白木屋呉服店の過去の一点

この度、fc2で同名のブログを開始したため、こちらは「過去の一点」と改名いたしました。過去数年分の作品についてはここでしかご覧になれません。このブログは今後も継続していく予定ですので、fc2と併用してご利用いただきたいと思っています。ホームページ本体の「ご意見ご感想」もご利用ください。
 
2013/06/06 14:58:00|伝統工芸作家
近江ちぢみの着尺

近江ちぢみの着尺。かつての近江上布の産地では、現在はホンモノの近江上布のほかにリーズナブルな商品も織って産地として続いている。

写真いちばん上は近接、写真2番目は拡大。

江戸時代に近江上布を行商したのが近江商人だが、幕末ごろ、その近江商人のなかに伊藤忠兵衛という人がいて、この人の屋号が「紅長(○の中に「紅」の紋)」であった。明治になって京都で呉服問屋も営み、さらに貿易商も営んだため、近江上布の扱いは事業の一部になった。そのため、事業を再編し、自分の名前を生かした「伊藤忠」と屋号を生かした「丸紅」とに分かれた。そのとき近江上布を含む呉服部門は丸紅側に残され、それが京都丸紅であるから、丸紅の呉服部門が京都丸紅ではなく、京都丸紅の呉服以外の部門が「伊藤忠」と「丸紅」だともいえる。

現在、「手織りの里 金剛苑」の所在する場所は、滋賀県愛知郡愛荘町。愛荘町は2006年に秦荘町と愛知川町の合併により、誕生した。秦荘町は、昭和30年、秦川村と八木荘村が合併してできた町であった。

八木荘村というのは、のちに西武グループを築く堤康次郎の出身地で、この村で農業や役所の臨時雇いをしていたのが、祖父の死を契機に(父は先に死んでいた)、村に有った先祖の土地を担保にして金を借りて上京し、早稲田に入学したのが、西武グループの始まり。







大羊居の付下げ「」

大羊居の付下げ「」。

写真のいちばん上は前姿(マエミ+オクミ)、写真2番目は後姿、写真3番目と4番目は近接。
 







2013/05/30 17:24:00|伝統工芸作家
永江明夫作の「手織り木綿帯」

永江明夫作の「手織り木綿帯」。

薩摩絣の永江明夫作の木綿の八寸の名古屋帯。絣はないので「薩摩絣」とはいえないためかラベルも「手織り木綿帯」のみ。








2013/05/27 16:19:00|伝統工芸作家
薩摩絣の着尺

永江明夫作の薩摩絣の着尺。

いちばん上の写真は反物の幅を写真の幅として撮ったもの、写真2番目は近接、写真3番目は別の作品を反物の幅を写真の幅として撮ったもの、写真4番目はその拡大。

歴史的な薩摩絣はじつは沖縄で織られていたものであるから、現在の琉球絣にあたる。現在の薩摩絣は大島紬の織元である東郷織物(永江明夫)によって、木綿を素材として大島紬の技法で織られたものを言う。

したがって薩摩絣のランクの見方は大島紬と同じでよい。上の作品は大島紬における9マルキに相当する最高級品。下の作品は大島紬における緯総に相当する。

ラベルは武者小路実篤で「薩摩絣 手織絣 誠実無比 実篤」とある。







大羊居の単衣の訪問着「」

大羊居の単衣の訪問着「」。

いちばん上の写真は全体、写真2番目以後は近接。