極真空手を愛し、18歳で風になった息子の魂 息子の愛した空手を通して、生きていく事を決意
 
CATEGORY:それでも私は 生きる

2008/09/30 22:49:00|それでも私は 生きる
それでも私は 生きる
                      非
 
’08.9月30日(土)晴れ     それでも 私は生き   
 
 
2000年7月11日(火)・・・・・それは、暑い暑い夏の日でした。
 
当時私は小学校に勤務していて、その日も給食の準備が始まったばかりの時でした。
 
子供たちはわいわいがやがやと、楽しい給食の配膳中。
外は太陽が、ギラギラ照り付けていました。
 
そんな時、「福生警察から電話です。」と職員室に呼ばれました。
とっさに私は、
「風彦がちょうどお昼で、道場から家に帰って昼食を摂る時間。 家に帰る途中で、 
 何か事故でも・・・。」
と思いながら恐る恐る電話にでました。
 
電話のむこうからは、ただならぬようす。
「とにかく直ぐに、青梅総合病院に来てください。連絡できる人には、直ぐ連絡してく
 ださい。」
というだけ。
「どうしたのですか。何があったのですか?」
と尋ねても、理由も、風彦の様子も何も話してくれず、ただそう答えるだけでした。
 
電話の様子から、「もう、若しかしたら駄目なのかも・・・命だけは・・・」私の頭の中は何があったのかも分からず、この言葉だけがぐるぐる回っており、力が抜けて立っているのもままならない状態。
 
教室の子供たちも机の上もそのままに、当時の教頭先生に車で病院まで送っていただくことになりました。
車を運転してしる教頭先生から「大丈夫だから、大丈夫だから・・・。」
と励まされても、警察官の口調から「もう駄目なのでは・・・」ということしか考えられませんでした。
そして私の体は血液が全て消えうせてしまったかのように寒く、ぶるぶる震えていました。
青梅総合病院の受付で、
「今、処置室にいます。」
と言われて、処置をしているならまだ命は助かったのかも・・・と、微かな希望を期待しました。
そして、教頭先生に抱えられるように歩きながら、風彦のいる処置室を探しました。
 風彦と対面した時は、すでにかすかな呼吸さえもしておらず、穏やかな顔で冷たくなってベットに横たわっていました。
 
「どうしたのですか。何があったのですか。」
もう私の頭の中は、周りの事など気にする理性などありません。
「風君!風君!・・・」叫び続けました。
 
 ”お願いだから、もう一度目を覚まして。”
 ”いや、もうそんな事はできない。”
 ”何があったのか、話して。”
 ”もう、この子は何も言えない。何も聞こえない。”
 
様々な言葉が、私の脳裏を駆け巡りました。
 
冷たくなってしまった風彦の顔に、私の顔をすりつけて温めようとしました。
無理だと、ほんの僅かな理性がささやいていても、何とかもう一度風彦の身体にぬくもりが戻りますようにと・・・。
どんなに必死になって温めようとしても、一生懸命強くなろうと努力して造り上げた逞しい身体は、冷たく静かに横たわっているだけでした。
 
まさに、信じられない悪夢をみているようでした。
 
この日、私も主人も地獄に落ちました。                        






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