息子と話していて、僕がどうして教師の道を選んだか、という話題の中で、なぜ国語科の教師になったのか、と問われて、ちょっと考えてしまいました。 僕は子どもの頃から、国語が得意だったし、好きでした。出会った国語の先生の中に、すばらしい授業をしてくださる、憧れの教師もいました。中学校時代がすごく充実していたので、中学の教師になりたいなーとも思いました。自然に中学校の国語の教師、と考えていったように思います。 高校は私立の大学附属に入ったので、大学進学の際には文学部を志望しようと思ったのですが、親の反対で結局、経済学部に進学しました。確認したところ、学内で文学部の授業を大量に履修すれば、国語の教員免許を取得できるとわかったので、親の顔を立てました。経済学部では社会保障論のゼミに入り、卒論はボランティアについて書きました。つまり、国語の研究はまったくしないで、国語の教師になったんです。 国語はどの教科でも必要とする力・・・理解力や表現力を育てる教科ですから、ある意味オールマイティーだと思いました。そんなことも国語を選んだ理由のひとつです。 教師になってから、大先輩の国語科の先生に、僕の経歴を話したところ、「何だ、偽物ね」と笑われたことがあります。びっくりしましたが、国語の研究をがんばってきた皆さんには、そう見えるのだと初めて気づきました。 今となっては僕が国語の教師だと思っている方は少ないですね。障害児教育一筋(ちょっとカッコ良すぎますね)の男だと認知されていると思います。学生の頃には想像もしなかった自分になっているわけです。 息子にアドバイスできるとしたら、今一番正しいと思うことを必死でがんばってほしいことくらいです。結局は、想像もしなかった自分と出会う日のために今をがんばるしかないように思いました。 |