サイクリストのお助け茶屋(鬼ボッコ)

価値観の違いで生きざまが変わる?
 
2016/05/15 23:50:18|その他
L あなたならどうする?
とは云ったものの・・土地や住居までいっきに建てられる余力など有ろうはずがない。そんな矢先に縁談が持ち上がった。俺も自営業となったら電話番はほしい、かといって所帯など持てる身分でもない、だが苦しいなりにも2人で何とか努力すればやっていけるのではと考え直した。お相手は大地主の大工の娘で見合いして1ヶ月くらい経った頃、その娘に「俺は鉄工所を始めたい、しかし工場と住いを建てる金は有っても土地まで買えない、なので父さんに畑の一角を提供して貰えないかと聞いてみてくれない?」って云ってみた。なぜって?もう借地で追い立てられる煩わしさから避けたかったし、片方だけの1STEPから苦労するよりお互いに出せるものは出して1+1の2STPEから始めたいと思ったからです。数日後の返事は「お父さんが、そんな欲どおしい男に嫁はやれない!」でした。「そうですか・・じゃ結婚は土地の金が出来るまで4〜5年待って貰えますか」すると「女はその歳まで待てません」と云われてしまった。その時、俺はまだ27歳で彼女も同い年でしたが短いお付き合いで破談に終わった。仕方なしに土地を物色し始めた。運よくお寺の土地を権利金無しのタダ同然で貸して貰える事になったが其処は鉄工所に不向きな崖の上で道は両手を広げた位しかなくトラックなど論外です。間もなく畑の出物が有ったのでそちらを買う事に決めお寺の方は解約した。後にその寺の土地は大きな道路が出来て借地権利者に二束三文で売ったと聞いたがついてなかったな〜・・ウナギの寝床と云われる俺の細い土地は道路に面してる間口が13mしかなく奥に行くに従って狭く70mも有る土地で、半分でと交渉したが奥が売れないと云われ泣く泣く買ったが今になってみると大儲けでした。もうスッカラカンで工場を建てました。いよいよ独立ですが軍資金はぎりぎり6カ月無職でも食べていける金しかなかった。見ず知らずの土地勘もない新天地での開業です。・・果たして・・
・・・さああなたならどうする・







2016/05/14 18:54:01|その他
滋賀5泊6日の旅

フリープラン5泊6日だが生憎の雨・・・
しかたなしに合羽着て井伊直弼の彦根城に行きました。
なかなか立派な天守閣のある城で何よりも堀が大きく見ごたえがある。
すぐ横の玄宮園は彦根城を借景に東屋と池を配置したなかなかのものです。
今回は長浜から50キロ程度で行ける日本海の敦賀まで自転車で行くのが目的だったので最終日の前日に行ってみました。その感想は?
ま〜ある意味!行かなきゃ良かったと思うほど寂れていて日本の未来を垣間見る様でした。敦賀港を抱える港町敦賀の道路は4車線に幅広の路側帯その真横に駐車できる駐車スペース完備・・・しかし人っこ一人いない商店街・・・青梅の比ではない!
素晴らしいアーケード完備の立派な商店街が昼時に誰もいないとは・・・地元の人に聞いてみたが「普段と変わらないいつもこんなです!」といわれてしまった。
ど〜やって食べてるのだろ?ただ1軒の繁盛店は他所から来た人が立ち寄るテレビで取り上げたというソースかつ丼のヨーロッパ軒と云うお店?だが米が最悪でカツのたれが焼き鳥のたれ・・・旨くもなんとも無い!メディアの怖さが解ります。
そんな訳で5泊がまるっきり使えませんでした。ただ1つ嬉しかったのは敦賀に行く途中で滋賀県の琵琶湖に近い塩津宿が観れた事です。敦賀〜荷馬車〜塩津〜舟〜琵琶湖に運ぶ廻船問屋の塩津宿場が見れたことでした。








2016/05/05 16:34:00|その他
K あなたならどうする?
何とそこは駅前商店街のアーケイドの下でドラ息子の実家の店先だった。ビックリもしたが訳をきくと法的には商店街は何でも有りでOKだそうです。しぶしぶ加工を始めたがさすがに1週間で「も〜ここは止めましょう、幾らなんでも駅前だもの人通りが・・」って言いました。ドラちゃんは「そうだな〜何とかしよう」だからと云って急にと云う訳にも行かず先が見えるまで再びドラちゃんの庭に舞い戻り、ご近所に早々に立ち退く旨を伝えました。その後何とか1年ほどやらせて貰ったが・・やがてドラちゃんが両親に頼み込み所沢の競輪場の裏に位置する荒畑と云う処の栗林を確保して貰い工場を移した。この頃になると訓練所の後輩や、新聞で雇用した人(後で解ったのですが殺人犯も居ました)など数人を抱える工場に成り仕事も軽量鉄骨金物から重量鉄骨の3〜4階建ての工事まで請け負える様になって来た。そこで難題がドラちゃんは俺みたいに小さな工事しかこなした事の無い親方に任せられず俺に内緒で大工場の職人を工場長に迎え入れてしまった。解らないでもないが、工場の2階で寝食を共にしている部下から「〇〇さん!今度、入って来た工場長は自動車を貰ってそのうえ給料も一番いいらしい」と告げ口された。これはまずい事になった親方が2人いてはいけない俺の待遇はどうってことないが指揮系統が乱れる。そこでドラちゃんに相談を持ちかけた「今すぐではないがいずれ俺は辞めます。あなたがとって来たお得意さんは一切要らない、その代わりと云ってはなんですが僕が新しい工場を別の場所に構える時が来たら自分の建てる工場の鉄骨加工をこの工場でやらせて貰いたい」と云ってみた。もちろんOKです。・・さあなたならどうする・・
次回は〜・〜2週間ほどお休みます〜・〜
◎ 5月8日から琵琶湖に自転車を持って行きあちこち走ってきますので今度はその様子を載せて見ます。







2016/05/04 20:10:37|その他
J あなたならどうする?
いつの間にか張本人になっていた。「〇○君!君は子供たちの手本的存在だ、みな君の一挙手一投足を見ている。こんな事をしては示しが付かんだろう!」これには堪えた。「申し訳ありせん!まさかこんな事になるとは・・」すると教官から「2度とこの様な事が有っては因る、これから君は真面目に生徒とし規律を守るか、退所して貰うかのどちらかに成りますがどうします?」と云われた。「何とか今回だけ目をつむってここで造らせて貰えませんか出来上がり次第、退所しますので!」と云ってみた。訓練所も苦渋の選択だったと思うが了承してくれました。昔はけっこう人情が有ったよね!今になってよく許してくれたと感謝しています。俺も訓練所卒業で貰えるガス溶接・電気溶接の国家免許は自分で国家試験に合格すればいいと泣き泣き諦めた。もちろん失業保険もパーになってしまいました。でもその頃はすでにリベンジも達成し利息まで戴いた計算になる。その訓練所で造ったのが△△高校の食堂の屋根工事ではっきり云って何も知らないド素人なもんですから鉄骨建設現場を覗きに行っては見様真似で何とか仕上げました。その頃は若く無中で怖さを知らなかったが今になって見るとどうなっているか怖い、多分新聞沙汰になってない処を見るともう壊されている事でしょう。やがて訓練所から離れるのですが、まだしっかりとした工場を持ってなく取り敢えずドラ息子の家の庭を使うことにした。しかし其処は都区内の住居専用地区でしたのでたちまちご近所から苦情が出て止めざるを得ませんでした。当たり前ですよね鉄骨の切断や金属を叩く激しい音、雷の様な電気溶接の閃光、そしてアセチレンガス・・
都内でも名だたる高級住宅地で、ですよ〜誰も許す人などいる訳ありません。すると、ドラ息子が「絶対に苦情が出ない場所を知っている」そこにしようと云った!
・・・・さああなたならどうする・・







2016/05/02 21:00:15|その他
I あなたならどうする?
昔の溶接科は今思うとやたら基本を重視して、今はボンベに入っているアセチレンガスもカーバイドから摂りだす行程から習う、実習もハツリと云って2cm位の厚みの鉄板をタガネで削る左手で押えたノミに思い切りハンマーを当て少しずつ削って行く、怖がっていると削れない素人だから親指の付け根や爪を叩きたちまち紫色に血がにじむ、ガス切断器など筆を挟んだ菜箸を両手で持って半紙の上に一定の細さで引ける様になって初めて実戦に臨める。やがて気心が知れた頃、同級生の中年の男が俺に声を掛けて来た。「ね〜あんた中卒の子供に人気があるから、この子達を使って仕事を始めない?どうせここ出たら将来は鉄工所やりたいんだろ・・」「何、言ってんですか!まだ、まっちょうに仕事が出来る訳で無いし、ましてや作業場さえないじゃないですか!」、この中年の男は実家の金物屋を両親から任せて貰えず妹に婿を貰って婿に店を任せられてしまったドラ息子だった。「仮に仕事が有ったとして、何処で叩きます」って云ってみた。「それよ〜その事なら任せとけ俺が教官に呑ませてここでやらせて貰う!ダメとは云わせね〜」もうビックリこの人何考えてるんだ?呆れて相手にしなかった。そんなこと忘れていた夏の或る日のこと校庭に中型トラックが入って来ていきなり荷台の横を切り鉄骨材料を落としはじめた。たちまちすごい剣幕で所長が教室に飛んできた「誰だ〜こんな事をしたのは」・・・
・・さ〜あなたならどうする・・