発達支援でつながろうin西多摩

発達に支援を要する子どもたちへの教育・保育に関する話題を発信します。
 
2008/07/21 13:41:17|その他
自分の進路について
 息子と話していて、僕がどうして教師の道を選んだか、という話題の中で、なぜ国語科の教師になったのか、と問われて、ちょっと考えてしまいました。
 僕は子どもの頃から、国語が得意だったし、好きでした。出会った国語の先生の中に、すばらしい授業をしてくださる、憧れの教師もいました。中学校時代がすごく充実していたので、中学の教師になりたいなーとも思いました。自然に中学校の国語の教師、と考えていったように思います。
 高校は私立の大学附属に入ったので、大学進学の際には文学部を志望しようと思ったのですが、親の反対で結局、経済学部に進学しました。確認したところ、学内で文学部の授業を大量に履修すれば、国語の教員免許を取得できるとわかったので、親の顔を立てました。経済学部では社会保障論のゼミに入り、卒論はボランティアについて書きました。つまり、国語の研究はまったくしないで、国語の教師になったんです。
 国語はどの教科でも必要とする力・・・理解力や表現力を育てる教科ですから、ある意味オールマイティーだと思いました。そんなことも国語を選んだ理由のひとつです。
 教師になってから、大先輩の国語科の先生に、僕の経歴を話したところ、「何だ、偽物ね」と笑われたことがあります。びっくりしましたが、国語の研究をがんばってきた皆さんには、そう見えるのだと初めて気づきました。
 今となっては僕が国語の教師だと思っている方は少ないですね。障害児教育一筋(ちょっとカッコ良すぎますね)の男だと認知されていると思います。学生の頃には想像もしなかった自分になっているわけです。
 息子にアドバイスできるとしたら、今一番正しいと思うことを必死でがんばってほしいことくらいです。結局は、想像もしなかった自分と出会う日のために今をがんばるしかないように思いました。







2008/07/21 0:56:48|その他
読み返してみると・・・
 今朝の方のコメントに対して、ちゃんと応えていませんね。発達支援という言葉は、すべての子どもたちに必要なんじゃないか、というお話でしたね。僕の回答を読むと、結局、障害児の教育について語ってしまっていて、的外れのように思えます。また、しっかり考えて出直しますので、よろしくお願いします。
 今ひとつ思いついたのは、教育そのものは障害のあるなしにかかわらず、目的や内容など、変わらないんじゃないでしょうか。個人として、社会の一員として、豊かで満足のいく人生を送るために必要な知識や技能を伝えていくこと・・・思いつきで書いていますので、もっといい表現があると思いますが・・・。
 では、「障害児の」教育といった場合、どこに違いがあるのか。目的も内容も変わらないとしたら、それらを伝える手立て、方法論なんじゃないでしょうか。子どもたちのできにくさ、わかりにくさを考慮して、提示の方法や教材の工夫などをほどこして、よりわかりやすいものに変えていく努力をすること。日常生活面での訓練も含めて。それを「支援」と呼ぶんですね。
 でも、教育内容は学習指導要領で規定されています。ここまで教えるべきであると言われると、子どもたちを追い込むことになってしまう。だから、発達に支援の要する子どもたちについては、その量が緩やかに設定されているわけです。もしかしたら、障害児と呼ばれない子どもたちの中にも、もう少し緩やかにしてほしいと思っている人が増えてきているのかもしれません。また、逆にもっともっと内容を多くして欲しいという子どもたちもいるかもしれません。
 ちょっと考えるつもりが、また深みにはまってしまいました。ぜひ多くの方のコメントをお待ちしています。おやすみなさい。







2008/07/20 8:12:53|その他
おはようございます。
 日曜の朝、起きたらコメントが待っていました。ありがたいです。まだ寝ぼけていますが、お応えしたいと思います。
 呼び名がどんどん遠まわしになるのは時代の流れですよね。呼ばれる側の不快感を尊重し、蔑称を避けるということだと思います。テレビでピーっていう音を出してセリフをカットするようなものですよね。障害児の世界では短い間に呼び名がどんどん変わってきた歴史があります。「痴愚(ちぐ)」「魯鈍(ろどん)」「白痴(はくち)」などという言葉(うろ覚えですが)から「精神薄弱」「ちえおくれ」なども、今では使いません。戦前は特別支援学級は「劣等児学級」などと呼ばれていました。確かにストレートでしたね。
 僕の経験では保護者の皆さんは「障害」という言葉に拒否反応を示しました。障害児教育とか心身障害学級とか、いっぱい出てきます。「害」の字を「碍」に替えてみたり、ひらがな表記にしたりと、今もなお様々な使い方がされますが、これも呼ばれる人の思いを意識してのことだと思います。
 僕自身は「障害」という言葉を口で話すことは相変わらず多いですが、文字としては書かなくなってきました。一方で「支援」という言葉は多用するようになってます。目触り耳触りの良さですね。困っている子どもを救うためには、些末なところで刺激したくないという気持ちの表れでしょうか。
 じゃあ、「発達支援」=「障害児(だけの)教育」か、と言われると、やっぱりそうじゃないんでしょうね。発達につまずきがある子どもを助けたいと思う時に、特別支援教育を受けている子どもたちがまず考えられますが、通常学級の中にも助けを待っている子どもはたくさんいるわけです。特別支援教育の理念では通常学級の子どもも対象になるのですが、現実的にはまだまだ緒についたばかりです。
 特別支援学級の児童生徒が爆発的に増え続けていることを考えれば、子どもたちや保護者の皆さんにとって学級に入ることに対しての抵抗が少なくなり学級の敷居が低くなったことは間違いないと思います。
 何だか中途半端な文章ですが、また後で。朝ごはんです。またコメントお待ちしています。







2008/07/19 23:39:44|その他
コメントをいただきました。
 このブログを始めてちょうど1週間の今日、初めてコメントをいただきました。とてもうれしいですし、文章を読ませていただいて、背筋が伸びる気がしました。
 しつけ、清潔、言葉を小さいうちから鍛えてほしい、という大先輩からのメッセージです。ご家庭では学校に上がる前から、いろいろな方にアドバイスをもらって努力されています。僕たちはそのお子さんをお預かりして、集団の力も借りながら、できる限り成長させて、巣立たせたいと思っています。
 もしもうひとつ付け加えることを許していただけるなら、「人生を楽しむ力」とでも言いますか、明日の生活を充実させるための意欲のようなものを育てたいと思っています。スキル(技術)の向上は評価しやすいのですが、それを支える気持ちは目では見えません。スキルをいっぱい持った若者が引きこもりや自殺をする時代です。人とつながりたい、楽しく豊かに人生を送りたい、という気持ち作りもがんばっていきたいと思っています。
 ぜひこれからも、ご意見ご感想をお寄せください。僕自身のメッキもはげてきそうですが、誠意を持って真剣にお応えしていきたいと思います。ありがとうございました。







2008/07/19 18:22:23|その他
暑かった!
 やっと梅雨明け報道が届きました。でも実感としては、暑い日の連続で、とっくに真夏気分でしたね。我が家はまだクーラーはかけずにがんばっています。夕方の涼しさを心待ちにしています。
 さて本日は特別支援学校の夏祭りに顔を出してきました。知っている顔・顔・顔! 最初は再会を喜んで、子どもたちの近況報告を聞きます。すっかり背が伸び、スリムになってしまって誰だかわからなくなってしまっていた子どももいました(ごめんなさい)。それから保護者の皆さんや先生方にごあいさつ。最近は名前覚えが本当に悪くなって、顔は覚えているのに名前が出てこない方が続出で申し訳なくなりました。
 約1時間お邪魔して失礼しました。とにかくいろいろな方に会えるいい機会です。楽しみにしていたビールは売らなくなっていて、ちょっと残念でしたが、時代の流れで仕方ないですね。