極真空手を愛し、18歳で風になった息子の魂 息子の愛した空手を通して、生きていく事を決意
 
CATEGORY:18歳で風になる

2011/12/07 0:32:28|18歳で風になる
風彦の空手略歴 他

風彦の空手略歴・・・他

・1981年8月26日生
・1988年(小1) 羽村スポーツセンターの寸止め空手に
           入門
・1991年(小4) 極真空手城西支部河辺道場に
           入門
・1992年(小5)5月17日
          首都圏極真小中学生大会 5年生
          の部に出場
          3回戦で優勝した柳 永滋君に敗
          れる
・1993年(小6)5月16日
          同上大会      6年生の部
          柳君と決勝を争い 初優勝
・1994年(中1)4月29日
          全関東極真小中学生大会 
          中学1年の部に出場
          準決勝で柳君に敗れ  3位
・1995年(中2)初の極真全日本小中学生大会 
          中2の部に出場
          決勝で柳君に敗れて  準優勝
        
          *初段を取得

・1996年(中3)第二回全日本小中学生大会  
          中3の部に出場
          決勝で柳君に後ろ廻し蹴り 
          優勝

・1997年(高1)・当時高校生の大会はなかった

・1998年(高2)4月3日
          カザフスタンの青少年大会に出場
          重量級で優勝
  
          5月3日
          第一回全日本青少年大会 
          高校重量級
          2回戦で田中健太郎選手に敗れる

・1999年(高2)3月
          数見 肇氏100人組み手で
          27人目の相手を務める
 
          6月12日
          世界大会選抜の第16回ウェイト
          制大会に初出場 中量級
          秋元選手(4段)と対戦初戦負け

・2000年(高卒)6月17日
          第17回ウェイト制大会 中量級
          優勝した木立選手に3回戦で判定
          負け


 7月11日(火)永眠 戒名 『青山風韻信士』                      

   
      10年目の出会い

上記の写真は、風彦中三の時埼玉県戸田スポーツセンターで行われた、第二回全日本極真小中学生空手道選手権大会のものです。

大会が終わってから、この大会のことが記事に載るだろう格闘技雑誌の発売を待って、買い揃えたものです。
その中の一冊「ゴング格闘技」という雑誌に大きく2ページに渡って大会の様子が記事になっていました。
しかも風彦と柳君の決勝戦の写真が大きく掲載されていました。

この写真の下に

中三決勝・黒澤VS柳/昨年中2の部と同じ顔合わせとなった決勝戦
”城西最強の中学生”といわれる黒澤(右)が雪辱を果たす。

とコメントが付いていました。

このコメント付きの写真に親子ともども大喜び、そして幸せを感じたひと時でした。そしてこの写真が欲しいと思っていましたがその手づるはなし、雑誌を大事に保管しておきました。勿論このときの記事が載っているほかの雑誌も。

風彦が亡くなってから6年後、「第二回黒澤杯」が開催されれことになりました。それに先駆けて、風彦のことをワールド空手の記事を特集で載せたいというお話をいただきました。
そして編集長とライターのお二人が我が家にインタビューにいらっしゃいました。その時この写真とコメントのこともお話しました。
するとインタビューが終わった時、編集長の福島さんが
「その時の雑誌は今でもありますか?」
と言われたので、
「勿論あります。」
と答え、押入れから取り出して見ていただきました。すると、
「この記事は私が書きました。」
とおっしゃったのでびっくり。私は雷にでも打たれたような衝撃を覚えました。
「でも、これはゴング格闘技です。」
と言ったら
「当時私はゴング格闘技にいたのです。」
とおしゃったのです。

10年も経って、この記事を書いてくださった方にお会いできるとは、夢にも思っていませんでした。
私はついに、本人にお会いできお礼を申し上げる事が出来たのです。

インタビューが終わり、風彦の部屋の写真を何枚か撮ってからお墓にも行って下さいました。そしてお墓参りをしてからお墓の写真を撮り、駅までお送りして別れました。

「ワールド空手」が届いた日、先ず表紙を見てびっくりしました。

   初めて明かされる6年前のあの日
 『疾風のように青春を駆け抜けた』 黒澤風彦物語

そして中の記事を開いてさらにびっくり。まさに特集扱いで、何と小さな字でびっしりと7ページ半にも渡り、それもオールカラーページで掲載されていたことには驚きと感激で胸が一杯になりました。
記事も素晴らしく、ライターの神宮さんの文章力に感動しました。私の拙いインタビューの応答に加えて、他の人からも情報を集め、私の知らなかった風彦のようすをこの記事から知る事が出来ました。
私は何度も涙しながら読みました。主人はしばらくの間、私が寝た後毎晩毎晩飲みながら読んでいたようです。

7月2日、風彦の七回忌を兼ねて「第二回黒澤杯」が開催されました。
その時私も女子部の人たちと型の演武を行いました。
演武が終わった時、何と福島さんはこの写真のパネルを私にプレゼントしてくださったのです。あまりの思いがけない事と福島さんの優しさに涙を堪える事ができませんでした。
私は涙ながらに、この10年目に出会えた写真について会場の皆さんにお話させていただきました。

風彦が生きていたらどんなに喜ぶだろうと思いながらも、生きていたらこういう出会いもなかったと思わざるをえません。

今この写真は、風彦の部屋に誇らしくかけられています。

          2008・10・11 記


更新 2011・12・04






2021/07/11 23:57:39|18歳で風になる
21回目の命日
               今年も命日にお花が

21・7・11(日)晴れたり曇ったりそして土砂降り

昨日はカンカン照りのお天気
暑い中での女子部の稽古が行われました。
最近元気になって来た女子部、昨日は可愛い見学者があって9人での稽古となりました。
熱心に稽古をしている鈴〇さんが病院へ行くとの事でお休み。
鈴〇さんが来たら二桁になったのに・・・病院では仕方が有りません。

稽古で疲れたのに、午後から買い物やお墓のお掃除に行ったりと、すっかり疲れてしまいました。
でもまだやらなければならないことが有りました。
それは今日の為のお掃除やカレー作りです。
両腕が痛いのでジャガイモの皮を剥いたり、他の野菜を切ったりしていると手が攣って困りました😣

何とか今日の命日を無事に迎えることが出来ました
我が家にとってはお正月より大事な風彦の命日です。
昨日も2組の方たちがお墓に来てくださったようです。

今日は先生は指導があったので、その後他の空手の先生と11:30に道場で待ち合わせてお墓に行ってくださいました。
他の道場の先生も毎年成島先生と一緒に来てくださいます。
遠くから大変なのに申しわけありりません。

そして成島先生たちがお墓に行ってくださった時は、さらに沢山のお花が供えられていたと教えていただきました。
もう21年も経つというのに、どなたか分からないのにそっとお墓に来てくださることにただただ感謝です。

私が作ったカレーとサラダ代わりの野菜たっぷりの冷やし汁を食べて頂きながらお喋り。
先生のお子さん二人もカレーをしっかり綺麗に食べてくれたのは嬉しかったですね。
二人の姿を見ていると、何とも可愛らしく風彦が生きていたらこのくらいの子がいても不思議ではない年齢になっています・・・もっと大きくなっているかも。

でも生きていたら、今の道場はないし私も空手はやっていません。
生きていたら・・・等と考えても仕方がない事なので、今の現実にしっかり向かい合っていくしかありません。
でも時々考えてしまいます。

先生たちがお帰りになった後、お隣の奥様が来てくださいました。
毎年お経をあげてくださるのです。
風彦と同じ年齢の甥御さんがいらっしゃるので、毎年その甥御さんの話がでます。
小さい時一緒に遊んだことがあるので、特に風彦の事を思ってくださるのです。

今年の命日も無事に終わりにすることができました。
また新しい22年目が明日から始まります。
どんな一年になる事でしょう。

13日からお盆に入ります
でも我が家にとっては命日がお正月よりも大事な日なので、お盆はお墓参りと青梅の妹の義弟にお線香を上げに行くだけです。

15日には主人の一回目のワクチン接種が予定されています。
副反応が出ないと良いのですが、知人でワクチンを打った人が苦しい思いをしたような話を聞くと心配です。

それにしても午後3:20頃からの突然の雷と土砂降りの雨にはびっくりしましたね。
各地で同じような突風や大雨があったようです。
今年の梅雨は雨続きですが、降り方が異常ですね。
都内では大きな雹が降ったとの事。

雨が上がった後、外に出てみたら寒い程の気温、明日は晴れるのでしょうか。
      
            夕方6:32の西の空です


       今日の東京の感染者数614人



   
      






2018/07/13 23:30:00|18歳で風になる
命日と迎え盆
                                                 迎え火
   
’18.7月13日(金)晴れ       
 
                        ありがとうございました   
 
7月7日の命日は、今年も暑い暑い日になってしまいました。
風彦が亡くなった2000年の7月7日も真夏日の暑さでした。
それ以来18回目の命日を迎えましたが、毎年同じように暑い日になっています。
そんな中、風彦のお墓に行ってくださった皆様、本当にありがとうございました。
お一人お一人にお礼が申し上げられないのが残念ですが、この場で心から御礼申し上げます。
 
毎年大きなお花籠を持って成嶋先生と他の道場の先生もお墓に行ってくださいました。
  
今もまだこのお花は風彦の部屋で元気に咲き、綺麗な香りを部屋に漂わせております。
 
お二人の先生が我が家にも来てくださり、2時間ほど楽しいお話をして帰って行かれました。
このひと時が、毎年主人にとっても私にとっても心慰められる時間となるのです。
 
そして夜には、坂〇先輩 寺〇先輩のお計らいで、風彦を忍会「深風会」を毎年計画してくださっています。
成嶋先生やその日稽古に出られた方も稽古の後汗びっしょりになった体で参加。
総勢20人余りになったように思われました。
 
既に風彦を知らない道場生が多くなってしまいましたが、風彦の命日がこのように道場生の親睦会を兼ねるようになったことも、風彦にとっては嬉しいことではないでしょうか。
 
昨年は参加しなかった主人でしたが、今年は気持ち良く参加を表明。
ノンアルコールビールを飲みながら、料理も沢山食べていました。
 
和やかな時間はドンドン過ぎ23時過ぎまで掛ったのではないでしょうか。
 
私は翌日(昨日)は、書道展を二か所回らなければならなく・体がもつだろうかと不安もありましたが、何とか一日書道展のはしごを済ませることができました・・・chachaのブログに作品を少し載せてあります。
 
そして今日は迎え盆
命日に続きお盆ですから我が家にとっては長い供養の日になります。
 
午前中は英語のクラスへ・・・先週体調を崩してお休みしたので今日は頑張って行きました。
 
英語から帰ってから近くに住んでいる元同僚のご主人が亡くなって間もなく3年になるので13:30にお線香をあげに行きました。
 
そして次に彼女が我が家に来て風彦にお線香を。
少しだけお喋りをして帰って行ったので、その後一応迎え火を焚きました。
何時も好きな所に風になって飛び回っている風彦だと思っていますので、改まって迎え火を焚く気分にもなれないのですが、昔からのしきたりぐらいは行うことにしています。
 
明日は久しぶりに合同稽古に出る予定です。
その後お寺にお布施をお持ちすることになっています。
 
我が家にとってはお正月よりも大事なこの時期ですので、お盆が終わるまでは心も落ち着きません。






2012/05/04 18:57:32|18歳で風になる
18歳で風になる・懐かしい記憶が
 
’12・5月4日(金)曇り小雨か雷     奇跡を風彦の風が・・・ 
 
今日は晴れたり曇ったり、おまけに雷が。
朝からめまぐるしく変わっているお天気です。
 
メールを開くと、またも、、ちーさんからびっくりすろコメントが届いていました。
 
暫く 「18歳で風になる」のカテゴリーから離れていましたのに、お蔭でまた風彦をしみじみと偲ぶ時間がもてるようになりました。
 
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easy my webをご利用いただきありがとうございます。
コメント投稿がありました。

タイトル:ビデオがありました
投稿者:ちー
 
コメント:GWですが天気がすっきりしていないですね。

道場に93年首都圏交流試合と94年第1回全関東少年大会(テレビ埼玉放送のもの)がありました!

職員の許可を貰い、借りて画像の確認をしました。


まだまだキレイに映像が残ってました♪


勿論風彦さんもバッチリ映ってます!

私が驚いたのは新極真の森健太(世界大会日本代表)選手と風彦さんが直接対決していた事です!

正にドリームマッチです!

しかも風彦さんが勝利しているのです! 

もし映像が必要な場合はDVDに録画します。

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わざわざ、ビデオを探してくださったのですね。
ずいぶん前のビデオですので、探すのも大変だったのではないでしょうか。
 
森健太選手も、私は名前だけ、主人はどんな試合をしたかもしっかり覚えています。
 
この頃は我が家のテレビでは埼玉放送が観られなかったため、埼玉放送が入るテレビを持っている人の家を訪ね訪ねてお願いして見せていだだいていました。
 
ある年はお隣さんに、ある年は私の職場の人に、そして関東大会の時には足利の弟の家まで行って観たのです。
季節も良い時期でしたので、足利に遊びに行くよい機会でもあったのですが。
 
そんなふうに、風彦に振り回せれながらも、風彦の空手を一緒に楽しんでいたものです。
 
森健太選手も立派な選手になって、活躍していらっしゃるのですね。
 
DVD、お手数でもお願い出来ましたら嬉しいです。
尚、メッセージルームからアドレスをお知らせいただけましたら、こちらから我が家の住所をお知らせいたします。
 
懐かしい思い出が、今私の心を癒してくれています。
こんな日が来るとは・・・本当に風彦の風が運んできた奇跡だと思っています。






2012/04/29 18:12:49|18歳で風になる
18歳で風になる・ええっ!びっくりです!
 
’12・4月29日(日)晴れ        こんなことがあろうとは! 
 
今朝メールボックスを開いたら、私の目に飛び込んできました。
余りにも思いがけないことに、私の胸がドキドキ。
パソコンを打っている私の腕もブルブル震えました。
 
下記が、メールボックスに入っていた多摩ケーブルさんからのお知らせです。
 
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easy my webをご利用いただきありがとうございます。
コメント投稿がありました。

タイトル:はじめまして
投稿者:ちー
コメント:はじめまして。
 
空手歴21年の空手が大好きな主婦です。
 
1993年の5月16日の首都圏交流試合に初めて試合に出場し、緒戦の相手が優勝された黒澤風彦さんでした。
その時の写真は今でも私の実家に大切に飾られてます(当時のパンフレットも保管しているはずです)。
ビデオも私が所属している道場にまだあったと思います。奇遇にもこのブログを見つけ、きっと何かの縁でもあるのかと勝手に思っています。
 
宜しくお願いします。
 
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今頃になって、このようなことが・・・・。
 
このコメントを目にして、直ぐにあの時の試合の事が、私の脳裏に蘇ってきました。
主人にこのコメントを見せたら、主人も直ぐにこの女性の事を思い出しました。
 
風彦が六年生の時の試合です。
この女性(まだ女の子)と緒戦で当たった時、判定は女の子に旗が挙がったのです。
えっ? あぁっ、負けてしまった・・・。
 
思いがけない判定でしたが、旗が女の子に挙がってしまったのですから、私にはどうすることもできません。
一瞬の落胆が、私と主人の心を襲いました。
風彦の心境はいかばかりだったか・・・計り知れません。
 
私には長い時間に思えましたが、直ぐに審判長(?)が、下された判定に対して四人の審判を呼び集め何やら協議。
理由は分かりませんが、その後再度試合を行うことになったのです。
 
当時は女の子も男の子も、一緒に試合をしました。
しかし、女の子は一学年上の子が男の子と試合をしていました。
この女性が、果たして中学生になっていたのかどうかは分かりませんが、体格のよい女の子だったように記憶しています。
 
主人もこのコメントを読みながらこの時の事を思い出し、何と名前まで思い出したのです。
 
ちーさん ということから、
「・・・確か何処の支部の〇〇さんじゃないかなぁ。」
 
風彦小学六年生の時の試合の相手の女の子が、19年も経った今になって、こうして私のブログにコメントを寄せてくださるとは・・・これこそ奇跡ですね。
 
すっかり大人になられた ちー様、コメントをありがとうございました。
 
何度となくこのブログも止めようと思いながら続けてきたのですが、こんな奇跡的なことが私の目の前に現れると、絶対やめられないですね。
またどんな出合が待っているか楽しみに、拙い記事でも更新していきます。
 
それに今は、主人の様子を気にしながら開いてくださっている人たちも多いので、これからも暫くは主人中心になっていくでしょう。
 
風彦は今年13回忌です。
13回忌のこの時期に、この奇跡的なコメントを頂いたのも不思議な気がします。
 






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