孤老の仕事部屋

家族と離れ、東京の森林と都会の交差点、福が生まれるまちの仕事部屋からの発信です。コミュニケーションのためのコピーを思いつくまま、あるいは、いままでの仕事をご紹介しましょう。
 
2009/11/13 14:58:40|フィクション
アガペのラブレター 61
05章 成長時代 61

進んで拉致された酒乱の部下
故人・TMさんへ 「好餌選択」 

 今、インターネットが普及して、情報の収集はこれに頼ることが多くなっている。これはよいと判断したら、簡単にコピーしてしまう。そのことに対して、あまり後ろめたさを感じないようだ。コピーした情報の一部を手直ししただけで、自分のものにしてしまう。かつて、横行した人材の引き抜きや、本人の鞍替えへの無頓着さは、「パクり」ビジネスの先駆けだったのかもしれない。そして、これが仕事の均質化を生み、常態化している。

*******************************************************************

山の中で一晩過した

 酒癖のよくない人でした。飲むと前後不覚になり、怒鳴り、つかみかかってくる。あなたは私よりも若く、もう十数年も前に逝ってしまったのですが、晩年、酒を断っていたと聞いていました。その意気やよし、と言えるほど、自分では、いい酒だとは思っていても、誉められるほどでなく、他の人をとやかくいえないことはわかっています。私には、説教癖がありました。

 説教と言っても、仕事にあたっての考え方についての教育ではなかったか。私が力を買っていた人に対してだけでした。それも、酒が不味くなるまで、くどくはなかったと。いずれにしても、永年、飲み続けていると、多かれ少なかれ、酒癖が出てしまうのかもしれません。笑い上戸は愉快ですが、泣き上戸にはちょっと困ってしまう。でも、喧嘩上戸は、傷害をよんでしまいますよ。

 そんな人を何人か知っています。徴候を感じると逃げ出しますが、そうもいかない場所もあります。素面の時は、おとなしい、いい人なのに、目が血走り座ってくるともういけません。そうさせたあんたが悪い。原因をつくったのはあんただと。怒鳴り出すには、理由がある。確かに、何もなく始まったら、病気というものです。溜まっていた理由がしみ出してくるようです。

 あなたと、NTさんと若いSさんとの四人で、八ヶ岳の麓のHNさんの別荘に遊びにいったとき、夜、愉快な酒の席が、あなたの怒りと怒号に、しらけてしまったことがあります。俺はこんな所にいられない、東京に帰ると言い出す。止めても出ていこうとする。思わず、いい加減にしろと、頬を一発、張ってしまった。あなたは夜の闇の中に飛び出していった。

 夏とはいえ、山の夜は冷え込む。靴は残っていたし、半袖一枚の軽装。山の中で、クルマも走っていない。私たちは手分けして、何時間も近くの山の中を探したが、見つけられない。とうとう諦めても朝まで待とうと引き返しました。眠れない夜が明け、探しに出かけたら、ほど近い大きな岩上にあなたがいました、多少の擦り傷はあったものの、素面に戻り、寒さに震えていました。

インスタントカメラの仕事

 あなたの好ましくない酒癖にあったのは、確か、それが三回目くらいだったと思います。街の居酒屋で飲んでいれば、無理にでも帰らせる。山の中では命取りになりかねません。擦り傷程度でよかったものの、大事になっていたらと、いまさらながら恐くなります。その後、あなたとは一緒に飲まなくなりました。しかし、あなたにそうさせたものは何だったのでしょう。

 A社で仕事をしていたとき、社長が連れてきたコピーライターとして、私たちのグループに加わってきました。以後、私たちと行動を共にして、設立した新しい会社のスタッフとして、仕事をしていました。大久保の狭い事務所から、赤坂の古いマンションに移ったときも一緒でした。あなたニは中堅のコピーライターとして、P社の仕事を担当してもらっていました。

 インスタント写真の代名詞にもなっていたP社の、業務用インスタントカメラの、業種別のリーフレットの制作です。業務ごとに、結婚式場、運送業、カーディラー、金型工場など、Pカメラが使われている現場を、返ってきた愛用者カードをもとに、出向いて取材して、リーフレットで紹介するという仕事でした。カーディラーの現場で、私の家族もモデルにされたこともありました。

 仕事をしていましたし、あなたの思うままに、あなたの企画で仕事をしてもらっていました。得意先との関係も悪くない。かえって、親し過ぎるるくらいの関係が気になってはいましたが、それで問題になることはありません。ある日、突然、あなたは事務所を辞めると言い出しました。不満を感じていたとは思わなかった。辞めてデザイナーのKTさんの事務所に入るというのです。

 KTさんに聞くと、そうだという。彼がそうしたいというから、そうすると。甘言で引き抜いたのは、KTさん。あなたでしょうが。青天の霹靂です。それはないよ。山での一件があった後も、うまくいっていると思っていました。ギャラだって、悪くはなかったはずだし、いい得意先と、いい仕事をしていたじゃないか。就業時間中に、好きな時間に自動車学校にも通っていたじゃないか。

寒い日の別れ

 「迷惑はかけたが、悪いことをしたとは思っていない」後で聞いた、KTさんのセリフです。迷惑をかけることが悪いことではないとは、よくもまあ言ったものだと。あなたは、どう説得されたのか、どんな好餌で釣り上げられたのか。あなたは、決心した後で、奥さんに、仇で返すようなことはしないでと言われたと。KTさん、あなたより正しいのは奥さんの判断でした。

 何か不満があったら、言ってほしかった。後のまつりでした。KTさんの事務所に入りたいなら、きちんと話してくれればいい。穏やかかでないものはあっても、この業界、移籍することはさほど大きな問題ではない。親しくしていたKTさんのところなら許したと思います。そして、その後も、酒を付き合うのは別としても、協力関係は続けられたと思う。あなたの行動は、軽率でした。

 あなたは学生時代、自転車部に籍を置いていたことを知りました。あなたの葬儀の時、後輩たちが、部旗か応援団旗かは知りませんが、それを高く掲げて、整列して見送っていました。あなたは、それなりの実績を残していたのでしょう。自転車部にいたことは、知らないことでした。あなたは自転車をこよなく愛していた自転車の仕事が、KTさんの事務所にはあったというわけです。

 KTさんの事務所では、自転車メーカーのB社と太いバイプを持った人を入れたらしいと聞いたのは、それからのことです。どんな見返りがあったのかは知りません。デザイン事務所としては、喉から手が出るほどの美味しい仕事です。受注できることは、相応のお礼を払ってもいい利権です。あなたにとっては、自転車の仕事ができることは願ってもないことだったのですね。

 だったら、そのことを話してくれればよかった。あなたと、競輪選手だったAA社の社長とのつながりが見えてきました。あなたはせっかく取った自動車免許を使うこともなく、好きな自転車を乗り回していたと聞いていました。あの日、寒い日でした。風邪を引いていた私は、葬儀の席で、鼻水なのか、涙なのか、何度も拭いながら、元気なあなたを思い続けていました。合掌。







2009/11/13 14:50:59|フィクション
アガペのラブレター 60
05章 成長時代 60

新規ノベルティの夢追い社長
同業・KKさんへ 「開発縦横」

 フットワークとネットワークが、男がいた業界で、仕事を広げるポイントだった。思い立ったら、すぐ行動する。とりあえずやってみて、やりながら最良の方法を見つけて、軌道修正していく。そのためにも、人のネットワークが必要だった。このネットワークは、仕事がつくっていた面もある。受注した仕事のために必要な能力は、比較的容易に手にできる。いま、人のネットワークにとって変っているのが、ウェブのネットワークのようだ。

********************************************************************

北欧のペーパークラフト

 スウェーデンに飛ぶことをけしかけて、あなたがそれに乗ったことがありました。アメリカを始め、いろいろな国へのビジネス渡航経験があり、商売度胸の強いことを知っていましたが、知り合いもなく、言葉も知らないあなたです。新しいものにすぐ関心をもって、経験がなくても、やろやろの心意気は私に似ていましたが、私にはない、すぐ手を打てるだけの資金の裏づけがありました。

 あなたがいつも広げている新製品探索のアンテナに、ユニークなぺーバークラフトがひっかかってきました。そのころ、あなたの会社に机を置かせてもらっていた私は、一緒になって興奮、一枚の紙が、いろいろな形のユニットに型抜きされ、各ユニットは、テグスで結ばれています。抜きとると、ユニットがバランスよく繋がって、立体的で風にゆれる、見事な造形を形作るのです。

 計算された造形に見とれました。セールスプロモーションのPOP広告として、ブレミアムとしても使えるし、観光地の土産品に、学校の教材にも使えそうだと、需要見込み先は、どんどん広がっていき、もう左うちわになった気分です。日本でも作れるでしょうが、意匠登録か、実用新案を取っているらしい。なら、そのライセンスをいち早く取るべきだと、あなたに奨めたのでした。

 あなたはすぐに時間の都合をつけて、現地に飛ぶことにししました。しかし、どこにあたってよいのかはわからない。とにかく、そのペーパークラフトの現物だけを持って出かけました。国際電話で、無事、現地についたことを知りました。数日が経って、ライセンス権を取ったあなたが、帰ってきました。私たちは、興奮したままに街に繰り出し、祝杯を重ねたものでした。

 型抜きをしたユニットを、テグスで繋ぐだけなら、どうってことのないものです。抜いて、吊るしたときのバランスが問題です。どれくらいの大きさのユニットをどの位置に、どのように配置するのかが重要です。デザイナーを選び、何点か試作を作りました。私が作った企画書を添えてブレゼンしたのですが、北欧の繊細な香りがする製品は、爆発的な人気にはなりませんでした。

世間になくてもいい会社

 あなたは、E社のEEブランを立ち上げたメンバーのひとりです。私たちは、HNさん、NTさんと一緒に、金沢の合宿で、企画を練り上げました。あなたの会社は、ブレミアムなどのオリジナルノベルティを開発製作会社です。SPツールには欠かせないアイテムであり、印刷のことはなんとか理解していたいたのですが、ノベルティの世界には不案内でした。

 プレミアムは、受注生産が普通です。メーカーの名入りのグッズは、他に使い回しが出来ません。きちんと企画を立てて、必要数を決めてから発注します。EEブランは、SSの希望によって展開する、セミオーダーのプロモーションです。ノベルティの製作数をどのくらいにするかは大きな課題です。少なければコスト高になり、多すぎると売れ残りのリスクが生じてしまいます。

 定番ノベルティは、来店者向けやドアオーブナーとしして気軽に提供できる低コストのものになってしまいます。このようなグッズは、大抵のメーカーでは、ブランド名入りの斡旋景品として紹介していました。E社にも、そのシステムがありましたが、EEプランで提供できるプレミアムは、かなり限定されます。ビジネスとしても、期待したほどの利益が上がらなかったようです。

 あなたは、本業のノベルティ仲介ビジネスとしてより、私たちのメンバーとして、支援、協力してくれました。私が、SA社を辞めてAA社に入社する前の一時期、あなたの事務所に机を置かせてもらいました。そして、自前の事務所をつくろうと、あなたが大久保に借りていたアパートに移ります。私たちの新しい会社を立ち上げたときの本店住所は、そのあなたのアパートでした。

 あなたも発起人であり、役員の一人として名を列ねてくれました。代表者として、少し浮かれ気味だった私に「世間が作ってほしいという会社はない。なくてもいい世間の中に、割り込んでいくのが新会社だ」と、アドバイスしてくれました。その言葉に、応え続けようとしましたが、社会に対して、私たちができることよりも、自分たちのことを第一に考えていたように思います。

懐に深さに甘えた

 会社経営の基本的な考え方を教えてもらいました。若気の至りで、教えにはあまり従えなかったようです。とかく暴走しがちな私たちの中にあって、的確にアドバイスしてくれました。その好意に、お返しが出来たのでしょうか。新規提案のために企画書を書いたり、製品開発に参加したりしました。しかし、あなたの支援の大きさほどには、応えきれなかったように思っています。

 あなたの事務所は、あなたの片腕ともいえるSさん、女子社員と、時々、若いアシスタントとして出入りしていました。そして、事務所の一画を、デザイナーグループが机を置いていました。私は彼らとの交流はありませんでしたが、あなたは、上手に活用していたのでしょうね。世は、バブル景気に向かおうとしていました。若い制作者たちはこぞって独立を目論んでいた時代です。

 そのデザイナーグループの元に、前にいたHYさんの会社の若いデザイナーのSさんが出入りしていることを知って驚いたことがあります。精緻なイラストを描く彼のアルバイト先のひとつであったようです。人脈は意外と狭く、少しできる制作者への仕事が殺到していたのでしょう。Sさんは、ばつが悪そうにちょっと黙礼しましたが、結構副収入を稼いでいるように見受けました。

 ノベルティ会社は、どんな協力会社を持っているかが、仕事の要点といえます。新企画で、プレミアムを提案するとき、すぐにも、そのサンプルが求められます。スケッチだけでOKということは、まず、ありません。オリジナルであるためには、すぐ、企画通りに作ってくれる協力業者が必要です。どんな人脈を持ち、日頃、どのようにフローしているのか、その質が問われます。

 あなたは、すてきな協力者たちを抱えていたようですね。そのバックに、あなたの懐の広い、面倒見のよさがあったのでしょう。あなたは、私たちの仲間に対してそうであり、事務所を貸していたデザイナーたちに対してもそうであるように、若い人たちに惜しみない支援をしてくれました。さほど利益が上がっていたとは見えなかったのですが、豊かな優しさの資産があったのですね。








2009/11/13 14:41:01|フィクション
アガペのラブレター 59
05章 成長時代 59

SC社の退社後も続く受注先
同業・MMさんへ 「大望適宜」

 提案営業という営業方法がもてはやされたことがある。得意先からの依頼通りの仕事をするのではなく、積極的に新しい提案を加えて営業しようというやり方で、男が書いたマニュアルでも提唱してきた。言葉としては、通りがよいが、得意先はどこまで望んでいたのだろう。受注者は、要求通りの仕事をしてくれればよい。要は、コストであり、納期だと。そんな傾向が強くなっているいま、かつての仕事観強は遠いものになっているようだ。

*******************************************************************

SP代理店の旗手

 私がE社の担当だった当時、あなたは、SP代理店PS社の担当でした。E社はあなたの会社が、私がいたSA社にバーターで紹介してくれた外資企業です。まだ若かったあなたは営業企画という職務で、店頭POPをはじめディスプレィツールなどを企画提案していました。この頃から、あなたがいたSC社は、POPだけではなく、SP全般への進出を始めていたようです。

 私とE社のHNさんが取材で大阪に向かおうとしていた東京駅のホームに、あなたが駆け込んできました。私の目前でHNさんに封筒を渡したのです。車中、中に現金が入っていることを知ったHNさんは「何のつもりなんだ」とポケットにしまい込みました。取材から帰って、それをあなたに返したのを覚えています。こんなことが日常茶飯事のように行なわれていた業界でした。

 SC社は、P社、A社、B社、M社などなど、我が国トップクラスのメーカーに、プロモーション企画を提案していきます。マス広告中心だったクライアントは、はるかに廉価な費用でできる、たくさんのSPツールを目のあたりにして驚いたと。メーカーは、競合との差別化を図るために、店頭のメディア化を進め、SPほど面白い商売はないと豪語する同業者も出てくる時代でした。

 私は、企画協力の他に、マニュアルやスライド、ビデオのシナリオなどのコピー制作のお手伝いなど、SC社とのおつき合いは長く続きました。神田にあった事務所はやがて築地に移ります。あなたは、企画部のトッププランナーとして意気軒高で、SPセミナーの講師としても活躍し始めます。私には言いませんが、「先生」と呼ばれることに大きな喜びと快感を覚えたようでしたね。

 私がSA社を辞める時に、入社のお誘いを受けましたが、そのときにやらなければならないことがありお断りしました。そして、SC社の幹部になる道より、自ら企業のトップになる道を選びます。オーナー企業のSC社ではトップになれないことを分かっていましたし、学ぶべきことをほとんど手にして、あとは実践あるのみといったところだったのでしょう。

プロのコラボレーション

 企業のCIがプームになった時期があります。社名を見直し、ロゴやマークを変えるなどが中心でした。高額な請求をグローバル時代の世界に向ける顔なんだからと、大手企業の実施例などをあげて通していました。あなたのもとにも、CIづくりの依頼が舞い込みました。中堅の建設会社T社で、二代目オーナー社長が、先代からの古めかしいロゴやマークを何とかしたいと。

 チーフデレクターのあなたを中心に、私がコピーを、リサーチ、アートのデレクターがキャステングされます。全社員アンケート、役員インタビューが行なわれ、その結果を集計分析します。ロゴやマークの3Dモデルをつくってシチュエーション検討を行ないます。私は、調査結果をもとに、企業理念や文化風土を整理し、内外向けのスローガンとCIブックのコピーをつくります。

 A3サイズの分厚い企画提案書をつくり、社長、副社長、営業幹部へのプレゼンテーションは、同席した営業担当が、武者震いしたと感激したほど、息の合ったものでした。あなたからの概略提案のあと、リサーチ結果と分析結果説明、アートデレクターからのビジュアル提案、私からのコピー提案。そして、あなたが総括する。リハなしでのプレゼンでしたが、完璧に近い出来でした。

 提案は採用され、ロゴやマークは更新、サイン類をはじめ、名刺、封筒などのステーショナリーが変えられます。ガイダンスブックやCIブックがつくられ、新聞広告とDMで、広く告知されました。環境面だけではなく、社員への意識改革への協力も、あなたを中心としたメンバーの仕事になります。CI活動もマーケティングのひとつであり、私たちのノウハウを存分に生かせました。

 この場合も、提案費用だけでも、当初予算を大幅に上回る費用を計上することになりました。T社は想定外のことで、簡単なデザイン変更では済まなかったと、依頼先を過ったのではないかと悔んだはずです。必要なことを、それなりのプロの完成度で仕事をすれば、当然、かかってしまう費用です。よかれと思っての提案が、相場がない世界だけに、後で問題が起きやすいものです。

社長と先生の二枚看板

 あなたの仕事の進め方は、広告代理店を通しての依頼の場合、カオを潰しかねない問題もありました。あなたの会社との直接取引をさせたくない広告代理店としては、クライアントの要求をそのまま押し付けてきます。提案内容の質ではなく、予算であり、納期です。案件がスムーズに流れて、効率の良いビジネスが成立すれば良しとする代理店です。

 あなたのやり方を全面的に支持するわけではありませんが、クライアントの課題を共に考え、より良い解決方法を効率よく企画して提案するという姿勢には共感できます。課題に応じて、あなたがプロとして認めるメンバーを起用していくというやり方は、仕事の付加価値を高めることになります。そんなあなたと三十年もの長い間、つかず離れずの関係で組めたことは幸せでした。

 在社時代から副業として、社業以外の仕事を進めていたあなたは、自宅兼事務所の地下室付き3階建てビルを造りました。そんな事務所は、次々にSC社を辞めた人たちが通過する相談所になっていました、あなたのもとで、どんな約束かは知りませんが、社員のようなかたちで仕事をし出します。しかし、なぜか長続きせずに、最後は、喧嘩別れのように離れていったとも聞いています。

 細かな気遣いを見せてくれます。うちの事務所の社員旅行を知ると、なにがしかの金額を包んでくれました。また、事務所を移転した時などは、ときをおかず豪華な観葉植物を贈ってくれます。SC社時代も、受付の女子社員に、度々、ちょっとしたプレゼントをしていたと聞いています。いわゆるマメなお人で、それが仕事にも表れていたのでしょう。私には真似のできないことです。

 甘くはありませんが、支払いについてはきちんとしていました。最初に。払える予算を伝えてくれます。いわゆる指値注文であり、成行注文が多い業界のなかで心配りが行き届いた、ビジネスライクなやり方です。明解で仕事を受けやすいものでした。仕事環境が変わっていますが、セミナー講師の「先生」としても、ますますのらつ腕ぶりを発揮しているのでしょう。







2009/11/13 14:29:40|フィクション
アガペのラブレター 58
05章 成長時代 58

後輩の同僚や依頼人だったり
同業・KYさんへ 「堅実前進」

 仕事が一段落したら、打ち上げと称して飲む。ひとつのプロジェクトの終りだけではなく、一日の終りも、仕事の一段落であった。それが男たちの仕事の進め方であり、付き合い方で、飲めないパートナーやさっさと帰路に就きたい人たちとの仕事ではとまどいがある。協働の仕事は良好なコミュニケーションがあってこそ成り立つと思う男にとって、終っても飲まない仕事はつまらない。第一、流せない不満や不平がたまってしまう。

********************************************************************

三十年来の仲間

 あなたは、最も長く付き合っている同業者ということになります。ほとんどの、かつての同業者は、廃業したり、行方がわからなかったり、また、仕事を続けているようでも、連絡を取り合っていません。仕事をもらったり、頼むということもありません。あれほど親しいはずだったのにという人でも、事務所をたたみ、住処を変えると、会う機会がなくなります。

 そんな中で、あなたからの連絡があり、仕事の手伝いをすることになりました。長く親しくしているという印刷会社の仕事で、N宗総本山の、ホームページ関連の仕事です。いままでに、ほとんどの業界の仕事の手伝いをしてきました。犯罪に絡む仕事はありませんが、一度も利用したことがなく、これからもないでしょうが、ソープランドやテレクラの仕事に関わったこともあります。

 手がけたくない業界に、宗教がありました。新興という冠詞がつくとなおさらいけません。それらしい誘いを、中年になってから、受けたことがありますが、できる限り近付かないようにしていました。いつの間にか、仏教などの教理にかなう思いを持っていたことに気づくこともありました。なにせワープロで、般若心経を、何度も写経しました。

 その印刷会社は、N宗総本山のオフィシャルホームページの企画制作に携わっていました。N宗関連のいろいろな広報関連の仕事もしています。社長は、N宗の僧籍も持っている人で、宗教人らしい温和な人柄の好人物です。その会社が、全国の寺院団体のために開発した、ホームページづくりプロジェクトを立ち上げるということになり、その仕事を手伝うことになったわけです。

 なかばボランティアのような、先行投資型のビジネスで、得意先であるN宗総本山内部の組織事情もあってか、止まったままの仕事が多くなります。あなたにとっても、立て替え支払いできる余裕もなく、自身が費やした役務への報酬もないようです。仕事が動けば我慢できますが、運命共同体ではない下請け業者としては、ボランティアや先行投資事業には付き合いきれないものです。

台湾の美術館で感動

 あなたと知りあったのは、私がE社の仕事に関わったときからですから、三十数年も前のことになります。NTさんと同じAA社の業務スタッフで、周りから、コーディネーターとしての能力が買われていました。私がAA社に籍をおいて、事務所を転々としたときも一緒で、離れたこともありますが、あなたの先輩格で兄貴分のNTさんに、請われて連れ戻されていました。

 あなたと一緒に、社員旅行で香港や台湾にも行きました。E社のツアーに便乗したり、S社の社員旅行について行ったリですが、私とSYさんとの三人で、台湾での自由時間に、ツアーコースにない美術館などを巡りました。墨絵の馬の活き活きとした描写の凄さに感銘したことを覚えています。まだ、買春システムが旅行業者の収入源になっていることに驚いたものでした。

 旅行社は、裏で十分に、儲かるシステムをつくり、格安旅行をうたって集客する。若い女性に相手にされない男どもが、腹巻きに円を詰め込んで、恥はかきすての団体で出かけて行きます。それをきれいごとの海外旅行の夢を売る。若い女性のツアコンも、よそ目で見ながら知らぬ顔で、会社の売上げ増に協力するという構図です。ヤルバックツアーと、揶揄された時代がありました。

 旅行社のパッケージツアーのプロモーションの手伝いをしたことがあります。表面的なコスト計算をすれば、長くはやっていけないはずなのに潰れない。表面は、いかにも華やかで、カッコつけているものの、マーケティング的には、お粗末なほどに遅れている業界でした。三十年前の当時は、です。ギャラの一部と取材をかねて、ハワイに行かせてもらったことがあります。

 あなたは、海外旅行には強い人でした。海外旅行のガイドブックの編集制作をしていた時期もありましたね。どんな内容なのかは知りませんが、現地通のスタッフと組んでも、目まぐるしく変わるだろう現地の変化に、どう目をつぶるかの仕事です。香港や台湾、韓国くらいは、気軽に出かけられても、アメリカ本土やヨーロッパでは、取材に、何回も行けないものでしょう。

飲み方がしつこくなって

 よく飲んだものです。日が暮れかかれば、打合せの場所は、行きつけの居酒屋か小料理屋になります。カラオケが嫌いで、まとわりつく女の子も要らない私たちは、ひたすら飲んで語るだけ。こんなコミュニケーションが、仕事のアイデアを生んだり、人を見極めたりしたものです。仕事が終われば、飲むのが当り前で、休肝日などは、悪い飲み方しかできな人のためにあるんだと。

 前後不覚になるまで飲むのは具の骨頂、しっかりと話ができて、きちんと歩けるうちに切り上げるから、次の日も美味しく飲めるという飲み方。飲めない人たちの、次への仕事にかかろうとするときに、どうやってコミュニケーションをとるのかに理解のおよばない私たちのようです。いい仕事ができるときは、飲んで饒舌になり、つい大声になることもある。あなたの酒は、いい酒でした。

 割り勘というのも苦手です。まち遊びの仲間と飲んだとき、特に、女性が混じると、きっちり割り勘になります。全部を何人かで割るのではなく、飲んだもの、食べたもので一人一人の払う額が違ってくる。二、三人で飲んでもそうなるから戸惑ってしまいます。私たちは、そのときにあるやつが払えばいいと。立場上、経費で落とすときもありましたが。

 最近では、払いはあなた持ちですが、ちょっと、飲み方がおかしくなっていますよ。六十にもなった年のせいかもしれない。どうも、ねちねち、くどくなってきました。予期しない医療費が、急に、かかることがあって、終わった仕事のギャラを、支払日の前に払ってとお願いした。払ってはくれましたが、そのことが気に食わなかったらしい。予定を立ててやれと、言い出し始めました。

 もう、この年になれば、先輩後輩もない無礼講の仲だから、何をいってもいい。でも、一度言えば伝わる。何度も、何度も繰り替えされたら、酒はまずくなります。あなたとも親しくしていたかみさんに会ったときに、そのことを話したら、あんたに似てきたんじゃないのと言われてしまいました。そうか、私は、自分では思わなかったけど、そんな飲み方もしていたのかと、反省。







2009/11/13 14:07:00|フィクション
アガペのラブレター 57
05章 成長時代 57

永い付合いの後輩パートナー
同業・SYさんへ 「協働共栄」

 気が合うから付き合いが長くなるのではなく、やむなく長くなった付き合いの中で、気心がしれてくるのだろう。よほどのことがない限り、付き合いは長く続いた。男の半生の中で、三十年以上の付き合いの長い人たちが少なくない。仕事関係でも同じで。一度付き合いはじめると、長くなってしまう。ただ、自分に厳しかったように、相手にもそれを求めていたようだ。努力をしない相手は、男は望まないのに、いつの間に消えてしまう。

********************************************************************

事故から生き返った

 二〇〇三年一月二〇日「九死に一生」というメールが届きました。北九州にいるあなたからです。「元旦の朝、バイクで電柱に衝突し、そのまま救急車で緊急病棟に運ばれました。といっても、衝突時も救急車に乗っているときも記憶がな<、いつのまにか病院にいて、かみさんがそばにいたというのが私の記憶です。そして、四時間を掛けて、頭を切開して手術したそうです」

 「アルコールが入っていたせいもあって、眠ったり目が覚めたりの繰り返しで一月一日はおわりました。三日に、鏡を借りてやっと自分の顔がどうなっているのかを見たら、顔面左側の上部と、左目のあたりが真っ青というか、黒く腫れあがり、眉毛の所を切っていました。この日の午後、小用のパイプは外され、集中治療室から一般治療室に移動し、長い治療生活がスタートしました」

 「七日には頭の切開箇所のホッチキス様のものを取り、翌八日には糸を抜きました。それから六日経った十四日に退院しましたが、二十四日にまた診療があります。病名は顔面打撲、挫創、頚椎捻挫、頭蓋骨骨折、外傷性硬膜外血腫でした。入院中はアルコール抜きの生活でしたが、これから飲酒運転はしないと誓いました。今年は、新しい人生のスタートといっていいかもしれません」

 好きな酒でしたが、飲んだらついムチャをしてしまうお人でした。あなたが入社志願として、私のところに来たのが、三十年前、友人たちと会社を起し、四ッ谷三丁目に事務所を移したときです。SA社時代の後輩Sさんの紹介でした。「一緒にやるか」となり、その日に仲間とSさんを加えて、近くの行きつけの呑み屋で乾杯しました。私とあなたと酒との付き合いのはじまりです。

 とにかく酒が好きでした。飲むと眠くなり、得意先と一緒だろうが構わず居眠りした後、覚めてまた飲み出す。一緒に飲んだ後輩と殴り合いをしたり、終電車に乗り遅れてカプセルホテルに泊まって、テレビに取材され、顔を公にさらしたりしました。私の前では、極力抑えていましたが、ある日、とうとう罵詈雑言を吐いてしまい出入り差し止め。半年くらい続いたことがあります。

E社の担当に鍛えられた

 弟分のコピーライターとして、新しい会社を起したときには、発起人、取締役にもなってもらいました。そのCS社では、社外から仕事を手伝ってくれ、また、うちの社員たちを指導という名目で、飲み会でしごいていました。ときどき、飲んだ上でのトラブルが聞こえてきましたが放っておきました。ちょっと酒に飲まれてしまう性癖があり、それを直そうともしなかった。

 仕事以外でも手伝ってくれました。ピアニストのKIさんの後援会のイベントにはなくてはならない存在だったし、事務所のパーティにも欠かさず参加していました。いつだったか、事務所で仕事をしていて、はずみで椅子ごと倒れて足を骨折してしまい、厚木の自宅から通いきれず、何日間か事務所に泊まり込んだこともありました。多分、そのときも素面じゃなかったはずです。

 コピーライターとしては、いい仕事をしました。E社の担当が小説を書く女史で、ことのほか文章にうるさい。嫌みをいわれながら、鍛えられていましたね。私がE社の仕事から離れてからは、あなたが中心になって仕切っていました。私の方から、イロハ四十八文字をアタマにした、韻を踏んだコピーを書くなど、うちのスタッフではできないテクニックが要る仕事を頼んでいました。

 あなたがふるさとの北九州に帰ろうと決めたきっかけは、私のすすめもあったかもしれません。あなたが私のところに来たときにはきには、もう結婚していました。母と娘だけの奥さんです。兄弟のいるあなたとは事情が異なる都合でした。そろそろ身近にいて、一人暮らしの年老いたお母さんの面倒をみてあげるのが、母ひとり娘ひとりの務めなら、早い方がいいのではと。

 奥さんにとっては、願ってもないないことだったでしょう。あなた方が戻ってしばらくたって、博多での仕事の帰りに寄ったことがあります。あなた方家族と食事をした後、あなたと奥さんに行きつけのスナックに誘われました。イキイキ元気な奥さんの姿を目にして、ふるさとに戻ったことはよかったんだと。子どものころから慣れ親しんだ土地で暮らせることは幸いだと思うのです。

お酒との付き合い

 中年を過ぎての転職や仕事の受注ははむずかしい、若い担当者などはとまどってしまいます。特に、それなりのビッグクライアントをこなしてきたキャリアが生かせる仕事には、なかなか就けないものです。その気になれば、贅沢はいえないと言葉ではいえても、なまじのキャリアとプライドが許さないということがあります。転職をしないで仕事をするにはできる環境が必要です。

 E社の仕事で鍛えられた取材力は、あなたの得意とするジャンルです。行政関係やホテル業界誌の仕事をするようになりましたね。他の詳しい仕事については、よく知らないところですが、あなたから聞く仕事の報告は、私にとっては、うれしいニュースでした。暮らしやすいふるさとで、キャリアを活かして、なんとか食べていけることはすばらしいことです

 弟分であり、弟子で、相棒のあなたとの思い出は、枚挙にいとまがありません。私のイベントには、いつもあなたが傍にいて、サポートしてくれていました。無理もいろいろきいてもらいました。「もの」や「こと」を分析して批評する、飲んだ席で若い人に説教するという私の癖も移ったようでした。話をしていて、私が言おうとしたことを先取りされてしまうこともありました。

 どこからか後楽園球場ジャンアンツ戦の切符をもらって出かけたことがあります。プラチナチケットです。あなたに切符を渡してあったのに、九回になってからやってきた。試合はもう決着がついていたし、こっちも大分酔ってしまっていたし。いろいろに顔を立てなくてはならないところがあり、義理堅いというか、仕事熱心というか、それでも私のわがままに付き合ってくれました。

 会えない日が続いています。たまに電話で身体の調子をききますが、日常生活に支障をきたすような後遺症は出ていないようですね。仕事も相変わらず続けておられるようです。飲酒運転はしないという誓い通り、運転するときには飲まないだけのことで、身体のためにもと、ほどほどに楽しんでいるだろうと。飲んで眠くなったら、気兼ねなく眠ってしまえばいいんだから。