アルボス 樹

運動音痴がはじめて出会ったゴルフの楽しさ。 そして幾分なりとも落ち着いて音楽を聴く 環境が出来、良き師匠にも出会うことが出来ました。
 
2012/04/10 22:32:50|レクイエムに魅せられて
感無量 その1

私が師匠が 弟子のために36CD(枚数は更に多い)をお送り下さいました。


サバール、ジョルディ振るところのCD


パブロ・カルザス演奏のチェロのご指導を受け、サバールも同じタカルーニア出身から、どうしてもカタルーニァ地方の音楽が聴いてみたいと、師匠にねだりまして、この度のご指導を賜ることとなった次第です。



 古きカタルーニァの歌 哀歌と伝説曲 パブロ・カルザスのチェロの旋律の後に モンセラート・フィゲーラスがソプラノにもかかわらず哀愁ある曲を唄う。 写真 1 鳥肌物です。


 シビラの歌〜カタルーニャ フィゲーラスの独唱と、地中海地方に伝わる古謡を集めたCD フィゲーラスは2011年に亡くなりましたがなぜに カタルーニァの曲は私を 私自身を回顧させるのでしょうか。 写真 2


愛の舟1563−1685 アンソロジーですがカッチーニ、モンテヴェルディ:マドリガーレ集 シャイト:合奏曲集の曲が入っております。 写真 3


 当然 サバール先生はヴィオラ・ダ・ガンバの演奏者でもあのます。 J.S.バッハ:ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ集 4曲が収録されたCDもあります。 写真 4


 


 ただ ただ 師匠のお心に感無量 この気持ちは 感無量 2で更にお伝えいたします。








2012/04/04 21:13:30|母の為の ページ

1年前 ある 著名なご高齢の獣医学者がなくなられました。


その先生は奥様を本当に大切にされ、常に愛情を持って接しておられました。


しかし その先生が突然亡くなられました。


奥様は、重度の認知症でございました。ご自分のご主人が亡くなられたこともご理解できませんでした。


昨年の夏 東京では計画停電が実施され、その晩に奥様はかなり錯乱され、私は急いでお伺いいたしますと、真っ暗な中でお一人でおびえておいででございました。小さな懐中電灯を1つ点け、二人でソファーに座りますと、奥様は私をご主人と思われたのでしょうか、にこと笑って電気が通じるまでの2時間を穏やかにお過ごしいただきました。 


それから1年後の数日前 奥様の誕生日が参りまして、小さなお花を差し上げ、その日集まりました数名でハッピバースディの歌を歌って差し上げますと、奥様が涙を流されました。


全く意思の疎通のできない認知度の奥様でございますが、涙を流されておられました。その涙の意味する事を 私は解釈することができません。単純な表現で、ご理解いただけた とか うれしかったとか まして 意識が云々ではありません。  


私は 無神論者でございますが、生きている全知全能に対する畏敬の涙のように感じました。そして その涙に 感謝の祈りを捧げました。


その涙の意味が解るまで 私は生きるのでしょうか。又 私も重度の認知になり そのような涙が流せるのでしょうか。


無神論者の私でも その奥様が マリアのように感じました。








2012/04/03 14:05:13|レクイエムに魅せられて
クライバーが振る

カルロス・クライバー指揮のベートーヴェン第5番 「運命」を聴きました。
長岡鉄男さんを先生と仰ぎ、スピーカーを独自の理論でお作りになっておられる大山美樹音さんの録音の良いCDの推薦がございまして、買い求めた物です。
SECD対応 しかしSACDよりも、オリジナルスのほうが、音に厚みがあり、迫ってくる感じがするとのご意見もあるようです。HMVのユーザーレビューでも60件以上の書き込みがあり賛否両論。

1ト月ほど前に小澤征爾さんを聴きましたので、ここはカラヤン大先生も聴きまして、私的にはカラヤン先生1番、小澤先生2番となりました。ベーム先生、フルトヴェングラー先生までたどり着けないほど疲れました。

誰もが知ってるこの曲は、若い方がお聞きになるべきで、初老の身にはあまりにも熱情的で血圧が上がり、プツンしそうです。
クールダウンに 第7番を聴きましたが、いや第6番「田園」を聴きましても、やはりベートーヴェンは疲れます。

シュッツの「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」を聴いて
やっと やつと と言ったところです。

本日は休みなのですが、台風なみの強風。冬眠から覚めた母とは出かけることができませんでした。







2012/04/01 11:02:59|レクイエムに魅せられて
すしの食べ方

三島由紀夫のライフワーク。 豊饒の海は 第一巻 春の雪 に続いて 奔馬、暁の寺、最終第四巻 天人五衰と続く。この第四巻の終部に 「我は本位を楽しまず」 とゆう言葉が出てくるが、すでにこの豊饒の海を読んでから四〇年経った今でも、この言葉が心のどこかにとげとなって刺さっている。


さて すしの食べ方 だが 私は常に一番好きなネタを最後に食べる。知人は、おなかがすいているのだから幾分なりとも満腹感が出てきたときよりも、一番食べたいものを一番最初に食べた方が美味しいだろう。と言う 確かに理にかなっている。


すしの食べ方で 「我は本位を楽しまず」というつもりはないが、常に自分の中にはそのような潜在意識が沈殿している。


「音楽を聴く」 それも同じ思考(嗜好)回路の中に組み込まれている。聴いてみたい曲目リストを作っているが、決してそのCDは買わない。とりあえずこれを聴くかといった感じで終始する。


人生において 「我は本位を楽しまず」 とは決して好きなことを好きなように生きることではなく、三島の「天人五衰」に記されている、「ずつと昔から本位 を楽しんだおぼえのない自分が、一向に死なないのは、天人でないせゐにすぎぬ のか」と述べている。これを小人の自分に置き換えて思考すると、自分は臆病であり、その臆病な性格を隠すために、小人の努力をしているに過ぎない、本位はその臆病さに隠された意志の裏表紙なのでは無いだろうか と感じている。


三島由紀夫は生前 約380編の文書を残したと記憶するが、私はおよそ90%を読破した。三島に関しては又記述する機会も有ろうが、自分の本位をおそれない生き方で、更に音楽を楽しんでいきたいものです。


 


 








2012/03/29 17:19:37|母の為の ページ
母 冬眠から覚める

東京 多摩地区も3月の下旬になってやっと春めいて参りました。
と言うわけで 母を連れて 東京西の外れ 青梅梅林に言って参りました。
例年ですと、梅はとっくに終わっていて、桜の時期なのですがね。平日というのに観梅の人も多く、駐車場を確保するのが一苦労。

梅を見て ろうばいを見て こうぞ三つ叉の花をみて。梅の茶菓子で お茶を飲んで おみやげ買って 樹齢400年の鎌倉の梅に感心し 

青梅着物博物館では 現皇后陛下が自ら徳仁皇太子の子供服をお縫いになられた服を見て(母は手をあわせていました)帰って参りました。やっと 母も冬眠から覚めたような一日でした。