ドキュメント・ノベル 君がいて 僕がいて 市広報紙の市民ボランティア編集員の活動記録
協同参画推進課 男女協同参画情報誌 「協 働」 〈編集スタッフ〉 ●森山貞子(35) 市職員 編集未経験の新担当者 ●林田賢一(66) 市民編集員 マーケティングライター ●山野澄子(67) 市民編集員 滞米経験キャリアシニア ●木村喜代(68) 市民編集員 独身の女子高元国語教師 ●山本由美(32) 市民編集員 新人・1歳児新参ママ ●近藤カンナ(35) 市民編集員 新人・地育ちの母親 ●吉田美奈子(42) 外部スタッフ 嘱託NPOデザイナー 〈サポーター〉 ●篠田課長(48) 市職員 担当課長 ●南町早苗(34) 市職員 前編集担当者 〈取材対象者〉 ●友田 健(35・夫) 地元中堅企業の事務職社員 ●友田朝子(32・妻) 妊娠中の1歳半の育児ママ
第一章 ボランティア編集員
林田賢一のパソコンに、山野澄子からのEメールが届いた。彼女は、林田と一緒に、市の協同参画推進課が、年三回発行している男女協同参画情報誌「協働」の市民編集員五名のうちの一人として編集の手伝いをしている。五年前に、林田と同じ頃、募集に応募してメンバーに加わった無償奉仕のボランティアである。また、林田と同じ市のシルバー人材センターの登録会員でもあり、一緒に市役所に派遣され、パソコンを使った管理業務の仕事をしたことがある。滞米生活の経験があり、英会話が堪能なビジネス・キャリアで、林田とは、気心が知れた仲間であった。
山野は、Eメールで、編集協力員を辞めると宣言してきた。いくつかの理由があるようだが、明らかにしていないが、主なものは二つ。ひとつは、その頃に人事異動で変わった担当者とのコミュニケーションがうまくとれないことにあるようだ。もう一つは、その頃、市民編集員に加わった、二人の若い主婦の取り組み姿勢に我慢しきれなくなったことのようだ。
市の担当者・森山貞子は、二年ほどで変わる役所の人事異動で、この春に編集担当責任者として配属された三十代の女性職員である。利発で優秀な職員らしく、まさしく男女協同参画を地でいくような人事だが、編集の仕事は全く始めてだという。そのせいもあってか、新しい業務へのあわただしい引き継ぎに、なじむ時間が足りなかったのだろう。山野澄子は、Eメールでやりとりしていた編集員との連絡対応が、不親切だと、気に障っていたようだ。
二人の若い主婦、山本由美と近藤カンナは、市の公民館事業の、男女協同参画の講習会で知り合ったらしく、男女協働事業に関心を持っての応募らしい。市民編集員が林田を含めて三名しかいなかった時期で、歓迎されて迎えられた。林田は二人の参加を聞いたとき、これでいつでも編集員から手が引けると、ほっとしたものだ。おそらく山野もそんな思いだったのかもしれない。ただ、その二人は、共に目が離せない幼児の子育て中で、子連れで編集会議に出たり、欠席、遅刻、早退が常態化し、それを少しも悪びれない。民間ビジネスの熾烈な現場経験が少なかったのだろう。
山野澄子は、Eメールで嘆き、憤慨している。「若い方が新しく参加されると伺いました。私は、まさかその方々が子連れでみえるとは思ってもいませんでした。私は「ボランティア」と言う片仮名言葉が嫌いで、常に「奉仕」という言い方をしています。奉仕とは、自ら進んで自分の時間、知識を無償で提供して、なお、自分自身も学ぶ、と考えています。
会議は長くても二時間です。奉仕であるなら、子育て中であろうと、子どもを預けて、会議に臨んでほしい、ずっと感じていたことです。会議中に子どもが足元で色々なことをするのに、気が散り、とても厭でした。いつか、機会があったら、若い方に進言する積りでした。子どもを理由に、遅刻、早退もあってはならないことです。 『奉仕』は『やってやる』のではないのです。みずから、参加されるのであれば二時間位、友人なり、近所になり子どもを預けて欲しい。『強制』ではないのですから、『言い訳』は嫌いです」。
林田も同感であり、苦々しさの中で、子どもらには、表面上は好々爺を装ってはいた。子どもが嫌いなわけではない。何人かの孫がいてもいい年齢であり、子ども好きでもある。だが、この活動は「仕事」であると思っていた。会議は、仕事のまさしく戦場なのだ。しかし、若い主婦らにとっては、仕事ではないらしい。趣味の文化活動であり、手の空いたときや、気が向いたときに楽しんで手伝うカルチャー・レジャーのようだ。
従って、このメディアの制作刊行は、能力不足の職員や関心があるだけの市民でも事足りるとする程度の事業らしい。本来、編集者には、男女参画の意義や市民協働の理念啓蒙者としての能力をもち、それを的確に伝えるスキルが求められるものであろう。担当者を矢継ぎ早に変えたり、「市民に協力してもらっている」というアリバイづくりが、市当局にとって、このメディアは発刊することだけが目的の事業なのかもしれない。そういえば、編集に携わってから、メディア効果の検証などなされていなかった。
印刷物を作るだけなら、職員が印刷所に依頼するだけで事足りる。ただ、この情報誌「協働」の制作には、デザイナーを擁するNPO法人に制作業務を委託している。もちろん、費用は、一般企業の事業ベースとはいかないだろうが、企画プレゼンなり、入札なりの業者選考を通しての発注によるものであろう。しかし、本来必要なのは、印刷物の見てくれの体裁を整える費用の多寡だけではなく、発刊の目的を的確に実現できる表現者と編集者であろう。職員の編集責任者は、それなりの学識があり、勤務成績に優れ、小器用な役人というだけでは務まらないはずだ。
デザイナーの吉田美奈子は、編集スタッフのリーダー的な存在として熱心であり、年齢なりの経験と、センスやスキルを持っていた。林田が、四十数年間、大手企業の宣伝広告制作の現場で付き合ってきた、斯界認定の実力派クリエィターたちと、遜色のない仕事をこなす。編集スタッフの中のプロとして安心して組めるパトナーといえた。
もう一人の編集員は、木村喜代。女子高校の元国語教師で、林田や山野と同世代だが。市民編集員として先に籍をおいていた。物静かな聞き上手で、会議が熱くなっても冷静沈着。暴走した議論もを、最後にきっちりまとめるあげる実務派で、山野のよき相談相手のようだった。まだ、パソコンが使えず、パソコン教室に通っていた。若いメンバーにも、直接、声を荒げての注意はしないが、山野の不満を受け止め、なだめ役に回っているようだった。
女性中心の編集員の中で、男性は林田だけだか、それだけ報酬なしで編集作業を指向する人材が少ない「まち」なのだろう。いつだったか、リタイアした男性が顔を出したことがあるが、全く発言しないまま、次回からは来なくなった。仲良しカルチャー・クラブではないことに、ひるんでしまったのかもしれない。以来、女性中心のボランティア・グループである。
第二章 編集会議
二回目の編集会議は、午前10時に市庁舎で開催される予定だった。担当の森山貞子から、部屋は決まっていないので、二階の共同参画推進課のカウンター前に集まってほしいという連絡が入っていた。数日前に、会議をいつにするかの確認があった時、自由業で、いつでも時間が空けられる林田は、いつでもいいが、全員が集まれる時間にしてほしいと念を押して返信していた。
七人のメンバーの会議だが、いつも定刻に始まらない。欠席があり、誰かが遅刻し、早退していた。頻繁に開かれる会議ではない。年三回発刊の、たかだかA四判4ページの印刷物の編集会議である。メンバーは、自ら手を挙げて編集員として参加しているはずだった。
林田が五分ほど前に、指定の場所に行ったら、デザイナーの吉田美奈子と、市民編集員の木村喜代が話しながら待っていた。編集員を辞めるといっていた山野は、来ていない。どうも本気らしい。事情を知っている木村は「今回までは、最後までやったらと話したんですけどね」と林田にもらした。
担当の森山が部屋が決まったと現われ、三人を小さな会議室に案内した。そして、カウンター近くの課員に、まだ来ていない新人の二人が来たら、部屋を伝えてと頼んだ。10時15分過ぎ、新人二人は、まだ現れない。「しようがないなぁ」と、編集会議が始まった。
前の担当の南町早苗だったら、ここで開会の挨拶をして、順送りで決めておいた司会と書記を、また、討議項目とそれにかける時間配分を確認するという、一種のセレモニーがあった。何でも南町は「会議の進め方」という職員研修で習ったらしい。ただ、時間配分通りに進行したことはなかったが…。それを森山に引き継いではいないようだ。学生や新社会人でもあるまいし、今さら会議の進め方でもあるまいと、実社会で実務経験が長い林田は鼻白んだ。
次号のテーマは「父親の子育て支援」と決められていた。少し前に、協同参画推進課主催で「父親の子育て支援・パパの読みきかせ〜ファザーリングのすすめ」という市民講座が行われた。それに合わせて、父親の育児支援の意義と進め方を紹介しようというものだったしい。見せられたのは、参加者募集のチラシ。これはそのまま市のホームページに掲載されたという。プログラムと講師の紹介があり、林田は、父親の読み聞かせとはどんな技術なのか関心をもった。
森山から、編集テーマはその講座の要約紹介でどうかという案がでた。林田は、それはあまりにもイージーすぎ、ライブの講演とは違う紙メディアならではの編集で行こうと押した。内容紹介なら、その講師に執筆を依頼したらいい。林田の案が通り、参加者の中から、話をしてくれそうな夫婦を選び、インタビューしてまとめようとなった。この手法は、林田が編集員に加わってから進めてきたもので、今ではパターン化した手法になっていた。誰を選ぶかや、交渉は森山に任せることにした。編集員の担当として、インタビューと執筆は林田、テープ起こしは森山が担当するとになった。
林田は、森山に講座内容についての資料を求めた。もう終わった講座であり、チラシではわからない。どんな内容で、どのくらいの出席者があったのか、その反応を知りたい。インタビューに当たっての基本的な予備知識で、取材しながら聞けばいいというものではない。その市民講座の担当でなかったらしい森山は、編集員の近藤カンナが参加したので、そのレポートを書いてもらおうという。
その頃になって。新人の山本由美がいつも通り子連れで現れ、また。申しあわせたように、近藤も、その日は一人で現れた。二人には、その日に決まったことを伝え、特に、近藤には市民講座についてのレポートを依頼して散会した。二人が現れてから、10分もたたない頃だ。
4〜5日経っても、近藤からのレポートは来ないが、その前に、対象の夫妻へのインタビューの日程が入った。いくつかの候補日があり、林田は。ここでも編集員ができる限りが多く参加できる日時をと要望した。あまり時間がない。林田は、森山に知る限りの情報を求めた。
林田の元に、森山からメールが入った。講座の録音を聞き、電話の話をしての印象などを伝えてくれた。
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●申込書などからわかる範囲ですが、お話を伺う方は友田朝子さん。パパの名前は健さん。住んでいるのは、市内○○町のマンション。お子さんは二才。いま、ママは第二子がお腹にいます。
●電話での印象ですが、感じが良く、話をしやすい方のようです。インタビューは夫婦でならということです。お子さんが小さいので、途中で帰らないといけない状況になるかもしれないとのことです。
●市民講座の内容ですが、二時間のうち、休憩ををはさみ大半が子育てについての講演で、お父さんの読み聞かせについては20分位。お父さんの子育てが困難な家庭を少なくしていきたいというお話です。
●最近、お父さんは家に帰りたくても帰れなくなってしまった。家に帰っても何もできないので居場所がない。サッカーでたとえてホームが、アウェイになっている。会社には応援してくれる味方がいて、会社がホームになっている。
●家に帰れないお父さんは、自分のできる家事、育児を見つけることによって居場所ができる。家事をすることによって家族に褒められたりして、さらに家事が楽しくなる。会社の仕事を効率的にすることで、家にも早く帰れ、子育てもでき、ワークライフバランスにもつながる。
●家事・育児ができるパパは、子どもの手本になりパパ自身の自立もでき、パパ友もできて、人脈も広がる。ぜひ、「パパ友ネットワーク」を作ってください。「遠くの親戚より近くのパパ友」ですと、最後をしめていました。
●終了後の参加者の感想では、お父さんが、子供を膝にのせてあげるのに読み聞かせは最高だと思いました。お父さんの膝の上は、子どもにとって絶対安全地帯だと。
第三章 取材準備
結局、近藤のレポートが提出されないまま、取材日を翌日に迎えた。このままでは取材に入れない。林田は、森山情報と、彼なりの考えをもとに、取材メモをまとめてみる。
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「協働」取材メモ
取材者・市民編集員 林田賢一 日 時・○年○月○日(土)10・00〜 場 所・市庁舎市民サポートセンター 対象者・友田健さん 会社員 家族 妻 朝子さん。子ども1歳半
●友田さんは。先に開催された市民講座「男性の子育て支援・大好き!パパの読み聞かせ ファザーリングのすすめ」に参加されました。
●その感想や実践状況、課題、その経験から、父親の子育て支援の課題や提言、社会や行政、企業への要望をお話しいただきます。個人的な感想、意見で構いませんし、同じような立場の人たちの代弁でも結構です。
●ここでは、一般的に言われている、いわゆる父親の子育ての意義や効果については言及しません。メリットなどのお題目を確認するのではなく、それらを全て当然「よし」とした上で、これから積極的、効果的に進めていくための、より具体的な方策について考えてみます。
●今回の講座は「父親の読み聞かせ」がテーマでしたが、他にどんな子育て支援があるのか。できそうか。そのために必要な条件やスキルは何か。足りなかったらどうすれば良いのか、お聞かせください。
●もし、いま、父親の子育てを妨げているものがあるとしたら、それは何でしょうか。その解決のために必要なことはどんなことでしょうか。同じ立場、状況にある人たちは、どのように考えているのでしょうか。父親たちの連携はあるのでしょうか。
●父親の子育てに対して、母親はどのように、指示や協力が必要なのでしょうか。周りはどのように協力すればよいのでしょうか。家庭内のワークシァリングのしかたや職場等での協力方法、制度などへの提案がありましたらお聞かせください。
〈追補〉
●父親の「育児支援」というと、本来、育児は母親がするもので、父親は、サポートするというニュアンスが出てしまいます。これは差別的な概念ではないでしょうか。
●確かに、父親には、直接授乳はできないにしても、その他のほとんどの育児行為はできるでしょう。まず、育児は母親(女性)だけの仕事ではなく、夫婦(男女)・家族の恊働活動であると認識すべきではないでしょうか。
●育児を支援するのではなく、育児活動、育児の仕事をシァリングする。または、恊働行動であるという認識に立つことが必要でしょう。そして、育児を苦役とするのではなく、喜びのある楽しい活動、仕事にしましょう。
●そのために。ひとつの家族ごとに、具体的に、どんな育児活動が必要か。どんなことができるのかをチェックしてみること。マーケティングでいうところの「ニーズ」と「シーズ」の洗い出し、探索活動です。
●それぞれの作業を、どんな時に、誰が分担するのか、どのように実践するのか、あるいは恊働するのかを、具体的に決め込んでみます。ここで大切なことは、ちょっと手間がかかりそうでも「楽しめる」活動にすることではないでしょうか。
●必要最少限の項目から、趣味や興味の範疇のものまで、思いつくまま、できる限り多くリストアップしてみましょう。出てきた子育て活動のアイテムが、その家族のキャラクターであり、アイデンティティです。
●これらのアイテムのうち、公表できるものを発表することで。共感者、共鳴者が見つかります。お互いに知恵やノウハウを伝授し合えば、個々の育児活動が広がります。
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インタビューのスタートは、10時だったが、林田は取材のときは、少なくても15分前には集合場所に行くようにしていた。自分なりのシナリオで話を書いておき、その流れで聞きたい、もちろん、その通りに話が進むことはなかったが、自分の思いを投射して、ストーリーを組み立てたい。芸能レポーターではないし、相手が話すままにまかせてはいられない。林田が紡ぎ出すコピーには、計算したメッセージがなければならない。対象者のライフスタイルを紹介したところで、読者は「ああそうかい」となるだけだ。ここでは、読者にアクションを促すコピーが求められている。
結局、現場に現れたのは森山と木村だけ。土曜日の午前ということもあり、幼い子どものいる主婦にとっては、出かけにくい時間帯なのかもしれない。所詮、この作業は、主婦には優先順位の低いものなのかもしれない。林田に取っては、たとえボランティアの奉仕作業であっても、手を抜いてはならない仕事である。メンバーにそれを求められない苛立ちを感ずる。
第四章 テープ起こし インタビュー取材が終わって5日後、森山から林田の元にテープ起こしのデータがEメールで届いた。初めてにしては、予想よりも早かった。1時間強の取材であり、結構な分量だ。
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友田さん夫妻インタビュー記録 インタビュー・●林田賢一(市民編集員) オブザーバー・★森山貞子(市職員編集担当) 〃 ・☆木村喜代(市民編集員)
●今日はざっくばらんにお話いただければと思います。雑談でもするつもりで気軽にお話ください。
今日は「男性の子育て支援」ファザリングのすすめという講座に参加された友田さんご夫妻に、その時に思ったことや、その後のこととか、父親の育児ということにいろいろお話を伺えたらと思います。
実は、個人的には、父親の育児支援という言葉が好きじゃないんです。子育てとは、父親が支援するんじゃなくて、父親と母親が協働でやらないといけないものだと思っているんです。
だから、父親の子育て支援と言ってしまうと、子育ては女性がやっていて、それを男親が助ける、支援するといったニュアンスになってしまう。そういうことではなく、子どもというのは二人で、あるいは家族で育てるものだと思うのです。子育てをそういうかたちで捉えたいと思っています。
もうひとつ、今日のお話し合いで重視したいのは、父親の育児ということが、いわゆる建前として、いろんなメリットとか、デメリットがあると言われています。そういうのは、そんなことは、テキストなりを読めばいい話です。今日は具体的に、家庭の中でどういうふうにしているのか、また、父親の立場、母親の立場からどういうかたちで育児をすすめていくかについてお話を伺わせてください。
あまり固く、育児も男性と女性は対等でなくてはならない。母親だけに任せてはならない的なものではなくて、二人で、どのように育てていくのかを考えたい。男性の場合は、直接の授乳はできませんが、その他の育児については、何でもできるのではないでしょうか。
そういう家庭内での育児というのを、どうワークシェアリングしていうくかということではないか。だから、毎日、お父さんが外へ出て働くこともひとつの育児だと思うんです。育児ってことをあまり狭く考えないで、少し広く考えたらどうかなと思っています。
個人的な感想でもかまいませんし、同僚とか、お友達が言っていることでもかまいません。あくまでも個人の体験を通した話をしていただきたい。
早速ですが、この「男性の子育て大好き。パパの読み聞かせファザーリングのすすめ講座」には、お二人で参加されたのですか?
友田(妻) 募集では、ファザーリングってことで、父親対象ということでした。主人も少しずつ家事や子育てについてはやってくれてはいたのです。私自身も始めての子で不安もあったので、そういうこともあって、主人には、気持ちを改めてもらいたいと、私の方で勝手に思って相談したら、まあ行ってもいいよと。父親がメインということだったのですが、できたら二人で行きたいということで、私自身も話を聞きたいと思ったので、私も一緒にいいかと聞いてみたらどうぞという事で。二人で子どもは託児をお願いして参加しました。
● ご主人はいかがでしたか?
友田(夫) 正直、休みの日に、どこに連れて行かれるのかなあと思った。まあ、子育ては、十分とは言わないまでも、やってると思いながら、行って話しを聞いてみようと。
行って聞いているうちに、いわゆるきれいごとだけを並べているだけの話しじゃなかった。ちゃんと男性側が経験したことを話しをしてくれて、こっちの気持ちも分かった上で、一般的に、男はこうあるべきだというのを押し付けでもなかった。そういうところから入っていくのもありなのかな、と。いい話を聞けたなと思えました。夫婦で行って聞かないと意味のない話だったかなと思えました。
● 特に講座を参加されて気に入ったところはありましたか?
友田(夫) 講師が子どもができたらOSが変わるという話しをされた。パソコンでいうソフトですね。母親は子どもを生むと、最新版のOSにバージョンアップにされるけど、父親はOSは古いまま。中身が古いままだと。生んだ母親にしてみれば、そんな父親が頼りなくなって見えるというか、まだ恋人どうしの感覚のままで一緒にいるというか、父親モードになりきれない。でも母親の方は、どんどん、どんどん成長していく。父親がついていってないというのがよくある家庭の風景だと話しをされた。
● 生活はバージョンアップしているのに。OSがついてきていないのが夫の方であろうかと。それを聞かれてどう思いました?
友田(夫) これは自分のことだなと思いました。うちの生活を知っているのかなというような内容でした。自分がお腹を痛めて産んだわけじゃないので…。自分の方は、二人で暮らしていた時のままで、彼女の中ではすごい転換、一大事件だったわけで、それはもうこちらでは図り知れない事だっだと。
● 今までの二人から三人になり生活が変わった。だけどそのバージョンについていけるOSを持ってなかったということですね。それはある意味でやむを終えないことですね。
友田(夫) まあそうなんですが。自分の方では、そう思っていても、彼女の方では、最新バージョンをどんどん手に入れてますから。何でそんな古いシステムやってるのよ、ってことになるわけですよ。そうすると、変に夫婦間もぎくしゃくすもありました。話しを聞くまでは、まるっきり分からなかったし、理解できなかった。子どもが生まれたことで、生活のOSが変わるということでクリアになった。
● 講座は、父親の読み聞かせの話しが中心だったのですか?
友田(妻) 普段から。絵本を読み聞かせてたりしていたんです。主人も、私も方もそのつもりで行ったのですが。講座の内容は違いました。読み聞かせの方法とかをやっていただけると思ったいてのですが、その話は、付録みたいな感じで20分くらいだけでした。
友田(夫) 自分も、案内に読み聞かせと書いてあったので、絵本の読み方を教えてくれるのだと思っていたんですが。実際は、育児のすすめみたいなもので、それが20分。
● 育児の方法を聞いたって、理屈ではわかってもね、という話になっちゃうでしょ。でも毎日生活するということは、育児しているんですね。育児には、いろんなかたちの方法があるとすると、ミルク飲ませるのも、おしめを取り替えるのも育児ですが、一緒に生活することが育児かなと気がするんです。
広く言えば、ご主人が、会社に行って働くのも育児なんでしょうね。その中で育児をどういうふうに捉えていくのか。お父さんだっておしめを変えなきゃだめ、お風呂に入れなきゃだめよという育児もある。しかし、ただ黙って見守ってあげるのも育児なのかもしれません。意見はいろいろあるだろうけど、それぞれの家族、家族の中での育児のあり方ってあるのではないかなと思うのです。
友田(夫) そうですよね。
● その後。具体的に家庭というか生活はどう変わりましたか?
友田(夫) 細かいところから言えば。ちょっと洗い物をしようかとか、洗濯物をたたもうかとか、できるところからしかできない。最近は週末の朝、休みの日に散歩に連れて行くとかもしたんですが、そういうことですね。
彼女は専業なので、自分は仕事で、子どもと接する時間は極端に少ない。育児を五分五分で行こうといっても無理な話で、その分稼いでくるからと。家庭のことは。妻に負担を掛けてもしょうがないと思うのです。子どももまだ1歳半なので付きっ切りになる。いくらかわいくてもストレスにはなると思う。それを軽減してあげることができれば一番いいのかと。まあ。精神的なところを軽減してあげることができたら良いなというところかな。
森山〈職員〉 講師がホームとアウェイの話をされた。本当は家がホームだけどだんだん家に帰りづらくなってアウェイになってくる。会社のほうが、上司とか部下が応援して盛り上げてくれるから。そこにいる時間が長くなっちゃうしいう話しをされたのですが。お帰りとか遅いのですか?
友田(夫) 波があるのですが、遅い時は10時とかになります。あまり定時ではあがれない。講師は家庭のためだったら、時間も調整して定時にきっちりあがって、と話していたのですけど、なかなかそうはいかない。
● ご主人はエンジニア系のお仕事ですか?
友田(夫) 会社はメーカーですが、事務職です
● 仕事には波がありますね。ただ。自宅が、ホームとかアウェイとかの話でなく、それはそれぞれの家庭のあり方だと思うのです。ですからご主人がしかたなく11時ごろ帰ってこらざるえないというのもひとつの事情でしょうし、それは奥さんも十分分かっていることですしね。またそうしないと、家庭そのものが成立しなくなるおそれがありますからね。
友田(夫) 会社が毎日定時で終わってしまうと、会社は大丈夫かなと思ってしまったりする。席がなくなっちゃうんじゃないかとか、残業代が入ってこないけど、来月は大丈夫かなとか。そこには、現実問題があります。
● 個々の家庭のやり方であり、こうだからいけない、ああだからいけないということはないと思うんです。やはり、個人の、ひとつの家庭っていうものの世界をどう二人で守っていくか。その中で家庭の仕事を、どうシェアリングしていくかということでしょうか。
ですから、どうしてもおしめを取り替えたり、お風呂に入れたりなんかをすることだけが育児じゃないのでは。たしかに読み聞かせも良いでしょうが、それだけやっていればいいってものじゃない。さっき話されたように、家事の手伝いをしたり、何かするのも、まあ父親というより、家族の一員たる人の義務だと思うんです。
だからそれをうまくシェアリングしてやっていくことが家庭を設計・運営していくことだと思うんです。だから一般的な話しで、こうでなければならない。ああでなければならないというのはありえない話しだと思います。
そういうことから少しずつご主人が目覚めていくということが、重要なことではないかと気がします。ですから、評論家的な人が、一般的に、子育てに親父が参加すると子どものためにこうだ、あ〜だと言うんではないか。。それは、一般論であって、実際にあなた方にとっては、具体的ではないですよね。
友田(夫) そうですね。
● 例えば。読み聞かせをやりましょうとか、子どもと一緒にスポーツをしましょうとなんとか言っても、できない人はいっぱいいます。
友田(夫) まあ、それぞれの事情がありますからね。
● 趣味もありますしね。そんなこと俺やれるか、という人もいます。そういう中で、どういうかたちでシェアリングするかということでしょうか。
友田(妻) 私も初めての育児で、講座の前は本当に切羽詰ってイライラすることもありました。主人は、彼からしてみたら、月曜から金曜まで仕事で、土日は休みというので、ちょっとゆっくりしたいという思いがあったようです。私も専業主婦ではなく働いていたので、土日は二人でのんびりしていたのですけど、子どもができたことで、もう土日も休みがない状態。自分は月曜から月火水木金土日の7日間もずっと働かなきゃいけないと思っている中で、彼はお休みだからと、なんで休んでいるだろうというイライラがあったんです。
講座を受けてから子育てをすることで、子どもに対する影響、愛情を持って育てることで、子どもがすくすく素直に成長してくれるということも話してらっしゃった。実際、主人は遊ぶ時も愛情を持って遊んでくれるようになってきたなあと思います。
前までは、私がこういうふうにいうから、事務的に、もうしようがなく、朝起きて、おしめ変えて、絵本読んでと、義務的にやっていた気がするんですけれど、彼、息子のこことを考えて、楽しんで育児をするようになってくれました。はたからみてそう思いました。
あとちょっと感じたことは、私は出産後2ヶ月近く実家にいたのですが、初めての出産で、最初、どうしていいのか分からなくて。何も出来なくて、気持ちが滅入って、泣いてしまったりとかがあったのです。二か月近く実家にいて、育児も少しずつ慣れてきて、いろんなことにも慣れたのですが、そのあとに彼のところへ戻ったのですが、その時には、私のほうはOSは切り替わっていたんです。
その二か月間でできたのに、彼はなんでできないんだろうと。それでまたいらいらしました。実家に戻る期間を短くすれば良かったというのと、あと、彼がもし早く帰ってこられるのであれば、その時、一緒に成長することができたらなというのがありましたね。もし早く帰ってきてくれて、一緒におしめ替えてなどと、どういうリズムで生活すればいいか、わかっていれば。ちょっと違ったかなあということも感じました。
友田(夫) まあ、初めての子なので、お互いに知らないですよね。彼女が必死なのもそうなのですが、自分なんかも明らかに生活のリズムが変わった。今振り返ると、もう二人でストレスを抱えている状態が結構続いたかなあと思いますね。
● それをどういう形で解消されたのですか?
友田(夫) まあ、何度かぶつかり合うわけですよ。大げさですが。ぶつかりあって、喧嘩の中で、本当に離婚の話まで出ました。ただ、まあちょっと冷静になろうと。そもそもどうして結婚したんだっけ、くらいに遡ってみた。でもまあ、やっぱり最終的には妻のことを好きなわけで、愛し合って結婚したわけなので。彼女のために、彼女がストレスを抱えない楽しく生活ができるようにしていくのが、自分のためにとって一番幸せだなと。本当にきれい事でなく思えたので、改めて初心に帰ってというか。
要は、子どもを大事にする気持ち。もちろん、大事にしていたつもりだったのですが、やっぱり育児、家事というところの分担というか、彼女の負担を減らすことによって、三人がみんな笑顔になれるなとわかったんですよ。
どっちかが負担を抱えていると、負の連鎖で、どうしても三人とも不幸になっていくというか、子供にももちろん影響が出るというか、だからどこかでギアを切り替えて、サイクルをいいほうに回していくことによって周り出す。逆に回りだすと、どんどん負の連鎖で、なんか手伝わないから不機嫌になる。不機嫌な態度をみて、こっちも不機嫌になる。子供の相手ができない。あんたがこれやってあれやって。お前が言うことなんかきくかということになり、そうすると三人が不幸になる。
● そうなんでしょうね。家事、育児にはいろんな仕事がある。それを奥さんのほうに任せっきりにしたい気持ちもある。おれは仕事で一生懸命で疲れて、なんでこんなことまでと思うんだけど、奥さんも朝も夜も一日全部が仕事の連続ですから、その中で、どういうふうに家事を分担しあうか、シェアリングしあうかいうことがとっても大事なことだと思うんです。
そういうことに気づいて、ひとつずつ協力していく。いや、これは、協力じゃないんですね。協力とか、支援とか言うからおかしくなる。一緒にやっているんだと。その気持ちが必要なんじゃないでしょうか。だから家に帰ってらアウェイだ、敵だとか。外にいたら、味方がいるとか、そういう話じゃない。それは勝手な評論家の言い分なんです。
そうじゃなくて、具体的に毎日の生活をしていればいろんなことがあるわけです。その中で家事や育児などの家の仕事をを分担しあう。これはあなたが、これは私がといった話し合いはなさいましたか?
友田(夫) これはあなたが、これは自分が、みたいなものはないかな。
友田(妻) ないですね。基本的には、料理を作ったりするのが私で、洗っりするのが彼。
● 要するに、自然体なわけですね。一緒に生活なさっていて、たとえば、その時の様子で、今は洗濯ものを干すのをご主人がやったり。料理は奥さんがやったり、だけどその間もご主人は何もしていないわけじゃないですよね、ぐたっと寝室で寝転んでるわけじゃない。
友田(夫) それはないですよ。
● ということは、ひとつの生活だと思うんです。そういった子育てに対してどう関わるかというのは、はっきり言って人の知っちゃことじゃない。要するに、自分たちの生活の仕方だと思うのです。確かに、ご主人の仕事が忙しってこともあるんでしょうが、ご主人が、育児に関わりきれないってどういうことに原因があると思いますか?
友田(夫) まあ突き詰めていってしまうと夫婦仲なのかなあと。夫婦仲が良い悪いところが一番の根本にあるかなあと思うんです。他は全部言い訳ができるレベルかなあと。仕事が忙しいとか、疲れているとか、言い訳は何とでも言える。
たとえば、奥さんが亭主には家事は一切やらせたくない人もいると思うんですよ。そういう家庭だったら、そういう家庭でやっていけばいいわけですし、育児も家事も、バランス良くやっていきたい夫婦であれば、旦那は奥さんの意向を汲んであげるなり、話し合ってやるべきだし、そのへんですかね。夫婦仲がまず第一です。
● それとやっぱりご主人が育児のこと、奥さんがやっていることを良く理解することと、奥さんがやっぱり旦那さんの仕事の内容を理解しているかというのもあるんじゃないですか。
友田(夫) そうですね、そのへんも、まるっきり見てもらってないと、やっぱりこっちとしても一方通行に感じてしまったら、また悪い流れになってしまう。
● 奥さんは前にお勤めだったんでしょ?
友田(妻)そうです。
● ご主人の仕事の内容はだいたいわかりますか?
友田(妻) 仕事の内容は、よくいろいろ話し合います。
● 仕事の内容を話すのも、広く言えば育児のひとつなのかもしれませんね。
友田(妻) そうですね。彼にしてみたら。家に帰って仕事でどんなことがあったとか、どういった問題を抱えているとか、いろいろ話してリラックスできると思うんです。それも夫婦仲という面では大事だなあと思いますし、子育てにも影響してきますしね。
● もちろんベラベラとなんでもかんでもでなくて、必要な分だけ、ご主人から奥さんの方に話すれば、理解が生まれますね。また、ご主人は毎日の奥さんの生活、子どもとの生活を見て、聞いていれば、ああ育児ってこういうものか、また、家事ってこういうものかとわかってくると思います。
たしかに、今まで一人だった生活が二人になって、三人になってくれば、生活が変わって当然なんですね。当然の中で、どう順応していくかってことでしょうか。さっき、ご主人がおっしゃたように、ある家庭ではご主人には何もさせないでいいんだって人もいますし、あるとこでは、なんでもかんでもやってほしいという人もいるでしょう。それは家庭のキャラクターだと思うんです。それは、よその人がどうこう言えないものですね。
友田(夫) どの家庭も違いますからね。百組あれば百組違う夫婦なんでしょうから。
● さっきおっしゃたように一番基本なのは、ご主人と奥さんが、どううまく理解し合っているかということなんでしょうか。その基本にあるのは愛情であり、いままでの過去の歴史かもしれません。
もしいま、父親の子育て参加、協働作業を阻害するものがあるとすればどういったものですか?一緒に共同作業できないものがあるとすればどういうことだと思いますか?
友田(夫) ……。
● やっぱり時間が足りないってことでしょうか?
友田(夫) そうですね。そこから、それが基本にあって、なんでしょうけど、とってつけたことがじゃましてくるんだろうなあと思うんですけど。何でしょうね
● 結局、子育てって、子どもをどう育てていくかというのはもちろんなんだけど、家庭をどう運営していくかということにかかってくるのかな?
友田(夫) そうですよね。子育てということだけに焦点を当ててしまうと、子ども、子どもとなってしまいます。けれども、二人の家族が三人の家族になったところでこうやっていこうと。チームの一員が増えたという感覚の方がうまくいくのかなと思います。子ども、子どもと焦点を当てていくと、夫婦間ではお互いに何を考えているかわからない。子どもを通してしか話ができないとか、そういうふうになりがちになる。振り返って、自分の親の世代なんかをみると。あんまり母親としか話さなかったなとかあるし、時代もありますが、親父は黙って座ってるみたいな時代だったでないですか。
● たしかに、その頃と時代も変わってるわけですし、まして核家族化が進んで、誰にも相談する相手も近くにいないとか、そういったこともありましょうしね。奥さんもそのへんのところも不安はありますか?たとえば、実家に帰って出産後の二か月。その時は楽だったでしょ。
友田(妻) そうですね、食事とかも作ってもらえましたし。
● その間、ご主人は一人で生活なさっていたんでしょ。
友田(夫) そうです。一人だと自分のものだけだと、気楽な面もあったんですけど。
● そういったところから帰ってきて、二人の生活から、三人の生活になって、新しい家庭運営が始まった。やっぱりどうしても前の生活をひきづりますよね。急に変われませんよ。ご主人としても、おれは何をすればいいんだよという気にもなります。
友田(夫) 結婚して七年して。子供ができたです。結構、時間があった。結婚前も十年ぐらいの付き合いの期間があった。極端ですけど十七年間二人だったんです。お互い二人でいるのがあたり前で、急に、この子があらわれたというか。そうなった時に、もうずっと体にしみついたものが急には変えられなかったですね。やっぱり最初は。彼女はもう生んだ瞬間からみるみる変わっていった。自分には長いこと染みついたものがある。
● そういった突然沸いたような新しい家族のための、とまどいは当然だと思います。結局、その家庭生活をご家族三人で楽しむことなんでしょうね。楽しめるようにするにはどうするかを、父親の子育てだと思うのです。ただ単に、ご主人だけが、奥さんだけがカリカリするのではなく、ごくごく当たり前に話なのですが、それをどういうふうに実践していくかということが大変なことなんでしょうね。
たとえば、いろんなことをお二人でされていて、家庭を運営していく。築いていくその中で、やはり、他の同じような家族に共通することってあるのでしょうか?たとえば、読み聞かせが上手なお父さんもいれば、奥さんもいるし、また、そんなの嫌だ、それよりおれは体を動かした方がいいやという家庭だってあると思うんです。だけど、どこかで子のため読み聞かせもやりたいなという時に、そういった二つの家庭が合流したら面白いことになるのではないでしょうか。
友田(夫) そういうサークルみたいのですか。そういうのがあったらこころ強いかな。
● このまちには、父親たちの会はあんまりないようですね。もう少し子どもが大きくなると、おじいさん会的なお父さんの会があります。だけども若い父親の会というのはない。でもそういった会もあってもいいかなと気がするんですよ。
友田(夫) そうですね。講師のところに、ファザーリングの会というのがあるとか…。
● そういうのがあったら参加してみたいですか?
友田(夫) そうですね。なんとも照れくさいというか。気持ちはありますけど。女性はすぐにグループができるけど、男同士ってなかなかできにくいのでは…。腹を割っちゃえばすぐなんですけど、なかなか近付けないですね。公園とかに連れて行っても、他のお父さんとかいるんですけど、まあ話かけないですよね。
● 女性は集まると、すぐに右と左で話ができますが、男性だけだといつまでもシーンとしている。男のシャイな部分がありますね。母親たちは子育ての会とか、よく参加していますが、父親たちが子供連れで行ける会があると良いですね。
友田(夫) 理想としては「あり」だとは思いますが。現実的には、今自分が言ったように、ちょっと参加を躊躇する人が多いかなと思います。なんとなく恥ずかしいとか、照れくさいというか…。
● あるのかな。たとえば子育てに父親がかかわるなんていうのは、男のこけんに関わる的な、昔からの伝えられていることがあるのでしょうか。
友田(夫) やっぱり、まだまだそういう考えの人が多いと思います。
● 職場に行って、子どもの話をすることはありますか?
友田(夫) まれに。小さい子供がいる同僚とかとは話をします。
● 女性は、会えばすぐ子供の話になりますね。父親の世界では、他の人に対してもあまり話さない。要するに、子どもと一緒に遊ぶこと、暮らすことは決して恥ずかしいことでもなんでもないんだと。当たり前で、楽しいことなんだと。どうみんなで共有するかってことも必要なんでしょうね。子育てをあまりせまく考えずに、広く考えれば必要なのかもしれません。
友田(夫) そうですね。これをやってないから駄目だとか、そうなってくると本当にきりがない。まあ家族みんなが楽しんでいるのが一番いい。それで。あとは全部ついてくるかのな。
自分の子どものころを、子どもが生まれてからよく振り返るんです。うちの両親二人が楽しそうに笑ってたりしていた。本当に楽しそうだったなと記憶があるのです。親父が不機嫌だと。顔も見たくないし。近くに寄らないようにしようとか。空気がわるくなりますよね。だからそれを反面教師にしながら。最近は、うちの親ともそういったことも話しますが、やっぱりそういうところかなと。
木村〈市民編集員〉ご兄弟は多いんですか?
友田(夫) 姉と妹です。女性に挟まれていました。
● 三人の生活なんですよね、要するに。何も、杓子定規に父親が育児参加がこうしなきゃならない、うちに帰ったらどうだこうだという一般論で片づけちゃだめなんでしょうね。
友田(夫) あんまり堅くすると、逆に拒絶する父親が多いと思います。
● まさしく自然体ですね。たとえば、あなた方(木村さん)の世代っていうか、私たちの世代なんだけど、子育てに関していろんな考え方が、今の人たちと違うと思うんだけど。そのへんの親の世代からみてどういうふうに感じますか?
友田(夫) なんとなく一言でかたづけてあれなんですけど。時代かな。自分の親の世代だと、なんかすごく忙しい時代で、戦争が終わった後で、働いて食べれることが幸せで、働いて働いて、とにかく外で稼いでいた。母親はその分、家を守っていてくれっていうので、ああいうスタイルになったと。
そこはもうそういう時代。日本がそういう時代になってしまったんで、それがダメだったとは、自分は全然思わない。自分もその親に育てられたのだし、ただ安定した時代に入った今だから、こういう発想がすごくでてくるのかなと。その余裕というのですかね、うちの親が自分の年だった時に比べれば、ゆとりができてきてるのかなと、その違いかなと思います。
● 今この時代をどのように認識していますか?
友田(夫) 育児なり、家庭なりからみてですか?そうですね、家族というか欧米化し始めている。良い意味でなんですけど。みなさん家庭を、プライベートを大事にするっていうとことに、だんだん目覚めてきている。
つい最近まで、仕事が第一。バブルのころもそうですし、仕事が楽しいワークホリックといわれる日本人がいた時代もあった。その世代の人たちが、だんだん定年になっていって。何でしょうね、ゆとりのあった世代の人たち、自分たちが会社の中心になっていって、ようやく家庭を顧みるゆとりがでてきたのかなと。
むしろ、そっちの方がかっこいい感じに見え始めている。会社も仕事ばっかりしている人、だらだらと残業ばかりしている人というのが、前はそれぐらいやって当たり前だった。いまは。もう帰っちゃうのか、もう仕事あがれるのか、余裕だなあという時代から、おまえまだ帰れないのかよ、仕事の能力がないんじゃないか、と悪い方に言われる。処理能力が足りない人が、遅くまで仕事している時代になった。早く仕事を切り上げて、早くプライベートで家族との時間を大切にする。そういう時代に、ちょっと近付いてきたのかなあと。
● そういう時代の家庭の中での、協働というか、コラボレーションというのか、あなたはこれ、私はこれという話ではなく、一緒に何気なく気がつく仕事の分担なんでしょうね。変な言い方をすれば、父親の育児参画とか協力、支援なんていうのは言ってみればおかしいことかもしれない。
友田(夫) あえてそんなタイトルをつける話じゃないですけれどね。
● 支援なんて、一緒にやっていくもので、コラボレーションですね。新しい時代を創っていくのが、それが現代なんですね。それが若いパパたちの生き方であり、若いパパたちの育児参加の仕方を、古い世代の人たちに、あれこれと言われたくないのかもしれない。
同世代の若い父親たちに言いたいことはありますか?
友田(夫) 講座で、講師も言っていたのですが、。家族の最小単位が夫婦なので、夫婦が仲良くできればすべてがうまくいくというのがあるかなと思います。極端すぎるかもしれませんが、夫婦が仲良いいと子供をほっておいても、いい子に育つだろうなと気がする。夫婦仲が悪ければどれだけ教え込もうと、どれだけ良い教育を受けさせようが、ひねくれた子になる。だからそこしかないかなと。
友田(妻) 夫婦が良くなるには、主人からの助けもあって満足できるわけで、やっぱり子育てに参加してくれないと不満がたまっちゃいますよね。それがあるからうまくいくし、子どもへの影響も良くなっている気がします。
友田(夫) 手伝わないと不機嫌になる。それをみて頭にくるし。ずっと喧嘩をしてしまって…。
● 子育てに参加するのではなく、一緒に子育てするんですね。 終わりに、社会とか行政とかに、何かいうことありますか?
友田(妻) こういう講座はすごく良いので、またやってほしいです。私も、いろんなサークルとかに入っていますが、育児に悩んだりとかしてい人もいるので…。やっぱり父親もそういう気持ちが変われる良い講座だったので、他の方にもぜひ聞いていただきたいなと思いました。
男の人からこういのうに参加しようという、土日がお休みの日でないと。なかなか出られないと思うので、多分、ママの方が申し込んだ方が多かったと思います。今回も、そんな方たちが何人かいらっしゃったみたいです。
友田(夫) 夫婦で参加しないと、意味がないですね。奥さんばっかり知識が広がって、旦那が理解してないのではね。
● 今日は、どうもありがとうございました。 ♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦
林田は読み返して、かなり強引に、自説を押し込もうとして、対象を誘導している点が目につく。自分のキャラが立ちすぎたと思う。しかし、これが林田のやり方であり、四十数年かけて培ったスキルだと自負している。これが林田にとって、ボランティアとして提供する「奉仕」の内容なのだ。
取材対象たちも、彼らの考えの整理もつけられた話し合いではなかったか。やってきたことを整理して、ひとつの道筋をつけたり、 潜在した思いを引き出して、光を当てること。そして、それらをひとつのスタンダード化して、汎用性のあるノウハウを見つける。このやり方が、マーケティングの世界だけではなく、広報の編集にも適っていると思っていた。
問題は、1万2千字にもなるテープ起こしの文字データを、どのように削って、4千字以内に納めるかだ。3分の2を棄てることになる。何よりも、品格を備え、メッセージ力のある広報としての配慮が必要であり、個人的には気にはなったが、件の市民講座を批評せずに、次回の参加をも呼びかけなければならない。もちろん。父親の子育ての方法についての主張も、取材者の声として伝えたい。これからが、推敲を重ねる仕上げ作業であり。相当な時間を要する林田の仕事である。
第五章 推敲提案稿
林田にとって、インタビューも結構、楽しめるが、テープ起こしをした原稿を推敲していくことも楽しい仕事ではあった。テープ起こしといっても、公式な議事録とは違い、話したままを文章化したものではない。担当した森山の市職員としての節度と規制とセンスで、ひとつの作品になっていてそれなりに読める。しかし、この広報メディアの演し物としては、ちょっと長すぎる。これを戯曲のような起承転結の読み物として練り上げる必要がある。シナリオライターのスキルが求められる。
原稿として提出するまでに、三回ほど書き直しをした。書き直すといっても、いまはパソコンのワープロが使えるので、かつて原稿用紙に手書きしていた頃に較らべれば、ずいぶん楽になった。それでも、一回の推敲に、根を詰めての5〜6時間は費やす。市民向けの公報として、また、文章の持つ「こわさ」を意識しながらの作業であり、それなりに気疲れがする。何とか、四千字低度に仕上げて、提案稿として提出した。
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友田さん夫妻と楽しい子育てを考える 父親は「子育て支援」ではなく 「子育ての恊働」をすること
まず、夫と妻の生活のOSのズレを知る
♥ お二人は、男性の子育て支援という講座に参加されました。その時に思ったこと、その後のことなど、父親の育児ということなどいろいろお話を伺います。
妻 講座の募集では、父親対象ということだったのですが、始めての子で不安もあり、私自身も話を聞きたいと。子どもの託児をお願いして二人で参加しました。
夫 せっかくの休みの日なのにと思ったのですが、話しを聞いてよかった。きれいごとを並べる講座ではなく、押し付けでもない。夫婦で聞かないと意味のないような話でした。
講師は子どもができたらパソコンでいう基本ソフト、OSが変わるという話しをされた。母親は子どもを生むと、最新版にバージョンアップされ、どんどん成長していく。一方。父親は古いまま。母親にしてみればそんな父親が頼りなくなってくる。恋人同士の感覚というか、父親モードになりきれない。自分のことだなと思いました。
妻 出産して二か月近く実家にいて、育児もいろいろ慣れました。その後に自宅の彼のところへ戻ったのですが、私のほうはOSが切り替わっているんです。実家にいる期間を短くすれば良かったという気もしました。戻ったあとも、夫が早く帰ってこられるなら、子どもに接する時間が増え、一緒に成長することができたという思いもありました。
♥ 育児はミルクを飲ませたり、おしめを取り替えるだけではなく、一緒に生活することなんでしょうね。広く言えば。夫が会社に行って働くのも育児なんですね。育児をどのように捉えていくのか、夫だっておしめを替えなきゃだめ、お風呂に入れなきゃだめという育児もあるけど、黙って見守ってあげるのも育児なのかもしれません。
夫 そうですね、実際。洗い物をするとか。洗濯物をたたむとか。まず、できるところからしかできない。妻は専業なので、子どもに接する時間は圧倒的に多い。夫と妻が、五分五分で行こうといっても無理な話です。うちの子はまだ1歳半で、彼女は付きっ切りで、目を離せない。いくら可愛くてもストレスになると思う。それを軽減してあげればいいのかと。
♥ それぞれの家庭のあり方だと思うのです。夫が夜中の11時過ぎに帰えらざるえないのもひとつの事情でしょうし、それは妻も十分に分かっていることですしね。そうしないと家庭そのものが成立しなくなっちゃうおそれがある。
夫 講座では、家庭のために時間を調整して定時にあがるようにと話された。しかし、現実は。なかなかそうはいきません。会社が毎日定時で終わってしまうと、会社は大丈夫かなと思ったり、リストラなどで、席がなくなっちゃうのではないかとか、残業代が入ってこないので大丈夫かなとか。
家族には家族なりの子育てのし方がある
♥ ひとつの家庭という世界を夫婦で、また家族でどのように守っていくか、その中で家での仕事をどう分担していくかということでしょうか。家事の手伝いをしたり、何かするのも、家族の一員であるる夫の義務だと思うんです。どのように家庭生活を設計、運営していくか。一般的に、こうでなければならないというのはありえない。
夫 そうですね。読み聞かせとか、一緒にスポーツをしましょうと言っても、できない人もいますよ。それぞれの好みもあります。
妻 結婚後もずっと働いていたので、土日は二人でのんびりしていました。子どもができたことで、もう土日も休みがない状態。切羽詰ってイライラすることもありました。夫は休みの日はゆっくりしたいという気があったようです。私は7日間、ずっと働かなきゃいけないのにと。講座で愛情を持って育てることで、子どもが素直に成長してくれると聞き、彼も愛情を持って遊んでくれるようになってきたと思います。
前は、私が言うから、しようがなく、おしめを変え、絵本を読んでも、義務的にやっていた気がするんです。講座に出た後、息子のことを考えて、楽しんで育児をするようになってくれました。
夫 初めての子なので。お互いに子育て方を知らない。講座に出てから、自分も生活のリズムが変わったようです。こんな機会がなかったら、二人でストレスを抱えている状態が結構続いたかなと思います。前は、何度かぶつかって、喧嘩の中で、離婚の話まで出ました。そのとき、ちょっと冷静になろうと、どうして結婚したんだっけぐらいに遡った。でも、やっぱり妻のことは好きなわけで、愛し合って結婚したわけです。彼女がストレスを抱えないで楽しく生活ができるために、また、自分のためにも、理解し、協力しあうことが、一番幸せだなと。きれい事でなく思えました。
改めて初心に帰って、育児や家事の分担、彼女の負担を減らすことで、親子3人、みんな笑顔になれるなとわかった。どちらかが負担を抱えていると、負の連鎖で、子供にも影響が出て、3人とも不幸になっていく。どこかでギアを切り替え、サイクルをいいほうに回していく。逆に回りだすと、負の連鎖で、手伝わないから不機嫌になる。不機嫌な態度をみて、こっちも不機嫌になり、子供の相手ができない。あれやってといわれても、お前が言うことなんかきくかということになり、そうすると3人が不幸になる。
♥ 育児や家事の分担の話し合いはなさいましたか?
妻 家事では、基本的に料理を作ったりするのが私で、洗っりするのが彼。自然体です。
♥ 夫と妻が、子育てに対して、どう関わるかというのは、はっきり言って他人の知ったことではない。要するに、自分たちの生活の仕方なんですね。 夫婦仲が良いと子育てもうまくいく
夫 突き詰めていってしまうと、夫婦仲なのかな。根本に夫婦仲が良い、悪いがある。たとえば、夫には家事は一切やらせたくない奥さんもいると思う。そんな家庭だったら、そうやってけばいいわけです。バランス良くやっていきたい夫婦であれば、奥さんの意向をくんであげるなり、話し合ってやる。要は夫婦仲ではないでしょうか。
♥ 夫が育児のこと、妻がやっていることを良く理解することと、妻も夫の仕事の内容を理解しているかというのもある。
夫 そうですね、お互いに理解していないと。一方通行に感じてしまったら、また悪い流れになってしまう。
妻 うちでは、仕事の内容は、いろいろ話し合います。彼にしたら、家に帰って仕事でどんなことがあったとか、どういった問題を抱えているとか、いろいろ話してリラックスできると思うのです。それも夫婦仲という面では大事だと思いますし、子育てにも影響してきますしね
♥ もちろん、必要な分だけ夫から妻の方に話せば、理解が生まれますね。また、夫は毎日の妻の生活、子供との生活を見ていれば、育児って、家事ってこういうものかと、わかってくる。一番大切なのは、どううまく理解し合っているかということなんでしょうね、その基本にあるのは愛情であり、いままでの過去の歴史かもしれませんね。
夫 子育てということだけに焦点を当ててしまうと、子ども、子どもとなってしまいます。子どもだけに焦点を当てていくと、夫婦間ではお互いに何を考えているかわからない。子供を通してしか話ができないとか、そういうふうになりがちですね。
結婚して七年して子どもができた。結婚前も十年ぐらいの付き合いの期間がありました。十七年間二人だったんです。二人でいるのがあたり前で、ずっと体にしみついたものが、この子があらわれても、急には変えられなかったですよ。
♥ その家庭生活を家族三人で楽しむことなんでしょうね。楽しめるようにするにはどうするかが、子育てだと思うのです。ごく当たり前に、それをどういうふうに実践していくかということが大変なことなんですね。
夫 自分の子供のころを振り返るんです。うちの両親は楽しそうに笑っていた。本当に楽しそうだったなという記憶があるんです。親父が不機嫌だと、子どもとしては、顔も見たくないし、近くに寄らないとか、空気がわるくなります。
時代のせいもあります。親の世代だと、すごく忙しい時代で、戦争が終わった後で、働いて食べられることが幸せで、働いて働いてと。母親はその分、家を守ってという家庭のスタイルになった。
仕事の価値観が変わってきた時代
♥ 今のこの時代をどのように認識していますか。
夫 欧米化し始めている。良い意味でですけど、家庭やプライベートを大事にするっていうとことに目覚めてきている。つい最近まで仕事が第一。バブルのころもそうですし、ワークホリックといわれる日本人がいた時代もあった。その世代の人たちが定年になって、ゆとりの世代の人、自分たちが会社の中心になっていって、ようやく家庭を顧みるゆとりができあがってきました。
この方が、かっこいい感じに見え始めている。会社も仕事ばっかりしている人。だらだらと残業ばかりしている人。前はそれぐらいやって当たり前だった。もう帰っちゃうのか、もう仕事あがれるのか、余裕だなあという時代から、まだ帰れないのかよ、仕事の能力がないんじゃないかと、悪い方に言われるようになった。処理能力が足りない人が遅くまで仕事している時代。早く仕事を切り上げて、早くプライベートで家族との時間を大切にするという時代になってきたのかなあと。
家族の最小単位が夫婦なので、夫婦が仲良くできればすべてがうまくいくのではないか。極端かもしれませんが、夫婦仲が良いいと、子供をほっておいてもいい子に育つだろうなという気がします。夫婦仲が悪ければ、どれだけ教え込もうと、どれだけ良い教育を受けさせようが、ひねくれた子になる。
♥ 子育てに参加するのではなく一緒に子育てするんですよ。行政とかに希望することがありますか?
妻 父親の気持ちが変わる良い講座だったので、これからも夫婦で参加できる講座などをやってほしい。他の方もぜひ聞いていただきたいですね。 夫 夫婦で行かないと意味がないですね。妻ばっかり知識が広がっては、夫がおいていかれる。
♥ 今日はどうもありがとうございました。 〈H・K〉
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林田は、この原稿を舞台やドラマの会話劇風にしたいと思っていた。行政を代表する役割の司会の林田と、こうあってほしいと願う市民のモデルである友田夫妻の三人が、この時代の子育てについて話し合う劇。市からの男女協同参画社会推進のメッセージを伝えたい。淡々とこうありたいと伝えるのではなく、三人の個性を出しながら、感動的なものにしたいと。書きながら、このドラマの演出をイメージしていた。それはかつて、舞台やドラマのライターだった林田の願いであった。
この表現を許すのも、行政の人間尊重の姿勢かもしれないと思う。ひとを動かすのは感情が主体であり、そのためには、ドラマ仕立てが向いている。行政にあっても、そんな要素があってもいいのではないか。ひとつの舞台劇のつもりであった。つまり、リボーターとしての個性の発露がしたい。そのために、作者としての顔を出してもいいのではないか。ボランティア活動のささやかな報酬を求めてもいいのではないか。
第六章 ファィナル決定稿
林田の提案稿により、ゲラ刷りがあがってきた。協同参画推進課の篠田課長他課員全員と、編集員内でのチェックが行われる。課内のチェックは森山の手配で、ゲラ初校と出稿前の最終校の二回行われるらしい。編集員の校正は、ゲラをPDFデータかFAXで配布され、各自校正した後に、編集会議で全員の合議で行うという段取りである。ここで、字数をさらに削らなければならないこともある。
編集員の編集会議が行われる。この段になって、遅刻してではあるが、子連れの山本や近藤も加わった。校正と表現についての検討である。取材にも参加せず、あらかたの結果が出てから言いたいことを言う。林田にとって、我慢のならない課程で、いいたいことがあるなら、自分でやってみろといいたい。ここまで仕上げた作品でもあるものを、俎上にあげられ、あれこれいわれるのは我慢のならないことだった。かつて、林田はクライアントの担当者の前で体験したことはある。しかし、それは「商品」としての検査であり、それには堪えられた。
かねてから林田は、物言う市民には、三つのCのステップがあるといってきた。「苦情者〈クレーマー・claimer〉」、「批評者〈クリテック・critic〉」、「創造者〈クリエィター・creator〉」で、これら三つ全てのC者を協働者、コラボレーターといえないことはない。しかし、行政との協働者の資質は、ひとつの専門性を持ったクリエィターでなければならないとしてきた。
できたものに対しての批評は、比較的に容易だ。林田は、創り上げてきたプロセスも、その意図も知らず、ただ結果に口を出すだけの編集員は、本来の編集者とは別の唾棄すべき存在だと断じている。それを許し、市民参加とする行政の体質なら、自ら身を引こうと思う。
林田にとって、時間と知力を傾けて仕上げた原稿を、わけも知らず、その能力もないような人たちに、批評されるなら、いたたまれない。会議での校正という全員作業から降りることにした。これほどに自尊心が傷つくなら、山野澄子のように、ボランティアの市民編集員をもやめようと思う。
ゲラはさらに取材対象者の友田夫妻にチェックしてもらい、発行にこぎ着けた。ただ、キャラが立ちすぎた司会の存在を薄め、記事は編集員全員で創ったものだからと、文責として最後に記載したイニシアルは切られてしまった。
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パパも育児を楽しもう! ワーク・ライフ・バランスの取り組みは、 身近な家庭から始めてみませんか?
近年、育時期における男性の家事・育児へのかかわりについて、社会全体の関心が高まっています。今号では、今年○月○○日に行われた男性の育児参加へのきっかけづくりの講座「大好き!パパの読み聞かせ〜ファザーリングのすすめ」に参加された友田さんご夫婦に、自分流の生活や育児についてのお話を伺いました。
講座概要 「大好き! パパの読み聞かせ ~ファザーリングのすすめ~」 ファザーリング(fatherring)とは父親であることを楽しもうという考え方。長時間労働を強いる会社と、子育てに参加して欲しいと願う妻のプレッシャーに挟まれ、「ワーク・ライフ・バランス」に苦しんでいる父親たちの現状をどうとたら変えられるのか。夫の育児参画が子どもにとってどんなに大切か。里帰り出産の弊害とパートナーシップの在り方。パパスイッチの入れ方など。子育て家族が笑って生きていくために。何をしていくかを伝えていただきました。
友田さんご夫妻と楽しい子育てを考える 父親は「子育ての支援」ではなく 「子育ての共同」をすること
まず、夫と妻の生活のOSのズレを知る
妻 講座の募集では、父親対象ということだったのですが、初めての子どもで不安もあり、私自身も話を聞きたいと。子どもの託児をお願いして二人で参加させてもらいました。
夫 せっかくの休みの日なのにと思ったのですが、話を聞いてよかった。きれいごとを並べるだけの講座ではなく、押し付けでもない。私たちの場合、夫婦で聞いて良かったと思える内容でした。
講師は、子どもができたらパソコンでいうOS(オペレーションシステム)が変わるという話をされた。妻は妊娠中から最新版にどんどんバージョンアップされ、母親として成長していく。一方、夫は古いまま。妻にしてみればそんな夫が頼りなくなってくる。夫は恋人同士の感覚というか、父親モードになりきれない。まるで自分のことだなと思いました。結婚して七年して子どもができた。結婚前も十年ぐらいの付き合いだったので十七年間二人だったんです。二人でいるのがあたり前で、この子が産まれても、急には変えられなかったんですよ。
ところが彼女の方では最新バージョンを手に入れてますから、なんでそんな古いシステムでやってるのよ、ってことになるわけです。 よくギクシヤクしてました。このOSの話を聞くまで理解できなかった。
妻 出産してこカ月近く実家にいて、育児も少しづつ慣れてきました。その間に私の方はすっかりOSが切り替わっていたんですね。その後に自宅へ戻ったのですが、彼はもとのまま。そこがわからなくて、なんでできないんだろうとイライラしたりしました。でもこの話を伺って、彼に対しては自分も最初そうであったように、できなくて当然。やろうとしてくれる気持ちをくんであげなきゃ、と思うようになりました。
家族には家族なりの子育ての仕方がある
♣ 育児はミルクを飲ませたり、オムツを取り替えるだけではなく、一緒に生活することなんでしょうね。育児をどのように捉えていくのかが大切かもしれませんね。
夫 実際、洗い物をするとか、洗濯物をたたむとか、最近は休日の朝、散歩に連れていったり。まずできるところからしかできない。妻は専業なので、子どもに接する時間は圧倒的に多い。夫と妻が、五分五分で行こうといっても無理な話です。うちの子はまだ一歳半で、彼女は付きっきりで、目を離せない。いくら可愛くてもストレスになると思う。それを軽減してあげられればいいのかと。
♣ お仕事は帰りが遅くなったりしますか?
夫 波がありますが、遅いときは十時になったりします。講座では、家庭のために時間を調整して定時にあがるようにと話された。しかし、現実は、なかなかそうはいきません。会社が毎日定時で終わってしまうと、会社は大丈夫かなと思ったり、リストラなどで、席がなくなっちやうのではないかとか、残業代が入ってこないので大丈夫かなとか。
♣ それぞれの家庭のあり方ですね。夫が仕事で夜中近くに帰らざるをえないのもひとつの事情でしょうし、そうしないと家庭そのものが成立しなくなっちゃうおそれがある。
妻 結婚後もずっと働いていたので、土日は二人でのんびりしていました。子どもができたことで、もう土日も休みがない状態。夫は休みの日はゆっくりしたいという気持ちでいたようですが、私は七日間、ずっと働かなきやいけないのにと、不満に思うこともありました。
愛情を持って育てることで、子どもが素直に成長してくれると聞いてから、彼も愛情を持って遊んでくれるようになってきたと思います。
前は、私が言うから、仕方なくオムツを変え、絵本も義務的に読んでいた気がするんです。今は、息子のことを考えて。夫自身も楽しんで育児をするようになってくれました。
夫 初めての子なので、お互いに育て方を知らない。以前は二人でストレスを抱えている状態が結構続きましたね。何度かぶつかって、喧嘩の中で。離婚の詰まで出ました。そのとき。ちょっと冷静になろうと。
どうして結婚したんだっけ、ぐらいに遡った。でも、やっぱり妻のことは好きなわけで、愛し合って結婚したわけです。攻めて初心に帰って、彼女がストレスを抱えないで楽しく生活ができるために、また自分のためにも、理解し協力しあうことが一番幸せだな。と思えました。
どちらかが負担を抱えていると、負の連鎖が起こり。『なんで手伝わないの?』と不機嫌になる。その態度をみて、こっちも不機嫌になり、子どもの相手ができない。どこかでギアを切り替えて、サイクルをいい方に回していかないと、育児や家事の分担、彼女の負担を減らすことで、親子三人、みんな笑顔になれるなとわかりました。 夫婦仲が良いと子育てもうまくいく
♣ 一般的に父親が育児に関わりきれない原因はなんだと思いますか?
夫 突き詰めていってしまうと、夫婦仲なのかなと思います。根本に夫婦仲が良い、悪いがある。他は全部言い訳ができるレベルかなと思うんです。仕事が忙しいとか、疲れているとか、なんとでも言える。たとえば、夫には家事は一切やらせたくない妻もいると思う。そんな家庭だったらそうやっていけばいいわけです。バランス良くやっていきたい夫婦であれば、妻の意向をくんであげるなり、話し合ってやる。要は夫婦仲ではないでしょうか。
妻 うちでは、育児のはかに彼の仕事の内容もいろいろ話し合います。彼にしたら、家に帰って仕事でどんなことがあったとか、どういった問題を抱えているとか、いろいろ話してリラックスできると思うのです。それも夫婦仲という面では大事だと思いますし、子育てにも影響してくるような気がします。
♣ 二人の話し合いから理解が生まれますね。その基本にあるのは愛情であり、いままでのお二人の歴史なんでしょうね。結局子育ては、子どもをどう育てていくかはもちろんですが、家庭をどう運営していくかにかかってくるのかもしれないですね。
夫 子育てということだけに焦点を当ててしまうより、二人だった家族が三人になったんだからこうやっていこう、チームの一員が増えた、という感覚の方がうまく行く気がします。
子どもだけに焦点を当てていくと、夫婦間ではお互いに何を考えているかわからない。子どもを通してしか話ができないとか、そういうふうになりがちですね。
それと、自分の子どものころを振り返るんです。両親が楽しそうに笑っていると子どもだった自分も本当に楽しかった記憶があるんです。親が不機嫌だと、子どもとしては、顔も見たくないし、近寄らないし、空気が悪くなります。家族みんなが楽しんでいるのが一番いい。夫婦仲が良ければ、あとは全部ついてくるという気がします。
♣ 親御さんの世代の子育てをどう感じますか?
夫 親の世代は忙しい時代で、働いて食べられる事が幸せで、父親はとにかく働いて働いて、外で稼いでくるから、母親は家を守ってくれ。っていうスタイル。そういう時代であって、それがダメだったとは全然思わないですね。自分もその親に育てられたのだし。ただ、自分たちは安定した時代に入ったから、子育てや家庭の運営の仕方について様々な発想が出てくるのだと思います。親の世代に比べたらゆとりがある、という違いかなと思います。
仕事の価値観が変わってきた時代
♣ 今のこの時代をどのように認識していますか。
夫 良い意味で欧米化し始めている。家庭やプライベートを大事にすることに目覚めてきているかなと思います。つい最近まで仕事が第一、ワーカホリックといわれる日本人がいた時代もあった。その世代の人たちが定年になって、我々のようなゆとりある社会で育った世代が会社の中心になっていって、ようやく家庭を顧みることができるようになってきました。
むしろそっちの方が、かっこいい感じに見え始めている。会社も仕事ばっかりしている人、だらだらと残業ばかりしている人、前はそれぐらいやって当たり前だった。もう帰っちやうのか、定時で帰れるなんて余裕だなあという時代から、まだ帰れないのかよ、仕事の能力がないんじやないかと、悪い方に言われるようになった。処理能力が足りない人が遅くまで仕事している時代。早く仕事を切り上げて、プライべートで家族との時間を大切にするという時代になってきたのかなあと。
家族の最小単位が夫婦なので、正しい方向で夫婦が仲良くできれば、子どもは自然にいい方向に育つだろうなという気がします。
♣ なにか行政に希望することがありますか?
妻 父親の気持ち、また私自身も変わる良い講座だったので、これからも夫婦で参加できる講座などをやってほしい。他の方もぜひ聞いていただきたい ですね。
夫 できるだけ夫婦で参加した方がいいですね。妻ばっかり知識が広がっては、夫はますます置いていかれる。
♣ 今日はどうもありがとうございました。
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市の意向や市民編集員の参加による校正の結果、いくつかの直しがある。大きな変更箇所は司会のコメントの位置が変わり、大幅に削られたこと。よくなったと思われる箇所も少なくないが、まあ伝えたいことは伝えられたとは思う。内容は伝わるが、意図したドラマチックなリズムが失われた。ここの編集者は、作家ではなく「感動」を読めない人たちだと思う。
全体の文章として格段によくなったかどうかは、個人の好みもあろう。林田としては、意に沿わないものでも、発行人が市にある以上、何も言えない。しかし、林田はボランティア、無償の奉仕者ではあるが、知恵の提供者、著作者ではないか。それが気になるのなら身を引けばいいだけの話だが……。
「どう書くか」よりも「何を書くか」を大事にしてきた林田であるが、ここで書いた著作は国語の教科書でも、技術レポートでもない。一字一句国語の表現として正しいか、間違っているのかを厳しく吟味するより、伝えようとしたものが、読み手に快く伝わり、送り手の意図や目的に適うかどうかであろう。
日本語の表現が変容しているいま、意味が伝わり、伝えたいことが伝わるなら、書き方は、書き手の個性によるものでよいと思う。それよりも、書ける内容を持っていることが問題。テーマを決め、主張したい内容により、材料を多く集め、書き手の主張したい方向で、塾考して、的確に、個性で表現すること。それがクリエィターであろう。それが林田の「専門性」であり、それをもって、行政との市民参加という協働をしたい願う。
まちの行政が、理不尽な苦情者や、自分本位の幼い批評者の市民参加でもよしとするなら、それに対して林田としては何も言わない。そのまちの市民力の質を、静かに観させてもらうだけである。
〈了〉
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