孤老の仕事部屋

家族と離れ、東京の森林と都会の交差点、福が生まれるまちの仕事部屋からの発信です。コミュニケーションのためのコピーを思いつくまま、あるいは、いままでの仕事をご紹介しましょう。
 
CATEGORY:エッセイ・日々是好日

2008/11/26 1:36:18|エッセイ・日々是好日
とりあえず
百遍の日々是好日 2008.11.26(水)

 2008年08月19日より、100日間、ブログエッセイとして「日々是好日」を掲載させていただきました。お陰さまで、08年11月26日、午前1時現在で、延べ4千700名近くの方々のお目にかかりました。t-netさんのご厚意に、改めて感謝させていただきますとともに、おつきあいいただきました皆さまに、衷心より感謝させていただきます。ありがとうございました。
 
 思いつくままに、好き勝手に、毎日毎日、独断と偏見で書き綴ってきました。百回を持ちまして、とりあえず毎日の掲載を休載いたします。もちろん、追加稿を掲載しないだけで、このカテゴリーはそのままに、これからも不定期に掲載させていただきます。私としましては、いくつか書き直したいところもあり、字句の校正を含めて、ときどき編集するつもりです。また、この続編になるかはわかりませんが、考を新たに、お目にかかりたいと考えます。あらためて感謝いたします。
 
       08年11月26日    Kurasan






2008/11/26 1:30:35|エッセイ・日々是好日
朱黄大地に 
●朱黄大地に 2008.11.26(水)

100 遺言企画
お世話になった人へ手紙での遺言

 自分の伝記は、遺言になります。遺言とは、遺産の配分法を定めるものであってもいいでしょう。それは法的にも拘束できるものとして、必要な人は作ってもいい。私の場合は、子らに残す資産は何もありません。それを彼らも承知しているでしょう。ただ、親父がどのように生きてきたかの「生きざま」の記録は、精神的な遺産になると信じて、「魂のDNA」を伝える証として「伝記」を遺言に加えることを勧めています。「自伝エッセイの書き方講座」を、このブログのプレゼンテーションのカテゴリーで「報謝巡礼」を書くための方法を紹介させてもらっています。

 ブログの本文でも書いていますが、自伝を書いてみたらといっても、なかなか書きだせるものではないでしょう。生い立ちから、少年時代、青年時代と書きすすめていくのが一般的です。日記が残っていれば、それを見ながら、また、アルバムなどを見ながら思い出すままに書き進めていく。ある時代は書くことも多いが、ある時代は特別に書くこともない。これだけは書いておきたいが、書きたくないこともあるものです。書く分量も決まっていません。自分で決めない限り、締めきりもない。いつの間にか挫折してしまう。そんなことが多いのではないかと思われます。
 
 そんな自分伝記を、書きやすくする方法はないか。そんな思いから、私はひとつのトライをしてみました。あったことを書きすすめるだけなら、いま、各地で関心を集めている聞き書きボランティアさんの仕事と、書き手が違うだけでの、同じような内容になってまう。過去にあったことに、自分はどのように受けとめ、どう考えたのかが肝心です。それを、一緒にしてくれた人との関係で見直してみたらどうなのだろうか、という視点です。その人とした出来事に、自分の思いを重ねてみよう。その方法として、その時々の人に、手紙を、仮想の手紙を書いてみようと。

 百人の人に手紙を書こうとしました。60才を過ぎた頃です。百人の人たちに、私がいま感じている感謝の思いを、その人への「遺言」という形の手紙を書こうと。タイトルを「百人巡礼」としました。親や子までの身内、学び修業したときの師匠や友人たち、仕事時代にお世話になった人たち。あげ出したら百人では納まりません。絞リ抜いて百人にして、順不同に、手紙を書きました。全部を、ほぼ同じ文字数にしました。これも長く書くためのコツでであり、執筆管理がしやすくなります。これは戦後の混乱期を生きてきた市井の市民の記録にもなると気付きました。

 予定の期日通りに、書き上げました。できたら出版したいとも考えて、手を尽くしたのですができません。パソコンのDTPで編集して、それをHONにしたり、CDにしたりしました。自費出版をと考えて、友人たちに協力を願ったのですが、それも不発でした。いまも諦めてはいないのですが、この経験を他の人にノウハウとして伝えようと考えました。まず巡礼する百人は多すぎるので半分の50人への報謝巡礼にしようと。書き方も、仕事のレポートを書くようにと、サポート体制もつくり、進捗管理を取り込むなど、いろいろな工夫をこらしてはみたのですよ。


●朱黄大地に 2008.11.25(火)

099 自伝企画
魂のDNAを残すための事実記録

 私には、息子・太郎と娘・花子の二人の子どもがいます。もう成人し、巣立っている彼らですが、子どもの頃のエピソードです。ある日、出かけていた妻が、持ち帰り寿司を買ってきました。空腹を我慢していた私は、すぐにも食べようとしたら、息子が「どの順番で、食べるか分る」と言い出しました。面白がった妻と娘は、「じゃあ、それを書いてみて」と。書き出されたメモを私に見えないようにして、「さあ、どうぞ」。私は、特別に気を使うこともなく、いつもの調子で、妻たちが見守る中、食べたい順に、食べていきます。結果、順番はすぺて当っていました。

 彼女らの歓声の中、全部正解とは、素直に感心してしまいました。少しは外れるだろうと思っていたのですが、息子は、私の好みや性格などを分かっていて、予測てきたのです。子は親たちを、彼なりに観察して、好みや性格を把握していたというわけです。親父の背中を見て、子は育つと言われてきました。確かに、毎日生活を一緒にしていれば、親のことは分るでしょう。しかし、農耕時代の生活とは違って、親と子は、24時間一緒というわけにはいきません。子が知らない親がいて、親が知らない子がいるでしょう。個室時代の今、ますます顕著になっているでしょう。

 子は、親を「分る」が「知らない」のではないか。分ることと、知ることとは違います。分かってはいるが知らない。それは当然のことでしょう。親の仕事がどんなものかを知っている子でも、具体的には知らない。その苦労や喜び、悲しみを知らない。親の子ども時代の事は、祖父母などが話していない限り知らない。まして、親父の失恋のエピソードなどは、多分、妻も知らないのではないか。父親と母親は、親や伴侶、子らが知らない歴史を背負って生きてきたのです。知らなくてもいいし、生きられる。しかし、知らないことがいろいろな社会問題の根源ではないか。

 親が、というよりも、血が繋がる父や母が、どのような時代や環境の中で、どのように生きてきたのか。どんなことに出会い、それにどのように対してきたのか、喜怒哀楽、希望や絶望など、心のひだに収めてきたたくさんの事実は、本人が明かさない限り、妻にも、子どもにも、そして、やがて出会う孫たちにも伝わりません。親を知らない限り、子どもは、親を理解したとは言えないのではないか。それは背中を見せただけでは、一緒に生活しただけでは、伝わらないのではないか。それでは、親の思いのたけが伝わらず、親の思いとは別な行動を生んでしまうのでは。

 親のことを知らせよう、というのが私の提案です。時間をみては語ってあげたいもの。しかし、語って聞かせるだけでは足りない、父親、母親の「魂」を作ってきたたくさんの事実があります。それを伝えるためには、書き残すこと。私は、それを「魂のDNAの伝記」と呼ぶ「遺言」です。子どもらには、いま、すぐにも読ませたい。しかし、いま読んでもらえなくてもいいのです。書かれたものは、記録として長く残ります。いつか読んでもらえばいい。子らは、孫らは、精一杯生き抜いてきた親の事実を知れば、何かが変わるはずです。それを信じて書き残すことです。


●朱黄大地に 2008.11.24(月)

098 指南企画
スキルではなく飲み場でイデアを

 事務所で何人かの若い人たちと一緒に仕事をしてきました。多分、私は職人なのでしょう。他のいくつかの分野の職人と同じように、手取り足取りでの指導は苦手で、盗んで覚えろの指南しかできなかったようです。そのために志半ばで、辞めていった人も、また、辞めてもらった人もいます。どんな分野でもそうでしょうが、他人には頼れないひとり完結の仕事では、ただその仕事をしたいだけでは済まされない能力が必要であり、向き不向きがあるようです。私の事務所は、授業料をとって教える指南所ではなく、利益をあげなければならない、営利の制作事業所です。
 
 新人であっても一緒に働く仲間になってもらうわけです。稼いでもらわなければなりません。稼ぐとは、プロとして、クライアントから認めてもらえる仕事をすることです。正直、未経験の人には短文を書く仕事でも、すぐに書けるものではありません。まして、私は、他所の制作事務所の手垢がついたような人の採用は避けてきました。もちろん、日本語が書けることが前提ですが、同時にビジネスマンとしての経験がなければならないとしていました。そのために実会社での実務経験が、少なくても三年以上は必要だと。もうひとつの条件は、お酒が飲めることでした。
 
 新人であっても、給料は支給します。安い額でありません。その日暮らしのような経営では、仕事が途切れると人件費の負担が重くなり、自分の給料は我慢するということは再三あることでした。経営規模的に零細ではあっても、一応、会社の形態で社員として働いてもらっている以上、給料は欠かせません。銀行からの借入もあり、その返済もあります。そんな中で新人を、いかに早く稼げるプロのライターにするかが毎日の課題でした。ただ、事務所のウリは、ひとえに私のキャラクターです。この商品特徴で受注した仕事を、質を落さずに作ることが必須の条件です。

 私が大事にしていることは、どう書くかのスキルではなく、何を書くかのイデアです。このイデアこそが、私の売物であり、事務所の商品です。うちのスタッフには、彼ら自身の売物を作って、それが売れるまでは、私が作る売物を作ってもらわなけれはなりません。それは対象をどのようにとらえ、それをどのような概念にして提供するかです。好き嫌いは別として、私の事務所で仕事をする以上、それを知ってもらわなくてはなりません。これを伝えるのは、コミュニケーションを通してか、あるいは私の仕事を、徹底して倣ってもらうかです。これはきついことです。
 
 打ち合わせや取材に連れていくこともありますが、せいぜい二三回止まりです。日常の会話を通して伝えることが中心です。時間を見ては、私が思っているマーケティングソリューションを聞いてもらう。体験や感想を聞いてもらう。そのためには、飲み場が最適です。思いを伝えながら、彼らの思いを聞いて、ディスカッションをします。もちろん飲むことや、酔うことが目的ではありません。ただ、美味しく飲むことが絶対であり、不味く感じたらお開きです。私の考え方とは、別の解決法を見つけるのもその場であり、それで事務所から独立していく人もいました。


●朱黄大地に 2008.11.23(日)

097 域業企画
リタイア後の仕事をNPOとして

 8年ほど前に、住んでいたまちで、コミュニティ・ビジネスが関心を集めていました。まだ、NPOが一般化していなかったときで、子離れした団地の主婦たちがこぞって立ち上げを画策していました。公民館活動として、市民グループの主催でセミナーが行われました。その頃、ちょうどコミュニティ・ビジネスを、考えていたこともあって、参加させていただきました。五回ほどのセミナーで、まず、その関係のハウツー本を上梓したという人の講演です。参加者は50名ほどで、うち男性は10名ほど。女性が積極的に市民活動していたまちらしいセミナー光景です。
 
 コミュニティビジネスという呼び方が珍しかっただけで、要するに、地域社会を市場にしたミニビジネスの立ち上げ方です。事業計画書の作り方など、セオリー通りの内容でしたが、高学歴者が多い主婦たちには、好評のようでした。アタマで学習して実践していこうという意気込みでしょう。まず、出席者への宿題として、いま考えているビジネスの事業計画の概要の作成を求められました。提出された全部の計画書を、主催者がコピーして全員に配りました。それを読み合わせして、講師が講評します。福祉的な意味合いの濃い彼女たちの事業には感動さえ感じました。

 主婦らしい視点からのコミュニティビジネス計画は、いまならNPO法人としての設立を目指すものかもしれません。NPOであっても、利益をあげることを目的にしないだけで、労力を提供する職員に給与を支給してもよく、必要経費はもちろん計上できますし、運転資金のための預貯金もできるわけです。NPO法人といえば公益的な事業なのだから、職員を無償奉仕にするか、あるいは低額の給与でも良しとするような、ボランティア的な臭いが強くするものです。公益事業を有償で行うのは望ましくないという考えで、これがひとつの偏見になっているようでした。

 NPO法人の事業体は、コミュニティビジネスに最適な組織なのかもしれません。ただ、公共福祉的な臭いのために、かえって、ビジネス経験者たちにとって、自分の柄ではないと、衒いを感じるものになっているようです。いま住んでいるまちでも、NPO法人化推進に積極的で、セミナーをはじめいろいろな支援活動をしています。昨今、リタイア後の男性たちの積極的な活動が求められているときだけに、彼らのキャリアを活かした、お金のもらえる仕事としてのコミュニティビジネスがあってもよいのではないか。NPO法人としての職場をつくること方向です。

 ただ、この場合に難しいのは、どんな分野の仕事をするのかです。まず、仕事があって、この仕事をしたい人たちを募って事業展開をするのは、それほど難しいことではないでしょう。しかし、集まってNPO法人化して、仕事はしたいが、どんなことができるのかわからないのでは、進めようがありません。ただ、仕事をしたいという意思は、事業資源だと考えるのです。この資源を集めれば何かできる。何ができるかは、集まって、それぞれの自己資源を残らず出し合って、まとめてよく見つめることで、見えてくるはずです。きっと、そんな事業体が創れるはずです。


●朱黄大地に 2008.11.22(土)

096 事業企画
夢を託す成功のための愛の計画書

 いろいろな事業計画書を書いてきました。ボスのNKさんを通しての依頼が多く、顔の広い彼のもとに入ってきた依頼のほとんどをこなしていた時期があります。新商品を開発したので、販路の開拓と事業計画を策定してほしい、購入した不動産施設の新しい活用としての新規事業の開発と事業計画を策定してほしい、などの案件です。もちろん私一人で策定するわけではなく、NKさんをはじめ、彼が集めてきた専門スタッフに参加してもらうこともありますが、ほとんどは、私と二人で現場に飛んで取材、調査してアイデアを出し、ディスカッションしてまとめました。

 あるとき、東北の都市郊外のレジャー施設の再開発企画の依頼がありました。動物園と遊園地、大宴会場つきの温泉宿泊宿泊で、オープン当初は爆発的な人気を博したものの、数年を経たあとに廃れてクローズしてしまった。これを丸ごと引き受けた不動産会社が、新しい事業計画をつけて、新しいスポンサーに売り込みたいので、その事業計画を立ててほしいとの要望。いつものノリで引き受けて、NKさんとともに現地に出向き、施設や行政、商工会などを調査、取材して事業計画をまとめあげました。結果、どうなったのかを聞くこともなかった無責任な仕事でした。
 
 バブル期のバブルな仕事でした。再計画事業計画書付きの不動産施設販売で、温泉があり、土地もそこそこあり、施設ぬきでも転がせたのでしょう。そうなることも承知の上、不動産としての魅力も書き込んでおきました。そのNKさんとの仕事に、N県の山間開拓地の再開発企画がありました。戦後、満州からの引き上げ農家が開拓した農地が、後継者不足や高齢化のために過疎化している。それをまとめて再開発を引き受けた、地元出身の実業家からの依頼でした。その地域に残って、営農中の人たちとの協力による、一年近くをかけたビッグなプロジェクトでした。
 
 私たちの提案は、地元住民も参加する運営会社をつくって、オーナー会員制による複合レジャー農園化策でした。そこは避暑地としても魅力ある地域で、残っている民家を改築して貸別荘にする。農地はそのままに、地元住民の指導でオーナー会員による農業を続け、溜池をレジャー湖にする。廃校を整備して宿泊施設として、中学校の体験農業や高校や大学のクラブ活動の合宿を受け入れるなどなど、地元住民の就業や雇用機会をつくりのも大きな狙いでした。旅行会社をも巻き込んだプロジェクトで、中長期のかなり綿密な収支予算を含んだ事業計画書をつくりました。
 
 長期契約の仕事で、私たちのギャランティは、何回かに分けて支払ってくれるほどの気遣いをもらいましたが、本格的な設計を含めての着工となったとき、クライアントの本業が倒産の憂き目にあってしまいました。プロジェクトは計画半ばでの頓挫です。私のやるべきことはまだまだあって、私なりの大きな夢を抱いていたこともあり、まさに断腸の思いでした。こんな事業計画を何度か作りましたが、それは私にとっては夢をつくる仕事でした。どのようにしたら成功させるかに、体験を活かして、クリエイティブを発揮させる。これもアガペ愛の発揮としていました。


●朱黄大地に 2008.11.21(金)

095 生活企画
謝恩・倹約・順応の生活道を設定

 つゆ知らずに私は「林住期」の行動パターンをなぞらっていたようです。林の地であるこのまちに仕事部屋をもって、これからどのように生活していくかを考えました。私自身は、いわゆる団塊の世代といわれる1947年から1949年の3年間の生まれではありませんが、行動や心情面では、高度経済成長を支え、高度経済成長期を走り抜いてきた団塊世代の人間の一人だと思っています。そして、いままさに「林住期」の真っただ中にあるというわけです。仕事をするときは、その目的を確認して、より効率的な行動を取ることに努めている私は生活の目標を考えました。
 
 まず思ったのは、「感謝」することです。「家住期」にあったころには、とにかくがむしゃらに生きてきました。こうと思ったら、少しくらいの障害があっても、何するものと突き進む。身にあまる様な仕事でも、取り組んみ、実践しながら、学び、技を身につければよいと、自分自身が思い込んだ正義に向かって突進してきました。そして、そこそこの成果をあげてきました。まさしく、団塊世代の生きざまでした。いま思えば、少なくない人を傷つけ、迷惑をかけてきたようです。思い上がっての勇み足もあったでしょう。それを良しとしてきた生き方ではありました。
 
 この地に来て、しばらくして体調を崩し、国民健康保険のお世話になりました。眼の手術を受けることになり、そのとき、行政や医療機関の人たちから、手厚い支援を得たのです。いままでには、あっても気に止めず、感じなかった優しい心遣いです。そんなことへの恩返しとして、なにか自分ができることをしたい、しなければならないと思っていました。そんな思いの中から「おかげさまで」ということばとともに「謝恩」という生活の目標をみつけました。「ありがとう」と、素直に言える自分自身を創ることだと。私なりに、これを「Voluntary」と定義しました。
 
 欲張りな私は、三つくらいの目標をと思います。そして、二つ目は、このまちでの活動の狙いである、地球環境改善です。友人の東京の森林を甦らせる活動に、共感、賛同していることからも、また、私自身ずっと前から大切にしている「倹約」という概念です。ものづくリの現場で育ち、マーケティンクの仕事でも第一義にしてきた「もの」への愛を全うすること。必要なものだけを、少しだけ使わせてもらう「倹約」という意識です。少年時代からの信念の「もったいない」という思い。これを循環型社会の構築、再編成につながる「Sustain(nable)」と定義しました。
 
 そして、三つ目は自分をあわせる、対象に適合させることです。他人や事象、過去は、絶対といえるほどに変えられません。変えられると力んできて、変えられなかった虚しさ、はかなさを体験した私の結論です。このまちでの生産活動を始めた動機のひとつで「順応」という概念。状況を、積極的に楽しんで、自分を抑え込む「我慢しよう」という決意です。「Conform」という定義です。以上の三項目を「お陰さまです、ありがとう。もったいないから。すこしだけ。がまんを楽しみ、合せていきる」という、フレーズとして、私の生活企画のモットーにしています。


●朱黄大地に 2008.11.20(木)

093 林住企画
黄金の林住期を迎えうつ準備とは

 人生には四つの時期があり、50才から75才までを「林住期」といって、もっとも輝かしい人生のクライマックス「第三の人生」であると、作家の五木寛之さんが著書の「林住期」というエッセイ集で語っています。人生100年の中で「林住期」は、人生の黄金期で、50才になったら仕事から離れ、人生を生活のためだけでなく生きること。自分が本来なすべきことは何か、自分が本当にやりたいことは何かということを大切にする。他人や組織のためでなく、ただ自分のために残された時間を、それまでの50年で蓄えた全てのものを土台にして高くジャンプしようと。

 古来、インドには人生を4つの時期に分ける「四住期」という考え方があったのだといいます。これを五木さんは人生100年として、最初の25年を学生期として、将来のために学ぶ時期。次に、50才までを、自立して職業に就いて、一家の主として家族を養う家住期。これを終えると、すべてを捨てて森林に住み、自分自身の人生を静かに見つめ直す林住期。そして、最後に人生の大団円、遊行期には、あらゆる執着を捨て去り、解脱を願ってただ独り遊行せよと。そうか、さしずめ私はいま「林住期」を実践しているのかと、我が意を得たりと思ったりはしています。

 五木さんのエッセイは、団塊の世代への応援歌でもあったのでしょう。会社人間であった人たちが、定年という職場コミュニティを離れた時、どのように生きていけばよいのかへの、ひとつの提案で、親身のこころ配りだと、勇気づけられます。多くの会社人の場合、定年までが家住期であり、定年を経て林住期に入るものかもしれません。50才を過ぎたら、林住期に備えて、助走をはじめなさいということなのでしょう。確かに、定年を迎えて、さあ、これからは、あなたのためだけに生きなさいといわれても、具体的に何をしてよいのかわからないのではないのか。
 
 組織の中で生きてきた人たちにとって、特に、管理職で職場を離れた人にとっては、自分が蓄えてきたものとはどんなものなのか、よく自覚できないのではないでしょうか。職場のルールや文化、方針や役職で、実は組織に動かされてきた仕事を、その職場を離れたら、一体、どんな意味を持つものなのか。それが社会的には、どれほどに評価されるものなのかを計れないというのが現実でしょう。蓄えたもので見えるのは、結局、貯金や年金を得られる権利だけの「財」なのかもしれません。他に、どんなスキルフルな特技があるのか。いわゆる「つぶし」がきくかです。
 
 自分のためためだけに、蓄えたものを使えといわれても、それがどんなものか検討がつかない。そんなことを無視して、趣味や社会奉仕のボランティアに生きるという道があるかもしれません。最初の頃は、仕事から離れた開放感や新しい世界との出会いの新鮮さで、毎日が充実しているように思うことがあるでしょう。しかし、多くの場合、かつての「家住期」での充実感とは違うようです。時にはつらく苦しく、嫌々とはいわなくても好きではなかった仕事でも、あれはあれで、生きている実感があったのではないでしょうか。この先、もう少し考えてみたい問題です。


●朱黄大地に 2008.11.19(水)

093 営繕企画
将来のリフォームを考えた設計か

 営繕事業、いわゆるリフォーム事業に関わったのは、世の中がこれからバブル経済期に突入しようとしていた頃でした。新築ブームに沸き返っている建築業界にとって、手間がかかって割の合わないリフォームは、義理などで請負うついでの仕事でした。そんな中で、リフォーム事業の将来性に目をつけた人が、大阪のOさんでした。大手の組織から弾かれたような一人親方の大工たちを集めて協同組合に組織して、営繕事業を展開していました。アイデアあふれた営業活動を展開して、メディアに取り上げられるなどして、関西地域では少しずつ知名度をあげていました。
 
 Oさんは、その営繕事業を全国展開のフランテャイズシステムとして展開しょうと目論み、知り合いの紹介で、私がお手伝いをすることになりました。大阪の本部に通って、現在の業務の流れを整理し、システム化して、マニュアル化しました。フランチャイズ展開にかかろうとした時、本部のいろいろな事情で解散に追込まれて手を引くことになりました。その後もいろいろな仕事を通してリフォーム事業との関わりが続きました。そのひとつが、LPガスの販売促進としてのリフォームです。ガスの増販をはかるためには、リフォームを避けて通れないものがあります。
 
 ガスを多く使ってもらうためには、いまよりガスを多く使う新しい機器を使ってもらうことです。そのためには、浴槽や台所の水回りを改修することにつながります。工務店との連携でリフォームの提案にまで行き着きます。その連携の中で主導権を持って仕事を進めてもらうための情報や用具の提供をする手伝いが私たちの仕事になります。また、ガス機器メーカーの販売促進の仕事においては、機器を替えることがリフォームそのものです。建材メーカーの販促企画の仕事においても、傘下の建材店に効果的なリフォーム提案のノウハウを提供するのも仕事になります。
 
 ところが、いざリフォームにかかろうとしても簡単にはいかない場合がある。壁や床を剥がしてみたら、奥の構造体が腐っていた。シロアリに食い荒らされていた。末期の癌のような状態で、そのまま塞いでしまった方が、あとわずかな寿命は持つというくらいのもの。徹底的に改修しようとしたら、費用が嵩んでしまう。このへんが、建築の知識が少ないガス店やガラス店、住設店では、個客を説得しきれずに、手に負えない仕事になってしまう。そんなトラブルをおそれて、リフォーム事業に進出できない。メーカーとしても推奨できないというジレンマがありました。
 
 リフォームに耐えられる丈夫なスケルトンの建物にすることは、結局、家を長もちさせる基本であることを知りました。傾いている床の上に。最新のシステムキッチンを置いても、すぐにトラブルに遭う。構造的に壁を抜けない家もあり、荷重を支えきれない床、大量の湯水を流しきれない配管など、増改築を考慮していない設計の家があります。家は家族一代の家で終り、社会のストックにならない要因です。そして、家は空巣になって、廃棄され、二酸化炭素の増加につながります。リフォームしやすい家は、住設の取替えが容易で、地球環境の保全につながるのです。


●朱黄大地に 2008.11.18(火)

092 販促企画
商品に自信がある商店ブランドを

 ある商品の販売対象者に、買ってもらう仕掛づくりが販売促進企画です。最も基本的な方法が値引き訴求でしょう。通常の販売価格からどのくらい安くするか、それを訴えることが、最も効果的な販促策でした。過去の仕事で、代表的な例が、自動車のタイヤ販売でした。10年近くB社のお手伝いを、また、E社のSSでタイヤキャンペーン企画を5年位お手伝いをしました。そのタイヤの販売では、定価の30~20%引きが当たり前の時代でした。ただ、どこの店でも同じような販売価格の表示で、どこが得なのか分りません。やがてオープンプライスになりました。
 
 耐久消費財などの買いまわり商品では、多くがオープンプライス表示に変わっています。カタログを見るだけでは、どのくらいの値段で買えるのか分らなくなりました。価格は、店頭で確かめるしかありません。同じメーカーの同じ商品なら、当然、安い方がよいと、いくつかの販売店をまわってみることになります。販売店によっては、うちよりも安い店があったらその価格以下にしますとうたうほどです。しかし、十数万円の商品でも、量販店同士なら数百、数十円の差です。そのために、数時間もかけたくない人もいます。いまは可処分時間が大切にされる時代です。

 量販店の多くは、購入額に応じたポイント還元という、次回割り引き販促で、個客を固定化する戦略をとっています。その還元率が販促戦術です。こうなるとメーカー系列個店などでは、販売価格では太刀打ちできなくなり、地域密着サービス提供などの販促策を取らざるを得ません。その方策は、まさしく百店百様になり個店としての工夫に頼ることになります。安いことは、販促の第一の要件ではありますが、単に、絶対価格が安いことが買いを促すものではなくなっています。価値観の多様化が購入時の価格差を超えている、競争のしやすい時代になっているのです。
 
 消耗品などの最寄り商品では顕著です。食の安全が大きく問われているいま、食品ならまず、安全で、安心できることが求められます。食品のトレーサビリティが重視され、誰が、どこで、どのようにして作ったのかが商品を選ぶ重要な要件です。販売店がそれを証明できれば、セルフの売場でも、ショーカードなどで伝え、訴求できます。しかし、販売店が商品の素性を知らずに、そのまま店頭に並べて売る商品では、表示だけで判断することになります。それが安心安全を決める基準になり、いま、社会問題化している産地偽装の犯罪を引き起こすまでになっています。
 
 安全安心な食品であっても、安いことに超したことはありません。そんな商品をどのようにして選ぶのか、それを確立して、きちんと訴えることが販売店の基本の義務ではないでしょうか。安心して選んでもらえる販売店であるためには、まず、売る商品が消費者の信頼に足る商品であること。そのために、売る商品について、自分で徹底して研究調査して「自信の商品」にすることです。売る商品の「何か」を知ることです。その結果、販売店の評価が確立されます。それが「販売店ブランド」であり、かつての商人が大切にしていた暖簾であり、販売店の販促戦略です。






2008/11/17 11:01:59|エッセイ・日々是好日
まちに紅葉
●まちに紅葉 2008.11.17(月)

091 近隣症候
地域コミュニティを再構築したら

 いま仕事部屋にしているアパートに、新しい隣人が引っ越してきました。年格好は私くらいのようで、外出しようと外に出たら、家財道具を運び入れていました。当人らしいその人が、部屋を出た私をみつめます。あいさつもありません。少しの間、様子を見ながら声をかけてくるだろうと待ちましたが、その気配はありません。たまらず、私の方から声をかけました。自己紹介をしたら、その人も名乗ってくれました。その後、改めてあいさつに来るのかなと待っていたのですが、それきりです。引越し蕎麦を期待したわけではありませんが、おいおいという感じです。
 
 普通の大人なら、引っ越してきたら、せめて両隣りくらいにはきちんとあいさつするものでしょう。世間知らずの若者だったら、親があいさつするように教えてくれるはずです。六十も過ぎているだろうその人とは、その後、顔を合せませんが、部屋に灯がついていますので、多分、暮しているのでしょう。私がここに入居した時、同じ階の部屋の居住者には、蕎麦ではありませんが粗品を持ってあいさつしたものです。ただ、お隣リの居住者は出てきませんでした。一応、郵便受けにあいさつ状と、粗品をいれておきました。若い女性が住んでいたことを後で知りました。
 
 隣近所の付き合いが、浅くなったといわれます。都心のマンションでならいざ知らず、こんな郊外のまちのアパートでも、隣人とのかかわりを持とうとしない。子連れの家族ならそうもいかないでしょうが、大人だったら、あいさつくらいはしておくものでしょう。したくなかったら、深くつき合うことはない。もし、災害などに遭ったらどうするんですか。独居老人の孤独死などということもないとはいえません。私自身、顔見知りするほうで、隣人との付き合いがありませんが、常々から、ここにこんな親父が住んでいますよ、という程度のアピールはしています。
 
 このまちには、町内会組織があります。古くからの地域では。組織率がよいらしいのですが、私の住む地域のように新興の地域では、入会するる人は少ないようです。あるいは町会そのものも、あるのかないのか分りません。他の地域の町会や市全体の町会協議会の様子を、会報などで窺い見ていると、どうも近付く気がしないのです。町会長協議会という名称からして、町会長と自慢げの親父さんたちの顔が浮かんでくる。それもこのまちの市長を頂点としたピラミッド組織の下の方で、町会長という地位に汲々としてしがみついているイメージが浮かんでくるのです。
 
 何をするのかの目的を決める前に、まず組織を作ろうという地域活動のあり方が、私の体質に合いません。会長を決め、副会長やいろいろな役員をきめる。忙しいからと「固辞」していた人も、会長になるとそれこそ「誇示」して、ちょっとした集まりでも長々とあいさつしたりする。会長以下の組織を決めるのはいいが、何のために、どんなことを、どのように活動するのかを決めてほしいもの。親睦会も結構、イベントもいいでしょう。山車を引き回すだけの子どもと高齢者だけのお祭りは、なんとかなりませんか。地域コミュニティを考え直す時ではないでしょうか。


●まちに紅葉 2008.11.16(日)

090 先生症候
先生と呼ばれるほどの野暮なのか

 テレビで代議士さんたちの討論番組を見ていたら、出席者たちがお互いに「先生」と呼んでいました。討論の内容はさておいて、見なれ、聞き慣れていることですが、改めて「先生」という呼び方を考えてしまいました。身近な先生には、学校の先生、お医者さんなどがいて、講演会などで呼ばれる講師も、パソコン教室や料理教室、運転教習所のインストラクターも、おしなべて先生と呼ばれることが多いようです。日本人は先生という呼び方、呼ばれ方に特別の思い入れがあるようです。どんな気持で呼んでいるのかにお構いなく、先生と呼ばれるのが好きなんですね。
 
 企画をよくする仲間に「先生」と呼ばれるのが、めっぽう好きな人がいました。彼は、N協会の販促指導の常連講師で、本業の販促企画事務所の仕事もそこそこに、講演会の講師稼業に性を出していました。その彼は「先生」という呼ばれ方を好み、講演後の懇親会などで、さんづけ呼ばわれされると、気付かないふりをするほどです。企業のマーケティング研究会などに、私も呼ばれて一緒することが何度かありました。そこで私をも先生呼ばわりをする。それが苦手でしたが、彼の付録でついていった時は、彼のことを「先生」と呼ぶのが渡世の仁義だと、思っていました。
 
 畏敬の意をこめて「先生」と呼ぶのは、自然で端で見ていても気持のよいものです。しかし、世間では揶揄して「先生」と呼ぶことも少なくありません。昔から「先生と呼ばれるほどの○○じゃなし」といわれるくらいで、この場合は面と向かって呼ぶことはないようですが、陰で呼ぶのを聞くだけでも、嫌な気がするものです。先生と呼ばれるのが好きな人が多い世の中ですが、たかが講演会の講師をやったくらいで先生なんて呼んでほしくない。私は、そんな目にあった時は、呼ばれた時に、止めてほしいといっています。教えるものはあっても、野暮じゃありません。
 
 地方自治体や公民館活動、商工会などで、いろいろな講演会やセミナーなどが行われています。そこに講師として、いろいろな人が招かれます。大学教授や文化人と称される人から、民間団体の代表者などいろいろですが、主催者はそんな講師たちを「先生」と呼ぶことが多い。そんな偉い先生方をお招きして、教えてやるんだ的な、お上からのお下げ渡し的な臭いを感じてしまうのです。プロフェッショナル度がまだまだ低く、実体験も少ない、知識だけの若い講師からでも、いろいろなお話しを聞くのはよい。でも「先生」と呼ぶのはいかがなものかと思うのです。

 話し上手と、内容の濃さとは違うと思う。毎回同じネタでも講演慣れしてくると、聴衆の関心を惹き付ける技術は身についてくる。人前で上がらずに話せる度胸もついてくる。笑ってもらえる小話もできるようになる。それはそれで結構でしょう。ただ、伝える内容が問題なのです。そして、主催者側に、どんな講師でも「先生」とは呼ばない見識があってもいいのではないか。「先生」たちが「先生」と呼び合う世界はあってもいいが、そんな世界はその人たちだけの世界でとどめてほしい。関係ない人前での、仲間褒め「先生」呼ばわりは、ただ胸くそが悪いだけです。


●まちに紅葉 2008.11.15(土)

089 栄光症候
エコジレンマから抜け出す栄光を

 世界のニューヨーク、パリ、ロンドン、東京など八大都市の若者は、環境のために、手間やコストをかけても貢献したいと思う人たちが平均88%、また、地球環境を守る責任があると思うとしているのが83%もいるということです。この中で、東京の若者たちは、地球環境に配慮した行動が、日常的な習慣になっている人が58%と最低。そして、温暖化防止のために便利な生活を犠牲にしたくないという人が最高の42%もあり、これをエコジレンマと呼ぶのだそうです。若者の性向を調べて命名するための調査のようで、不愉快なのですが、ま、そういうことだと。

 この傾向は、若者だけに限らないことでしょう。いい年の大人たちもそのように思っているでしょう。特に、反撃されるのを承知で言えば、主婦や若い女性に多いのではないかと思っています。賢明な大人たちは、エコの必要性は分かっているものの、せめてできることは、子どもが学校で習ってきた、家庭内でのこまめで、かわいいともいえる省エネ生活をするのに、追従する程度のことでしょう。彼らは生活を支えている企業での生産活動そのものが、エコに反する行動であることを十分にわかっている。生産活動こそが、反エコ活動だと承知しているのでしょう。

 例えば、この時代では、二酸化炭素を発生させない生産活動は考えられません。企業はできる限り、というより、懸命に減らす努力はしているのですが、ゼロにはできません。生産活動を止めたら、企業活動は成り立たなくなり、仕事を失って生活も成り立たなくなってしまう。そもそも生産活動は、地球温暖化を助長する活動だと言ってもよいでしょう。これは製造業に限らず、サービス業においても同じことです。省エネに貢献する製品を作ろうとしながら、せっせと二酸化炭素を発生させている、人だけではなく、産業界もエコジレンマに陥ってしまっているのです。

 例えば、国連環境計画では、経済性と環境保全の統合をはかる製品開発の考え方である「グリーン経営」の目標を達成する産業活動のための指針8項目を示しています。それは、(1)新しい製品コンセプトの開発、(2)環境負荷の少ない材料の選択、(3)材料使用量の削減、(4)最適生産技術の適用、(5)流通の効率化、(6)使用時の環境影響の軽減、(7)寿命の延長、(8)使用後の最適処理のシステム化、ですが、これは、相対的な対策で、絶対的に二酸化炭素をなくす対策ではありません。産業活動が、地球環境を悪化させる原罪行動で、止めることはできないといえましょう。

 私たちがいまできるのは、無駄にしないこと、できる限り長く使うことなどで、欲しいことを我慢をすることかもしれません。自分の労働で得たお金を、どのように使うか、とやかく言われたくない。それは贅沢でもなく、人間らしく生きていくための条件だと言う声が聞こえます。それはしかたのないことでしょう。どんな権力でも、止めることはできません。親しんできた製品に代わって、新しい省エネ商品を買って使うことではなく、前の製品をできる限り使い続けること。欲しいものではなく、必要なものだけを求めること。それで心豊かに生きられるはずです。


●まちに紅葉 2008.11.14(金)

086 新語症候
新語は上質な歯触りの漬け物の味

 師走が近付くと、今年の新語・流行語が話題になります。新しい言葉を知ることで世の中の動きが分るいわれ、かつての流行語でその年のことを思い出せるというわけです。1984年に新語・流行語大賞という鉱脈を掘り当てたのが『現代用語の基礎知識』の自由国民社です。いまやすっかりメディアの話題を集める初冬のイベントになっています。世の中の動きを、そんなにウォッチしているわけではない私ですが、ただ、選ばれる言葉に違和感を感じることが少なくありません。なにか、変な人為的な臭いを感じてしまいます。ま、それはそれで、よいとしましょうか。
 
 私の仕事の分野のひとつの広告コピーの世界では、言葉は「飯のタネ」そのものです。どの商品を、どんなキャッチ・コピーで売り出したかは、私たちの大きな関心事でした。この世界でも、賞を設定します。この国だけではないでしょうが、賞を設定することで、権威づけ、それを経済価値にまで結び付けてビジネスを拡大しようという画策するようです。コピーの世界でも、業界の社会的、ビジネス的に経済的な底上げを図るために、いろいろな賞を作ってきました。賞をとったコピーライターを擁する事業グループは、仕事の受注量が一挙増えていくという仕掛です。
 
 たしかに「うまい!!」というコピーもあります。ただ、コピーの浸透度は、メディアへの露出度に比例し、露出度はメーカーの財力にかかってきます。財力のあるメーカーは、こぞって衆の資力を集めて、コピー神話を作ってきました。私の主な活動の土俵であったセールスプロモーションの世界では、コピーのユニークさだけで本来の目的である売上げを伸ばすということはまずありません。広告全体の出来は大いに関係しますが、コピーのうまさで売上げを伸ばせるのは、低額な衝動買いできる商品が多かったものです。売るためには、マーケティングの仕掛かたです。
 
 それでも、対象の消費者や販売者を惹き付ける、キャッチコピーの力は必要です。それは端的で、力強いこと。日本語としての文法から外れていても、分るなら、訴えられるなら、大正解なのです。私がこの世界に入った頃、出会った、いまでも脳裏に焼き付いているコピーがあります。どこの制作会社の、どなたの作かわかりません。「一日、高く。」というもの。ある遊園地のポスターのコピーでした。青い空のバックも、ありありと思い出せます。簡潔で、力強く、訴求力のあるコピーを、まだ、越えられません。コピーも、新語です。流行語にもなるものでしょう。
 
 広告コピーを、私は惹句コピーと呼んでいます。人の心を惹き付け、捕らえる惹句コピーは、突然、思いつくこともありますが、多くは、対象商品なりを知りつくし、それが使われる状況を想像し、その時の感情を想起して、それらを漬け込んで、発酵させて、生まれてくるものかもしれません。日本の上質な漬け物のようなものでしょう。漬け込む職人技も要ります。そして、それは消耗品なのです。文芸作品とは違うのです。新しい言葉を創ることは、それを産んだものを知りつくし、ぎりぎり凝縮して産むものです。新語を産んだ人たちを、絶賛する季節がきました。


●まちに紅葉 2008.11.13(木)

087 共協症候
協働とは共通益のために協力する

 共同と協同と協働の使い方が混乱することがあります。最近、協働という使い方が、市民と行政が協働するというように行政用語としてもよく使われるようになってきました。定義としては、共同とは、ふたり以上の人が一つのものごとに、同じ資格で関係すること。協同は、力をあわせ、助けあって、いっしょにものごとをすること。協働とは協力して働くこと、とされています。似たような言葉に、共生があります。これは生物の生態学的な寄生関係などをいい、人と自然との共生といった使い方をしています。また、共存は、違ったものが一緒に生きていくことだと。

 マーケティングの世界で、私たちが協働という言葉を使ったのは、かれこれ三十年前にもなります。そのころ、商品の販売促進策は、メーカーから販売店への、無償の供給策として一般化していました。商品を売ってやるんだから、その効果的な販促策もメーカーが負うべきだという理屈です。そのためにカタログはもちろん、店頭のPOP用具から、チラシやプレミアムの類に至るまで、メーカーが作って販売店に無償で提供していました。ところがそれらは活かされないままに、倉庫の隅で埃をかぶり、やがて捨てられてしまう。実際の販促に活かされなかったのです。

 商品を販売するとは、販売店の利益のためにもする行為です。メーカーは、販売店のために商品を供給しているのだ。それなら、より多く販売することに、販売店も協力すべきでではないか。音楽に強かった仲間が、コラボレーションという概念を持ち込みました。私たちは、それを協働という言葉にして、販売店とメーカーの協働による販促策を構築しようと、金沢で一週間ほどの研究合宿に入りました。メーカーの企画担当者、現場取材で販売店事情にも詳しかった私、広告代理店の担当者、販促企画会社の営業マン、ノベルティ会社の社長などなどのメンバーでした。

 販売店の協働参画の仕方には、どんな方法があるか。いろいろ検討、調査して、最も効果的なことは、費用負担ではないかと結論づけました。販促策展開のための用具の企画制作費用の一部を販売店に負担してもらおうと。そうすれば、捨てられる用具も少なくなるはずだ。ただ、それならどんな用具を開発したら、販売店が費用を負担してくれるのか。全国に何千、何万もある販売店は、それぞれに商圏が違うし、個客特性、販売店個性など、全部違ってくる。全国で同じ企画や用具では通用しないだろう。ではどうすればよいか。議論は金沢の夜の街にまで続きました。
 
 まず、プロモーションのテーマを決めよう。その展開の方法をいくつかのタイプに分けて、それぞれに効果的な用具を開発する。用具の中には共通するものがあってもいいと。これらを用意して、紹介して受注するメディアを作って配付する。販売店には、何タイプの中から選んでもらいます。用具の種類が多くはなり、費用は嵩みますが、販促効果は上がります。私たちはこの協働システムを、エクストラセールス・エクストラプロフィット「EEプラン」と名付け、その運営のための会社まで作ってしまいました。値引き以外に夢のある販促策があったよき時代でした。


●まちに紅葉 2008.11.12(水)

086 駄々症候
欲しいに応えていたら暴力になる

 子どもたちの身勝手な事件が世間を騒がせています。仲間に対するいじめを始め、祖父母や親兄弟姉妹への暴行、今までなら考えられないような単純動機による凶悪犯罪、切れたからといって瞬間的に爆発する性格。いろいろ見聞きする情報は、ああ世も末だという感がします。なんといっても若い男は凶暴で、腕力が強い。彼らの不埒な行為を目撃しても、下手に関わって、怪我をしたくない。不愉快だが見ないふりをしようと、私のような、腕にさっぱり覚えのないおじさんは目をつぶってしまいます。そりゃあ、止めさせたいですよ。でも、そんな度胸はありません。
 
 DV(ドメスティック・バイオレンス)は、若い人たちの間にも増えてきているようです。デートDVとか呼ばれ、交際中の男性が女性に対しての、肉体的、性的、精神的な暴力や虐待を指すようです。社会的な契約の婚姻関係にないのだから、別れちゃえばいいと、単純に、言えないらしい。しかし、解決するためには、別れるしかないわけで、それが嫌なら、我慢するか、止めさせる努力をするか、できないなら、腕っぷしを鍛えて、逆襲すればいい。最後の方法は、最も効果的なようですが、あまり現実的ではない。別れたくない、という女性も多いらしいですね。
 
 行政や警察、弁護士などいろいろな機関が、相談所を開設しているし、ネットでも相談を受けているようです。話をいろいろ聞いても、アドバイスの基本は、別れろでしょう。犯罪に仕立てて法で罰するか、あるいは仕返しを請負って痛めてやるか、はできないか。どこの相談でも、別れなさい以外の、根本的な解決方法はないはず。楽しんでいるとは、決して言いませんが、要は、自分を大切にすることでしょう。いまの相手だけが、ベストなパートナーではない。人生、いろいろな出会いがあって、そんなおかしな甘ったれた奴だけではない。ちょっとした勇気です。
 
 加害者は、要するに甘ったれた性癖を身につけてしまった。自分の思う通りにならないと気に食わない。思う通りにならないことなんて、世の常なんですが、いままで何でも欲しいものを手に入れてきた。いま、欲しいのに、身近なところに、応えてくれない人がいる。それが我慢できないというわけ。そんな彼を作ったのは、親たちであり、周りの私たち大人でもあります。親は、子どもの頃から、何でも与えてきた。欲しいと言わないものまで、与えてご機嫌をとってきた。ただひとつ、学校の成績がよいことを望んだが、それが満たされなくても、与え、与え続けた。
 
 いまさら悔やんでも後の祭りです。その解決方法は、望んでも与えないこと。少しでも妥協して、与えてしまったら、雪の坂を転げる雪だるまになってしまいます。どんどん要求はエスカレートして、応えないと腕力で、あるいは暴言で強要する。特に、この年頃の男どもの生理として、性的な要求が激しいものです。独占して、性欲の奴隷とまではいかなくても、己の欲望に応えさせようとする。その背景には、婚前の性のタブー意識がなくなったことも一因です。まず、若い男の生理を教えること、愛とは何かを考えること。男は我慢してこそ、優しくなるものですよ。


●まちに紅葉 2008.11.11(火)

085 空巣症候
家族が済んだら住まいも終るのか

 住いは、人をつくるのかもしれません。いまの住まいのかたちは、かつての日本の住まいとは大きく違ってきています。こんな家のかたちが、いま、いろいろな社会問題にされている原因になっているように感じています。その専門家ではない私には、そんな因果関係について大それたことはいえませんが、家のかたちが家族のかたちを変え、それぞれの生き方を作ってきたのではないか。その家は、家族と共に生れ、一緒に暮し、その家族一代の解散と共に朽ちていく。これからの時代、ネスト・エンプティ・シンドロームが、無視できない社会問題のように思います。
 
 家はひとつの家族が棲む場所です。いま、たいていの日本の家は子どもたちに個室を与え、また、生活の仕方に合せた部屋をつくっています。人は、家のかたちに合せて家族を作ってきたのではないか。個室の数だけ子をつくり、生活に合せた部屋を作る。そこで子育てをするが、やがて子は巣立ち、家はネスト・エンプティになります。家はやがてなるべくして空巣になり、やがて、棲む人が去り、壊されて、新しく同じような家が造られる。造り替えられる家は、前にあった家と同じ大きさか、小さくなる。あるいは高く伸びて、もとの家とは大きく形を変えてしまう。
 
 このような家に、同じように暮す限り、少子化は解決しない。子の数は、個室の数であり、せいぜい同じに推移するか、少なくなるしかないのではないか。また、新たに家族をつくる子の家族とは一緒に住めない家では、高齢化問題がおこる。高齢化問題は、加齢による肉体的、精神的な衰えからの問題もありますが、家族の親の加齢への生活適応力がついていけないこともありそうです。その原因のひとつが、家の形にありはしないだろうか。いまの形の家で、親子二所帯が一緒に住むことができない。それは、いままでの暮しかたがそうさせてしまったのではないか。
 
 住宅メーカーは、親家族と子家族が一緒に住める家として、二世帯住宅を開発しました。子の性別によって、玄関や台所を一緒にするとか、しないとかを提案しているようです。しかし、よく見てみると、生活の仕方で多少変えたそれぞれの家二軒を、くっつけたようなつくりで、それなりの敷地がなければ造れない。親から孫まで、それぞれがそれまでと同じような、個室を持ち、用途に合せた部屋をつくっての暮しかたをする限り、家を大きくせざるを得ない。そんなことは日本の、特に、都会周辺では、まず不可能でしょう。いまの家では、二世帯は同居できません。
 
 生活の仕方を変えないかぎり、親子二所帯は暮らせない。ではどうするか、例えばサザエさん一家の暮しかたがあります。このドラマは、原作者の手を離れて、いろいろな作家による様々なお話しが、長いこと続いてきました。これは登場人物の設定がよかった。こんな親夫婦と娘夫婦という同居のしかたが、息子夫婦との同居よりもうまくいくのかもしれません。カツオとワカメが、もう少し大きくなったら、どうするか分りませんが、むかし風の生活の仕方があります。いまのいろいろな問題を解決するために、暮しかたの意識改革をすすめることもあるのかなと思う。






2008/11/09 16:14:00|エッセイ・日々是好日
錦秋の実り
●錦秋の実り 2008.11.10(月)

084 小窓会話
携帯メールはことばを奪ったのか

 あまり使っていませんが、私も一応、携帯電話をもっています。いまでは、ちょっと型落ちの機種ですが、メールもできるし、写真も写せます。これは電話会社が変わっても電話番号はそのままでもいいという制度に変わろうとしていた時に、タダで変えてもらったものです。どうも携帯電話をうまく使えません。掛かってきても、ドキッとあわててしまい、どうやって通話をするんだっけと、一瞬、迷ってしまいます。だから、電話料金は基本料金だけで、こんな客に無料で提供し、通話料金でもとを取りたかった電話会社にとっては、思惑がはずれの客の一人でしょう。
 
 それに携帯のメールはほとんど使いません。入力が面倒で、混乱する。慣れればなんということもないのでしょうが、パソコンのキーボード入力を標準だと思っている私は、指が器用に動かない。第一、あんな小さなディスプレイでは、述語だけの短文しか書けない。書いた後に校正がしにくい。こんな携帯メールが、若い人たちの会話の貧弱を生んだ理由ひとつだと思っています。要件を伝えるだけの会話が、人間関係を、これまた貧弱にしたと決めつけています。若い人たちが、実際にどんなメールを交わしているのか知りませんが、独特のメール文法があるようですね。
 
 用件を伝えるでけではなく、言い回し方やレトリックも工夫しているようですが、それはそれでよろしい。広告の惹句コピーの訓練になるかもしれません。というより、スパッと相手の関心をつかんで、コミュニケーションするにはいいことなのかもしれません。しかし、絵文字はどうも苦手で、どうやって使ってよいのか分りませんが、あれはあれでコミュニケーションができる、漢字と同じように便利な表意文字なのですね。感情表現には向いているのかもしれません。いまではいい大人も使っているようですが、いまはまだプライベートレベルでだけにしてほしいもの。
 
 絵文字の延長にあるのかもしれませんが、どうも気になる表現に(笑)があります。この表現は、取材や座談会などで、会話をそのまま表記する時などで使っていたものですが、自分発のメッセージに(笑)を入れるのはおかしいよ。可哀想なひとの印象を与えてしまいます。大体、笑いは相手との交流があって生れるもので、こちらから笑って話し掛けるのは、ちょっと恐い。何が面白いんだい、バカにするんじゃない、一人でおもしろがってんじゃないよと。泣く、怒るなどのアピールする表現とは違うような気がします。メール語は、文章ではなく、会話なのでしょう。
 
 あいさつや言葉での会話が少なくなっているような気がします。呼びかけても返事がない。いろいろな待ち合い室などで、名前を呼ばれても、返事をする人が少ない。もそっと立上がって、呼ばれた方に行く。呼んだ声が届いたのか気になってしまいます。結構な歳の人もそう。このまちの人共通のシャイな特性かと思っていたのですが、中には、はっきり「ハイ」と応える人もいる。「おはよう」とか「こんにちは」などのあいさつも少ない。指先と小窓での会話が普通になったからでしょうか。メールでの交換が、言葉を奪ってしまったのなら、ちょっと気になります。


●錦秋の実り 2008.11.09(日)

083 田舎生活
憧れても甘いものじゃありません

 近頃、リタイアビジネスマンの田舎暮しが増えているとメディアが伝えています。今に限らず、以前からあったのでしょうが、団塊の世代のリタイヤが一挙に増えて、目立っているのかもしれません。自然志向が増えている時の話題としては面白い。伝える側の常として、ちょっとオーバーぎみに取り上げているのでしょう。ブームにして、そんな人たちをけしかけて、過疎化対策をするには、いいチャンスです。しかし、都会生活になれ親しんだ人が、農作業が好きだからといって、田舎でのくらしが長続きするのか。言い出した男性はよいとして、女性はどうでしょう。

 男性にとって、仕事を離れた次はどんなコミュニティに属するのかは、ちょっとした問題でしょう。まわりに親しい人がいないという点では、眠るためだけに帰ってきたいま住んでところと、新しい場所も変わらない。いまのままの家に住もうが、田舎に住もうがどちらでも同じです。退職金はもらえたし、蓄えもあり、年金ももらえるので、贅沢をしなければ、この先も暮らせないことはないだろう。それなら、いつかやりたいと思っていた、自然の中で土と親しむ生活も悪いことではない、いろいろな我慢に耐えてきたのだから、ここでやりたいことをやってみようと。

 それでカミさんが、一緒についてくるかといえば、そう簡単にはいきません。彼女には、亭主不在のいままでの生活の中で、いまの環境の中に、しっかりした居場所を確保している。心地よいコミュニティをもっているわけです。子は独立して出ていってしまったし、新婚時代じゃあるまいし、亭主がいつも傍にいなくてもなんともない。かえって、傍にいて、あれこれうるさく指示されたり、身の回りの世話を焼かされるのはごめんだというのが本音でしょう。亭主が田舎くらしをしたいといっても、どうして自分がそれにつき合わなければならないのか。私は私よ、と。

 亭主の勝手な思いつきで、一緒に田舎で暮そうと言われても、ハイ分りましたとはいえない。私はこのままでよい。どうしてもというのなら、お一人でどうぞ、なんなら、離婚してあげましょうかと。思ってもいなかった反撃です。男たるもの、困ってしまう。自分が好きなように生きていくためには、女房は不可欠の存在で、彼女がいなければ何もできないことに気付く。自分のやりたいことに、黙ってついてきてくれるものと信じていたのに、裏切られた思いで、田舎暮しを断念せざるを得ない。そして、日中はほとんどだれもいない家の中で、悶々とする毎日になる。

 田舎暮しなんて、そんなに楽しく、優雅なものではありません。何もないんだよ、まわりには。いくら趣味だといわれても、農業を甘い気持でやられたら、バカにするんじゃないと。ましてや、都合のいい時にやってきて、好きな時に農業をやらせてくれといわれても、周りの専業農家にとっては、足手まといのいい迷惑なんです。一年や二年やれたからといって、その後もできるという保証はない。足腰立たなくなったらどうするのか。結局は、逃げ帰ってしまうのだろうと。夫婦揃っての田舎暮しは、それなりの準備と助走が必要なんです。いまのままでいなさいよ。


●錦秋の実り 2008.11.08(土)

082 観光産業
新しい観光資源を作るのもよいか

 ほとんどの自治体に、観光行政を担う部署があるようです。このまちにも、観光協会があります。観光を資源のひとつとしてまちを支えます。このまちの目玉になるのは、やはり8月に行われる七夕まつりでしょう。いま、各地で行われている七夕まつりなどは、足元にもおよばないような歴史があります。その写真が市会議員や市の職員の名刺のデザインに採用されているほどのもので、参加する市民も含めて、40万人もの動員力があるビッグイベントです。例えば、このイベントでひとり500円の消費があったとすれば、合計で2億円ほどが市に落された計算です。
 
 この金額が、市の経済活動にどれほどの活性化効果をもたらしているかは分りませんが、間接的な効果も考慮すれば、それなりの貢献をしていると思われます。ただ、仙台市の七夕などとは違って、全国からの集客は期待できません。市内の宿泊施設に泊ってまで見に来る人は少ないでしょうし、あくまでも近隣からの訪問客が中心でしょう。このイベントは、年に数日間の開催でしかなく、また、見に来てくれた人を、引き続きこのまちに引き付ける効果は少ないでしょう。七夕をきっかけとして、まちの魅力をアピールしたわけではない、数日間限りの祭りなわけです。

 世界や全国には、年間を通して集客力のある歴史的な名所旧跡や、美しい自然景観という観光資源をもったいわゆる観光都市があります。これはお祭りイベントとは違って、集客効果が持続します。ただ、美しい自然だといっても、そこの都市に住む市民全部が、その観光資源だけで食べていけないと、マーケッターの第一人者IMさんが言っています(このブログのプレゼンテーション/ロマンのある都市参照)。せいぜい5%位の人しか食べられないと。残りの95%の、ほとんど大部分の人たちは恩恵にあずかれず、別のことをしないと食べていけないということです。

 名所旧跡や美しい自然景観だけが、観光資源ではないと思う。土地の先人たちがつくってくれた施設や、偶然あった自然景観は、他の都市が作ろうとしても、いまさら造れません。ただ、資力があればつくれる商業施設など、観光名所になります。ぞくぞく生れる都心の新しい複合ビルなどの名所が、全国からの大勢の人たちを集めています。では資力が足りない都市で、新しい観光資源は作れないかというと、そうは思わない。要は、知恵を使って作ることもできるのではないか。IT時代を背景に、あたらしい観光資源を作って、都市の産業にする道を考えたいのです。

 たとえば集合の住まいだけの塊のようなニュータウンで、観光資源を考えたことがあります。そこには名所旧跡も、美しい自然もない。せいぜい中規模の商業施設くらいを誘致するのが関の山だが、それは乗ってくれる相手あってのこと。それなら現在の資源を、観光資源にでききないかと。ニュータウンの集合住宅は、数十年の歴史で少しずつ進化してきたわけで、その実物が段階的に揃っている。これを観光資源にしながら、集合住宅建築のあり方を研究する「文化」を創れるのではないかと。仲間に働きかけたのですが、残念ながら賛同が得られず、涙を飲みました。


●錦秋の実り 2008.11.07(金)

081 都市産業
成功のノウハウは原則の発見から

 交通網が発達し、高度な情報流通ができるいまの社会にとって、生産から消費までひとつの都市でまかなう必要はないのでしょうが、そのまち独自の産業の振興が叫ばれます。自治体ごとに商工会が組織され、特に、金融対策が主なテーマなのかもしれませんが、それぞれに活動しているようです。まちの商工業は、なんとか衰退を防ごうとしているのでしょう。あれやこれやと手を打って成功しているところもあるようです。メディアはそんな例を取り上げます。全国の注目を浴び、各地から視察団がやってきて、そのノウハウを自分達でも活用しようと学ぼうとします。
 
 しかし、個店でも同じですが、個の成功ノウハウは、そのまま汎の成功に活用できないようです。商店街などの群においても、他の成功例は、単なる参考でしかなく、全くその通りにはできません。もし、限りなく模せたとしても、どこかに歪みが出てしまいます。かつて販売店の成功例を求めて、全国中を取材で駆け回って、その事例をハウスオーガンやセールスマニュアルなどで紹介していましたが、紹介の仕方によっては、反発されることもありました。あの商圏の、あの店だからできたことだと一蹴されます。意欲のある販売店ほど、その傾向が多かったようです。
 
 このような、あの店だからできたことだと思われないように、ただ単にやったことを紹介するのではなく、その例を、とことん煮つめてみます。すると、他の販売店でも展開できそうな、原則が浮かび上がってきます。この原則をそれぞれの販売店の事情にあわせて展開する。取材し、それを紹介する私にとって、はじめの頃はその原則らしきものを見つけるための苦労はありましたが、慣れてくるとさほど難しくなくなります。原則からの応用は、それこそ千差万別です。ただ、個へのアドバイスは、メデイアではできず、ヒントとしての提供にとどまらざるを得ません。
 
 成功した個店でも、自分がやったことを、よく見えてないことがあります。やったことが偶然だったりして、それが成功に結びついた道筋のひとつであったことがわからない。たまたまやってみたことが、定着はしたものの、計算して、あるいは図ってやったことではないために、そのことの重要性が認識できないのです。これを見つけだして、他と関連づけて道筋を見えるようにしてあげること。これが私の、取材に応じてくれた個店へのお礼でした。そのまた、お返しが取材後の宴への招待となったわけですが、とにかく、取材の前、その最中は、全力集中で、疲れました。

 原則をどのようにアレンジするかは、個の能力にかかっています。群においてもそうかもしれません。あのまちでやったことが成功したからと、自分のまちでも成功するものではない。原則はあるのでしょうが、派生してしたことが派手に見えるだけに、そちらの方に目が向いてしまう。費用をかけて視察に行くのはよい。しかし、上辺だけ見て、したリ顔で持ち帰ってそれを強要する。原則を見つけて、わがまちに合せた応用方法を考えなければ、時間とお金の無駄遣いなわけです。まちおこしの産業もそう考えます。都市産業について、これから考えてみようと思います。


●錦秋の実り 2008.11.06(水)

080 地域通貨
検討の前に徹底した情報の収集を

 市民活動のひとつとして、地域通貨の導入を検討している人たちがいます。地域通貨とは、一定地域の決められた対象に対して、役務や物品提供の対価として利用できる通貨で、まちづくりや商店街活性化の手段として、全国各地で展開されてはいるようです。福生市基本構想の市民会議でも、活性化施策として強く推す人たちがいました。その結果、市長への提言「全員参加のハーモニー/基本構想市民提言」の協働の推進の項で、採択提言しています。前に住んでいたまちでも、かなり前に取り上げ実施していたようですが、私としては、深くは関わりませんでした。

 例えば、高齢者が買物などの手助けを受けた対価として支払い、それを受けた人は、他の人からの役務サービス、例えば、パソコン指導等の対価として支払えるというもの。本物の通貨よりも、気軽に、抵抗なく使えるというのですが、本当にそうでしょうか。これはまぎれもない金券、有価証券であり、基本には、その価値を担保する仕組みが必要になります。子ども銀行の紙幣や肩たたき券とは、わけが違うのです。いろいろな問題を含んでいるシステムで、市場商品売買の対価としての導入は難しく、まして商品の販売促進策としては、機能しにくいといえましょう。

 善意や好意からの手助けを経済行為にしてもいいが、ちょっと寂しい限り。ボランティア行動が、有償になったときから、思いやりの心の伴わない型どおりの義務的な行為になりかねません。思いやり重視の福祉の分野では定着しにくいのではないか。実は、いまさら地域通貨としなくても、このまちには「ほっとサービス」という制度があります。社会福祉協議会が中心となって、福祉サービスの橋渡しをするもので、あらかじめサービスを提供する協力会員を募集、確保しておきます。サービスの内容は、家事援助や子育て支援などで、市民同士の協力で支えあいます。

 このサービスを受けたい人は、会員登録をして、利用券を購入。利用したい時に、サービス内容や日時を事務局に伝えて申し込みます。事務局では、協力会員の中から最適な人を選んで依頼。会員は利用者のもとに出向くなどして、サービスを提供します。終了後に、利用者は利用券を会員に渡します。会員はその利用券を、事務局で換金します。利用料金は日中1時間600円(時間外700円)です。現在、協力会員は300人、利用会員は440人程度と、社協広報は伝えています。仲介者として、社協という組織があるということは、利用者にとって安心できる点でしょう。

 このシステムは、利用範囲を限定した、地域通貨システムのひとつといえましょう。現在の、政府干渉介護保険制度も有償化した高度な福祉サービスのひとつといえます。なお、以前に、社協では地域通貨システムを、福祉システムの中に採用できないかと、詳しく検討したと、ボラ協会長のAMさんが話していました。その結果、システム運用には、かなり無理があるという結論が出て、その採用を見送った経緯があるとか。確かに、私も現在の福生市の状況下での採用は難しいと考えます。新制度採用の検討にあたっては、いろいろな情報収集は欠かせないものです。


●錦秋の実り 2008.11.05(火)

079 玉川上水
福生市で切れた沿堤遊歩道を繋ぐ

 四十数年前に、東京に出できた私が最初に住んだまちは、東京都下の小平市、というより最寄り駅が国分寺という、出身地の田舎と変わらないような田園のまちでした。よくいえば武蔵野の緑が色濃く残る閑静な環境でした。そのまちにある、会社の独身寮が始めての住まいでした。その環境で気にいっていたのは、玉川上水が近くを流れていること。うっそうと繁る木々の間を流れる上水の堤は、遊歩道になっていました。私の格好の散歩道で、一人で、また、友人と共によく歩いたものです。何年か後輩の同僚が、ここにはまって溺れて亡くなったこともあります。
 
 その玉川上水が、羽村の堰から流れていることは知っていました。好きな作家の一人、太宰治がずっと下流で入水したことも知っていました。そして、近年になってその上流のまち、福生に仕事部屋をつくりました。部屋さがしをした不動産店の女性店員が、訳知り顔で案内地図を示しながら、ここが太宰治が自殺した玉川上水との説明を聞いたとき、あ、この人は太宰を読んでいないと正面から顔を見つめました。そんな人も暮す、このまちを選びました。棲みだしてからさっそく、玉川上水を遡り、羽村まで歩きましたが、下流には、道不案内のため歩けませんでした。
 
 しばらく経って、このまちの住民有志が、玉川上水沿いの遊歩道が、このまちを通るところが切れているのを何とか繋ごうと活動をしていることを知りました。いわゆるまちづくりの市民活動です。三鷹の方から、延々続いている遊歩道が、このまちで切れている。これを繋げようと。彼らにとって、玉川上水に沿った遊歩道は、まち起こしの格好の材料だとしたのです。活動を覗かせてもらいましたが、最近は、遠ざかっています。地権者がいる土地をどのようにしようとしているのか、暗渠にして、その上を遊歩道にする案も検討しているとかも、漏れ聞こえてきます。
 
 まちづくりにも、費用対効果を検討しなければならないと考えています。費用は税金を源資とする行政に負担させ、地権者には寄付という土地の無償提供を考えているのだとしたら、それはムシがよすぎます。遊歩道をつなぐことが、住民、訪民、通民に、どれほどの魅力になるというのでしょう。安らぎや癒し効果はあるでしょうが、投下費用に見合った効果はあるのか、この点をよほど精査検討しないと、一部の住民のエゴに終ってしまいます。いつも公共、公の福祉に繋がるかということが、市民活動の基本だと思います。この福祉のまちには、不似合いな活動です。
 
 玉川上水の遊歩道を繋ぐ私なりのアイデアがあります。遊歩道が福生で切れていることを逆手にとって展開するのです。つまり、遊歩道が切れたのではなく、福生市の全域に広がったとします。そして、羽村の堰という大団円に向かって、桜並木の堤を通って完結する。そのために、まち全域が遊歩道としてふさわしい環境整備を徹底する。これなら多額の資金を投下しなくも、快さを創出でき、住民の協力は得やすいでしょう。遊歩道が切れたのではなく、市の全域に広げるという視点が、私のまちづくりのコンセプトであり、都市マーケティングを考える基本姿勢です。


●錦秋の実り 2008.11.04(火)

078 街物語4
「福生」の名称からのまちづくり

 このまちに住み、あるいは近隣に住む人にとって「福生」の都市名は珍しくもなんでもないものになっています。ただ、初めて接する人にはちょっと読めない、新鮮な名称です。日本古来からの「福」のもつイメージから、少し古臭いように感じている地元人もいるようです。米軍基地のあるアメリカンティーストのまちとして、あえて「FUSSA」と表記したりもしています。この都市名を、単なる都市識別記号でしかないような扱いもあります。しかし、なれ親しんだこの名称を、他のありきたりな都市名と違って、大きな都市資源であることを認識していません。

 都市アイデンティティの確認のひとつに、どんな都市名なのかがあります。いま全国各地で、都市の合併などで、古くからの由緒ある名称を変えて、住民投票により、安易に新しい都市名称にすることがあります。ごく普通の意味のない名称、あるいは新しい時代感覚ではマイナスイメージの名称ならそれも致し方のないものでしょう。しかし、もしこの時代、どこかの土地で、新しい都市名を住民投票の多数決で決めるとしたら、まず「福生」にはならないでしょう。権力者がそう決めても、不満ごうごうの憂き目にあってしまいます。それが時代の風潮というものです。

 商品マーケティングにおいて、ネーミングを変えただけで、爆発的に売れる商品があります。昨今の中国産加工食品のネーミングなどにもそれが見られましたが、衝動買いされる低額商品などは、まずネーミングで買わせてしまうのです。そのために企業は、ネーミングの開発に多額の投資もいといません。メディアでの下手な広告宣伝より、売場での購買促進の訴求力が大きいことを知っています。ネーミングは商品の魅力、大きな特徴なのです。都市間競争においても、ネーミングはまちづくりのポイントになります。わがまち「福生」は勝てるネーミングなのです。

 「福生」というネーミングは、先人が残してくれた貴重な都市資源です。まちづくりに、これを活用しない手はありません。市民会議などで、このことに気付かない賢人市民の声の大きさに圧倒されてしまいますが、「福生」を具体的な目に見える形にすることが、ひとつの個性特化の方向で、他の都市との差異化の武器になります。こんなことを吟味しないで、他の都市と大差のないまちづくりを、真面目に現代的だと思い込み、口角泡を飛ばしているのは、まさしく噴飯もの、宝の持ち腐れです。競合都市はそんな脅威から、気付いても指摘しないようにしています。

 この切り札をどのように使うかが工夫のしどころです。「高齢者の原宿」風に、求心力、吸引力のある装置を作って、活用する方法もありましょう。それをもとに、まちをあげての総合力を発揮させること。このまちならではのいろいろな特徴を総合化する手もあります。近隣都市が手をつける前の、早取り特徴でもいい。シンボライズした新しいキャラクターをつくるのもよいでしょう。財力と地権者協力があるなら、ハコものでもいい。暑い最中の七夕祭りの伝統にこだわらずに、これとは別な、今風な年間を通し集客力のある祭りをつくるのもいいかもしれません。







2008/11/01 1:38:35|エッセイ・日々是好日
里は秋色に
●里は秋色に 2008.11.03(月)

077 生存行為
災害時にボラと被災者は共存する

 社協広報のコピーはちょっと考え過ぎました。仕事では、どんな内容の原稿を書いたかで評価されます。何日間、材料をこねくり回し、どう書くかを考えてたとしても、結果、書いた原稿の内容だけでの判断です。で、この原稿は結局、まとまったのがいつも通り1,800字程度で、あっさりしたもの。最初は意気込んだんです。何しろ、災害ボラの達人で、作家のTSさんの丁寧なお話しを伺っての記事です。この材料を何とかしようと思ったのですが、お話しの内容とは全く違ったものになりました。それなりに上質なものに仕上げたと、自分を褒め、自惚れてはいます。
 
 TSさんのお話しは、そのときに出席したメンバーに合せて、大震災などの発生時に、福祉センターが災害ボランティアセンターとして、どのように機能すべきかの具体的なアドバイスでした。これは非常に貴重なノウハウで、これを聞きたくて集まった人には充実した情報です。しかし、社協広報のこのコーナーは、市民向けに、ボランティア活動を広めるのが目的です。災害ボランティアセンターとして、どんなことをすべきかを伝えるのは見当はずれです。考えあぐねた末に、あなたも災害ボランティアになろうということ、どのように頼むかについての案内でした。

 参考にしたのは、氏の著書「一人でもできる/地震・災害ボランティア入門」です。現場を踏査しなければ書けないような記述です。前に、氏のお嬢さんの紹介記事を書いたときに、目を通したのですが、別の視点で読み直しました。氏の視点は被災者に、人間として尊厳を持って接するということです。例えば、救援物資の中に、女性用の生理用品を入れるのは当然のことで、避妊具も紛れ込ませておいたと。考えてみれば、明日の生活が見えなくても、健康な夫妻には、必要なものでしょう。すぐに無くなったということですが、これが生きた人間の生活現場なのです。

 氏の行動から、もうひとつ納得したことがあります。前に昼食抜きで実施した実践訓練の反省会の後の懇談会でのことです。簡単でしたが、缶ビールやおつまみと軽い食事も出ました。いわゆる立食形式です。ここで少しでも喉がうるおせて、腹のむし押えができることは、想像していなかっただけにうれしいことでした。この席で、正式に氏を紹介してもらったのですが、あまり話しはできません。その席で、氏は出された食事を、すぐに積極的に食べ出すのです。立食パーティなどでは、男性どもは、見栄をはってなかなかテーブルに近付かないことが多いものです。

 もちろん、氏は欠食児のような食べ方ではありませんが、しっかり食べています。災害時には、食べられるときに、しっかり食べておくことは鉄則なのでしょう。それが氏の習性のようになっている。特に、ボランティアは救援対象ではなく、被災者向けの食事を共にすることは、すすめられてこそできるものです。さすがは達人だと感心しました。現場でしかわからないことを、氏を通して知り得たことを、このまちの災害ボランティアセンターの設置運営に、どのように活かすかが試されます。そのための予算措置はもちろん、運営ソフトを確立することも必要です。


●里は秋色に 2008.11.02(日)

076 無償活動
ボラ活動を超えた市民協働の進む道

 まとめていた広報のレポート2つが、まだ、了承をいただいてていませんが、なんとかコピーを書き上げました。協働推進の広報の方は、ゲラまで進み、PDFデータとして、メールで送られてきました。デザインとしてはよくまとまった見やすいレイアウトで、手慣れたデザイナーの腕のよさが伝わってきます。これを見ていてちょっとコピーが長過ぎたかなと思っています。全部でA4判4ページの広報ですが、3ページ内に収めたいと思っていたのに、4ページにまで流れ込んでいます。少し長過ぎたようです。私としては、レイアウト調整の範囲内で、何とかしてくれるかなと甘えていたのですが、これからの話し合いで決めることになります。

 文章を削ってもよいが、その場合は連絡してほしいと伝えておいたのですが、そのままの長さでまとめてくれました。しかし、削ってくれといわれて、じゃあどこを削るかというと、簡単にはいきません。構成としては、取材した通りの順番にはなっていません。4人の出席者の発言を、ひとつの流れで継ぎはぎしたようなもので、どこを削ってもいいとは思うのですが、ではどこを削るかと考えると、書き手の我が侭として、なかなか決められない。ディスクなりがエイヤッと、鉈を振るってくれた方がすっきりします。ボランティア編集者の逃げなのかもしれませんが。
 
 ボランティアであろうがなかろうが、仕事として受けているのですから、やるべきことは全うすべきだとは思います。歳を取ったせいか、めんどう臭くなり、ここまでにしてよと、どこか思っているのかもしれません。40数年間、書くことを生業にしてしてきたことから、私の中で、そろそろ無償奉仕の限界を超えたのかなと感じているのかもしれません。書き手がもっといればいいのでしょうが、募集しても、ボランティアの編集員は見つかりません。報酬を払えば、主婦などが応じてくれるのでしょうが、あくまでも市民の善意の奉仕行為だとしているようです。

 書ける人はいるはずです。若い人は、携帯電話やパソコンでのメールのやりとりは日常茶飯事のことで、書くことにさほどの抵抗がない。広報の記事に、絵文字を入れられたら考えものですが、まあ、内容によっては面白いかも知れない。取材や何を書くかについては、相談に乗れるでしょう。子育てしながらでも、十分できる仕事です。あるいは、シルバー人材センターに依頼するのもいいかもしれません。なにしろ、シルバーで依頼する仕事は、草むしりとか施設の管理とか、単純作業が多い。それもあっていいが、頭を使う仕事をしてもらうのも会員に喜ばれるはず。

 このブログに、私が前に書いた「協働の市民参加のコスト」(カテゴリー/プレゼンテーション)を紹介しています。ここで行政は知恵にもっとコストをかけてもよい。それが、安くはない報酬で働いている職員と、対等に力を出し合うイコールフィッティングになり、市民が企業等で貯えたノウハウが活かせる、と提案しています。コンサル会社に頼むと同じように、個人コンサルとしての、まちを良くしたいと願い、クレーマーやカルテックではない市民の力を活かすこと。シルバー人材センターの、新しい取り組みとして、きっと、メディアも取り上げてくれますよ。


●里は秋色に 2008.11.01(土)

075 街物語3
福生アイデンティティからの発想

 まちづくりは、まちのアイデンティティを確認することから始めるというのが私のやり方です。当然といえば当然ですが、ともすれば、はじめに、これからのまちは、こうあらねばならない的な、標準的な鋳型にはめようとすることが多いように思います。いかにも右倣えをよしとするお役所的な、あるいはビジネスの効率を優先して、可もなく不可もないものに納めようとするコンサルの仕業なのかもしれません。なかなか、全国で初めてとか、全国でも珍しいという冒険はできにくいようです。首長の個性的な決断を期待したいのですが、なかなか難しいのでしょう。
 
 いろいろな企画もそうですが、はじめに企画背景ということで、現状分析から説き起こすことが多いようです。いろいろなデータを羅列して、論陣を張るのですが、ここで導かれる意見は、誰の意見も大差がありません。このあたりのボリュームが、読み手をどう圧倒させるかです。企画書が分厚くなるところで、最近は少なくなったようですが、企画の善し悪しの判断材料になったこともありました。薄い企画書は、まず、内容の吟味検討の前に、分厚い企画書に負けてしまいます。それを逆手に、同じデータを使い回すプランナーもいて、仲間の失笑を買っていました。
 
 福生商工会での最優秀企画も、見事なまでに現状分析をしていました。学校でなら、よく調べましたね、と誉められるような出来ばえです。どなたが審査したのか分りませんが、このあたりが大きな評価ポイントになったのでしょう。しかし、次に提案される、本題の企画内容にどうも繋がらないのです。背景は背景、企画は企画というのでしょうか。提案内容は、アイデアとしては、ユニークなものでした。しかし、課題の福生商工業の活性化には繋がらないように思えます。前段抜きの、企画内容だけの提案だったら、おそらく入賞は難しかったに違いありません。
 
 使ったテータが、行政や商工会発表の統計データが中心で、他に、政府刊行物センターで入手できるような統計データです。私は、もちろんそのようなテータも精査しますが、それだけでは不足しているように思うのです。まず、統計データ以外に、自分の視線で眺めることだと思っています。己の関心領域で、対象をどのように見るのかによって個性的な企画が生まれるはずです。ただ、それが審査員を代表とする、受け手側の好みに合わない場合もあります。万人好みの、多数決好みに合うことが「良」であり、それがありきたり企画を世に出す要因なのでしょう。
 
 通り一遍の観察だけでは分らないことがあります。住んでみて、そこでたくさんの人と会って、だんだん分かってくることもあります。洞察力から想像力の差もあるでしょうが、データだけからでは見えないもの。それを知ることが、まちづくりを考える前に必要なアイデンティティの発見でしょう。このまちに来て、まず私が見つけたキーワードは「東京の森のポータルサイト」でした。そして、住んでみてわかったキーワードは「福祉ボランティア」です。さらに新しい発見は「福生」そのもの。福が生まれるまち。このネーミングの価値の重さに気がついたことです。


●里は秋色に 2008.10.31(金)

074 街物語2
このまちでできることを考えたい

 このまちに来て、まもなく商工会に入会しました。独り親方の制作職人になっていましたが、このまちで小売マーケティングに関わり、販売促進や広告宣伝、人材訓練などのお手伝いを仕事として展開しようと思ったのです。そんな私にとって、活性化プラン論文は、まちづくりを企画する上で役立ちました。私は、活性化のために、提案の内容とは、違ったマーケティングの方法があると考えていました。ちょうど「わくわく福生のまちづくり」を推進していた商工会が、看板等で意見等を求めていることを知り、意見とともに提案書を送りましたが、なしのつぶてでした。
 
 特賞の企画についての私の意見を述べました。生活用品のマーケットを考えるためには、近隣都市間での同業態の差異特化を見るのではなく、マーケットのポテンシャルという視点が必要です。しかし、企画では個店が拠って立つべきマーケットが明らかになっていません。単に「福生とはこんなまちです」と示しただけで、次に進むべき「だから、○○をすべき」が見当たりません。いまさらながら「ダメな福生商業」を指摘されても、そんなことは分かっているとしか、いいようがないわけです。具体的な提案はしてありますが、根拠性が希薄で、論旨が繋がりません。

 企画では、福生市商業衰退の理由をいろいろとあげています。しかし、これは福生市に限ったものではなく、全国の多くの商店街が陥っている不振の理由と同じで、福生市商業だけの状況ではありません。それは、新しい暮らし方への対応の遅れや、接客態度の悪さや品揃えなど個店の魅力がないことです。その解決のために、商店街こぞっての活性化をはかるという方向が中心で、ご用聞きや宅配サービス、対面販売によるアドバイス、共通スタンプカードの発行、消費者モニターなど、いろいろな改善策が採られています。しかし、これはという決定打がありません。
 
 いまの時代、商店街全店をあげての活性化は、難しいのかもしれません。消費者には無縁の「○○の店」という看板をあげただけでは解決するものではありません。熱意があり聞く耳を持つ個店には、適切なマーチャンダイジングの推進をアドバイスして、個店力を向上することが必要でしょう。そして、リーディングショップをつくることによって、まちの集客力をつくること。それによって、まちを活性化し、来街者をターゲットにした活動をすることが効果的です。個店のマーチャンダイジングを含む、魅力づくりにこそ知恵を集めなければならないものでしょう。

 商業は数日限りのバザーのイベントではありません。個店の活性化、あるいは商店街の活性化で最も重要なことは、年間を通して「何を」「誰に」売るのかを定めることで、これがショップコンセプトになります。また、店主や店員の熱意や元気だけで活性化できるなら、いままでの商店は衰退しなかったはずです。マスメディアに頼ったイベント紹介は、一時的な集客はできても、恒常的な集客を担保してくれるものではありません。特に、時代のキーワードである「IT」「環境」「高齢者福祉」「地方の時代」「協働」の活動を含むことが、有効要件であると考えます。


●里は秋色に 2008.10.30(木)

073 食品危機
最近のバチ当りな食品事情を憂う

 子どもの頃、親や祖父母に、食べ物を粗末に扱うとバチが当ると、きつく戒められました。それは農業を生業にする彼らの心からの思いだったのでしょう。粗末にする最大の罪悪は、食べないで捨ててしまうことです。生命のある食物の命をいただくことに「いただきます」と感謝し、食べ終ったら「ごちそうさま」と、再び感謝する。日本人の食に対する心遣いの現れですが、生きものの命を奪っておきながら、食べないで放ってしまう。最近の食事情は、おかしくなっています。一方では「食育」が、「食の安全、安心」が口酸っぱく叫ばれています。おかしな国です。

 中国からの輸入食品の薬物汚染が大きな問題になっています。それに端を発した食品、あるいは国内産食品の産地偽装などを、メディアはそれを大きく取り上げ、消費者の反応を取り上げます。主婦たちは「何を信用してよいのか分らない」と似たようなコメントを発します。信じられないなら、あなた自身の五感と推理力、想像力を最大限に発揮して、見極めなさいといいたいのですが、その能力は無くなっている。与えられたものを、そのまま食してきたツケを払わされているようです。自分を鍛え、強くなり、少しの異変があっても、ま、いいかと騒がないことです。

 そのような食マーケティングで、消費者を教育してきましたよ。例えば、中国産食品を、食指を誘うようなネーミングで、きれいに包装して、清潔な売場に美味しそうに並べる。こんな問題が明るみに出る前は、中国産なんて知らなかったり、気にもしなかった。ちょっとマイナスイメージのあった中国産である臭いを消して売るやり方だった。パッケージに有名産地名を表記しておけば、そのまま、○×産の食品になる。それを微塵も疑わず「やっぱり違うわ、美味しいわね」などとしたり顔で満足していたわけです。そう仕向けられて来たわけですよ、私たち消費者は。

 賞味期限と消費期限の表示。いつの間にか、食品の機能がデジタルになってしまいました。ある時間を過ぎると、美味しく食べられた食べ物が、一瞬のうちに、不味くなるような表示、安心して食べられた食品が、害を与えるような表示に。1から0になったら、食品ではなくなってしまうデジタル食品かよ。コンビニで、おにぎりを買ったら「これはダメです」と期限切れを理由に売ってくれない。それでもいいと言っても、売ってくれない。そして、これらは廃棄食品として、食品ロスとして捨てられてしまいます。世界には、飢餓で亡くなる子どもたちがいるんだよ。

 昔の親たちは、確かな臭覚、味覚、視覚、触覚を持っていました。いまなら顔をしかめるようなものでも、臭いを嗅いでみて、ちょっとなめてみて、つまんで、齧ってみる、それで、水で洗い、火を通してから食べる。牛肉は牛肉、等級の違いは何とか分かっても、産地による産地の違いなんて分らないし、それでもご馳走だった。こんな行為が、地球温暖化を始め環境悪化にもつながっているのですよ。まず、自分の感覚を鍛えること、少しくらいのことなら、我慢すること。吐いたって、ちょっとだけ。死にやぁしませんよ。人間は鍛えて、強くなる動物なんですね。


●里は秋色に 2008.10.29(水)

072 街物語1
商工会募集の活性化論文があった

 福生のまちに引っ越して間もない頃、福生市商工会40周年記念事業として、商工業活性化プラン懸賞論文が募集されていたことを知りました。既に、審査が終り商工会のホームページで、受賞作品の発表が行われていました。賞金は、かなり高額だったらしく、個人としての応募だけではなく、大学の先生や仕事の一環として取り組んだグループもいたようです。応募条件は市民や企業市民に限らなかったらしい。かなりの応募があったのでしょう。発表されていた受賞作品は、いずれも重い力作で、最優秀賞 作品は、企画会社らしい人たちの手慣れた作品でした。
 
 マーケティングの仕事へのある種の失望と限界を感じていた私は、数年来から、まちづくりに興味を持ち出していました。まちづくりにマーケティング的な企画手法が必要ではないか、私にできることがあるのではないかと、仕事として受けられるのではないかと思っていました。そんな頃に、住んでいた市が、市の活性化践プランを市民から募集していることを、娘が市の広報に乗っていることを見つけ、応募をけしかけます。親バカであったこともあり、その強制的ない勧めに乗った私は、早速、日頃から考えていた市の現状認識の上にたった提案を応募しました。
 
 その作品が最優秀賞に選ばれました。賞金は、15万円です。ちょっと中途半端な金額ですが、それにしても美味しい金額です。市役所で幹部職員たちの前で、他の入賞者ともども、市長から賞状と賞金が授与されました。この経験が、私のまちづくりへの関心を強め、まちづくりの資料やデータを集め、仕事のひとつとして営業項目にあげてみました。首都圏の中堅ビジネスマンの多い14万市民の市から、私の仕事が認められたという誇りと自信、自惚れも生まれたようでした。そして、そのまちで市の基本構想の市民審議委員に選ばれるなど、足を踏み込みました。
 
 このまちに来て、まちづくりや商工業の活性化のお手伝いができないかと思い、市が呼び掛けた市民会議に出席したことがあります。知っている人もなく、まちのことを殆ど知らない私でしたが、集められるだけの資料を集めて臨みました。出席してみて、前のまちと、どうも雰囲気が違います。町内会や自治会のお偉いさんのような人が多く、まちの活性化を人の組織で何とかしようという感じの、行政のサブ組織のような集まりです。市長を頂点とした、何をすべきかよりも、町会役職者たちを中心にした集落の組織活動を主とするような、集まりのように感じました。
 
 前のまちは、首都の新しいベッドタウンとして、都心企業のいわゆる事務・企画・営業系の社員が多く、まちづくりに対する考え方も目的中心型でした。集まった市民は、いわゆる旧来の地元民よりも、このまちを終の住処のまちと考える、積極的な考えや行動を志向する人たちです。私にとっては、この人たちの集まりが肌にあいます。いつもの仕事のような雰囲気の中で、ディスカッションができました。それが、このまちの様子は違う。場違いに感じに戸惑いながら、ここでは私はお呼びではない、という思いで、ここでのまちづくりを考えないことにしました、


●里は秋色に 2008.10.28(火)

071 助走時間
踏切前の暖気運転はその時まかせ

 ものを書き出すまで、時間がかかるときがあります。書く内容を決めていて、一気に書き進めるときもありますが、大抵の場合、あれこれ頭の中で転がしていて、書き出しをきめると、あとは流れに任せるということになります。ここで書いているようなものや、手紙などでは、書き出した後は思いつくまま書くのですが、レポートとか、マニュアルなど、いわゆる自分の意思のまま好きに書けない場合、まず材料を用意することになります。ここまで材料が用意できていれば、半ば書き上がったも同じなのですが、材料はあってもどう書くかを考え込むことが多いのです。

 私の場合、いつもやらなければならないことを、2つか、3つを抱え込んでいます。忙しかった頃には、いつも30ベージ程度のマニュアルを2、3本、同時進行していました。こっちに手をつけ、ちょっと詰まったら、あっちを手掛けるといった風に書き進めながら、ひとつのものの先が見えたら、それに集中して書き上げるというやり方でした。貧乏性なのでしょう。こんな状態にないと、落ちつかず、やらなければならない仕事として、ひとつしかない場合でも、あえて新しい仕事を作っては同時並行させています。それは書くという作業ではないこともあります。

 きちんと仕事として受けたものには、締め切りが決まっています。テーマや文字数が決まっていますが、どのように書くかは任せられています。集めた材料はそこそこあるのですが、構成やヤマ場や落としどころなど、決めかねているとき、時間が迫っているのに、手がつけられない。こんなときは無理に書こうとしないで、放っておくのが私のやり方です。頭の中に材料を詰め込んで、あえて意識面に出さないようにする。格好つけていえば、醗酵させているとでもいうのでしょうか。そのうちに、材料どもは、勝手に隊列を組み出す。それを待って、それっと書き出す。

 企画をたてるときに、アイテアを出す場合も似たようなものです。私のような並みの人間には、画期的なアイデアなど発想できるものではありません。頭の隅にあるいくつかの事例を組み合わせるか、別ジャンルのものを持ってくるかです。こんな場合、どんな事例を知っているかが決め手になります。そのためには、絶えず好奇心を持つことだと、若い人たちに話していました。どんなことにでも面白がること。ボケッと歩かない、電車に乗っていない、新聞や雑誌、広告をみていないこと。アブない奴だと思われない程度に、観察することを勧め、実践していました。
 
 文章を書く場合も、アイデアをひねり出すときも、助走時間が必要なようです。ただ助走だけて、疲れてしまうこともあり、程々の時間にしています。ときどき、中途半端で、踏み切ってはみたもののマズイ!!と感ずるときがあります。もちろん結果はよくありませんが、こんな場合でも、後悔しない。取り返せないことは、さっと頭の中から追いやって、次の仕事にかかります。こんな潔さも必要なようです。なあに殺されァしない、といい加減に生きています。仕事の内容によって、あるいは体調によって、助走時間はいろいろですが、そのときの成りゆきに任せます。






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