近江ちぢみの着尺。かつての近江上布の産地では、現在はホンモノの近江上布のほかにリーズナブルな商品も織って産地として続いている。
写真いちばん上は近接、写真2番目は拡大。
江戸時代に近江上布を行商したのが近江商人だが、幕末ごろ、その近江商人のなかに伊藤忠兵衛という人がいて、この人の屋号が「紅長(○の中に「紅」の紋)」であった。明治になって京都で呉服問屋も営み、さらに貿易商も営んだため、近江上布の扱いは事業の一部になった。そのため、事業を再編し、自分の名前を生かした「伊藤忠」と屋号を生かした「丸紅」とに分かれた。そのとき近江上布を含む呉服部門は丸紅側に残され、それが京都丸紅であるから、丸紅の呉服部門が京都丸紅ではなく、京都丸紅の呉服以外の部門が「伊藤忠」と「丸紅」だともいえる。
現在、「手織りの里 金剛苑」の所在する場所は、滋賀県愛知郡愛荘町。愛荘町は2006年に秦荘町と愛知川町の合併により、誕生した。秦荘町は、昭和30年、秦川村と八木荘村が合併してできた町であった。
八木荘村というのは、のちに西武グループを築く堤康次郎の出身地で、この村で農業や役所の臨時雇いをしていたのが、祖父の死を契機に(父は先に死んでいた)、村に有った先祖の土地を担保にして金を借りて上京し、早稲田に入学したのが、西武グループの始まり。 |