孤老の仕事部屋

家族と離れ、東京の森林と都会の交差点、福が生まれるまちの仕事部屋からの発信です。コミュニケーションのためのコピーを思いつくまま、あるいは、いままでの仕事をご紹介しましょう。
 
2009/11/12 13:44:14|フィクション
アガペのラブレター 51〈成長時代〉

第五章 成長時代

 コピーライターは、どうにか社会的に認知される職業になっているようだ。もっとも、国家や業界定の認定資格などはない。そして、コピーといっても、その内容は多岐にわたる。スーパーの折り込みチラシのキャッチフレーズやTVCMのメッセージ、セールスマニュアルのインストラクションなど、広告やビジネスコミュニケーションの文章は、おしなべてコピーと呼んでいる、広告表現の中で、文章に当る部分がコピーライターの仕事の領域である。

 男が携わっていたコピーには、マス広告の惹句コピーやカタログ、チラシ、セールスマニュアル、PR誌など、バラエティに富んでいた。特に得意としていた分野は、販売促進、セールスプロモーションのためのインストラクションコピーで、男は、これをSPコピーと呼び、自分をSPライターと称していた。事務所を持ってからは、企画提案のときにプランナー、金融機関向けに代表取締役などの肩書きの名刺をつくってはいたが、あまり使うことはなかった。

 事務所では、コピーライターの募集で、経験者よりも未経験者を求めていた。この職業に就きたい新人は多く、男が得られたような機会として、未経験者にも門戸を開こうと思っていた。そして、コピーライターとして、軽妙な言葉遊びができることよりも、それ以前の体験や仕事へのスタンスが重要だとしていた。コミュニケーションとして、「どのように」いうかよりも「何を」いうかであり、ビジネス体験のない者は対象外であった。

 新人を募集すると、すぐに何人かの応募があった。履歴書と「私の仕事」と題しての作文を提出してもらい、面接をして採否を決めていた。さすがに、書けないという人の応募はなかったが、実社会での経験が三年以上あることが必至の条件であり、惹句コピーだけを志向する人は採用しなかった。募集は新聞の案内広告や求人専門誌よりも、仕事のつながりでコピーライター養成コースに通う人の採用が多く、延べ二十人近くを採用してきた。

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05章 成長時代 051

SA社で指導した最初の後輩
同業・AKさんへ 「厚誼再進」


アドバイスしたライター

 あなたは、SA社が採用した新人コピーライターの一人でした。その頃、忙しくなりだしていて、ボスのHYさんは、出身地の大阪で人材募集するなどして、メンバーが急増していました。大阪で、東京でコピーライターやデザイナーの仕事ができるというウリは魅力的で、何人かの逸材が入社してきました。コピーライターのカタカナ肩書きが、若い人たちの間で光り輝いていた時代です。

 その頃、私は、中堅のライターとして忙しい日々を過ごしていました。石油会社のE社が担当で、月刊のハウスオーガンや訓練やTBA(タイヤ・バッテリ・アクセサリ)のセールスマニュアル、シーズンキャンペーンガイドなどのコピーを担当し、オーバーワークで、身体がきつくなっていました。他のメンバーもFフイルム、S化学、V社などの仕事で手がまわりません。

 あなたと組むことになりました。コピーライターといっても、いわゆるマス広告のそれをイメージしていたらしく、SPのコピーの経験がなく、まずは慣れてもらおうと打合せや、SSの取材に同行してもらっていました。そんな日々のことを、私が後輩のために書いた「SPライターの実務」というハンドブックの中から、あなたとのかかわりの部分を少し引用してみます。

 A5判で130ページほどのもので、第1章「SPライターとしての基本姿勢」の「まず、書けるだけの情報を持っていること」からの引用です。『知らないから書けない、当然すぎることです。(中略)知ろうとする努力を怠って何もしないで、さあ、書こうかといったって書けるものではありません。もしも、そんな仕事のしかたを続けているのなら、この商売はやめるべきでしょう。

 ずっと以前、A君という新人ライターと組んで仕事をしたことがあります。いまは大手の広告代理店で、優秀なディレクターとして活躍していますが、彼のことをお話ししましょう。ハウスオーガンの仕事をしていたときのことです。編集会議で決ったあるテーマについて、彼が担当することになりました。彼は原稿用紙を開げて、さあ、書こうと思ったわけです』

理解して書くこと

 『ところが、傍で見ていると、なかなか仕事がすすまず、書いては消し、また書いては破っているのです。とうとうたまりかねて怒ってしまいました。締切りが迫っていたこともあります。「このテーマについて、君はどの程度、知っているんだい。知らなかったら、書けるわけがないじゃないか」。はっとして彼はしばらく考えていました。彼はどうしたと思いますか。

 やがて、私のところにやってきて、こういいました。「お店を取材したときに会った方々の名刺を借してください」その頃、私は月に3〜4店の販売店の取材を続けていて、そのお店の方たちの名刺がかなりたまっていて、彼はそのことを知っていました。私がその名刺の束をA君に渡すと、彼はその名刺を使って、どんどん電話取材を始めたのです。

 テーマについて、どのように考えているか、具体的な活動内容を聞き出していきます。業界にはまだ不慣れでしたが、傍で聞いていて、電話取材を重ねるごとに、質問が具体的で、鋭くなっていくのがよくわかります。彼は、取材した内容を理解したうえで、次の新しい取材にとりかかっているのです。そして、その取材した情報をもとにして、徹夜で原稿を書きあげてしまいました。

 もちろん、期待以上に立派な内容で、私にとっても参考になる点が多く、貴重な情報として役立たせてもらいました。A君には、そのような情報源があったから幸いだったとは考えないことです。もし、事情が違っていたら、彼は別な方法で情報集めをしていたはずです。私がもっていた名刺も、A君の手によって情報源として活用しなければ、ただの記念の束にしかすぎなかったのです。

 新しいクライアントのお手伝いをするとき、その業界は始めてのことが多いものです。「業界のことは何も知りません」では仕事になりません。最初は新しいクライアントの業界のことを、詳しく知らなくて当然だといえますが、いつまでも知らないでは済まされません。少しでも早く知るようにしなければなりませんし、だからこそ、この仕事が面白いし、楽しいといえるのです』

長いおつき合い

 あなたは、みるみるライターとしてすてきな仕事をするようになりました。仕事の面白さや厳しさを理解してくれたように思います。取材の仕方も、同行してもらい、私なりの方法をみてもらいました。私たちの取材は、マス報道のそれとは違って、クライアントのお客さまから、売りに繋がるお話を聞き出すことで、そのためにとった方法が、あなたを呆れさせたこともありました。

 私がSA社を辞めるとき、あなたは涙でひきとめてくれましたね。うれしかったのですが、そのときはもう後戻りできない状況でした。しばらくして、あなたも辞めることになりました。どんな理由なのかしりません。そして、あなたは新進のコピーライターとして羽ばたいていきます。制作会社で、Y社のユニークなスピーカーのステレオを担当し、私も手伝わせてもらいました。

 やがて広告代理店のAT社に入社したという知らせがありました。頑張っていることを知り、うれしく思っているとき、P社の担当になって、営業担当者を連れて事務所にきました。セールスマニュアルやキャンペーン企画などの仕事のお手伝いが始まります。そして、AT社との長いおつき合いが始まりました。たくさんの人と一緒のたくさんの仕事をさせてもらいました。

 あなたの推薦で、AT社のクライアントのY社とのおつき合いや、T社、Tガス、M自動車など、たくさんの仕事が舞い込んできました。広告代理店がマス広告の仲介だけではなく、SPの分野まで手を広げはじめたころで、AT社は、おつき合い当時の狭苦しい事務所から、段々、社屋ともに大きくなっていきます。株式を上場し、D社との合併するなど目覚ましい躍進です。

 特に、Y社とのおつき合いは長く、心に残る仕事が多くあります。新商品の販売マニュアルやいろいろなニュースの制作、キャンペーン企画など広告代理店の外注先という立場では適わないだろうほどの密着ぶりで、特に、T部長の座付きライターとでもいえる関係で、社外秘の案件にもかかわりました。あなたは、いろいろな無理を通してくれ、身にあまるサポートをしてくれました。







2009/11/10 10:24:39|福生な人たち
19 老人会女性部
元気と健康の源は
進んで子どもやたくさんの人と接すること
福生老人クラブ連合会・女性部

子どもに教え教わったりの本気付き合い

 福生市の七○歳以上の市民は、市のHPによれば約八千名(平成21年10月現在)、これは全市民の約14%で、その中の60%の約四八○○名が女性です。多くは優しく温かい笑顔をふりまき、家中を、あるいはまわりを元気づけているグラン・ママさんたち。これからもますます女性の力、特に「おばちゃんの知恵袋」や「ご近所の底力」を活用してもらいたい時代に入っています。

 そんな人たちを中心とした福生老人クラブ連合会の単位クラブからの参加者で構成されているのが女性部(部員・20名、会長・小林歌子さん)。平成6年十二月の発足以来、老人クラブ本体事業のサポート部隊としてだけではなく、健康増進やまちのコミュニケーション活性化のためなど、独自活動を積極的に展開しています。

 老人クラブ・女性部では、FVAC(ふっさホランティア・市民活動センター)などを通じての依頼で、市内の小学校で総合学習の一環として世代交流のお手伝いをしています。地域の老人クラブ会員への呼びかけで、一校につき三、四十人もの〈昔子ども〉の参加者があり。児童たちとお手玉、おはじき、あやとり、けんだま、羽根つき、コマ回しなどの昔遊びを教え、一緒に楽しんいます。遊んでいるうちに子どもたちの方が上手になって、逆にコツを教わることもあるとか。ついつい熱が入っての真剣勝負になり、何十年もの長い時間の差を忘れてしまうそうです。

 交流会が終わって、子どもたちからお礼の作文をもらうことがあり、それがとてもうれしい、と。核家族化が進み、お年寄りと子どもとの交流が少なくなっている時代の中で、かけがえのない貴重な体験をしているのでしょう。「子どもって、純真で優しいことを、いつの間にか忘れてしまっていたようです」と小林さんが語ります。このまちでは「子どもは地域で育てる市民力」が甦ってきているようです。

福を生むまちの元気な知恵と技の先輩集団

 この活動の他にも、小学校だけだけではなく、地域の子どもたちとの交流会も企画、実施しています。子どもは親だけではなく、地域全体で育てるという子育て実践の有効な担い手であり、それに最適な集団のひとつが老人クラブ・女性部です。

 子どもたちとの交流会だけではありません。市民同士の仲間づくりやコミュニケーションづくりに関わっています。福生市で行われているいろいろなイベントに参加して、会のフォークダンス部による、楽しくて健康づくりに役立つ「レクダンス」の発表披露と指導があります。上部団体の講習会で教わってきた新作ダンスを一般会員に下ろしたあとにイベントで発表します。

 見ている観客をダンスの輪の中に巻き込んで。指導しながら一緒に踊り楽しんでもらう。こんな活動を「改めて数えてみると年間を通じて相当な回数やっていますよ」と小林さん。会の存在意義がここにも現れているようです。楽しさを「与える」だけではなく、一緒に「楽しむ」ことが会の大きな特長で、長く続いている秘訣のようです。

 「『健康』『奉仕』『友愛』が、老人クラブの3つの柱です。わたしたち女性部もこの方針に沿って活動しています」女性部の横の繋がりも強いものがあります。連絡網がしっかりしていて、頼み事はまたたくまに伝わります。「『お願いね』というと、皆さん喜んで、進んで協力してくださいます」。
 
「人さまにはそう見えないらしいんですが、わたし自身、呑気なんですね。くよくよしているようで、していない。やることが楽しくてたまらない。お友達に『落ち着いたオッチョコチョイ』と呼ばれているんです」

「いろいろな頼まれごとを、最初『どうかしら』と思うようなことでも、前向きにやってみる。それが伝わってか、お願いすると皆さん喜んでやってくださる。ますます楽しくなっちゃうんです。それを見ていると、朝、ちょっと辛いかなと思っていたときでも、いつの間にか元気になってしまいます。皆さんは、わたしの元気の素なんです」。

手は引っ張っても、足は引っ張らないで

 小林さんのこんな姿勢が若々しさの秘訣であり、それがメンバーに、そして、市民全員に伝わっていくのでしょう。「福を生むまち」には得がたいキャラクターのおひとりです。

 小林さんが、いつも積極的で明るく行動しておられるわけを、ご自身どのようにとらえておられるんのでしょう。「与えられた仕事を尻込みしないでやることです。これは皆さんにもお伝えしていることですが、『この程度までは』ならやるといい。『無理が利く程度』ならやってみる。病気でもないなら前へ前へと進んでみる。忙しいくらいがちょうどいいんです」

 「この年になると、皆さん、集まりなどで『年なんだから無理しなくてもよい』という声があがります。すると『そうよ、そうよ』となって逃げてしまう。やる気のあったひとの気まで削いでしまうんです。これではせっかくのよいこともできなくなります。これでは元気がなくなります。健康のためにもよくありません。『手は引っ張っても、足は引っ張らないで』と言っているんです」

 小林さん世代の人たちが元気なら、そのまちの人たちも元気になります。そんなすてきなお年寄りたちの、知恵と技を次世代の人たちにつなぐためにも、今日も小林さんたちは、元気に、明るく、お休み返上で、忙しく働き回っています。







2009/11/10 10:17:43|福生な人たち
18 おやじの会
若い市民を育てる雷親父とお節介小母さん
福生第一中学校 おやじの会
福生七夕まつりの「ところてん屋」さん

 福生一中・おやじの会(森田幸春会長・郡司眞由美副会長)は、二〇〇九年、第59回福生七夕まつりの「七夕ギャラクシーストリート(市民模擬店)」に、一中の生徒有志と共に、隣り合わせ2店の出店参加を行いました。七夕まつりではおやじの会の「ところてん屋さん」は、平成十七年からの出店で、一中の関係者だけではなく、市民にもおなじみになっている〈本格ところてん〉が味わえるお店です。隣の生徒有志によるお店ではフルーツポンチを販売。こちらは収益金全額をユニセフや福生社会福祉協議会などに募金するボランティアです。おやじの会が、出店の準備から仕込みなど全面的にバックアップして、看板作成と販売は生徒中心で行いました。

 おやじの会の出店の目的は、会の存在を一中関係者だけでなく広く多くの市民にアピールして、交流や親睦をはかること。模擬店での収益は、会の運営費として利用し、生徒との交流事業などに役立てられます。そのために会費は無料、一中関係者はもちろんのこと、他の学区や一般住民の入会も歓迎しています。名称は「おやじの会」ですが、二十名ほどの女性会員もいて「おやじ」とは、地域の発展を担う「明日の市民としての青少年」を見守り、育てる「雷親父とお節介おばさん」という存在でありたいと語る森田さんと郡司さんです。

無理をせずにできるときにできる人が

 会は、平成十六年に、福生一中の生徒たちに何かしたい、出来ることはないかという思いから、学校や生徒達を支援し、将来、社会のなかで活躍する若者の幸せに寄与することを目的として設立しました。

 「PTAは母親が中心で父親が活動する場が少ない。父親たちのなかには、子どもたちのために何かしたいという人がいます。PTA活動は昼間中心なので、なかなか仕事を休んでまでとはいかず、なかなか役を引き受けられません。そんな父親を受け入れ、活動しやすい会をつくろうと、名前を『おやじの会』として、休みのときや時間が空いたときに活動できるようにしました」と森田さん。

 学校を中心とした地域のおやじの会として、無理をせずに、できるときにできる人が参加することをモットーに、様々な活動を行っています。また、校長先生を始め先生方、PTAの会長や役員と懇談する機会も積極的に設け、学校のことをよく知るように努めています。

 現在、会のメンバーは、約八十名で、うち四分の一は現役の保護者。PTAの活動は子どもが卒業するまでの間で、その後も学校や地域の子どもたちに関わりたい人が少なくない。子どもが卒業しても続いているのがこの会の特長です。
 「行事に参加できなくても、メンバーという自覚があるだけで.子どもたちへの目が向くようになったという効果もあります。見守り隊であり、それだけでも十分です」。

 おやじの会の活動は、生徒とのスポーツの交流、集団でのパトロール活動などで、学校やPTAと連携して、輝け福生いきいき活動参加協力、落ち葉掃き週間参加協力、懇親会、入学式・卒業式、ホタル祭り七夕まつり等校外パトロール、体育祭参加協力、親善試合、学校巡回(月一回程度)などを実施しています。

 また、メンバーへの連絡は、総会など重要な行事では文書での通達をしていますが、日常では、Eメールや携帯メールを活用しています。経費を節約するための今の時代の工夫です。

「おやじの会づくりを手伝います」

 おやじの会の存在がすこしずつ浸透して、声が掛けやすくなったものの、肝心の父親たちに直接呼びかける機会はなかなかありません。役員の中に、現役の保護者に参加してもらうことが、会を上手に運営するノウハウ。そんな父親たちにアピールする絶好の機会が入学式です。このときに参加を呼びかけるのが功を奏しています。最近では、入学式に両親が揃って付き添うことが多くなっているとかで、父親にアプローチできるのは、このときくらいしかチャンスはありません。ここで「おやじの会」の案内チラシを配っています。また、学校の配慮で「おやじの会」を紹介する時間がもらえるようになりました。

 このようなおやじの会は、いろいろな形で全国的に広がりつつあるようです。子どもたちは、やがて地域の青年になり、市民になります。彼らを見守り、育てることは地域全体の仕事のひとつでしょう。卒業しても続く、まちづくりのひとつです。市内の他の学校でも、おやじの会があれば交流、連携して、より大きな活動ができるのではないか、と森田さんと郡司さんは願っています。「こんな会が、福生でひとつしかないというのは寂しいですね。他の学区でもつくってほしい。一人では難しいでしょうが、同じ思いや願いをもつ、お父さん、お母さんたち何人かが集まって始めればうまくいきます。小学校でもおやじの会はできます。私たちは、その組織づくりのためにお手伝いができます。私たちの活動を見学してもらうのもいい。役員会は月一回やっていますので覗いてもらっても結構です。もちろんメンバーとしての入会も大歓迎です」。

 学校を中心とした市民のコミュニティです。子どもたちを監視し、見守るだけではなく、親たちも一緒に楽しむことがポイントだと。そして、これからは、リタイアしたシニアにも参加してほしい。そして、地道でも十年、二十年と続く活動にしたいと願う森田さん、郡司さんです。  







2009/11/10 10:13:31|福生な人たち
17 井戸端会議
体験の共有化で共に新たな目標を!
4分科会の大きな成果

2009 FVAC 
第4回 ボランティア・NPO 井戸ばた会議
6月29日(土)9:00〜17:00

福生市福祉センターに150名参加
さあ!次はあなたの出番です!

 今年、4回目を迎えたボランティア・NPO井戸ばた会議。福祉奉仕活動や市民活動を積極的に実践しているグループのメンバーに集まってもらいました。福生市内で、あるいは近隣で、どのような活動を展開しているのか。その活動を通して見えたきた喜びや満足、さらには、感じている課題など、まず、話してもらおうという趣向。「こうあらねばならない」的な面を強調するだけではなく、聞き手も一緒に考えて話し合う全員参加型の集い。実践者の体験や心意気を聞くことで追体験をして、参加者が感じた思いやこれからの決意を披露する心開いた話し合いです。

 今回の中心は、午前と午後とに4つの分科会を設定したプログラム。それぞれに身近なテーマを取り上げました。それぞれの分科会の話し合いのかいつまんだ内容を紹介します。さあ、あなたもボランティア活動に参加して元気な「いいまちづくり」しませんか?

分科会1「ボランティア・市民活動ってなんだろう?」

 災害ボランティアとして知られる角田四郎さん(ブルーシート代表)をコーディネータに、数十年間、ボランティア活動を実践しているグループ、福生社協として、あるいは行政との恊働でボランティア活動を展開している例を聞きました。

 家族では担えきれないことを地域で支えていく重要性を認識し、地域の中で高齢者から児童まで、市民同士や行政等とのパイプ役として活動するのがボランティア。地域で手をつなぎ、連携して、ボランティア同志の交流や相手の活動への理解を深めることも大切。ボランティア活動を理解し、認め合い、その上で互いに協力し、学びあう事により活動に広がりを持とう。いまボランティアの定義を云々するのではなく、まず、身近な活動に参加すること。活動を理解し、いろいろな課題を共有しながらボランティアの輪を広げて、後の世代に繋げたい。

分科会2「地域の支え合いを考える
     〜検証!子育てサロンをのぞいてみたら〜」

 コーディネータは、FVAC運営委員関根和美さん。子育て中のお母さんたちが運営しているサロンやサークル五団体の活動報告から、見えてきたものを話し合いました。

 母親の視線で一堂に集めた市内の子育て情報の提供や、子育てサロンといった交流の場づくり。高齢者と子育て世代の交流もあり「子育て支援」のつもりが「親育ての場」にもなっている。また、国際結婚の母親たちが悩みを話し合う場に、外国人の夫も一緒に集うようになり、今ではファミリー同士で楽しむ場になった例も。

 障がいを持つ子どもの家族のためのサークルでは、現実を受け入れるのに精一杯で、話しを聞いてもらえる場があるだけでも救われる。そこに家族で集まるようになった。家族の新しい居場所になっている。

 子育て中の父親同士が、本音や悩みを話し合える場があると、夫が育児にもっと積極的になれ、地域にも若いころから関われるのでは。子育てで悩んだり、行きづまったりするのは、専業主婦だけではない。働いている母親たちを、地域とどのように結びつければいいのだろうか。

分科会3「地域愛とまちづくり
      〜だれもが愛せるまちへ〜」

 コーディネータは杉森侑さん(FAVC運営委員)。「まちづくり・市民活動」が中心テーマ。男性四名がゲストです。

 「福生が好きだから現在の活動をしている」「自分たちが小さいころは、地域の大人たちからいろいろと教えてもらった。だから子どもたちが地域を愛せるような活動をして行こうと思う」など活動の動機から。「我がまち」の魅力をつくって、住んでよかった,いつまでも住みたいまちにしたい。玉川上水遊歩道を考える会、福生水辺の楽校、自然環境アカデミーなどの会が,活動内容を報告、これからの計画を発表。

 ゲスト参加者からも、いろいろボランティア活動を報告。長く住み続けると、忘れてしまいがちなまちの都市資源を改めて見直すことから始めるまちづくりがあってもいい。次世代に伝える役割も大切なこと。新旧市民がこぞって、特に、地もと育ちの若い父親の活動を期待したい。行政とのよりよい恊働関係をはかりたい。
  
分科会4 「たとえば…小・中体験学習から考える
     〜子どもたちに学んでほしい本当のこと〜」
 
 郡司眞由美さん(福生1中おやじの会)の司会、須崎利花さん(FAVC運営委員)がコーディネータ。子どもたちの教育を支援する「ボラ恊」「ほたる」「ろう協」「おやじの会」のグループの皆さんがゲスト。

 体験学習で車椅子移送の安全指導のとき、時間に集まらない、ふざけ等があり厳しく指導している。ものを大切にする気持ちがないことが目につく。「やさしさ」がなくなっている。関心のない親がいる。打ち合わせに参加しても、学校側からの「希望」が出てこないことが多い。もっと自然に交流できたらと思う。手話での「あいさつ」など家族に広めてほしい。子どもが大人を指導する絶好の機会。

 これからは体験学習後の体験の場の確保やサポート体制も必要。総合学習を継続させて、他グループとのコラボレーションで福祉関係の総合的なメニューの開発と新たなかかわり先の可能性を。よい取り組みのために、情報を共有し課題等を一緒に考えていきたい。これからも思いや情報を共有してがんばっていこうという気持ちを確認できた。







2009/05/13 9:18:39|福生な人たち
16 ランプシェード
パソコンで文字情報を音声読み上げ
目的を目指し、できることを、できるときに

ランプシェード

紙が話すSPコード

 私たちにとって視覚からの情報が入ってこなかったら、日常生活で大きな不便を被ります。特に、生活途中で視力を失った人には、文字情報が認識できないことは大きな打撃です。閉じこもりがちになったり、人と会うのもおっくうになるかもしれません。高齢化が進む最近では、いっそうの加齢や生活習慣病の合併症などから、視力が落ちて、新聞も読みにくくなるなどの人も増えています。視力の低下は、コミュニケーションの妨げになり、毎日の生活をうっとうしいものにしてしてしまいがちです。

 視覚に障害がある人と視力が低下した人たちに、いろいろな文字情報を音声にして提供しているボランティアグループが「ランブシェード」(小林勲生会長)です。「閉じこもり、寝たきり《ゼロ》を目指し自立の延長」「夢があり共に楽しめる目標にチャレンジ」を活動方針に掲げて、《生きがいを求め、常にプラス思考》《心のユニバーサルデザイン》を、ともにつくっていこうという活動を続けています。

 文字情報を、パソコンを使ってSPコードという二次元の高密度音声コードをつくります。用意した、あるいはオリジナルに作成した原稿をパソコンに打ち込むだけ。これを18ミリ角のバーコードのようなものにしてくれます。これをプリントした「らんぷカード」として、あるいは印刷物として、専用の読み取り装置にセットすれば、それを読み上げてくれます。小さなコードに、ぎっしり八○○字もの情報が盛り込め、一枚のカードの裏表で、最大8個のコードを掲載できます。

 音声はコンピュータ合成音ですが、女声か男声か選んで、読み上げスピードの調節ができます。いま、このSPコードは、福生市の広報にも採用されています。「ランプシェード」と福生市との恊働で実現したもので。全国的にも先駆けた新しい情報媒体です。

 読み取り装置は視覚障がい者のお宅に設置されている他、福祉センターや福生市輝き市民サポートセンター、公民館、図書館などにも常備されています。
 また、この音声をMDにダビングした「らんぷディスク」も制作して、希望者に提供しています。

心のバリアフリー

 「ランブシェード」は、このたび、同じ目的に向かって活動してきた「悠楽会」「ドリームサロン」「デジタルサロン」を併合しました。そのメンバーは、視覚障がい者や弱視者を含めて、現在二十数名で、定例会や研究会、個別相談会など、月に七回以上の集まりを開催しています。

 この会の大きな特徴は、支援する人、される人という区別がなく、メンバー全員が一緒に協力し合って目標を実現していこうとしていることです。それぞれの立場から、対等に意見を出し合い、恊働しています。

 視覚障がい者を含めて心のバリアフリーとユニバーサルデザインの社会の実現を目指す「ランブシェード」は、その手段としてパソコンを活用したデジタルテクノロジーを選びました。

 目が見えないことは、差別されることではなく、その人の《個性》であると、小林さんたちメンバーは信じています。目の見えない人や見えにくい人、見える人、いろいろな個性が一緒になって、まず、情報格差に立ち向かい共生します。 自分たちから新しい音声情報を提供、流通させながら、社会全体への普及に弾みをつけていく活動です。

「ランブシェード」では、この活動をさらに発展、拡大するために、同じ志を持つメンバーを求めています。

 この活動において、パソコンは重要な道具になります。しかし、まだパソコンが上手に使いこなせないから、まだ、使ったことがないからといって、メンバーになる資格がないというものではありません。

 パソコンが使えなかったら、最初から手ほどきしましょう。途中でつまずいたら、そこから抜け出すために、すぐにも救いの手を差し伸べます。というのが会の基本的な姿勢です。そのために、必要な人には、まずバソコン操作を指導。それは目的を達成するための手段を身につけてもらうためで、パソコンの扱い方だけを教えるためではありません。

 道具であるバソコンを使って、やりたいことから始めます。他のいろいろなやり方は、必要になったときに、順次、覚えていけばいいことだと。

  会費は、個別指導も含めて無料ですが、すぐにも、できることをボランティア活動として実践してもらいます。なお、懇談の時のお茶菓子代として、任意のカンパをお願いしています。

 この会の魅力は、みんなでわいわいコミュニケーションを満喫できることだと。気の置けないメンバー全員が揃って一泊のバス旅行や親睦会を楽しんだりもしています。

 メンバー同士、心と心との付き合いを通して、親しい関係をつくります。「目の不自由なメンバーが、みんなが一緒になって楽しめるのがこの会に参加している最大の喜びです、といってくれました」と小林さん。全員が共同で、一人一人が主役になって、自分ができることをして活動するのが「ランブシェード」です。