サイクリストのお助け茶屋(鬼ボッコ)

価値観の違いで生きざまが変わる?
 
2016/12/07 19:26:00|その他
D そこまでやるんか?

バイトであれ何であれ真剣に取り組む事で必ず将来役に立ちます。例えが悪いがキャバレー勤めしてた時にストリパーの小道具のニシキヘビや青大将の口にセロテープを巻きつけ赤い舌先は出るが口は開かないので危険が無いとか?氷を手の上で欠くのもピックの先端をほんのわずかしか出さず手の平の小指の根元の肉厚部分同士をぶつけることで安全にする、タンブラーは良く磨いて蛍光灯にすかし曇っていると汚れが泡立ちを激しくしてしまうとか、お絞りなど端を中にして見せぬよう転がして硬く巻くとか・・すべての仕事は段取りで決まるのをここで覚えた。ところでこの世はマニアル通りに廻ってますが・・いくら規則とはいえ、しちっ堅いと感じた規則は自分で責任をとる覚悟で自分の信念に限りなく近づいた生き方をしてほしい、僕が車掌をしていたとき定期券を忘れた学生が車掌室のドアをノックした。定期を忘れたという長後〜新宿まで金額はけっこうする、知らせに来るなんてまじめな学生さん。「僕なら改札を駆け抜けてしまうのに!」これは何とかしてあげたい!しかし乗務員の僕がその子に着いて改札口まで行って係員に頼む訳にもいかないので取り敢えず隣の南新宿から乗った事にして切符を切って渡した。そう言えば・・その昔「駅員がよせばいいのに無札の人を通りの角まで追っ駆けて行って殴られて帰ってきた」だから深追いするなと駅務員の頃に上司から言われた事もあった。ところでぼくの話なんだが・・もう時効だから云っちゃうけど新宿駅の改札係りだった入社間もない頃の話です・・特急券は30分を切ると払い戻せず廃棄処分でした。ある日の事「お客さん!この切符、会社に戻すのでなく僕個人に戴けませんか?」と云ってみた「いいですよ!払い戻せないのだから」そ〜言ってくれてたお客さんから貰った切符を・・云ちゃ〜何だが僕の家みたいな貧乏そうなお年寄りの切符が遠く小田原・箱根だったりすると「内緒で貰った切符なので安心して乗ってください差し上げます」と云ってあげてしまった。だってその頃のロマンスカーは途中から乗れない空の座席のままになってしまうんだもの・・もし会社からお叱りを受けたら「1度乗ってみてもらってその方がリピーターにならないとも限りませんから」て云ってみるつもりでいた。うふふ・・貧乏してるとお互い解りあえますが絶対もったいなくて乗りませんよね〜?ま〜こんな考え方をしていた20歳の頃でした。








2016/12/05 16:06:02|その他
C そこまでやるんか?

ね〜映画館のフィルムの掛け持ちをやったんですが・・映画って5〜6本のリールで1本の映画になってたんですよね〜今はフィルムじゃ無いらしいが?昔は3本立ての映画館が多かった。あれって集客サービスかと思ってましたが?違ってました。そ〜新作フィルムが高かったので安い2本を抱き合わせ3本立てにして時間を稼ぎ新作を立川〜八王子の系列映画館2軒で掛け持ちする訳です。なもんで時間厳守の大忙し時間が切羽詰った時なんかタクシーで届ける。けっこう重いんですよ〜何よりも嬉しいのは「○○映画館の掛け持ちしてます」の一言で配達の合間にどこの映画館にも入れた事です。そ〜初回の寅さん・座頭市の頃でした。DPE写真屋の写真をオートバイで真冬に大学生協に配達するアルバイトは雪がゴーグルに張り付いてめがねにワイパーがほしかった。ブレーキも4輪と2輪じゃ〜制動距離が違うので自動車の後ろに突っ込んだり?すし屋の頼まれバイトの3日間で店じゃなくお客の対応のあるべき姿を勉強させてもらいました。て〜のは正月なんぞ食べ終わった器をそのまま空っ風の門の外に出しっぱなし!こちとら・・回収器を水洗いするのだが器にコチコチにこびり付いた飯粒の欠けらがふやけた指に刺さり血だらけ・・常識というかちょっとした思いやりの大切さを学びました








2016/11/30 21:39:00|その他
B そこまでやるんか?

まずやったのが炭屋の丁稚、おつりの小銭を店主から渡され炭俵をリヤカーに乗せての配達、楢・クヌギが主で高級な備長炭はあまり出なかった。小袋売のバラにする為に適当な長さに電動ノコで斬るのだが鼻の穴がまっくろになった。粉は炭団にして売っていた。おやつに出してくれたコッペパンの揚げパンがとてもうまかったのをいまだに覚えている。だがこの炭屋も先輩が意地悪だったので辞め、次は通りすがりに目に付いたお店のショーウインドウのステーキやオムライス・スパゲッティーに魅かれて・・俺は食い物に弱い!ハヤシライスなんて中学性の時、友達の家で初めて食べさせて貰って甘いカレーってあるんだ?と思っていたくらい?ここで働けば昼飯はさぞうまいに違いない、そ〜思って今度はこれをやってみることにした。初日の仕事が洗い場、ここで無駄の無い作業を覚えた。まずカレー・マヨネーズ・ケチャップ・てんぷら油等の付いた皿を苛性ソーダの入った湯槽で洗い次に熱湯に近い湯槽で完全に洗い切りそのぬくもりがさめぬ速さで流れる水道水に通し、チョチョチョン・チョチョチョン・チョチョチョン・パ!で皿立に立て掛ける・・拭かないで皿の熱でピカピカに乾く、布きんを使わないので糸屑が付かず何よりも手早く仕事をして貰えて能率がいい、しかし作業してる店員は肘までドブに漬けたようになる。いよいよ待望の昼食!なな・・何と?冷えた芋の煮っ転がしと冷や飯!「冷飯を食わされる?」ってこの事?これにはムカッとして即、辞めることにした。僕よりもそれを何年も食べさせられてるウエイトレスのために!ウエイトレスは「洗い場大変でしょうから交代しましょう」って云ってくれた。僕はオーナーに辞める理由を告げ「1日なので賃金は要りません」と云って辞めた。果たしてこのオナーが店員への待遇を改善して呉れただろうか?








2016/11/13 22:58:31|その他
A そこまでやるんか?
中学生になると、生活力も半端じゃなくなる!その頃バイトは中学3年にならないと学校で認めてもらえずやりたくてもできなかった。だが隠れて仲間内ではやっていて俺にも声が掛かった。それは新聞配達のバイトで自分は早起きが苦手だったので牛乳配達や新聞配達は向いてないと感じていた。しかし話によると夕刊だけでしかも日曜日は休み!地域限定のちっぽけな新聞だったが配達の人にはビラ下(映画の宣伝を載せた御礼のタダ券)も貰えるとの事でもうやるきゃない!何ヶ月かやってるうちに、ふと妙案が浮かんだ。そうだ遊び仲間で新聞配達の区域を細分化して手分けで早く切り上げよう。ガキ大将だったから即、実行に移した。え〜ずるい?冗談じゃね〜給料も分配さ!でも困ったことが、それは映画のビラ下が2枚しか貰えないので何枚か足らない。そんでもって策を練った。小学低学年の子は映画館の切符売り場のおばちゃんの目線から逸れた影に待機させて中に入る寸前の大人の腰根っこにさもその人の子の振りをさせて入り込ませ、その子に今度は便所の窓を中から開けさせて高学年の生徒は自分の肩に乗せ窓から入れた。いま思うにモギリのおばちゃんも見て見ぬ振りしてたんだと思う。そのうち中3になりおおぴらにバイトができる様になった。・・・その他のバイトは次回に・・・







2016/11/06 19:05:03|その他
そこまでやるんか?
そ〜小学生の頃、毎日のようにバタ屋(クズ拾い)をやってた。お蔭様で金属が何であるか?何が高価なのか?真鍮と銅と混ぜると砲金になり主に水道のバルブになってるとか・・鋳物と鉄の違いとか、水銀は毒であるが体温計などに使われていて貴重で面白い金属だった。10円銅貨にこすりつっけると100円玉みたいにシルバーに輝くとかアルミとジュラルミンの違い?とにかくお金に換えてもらえる金属のすべては小学生で覚えてしまった。多少のお金が入ると早速、路地裏の肉屋さんでコロッケ買って2〜3人で「うまいな〜またやろうな!」なんていいながら鼻ったれ時代を過ごしていた。クズ鉄拾いをしたお陰で学校でも教えてくれなかった事を知った。それは甲州街道に鉛の溶けたのが終戦後数年経ってるのに張り付いていて剥がして売ったりした事で初めて八王子の市街にも市電が走って居た事を知った。そんな思い出をカカアに「おめ〜も同じ小学校にいたなら子分にしてやったのにな〜」って言ったら・・「いいかげんにしてよ〜!」って云われちまった!え〜学校ですか?勉強嫌いで教室の吐き出し口から授業中に抜け出て遊びに出かけ・・バカだね〜すぐばれちゃってビンタを食らって!でも2発くらいなら遊んだほうが得みたいに考えているガキでして・・何しろヅル賢こくって逃げ足が速い!ある意味、一部の裏家業で将来を嘱望されてたかも?なんチャって!・・・次は中学の頃ね?