日本の2000年の歴史の中で最も過酷であったであろう時代を生き抜いた大正・昭和1桁の人々が、今介護を要し、そして団塊の世代と呼ばれた人々が初老を迎えて、正に父母の介護に翻弄されている。
人間のDNAの中には、まだ長生きをするという遺伝子が組み込まれていない。しかし、何万年の間に培われてきた遺伝子の学習能力よりも、現代の環境の充実と医学の進歩により、人生90年の時代を迎えている。少子高齢化の現在、介護は子に孫に重くのしかかる問題であることに議論の余地は無い。
介護に関わるいわゆるハウツー本は腐るほど出版されている。やれ支点は、やれ重心は。それ起こせ、それ倒せ、それひっくり返せ。すべてを否定するわけではない、介護者にとって、技術は紛れもなく手助けとなり、要介護者、介護者共身体的負担を軽くしている事も事実である。
しかし、介護者はそれらのハウツー本を盲信し他方では、睡眠導入剤を多用し、睡眠剤を高齢者に与え続ける。介護人のエゴであることを自覚していない。無理に眠らされた高齢者は排泄で失敗する。あるいはふらつき転倒し骨折する。すると、待っていましたと言わんばかりにおむつをはかせる。ますます高齢者は自信をなくし、言葉が萎縮し、行動範囲が狭窄する。そして介護者はさらに介護に翻弄されて、まいまい井戸のように落ち込み、やがてどこかで介護放棄を起こしている自身に気づかなくなる。
介護を実際にされた方の本も沢山出ている。自己満足的な本もある。似非介護者の本もある。しかし、真に介護に携わった方々の文面には、一つの共通項が有る。介護とは如何に要介護者に寄り添っていくことかできるか。その一点である。介護者の思惑や行動に要介護者を引き込むのではなく、要介護者の思いにたった介護をするためには、時間がかかっても、要領が悪くても、ただそばに寄り添うことが最大の介護である事を物語っている。要介護者が眠れないときは、そっと手を握ってあげているだけで不安が軽減し、やがて穏やかな表情で眠りにつく。しかし実際は介護者は、見たいテレビもある。明日の朝の用意もしなければならない。あれもしなければ、これもしなければ、益々自分の時間が削られる事への不満から、安易に睡眠導入剤を使用する。一事が万事、介護に時間をとられることにいらだちを感じ始める。
認知症者に対する対処も同じである。繰り返し、繰り返し同じ事を言うことへのいらだちから、無視し始めたり、怒り出したり。しかし認知症者には無視されたり、怒られたりするいわれは全くないことを介護者は理解していない。
しかし、自己を見つめられる介護者は、かって自分が乳児の時、父母は 泣きやみ眠りにつくまで、そっと寄り添い見守っていてくれたことに想いをはせる。
要介護者と共に暮らし、夕刻の8時に涙が出るほど笑い有ったことが有りますか。要介護者にも仕事をしていただき、その価値を評価してあげたことが有りますか。自分の悩みや、とまどいを相談し、高齢者の経験談や智恵を助けと思ったことがありますか。
介護とは 「覚悟」です。介護者自身の五臓六腑に覚悟の2文字を落とし込むことができれば、介護は決して難しいことでもなく、要介護者と共に助け合い、励まし合い、慰め・慰められて生きる価値ある人生の経験だと感じます。
短い文章で言わんとしていることが伝わらなかったと感じます。次回は 認知症と言われる方の介護に関し記述致したく考えます。