OJ-Suns(旧懐しBoys) 各写真はクリックすると拡大出来ます。

70年代の和声ポップス演奏オヤジバンドです。Live予定等のご案内、活動内容報告等
 
2015/12/13 9:01:56|バンド活動記録
楽器の

10年以上使っているキーボードのキーの接点不良で、音が上手く出なくなりました。

そこで、キーボードを解体し、鍵盤部の裏側基板とキーで押し下げるゴム接点の理清掃をしました。

清掃は、接点復活剤を使用したのですが、揮発性ではない薬液だったので、そのままでは接点の中に液が残り、還って電流の流れを阻害したようです。

また、ゴム接点シートは8音ずつの別れたシートになっていたため、良く使う伴奏部の不具合シートと、余り使用していない低音部キーシートと入れ替える事で、見事伴奏キーは復活し、購入状態と同じ動作が復元しました。

筐体の上カバーとベース筐体のねじ固定部が、数回のねじ外しで、タッピンねじでプラスチックボス穴が壊れ、締まらないねじもありましたが、プラスチック破片をかませねじ込むと、何とか締まりました。

しかし、未だ不具合の音階キーも存在するので、再度、ゴム接点端子部の清掃が必要かと・・

それは、Xmas Liveの後にしましょう。







2015/12/13 8:43:04|その他
昭和30年代
シルバー仕事で学校内を巡回していたとき、1年生の教室に差し掛かった所、先生が何やらアルミ製の器を片づけていました。

良く見ると、それは、懐かしい給食の食器ではありませんか!

先生にお聞きすると、図画の絵の具解きに使う道具です。との事。

それは、昔の学校給食の器で、平たい方がパン用で、深い器がおかず入れで、もう一つ本当はおかず入れの小型の脱脂粉乳ミルク入れの3点で構成されていたのですヨ!とお話しすると、先生は驚かれ、これが食器ですか?

ジブリ映画の「思い出ぽろぽろ」の一場面に給食を食べるシーンがありますよね。その中で、妙子ちゃんが隣の男の子のミルクを代わりに飲んであげる場面がありますが・・・それが、この食器ですよ!

私達が小学生の頃、つまり、昭和35,6年頃の実際の学校給食で使っていたものに遭遇し、思わずタイムスリップしてしまいました。

もろ、本物の「思い出ぽろぽろ」をやっていましたよ!と話しました。

昔を語りだすと限が無くなるので、この辺で・・







2015/12/05 9:23:16|その他
あったかい話

インターネットのニュースで見たのですが、JR西日本の何処かで、電車の線路ポイントに亀さんが挟まり、ダイヤが大きく乱れた。と言う記事です。

この事故を受け、JR西日本が水族館に相談して、線路に亀さんの落とし穴を作り、亀さん・電車共双方問題を回避できた記事がありました。

原因は、線路脇には用水池があり、夏になると、その用水池から線路の中に亀さんが入り込み、線路に阻まれ、線路に沿ってずっと進むと、ポイント地点に来て切り替え線路と、本線路の間に挟まり身動きが出来なくなるため起こる事故らしい。

水族館で用意した策と言うのは、単純で、ずっと進んで来た亀さんがポイント近くに掘った線路と直角に交わるU字溝に落ちると言うもの。

U字溝は、定期的に駅員さんに掃除してもらうので、亀さんも助かり、電車も助かるという、ローテクながら、心まる話です。

写真は、TABI LABOさんから借用しました。







2015/11/19 22:11:05|バンド活動記録
ムピックの違い・・わかるかなぁ
今日も、「365日の紙飛行機」のギターでスリーフィンガー奏法の練習をしました。

ギター小物ケース(米軍実弾弾入れポシェット)に入れてある、カポタスト・音叉・ピック・ムピックの中で、スリーフィンガー奏法で、4弦以降のベース音を弾くムピックを大型の物を使用していたのですが、昔使っていた小型のムピックを試しに使ってみました。

すると、奏法動きの滑らかさがずっと良くなり、上手になった気がしました。

大型ムピックを使い、弦を拾い易くすると思っていたのですが、逆で、細かな親指の動きには、小型のムピックの方が優れていました。

奏法が早くなると、大型ムピックでは弦に余分に引っかかり、かえって邪魔をしていたようです。

やはり、昔の形状はそれなりに工夫され、淘汰されて出来て来たのだと思いました。

一見、大きくて派手さがあり、立派に見えていたムピックですが、基本に還り、オーソドックスな地味なムピックに代えます。

だからと言って、演奏が完璧になるかは別問題ですが・・・!







2015/11/16 21:13:00|自治会
15時間・・市長投票所立ち合い人
昨日、青梅市市長挙がありました。

私は、挙投票所の立会人として、朝6:30から投票所に詰め、7:00からの投票開始に合わせ、所定の立会人席に付きました。

投票所の立ち合い者は、私と若い女性の二人、そして投票所責任者の三名で構成されています。

受付事務方は、青梅市職員の方と大学生アルバイトの六名でした。

先ず、午前七時と同時に、投票所責任者の投票開始の宣言のもと、投票の最初の方と次の方の二名、そして立会人の三名で、投票箱が空であることを確認しました。

その後から順次来場者の投票が開始されました。

一時間毎に、青梅市の職員の方が投票者数カウントを本部に電話連絡で報告し、それが本部で各投票所の集計と合わさり、市内放送で投票率が放送されていたのです。

立ち合い者の役目としては、投票用紙の持ち帰り等が無いかを延々と、投票が終わる午後八時まで監視続けるのでした。

私は、シカメ面をし、黙ってその15時間を遂行するのかと思っていましたので、途中で眠ってしまうのでは無いかと不安でした。

しかし、もう一方の立会人の若い女性は、隣町自治会長さんの娘さんでしたので、投票者の途切れた時間には、色々とお話をさせていただました。お蔭で、時間の経過も気にならずに任務の遂行が出来ました。

私の地元の投票所は、自治会館の60畳ほどの和室に、テーブル椅子を置き、投票記載台、投票箱、お花の鉢植え等を設置してありました。玄関は開放したままでしたが、エアコンの暖房が効いて快適でした。

一方、シルバー仕事で行っている学校も投票所になるのですが、学校は昇降口が投票所となるため、ストーブ等の暖房を置いても、広いロビーと廊下に熱が逃げてしまうため余り暖かく無いと思います。

投票が終わる午後八時には、ラジオのNHKの時報で、投票所責任者の宣言により、投票終了が成されるのでした。

終了後は、急ぎ投票箱に鍵をかけ、待機しているタクシーに、駐在さん、市職員、投票所責任者、立会人の私で四名で乗り込み、投票開票所の総合体育館に向け出発しました。

総合体育館では、各投票所から同様の方々が手続きに訪れており、いの一番に投票箱は、第何投票所です。と宣言し、開票窓口に引き渡します。

必要書類、パソコン等は、行列で返却に並び、21時過ぎにようやくすべての手続きが終了し、乗って来たタクシーで帰路についたのでした。

こんな風にして、毎回挙は行われていたのですね。

初めての立会人・・本当の一日仕事でした。