OJ-Suns(旧懐しBoys) 各写真はクリックすると拡大出来ます。

70年代の和声ポップス演奏オヤジバンドです。Live予定等のご案内、活動内容報告等
 
2016/01/01 17:58:51|その他
元日の経過と
2016-1-1は、神社総代として大晦日から地元神社の元朝参り者へのお守り販売を午前2時過ぎまで行いました。

その前に、昨年暮れに亡くなった義父の喪中祓いを神主さんにお願いし、お祓いを受けました。

24時を過ぎると、地元の氏子の方々が参拝に見え、100名弱の方々に新年のご挨拶を交わしました。

例年と違い今年は比較的暖かく、深夜でも思っていた程の寒さを感じませんでした。

元旦の朝は、神社の歳旦祭に出席し、拝殿の中で玉串の奉てんを行いました。

その後ゆっくりと時間をかけ、父母の墓参を済ませ、菩提寺への年賀挨拶を行いました。

方、二階のシャッターを閉めに行くと、西の空に茜色からブルーに変わりつつある景が目にとまりました。

山のシルエットが黒く、その上にライトブルーからブルーへの綺麗な景に、思わずスマホ写真を撮りました。

一番星と飛行機の灯りが、そのブルーの空にポツンと光りアクセントになりました。

こんなにゆったりとした時間の流れは久しぶりで、ずっと美しい景を見つめていました。







2015/12/30 23:27:48|その他
歳末戒激励
今日は、青梅市自治会連合会第一支会の自治会長会議と、歳末戒激励会がありました。

激励会は、消防団の分団毎に回って来ますので、我第一支会の第一分団は午後9時に青梅市民センターに挨拶に見えました。

回っているのは、副市長を始め、察署長、消防署関係者等そうそうたるメンバーが戒に回ってこられました。

第一分団の消防団員と、第一支会自治会長19名で青梅市民センター駐車場で激励式が行われ、とても寒い中、各御挨拶を頂きました。

1年目の自治会長としては、初めての経験で様子が判らず、戸惑いましたが、大勢の自治会長に交じって挨拶を交わしました。

その後、地元の消防団第五部詰所での打ち上げに参加するべく、帰宅した所、消防団員の方が自宅まで車で迎えに来てくださり、詰所の中で消防団員と活動の実態等聞かせて頂きながら、ごちそうになりました。

消防団は、地元の住民の生命と財産を守るべく、日夜戒活動をして頂ている大変な団体です。

暮、って感じがするのは、消防団の消防車による夜回りで、カーンカーンと言う鐘の音を鳴らしながら回っている音を聞いた時です。

来年も、地域住民の生命と財産を守るべく、地道な活動をお願いしました。







2015/12/27 22:16:00|バンド活動記録
Xmas Live報告
12月23日天皇誕生日にXmas Liveを釜の淵市民館研修室で行いました。

例年と違い、昼間の3時から開演したのですが、大勢の方が聴きに来てくださり、ほっとしました。

バンドメンバーを入れ、50名弱の参加者でした。

曲目の選定もマンネリ化のお叱りを受け、大分新曲(バンドには)を取り入れたのですが、古い物も含めて28曲やりましたので、その、古い物が耳について、やはりねマンネリのご意見を頂きました。

28曲すべて新曲にすることは、難しい事で、ご理解を頂きたく思います。

今回のLiveには、4Kビデオカメラを購入したので、妻に撮影をお願いしました。

PCに取り込み、映像を確認したのですが、想像を超える解像度にびっくりポンでした。

観客後方からの撮影でしたので、観客の髪の毛1本1本がクッキリ鮮明に映り、音もきれいに収録されました。

但し、1ファイル(シャッターを開け切るまで)のメモリーが1Gを超える容量となり、ブログに付けたりは出来ないようです。

演奏完成度も段々と良くなり、一部の方からは夏のLiveよりも完成度が高くなっていた。との、お褒め言葉も頂けました。

演奏中は、自分のパートを熟すのと、ボーカルの音量、ハモリの音量調整に気を取られ、ギターパートを良く聴く事が出来なかったのですが、ビデオを見ると、そのギターパートの演奏が映えていて、練習時よりも完成度が高かったように思えました。

春には、新緑祭にエントリーしています。青梅市側から出演OKの連絡は届いておりませんが、新春からその練習に入ります。

おじさん達の生きがいとして、チャレンジして行きますので、応援よろしくお願い致します。







2015/12/20 22:45:00|その他
きな和尚様としい尼さん和尚様
12/16に義父が他界し、17日から実家の岩手県に帰省しました。

18日に火葬となり、菩提寺のお寺には和尚様が居られないため、近くのお寺から和尚様に来て頂き、葬儀の運びとなりました。

義父は、菩提寺の総代代表等しており、和尚様はお二人お見えになりました。

17日の夕方、自宅に安置された義父への読経に、その和尚様がお見えになりました。

実家地方の習わしで、和尚様は玄関からではなく、廊下のガラス戸から入って来られたのですが、その、お姿を拝見し、驚きました。

1.8m程のかもいからお顔が見えず、肩から下しかお姿が見えません。

きく、かがんで部屋に入られた和尚様は、身長195cmを超えるきさで、体重も110kg以上あり、衣・袈裟を付けたお姿は、山門にある仁王様のような風合いを感じました。

周りの方々が肩から下でチョコチョコと動き、何か、遠近感が狂ったようでした。

そして、葬儀の日にはお二人目の和尚様もお見えになりました。

そして、また、驚き・・・

お二人目の和尚様は、お一人目とは正反対な風合いの方で、何と・・しい尼さん和尚様ではありませんか!

しかも、未だ30代のしい尼さん和尚様に、二度目の衝撃が走りました。

そのしい尼さん和尚様は、普通の女性の体型でしたので、150cm代の身長だと思います。

お二人の和尚様が並ぶと・・・

納骨時には和尚様の読経の中行われたのですが、きな3段積みの墓石(推定190cm)よりも、和尚様の頭の方が上になっており、黒御影石のきな墓石が小さく見えました。

お二人の和尚様に並んで頂き、お写真をお願いして撮らせて頂きました。







2015/12/20 20:25:00|その他
かんでも何てーびっくりポン
昨日の夜、自治会PC教室での忘年会を行いました。年を振り返り、色々な事を学べたのではないかと思っています。

後半、私のキーボード伴奏による生オケが始まり、デーサービスでやっている、懐メロとPJTによる歌詞投影で、懐かしい歌を皆さんで歌いました。

中でも、最高齢の90歳の方からリクエストで"軍歌を歌いたい"との事で、「若鷲の歌」を歌って頂きました。

その後、その方が見えないと思っていたら、自宅に帰り、その方が第二次大戦に出征した時の国旗への寄せ書きを持って見えました。

見ると、凄い!

国旗に、その方の氏名と、何と「宮本武蔵」等の執筆で超有名な小説家吉川英治さん直筆の、大書きの吉川英治さん署名が入ったものではありませんか。日の丸の回りにはご近所の方々の氏名が小さく記された国旗だったのです。

ご存知のように、吉川英治さんは戦中地元青梅市柚木に疎開されていたのです。

現在は、その疎開先であった建物が、「吉川英治記念館」になっています。

国旗は、1m四方程の大きさのシルク地のもので、少し黄ばみ、虫が食った跡がありましたが、吉川英治さんの署名部はハッキリと墨書きが残っていました。

その方は、18歳で海軍志願兵として出征した時に、直に吉川英治さんから鰹節と一緒に渡され、"頑張ってきてください"との挨拶を受けとの事。

出征国旗をお持ちの方は、大勢居られるのだと思いますが、あの、吉川英治さん自身が書いた署名と、直に渡された方は中々、居られないと思います。

PC教室仲間は、冗談で「何でも鑑定」行きだなぁとの声も挙がりました。