孤老の仕事部屋

家族と離れ、東京の森林と都会の交差点、福が生まれるまちの仕事部屋からの発信です。コミュニケーションのためのコピーを思いつくまま、あるいは、いままでの仕事をご紹介しましょう。
 
2010/08/21 18:55:10|ドキュメント・ノベル
君がいて 僕がいて
ドキュメント・ノベル
君がいて 僕がいて
市広報紙の市民ボランティア編集員の活動記録

協同参画推進課
男女協同参画情報誌 「協 働」
〈編集スタッフ〉
●森山貞子(35)  市職員 編集未経験の新担当者
●林田賢一(66)  市民編集員 マーケティングライター
●山野澄子(67)  市民編集員 滞米経験キャリアシニア
●木村喜代(68)  市民編集員 独身の女子高元国語教師
●山本由美(32)  市民編集員 新人・1歳児新参ママ
●近藤カンナ(35) 市民編集員 新人・地育ちの母親
●吉田美奈子(42) 外部スタッフ 嘱託NPOデザイナー 
〈サポーター〉
●篠田課長(48)  市職員 担当課長
●南町早苗(34)  市職員 前編集担当者
〈取材対象者〉
●友田 健(35・夫) 地元中堅企業の事務職社員
●友田朝子(32・妻) 妊娠中の1歳半の育児ママ

第一章 ボランティア編集員

 林田賢一のパソコンに、山野澄子からのEメールが届いた。彼女は、林田と一緒に、市の協同参画推進課が、年三回発行している男女協同参画情報誌「協働」の市民編集員五名のうちの一人として編集の手伝いをしている。五年前に、林田と同じ頃、募集に応募してメンバーに加わった無償奉仕のボランティアである。また、林田と同じ市のシルバー人材センターの登録会員でもあり、一緒に市役所に派遣され、パソコンを使った管理業務の仕事をしたことがある。滞米生活の経験があり、英会話が堪能なビジネス・キャリアで、林田とは、気心が知れた仲間であった。

 山野は、Eメールで、編集協力員を辞めると宣言してきた。いくつかの理由があるようだが、明らかにしていないが、主なものは二つ。ひとつは、その頃に人事異動で変わった担当者とのコミュニケーションがうまくとれないことにあるようだ。もう一つは、その頃、市民編集員に加わった、二人の若い主婦の取り組み姿勢に我慢しきれなくなったことのようだ。

 市の担当者・森山貞子は、二年ほどで変わる役所の人事異動で、この春に編集担当責任者として配属された三十代の女性職員である。利発で優秀な職員らしく、まさしく男女協同参画を地でいくような人事だが、編集の仕事は全く始めてだという。そのせいもあってか、新しい業務へのあわただしい引き継ぎに、なじむ時間が足りなかったのだろう。山野澄子は、Eメールでやりとりしていた編集員との連絡対応が、不親切だと、気に障っていたようだ。

 二人の若い主婦、山本由美と近藤カンナは、市の公民館事業の、男女協同参画の講習会で知り合ったらしく、男女協働事業に関心を持っての応募らしい。市民編集員が林田を含めて三名しかいなかった時期で、歓迎されて迎えられた。林田は二人の参加を聞いたとき、これでいつでも編集員から手が引けると、ほっとしたものだ。おそらく山野もそんな思いだったのかもしれない。ただ、その二人は、共に目が離せない幼児の子育て中で、子連れで編集会議に出たり、欠席、遅刻、早退が常態化し、それを少しも悪びれない。民間ビジネスの熾烈な現場経験が少なかったのだろう。

 山野澄子は、Eメールで嘆き、憤慨している。「若い方が新しく参加されると伺いました。私は、まさかその方々が子連れでみえるとは思ってもいませんでした。私は「ボランティア」と言う片仮名言葉が嫌いで、常に「奉仕」という言い方をしています。奉仕とは、自ら進んで自分の時間、知識を無償で提供して、なお、自分自身も学ぶ、と考えています。

 会議は長くても二時間です。奉仕であるなら、子育て中であろうと、子どもを預けて、会議に臨んでほしい、ずっと感じていたことです。会議中に子どもが足元で色々なことをするのに、気が散り、とても厭でした。いつか、機会があったら、若い方に進言する積りでした。子どもを理由に、遅刻、早退もあってはならないことです。
『奉仕』は『やってやる』のではないのです。みずから、参加されるのであれば二時間位、友人なり、近所になり子どもを預けて欲しい。『強制』ではないのですから、『言い訳』は嫌いです」。

 林田も同感であり、苦々しさの中で、子どもらには、表面上は好々爺を装ってはいた。子どもが嫌いなわけではない。何人かの孫がいてもいい年齢であり、子ども好きでもある。だが、この活動は「仕事」であると思っていた。会議は、仕事のまさしく戦場なのだ。しかし、若い主婦らにとっては、仕事ではないらしい。趣味の文化活動であり、手の空いたときや、気が向いたときに楽しんで手伝うカルチャー・レジャーのようだ。

 従って、このメディアの制作刊行は、能力不足の職員や関心があるだけの市民でも事足りるとする程度の事業らしい。本来、編集者には、男女参画の意義や市民協働の理念啓蒙者としての能力をもち、それを的確に伝えるスキルが求められるものであろう。担当者を矢継ぎ早に変えたり、「市民に協力してもらっている」というアリバイづくりが、市当局にとって、このメディアは発刊することだけが目的の事業なのかもしれない。そういえば、編集に携わってから、メディア効果の検証などなされていなかった。

 印刷物を作るだけなら、職員が印刷所に依頼するだけで事足りる。ただ、この情報誌「協働」の制作には、デザイナーを擁するNPO法人に制作業務を委託している。もちろん、費用は、一般企業の事業ベースとはいかないだろうが、企画プレゼンなり、入札なりの業者選考を通しての発注によるものであろう。しかし、本来必要なのは、印刷物の見てくれの体裁を整える費用の多寡だけではなく、発刊の目的を的確に実現できる表現者と編集者であろう。職員の編集責任者は、それなりの学識があり、勤務成績に優れ、小器用な役人というだけでは務まらないはずだ。

 デザイナーの吉田美奈子は、編集スタッフのリーダー的な存在として熱心であり、年齢なりの経験と、センスやスキルを持っていた。林田が、四十数年間、大手企業の宣伝広告制作の現場で付き合ってきた、斯界認定の実力派クリエィターたちと、遜色のない仕事をこなす。編集スタッフの中のプロとして安心して組めるパトナーといえた。

 もう一人の編集員は、木村喜代。女子高校の元国語教師で、林田や山野と同世代だが。市民編集員として先に籍をおいていた。物静かな聞き上手で、会議が熱くなっても冷静沈着。暴走した議論もを、最後にきっちりまとめるあげる実務派で、山野のよき相談相手のようだった。まだ、パソコンが使えず、パソコン教室に通っていた。若いメンバーにも、直接、声を荒げての注意はしないが、山野の不満を受け止め、なだめ役に回っているようだった。

 女性中心の編集員の中で、男性は林田だけだか、それだけ報酬なしで編集作業を指向する人材が少ない「まち」なのだろう。いつだったか、リタイアした男性が顔を出したことがあるが、全く発言しないまま、次回からは来なくなった。仲良しカルチャー・クラブではないことに、ひるんでしまったのかもしれない。以来、女性中心のボランティア・グループである。

第二章 編集会議

 二回目の編集会議は、午前10時に市庁舎で開催される予定だった。担当の森山貞子から、部屋は決まっていないので、二階の共同参画推進課のカウンター前に集まってほしいという連絡が入っていた。数日前に、会議をいつにするかの確認があった時、自由業で、いつでも時間が空けられる林田は、いつでもいいが、全員が集まれる時間にしてほしいと念を押して返信していた。

 七人のメンバーの会議だが、いつも定刻に始まらない。欠席があり、誰かが遅刻し、早退していた。頻繁に開かれる会議ではない。年三回発刊の、たかだかA四判4ページの印刷物の編集会議である。メンバーは、自ら手を挙げて編集員として参加しているはずだった。

 林田が五分ほど前に、指定の場所に行ったら、デザイナーの吉田美奈子と、市民編集員の木村喜代が話しながら待っていた。編集員を辞めるといっていた山野は、来ていない。どうも本気らしい。事情を知っている木村は「今回までは、最後までやったらと話したんですけどね」と林田にもらした。

 担当の森山が部屋が決まったと現われ、三人を小さな会議室に案内した。そして、カウンター近くの課員に、まだ来ていない新人の二人が来たら、部屋を伝えてと頼んだ。10時15分過ぎ、新人二人は、まだ現れない。「しようがないなぁ」と、編集会議が始まった。

 前の担当の南町早苗だったら、ここで開会の挨拶をして、順送りで決めておいた司会と書記を、また、討議項目とそれにかける時間配分を確認するという、一種のセレモニーがあった。何でも南町は「会議の進め方」という職員研修で習ったらしい。ただ、時間配分通りに進行したことはなかったが…。それを森山に引き継いではいないようだ。学生や新社会人でもあるまいし、今さら会議の進め方でもあるまいと、実社会で実務経験が長い林田は鼻白んだ。

 次号のテーマは「父親の子育て支援」と決められていた。少し前に、協同参画推進課主催で「父親の子育て支援・パパの読みきかせ〜ファザーリングのすすめ」という市民講座が行われた。それに合わせて、父親の育児支援の意義と進め方を紹介しようというものだったしい。見せられたのは、参加者募集のチラシ。これはそのまま市のホームページに掲載されたという。プログラムと講師の紹介があり、林田は、父親の読み聞かせとはどんな技術なのか関心をもった。

 森山から、編集テーマはその講座の要約紹介でどうかという案がでた。林田は、それはあまりにもイージーすぎ、ライブの講演とは違う紙メディアならではの編集で行こうと押した。内容紹介なら、その講師に執筆を依頼したらいい。林田の案が通り、参加者の中から、話をしてくれそうな夫婦を選び、インタビューしてまとめようとなった。この手法は、林田が編集員に加わってから進めてきたもので、今ではパターン化した手法になっていた。誰を選ぶかや、交渉は森山に任せることにした。編集員の担当として、インタビューと執筆は林田、テープ起こしは森山が担当するとになった。

 林田は、森山に講座内容についての資料を求めた。もう終わった講座であり、チラシではわからない。どんな内容で、どのくらいの出席者があったのか、その反応を知りたい。インタビューに当たっての基本的な予備知識で、取材しながら聞けばいいというものではない。その市民講座の担当でなかったらしい森山は、編集員の近藤カンナが参加したので、そのレポートを書いてもらおうという。

 その頃になって。新人の山本由美がいつも通り子連れで現れ、また。申しあわせたように、近藤も、その日は一人で現れた。二人には、その日に決まったことを伝え、特に、近藤には市民講座についてのレポートを依頼して散会した。二人が現れてから、10分もたたない頃だ。

 4〜5日経っても、近藤からのレポートは来ないが、その前に、対象の夫妻へのインタビューの日程が入った。いくつかの候補日があり、林田は。ここでも編集員ができる限りが多く参加できる日時をと要望した。あまり時間がない。林田は、森山に知る限りの情報を求めた。

 林田の元に、森山からメールが入った。講座の録音を聞き、電話の話をしての印象などを伝えてくれた。

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●申込書などからわかる範囲ですが、お話を伺う方は友田朝子さん。パパの名前は健さん。住んでいるのは、市内○○町のマンション。お子さんは二才。いま、ママは第二子がお腹にいます。

●電話での印象ですが、感じが良く、話をしやすい方のようです。インタビューは夫婦でならということです。お子さんが小さいので、途中で帰らないといけない状況になるかもしれないとのことです。

●市民講座の内容ですが、二時間のうち、休憩ををはさみ大半が子育てについての講演で、お父さんの読み聞かせについては20分位。お父さんの子育てが困難な家庭を少なくしていきたいというお話です。

●最近、お父さんは家に帰りたくても帰れなくなってしまった。家に帰っても何もできないので居場所がない。サッカーでたとえてホームが、アウェイになっている。会社には応援してくれる味方がいて、会社がホームになっている。

●家に帰れないお父さんは、自分のできる家事、育児を見つけることによって居場所ができる。家事をすることによって家族に褒められたりして、さらに家事が楽しくなる。会社の仕事を効率的にすることで、家にも早く帰れ、子育てもでき、ワークライフバランスにもつながる。

●家事・育児ができるパパは、子どもの手本になりパパ自身の自立もでき、パパ友もできて、人脈も広がる。ぜひ、「パパ友ネットワーク」を作ってください。「遠くの親戚より近くのパパ友」ですと、最後をしめていました。

●終了後の参加者の感想では、お父さんが、子供を膝にのせてあげるのに読み聞かせは最高だと思いました。お父さんの膝の上は、子どもにとって絶対安全地帯だと。


第三章 取材準備

 結局、近藤のレポートが提出されないまま、取材日を翌日に迎えた。このままでは取材に入れない。林田は、森山情報と、彼なりの考えをもとに、取材メモをまとめてみる。

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「協働」取材メモ

取材者・市民編集員 林田賢一
日 時・○年○月○日(土)10・00〜
場 所・市庁舎市民サポートセンター
対象者・友田健さん 会社員
    家族 妻 朝子さん。子ども1歳半

●友田さんは。先に開催された市民講座「男性の子育て支援・大好き!パパの読み聞かせ  ファザーリングのすすめ」に参加されました。

●その感想や実践状況、課題、その経験から、父親の子育て支援の課題や提言、社会や行政、企業への要望をお話しいただきます。個人的な感想、意見で構いませんし、同じような立場の人たちの代弁でも結構です。

●ここでは、一般的に言われている、いわゆる父親の子育ての意義や効果については言及しません。メリットなどのお題目を確認するのではなく、それらを全て当然「よし」とした上で、これから積極的、効果的に進めていくための、より具体的な方策について考えてみます。

●今回の講座は「父親の読み聞かせ」がテーマでしたが、他にどんな子育て支援があるのか。できそうか。そのために必要な条件やスキルは何か。足りなかったらどうすれば良いのか、お聞かせください。

●もし、いま、父親の子育てを妨げているものがあるとしたら、それは何でしょうか。その解決のために必要なことはどんなことでしょうか。同じ立場、状況にある人たちは、どのように考えているのでしょうか。父親たちの連携はあるのでしょうか。

●父親の子育てに対して、母親はどのように、指示や協力が必要なのでしょうか。周りはどのように協力すればよいのでしょうか。家庭内のワークシァリングのしかたや職場等での協力方法、制度などへの提案がありましたらお聞かせください。

〈追補〉

●父親の「育児支援」というと、本来、育児は母親がするもので、父親は、サポートするというニュアンスが出てしまいます。これは差別的な概念ではないでしょうか。

●確かに、父親には、直接授乳はできないにしても、その他のほとんどの育児行為はできるでしょう。まず、育児は母親(女性)だけの仕事ではなく、夫婦(男女)・家族の恊働活動であると認識すべきではないでしょうか。

●育児を支援するのではなく、育児活動、育児の仕事をシァリングする。または、恊働行動であるという認識に立つことが必要でしょう。そして、育児を苦役とするのではなく、喜びのある楽しい活動、仕事にしましょう。

●そのために。ひとつの家族ごとに、具体的に、どんな育児活動が必要か。どんなことができるのかをチェックしてみること。マーケティングでいうところの「ニーズ」と「シーズ」の洗い出し、探索活動です。

●それぞれの作業を、どんな時に、誰が分担するのか、どのように実践するのか、あるいは恊働するのかを、具体的に決め込んでみます。ここで大切なことは、ちょっと手間がかかりそうでも「楽しめる」活動にすることではないでしょうか。

●必要最少限の項目から、趣味や興味の範疇のものまで、思いつくまま、できる限り多くリストアップしてみましょう。出てきた子育て活動のアイテムが、その家族のキャラクターであり、アイデンティティです。

●これらのアイテムのうち、公表できるものを発表することで。共感者、共鳴者が見つかります。お互いに知恵やノウハウを伝授し合えば、個々の育児活動が広がります。

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 インタビューのスタートは、10時だったが、林田は取材のときは、少なくても15分前には集合場所に行くようにしていた。自分なりのシナリオで話を書いておき、その流れで聞きたい、もちろん、その通りに話が進むことはなかったが、自分の思いを投射して、ストーリーを組み立てたい。芸能レポーターではないし、相手が話すままにまかせてはいられない。林田が紡ぎ出すコピーには、計算したメッセージがなければならない。対象者のライフスタイルを紹介したところで、読者は「ああそうかい」となるだけだ。ここでは、読者にアクションを促すコピーが求められている。

 結局、現場に現れたのは森山と木村だけ。土曜日の午前ということもあり、幼い子どものいる主婦にとっては、出かけにくい時間帯なのかもしれない。所詮、この作業は、主婦には優先順位の低いものなのかもしれない。林田に取っては、たとえボランティアの奉仕作業であっても、手を抜いてはならない仕事である。メンバーにそれを求められない苛立ちを感ずる。 


第四章 テープ起こし
 
 インタビュー取材が終わって5日後、森山から林田の元にテープ起こしのデータがEメールで届いた。初めてにしては、予想よりも早かった。1時間強の取材であり、結構な分量だ。

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友田さん夫妻インタビュー記録
インタビュー・●林田賢一(市民編集員) 
オブザーバー・★森山貞子(市職員編集担当)
   〃   ・☆木村喜代(市民編集員)

●今日はざっくばらんにお話いただければと思います。雑談でもするつもりで気軽にお話ください。

 今日は「男性の子育て支援」ファザリングのすすめという講座に参加された友田さんご夫妻に、その時に思ったことや、その後のこととか、父親の育児ということにいろいろお話を伺えたらと思います。

 実は、個人的には、父親の育児支援という言葉が好きじゃないんです。子育てとは、父親が支援するんじゃなくて、父親と母親が協働でやらないといけないものだと思っているんです。

 だから、父親の子育て支援と言ってしまうと、子育ては女性がやっていて、それを男親が助ける、支援するといったニュアンスになってしまう。そういうことではなく、子どもというのは二人で、あるいは家族で育てるものだと思うのです。子育てをそういうかたちで捉えたいと思っています。

 もうひとつ、今日のお話し合いで重視したいのは、父親の育児ということが、いわゆる建前として、いろんなメリットとか、デメリットがあると言われています。そういうのは、そんなことは、テキストなりを読めばいい話です。今日は具体的に、家庭の中でどういうふうにしているのか、また、父親の立場、母親の立場からどういうかたちで育児をすすめていくかについてお話を伺わせてください。

 あまり固く、育児も男性と女性は対等でなくてはならない。母親だけに任せてはならない的なものではなくて、二人で、どのように育てていくのかを考えたい。男性の場合は、直接の授乳はできませんが、その他の育児については、何でもできるのではないでしょうか。

 そういう家庭内での育児というのを、どうワークシェアリングしていうくかということではないか。だから、毎日、お父さんが外へ出て働くこともひとつの育児だと思うんです。育児ってことをあまり狭く考えないで、少し広く考えたらどうかなと思っています。

 個人的な感想でもかまいませんし、同僚とか、お友達が言っていることでもかまいません。あくまでも個人の体験を通した話をしていただきたい。

 早速ですが、この「男性の子育て大好き。パパの読み聞かせファザーリングのすすめ講座」には、お二人で参加されたのですか?

友田(妻) 募集では、ファザーリングってことで、父親対象ということでした。主人も少しずつ家事や子育てについてはやってくれてはいたのです。私自身も始めての子で不安もあったので、そういうこともあって、主人には、気持ちを改めてもらいたいと、私の方で勝手に思って相談したら、まあ行ってもいいよと。父親がメインということだったのですが、できたら二人で行きたいということで、私自身も話を聞きたいと思ったので、私も一緒にいいかと聞いてみたらどうぞという事で。二人で子どもは託児をお願いして参加しました。

● ご主人はいかがでしたか?

友田(夫) 正直、休みの日に、どこに連れて行かれるのかなあと思った。まあ、子育ては、十分とは言わないまでも、やってると思いながら、行って話しを聞いてみようと。

 行って聞いているうちに、いわゆるきれいごとだけを並べているだけの話しじゃなかった。ちゃんと男性側が経験したことを話しをしてくれて、こっちの気持ちも分かった上で、一般的に、男はこうあるべきだというのを押し付けでもなかった。そういうところから入っていくのもありなのかな、と。いい話を聞けたなと思えました。夫婦で行って聞かないと意味のない話だったかなと思えました。

● 特に講座を参加されて気に入ったところはありましたか?

友田(夫) 講師が子どもができたらOSが変わるという話しをされた。パソコンでいうソフトですね。母親は子どもを生むと、最新版のOSにバージョンアップにされるけど、父親はOSは古いまま。中身が古いままだと。生んだ母親にしてみれば、そんな父親が頼りなくなって見えるというか、まだ恋人どうしの感覚のままで一緒にいるというか、父親モードになりきれない。でも母親の方は、どんどん、どんどん成長していく。父親がついていってないというのがよくある家庭の風景だと話しをされた。

● 生活はバージョンアップしているのに。OSがついてきていないのが夫の方であろうかと。それを聞かれてどう思いました?

友田(夫) これは自分のことだなと思いました。うちの生活を知っているのかなというような内容でした。自分がお腹を痛めて産んだわけじゃないので…。自分の方は、二人で暮らしていた時のままで、彼女の中ではすごい転換、一大事件だったわけで、それはもうこちらでは図り知れない事だっだと。

● 今までの二人から三人になり生活が変わった。だけどそのバージョンについていけるOSを持ってなかったということですね。それはある意味でやむを終えないことですね。

友田(夫) まあそうなんですが。自分の方では、そう思っていても、彼女の方では、最新バージョンをどんどん手に入れてますから。何でそんな古いシステムやってるのよ、ってことになるわけですよ。そうすると、変に夫婦間もぎくしゃくすもありました。話しを聞くまでは、まるっきり分からなかったし、理解できなかった。子どもが生まれたことで、生活のOSが変わるということでクリアになった。

● 講座は、父親の読み聞かせの話しが中心だったのですか?

友田(妻) 普段から。絵本を読み聞かせてたりしていたんです。主人も、私も方もそのつもりで行ったのですが。講座の内容は違いました。読み聞かせの方法とかをやっていただけると思ったいてのですが、その話は、付録みたいな感じで20分くらいだけでした。

友田(夫) 自分も、案内に読み聞かせと書いてあったので、絵本の読み方を教えてくれるのだと思っていたんですが。実際は、育児のすすめみたいなもので、それが20分。

● 育児の方法を聞いたって、理屈ではわかってもね、という話になっちゃうでしょ。でも毎日生活するということは、育児しているんですね。育児には、いろんなかたちの方法があるとすると、ミルク飲ませるのも、おしめを取り替えるのも育児ですが、一緒に生活することが育児かなと気がするんです。

 広く言えば、ご主人が、会社に行って働くのも育児なんでしょうね。その中で育児をどういうふうに捉えていくのか。お父さんだっておしめを変えなきゃだめ、お風呂に入れなきゃだめよという育児もある。しかし、ただ黙って見守ってあげるのも育児なのかもしれません。意見はいろいろあるだろうけど、それぞれの家族、家族の中での育児のあり方ってあるのではないかなと思うのです。

友田(夫) そうですよね。

● その後。具体的に家庭というか生活はどう変わりましたか?

友田(夫) 細かいところから言えば。ちょっと洗い物をしようかとか、洗濯物をたたもうかとか、できるところからしかできない。最近は週末の朝、休みの日に散歩に連れて行くとかもしたんですが、そういうことですね。

 彼女は専業なので、自分は仕事で、子どもと接する時間は極端に少ない。育児を五分五分で行こうといっても無理な話で、その分稼いでくるからと。家庭のことは。妻に負担を掛けてもしょうがないと思うのです。子どももまだ1歳半なので付きっ切りになる。いくらかわいくてもストレスにはなると思う。それを軽減してあげることができれば一番いいのかと。まあ。精神的なところを軽減してあげることができたら良いなというところかな。

森山〈職員〉 講師がホームとアウェイの話をされた。本当は家がホームだけどだんだん家に帰りづらくなってアウェイになってくる。会社のほうが、上司とか部下が応援して盛り上げてくれるから。そこにいる時間が長くなっちゃうしいう話しをされたのですが。お帰りとか遅いのですか?

友田(夫) 波があるのですが、遅い時は10時とかになります。あまり定時ではあがれない。講師は家庭のためだったら、時間も調整して定時にきっちりあがって、と話していたのですけど、なかなかそうはいかない。

● ご主人はエンジニア系のお仕事ですか?

友田(夫) 会社はメーカーですが、事務職です

● 仕事には波がありますね。ただ。自宅が、ホームとかアウェイとかの話でなく、それはそれぞれの家庭のあり方だと思うのです。ですからご主人がしかたなく11時ごろ帰ってこらざるえないというのもひとつの事情でしょうし、それは奥さんも十分分かっていることですしね。またそうしないと、家庭そのものが成立しなくなるおそれがありますからね。

友田(夫) 会社が毎日定時で終わってしまうと、会社は大丈夫かなと思ってしまったりする。席がなくなっちゃうんじゃないかとか、残業代が入ってこないけど、来月は大丈夫かなとか。そこには、現実問題があります。

● 個々の家庭のやり方であり、こうだからいけない、ああだからいけないということはないと思うんです。やはり、個人の、ひとつの家庭っていうものの世界をどう二人で守っていくか。その中で家庭の仕事を、どうシェアリングしていくかということでしょうか。

 ですから、どうしてもおしめを取り替えたり、お風呂に入れたりなんかをすることだけが育児じゃないのでは。たしかに読み聞かせも良いでしょうが、それだけやっていればいいってものじゃない。さっき話されたように、家事の手伝いをしたり、何かするのも、まあ父親というより、家族の一員たる人の義務だと思うんです。

 だからそれをうまくシェアリングしてやっていくことが家庭を設計・運営していくことだと思うんです。だから一般的な話しで、こうでなければならない。ああでなければならないというのはありえない話しだと思います。

 そういうことから少しずつご主人が目覚めていくということが、重要なことではないかと気がします。ですから、評論家的な人が、一般的に、子育てに親父が参加すると子どものためにこうだ、あ〜だと言うんではないか。。それは、一般論であって、実際にあなた方にとっては、具体的ではないですよね。

友田(夫) そうですね。

● 例えば。読み聞かせをやりましょうとか、子どもと一緒にスポーツをしましょうとなんとか言っても、できない人はいっぱいいます。

友田(夫) まあ、それぞれの事情がありますからね。

● 趣味もありますしね。そんなこと俺やれるか、という人もいます。そういう中で、どういうかたちでシェアリングするかということでしょうか。

友田(妻) 私も初めての育児で、講座の前は本当に切羽詰ってイライラすることもありました。主人は、彼からしてみたら、月曜から金曜まで仕事で、土日は休みというので、ちょっとゆっくりしたいという思いがあったようです。私も専業主婦ではなく働いていたので、土日は二人でのんびりしていたのですけど、子どもができたことで、もう土日も休みがない状態。自分は月曜から月火水木金土日の7日間もずっと働かなきゃいけないと思っている中で、彼はお休みだからと、なんで休んでいるだろうというイライラがあったんです。

 講座を受けてから子育てをすることで、子どもに対する影響、愛情を持って育てることで、子どもがすくすく素直に成長してくれるということも話してらっしゃった。実際、主人は遊ぶ時も愛情を持って遊んでくれるようになってきたなあと思います。

 前までは、私がこういうふうにいうから、事務的に、もうしようがなく、朝起きて、おしめ変えて、絵本読んでと、義務的にやっていた気がするんですけれど、彼、息子のこことを考えて、楽しんで育児をするようになってくれました。はたからみてそう思いました。

 あとちょっと感じたことは、私は出産後2ヶ月近く実家にいたのですが、初めての出産で、最初、どうしていいのか分からなくて。何も出来なくて、気持ちが滅入って、泣いてしまったりとかがあったのです。二か月近く実家にいて、育児も少しずつ慣れてきて、いろんなことにも慣れたのですが、そのあとに彼のところへ戻ったのですが、その時には、私のほうはOSは切り替わっていたんです。

 その二か月間でできたのに、彼はなんでできないんだろうと。それでまたいらいらしました。実家に戻る期間を短くすれば良かったというのと、あと、彼がもし早く帰ってこられるのであれば、その時、一緒に成長することができたらなというのがありましたね。もし早く帰ってきてくれて、一緒におしめ替えてなどと、どういうリズムで生活すればいいか、わかっていれば。ちょっと違ったかなあということも感じました。

友田(夫) まあ、初めての子なので、お互いに知らないですよね。彼女が必死なのもそうなのですが、自分なんかも明らかに生活のリズムが変わった。今振り返ると、もう二人でストレスを抱えている状態が結構続いたかなあと思いますね。

● それをどういう形で解消されたのですか?

友田(夫) まあ、何度かぶつかり合うわけですよ。大げさですが。ぶつかりあって、喧嘩の中で、本当に離婚の話まで出ました。ただ、まあちょっと冷静になろうと。そもそもどうして結婚したんだっけ、くらいに遡ってみた。でもまあ、やっぱり最終的には妻のことを好きなわけで、愛し合って結婚したわけなので。彼女のために、彼女がストレスを抱えない楽しく生活ができるようにしていくのが、自分のためにとって一番幸せだなと。本当にきれい事でなく思えたので、改めて初心に帰ってというか。

 要は、子どもを大事にする気持ち。もちろん、大事にしていたつもりだったのですが、やっぱり育児、家事というところの分担というか、彼女の負担を減らすことによって、三人がみんな笑顔になれるなとわかったんですよ。

 どっちかが負担を抱えていると、負の連鎖で、どうしても三人とも不幸になっていくというか、子供にももちろん影響が出るというか、だからどこかでギアを切り替えて、サイクルをいいほうに回していくことによって周り出す。逆に回りだすと、どんどん負の連鎖で、なんか手伝わないから不機嫌になる。不機嫌な態度をみて、こっちも不機嫌になる。子供の相手ができない。あんたがこれやってあれやって。お前が言うことなんかきくかということになり、そうすると三人が不幸になる。

● そうなんでしょうね。家事、育児にはいろんな仕事がある。それを奥さんのほうに任せっきりにしたい気持ちもある。おれは仕事で一生懸命で疲れて、なんでこんなことまでと思うんだけど、奥さんも朝も夜も一日全部が仕事の連続ですから、その中で、どういうふうに家事を分担しあうか、シェアリングしあうかいうことがとっても大事なことだと思うんです。

 そういうことに気づいて、ひとつずつ協力していく。いや、これは、協力じゃないんですね。協力とか、支援とか言うからおかしくなる。一緒にやっているんだと。その気持ちが必要なんじゃないでしょうか。だから家に帰ってらアウェイだ、敵だとか。外にいたら、味方がいるとか、そういう話じゃない。それは勝手な評論家の言い分なんです。

 そうじゃなくて、具体的に毎日の生活をしていればいろんなことがあるわけです。その中で家事や育児などの家の仕事をを分担しあう。これはあなたが、これは私がといった話し合いはなさいましたか?

友田(夫) これはあなたが、これは自分が、みたいなものはないかな。

友田(妻) ないですね。基本的には、料理を作ったりするのが私で、洗っりするのが彼。

● 要するに、自然体なわけですね。一緒に生活なさっていて、たとえば、その時の様子で、今は洗濯ものを干すのをご主人がやったり。料理は奥さんがやったり、だけどその間もご主人は何もしていないわけじゃないですよね、ぐたっと寝室で寝転んでるわけじゃない。

友田(夫) それはないですよ。

● ということは、ひとつの生活だと思うんです。そういった子育てに対してどう関わるかというのは、はっきり言って人の知っちゃことじゃない。要するに、自分たちの生活の仕方だと思うのです。確かに、ご主人の仕事が忙しってこともあるんでしょうが、ご主人が、育児に関わりきれないってどういうことに原因があると思いますか?

友田(夫) まあ突き詰めていってしまうと夫婦仲なのかなあと。夫婦仲が良い悪いところが一番の根本にあるかなあと思うんです。他は全部言い訳ができるレベルかなあと。仕事が忙しいとか、疲れているとか、言い訳は何とでも言える。

 たとえば、奥さんが亭主には家事は一切やらせたくない人もいると思うんですよ。そういう家庭だったら、そういう家庭でやっていけばいいわけですし、育児も家事も、バランス良くやっていきたい夫婦であれば、旦那は奥さんの意向を汲んであげるなり、話し合ってやるべきだし、そのへんですかね。夫婦仲がまず第一です。

● それとやっぱりご主人が育児のこと、奥さんがやっていることを良く理解することと、奥さんがやっぱり旦那さんの仕事の内容を理解しているかというのもあるんじゃないですか。

友田(夫) そうですね、そのへんも、まるっきり見てもらってないと、やっぱりこっちとしても一方通行に感じてしまったら、また悪い流れになってしまう。

● 奥さんは前にお勤めだったんでしょ?

友田(妻)そうです。

● ご主人の仕事の内容はだいたいわかりますか?

友田(妻) 仕事の内容は、よくいろいろ話し合います。

● 仕事の内容を話すのも、広く言えば育児のひとつなのかもしれませんね。

友田(妻) そうですね。彼にしてみたら。家に帰って仕事でどんなことがあったとか、どういった問題を抱えているとか、いろいろ話してリラックスできると思うんです。それも夫婦仲という面では大事だなあと思いますし、子育てにも影響してきますしね。

● もちろんベラベラとなんでもかんでもでなくて、必要な分だけ、ご主人から奥さんの方に話すれば、理解が生まれますね。また、ご主人は毎日の奥さんの生活、子どもとの生活を見て、聞いていれば、ああ育児ってこういうものか、また、家事ってこういうものかとわかってくると思います。

 たしかに、今まで一人だった生活が二人になって、三人になってくれば、生活が変わって当然なんですね。当然の中で、どう順応していくかってことでしょうか。さっき、ご主人がおっしゃたように、ある家庭ではご主人には何もさせないでいいんだって人もいますし、あるとこでは、なんでもかんでもやってほしいという人もいるでしょう。それは家庭のキャラクターだと思うんです。それは、よその人がどうこう言えないものですね。

友田(夫) どの家庭も違いますからね。百組あれば百組違う夫婦なんでしょうから。

● さっきおっしゃたように一番基本なのは、ご主人と奥さんが、どううまく理解し合っているかということなんでしょうか。その基本にあるのは愛情であり、いままでの過去の歴史かもしれません。

 もしいま、父親の子育て参加、協働作業を阻害するものがあるとすればどういったものですか?一緒に共同作業できないものがあるとすればどういうことだと思いますか?

友田(夫) ……。

● やっぱり時間が足りないってことでしょうか?

友田(夫) そうですね。そこから、それが基本にあって、なんでしょうけど、とってつけたことがじゃましてくるんだろうなあと思うんですけど。何でしょうね

● 結局、子育てって、子どもをどう育てていくかというのはもちろんなんだけど、家庭をどう運営していくかということにかかってくるのかな?

友田(夫) そうですよね。子育てということだけに焦点を当ててしまうと、子ども、子どもとなってしまいます。けれども、二人の家族が三人の家族になったところでこうやっていこうと。チームの一員が増えたという感覚の方がうまくいくのかなと思います。子ども、子どもと焦点を当てていくと、夫婦間ではお互いに何を考えているかわからない。子どもを通してしか話ができないとか、そういうふうになりがちになる。振り返って、自分の親の世代なんかをみると。あんまり母親としか話さなかったなとかあるし、時代もありますが、親父は黙って座ってるみたいな時代だったでないですか。

● たしかに、その頃と時代も変わってるわけですし、まして核家族化が進んで、誰にも相談する相手も近くにいないとか、そういったこともありましょうしね。奥さんもそのへんのところも不安はありますか?たとえば、実家に帰って出産後の二か月。その時は楽だったでしょ。

友田(妻) そうですね、食事とかも作ってもらえましたし。

● その間、ご主人は一人で生活なさっていたんでしょ。

友田(夫) そうです。一人だと自分のものだけだと、気楽な面もあったんですけど。

● そういったところから帰ってきて、二人の生活から、三人の生活になって、新しい家庭運営が始まった。やっぱりどうしても前の生活をひきづりますよね。急に変われませんよ。ご主人としても、おれは何をすればいいんだよという気にもなります。

友田(夫) 結婚して七年して。子供ができたです。結構、時間があった。結婚前も十年ぐらいの付き合いの期間があった。極端ですけど十七年間二人だったんです。お互い二人でいるのがあたり前で、急に、この子があらわれたというか。そうなった時に、もうずっと体にしみついたものが急には変えられなかったですね。やっぱり最初は。彼女はもう生んだ瞬間からみるみる変わっていった。自分には長いこと染みついたものがある。

● そういった突然沸いたような新しい家族のための、とまどいは当然だと思います。結局、その家庭生活をご家族三人で楽しむことなんでしょうね。楽しめるようにするにはどうするかを、父親の子育てだと思うのです。ただ単に、ご主人だけが、奥さんだけがカリカリするのではなく、ごくごく当たり前に話なのですが、それをどういうふうに実践していくかということが大変なことなんでしょうね。

 たとえば、いろんなことをお二人でされていて、家庭を運営していく。築いていくその中で、やはり、他の同じような家族に共通することってあるのでしょうか?たとえば、読み聞かせが上手なお父さんもいれば、奥さんもいるし、また、そんなの嫌だ、それよりおれは体を動かした方がいいやという家庭だってあると思うんです。だけど、どこかで子のため読み聞かせもやりたいなという時に、そういった二つの家庭が合流したら面白いことになるのではないでしょうか。

友田(夫) そういうサークルみたいのですか。そういうのがあったらこころ強いかな。

● このまちには、父親たちの会はあんまりないようですね。もう少し子どもが大きくなると、おじいさん会的なお父さんの会があります。だけども若い父親の会というのはない。でもそういった会もあってもいいかなと気がするんですよ。

友田(夫)  そうですね。講師のところに、ファザーリングの会というのがあるとか…。

● そういうのがあったら参加してみたいですか?

友田(夫) そうですね。なんとも照れくさいというか。気持ちはありますけど。女性はすぐにグループができるけど、男同士ってなかなかできにくいのでは…。腹を割っちゃえばすぐなんですけど、なかなか近付けないですね。公園とかに連れて行っても、他のお父さんとかいるんですけど、まあ話かけないですよね。

● 女性は集まると、すぐに右と左で話ができますが、男性だけだといつまでもシーンとしている。男のシャイな部分がありますね。母親たちは子育ての会とか、よく参加していますが、父親たちが子供連れで行ける会があると良いですね。

友田(夫) 理想としては「あり」だとは思いますが。現実的には、今自分が言ったように、ちょっと参加を躊躇する人が多いかなと思います。なんとなく恥ずかしいとか、照れくさいというか…。

● あるのかな。たとえば子育てに父親がかかわるなんていうのは、男のこけんに関わる的な、昔からの伝えられていることがあるのでしょうか。

友田(夫) やっぱり、まだまだそういう考えの人が多いと思います。

● 職場に行って、子どもの話をすることはありますか?

友田(夫) まれに。小さい子供がいる同僚とかとは話をします。

● 女性は、会えばすぐ子供の話になりますね。父親の世界では、他の人に対してもあまり話さない。要するに、子どもと一緒に遊ぶこと、暮らすことは決して恥ずかしいことでもなんでもないんだと。当たり前で、楽しいことなんだと。どうみんなで共有するかってことも必要なんでしょうね。子育てをあまりせまく考えずに、広く考えれば必要なのかもしれません。

友田(夫) そうですね。これをやってないから駄目だとか、そうなってくると本当にきりがない。まあ家族みんなが楽しんでいるのが一番いい。それで。あとは全部ついてくるかのな。

 自分の子どものころを、子どもが生まれてからよく振り返るんです。うちの両親二人が楽しそうに笑ってたりしていた。本当に楽しそうだったなと記憶があるのです。親父が不機嫌だと。顔も見たくないし。近くに寄らないようにしようとか。空気がわるくなりますよね。だからそれを反面教師にしながら。最近は、うちの親ともそういったことも話しますが、やっぱりそういうところかなと。

木村〈市民編集員〉ご兄弟は多いんですか?

友田(夫) 姉と妹です。女性に挟まれていました。

● 三人の生活なんですよね、要するに。何も、杓子定規に父親が育児参加がこうしなきゃならない、うちに帰ったらどうだこうだという一般論で片づけちゃだめなんでしょうね。

友田(夫) あんまり堅くすると、逆に拒絶する父親が多いと思います。

● まさしく自然体ですね。たとえば、あなた方(木村さん)の世代っていうか、私たちの世代なんだけど、子育てに関していろんな考え方が、今の人たちと違うと思うんだけど。そのへんの親の世代からみてどういうふうに感じますか?

友田(夫) なんとなく一言でかたづけてあれなんですけど。時代かな。自分の親の世代だと、なんかすごく忙しい時代で、戦争が終わった後で、働いて食べれることが幸せで、働いて働いて、とにかく外で稼いでいた。母親はその分、家を守っていてくれっていうので、ああいうスタイルになったと。

 そこはもうそういう時代。日本がそういう時代になってしまったんで、それがダメだったとは、自分は全然思わない。自分もその親に育てられたのだし、ただ安定した時代に入った今だから、こういう発想がすごくでてくるのかなと。その余裕というのですかね、うちの親が自分の年だった時に比べれば、ゆとりができてきてるのかなと、その違いかなと思います。

● 今この時代をどのように認識していますか?

友田(夫) 育児なり、家庭なりからみてですか?そうですね、家族というか欧米化し始めている。良い意味でなんですけど。みなさん家庭を、プライベートを大事にするっていうとことに、だんだん目覚めてきている。

 つい最近まで、仕事が第一。バブルのころもそうですし、仕事が楽しいワークホリックといわれる日本人がいた時代もあった。その世代の人たちが、だんだん定年になっていって。何でしょうね、ゆとりのあった世代の人たち、自分たちが会社の中心になっていって、ようやく家庭を顧みるゆとりがでてきたのかなと。

 むしろ、そっちの方がかっこいい感じに見え始めている。会社も仕事ばっかりしている人、だらだらと残業ばかりしている人というのが、前はそれぐらいやって当たり前だった。いまは。もう帰っちゃうのか、もう仕事あがれるのか、余裕だなあという時代から、おまえまだ帰れないのかよ、仕事の能力がないんじゃないか、と悪い方に言われる。処理能力が足りない人が、遅くまで仕事している時代になった。早く仕事を切り上げて、早くプライベートで家族との時間を大切にする。そういう時代に、ちょっと近付いてきたのかなあと。

● そういう時代の家庭の中での、協働というか、コラボレーションというのか、あなたはこれ、私はこれという話ではなく、一緒に何気なく気がつく仕事の分担なんでしょうね。変な言い方をすれば、父親の育児参画とか協力、支援なんていうのは言ってみればおかしいことかもしれない。

友田(夫) あえてそんなタイトルをつける話じゃないですけれどね。

● 支援なんて、一緒にやっていくもので、コラボレーションですね。新しい時代を創っていくのが、それが現代なんですね。それが若いパパたちの生き方であり、若いパパたちの育児参加の仕方を、古い世代の人たちに、あれこれと言われたくないのかもしれない。

 同世代の若い父親たちに言いたいことはありますか?

友田(夫) 講座で、講師も言っていたのですが、。家族の最小単位が夫婦なので、夫婦が仲良くできればすべてがうまくいくというのがあるかなと思います。極端すぎるかもしれませんが、夫婦が仲良いいと子供をほっておいても、いい子に育つだろうなと気がする。夫婦仲が悪ければどれだけ教え込もうと、どれだけ良い教育を受けさせようが、ひねくれた子になる。だからそこしかないかなと。

友田(妻) 夫婦が良くなるには、主人からの助けもあって満足できるわけで、やっぱり子育てに参加してくれないと不満がたまっちゃいますよね。それがあるからうまくいくし、子どもへの影響も良くなっている気がします。

友田(夫) 手伝わないと不機嫌になる。それをみて頭にくるし。ずっと喧嘩をしてしまって…。

● 子育てに参加するのではなく、一緒に子育てするんですね。
  終わりに、社会とか行政とかに、何かいうことありますか?

友田(妻) こういう講座はすごく良いので、またやってほしいです。私も、いろんなサークルとかに入っていますが、育児に悩んだりとかしてい人もいるので…。やっぱり父親もそういう気持ちが変われる良い講座だったので、他の方にもぜひ聞いていただきたいなと思いました。

 男の人からこういのうに参加しようという、土日がお休みの日でないと。なかなか出られないと思うので、多分、ママの方が申し込んだ方が多かったと思います。今回も、そんな方たちが何人かいらっしゃったみたいです。

友田(夫) 夫婦で参加しないと、意味がないですね。奥さんばっかり知識が広がって、旦那が理解してないのではね。

● 今日は、どうもありがとうございました。                                                   
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林田は読み返して、かなり強引に、自説を押し込もうとして、対象を誘導している点が目につく。自分のキャラが立ちすぎたと思う。しかし、これが林田のやり方であり、四十数年かけて培ったスキルだと自負している。これが林田にとって、ボランティアとして提供する「奉仕」の内容なのだ。

 取材対象たちも、彼らの考えの整理もつけられた話し合いではなかったか。やってきたことを整理して、ひとつの道筋をつけたり、 潜在した思いを引き出して、光を当てること。そして、それらをひとつのスタンダード化して、汎用性のあるノウハウを見つける。このやり方が、マーケティングの世界だけではなく、広報の編集にも適っていると思っていた。

 問題は、1万2千字にもなるテープ起こしの文字データを、どのように削って、4千字以内に納めるかだ。3分の2を棄てることになる。何よりも、品格を備え、メッセージ力のある広報としての配慮が必要であり、個人的には気にはなったが、件の市民講座を批評せずに、次回の参加をも呼びかけなければならない。もちろん。父親の子育ての方法についての主張も、取材者の声として伝えたい。これからが、推敲を重ねる仕上げ作業であり。相当な時間を要する林田の仕事である。


第五章 推敲提案稿

 林田にとって、インタビューも結構、楽しめるが、テープ起こしをした原稿を推敲していくことも楽しい仕事ではあった。テープ起こしといっても、公式な議事録とは違い、話したままを文章化したものではない。担当した森山の市職員としての節度と規制とセンスで、ひとつの作品になっていてそれなりに読める。しかし、この広報メディアの演し物としては、ちょっと長すぎる。これを戯曲のような起承転結の読み物として練り上げる必要がある。シナリオライターのスキルが求められる。

 原稿として提出するまでに、三回ほど書き直しをした。書き直すといっても、いまはパソコンのワープロが使えるので、かつて原稿用紙に手書きしていた頃に較らべれば、ずいぶん楽になった。それでも、一回の推敲に、根を詰めての5〜6時間は費やす。市民向けの公報として、また、文章の持つ「こわさ」を意識しながらの作業であり、それなりに気疲れがする。何とか、四千字低度に仕上げて、提案稿として提出した。

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友田さん夫妻と楽しい子育てを考える
父親は「子育て支援」ではなく
「子育ての恊働」をすること

まず、夫と妻の生活のOSのズレを知る

♥ お二人は、男性の子育て支援という講座に参加されました。その時に思ったこと、その後のことなど、父親の育児ということなどいろいろお話を伺います。

妻 講座の募集では、父親対象ということだったのですが、始めての子で不安もあり、私自身も話を聞きたいと。子どもの託児をお願いして二人で参加しました。

夫 せっかくの休みの日なのにと思ったのですが、話しを聞いてよかった。きれいごとを並べる講座ではなく、押し付けでもない。夫婦で聞かないと意味のないような話でした。

 講師は子どもができたらパソコンでいう基本ソフト、OSが変わるという話しをされた。母親は子どもを生むと、最新版にバージョンアップされ、どんどん成長していく。一方。父親は古いまま。母親にしてみればそんな父親が頼りなくなってくる。恋人同士の感覚というか、父親モードになりきれない。自分のことだなと思いました。

妻 出産して二か月近く実家にいて、育児もいろいろ慣れました。その後に自宅の彼のところへ戻ったのですが、私のほうはOSが切り替わっているんです。実家にいる期間を短くすれば良かったという気もしました。戻ったあとも、夫が早く帰ってこられるなら、子どもに接する時間が増え、一緒に成長することができたという思いもありました。

♥ 育児はミルクを飲ませたり、おしめを取り替えるだけではなく、一緒に生活することなんでしょうね。広く言えば。夫が会社に行って働くのも育児なんですね。育児をどのように捉えていくのか、夫だっておしめを替えなきゃだめ、お風呂に入れなきゃだめという育児もあるけど、黙って見守ってあげるのも育児なのかもしれません。

夫 そうですね、実際。洗い物をするとか。洗濯物をたたむとか。まず、できるところからしかできない。妻は専業なので、子どもに接する時間は圧倒的に多い。夫と妻が、五分五分で行こうといっても無理な話です。うちの子はまだ1歳半で、彼女は付きっ切りで、目を離せない。いくら可愛くてもストレスになると思う。それを軽減してあげればいいのかと。

♥ それぞれの家庭のあり方だと思うのです。夫が夜中の11時過ぎに帰えらざるえないのもひとつの事情でしょうし、それは妻も十分に分かっていることですしね。そうしないと家庭そのものが成立しなくなっちゃうおそれがある。

夫 講座では、家庭のために時間を調整して定時にあがるようにと話された。しかし、現実は。なかなかそうはいきません。会社が毎日定時で終わってしまうと、会社は大丈夫かなと思ったり、リストラなどで、席がなくなっちゃうのではないかとか、残業代が入ってこないので大丈夫かなとか。

家族には家族なりの子育てのし方がある

♥ ひとつの家庭という世界を夫婦で、また家族でどのように守っていくか、その中で家での仕事をどう分担していくかということでしょうか。家事の手伝いをしたり、何かするのも、家族の一員であるる夫の義務だと思うんです。どのように家庭生活を設計、運営していくか。一般的に、こうでなければならないというのはありえない。

夫 そうですね。読み聞かせとか、一緒にスポーツをしましょうと言っても、できない人もいますよ。それぞれの好みもあります。

妻 結婚後もずっと働いていたので、土日は二人でのんびりしていました。子どもができたことで、もう土日も休みがない状態。切羽詰ってイライラすることもありました。夫は休みの日はゆっくりしたいという気があったようです。私は7日間、ずっと働かなきゃいけないのにと。講座で愛情を持って育てることで、子どもが素直に成長してくれると聞き、彼も愛情を持って遊んでくれるようになってきたと思います。

 前は、私が言うから、しようがなく、おしめを変え、絵本を読んでも、義務的にやっていた気がするんです。講座に出た後、息子のことを考えて、楽しんで育児をするようになってくれました。

夫 初めての子なので。お互いに子育て方を知らない。講座に出てから、自分も生活のリズムが変わったようです。こんな機会がなかったら、二人でストレスを抱えている状態が結構続いたかなと思います。前は、何度かぶつかって、喧嘩の中で、離婚の話まで出ました。そのとき、ちょっと冷静になろうと、どうして結婚したんだっけぐらいに遡った。でも、やっぱり妻のことは好きなわけで、愛し合って結婚したわけです。彼女がストレスを抱えないで楽しく生活ができるために、また、自分のためにも、理解し、協力しあうことが、一番幸せだなと。きれい事でなく思えました。

 改めて初心に帰って、育児や家事の分担、彼女の負担を減らすことで、親子3人、みんな笑顔になれるなとわかった。どちらかが負担を抱えていると、負の連鎖で、子供にも影響が出て、3人とも不幸になっていく。どこかでギアを切り替え、サイクルをいいほうに回していく。逆に回りだすと、負の連鎖で、手伝わないから不機嫌になる。不機嫌な態度をみて、こっちも不機嫌になり、子供の相手ができない。あれやってといわれても、お前が言うことなんかきくかということになり、そうすると3人が不幸になる。

♥ 育児や家事の分担の話し合いはなさいましたか?

妻 家事では、基本的に料理を作ったりするのが私で、洗っりするのが彼。自然体です。

♥ 夫と妻が、子育てに対して、どう関わるかというのは、はっきり言って他人の知ったことではない。要するに、自分たちの生活の仕方なんですね。
夫婦仲が良いと子育てもうまくいく

夫 突き詰めていってしまうと、夫婦仲なのかな。根本に夫婦仲が良い、悪いがある。たとえば、夫には家事は一切やらせたくない奥さんもいると思う。そんな家庭だったら、そうやってけばいいわけです。バランス良くやっていきたい夫婦であれば、奥さんの意向をくんであげるなり、話し合ってやる。要は夫婦仲ではないでしょうか。

♥ 夫が育児のこと、妻がやっていることを良く理解することと、妻も夫の仕事の内容を理解しているかというのもある。

夫 そうですね、お互いに理解していないと。一方通行に感じてしまったら、また悪い流れになってしまう。

妻 うちでは、仕事の内容は、いろいろ話し合います。彼にしたら、家に帰って仕事でどんなことがあったとか、どういった問題を抱えているとか、いろいろ話してリラックスできると思うのです。それも夫婦仲という面では大事だと思いますし、子育てにも影響してきますしね

♥ もちろん、必要な分だけ夫から妻の方に話せば、理解が生まれますね。また、夫は毎日の妻の生活、子供との生活を見ていれば、育児って、家事ってこういうものかと、わかってくる。一番大切なのは、どううまく理解し合っているかということなんでしょうね、その基本にあるのは愛情であり、いままでの過去の歴史かもしれませんね。

夫 子育てということだけに焦点を当ててしまうと、子ども、子どもとなってしまいます。子どもだけに焦点を当てていくと、夫婦間ではお互いに何を考えているかわからない。子供を通してしか話ができないとか、そういうふうになりがちですね。

 結婚して七年して子どもができた。結婚前も十年ぐらいの付き合いの期間がありました。十七年間二人だったんです。二人でいるのがあたり前で、ずっと体にしみついたものが、この子があらわれても、急には変えられなかったですよ。

♥ その家庭生活を家族三人で楽しむことなんでしょうね。楽しめるようにするにはどうするかが、子育てだと思うのです。ごく当たり前に、それをどういうふうに実践していくかということが大変なことなんですね。

夫 自分の子供のころを振り返るんです。うちの両親は楽しそうに笑っていた。本当に楽しそうだったなという記憶があるんです。親父が不機嫌だと、子どもとしては、顔も見たくないし、近くに寄らないとか、空気がわるくなります。

 時代のせいもあります。親の世代だと、すごく忙しい時代で、戦争が終わった後で、働いて食べられることが幸せで、働いて働いてと。母親はその分、家を守ってという家庭のスタイルになった。

仕事の価値観が変わってきた時代

♥ 今のこの時代をどのように認識していますか。

夫 欧米化し始めている。良い意味でですけど、家庭やプライベートを大事にするっていうとことに目覚めてきている。つい最近まで仕事が第一。バブルのころもそうですし、ワークホリックといわれる日本人がいた時代もあった。その世代の人たちが定年になって、ゆとりの世代の人、自分たちが会社の中心になっていって、ようやく家庭を顧みるゆとりができあがってきました。

 この方が、かっこいい感じに見え始めている。会社も仕事ばっかりしている人。だらだらと残業ばかりしている人。前はそれぐらいやって当たり前だった。もう帰っちゃうのか、もう仕事あがれるのか、余裕だなあという時代から、まだ帰れないのかよ、仕事の能力がないんじゃないかと、悪い方に言われるようになった。処理能力が足りない人が遅くまで仕事している時代。早く仕事を切り上げて、早くプライベートで家族との時間を大切にするという時代になってきたのかなあと。

 家族の最小単位が夫婦なので、夫婦が仲良くできればすべてがうまくいくのではないか。極端かもしれませんが、夫婦仲が良いいと、子供をほっておいてもいい子に育つだろうなという気がします。夫婦仲が悪ければ、どれだけ教え込もうと、どれだけ良い教育を受けさせようが、ひねくれた子になる。

♥ 子育てに参加するのではなく一緒に子育てするんですよ。行政とかに希望することがありますか?

妻 父親の気持ちが変わる良い講座だったので、これからも夫婦で参加できる講座などをやってほしい。他の方もぜひ聞いていただきたいですね。
夫 夫婦で行かないと意味がないですね。妻ばっかり知識が広がっては、夫がおいていかれる。

♥ 今日はどうもありがとうございました。         〈H・K〉   

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 林田は、この原稿を舞台やドラマの会話劇風にしたいと思っていた。行政を代表する役割の司会の林田と、こうあってほしいと願う市民のモデルである友田夫妻の三人が、この時代の子育てについて話し合う劇。市からの男女協同参画社会推進のメッセージを伝えたい。淡々とこうありたいと伝えるのではなく、三人の個性を出しながら、感動的なものにしたいと。書きながら、このドラマの演出をイメージしていた。それはかつて、舞台やドラマのライターだった林田の願いであった。

 この表現を許すのも、行政の人間尊重の姿勢かもしれないと思う。ひとを動かすのは感情が主体であり、そのためには、ドラマ仕立てが向いている。行政にあっても、そんな要素があってもいいのではないか。ひとつの舞台劇のつもりであった。つまり、リボーターとしての個性の発露がしたい。そのために、作者としての顔を出してもいいのではないか。ボランティア活動のささやかな報酬を求めてもいいのではないか。

 第六章 ファィナル決定稿

 林田の提案稿により、ゲラ刷りがあがってきた。協同参画推進課の篠田課長他課員全員と、編集員内でのチェックが行われる。課内のチェックは森山の手配で、ゲラ初校と出稿前の最終校の二回行われるらしい。編集員の校正は、ゲラをPDFデータかFAXで配布され、各自校正した後に、編集会議で全員の合議で行うという段取りである。ここで、字数をさらに削らなければならないこともある。

 編集員の編集会議が行われる。この段になって、遅刻してではあるが、子連れの山本や近藤も加わった。校正と表現についての検討である。取材にも参加せず、あらかたの結果が出てから言いたいことを言う。林田にとって、我慢のならない課程で、いいたいことがあるなら、自分でやってみろといいたい。ここまで仕上げた作品でもあるものを、俎上にあげられ、あれこれいわれるのは我慢のならないことだった。かつて、林田はクライアントの担当者の前で体験したことはある。しかし、それは「商品」としての検査であり、それには堪えられた。

 かねてから林田は、物言う市民には、三つのCのステップがあるといってきた。「苦情者〈クレーマー・claimer〉」、「批評者〈クリテック・critic〉」、「創造者〈クリエィター・creator〉」で、これら三つ全てのC者を協働者、コラボレーターといえないことはない。しかし、行政との協働者の資質は、ひとつの専門性を持ったクリエィターでなければならないとしてきた。

 できたものに対しての批評は、比較的に容易だ。林田は、創り上げてきたプロセスも、その意図も知らず、ただ結果に口を出すだけの編集員は、本来の編集者とは別の唾棄すべき存在だと断じている。それを許し、市民参加とする行政の体質なら、自ら身を引こうと思う。

 林田にとって、時間と知力を傾けて仕上げた原稿を、わけも知らず、その能力もないような人たちに、批評されるなら、いたたまれない。会議での校正という全員作業から降りることにした。これほどに自尊心が傷つくなら、山野澄子のように、ボランティアの市民編集員をもやめようと思う。

 ゲラはさらに取材対象者の友田夫妻にチェックしてもらい、発行にこぎ着けた。ただ、キャラが立ちすぎた司会の存在を薄め、記事は編集員全員で創ったものだからと、文責として最後に記載したイニシアルは切られてしまった。

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パパも育児を楽しもう!
ワーク・ライフ・バランスの取り組みは、
身近な家庭から始めてみませんか?

 近年、育時期における男性の家事・育児へのかかわりについて、社会全体の関心が高まっています。今号では、今年○月○○日に行われた男性の育児参加へのきっかけづくりの講座「大好き!パパの読み聞かせ〜ファザーリングのすすめ」に参加された友田さんご夫婦に、自分流の生活や育児についてのお話を伺いました。

講座概要
「大好き! パパの読み聞かせ
~ファザーリングのすすめ~」
 
 ファザーリング(fatherring)とは父親であることを楽しもうという考え方。長時間労働を強いる会社と、子育てに参加して欲しいと願う妻のプレッシャーに挟まれ、「ワーク・ライフ・バランス」に苦しんでいる父親たちの現状をどうとたら変えられるのか。夫の育児参画が子どもにとってどんなに大切か。里帰り出産の弊害とパートナーシップの在り方。パパスイッチの入れ方など。子育て家族が笑って生きていくために。何をしていくかを伝えていただきました。

友田さんご夫妻と楽しい子育てを考える
父親は「子育ての支援」ではなく
「子育ての共同」をすること

まず、夫と妻の生活のOSのズレを知る

妻 講座の募集では、父親対象ということだったのですが、初めての子どもで不安もあり、私自身も話を聞きたいと。子どもの託児をお願いして二人で参加させてもらいました。

夫 せっかくの休みの日なのにと思ったのですが、話を聞いてよかった。きれいごとを並べるだけの講座ではなく、押し付けでもない。私たちの場合、夫婦で聞いて良かったと思える内容でした。

 講師は、子どもができたらパソコンでいうOS(オペレーションシステム)が変わるという話をされた。妻は妊娠中から最新版にどんどんバージョンアップされ、母親として成長していく。一方、夫は古いまま。妻にしてみればそんな夫が頼りなくなってくる。夫は恋人同士の感覚というか、父親モードになりきれない。まるで自分のことだなと思いました。結婚して七年して子どもができた。結婚前も十年ぐらいの付き合いだったので十七年間二人だったんです。二人でいるのがあたり前で、この子が産まれても、急には変えられなかったんですよ。

 ところが彼女の方では最新バージョンを手に入れてますから、なんでそんな古いシステムでやってるのよ、ってことになるわけです。 よくギクシヤクしてました。このOSの話を聞くまで理解できなかった。

妻 出産してこカ月近く実家にいて、育児も少しづつ慣れてきました。その間に私の方はすっかりOSが切り替わっていたんですね。その後に自宅へ戻ったのですが、彼はもとのまま。そこがわからなくて、なんでできないんだろうとイライラしたりしました。でもこの話を伺って、彼に対しては自分も最初そうであったように、できなくて当然。やろうとしてくれる気持ちをくんであげなきゃ、と思うようになりました。

家族には家族なりの子育ての仕方がある

♣ 育児はミルクを飲ませたり、オムツを取り替えるだけではなく、一緒に生活することなんでしょうね。育児をどのように捉えていくのかが大切かもしれませんね。

夫 実際、洗い物をするとか、洗濯物をたたむとか、最近は休日の朝、散歩に連れていったり。まずできるところからしかできない。妻は専業なので、子どもに接する時間は圧倒的に多い。夫と妻が、五分五分で行こうといっても無理な話です。うちの子はまだ一歳半で、彼女は付きっきりで、目を離せない。いくら可愛くてもストレスになると思う。それを軽減してあげられればいいのかと。

♣ お仕事は帰りが遅くなったりしますか?

夫 波がありますが、遅いときは十時になったりします。講座では、家庭のために時間を調整して定時にあがるようにと話された。しかし、現実は、なかなかそうはいきません。会社が毎日定時で終わってしまうと、会社は大丈夫かなと思ったり、リストラなどで、席がなくなっちやうのではないかとか、残業代が入ってこないので大丈夫かなとか。

♣ それぞれの家庭のあり方ですね。夫が仕事で夜中近くに帰らざるをえないのもひとつの事情でしょうし、そうしないと家庭そのものが成立しなくなっちゃうおそれがある。

妻 結婚後もずっと働いていたので、土日は二人でのんびりしていました。子どもができたことで、もう土日も休みがない状態。夫は休みの日はゆっくりしたいという気持ちでいたようですが、私は七日間、ずっと働かなきやいけないのにと、不満に思うこともありました。

 愛情を持って育てることで、子どもが素直に成長してくれると聞いてから、彼も愛情を持って遊んでくれるようになってきたと思います。

 前は、私が言うから、仕方なくオムツを変え、絵本も義務的に読んでいた気がするんです。今は、息子のことを考えて。夫自身も楽しんで育児をするようになってくれました。

夫 初めての子なので、お互いに育て方を知らない。以前は二人でストレスを抱えている状態が結構続きましたね。何度かぶつかって、喧嘩の中で。離婚の詰まで出ました。そのとき。ちょっと冷静になろうと。

 どうして結婚したんだっけ、ぐらいに遡った。でも、やっぱり妻のことは好きなわけで、愛し合って結婚したわけです。攻めて初心に帰って、彼女がストレスを抱えないで楽しく生活ができるために、また自分のためにも、理解し協力しあうことが一番幸せだな。と思えました。

 どちらかが負担を抱えていると、負の連鎖が起こり。『なんで手伝わないの?』と不機嫌になる。その態度をみて、こっちも不機嫌になり、子どもの相手ができない。どこかでギアを切り替えて、サイクルをいい方に回していかないと、育児や家事の分担、彼女の負担を減らすことで、親子三人、みんな笑顔になれるなとわかりました。
夫婦仲が良いと子育てもうまくいく

♣ 一般的に父親が育児に関わりきれない原因はなんだと思いますか?

夫 突き詰めていってしまうと、夫婦仲なのかなと思います。根本に夫婦仲が良い、悪いがある。他は全部言い訳ができるレベルかなと思うんです。仕事が忙しいとか、疲れているとか、なんとでも言える。たとえば、夫には家事は一切やらせたくない妻もいると思う。そんな家庭だったらそうやっていけばいいわけです。バランス良くやっていきたい夫婦であれば、妻の意向をくんであげるなり、話し合ってやる。要は夫婦仲ではないでしょうか。

妻 うちでは、育児のはかに彼の仕事の内容もいろいろ話し合います。彼にしたら、家に帰って仕事でどんなことがあったとか、どういった問題を抱えているとか、いろいろ話してリラックスできると思うのです。それも夫婦仲という面では大事だと思いますし、子育てにも影響してくるような気がします。

♣ 二人の話し合いから理解が生まれますね。その基本にあるのは愛情であり、いままでのお二人の歴史なんでしょうね。結局子育ては、子どもをどう育てていくかはもちろんですが、家庭をどう運営していくかにかかってくるのかもしれないですね。

夫 子育てということだけに焦点を当ててしまうより、二人だった家族が三人になったんだからこうやっていこう、チームの一員が増えた、という感覚の方がうまく行く気がします。

 子どもだけに焦点を当てていくと、夫婦間ではお互いに何を考えているかわからない。子どもを通してしか話ができないとか、そういうふうになりがちですね。

 それと、自分の子どものころを振り返るんです。両親が楽しそうに笑っていると子どもだった自分も本当に楽しかった記憶があるんです。親が不機嫌だと、子どもとしては、顔も見たくないし、近寄らないし、空気が悪くなります。家族みんなが楽しんでいるのが一番いい。夫婦仲が良ければ、あとは全部ついてくるという気がします。

♣ 親御さんの世代の子育てをどう感じますか?

夫 親の世代は忙しい時代で、働いて食べられる事が幸せで、父親はとにかく働いて働いて、外で稼いでくるから、母親は家を守ってくれ。っていうスタイル。そういう時代であって、それがダメだったとは全然思わないですね。自分もその親に育てられたのだし。ただ、自分たちは安定した時代に入ったから、子育てや家庭の運営の仕方について様々な発想が出てくるのだと思います。親の世代に比べたらゆとりがある、という違いかなと思います。

仕事の価値観が変わってきた時代

♣ 今のこの時代をどのように認識していますか。

夫 良い意味で欧米化し始めている。家庭やプライベートを大事にすることに目覚めてきているかなと思います。つい最近まで仕事が第一、ワーカホリックといわれる日本人がいた時代もあった。その世代の人たちが定年になって、我々のようなゆとりある社会で育った世代が会社の中心になっていって、ようやく家庭を顧みることができるようになってきました。

 むしろそっちの方が、かっこいい感じに見え始めている。会社も仕事ばっかりしている人、だらだらと残業ばかりしている人、前はそれぐらいやって当たり前だった。もう帰っちやうのか、定時で帰れるなんて余裕だなあという時代から、まだ帰れないのかよ、仕事の能力がないんじやないかと、悪い方に言われるようになった。処理能力が足りない人が遅くまで仕事している時代。早く仕事を切り上げて、プライべートで家族との時間を大切にするという時代になってきたのかなあと。

 家族の最小単位が夫婦なので、正しい方向で夫婦が仲良くできれば、子どもは自然にいい方向に育つだろうなという気がします。

♣ なにか行政に希望することがありますか?

妻 父親の気持ち、また私自身も変わる良い講座だったので、これからも夫婦で参加できる講座などをやってほしい。他の方もぜひ聞いていただきたい ですね。

夫 できるだけ夫婦で参加した方がいいですね。妻ばっかり知識が広がっては、夫はますます置いていかれる。

♣ 今日はどうもありがとうございました。

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 市の意向や市民編集員の参加による校正の結果、いくつかの直しがある。大きな変更箇所は司会のコメントの位置が変わり、大幅に削られたこと。よくなったと思われる箇所も少なくないが、まあ伝えたいことは伝えられたとは思う。内容は伝わるが、意図したドラマチックなリズムが失われた。ここの編集者は、作家ではなく「感動」を読めない人たちだと思う。

 全体の文章として格段によくなったかどうかは、個人の好みもあろう。林田としては、意に沿わないものでも、発行人が市にある以上、何も言えない。しかし、林田はボランティア、無償の奉仕者ではあるが、知恵の提供者、著作者ではないか。それが気になるのなら身を引けばいいだけの話だが……。

 「どう書くか」よりも「何を書くか」を大事にしてきた林田であるが、ここで書いた著作は国語の教科書でも、技術レポートでもない。一字一句国語の表現として正しいか、間違っているのかを厳しく吟味するより、伝えようとしたものが、読み手に快く伝わり、送り手の意図や目的に適うかどうかであろう。

 日本語の表現が変容しているいま、意味が伝わり、伝えたいことが伝わるなら、書き方は、書き手の個性によるものでよいと思う。それよりも、書ける内容を持っていることが問題。テーマを決め、主張したい内容により、材料を多く集め、書き手の主張したい方向で、塾考して、的確に、個性で表現すること。それがクリエィターであろう。それが林田の「専門性」であり、それをもって、行政との市民参加という協働をしたい願う。

 まちの行政が、理不尽な苦情者や、自分本位の幼い批評者の市民参加でもよしとするなら、それに対して林田としては何も言わない。そのまちの市民力の質を、静かに観させてもらうだけである。

                〈了〉   







2010/08/02 23:56:46|福生な人たち
23 第5回井戸ばた会議

第5回ボランティア・NPO井戸ばた会議開催

「子生(う)み・子育(そだ)て・子守(まも)り」を三つのステージで

 ふっさボランティア・市民活動センター(FVAC)主催の、第5回ボランティア・NPO井戸ばた会議が、平成二十二年六月十九日、「子育てを地域でささえあい」というテーマで開催されました。

 午前の部で、市内で活動している団体の活動やネットワークを発表。午後の部では、森田玲子助産師((社)日本助産師会南関東ブロック理事)の基調講演として、代々受け継いできた「子生み」の知恵が紹介されました。特に、福生で助産院を経営されている森田助産師による講演とディスカッションで、「子育て」をどのように捉えたらよいのか等のアドバイスをいただきました。

 大前提として「子生みは病気ではない」として、出産に向けての、現代にも通じるいろいろな先達の知恵や、出産のために助産院を選ぶ選択肢もあり、子育てでの、助産師や助産院の活用のしかたが紹介されました。

 核家族化が進む中、母親一人で悩まず、祖母や母親など先輩の知恵を借りることも大切であり、周りはそれを積極的に提供したら、という提案です。

福生市ならではの子育て支援策を活用しよう

 「子生み」は、母親と医療者が関わることですが、「子育て」や「子守り」は、家族だけではなく周辺の人たちも関われる行為です。これには行政も施設や支援策に力を入れ、その活動は市役所の窓口や広報、インターネットのホームページ等で紹介されています。

 福生市社会福祉協議会(社協)や市民ボランティア団体の支援活動も活発に行われています。特に、福生市保育団体連絡会では、育児に関してのあらゆる相談を受け、横断的に支援や助言をしてくれる、横串の支援制度で、周辺都市には類をみない福生市独自のシステムです。

 社協や市民ボランティア団体の支援活動も盛んです。この中に「子育てサロン」があります。地域により「サロン」「ひろば」など名称はいろいろですが、各地域を拠点に、住民が活動を通して、子育てを支援し、楽しみ、仲間づくりを行っています。



・子育てサロン ほっとひろば
 未就園児とその親、妊婦が対象。月2回、第1・第3月曜日10:30〜14:00。福 祉センター・保育室で開かれます。

・福生の子育て情報ネット ぶらんこ
 市のお母さんが作った子育て情報誌「ぶらんこ」がインターネットのホーム  ページになりました。「福生 子育て」で検索してください。

・おもちゃの図書館 チューリップ
 400点以上ものおもちゃの貸し出しや福祉センター・保育室でおもちゃ遊び ができます。毎月第2・4土曜日、10:30〜15:30。

・子育てサロン はとぽっぽ
 扶桑会館(消防署裏)で、毎月第2金曜日(8月休み)10:00〜12:00開催。経 験豊かなおじいちゃんやおばあちゃんもお待ちしています。

・支援の必要な子ども家族の会 こころーど
 第1土曜日、不定期に放課後活動、第2水曜日は親のみ。13:30〜16:00まで  水曜日は10:00〜12:00。福祉センター保育室て。

・わいわいキッチン
 料理し、食べる楽しさの中で、食の問題や健康、環境、コミュニケーションな ど勉強。月1回「わいわいランチの会」を開催しています。


 どの団体も、一緒に遊び、手伝ってくれるボランティアを募集しています。見学するだけでも大歓迎。詳細、また、他の団体などについては、FVACのホームページや電話で(042-552-2122)。

地域で子育てを支えあうために必要なこと

子育てで急に困ったり、悩んだりすることもあります。そんなときに頼りになるのが「ご近所力」です。どのようにして地域で支えあい、安心して楽しく子育てができるのか。パネルディスカッションが行われました。

 コーディネィターは、前福生公民館長の伊東静一さん、パネラーに、森田玲子さん(助産師)、岩崎百合子さん(福生市保育団体連絡会代表)、森田芳伸さん(子育てサロンほっとひろば白梅代表)、阿南貢さん(福生一中おやじの会副会長)を迎え、会場の参加者と共に、熱く話し合いが行われました。

岩崎さん:ご近所のおじさんやおばさんたちに「うるさい」と怒鳴られたり、あいさつをしないとこづかれたりもしました。叱ることが愛情によるものだったと、大人になって分かります。まず、気軽に声をかけあうことですね。

森田(芳)さん:始めは、ただ見ているだけでしたが、だんだん子どもた   ちに慣れてもらいました。今は一緒に遊んだり、また、手作りおやつで喜ばれ、待たれています。思い切って参加してみることです。

阿南さん:市内パトロールなどで、子どもたちと顔見知りになっています。参加するために、情報を集めてください。FVACのホームページ等で活動内容を知ってほしい。心許せる飲み仲間が増えますよ。

森田(玲)さん:私たちにとって、生まれだ後のケアも大切にしています。「もりっ子」という保育サークルがあり、伝えられている先輩の知恵などで応援しています。助産師の力をもっと活用してください。

伊東さん: 地域で子育てを支えるには、誰かが、何かをしてくれるのを待つだけではなく、地域の住民として、どんなことができるのかを見つけて、それを率先して実行することではないでしょうか。







2010/08/02 11:48:42|ドキュメント・ノベル
優しいボランティアたち
優しいボランティアたち


       一

 取材を終わろうとしたころ、石橋ゆいは、思い出しては少し興奮ぎみに言った。
「《福祉まつり》はね、趣味の会の発表会じゃないっていうのよ。障害とは何かを知って、このまちの福祉を、市民がどのように支えているのか、それを知ってもらう場でしょうが。準備や片づけは知らんぷり、目の不自由な人も来ているんですよ。会場をステージ衣装のまま走り回って、自分達が踊り終ったら、さっさと着替えて、ハイさようなら、はないわよ」

 林田賢一はF市の社会福祉協議会広報紙の市民編集担当委員として編集を手伝っている。ボランティアグループ「やさしさ」の代表の石橋から活動内容の取材のとき、頚いて開きながらも、ボランティアについて市民たちの間で捉え方に乖離があることにいまさらながら気になっていた。

 石橋ゆいたちグループの中心メンバーは六、七十代の女性で、市内の高齢者福祉施設での介助奉仕の他に、小学校の総合学習での車椅子体験学習などを手伝っている。二十年以上も福祉ボランティアを続けている彼女たちは、年一回の「福祉まつり」で、来場者を実際に車椅子に乗せ、その介助体験をしてもらう。また、アイマスクをつけて視覚障害を実感してもらうなどの体験コーナーを展開していた。

 「福祉とは、思いやり。思いやりとは、やさしさです。そして、優しさとは、思いやりと実行。行ってあげる、やってあげるのがボランティアだと思っている人もいるけど、私たちは、頼まれたからやるのではなく、障がい者が望んでいることを知って、やらせていただくという心で、責任をもって奉仕活動をしています」。

 彼女たちにとって、福祉ボランティアは「善意による括動」で、「金銭の報酬」を求めるものではない。手弁当は当り前で、相手が喜んでくれることを励みに活動していると。介護施設の運営に協力するのではなく、利用者のために行くという自負をもっていると熟っぽく話す。自分から話したくなるまで雑談をして、火がついたら後は思いのたけを話してもらう。いつもの取材の常套手段だ。

 ボランティア活動は、所詮、経済的にも、時間的にも余裕のある人たちの自己満足的な余暇活動ではないか。林田が広報紙編集の手伝いをやっているのは、無報酬のボランティア活動であるが、その実、彼自身の生活には経済的なゆとりはない。

 林田が、都心から離れた郊外の地方都市ともいえるこのF市のアパートに仕事部屋をつくり、一人で生括を始めて七年目に入った。妻の公子と息子、娘の家族は、F市から電車で一時間ばかり離れたT市に住んでいる。体よく仕事部屋と称してはいるが、何のことはない、急に業界に増え出したITビジネスに乗り切れない敗残者の隠れ家のようなもの。捲土重来との負け惜しみで、この街の近くで、森林関連の住宅建築の仕事をしている友人からの仕事をもらおうと目論んでやってはきたが、最近は、仕事は少なくなっている。

 そろそろ、都心に還って、前のようなマーケティング企画関連の仕事をしたいとは思ってはいるが、伝え聞こえてくる仕事環境はかつてとは大きく変わっている。いまは頼れる広告代理店の知己もなく、また、仕事を回してくれる友人もいなくなった。といってこの時代に、新たに仕事をつくるあても自信もない。

 何とかしなければならないと焦っている。もう家族四人、一緒に暮すことはないだろう。三十歳を超えた娘の愛子は絶対に親の面倒はみないと宣言して、近々、家を出て独立するという。三十五歳になった息子の真一にしても、ほとんど話し合うことがないという。公子には、真一の毎日の行動や交友関係は分らないらしいが、結婚でもするようなことになれば、いまのように一緒には暮らせまい。

 林田としても、この1DKのアパートにいつまで住めるか。高齢期になってからの体力の衰えを考えても、公子とどちらが看るのかは別にしても、いずれ介護が現実問題になる。老人ホームなどの施設に入る資力はなく、自宅での老々介護は覚悟で、そのためにも公子との同居は必須だろう。彼女は、いま勤めているパートの雇用契約が続く限り、仕事を続けるという。

 彼女には、緑も縁りもない、林田が勝手に選んだこの街だが、多分、持ち前の人見知りしない外交的な性格から、新しい環境にとけ込む様相を見せてはくれるだろうが、心底の思いは測りかねる。ただ、彼の自分本意な要請は、彼女にとって愉快ではないだろうことは確かだ。もっとも移転のための準備をすべて林田ができればのことで、いまはそんな新しい住いをつくるための蓄えもない。

 林田自身、いま、糖尿病の治療中にある。この街に来て、ひどくなった歯痛の治療をしてくれた歯科医師から、異常を指摘されて内科医院での診断をすすめられた。そこで立派な糖尿病であると診断されて、治療生活が始まった。この病気は合併症を引き起こす。まず、目にきて両目に障害が出て、あわや失明という状態になり、入院手術ということになった。

 困ったのは入院治療費。その日暮らしの身にとって大問題だった。行政の担当者や病院関係者のアドバイスや親身の支援があり、視覚障害者の認定をしてもらい、医療費の控除を受けた。手術により視力は極端ともいえるほどに衰えたが、失明だけは免れ、なんとか仕事を続けられる希望がつなげた。

 これが正直、掛け値なしにうれしかった。そんなことから、できることでの恩返しをしたいと考えた。体力的な仕事は無理だが、知恵の仕事はできるかもしれない。
エンジニアの実務のあと、二十代の半ばから広告業界で販売促進の制作、ディレタターとして、いろいろなメーカーの販売促進用具の企画やマーケティング関連の仕事をしてきた。いろいろな制作物やマニュアルづくりなどの経験から、PR誌等の編集の協力ができるのではないか。丁度、募集していた市の社会福祉協議会の広報協力員に応募して編集の手伝いを始めた。また、市の男女協働推進広報紙の編集の手伝いにも携わるようになった。四十数年もの経験からの仕事が重宝がられて、企画や取材、レポートを担当するうちに、いつか頼られる存在になっている。

 広報部の部長、ボランティア集団の元締めの「F市ボランティアネットワーク」、通称ボラネット主宰である町田知子の知己を得た。地元素封家の主婦で、所有しているマンションの一室を活動拠点として無償で提供している。彼女には、古くからの活動仲間、石橋ゆいや義妹の町田優子など大勢の仲間たちと一緒に活動している。

 いかにも人の良さそうな、郊外都市の集落の、世話好き小母さん風な、人なつこそうな容貌で、福祉ボランティア経験は三十数年にもおよぶ、まちの有名人である。二十数団体の福祉ボランティアグループの元締めで、市の福祉イベントの開催運営を仕切ったり、行政や市内福祉施設からのいろいろなボランティアの派遣要請に、傘下のグループの中から最適な人材を選んでは供出している。

 林田は広報紙の市民編集協力員として、市民をボランティアヘの参加を促すためのコーナーを担当することになった。彼にとっては、手慣れたキャンペーンやプロモーションのひとつともいえる仕事だが、使えるメディアはその広報紙だけ。書くのは本職ではないが、書けないことはない。ボランティアグループの紹介レポートとして、いままでに十数グループを取り上げてきた。

 紹介にあたっては、活動内容よりも福祉支援への思いや、やりがいを中心にまとめている。取材対象者との対話の中から、多くの人たちの共感が得られるだろうテーマを見つけて、それを中心にレポートをまとめるようにしている。林田が現役時代に培った、「モノ作り」ならぬ、「モノ売り」のコミュニケーションスキルを発揮していると自負している。

 たとえば、町田知子の義妹の町田優子が主宰している日本語学習を支援しているグループ「かけはし」がある。国際結婚をして市内に居住している外国人に、日本語や生活習慣を教え、いろいろな相談などを通じて生活の中でふれあっていくことを目的にしている。

 「生徒さんが、教室で習っている日本語と、若い人が職場で使っている言葉と違うって言うんです。そんな若い人の言葉を教えてと言われるんです。でも、それが日本語だと思われると心外なんです。私はそういう言葉を使いたくない。私には教えられないとはっきりと言います。できるかぎり美しい日本語、きちんとした日本語を教えてあげたいんです」

 「対等の立場で、個の人間として付き合えること。《ひとりひとりのあなた》に出会えてよかったと。いま、優しさだけではどうにもならないことが多いのですが、いろいろな国の人たちから、日本人てほんとに優しい、親切だ、ここに来てよかった、と思ってもらえればうれしい。お互いを信じる信頼感、それがたくさん広まればいいなと思います」

 「教室の共通語は英語ですが、流暢に話せなくても、片言の英語でも十分通じます。それよりも、正しい日本語を使えることが重要です。ただ、自分が習っている英語を試したいという人や、自分の勉強のためという人は、長続きしませんよと、お断りしています。責任を持ってできることが、このボランティアの第一の条件です」

 外国人と共に生き、地域福祉を共に創っていくために、外国人の抱えている生括課題に密着したボランティア活動として紹介した。ただ、この思いは、市民にどれほど届いたのだろう。編集担当の職員に質すが、あっさりと二三の問い合わせ反応だけだという。それでも大きな成果であるが、彼らのさらなるフォローがない。
目的を設定し、そのために力を尽くして実行し、結果を確認することは、一般企業の仕事の常識である。ボランティア活動においても欠かせないことだろう。ここでは、目的よりも手段を重視する傾向が強く、何のためにやっているのかを、どこかに置き忘れているようで気になる林田である。

 町田知子は、ボラネットの会長であるが、その傘下のボランティアグループ「お元気クラブ」の代表でもある。その活動は、いわばよろずお手伝い活動で、林田は「コンビニボランティア」と呼んでいた。施設介護の支援から、いろいろなボランティアイベントの運営支援、他の地域にまで手を広げた災害支援などを行うグループである。

 町田知子がボランティア活動を始めたときに発足させた会で、緊急時の炊き出しなどのノウハウは天下一品である。たとえば、二時間後に二百人分のおにぎりとみそ汁がほしいと言う要請があれば、難なくその時間に間に合わせてしまう。また、急な催しなどで、前日に二十人ほどのスタッフが必要という依頼があっても、催しの内容に合せた適役の人たちを用意できる。

 あらかじめ想定している要件に必要な用具や器材、協力者のネットワークなどを用意してあり、たとえ、遠隔地の被災地支援などでもその実力を発揮している。要請する側にとっては、材料費程度の費用で事足りる便利な婦人実戦部隊で、この郊外都市には、いまだにかつての助け合い制度が残っているようだ。

 その「お元気クラブ」を紹介することになり、活動の拠点にしている、町田知子が無償で貸与しているマンションの一室で話しを聞くことになった。いつも通りの、お喋り好きの町田がまくしたてる雑談中心の話し合いが続いた。林田は、いつものように、相槌をうちながら、頭の中で要点をチェックしていく。

 彼女たちのグループでも、福祉ボランティアとは、思いやりであり、やさしさであり、善意の奉仕活動で、金銭の報酬を求めない、という信念。この考えに沿わない活動は、ボランティアではないと断じている。三十数年前に、最初にボランティア塾で習ったことに固執し、ボランティア活動の金科玉条になっているようだ。

 彼女らと一般市民のボランティア活動の認識にズレがでているのかもしれない。ボランティアは無償の奉仕だと思い込んでいる人たちと、無償のサービスには馴染まないという人たちとの乖離が感じられる。手話や音訳、点字などの高度なスキルが要るものだけではなく、元手の掛った提供するサービスに経済的な価値を感じる人たち。学生時代からアルバイトやパートを経験し、会社生活では組織の一員として働いてきた人たちは、組織から拘束される時間は報酬が得られる仕事だと思い込んでいる。

 ボランティアは趣味でやる「好きなこと」であるが、他人の便宜のためにの活動なら報酬は当然の権利で、後ろめたい行為ではない。これはシステマチックに連携してチームプレイで行動することに慣れている人たちと、集団での仕事をほとんど体験することなく、自分の思うがままに生活してきた団塊世代以前の専業主婦たちの価値観の違いであるようだ。

 「ボランティア活動」と「福祉支援活動」は、本来、別のものであろう。ボランティア活動は、請われたり、命じられずに、自ら進んで活動する行為を指す。それが無償か有償かは別次元のことで、活動の志や意義を云々すべきではないのかもしれない。ボランティア活動は、無償から有償までいろいろである。有償になるケースの多くは、サービスの受け手からの、お礼の形として報償額が決まるもので、供給側からは請求書がつくりにくい仕事だ。

 ボランティア活動の中に、福祉支援活動があり、そのひとつに福祉施設に出向いての介助活動がある。ビジネスとして行われている福祉事業の中で行われるもので、市民ボランティアは、施設の顧客である利用者の日常生活支援として行われる。この場合の多くは無償である。施設事業者からの要請で実施する活動であるが、それが常態化しているうちに、いつか事業者側の役務人員計画に組み入れられることが多い。あくまでも、施設利用者とボランティアの人間的なつながりのもとに行われるべきのもので、福祉事業者への事業支援なら、当然報酬を求めてよいのだろうが、企業対個人ということで、ボランティア活動という美名のもとに捨て置かれることが多いようだ。

       二

 町田知子と同じ頃にボランティア活動を始めたグループには、共通した問題があった。会員の高齢化により、活動の後継者が育っていないというもの。三十年前、二十年前から同じようなメンバーで、このままでは高齢化が進み、やがて会の存続はおぼつかなくなる。何とかしたいとは考えてはいるが、次の世代の新しい賛同者がいない。確かに、七十歳代にもなれば、いま健康な彼女たちにも衰えがやってくる。やりたくてもできないことが確実になる。その時には、このまちのボランティア活動がどうなるかが心配だという。好きでやってきたのだから、本人たちは納得すれば気の済むことだろうが、地域社会にとっては不可欠な存在になっている。せっかく根づいた活動を無にするのは忍びがたいと、いつの間にか流れ者の傍観者ではいられなくなった林田は思う。

 高齢化により活動が難しくなるものに、移送運転サービスボランティア活動がある。歩行困難者の病院への通院や外出時の送迎として、車椅子専用車を運転し、介助しているグループである。このまちでは三十年もの実績があり、会長の山田祐司をはじめ、三十数名がメンバー登録している。多少の入れ替えがあるが、中心は二十年以上在籍のベテランドライバーである。近隣の自治体にも、ボランティアで移送サービスを提供しているグループもあるが、このまちの山田たちの活動の特徴は、無償のボラティアであることだ。

 「私たちドライバーは。行政からの委託業務として報酬を得ていると思っていた人もありました。いまでは無償のボランティアであることが知れわたり、敬いの目で見られられるようになって、メンバーはそれを誇りに思うようになっています」。

 このグループでも、メンバーの高齢化が進み、新しい力が求められている。「利用者が不安を感じたり、恐がらないように運転するのが一番です。ただ、高齢ドライバーだと知ると、それだけで不安がられることもあります」

 六十歳代という中心メンバーは、どうしても体力的に三、四十代の頃と同じというわけにはいかない。いかに移送運転ボランティアの基本理念や考え方、心遣いは変わらなくても、体力的に無理が出るという。個人差はあろうが、俊敏な動作や視力などに衰えがやってくる。いまのところ支障はないというが、早い時期での世代交代が必要だと、山田祐司たちリーダーは認識していた。

 「利用者は、戦後日本の繁栄をつくってくれた人たちです。感謝の心での恩返しとしてボランティアとして、淡々とやっています」。気負い過ぎないで、日常活動の一部として、やれるだけ長く続けたいと願っている。いまのところ、メンバーは男性だけだが、女性に協力してもらうのも解決策のひとつではないか。林田は、提案したりもしたが、あくまでも個人的な奉仕活動であり、組織的な活動までに発展しない。善意の個人の行為で終始しているようだ。

 現在のボランティア活動の多くは、その仕事内容において専門性が必要であるが、グループ全体的としての管理や運営がまだまだのようだ。民間企業の中で組織的な活動に慣れていたはずの人たちでも、システム化を進めるために一人では動きにくいようだ。どのグループにも、何のために、何を、どうするのかの規範が明文化されていない。マニュアルがなく、指導も人なりで方法が決まっていない。長く企業のマニュアルづくりに携わってきた林田にはその辺りも気になっている。活動のノウハウを個人のものとしないで、グループ全体の活動資源にすべきだと感じている。

 多少の体力の衰えがきても、また、活動の準備らしい準備なしでも、個人の経験の中でできる福祉ボランティア活動がある。それをしているのが介助ボランティアグループ「ふれあい」である。二十数年前、介護保険制度が始まる前から、高齢者の自宅や老人ホームなどの施設を訪問しての介助活動を続けてきた。「いろいろなこともありますが、続けることが私たちのボランティア活動としての価値です」という代表の二宮節子は、とうに七十を超えている、

 「活動内容はお年寄りのお宅を訪問してお話し相手になったり、施設では他に、歌ったり、クイズをやったり、簡単な介助のお手伝いをすることです。普通の主婦がしているようなことをするだけなんです。特別な技術は要りません」

 万一のトラブルを避けるためにも、必ず、行政や社協からの依頼で行い、会員二人一組が鉄則、単独行動はないという。

 「話すことを『ハイ、ハイ』と聞くのが仕事です。ちょっと、とんちんかんなお話しもありますし、行く度に同じことを聞くこともあります。でもニコニコ笑って聞いています。アドバイスをしてもいけない。良い聞き手であることがポイントなんです」

 対象の高齢者と同じ時代を生きてきたもの同士で、話しがしやすく、同感できるという利点がある。地味な活動だが、会員の多くはこの活動が、自分の性格や好みに合うと進んで実践しているという。表に出て、人前で活動するのは苦手だが、これならできると。

 「私たちの活動は、無理や辛抱をしなくてもできる《しごと》です。特別な技術も才能も経験も要りません。車椅子の扱い方など、ちょっとしたコツのいるものもありますが、すぐ覚えられます。二人一緒でのことですから、最初は慣れた人のやり方を見ていればよいのです」。

 それは、自分がやがて老いたときにしてほしいことを、いま、してあげる優しい《しごと》だという。普通の主婦が、社会に出て、身構えないですぐにできて、人に喜んでもらえる奉仕活動で、ある程度の高齢になってもできる。

 とはいっても、彼女らのボランティア活動は、内容は別にしてもその管理運営は三十数年前のやり方のままである。それはよくないとはいえないだろうが、その体制も新しい参加者を拒んでいる一因ではないか。時代に合った新しいやり方、考え方があってもいいのではないか。林田は彼女らと話すたびに話題にしていた。

 ボランティァ活動を、無償のサービスでなければなければならないとこだわることも、若い参入者を近づきにくくしているようだ。ボランティア活動が、持ち出し一辺倒の活動なら、やがて広がりをみせずに、ある層だけに固まって、やがて廃れてしまう。無償活動の弊害は、参加者が一部の裕福な篤志家だけの行為になって、経済的に余裕がない人を排除してしまうこともあるだろう。活動が禁断不問のものになって、他の意見を拒絶するようになりかねない。何びとからのクレームも許されない独断行為に陥ってしまうこともある。

 メンバーの労力や知恵を無償で提供しても、活動の中で不可欠な、用具や消耗資材、他者の労力は有料である。そのために、ボランティア活動の一部には、行政や社協から、わずかではあるが助成金が出ているわけで、全くの無償活動ではない。実費と称していくらかの費用を負担してもらうこともある。実際。ボランティア活動は個人の善意の行動の枠を超えたものが少なくない。これをあえて見ないで「恊働」という言葉で押し付けていないか。

 NPO法人の認可要件が、事業としての利益をあげない限り、提供サービスの有料化を認めているように、ボランティア活動であっても有償でもいいと林田は考えている。

 サービスの対価としての報酬は、一般ビジネスにあっては当然のことであり、ボランティア活動だからといって特別扱いはしなくてもよい。町田知子や石橋ゆいたちのように、ボランティア活動が、「思いやり、やさしさ」での、いわば人間愛の発露としての活動で、自分の可処分時間を行使する場合は、美しい無償の行為にすればよい。

 要は、対価が、ゼロ円、あるいは、マイナス円から無限大円まであるということ。市民恊働という「タダ働き」が、行政の都合のいい経費削減に利用されていないか。恊働の相手、行政の職員たちは当然のように、同じ活動をしていながら、相応の給与を得ているわけで、不公平感がつきまとう。ボランティアは、無償であるペきという神話から逃れることも必要だと林田は思う。

       三

 対象が、障がい者ではないが。このまちには、町田知子たちのグループ系列には属せず、独自に新しい動きをみせているいくつかのグループがある。そのひとつに、若い母親たちのボランティア活動がある。子育て中のリタイアOLの母親たちが、現役時代に駆使したパソコンを使いこなして、子育て情報を仲間に伝える活動を展開している。

 木村恵子が代表の「子育てプラネット」のグループで、幼児と一緒のボランティア括動を、気の合った仲間と、趣味として楽しみながら実践している。

 彼女らは、結婚して始めてこのまちで生活をはじめた人も多く、出産、子育ては心細いものがある。実家は遠く、現役の親にばかり頼ってはいられない。まちにはまだ親しい友人はいない。いたとしてもまだ独身だったり、子育ての経験がない人たちが多く、地元の主婦たちとの付き合いは敷き居は高い。特に、アパートやマンション住まいでは、隣近所との付き合いが薄い。

 ただ、そんな若い母親たちには、パソコンや携帯電話があった。市の公民館講座などで知り合った彼女たちは、同じような子育て中の若い母親たちに向けて、自分達の関心領域で収集加工した、地域の子育て情報を発信している。

 自宅で子の寝顔を見ながら、あるいは子ども連れで取材に走りまわる、といった、乳幼児を育てながらの、自分の可処分時間でのインテリジェンスなボランティア活動を展開している。インターネットのホームページを立ち上げ、印刷費用を広告費でまかなう子育て情報誌を、パソコンを活用したDTP(パソコンを利用したの電子編集システム)技術でつくった。「自分にとって必要な情報だから、同じ母親仲間にもきっと役立つ」というのが彼女たちの合い言葉であった。与えるだけの活動ではなく、自らも享受し、活動そのものを存分に楽しんでいた。

 彼女たちのように、このまちで行われているボランティア活動の中には、パソコンを活用したコミュニケーション活動がある。視覚障がい者や聴覚障がい者などへの支援として、点字や手話のボランティア活動も行われているが、ITを活用したコミュニケーション支援も台頭してきた。

 黒田信幸が代表の「ともしび」がそれにあたる。視覚障がい者へのコミュニケーション支援を、デジタル技術で解決しようとする活動で、これからますます増えるだろう加齢や疾病による視覚機能が低下した人たちにも対処しようとする。

 文字情報をパソコンを通して音声に変換する技術を使うもので、点字のように特別な知識や技術はいらない。変換しようとする文章をパソコンに打ち込むだけで、これをバーコードのようなものにプリントして、専用の読み取り装置にセットすれば、それを読み上げてくれる。装置は障がい者宅のそれぞれに、配置されている。これも黒田たちの活動あってのものだった。

 この会の特徴は、支援する人、される人という区別がなく、メンバー全員が一緒に協力し合って目標を実現していこうとしていること。それぞれの立場から、対等に意見を出し合い、恊働している。ここでの恊働は、行政とのそれと違って、まさしく対等の立場での共ばたらきである。

 「目の見えない人や見えにくい人、見える人、いろいろな個性が一緒になって、まず、情報格差に立ち向かい共生します。 自分たちから新しい音声情報を提供、流通させながら、社会全体への普及に弾みをつけていく活動です」。

 「パソコンが使えなかったら、最初から手ほどきしましょう。途中でつまずいたら、そこから抜け出すために、すぐにも救いの手を差し伸べます。というのが会の基本的な姿勢です。そのために、必要な人には、まずバソコン操作を指導します。それは目的を達成するための手段を身につけてもらうためで、パソコンの扱い方だけを教えるためではありません。道具であるバソコンを使って、やりたいことから始めます。他のいろいろなやり方は、必要になったときに、順次、覚えていけばいいことです」。

 林田は、取材中から興奮気味だった。「ともしび」は代表の黒田信幸が強力なリーダーとして、会を推進している。ビジネスマンだった彼をボランティア活動に駆立てたものは、生来の優しさと、理不尽なビジネス世界への反撥もあったようだ。ちょうど勤めていた会社がリストラを計画し、二名の部下の解雇を強要された。それができずに、自ら辞職することで、部下の代わりになったという。定年までに、わずかではあるが期間が残っていた。

 またまだ気力の充実していた彼は、退社を機に、社会への恩返しをしようと考え、障害者への支援奉仕の道を探した。そのための徹底した下調べは、林田にとって驚異と共感を覚えた力の入れようで、現場踏査と研究を試みたという。それは企画を練り上げる、したたかな腕の企画者の心意気を感じさせた。そして、いくつもの選択肢の中から、彼らしいITの活用によって、新しいボランティアの道を見つけた。

 手段は違うが、熱の入れようは町田知子の生き方にも似ているようだ。社会的弱者への思いもまた同じであり、根底には人間、特に、社会的弱者に対する愛と優しさを形成させた半生があったのだろう。林田は黒田への共感と好意をおぼえた。

 黒田の思いは、いま、どの程度に実現しているのだろう。現在の活動内容を聞いて林田は半ばあきれてしまった。生活の大半の時間と関心を、いまの活動に集中させている様子が伺える。多分、協力しているメンバーにはできない質と量の活動だろう。職人か研究者のような生き方ではないか。林田も似たような生き方を指向してきたつもりだが、黒田ほどには徹底してはいない。ただ、独りで担うゆえに、総合的な視野が弱まるのではないかという脆さを感じる。大局的にゆるぎない戦略と、当面の効果的な戦術が必要ではないか。林田は黒田の生き方に共感しながら、彼と恊働できることを探す。

 林田は、NPO法人化が最適ではないか、と提案した。黒田は彼自身もその方向を考えていたという。仲間に勧められてはいたというが、言葉だけでは解決も前進もしない。林田は一緒にNPOを立ち上げよう、いまの時代に即した新しいボランティア活動の展開をはかろうと提案した。

 黒田が地元で培ってきた人脈と、最新のITを駆使するノウハウが、そして、類いまれな情熱が生かせる。林田としても、四十数年のマーケティング企画のノウハウを、他者のためにではなく。自らのために生かせるのだ。まず、そのための計画を立案しよう。具体的な企画書の作成を約束した。

 林田は、このまちを終の住処にしてもいいかと思い始めている。

 黒田を取材した夜、妻の公子から電話があった。

 「愛子がね、アパートを決めてきたって。一人でよ、何でも。再来週の日曜日に引っ越すそうよ。場所?I線のH駅の近くらしい。ううん、自分で全部やるから、いいって。子供じゃないし、次の日曜日に、様子をちょっと見てくるわ」

 「今年は契約できたわ。給料は同じだけれど、雇ってもらうだけでね。でも、社長がね、今年いっぱいの契約かもしれないって。まあ、足腰にもちょっとは来ているし。まだまだ、やれるのにね。でも、ちょっと困っちゃう。この年だと、次はもうないでしょうね」

 「最近、週に一回くらい帰らない日もあるのよ。何も言ってくれないし、聞いても、うるせぇ!でしょ。いよいよ、そのつもりなのかな。何も、してやれないしね。まあ、そのときは、そのときよ」

 林田賢一、六十七歳。持病はあるが、やる気はまんまん。まだ働けるだろう。働いてやる。家族は、それぞれに次に向かって動き出している。ぼやぼやしてはいられない。さあ、やるかとほぞを決めた。

                   〈了〉







2010/06/20 15:14:31|福生な人たち
22 ボランティアグループ あひるの会
ご近所の「おばちゃん力」で
まちの元気づくり

車いす体験学習で「やさしい心づかい」を伝えたい

 あひるの会のボランティア活動には、20数年前の発足当時から続いている福祉施設での入居者への介助支援があります。また、ボランティア連絡協議会傘下グループとして、福祉まつりや福祉バザー、七夕祭り、チャリティゴルフ大会など、いろいろなイベントでの支援活動があります。十名ほどのメンバーは、《できることを、できるひとが、できるところで、できるだけ》をモットーに、押し付けにならないようにしながら、ボランティア活動を続けています。

 代表の柳澤きよ子さんと、前代表の橋本美津江さんに、最近の活動や、これからの課題を伺いました。あひるの会は、数年来、小学校での総合学習支援の一環として、車いす体験指導に力を注いでいます。車いすを持ち込み、児童たちに扱い方の基本を指導しているのです。

 毎日の生活の中で、車いすでの移動を介助をするということは、身近に障がい者や病人、高齢者などがいない家庭では、実際に体験することは少ないでしょう。しかし、まち中やいろいろな施設などで、車いすの人を見かけることは少なくありません。そんなとき、求められれば介助ができるように、基本的な扱い方を身につけておこうするのが、小学校での総合福祉学習の狙いでしょう。

「車いすを扱うことは、さほど難しいことではありません。ちょっと習えば、すぐ覚えられます。ただ、車いすは、遊具ではなく、まさしく、その人にとっては『足』そのものなんです。私たち福祉ボランティアが、まず指導したいのは『やさしいこころ』です。乗っている人に少しの不安も感じさせないように、安心してもらうためには、どんな心づかいが要るのか。確実に.目的の場所に移動すること。そのために、自分が乗ってみて、自分が介助してみて、分かってもらうこと。私たちが伝えたいのは、単なる技術ではなく、思いやりの心づかいです」

「車いすを、大事に扱うこともそのひとつです。車いすは、ひとの身体の一部なのです。そう思えば、おろそかには扱えません。乱暴に扱わないことはもちろん、学習が済んだら、ついた土や砂などを洗い落とし、きれいに拭き磨く。最後まで大切に扱うように指導しています。これは、どんな道具や物にも通じる基本の心構えです」

まちの子どもたちと親しくなる

 このボランティア活動で、特に大事なポイントは、このまちに住む「おばちゃんたち」と、このまちの「子どもたち」が教育の現場で会って、話し合い、親しくなることだと。車いすを扱うことだけなら「あひるの会」のメンバーでなくてもいい。このまちの「おばちゃん」だからこそ意味があるのではないかと、柳澤さんと橋本さんは話します。メンバーは、教師でも、親でもない、責任ある隣人として、地域の子どもたちの子育てに関わろうとしています。

「見かけたことはあっても、言葉を交わすことが少なかった子どもたちです。でもこの体験学習のあと、まち中で、教えた子に会うと、ニコッと笑ってくれる。『こんにちは』に、『こんにちは』が返ってくる。そのとき親と一緒だと、その親御さんとも親しくなれます」

「いろいろな個性をもった子どもがいます。素直な子もいれば、集中できない子、はじめは反抗的な子もいます。同じまちに住む、子育ての先輩として、真剣になります。ちょっとひどいなと感じた時には、本気で叱ることもあります。これは親御さんや先生方とも、ちょっと違う接し方でしょうね。すると子どもは、素直に受けてくれることが多いんですよ。なにしろ近所のおばちゃんなんですから」

「こんな私たちを、学校側がどのように受け止めておられるのか、よく分からないときがあります。決められたカリキュラムだからと、淡々と、一こまの授業として、こなしているように感じることもあります。私たちは、社会的に、身体の面でも弱い境遇にある人たちへの思いやりや、やさしい心づかい、福祉の心をも伝えているつもりです。私たちの、子育て経験や、ご近所とのつき合い方、そして、いままでのいろいろな福祉ボランティアで学んだ体験を生かしてほしいんです」

 そのためにも、指導に入る前に、私たちが、どんなことを考えて取り組んだいるのか分かってほしい。先生方が、どんなことを望んでいるのかをも聞かせてほしいと。ボランティアの『おばちゃんたち』が望んでいるのは、子どもたちが、車いす体験学習を通して、人へのやさしい思いやりの心をもち、そんな行動をとれること。そして、できるなら、このまちの住人としての生き方まで伝えたい。指導の場をコミュニケーションを深める場にしたいと願っています。その思いが、子どもから親たち大人世代に伝わって、このまちを、ますます元気にすることが、本当の目的なんだと熱く語っています。







2010/06/20 15:09:55|福生な人たち
21 学童クラブ・福生ボラ協の恊働
若い世代に伝えたいこと・
熟年世代から学びたいこと


 1月23日(土)、福生社協・七ヵ所の学童クラブ合同の、餅つきや昔遊びなどを楽しむ「新春親子お楽しみ会」が、福祉センター・サンクンガーデンで開催されました。児童と家族、学童クラブ指導員、福生ボランティア連絡協議会(ボラ協)メンバー、社協事務局職員他、延べ250名もの参加がありました。
 若い世代の指導員と熟年世代ボランティアの息のあった恊働が、世代を超えた強いコミュニケーションを生みました。若い世代は、熟年世代ボランティアとの交流で得たものは多かったようです。
 この機会にどんなことを体験したのか、指導者代表として宮ア寿美代さん、網野弘子さん、ボラ協の秋山美左江さん、橋本美津江さんに話し合ってもらいました。

恊働で素晴らしいものが生まれる

ボランティア 前に、防災訓練や福祉まつりでご一緒したことがありましたね。若い方たちが後かたづけなどを、あっという間にやってしまう手際の良さに感心していました。今回、協力の依頼を受けて、皆さんの熱意が伝わり、この機会に、何かが生まれるのではと、喜んでお引き受けしたわけです。私たちは、前面に出ないでフオローしよう、足りないものがあったら、そのときにお手本で見せてあげようと。

学童指導員 防災訓練や福祉まつりのとき、子どもたちと一緒に参加して、皆さんの活動を見させていただき、たくさんのことを教わりました。こんなときはこうすればいいんだと。その時、このように一緒に活動できると、私たちはもちろん、子どもたちのためにも素晴らしいものを身につけられると。お楽しみ会の協力のお願いは迷惑ではないかと思ったのですが、ボラ協さんの懐が深くて、温かく受けていただきました。

ボラ 実際に一緒に行動しないと、心も繋がらないんです。合同で何かをするときは、まず、最初にコミュニケーションをしっかりとって、無理のない役割分担を決めておく。活動の内容や、お相手をするのはどんな人たちか、全体の流れを予想できないとうまくいきません。そんなことから「おじいさん会」のメンバーを含めて、経験豊富な、ボランティア・グループのリーダー格の人に協力してもらったんです。

指導員 要所要所にベテランの方をつけていただき、うちの方も、それに応じられる人をつけました。おかげさまで、ぴったり息が合って仕事ができました。この経験は、ほかの人にも伝えて、私たち全員のノウハウとして引継ぎます。ただ、見せていただくだけではなく言葉でのご指導など、教えてもらってもよかったのかなぁ、って気もします。

ボラ 大丈夫ですよ。言葉でいわなくても、関心を持った人には伝わります。よく観て、覚えて、必要なら他の人に、自分の言葉で伝えればよい。私たちも、例えば、〈たいやき〉なら、プロの仕事を観て覚えました。そして、他の人に、こうやっていたわよと伝えた。福祉バザーの値付けだって、日頃から、いろいろな商品の売値を観て覚えているわけです。当座、自分が要らないものでもね。体験して学んでいけばよい。いろいろやってみて、話し合って覚え、全員共通のノウハウにしてきました。

福生の地域文化とやさしさを引継ぐ

ボラ 今回、学童クラブがどのように子どもたちに接しているのかを知ることができました。これからの元気な〈まちづくり〉に役立てます。保護者の方たちにも、集団の中での我が子の様子だけでなく、指導員さんの活躍も、あるいは、私たちボランテイァの活動も見ていただき、コミュニケーションの輪が広がりました。

指導員 今回は私たちも、自分の持ち場をなかなか離れられない。参加者全員が、もっと理解しあえるように、全体構成を工夫してもよいのかもしれません。次の機会には、保護者の皆さんが、もっと関われるようにしたいです。

ボラ まず、繋がること。私たちは、近ごろ薄らいでいるといわれている住民同士のつき合い方とか、高齢者や障がい者へのやさしいおもいやり、地域文化などを、若い世代にどのように伝えるかを考えています。いま、学校で車いすの補助体験の指導など、子どもたちと接する機会があるのですが、そこで知り合った子とまちで会ったりすると、にっこりしてくれる。うれしいですね。

指導員 福生の地域文化というか、例えば、七夕まつりなどで踊られる〈福生踊り〉がありますね。私たちの世代で、結婚して移り住んだ人も少なくありません。そのため〈福生踊り〉を知らない人もいる。子どもたちにきちんと教えられないんです。ボランティアの皆さんに教わるなんてこともいいかもしれません。子から母親にと伝えられます。

司会 ボランティアの支え合いの、やさしい思いやりの心も伝えられますね。きっとそれが、福生のボランティアを広げる道になるはずです。住民同士、老若男女が心繋がって、話し合い、理解し合うことで、コミュニケーションをより強くして、地域の活性化をはかることができるでしょうね。ありがとうございました。