然な演出があってもいいのではないかと。独り暮しの楽しみである、テレビやラジオとの掛け合う楽しさをつくってくれていいのですが…。
 
 取材の面白さは、予め予定していなかったことまで聞き出せることです。繁盛販売店の取材などで、思わず本音がでたり、隠していたことが漏れたりしてしまって、その人の人間らしさに出会えること。話しているうちに、意気投合してしまい、他の人には話してくれないことまで聞くことができます。こちらとしても、その聞いた話しを整理して流れをつけてあげたり、これからの方向性のアイデアを提案したりできます。取材というより、対談かコンサル風に展開してしまいます。こんなときの相槌は、丁々発止がいい。こんな取材ではいい記事が書けるものです。
 
 私の取材は、中立的な立場をとるメディアの取材とは違うと承知していました。クライアントの立場での、対象が、得意先である販売店や顧客という人たちであり、失礼や無礼にならないことが第一です。若いころは、周到すぎるくらいに準備したものです。褒めるのが当然で、決してけなしてはならない。そのために、会ったら、できるだけ早く、相手のよいところを見つけだすことでした。そのことに全神経を集中させます。会話を続けるために、相槌の打ち方に気配りをします。記事はテ−プを聞いて書くのではなく、印象を材料にして書くのが私のやり方でした。


●秋桜群れて 2008.10.25(土)

経営診断
診断士に改善相談は頼みにくい?

 中小企業診断士という資格があります。毎年、相当数の試験合格者がいるようですから、もうかなりの人数の人たちが、名刺にこの資格名を刷り込んでいるはずです。簡単には取れるものではなく、けっこう難しい試験の国の資格であることから取得を目指す人は多いようです。コンサルタントとして独立して仕事ができるかもしれないと、リタイア後の仕事にと思っている人も少なくないのでしょう。私もチャレンジしたことがあります。通信講座でも安くない受講料で、勉強したのですが、志し半ばで挫折してしまい、この資格に憧れながらも、反目しているわけです。
 
 習ったことは、経営についての基本的な知識や昨今の経営や経済環境などだったようですが、仕事の上や事務所経営に役立ちました。ただ、経営の基礎知識を身につけるだけで、だからどうしたら良いのかの具体的な解決策は教えてくれません。問題点や課題の抽出には役立つ知識で、それはそれで有効なのでしょう。しかし、現実に困っている経営者は、問題点を指摘してもらうだけではなく、その企業の固有の解決策を求めているのではないのか。実例を示されても、真の回答にはならないような気がしました。販促には、マ−ケタ−の方が適切な策を示せそうです。
 
 友人のATさんから、若い女性診断士グル−プを紹介してもらいました。国家試験の難関を突破した気鋭の才媛たちで、みなさん元気いっぱい。話しを聞くだけで、英気をもらえそうな人たちです。彼女たちをひとつのグル−プにして売り込むプロジェクトを企画しました。まず、案内パンフと案内状を作って、全国の商工会に採用を願うDMを送ることにしました。商工会には、女性の診断士という珍しさもある国家資格認定者を受け入れしてもらえると踏んだわけです。私の事務所を事務局にして、グル−プ名を赤とんぼとしました。結果、どこからも反応なしでした。
 
 資格をとっても個人のコンサルタントとして仕事はなかなかできないもので、所属協会のような機関からの紹介仕事は、たまにあるということです。張り切ってそれまでの勤めは辞めたものの、なかなか仕事はもらえない。彼女らの主な仕事は、診断士を目指す人たちを対象としたセミナ−の講師でした。話す内容は、ベテランと大きくは変わりません。若い女性の資格取得者というだけでも人が集まります。セミナ−主催者にとっては、人寄せパンダです。知識の伝道師の役割は、頭脳明晰な彼女たちにはぴったりの仕事でしょう。需要はなくならないということでした。
 
 コンサルタントは、個々の事業所が依頼するよりも、行政や商工会がセミナ−の講師や、派遣相談員として依頼する方が多いようです。友人の経営診断士は、個人としてのコンサルの仕事はないと。会社の営業企画の部署に勤めていて、その資格を新規得意先開拓のきっかけに活用しているようでした。あるいは、専門を特化してコンサル会社の要員として実績をつくって独立する道があるといいます。結局、担当した事業所が、どのような成果をあげたかで評価されるものでしょう。その資格は、弁護士や会計士、司法書士などよりも、仕事にしにくいもののようです。


●秋桜群れて 2008.10.24(金)

作品値段
芸術作品価格の安さはうれしいが

 私は、あの黒澤明監督の孫弟子だと勝手にそう思っています。多分、何千人かのうちのひとりでしょうが、私のシナリオ修業中のもうひとりの師匠であるYMさんが黒澤さんの弟子だったことから、そのように決め付けています。直接、教えを受けたことはないのですが、その神髄はしっかり受け継いだと信じています。その黒澤作品が、いま、NHKBSで放映されているようです。寅さんシリ−ズには、つき合ったのですが、黒澤作品の代表作の何本かを、私物化しているので、観ないふりをしています。これで私物化する人たちがどっと増えてしまうのでしょうね。
 
 黒澤作品のビデオ作品はなかなか発売されませんでした。それが豪華カ−トンボックス入りレ−ザ−ディスクの愛蔵版で発売されると知ったとき、まさしく「やったあ!!」の思いでした。目玉の「七人の侍」は、全21巻組シリ−ズの最後の発売でしたが、その販売戦略の色気のイヤらしさには、少なからず反発したものです。その作品の値段は1万5千円、いい値段です。いまDVD版ではもっと安いのでしょうが、買う方としてはキツ〜イ値段。頭のどこかでは、それで作品を私物化できるなら、妥当な価格かも、いや、もっと高くてもいいのかなとは思っていました。
 
 P社のレ−ザ−ディスクのマ−ケティングは、私の仕事のひとつでした。実際の再生画像を見て、巷でいわれるほどに鮮明な画像とは感じなかったのですが、古いフィルム版のように、雨が降っていないのはいいな、程度の認識でした。販売店向けの技術解説マニュアルを書いたのですが、レ−ザ−ディスクは、アナログテ−タであることを知って吃驚したものです。決して安くはない価格は、いろいろな権利の絡みもあるのでしょうが、少し高すぎます。普及が危ぶまれましたが、やがてデジタルのDVDの世になって、レ−ザ−ディスクは、姿を消してしまいました。
 
 画期的な技術でしょうが、それらの技術はいまDVDなどに引き継がれるわけですが、それにしても、ここでの技術の進歩もめざましいものがあります。映画をア−ト作品としてみている私としては、記録方式が変わっても、七人の侍が八人の侍になるわけではありません。ローマの休日が、パリの休日にもならない。ハ−ドの技術屋さんよ、メ−カ−としての売れ売れの号令は、仕事上から分らないでもないけれど、そんなにあわてて、どこに行くんだよ、って感じです。技術的に複写版を安く作れるからって、ローマの休日を叩き売りのような価格にしてもいいのかよ。
 
 LPレコ−ドも、姿を消してしまいました。新聞の通販広告で、レコ−ドをCDに録音できる装置が売られています。これは何百枚もの愛蔵レコ−ドをもつオジンたちにとってうれしい器械でしょう。いまは、電器店にもレコ−ドプレ−ヤ−が置いていない時代です。しかし、CDでもすぐに置いていかれるよ。MP3としての録音が主流になり、ネットでの購入がふつうになるのかな。私なんざ、安いレコ−ドプレ−ヤ−を見つけてきて、レコ−ドをパソコンにMP3として取り込んで、仕事中のBGMとして、良き時代の音楽を楽しむくらいの抵抗しかできません。 
 

●秋桜群れて 2008.10.23(木)

映画表現
映画をみんなの協力でつくりたい

 鑑賞整理券を戴きながら、10月13日の「第1回福生映画祭」を観ることができませんでした。福生を元気にする協議会の主催で、午前10時から午後9時までの長丁場にわたって全15作品が上映されたそうです。全作品が観られないなら、午後3時頃から上映される作品がお薦めということでしたが、せっかくなら全作品を観たいと思っていて、その時間がとれず、残念でしたが一部を観るのもあきらめました。今回が第1回ということなので、今後、引き続いて開催されるのでしょうから、次の機会を待つことにしましょう。それにしても、どうして福生で映画祭なのでしょう。
 
 映画祭のバンフレットによると「映画って何だ!?」という問いを立ち上げ、思考するきっかけとなる場にしたいということです。かつて横田基地に隣接したハウスにさまざまな表現分野のア−トチストが住んでいて、刺激的な作品を生み、多くの支持を得ていた。そんな福生を再びア−トの町にしたいという願いをこめていると。そういえば、福生ってそんなまちだったと、おぼろげな記憶があります。パンフによると、作品は大部分が大学在学の新鋭映像作家のようです。見損なったことを、チョッビリと悔しがっています。きっと刺激的な作品だったことと想像します。
 
 いま、映画は初期投資の後は、安い費用で作れるようになりました。フィルムに頼らなくてもよくなったことは革命的なことですよ。映像と音声をデジタル化したデ−タとしてICメディアに記録できます。撮った映像は、その場でカメラでも確認でき、家でテレビでも再生できます。パソコンで簡単に編集できるのも、作品の質を高くして、のめり込める点でしょう。最近では小さな子どもがいる家庭では、ビデオカメラが必需品として、いろいろなホ−ムイベントで活躍しているようです。このホ−ムビデオ卒業生のパパやジジたちのこれからの作品づくりが期待できます。

 私の場合、まず8ミリ映画からのスタ−トでした。F社の仕事をしていた関係から、ホ−ムイベントは8ミリ映画で撮っていました。1本3分程度のフイルムをメ−カ−に送って現像してもらい、編集機でつないで、音楽をアフレコして完成です。カネもテマもかかり、よほど好きでなかったらできません。8ミリの次は、カセットでのビデオです。編集に2台のデッキが必要でしたが、8ミリ映画よりは手軽です。しかし、これも好きでなかったらできません。ここで私の映像生活は、一休止しました。新しいデジタルビデオライフに挑戦したいのですが、出来かねています。
 
 映画づくりを、若い人たちだけに楽しませておくことはありません。ホ−ムビデオを卒業した、パパやジジたちのチャレンジをおすすめしたい。何人かでシナリオを書き、仲間内でスタッフやキャストを決める。衣装も、小道具も、音楽も手づくり、オ−ルロケで撮影して、編集や録音もみんなの力で行う。ひとりではできない映画づくりをみんなでやってみるなんて、きっと大興奮ものだと思うのです。出来た作品をDVDに焼きこんで、参加者全員に配付する。全員の名前入りの作品です。こんな映画づくりを、このまちで出来ないだろうかと考えているこのごろです。
 

●秋桜群れて 2008.10.22(水)

転がし益
何も作らずに利益が出る不思議

 金融危機とか、株の乱高下とか、米国のサブプライムローンを緒にはじまったという経済不安が世界を駆け巡っているようです。まだまだ、私にはピンとこない話しで、身の回りにどんな影響が出るのか、全く予想だにつきません。ただ、何となく分リ、少しだけ愉快に感じるのは、金を転がして、金で金を作ったつけがまわってきた、ざまあみろ結果ではないのかということです。私には、ものを作らないで、金が得られることが楽しくない。ものを動かさないで、利を得ることが解せないということ。といいながら「情報」はどうなんだと迷っている気持もあります。
 
 ITが世間に注目されたと思ったら、LDの社長らを代表とする若い衆の、すざましいまでの成り上がりようが衆目をあびました。六本木の、どでかい高層ビルの豪華な空間を我がものにして、自家用飛行機で遊び回る。上手いことをやりあがったと口惜しくやっかみながら、で、彼らはただ、金を転がしただけの虚業屋ではないかと。ITの端っこに触りながら、また、かつては六本木の畳屋のビルの3階の事務所で「もの」ではなく、情報を売っていた私には、とうていかなわない仕事ではありました。彼らが地に落ちて、日本のためにも良かったのではないかと。
 
 不動産でも、転がしがあったと聞き及びました。バブル経済が終焉したころに、不動産業に関わる仕事をしていました。首都圏の不動産店を弱いネットで囲い込みチェ−ン化するプロジェクトの手伝いをしていて、かなりの数の取材をこなしていました。ある不動産店の店長の話しです。ひとつの物件を、仲間内数店でひとまわりさせたら1億円もはねあがったというのです。狭い土地だったようで、さすがの彼も恐ろしくなったと。土地の売買も、ただ権利だけの商売です。地上げ屋が跋扈したあの時期の虹色に輝いていた泡も、やがては消えてしまったのです。
 
 子どもの頃、お金で遊んではいけないと、親からいわれました。日本人は、汗水流して働くことが美徳とされてきたのです。せっせとものを作り、その代償にお金を得ました。ものを運んで、人から人に手渡して、その駄賃を得てきました。働くとは、人が動くことで、金が動くことではなかった。事業資金を多くの人の善意で借りて、しっかりと人が動く経営をして、その結果で上げた利益を、まず、ものづくりに関わった人たちに、次に、資金を貸してくれた人に還元するのが基本ではなかったのか。いま、株式が投機というギャンブルに成り下がってしまいました。
 
 担保する何もないのに、お金を作ってはいけない。こども銀行ではないのです。日本銀行券以外の通貨もあってはならない。金貸しは金色夜叉の時代から、表にしゃしゃり出ない職業だったはず。株の売買も、後ろ指をさされるような仕業だったと思います。人が動かないで、金儲けだけを目指す人が増え、それをヒーロー扱いをするのが常態化した世の中は、「本ものづくり精神」が後退したのかもしれません。その「もの」も「本もの」ではなく、形だけのお金のシンボルになってしまいそうな時代の中で、見極める眼力を鍛えることが必要なのかもしれません。


●秋桜群れて 2008.10.21(火)

エコ商品
エコはどの段階で改善されるのか

 古紙や古新聞紙を再生した製品が、いろいろ作られ、エコ商品として売られています。これを使うことがエコ貢献として、もてはやされているとメデイアが伝えます。中国の古新聞を使った鉛筆まで販売されているとか。削らずに巻いてある紙をクルクルとむいて芯を出して書くダーマト色鉛筆のような製品です。中国製なのか国産なのか、特許などの権利をどのようにクリアしているのかわかりませんが、ユニークな商品ではあります。しかし、これがどうしてエコに貢献する商品なのかわかりません。リサイクル商品だからというのでは、ちょっと無理だと思うのです。
 
 古紙やペットボトル、空き缶など、毎日たくさんのものが廃棄されています。これらを有効に原料として、新しい製品づくりに活用することは、よいことでしよう。リサイクルすることは、資源の少ない日本にとって、奨励されるべきことなのでしょうが、それらのリサイクル製品を使うことが、全てエコ貢献行為のように報道され、そう思い込ませることに、引っ掛かりを感じています。消費財なら、新しい資源を使って作ったものより、同じカテゴリ−のリサイクル製品を使う方が、エコ貢献行為になるかもしれません。しかし、違ったカテゴリ−製品では別でしょう。
 
 廃棄物を新しい原料として、別の製品に生まれ変わらせて使うことは、直接、省エネにはならないことが多いように思います。その新製品にとって、それを作るために消費された、すべての資源の中での、リサイクル原料を使って節約できる割合がどのくらいなのかが問題です。原料としての入手価格ではなく、使うことや再び廃棄されるときに、かえって資源を多く使うことになることもあるでしょう。リサイクル製品が、そのことを製品特徴にしてしまうことが、売る側の販売戦略としてあるものです。エコ貢献の免罪符として、マスメディアも手を貸しているわけです。
 
 エコ効果を訴える耐久消費財も少なくありません。前に、エコ番組のキャスタ−が、省エネタイプの自動車を取材した番組で、それを絶賛して、自分もいま乗っている車を、その車に替えようと話したことがあります。スポンサ−だったメ−カ−への追従でしょうが、その浅はかさに腹がたちました。じゃあ、その彼が乗っているいまの車はどうなるのか。確かに、新しい省エネタイプの車より燃費が悪いでしょう。しかし、その古い車は下取りされて次の乗り手に変わっても、そのまま変わらないエネルギ−を消費して、相変わらず排気ガスを発散させ続けるのです。
 
 また、その新しい車を開発しても作ることによって消費された資源やエネルギ−はどうなるのか。社会に出たその1台分は、その分、環境悪化に加担するわけです。彼が買わなくても、誰が買っても同じことです。どんなに省エネ効果の高い製品でも、それが存在する限り環境改善にはならない。人は商品に向き合うとき、使うことによって得られる省エネ効果だけ考えて、開発から製造、そして廃棄にいたるその製品のライフサイクル全体の、環境へ与えた、また、与える影響を考えない。売るためのメッセ−ジに踊らされる。それがマ−ケティングというものなのです。









2008/10/20 5:12:51|エッセイ・日々是好日
つるべ落し
●つるべ落し 2008.10.20(月)

愛の値段
家づくりのコストバランスの比較

 ものづくりの愛がある職人仕事のひとつが、伝統の家づくりの大工職人の仕事です。いま、家づくりの仕事は、かつてとは大きく違ってきています。家づくりではプレハブ、2×4工法、PCなど、いろいろな工法が入り乱れ、何がいいのか判別しにくいものです。結果として、頑丈で長もちして、心地よく住めて、コストが安く家づくりができるなら、それでよいとする見方もあります。確かに、すぐ壊れるような家や、住みにくい家では、家とはいえないでしょう。私としては、日本伝統の工法が最高だと思っています。しかし、この絶対コストは安くはありません。

 問題は、家づくりの値段をどのように考えるかです。早い話が、安く造ろうと思えば、できなくないと言うこと。仲間の家づくりでは、家づくりのコストを、構造、仕上げ、設備の3つに分けて考えようと提案しています。それぞれの費用配分を3:5:2がよいとして、これをバランスシートと呼んでいます。家づくりの予算をこの配分で計画します。構造や仕上げのどちらにも含まれる大工手間は、5:5と按分する。このコストバランスが、いい家づくりの要件で、住みやすく、頑丈な家造りができるとしています。作り手の「家造りの愛」の具体例のひとつです。

 このコストバランスから、他の家造りを見てみると、家造りへの愛のかたちが見えてきます。豪華住宅設備にお金をかけた設備重視の家、建てたあとには見えなくなると構造には目をつぶる家、下職手間を叩いて仕上げの費用を極力かけない家、いろいろです。これはどんな視点からの判断によるかでしょうが、3:5:2の配分は、家造りに愛をもった、プロの林家、製材所、工務店、設計者たちの良心から総意の結論です。長く住宅産業を手伝い、またその観客席から、冷静に観察してきたと自負する私として、ひいき目もありますが、正しい結論だと思っています。

 特に、構造と仕上げの費用按分への配慮が気に入っています。そこには、家が出来上がれば、見えなくなってしまう部分を大事にする配慮があります。この家造りでは、大工職人は、伝統の大工技術を駆使して、丁寧な木工仕事をすることが条件です。タタ、タンと叩き仕事で済ませられるところを、のみで仕口仕手を刻み、組み上げていけば時間もかかります。叩き仕事でも、地震災害などがなければ、3、40年は持つ家が造れます。丁寧な伝統の大工仕事は、数百年も持たせる木造の家造りの技です。要は、その価値当りの価格、相対コストを見てみることでしょう。

 このコストバランスに入っていないコスト要因があります。それは営業経費です。広告宣伝費、カタログ等のツール制作費、モデルハウスの設置と運営費、少なくない数のセールス担当者の訓練費、人件費などなど、住宅の開発費や企業運営費も加算されるでしょう。これらが家造りのコストに重くのしかかっているわけです。これに対して、件の家造りでは、東京の森林を持続させ、地球環境を保全する会員制の家造りのために、営業経費はごくごくわずかで済んでいます。ハウスメーカーが投下している膨大な営業経費は、そのまま家造りの費用に向けられるのです。


●つるべ落し 2008.10.19(日)

愛のQC
金儲けがものづくりの愛を歪めた

 日本人にとって、金儲けに対して罪悪感とはいわないまでも、あからさまに口に出さないという奥ゆかしさがあったように思います。お金はたまらなく欲しい。しかし、それを身ぶり、口ぶりに出さないことが美徳だと。お金が入ってくるのは、あくまでも努力の結果で、そのために働くのではないと、自他共に言い聞かせていたようです。ところが農薬混入で問題になっている国の人たちは、テレビ報道で見る限り、金儲けは、最大の善であるような態度を見せています。報道からの想像の域を出ませんが、周りのパートナーたちにもそれを推奨している様子が見て取れます。
 
 つくるものは、金儲けのための材料で、完成品に近い状態でも、さらに売値を高くしようとする。そのためには、バレないなら小細工を弄するようになった。結果、大きな問題を起してしまう。この見方は根拠があってのことではなく、あくまでも直感的にそう思えるだけですが、ものづくりの考え方が日本とは少し違うようです。かつて、かの国に出向いて、雑貨など商品づくりを指導し、仕入れていた友人が、売れるものなら特許や商標などを気にしない彼らのものづくりの姿勢を話してくれました。まず、売って儲けるのが、彼らの正義のように見えると言うのです。

 日本のものづくりでは、かつて職人が中心でした。彼らは、いいものづくりのために、親方のもとで、長い年月をかけて修業して腕を磨いてきました。一人前の職人になってからも、自分がつくるものは、常に最高のものであることに心がけ、彼が満足するもの以外は、世に出さないという気概を持っていたと、いろいろな文芸作品や文献などが伝えてくれます。この誇りと気構えが日本のものづくり、工業に綿々と引き継がれてきたようです。近代工業においても、職人技が支えきたと。これはものづくりに対して、職人はアガペの愛を持っていたように思えるのです。

 最近、このようなものづくりの愛が少なくなっているように思えてなりません。いまは食料品の例が多く発覚しているようです。経営を苦しめるような要素が、多くなっているのかもしれません。原料をできる限り安く買って、手を抜いて作り、高く売る。高く売らないまでも、いままでと同じ価格に押さえる。それだけ経営環境が厳しくなっているのでしょう。安易に、それらを受け入れてしまう組織構造があるのかもしれません。しっかりと製造過程での品質管理、QCが行き届いている高度な工業化製品では、考えられないような製造プロセスが見えてきます。

 いつの間にか、ものづくりの心がどこかに飛んでしまい、金儲けに走り過ぎてしまっているのでしょうか。そのひとつの理由が、流通における低価格指向からの製造者へ過当な要求が、ものづくりにあった愛を薄れさせてしまっているのかもしれません。製造の現場で、職人が少なくなっているのもひとつの要因でしょう。ものは金儲けの手段、単なる商材になり果ててしまった。昨今の不当表示問題は、ものづくりから流通、販売に至るまで、ものへの愛、ものに託した人間への愛が薄れてしまっているからではないか。いま、そんな愛のQCが必要ではないでしょうか。


●つるべ落し 2008.10.18(土)

だまし愛
アガペ愛も歌えないマーケッター

 マーケティングは愛だとして、長く仕事を続けてきました。この愛は、アガペの愛で、辞書では、神の愛,献身的な愛.エロスと対立する概念としています。マーケティングにおいて、アガペ精神を、コンセプトやコミュニケーションに盛り込むことで、市場効果をあげていこうとしたわけです。はっきりいうなら、愛の精神を装いながら、対象の消費者への「すりこみ」をはかる戦略です。商品のプラス面の特性を顧客志向という「愛」のもとに、手を変えて、繰り替えし訴えることで、生活を変えさせることです。ここでは商品のマイナス面はないことになっています。
 
 市場主義の経済活動の基本は、消費者に「捨てさせる」ことでした。新しい商品を、消費者志向の御旗のもとに、効用を力強く訴えます。それが生活を素晴らしいものにすると、メディアやプロモーションによって消費者にすりこみます。消費者だけではなく、陣営の戦士たち、ラインのミドルから販売店のセールスマンにいたるまでを、徹底的に洗脳します。消費者は、迷うことなく、というより自ら積極的に、次々に新しい商品を取り込んで、生活を豊かに華やかに装います。修理するよりも、取り替えることを奨めて、いまでいう都市鉱山の山を造り続けました。
 
 しかし、これを仕掛ける側の黒幕たちは分かっているのです。たとえば、プレハブ住宅メーカーのトップの中に、市場にその素晴らしさを高らかに謳い上げている自社の住宅に住まない人がいます。その多くは、木造の在来工法による伝統の家に住んでいます。代々住んでいるから、経済的にゆとりがあるからと、自社の安いプレハブ住宅ではなく、日本伝統の木のよさを活かした広い家で生活しているのです。なぜ、自分が住めるハイグレード仕様の家を造らないのか。それをつくっても売れないからです。彼には自社商品は、金儲けのための「もの」でしかないのです。
 
 自分が使うものに自分の商品を避ける態度と精神は、どうしても愛の活動とはいえません。商品の開発から販売に至るまでのマーケティングの全てが愛の対象ではなく、単に、売るためだけの「見せかけの愛」になってしまいました。愛を持ち込めない商品では、当然、消費者に愛は伝わりません。商品の寿命は、動かないなど、物理的な機能の停止ではなく、「飽きた」など、心理的な機能の停止によるものになりました。それが、日本の繁栄という贅沢社会をつくり、私たちは、その恩恵に浴しているわけですが、情報のグローバル化が少しずつ、異変を起しています。
 
 先進国と未開発国との生活格差が広がり、そのツケとしてのCO2の大量排出などによる地球温暖化が進んでいます。エコが、全世界的な緊急課題になり、マーケティングにおいても無視できないものになっています。いままでの「捨てさせる」企業活動がしにくくなりました。しかし、それでは企業が存続しない。そのために商品のエコ効果をうたって、まだまだ使える商品を捨てさせます。おかしな地球環境改善活動を大げさに伝えて、企業姿勢を訴えます。マーケティングの現場で「愛の歌」を歌ってきたはずの私は、歌を忘れてしまいました。歌えなくなりました。
 

●つるべ落し 2008.10.17(金)

愛の疑問
創作にこめた若い私のメッセージ

 NHK中学校合唱コンクールの課題曲が「手紙」という、15歳の私が未来の私への手紙を書く内容のドラマチックな、なかなか感動的な作品です。若い人にとって、未来の私はどうなっているのだろうか、は非常に興味のある問題でしょう。そんな感慨に浸っていて、そうだ、私も、若い私からのメッセージをもらっていたと、思い出しました。ちょうど10年前、57歳の私が、25歳の私からのメッセージに応えようとしていたのです。若い私のメッセージは「本当の愛とは何か」という問いかけでした。面はゆいテーマで、応えられないままに過ぎてしまいました。
 
 創作が生きがいだったころの私のテーマは、男と女の愛とは何かでした。シェィクスピアの「ロミオとジュリエット」が、恋を阻む大きな壁との戦いがモチーフです。ウェストサイドストーリーなどの名作をはじめ、恋物語のパターンになっています。ドラマの源流は、シェクスピアにありといわれるほどに、彼の作品にはいろいろなドラマの雛形があリ、劇作修業にシェクスピア学習は欠かせないものでした。時代や状況に合せて、恋を阻む壁をどんなものにするかが、作者の腕の見せどころでした。いまは、かつての壁のようなものはだいぶ少なくなっているようです。
 
 老いの季節に入りかけの私が、若い私から受け取ったメッセージは「愛を見つけてくれましたか」でした。愛とは何かを命題に、創作活動に勤しんでいた私からのメッセージに、57歳の私は、多忙を理由に、その回答から逃げたのです。いま、もう一度、メッセージのもとになった創作たちを読み直しました。いま、この年齢の私が読んでみて、照れくさい限りですが、恥を忍んでこのブログに掲載することにしました。これを読んでくださっている人に、ぜひ読んでほしいと思っています。昨日「フィクション」のカテゴリーでONした4つの私の過去の創作です。
 
 いずれもテーマは「愛」です。ただ、私の作品の場合、愛の障壁をモチーフにしたものではなく、愛とは何か、男と女が愛しあうとは一体どんなことなのかを、考え、追い求めることでした。所詮、私などには手の負えない課題です。しかし、これを考え、追い求めることが、私の創作のモチーフになっていたのです。57歳の私にも、手に負えなかった課題です。ただ、私は当時、力を注いでいた仕事の基本は「愛」ではないかと思っていました。その愛は、エロスの愛ではなく、アガペの愛でした。エロスの愛は、とうの昔に、指の間からこぼれてしまっていたのです。
 
 マーケティングは、愛であるべきだという思いは、かねてから持っていました。しかし、やっていることは、突き詰めてみれば愛ではなかった。エロスの愛ではないことはもちろん、アガペの愛とも違う。見せかけだけの愛だったようです。じっくりと考えれば、愛ではないことが分りそうなことを、愛だと思い込み、マーケティングの世界に持ち込みました。どこかの国の人びとのように、幼い頃からのすり込みが、愛だと信じているように、すり込まれたものの強さは、人を不幸にします。いや、その愛に疑念を持たないことで、そんな愛を信じられるのかもしれません。


●つるべ落し 2008.10.16(木)

取材2件
若者連とボラ達人の話しを聞いて

 このところたて続けに2件の取材をしました。ひとつは、若い男女4人に対しての聴き取り、あと1件は災害ボランティアセンターについてです。若者たちへの取材は、男女協働参画についての意見を聞くもの。男女協働と、言葉で軽く言っても、具体的なイメージがわきにくいもの。「男女平等」とは違った概念で、女性も男性も同じ権利と義務をもつというものではありません。私は、これを「ワークシェアリング」と考えていますが、共に手を携えて、あるいは知恵を出し合って働くこと。まさしく、文字通りで「とも・はたらき」のことだと、定義しています。
 
 ここで重要なのは「とも」が「共」ではなく「協」であること。もちろん「競」でもありません。私は、この状態を、先に市の募集に応じた男女共同参画標語のひとつで「みんなが一片 ジグソーパズル」としました。全部で、いろは48文字を頭文字にした標語の中のひとつで、私は気に入っているものですが、この標語単独では、選に取り上げられませんでした。解説するまでもありませんが、男女ではなく「皆」で、ひとつの美しい絵を完成するためには、ひとつひとつのピースが、それぞれ、はまるべきところにはまってこそのものだということを言ったわけです。
 
 つまり、ピースの中には、絵柄のメインの絵を構成するものもあれば、例えば、青空を構成するピースのように、ただ青いだけのものもある。しかし、どのひとつが欠けても美しい絵は完成しないものだと。スナップの歌のように「一番主義」ではなく「個性主義」が、協働の基本理念だと訴えました。ちなみに、「い」は「いい汗を一緒に流せば福生晴れ」で、「ん」は「うんOK 全員納得 さあ始動!!」という具合で、ご当地ヨイショも折り込み、全体での物語性を考慮したものでした。で、私の三席になった標語は「幸せは家族で進める協働から」のン?作でした。
 
 こんな協働参画を、次代を担う若者たちがどのように考えているのかを取材したのです。取材を終え、すぐテープ起こしの原稿が、市の担当者からメールで届きました。気持のいいスピード感で、嬉しくなっちゃうのですが、さあ、どのように料理するかが、これからの思案のしどころです。早速、テキストデータを私のパソコンに取り込み、包丁を入れ、火を通すのですが、どう盛付けをしてテーブルに出すかは、腕を振るう料理人のお楽しみで、ライター冥利につきるものです。タイトルは「青年は協働をめざす」としたいと思っているのですが、まだ決めていません。
 
 まあ、こちらの原稿は料理する段階にありますが、もうひとつの災害ボランティアの記事をどのようにまとめるかが、ちょっと考えものです。災害ボランティアの達人、作家のTSさんのお話しを、社協の職員とAMさんをはじめ仲間のボランティアのひとたちで聞くような形で進められました。その内容は、福祉センターを災害時にボランティアセンターとして機能させるためには、どんなことが必要なのかを、現場体験からのレクチュアです。これを市民に向けて、美味しい料理にしなければなりません。かなりの難行ですか、まず、テープ起こしからの作業になります。
 

●つるべ落し 2008.10.15(水)

少子都市
定住促進の対象は子でよいか

 このまちは、東京の市部で最も少子率が低いという報道がありました。このまちの名前を耳にしたり、目についたりすると、つい関心を集中させてしまいます。自分が住んでいるまちが、全体の中でどのように評価されいるのかということが気になるのは、どこかで自分の永住の地について考えているからかもしれません。ここに住まなければならない大きな理由もなく、どこかに移り住むあても、そのための準備もしていない私は、終の住まいをさがし始めています。このまちが、少子化が進んでいるとしてたら、先々の有り様がどうなるのかを予想してしまいます。
 
 行政は、少子化対策として、いろいろな対策を打ち出しているのでしょうが、一市民には、その施策の内容が届いていないように感じています。子育て支援などはひとつの例でしょうが、それはそれとして効果のあるものだとは思いますが、たとえ、それが他の都市よりも突出して充実しているとしても、それだけでは、この地に住む大きな動機づけにならないのではないか。充実した子育て支援策に惹かれて移住しようとしても、このまちのどこに、どんな形で住めばよいのか。どのように生活をしたらよいのか、具体的な生活が見えてこないのではないでしょうか。
 
 市民として参加させてもらった、市制40周年記念映画の制作目的のひとつが、定住促進だということでした。そのときも考えたのですが、このまちがどんなまちであるのか、どんな魅力があるのかを伝えなければ、その目的は達せられません。いま、制作会社選定のための準備が進められていますが、企画の方向としては、このまちに住む魅力を、子どもたちの視線で紹介するようなドラマにしたらどうかということになっています。制作のための市民委員と職員委員の多数決で決まった方向で、いくぶん不満なのですが、どんなものになるかを期待もしているわけです。
 
 子どもたちにとって、住み続けたいまちの魅力とはどんなものなのでしょう。もし、それを彼らに与えたとしても、その親たちにとっても住みやすいまちになるのか。子どもたちの多くは、成長したらこのまちを出ていってしまうかもしれない。つまり、彼らが将来とも、このまちに住むためのアーバンとしてのインフラがあり、シティとしてのカルチャーがあることが必要です。首都圏で、都区内や近隣の各種産業にアクセスしやすい立地にあるこのまちで、どんなライフスタイルが構築できるのか。これを子どもたちが理解できるように発信しなれければなりません。
 
 どうしてまちの魅力を訴える対象が子どもなんだろう。子どもに夢を与えるのはよい。しかし、自分がそうであるように、子どもの頃の夢は実現しなかったし、いま、ここに自分がいるという現実。「子どもたちに夢を」というスローガンは、国政レベルの発想で、地方自治体の発想ではないのではないか。まちの魅力を訴える対象は、これから所帯を持とうという世代ではないか、ここを終の住まいと考える世代ではないか。そんなひとたちにとって、住みやすい、定住できるまちの条件とは、どんなものなのだう。その魅力を探し出し、つくることではないだうか。 


●つるべ落し 2008.10.14(火)

シナリオ
集団で制作できる目的志向の作業

 12日の午後に、NHK奈良局制作のドラマ「万葉集ラブストーリー 夏」を見ました。3つの短編のオムニバスで、万葉集の歌をテーマにシナリオを一般公募した作品です。奈良を舞台にしたご当地ドラマで3作品とも素敵な物語でした。いずれも奈良の観光案内にもなる佳作で、ロケ地を訪れたくなるような美しい背景の中で描かれています。それぞれの物語は、20分程度で、無駄のないストレートな展開で、それだけに感動を呼ぶ内容でした。ご当地ドラマの範となるような作品で、万葉集で詠まれた愛の形を現代に再現し、奈良を強く印象づけていました。
 
 シナリオは、3作品ともに女性の手によるものでした。だからどうだこうだというつもりはありません。いまどき、女性らしい作品だとか、また、男性らしい作品だとかはないでしょう。繊細で、優しく、心配りが行き届いているから女性の作品だとか、勇猛で、力強く、ダイナミックな作品は男性ならではの作品、などと決め付けるのは、意味のあることではありません。もし、違いがあるとしたら、女性男性の性差ではなく、個人の差、キャラクターの差だといえるでしょう。要は、優れた作品が書ける能力の差であり、これはシナリオに限ったことではありませんが。
 
 ただ、最近は女性のシナリオライターが増えていることに気付きます。私は最近、映画やドラマなどを数多く見ているわけではなく、断定はできません。むしろ、見ていない方でしょう。ちらっと見聞きする近ごろの作品は、好きではないとか、肌に合わないとかは、少しはあるかもしれませんが、いまは、自分時間の配分が、別なところに重点をおいているだけです。ただ、私がシナリオ修業をしていた40数年前に較べると、女性ライターの優れた作品が目につきます。全部が全部ではありませんが、映画のシナリオは、男性中心の共同作業が多かったように思います。
 
 シナリオは、小説などと違って共同執筆が向く創作活動なのかもしれません。原稿を書いたその先の作業が、映画やドラマの方がはるかに多いのです。それに、映画やドラマは、個人の能力だけに頼る活動ではなく、関わる人たちが多い組織的な集団創作活動です。投資額が非常に多い、興業的な側面を持っています。投資対効果が問われる市場経済の原則が持ち込まれます。当るか、当らないかが問われる、目的が明確な事業です。それだけに、作り手は興業会社だけではなく、普通の企業も行政も、公共団体も、映画やビデオを、宣伝や啓蒙、教育に活用しています。
 
 シナリオは技術だと習いました。ディスカッションで創ることができ、感動づくりを計算づくでできるというのです。テーゼを決めたら、まず、アンチテーゼを持ってきて、いろいろなエピソードを重ねてテーゼに落し込む。登場人物も、テーゼの解決に必要なキャラクターを、必要な人数そろえる。キャラクターの差が大きければ大きいほど物語の幅が出る。感動づくりに向けた緻密な設計図がシナリオだと。あの黒沢映画の傑作「七人の侍」などは、その好例でしょう。シナリオづくりには、ハートも大事ですが、それと同じように伶俐な計算力も大事なようです。